十五年前のクリスマスプレゼント(番外編)
[全3ページ]
-1ページ-

 成田国際空港の第1旅客ターミナル一階の到着ロビーは、一月第二月曜日を「成人の日」とし、国民の祝日と定めて以来、三連休の最終日であったが、ごった返している。

 エールフランス航空と日本航空のコード・シェア便である5054便が、午前九時十分の定刻よりも三十分遅れで成田に到着し、乗客となっていた篁(たかむら)千雪(ちゆき)は、行き交う雑踏の中で立ち尽くしていた。

 二〇一一年一月。千雪はドイツ国立フランクフルト大学に留学し、職業教育学部の器楽科でオルガン専攻を学び、十か月が経っていた。

 千雪の母国にある横浜みなとみらいホールで、新成人を祝うチャリティコンサートが企画されていたのだが、予定されていたオルガニストが急病となり、千雪が急遽、代役を依頼されたのだった。

 千雪は一か月前にも、生まれつきない左前腕の断端部とそこに装着しているハイパー筋電義手の定期検診に加え、赤坂にある霊南坂教会で行われるクリスマス礼拝のオルガニストとして一時帰国し、年末年始もなくフランクフルトへとんぼ返りしていたものの、年が明ければ、パリのオスマン通りに近い古く無名の教会での新年礼拝に派遣され、その足で再び帰国して、横浜で行われるコンサートのオルガニストの代役に立てられているのだった。

 重用される千雪に、留学生の誰もが、羨望と嫉妬の目をあからさまに向けたが、千雪自身はヨーロッパと日本を慌ただしく往復する生活に疲れ切っている。

 国際線の到着が三十分、一時間遅れるのは珍しいことではなかったが、発地のパリのシャルル・ド・ゴール空港が例年にない大雪で、丸二日間、全面欠航となり、ようやくに晴れ間が覗いた昨日の午前中、それまで待機させておいた全便を一斉に飛ばせたことにより、受け入れる側も混乱した。

 勿論、ヨーロッパ中から国際線が飛んできても空港機能が麻痺するヤワな成田ではなかったが、これは羽田と関西との緊密な連携あっての話だった。

 よりにもよって午前七時十分に中国国際航空の貨物便が羽田で尻もち着陸し、漏れた航空燃料が火災を起こし、滑走路二本を数時間にわたって、使用不能にしていたし、関西では早朝からシステムダウンが発生し、三時間も運用が出来ない状態となっている。

 千雪は今日の午後十二時四十五分開演の横浜みなとみらいホール大ホールで開催される「成人の日」を祝うコンサートで、パイプ数四千六百二十三本の巨大なパイプオルガンを奏するには、後二時間以内に会場に到着しなければならない。

 健側の右手でキャリーに乗せたボストンバッグを引きずるようにして、人波を縫い、エールフランス航空が到着する、北ウイングの到着ロビーに設けられたリムジンバスチケットカウンターへ行くと、赤坂六丁目にある実家へ帰るとき、ホテル・オークラへ行く路線を使っている経験上、みなとみらいエリアへ行くリムジンバスの時刻表を目で追うと、千雪は茫然とした。

 成田空港から、みなとみらいエリアへ行くリムジンバスは、三系統あったが、午前七時三十分の便が出てしまえば、どれも十四時三十分まで一本もない。

 タクシー乗り場に目を向けると、既に長蛇の列で、これではいつ乗れるか解らない。

 千雪は、成田エクスプレスに乗ろうと、JRと京成の成田空港駅へ歩き出そうとしたそのとき、太書きマジックを用い、乱雑に、

 篁 千雪

 と記されたスケッチブックを掲げているスーツ姿の背の高い男性がいることに気付き、本来なら二日前に到着していたはずの千雪を、横浜みなとみらいホールから職員が迎えにきてくれたのか、とほっとして、

「あの……ホールの方ですか? 遅れて申しわけありません、篁です」

 声をかけたとき、思わず、千雪は自分の目を疑った。

 自分の氏名をでかでかとスケッチブックに書き殴り、よりにもよって大混雑している国際空港の到着ロビーで掲げていたのは、小学校の同窓生の相良健太(さがらけんた)であった。千雪は思わず、

「……ケ……ケンタ君?」

 確かめると、ケンタは千雪の顔を見るなり、

「急げ!」

 怒鳴りつけた。千雪はむっとして、

「何だよ!」

 訳の解らない状況を質す思いと、幼馴染みという気安さから怒鳴り返すと、ケンタは全く動じることなく、

「荷物は? キャリーとボストンバッグだけか? シャネルとルイ・ヴィトンとは豪勢だ」

「だから! 何で、あんたがここにいて、わたしを迎えにきているのか、聞いてんの!」

「断っておくが」

 ケンタは眉一つ動かさず、千雪の利発そうな瞳の奥を見つめると、

「俺の車で、みなとみらいへ送ってもらう以外、篁には、何の選択肢もない。今、見たとおり、リムジンバスは午後にならないと出ない。更に、タクシーはいつ乗れるかも解らない有様だ」

 状況を確認した。送ってもらえることはありがたいが、幼馴染みであろうが、終始、命令口調でまくし立てられては、千雪も面白いはずはなく、

「いいよ、電車で行くから」

 成田エクスプレスを使うことを言うと、ケンタは、

「十時十五分発の十四号は、十一時四十四分に横浜に着くが、今からホームに行っても、全席指定車両の切符がとれるとは思えない。次の、十時四十六分発の十六号だが、横浜到着は十二時十四分で、やはりコンサートの開場にすら間に合わない。

 篁がド・ゴール空港に二日間足止めを食らっている間に、既に公共交通機関を使って会場へ行く、という篁の計画は無効になっていたんだ」

 千雪は大雪によってド・ゴール空港に閉じこめられていた二日間に唇を噛みしめたが、携帯電話を使ってコンサート会場に充てられている横浜みなとみらいホールに開場・開演の時刻を遅らせてもらえば、済む話だった。

 千雪が全面タブレット式のスマートな携帯電話を、コートのポケットから取り出すと、ケンタは、

「丁度いい。絶対に間に合うから、予定通り開場・開演してほしい、と伝えろ」

 迫るように言った。思わず千雪は怯み、ホールの事務室に電話をかけると、現在、成田空港に到着しており、家族が自家用車で迎えにきているから、必ず間に合います、と確約した。

 プロのオルガニストとして、もはやケンタの高飛車な物言いに従う他なかった。

 ケンタはキャリーを引き、千雪はボストンバッグを提げると、第1旅客ターミナルから歩いて二、三分ほどのP1と呼ばれる駐車場へ向かった。

 千雪は突然に現れた幼馴染みのケンタの背を見つめた。

 ケンタは、小学三、四年生のときに同じクラスに編入され、大過なく過ごしていたが、二学期の終業式が近づいたある日の昼休み、校庭の一角でドッジボールをやっていると、千雪のまるで生身と区別がつかないシリコン製コスメチックグローブ付前腕義手にボールをぶち当て、義手を脱落させ、それまで千雪がかたくなにクラスメートに隠し通していた障害児であったことをさらけ出した張本人だった。

 しかし、ケンタはそれ以後も千雪と変わらず接し、それが結果的に千雪をクラスメートのいじめから守っていた。

 千雪はオルガニストを志し、中学は音楽教育に特化した私立学校に進んだが、ケンタは公立中学・高校へと進んだようだった。

 こうしたケンタが、京浜商科大学で経済学部を終えようとしていた年の元日、ケンタの妹が大学受験を控え、両親と共に合格祈願と初詣を兼ね、赤坂から近い永田町二丁目にあり、江戸時代からの歴史がある日枝神社に参拝したそのとき、散弾銃を乱射され、家族が皆殺しにされる、という不幸に出遭ったのだった。

 小型鳥獣狩猟用の散弾銃でも、参拝客でごった返した至近距離から発射されれば、ライフル銃並みの威力があり、死傷者十五名の無差別殺人が元旦の都心で発生した衝撃は、都民を震え上がらせた。

 しかし、それ以上に、銃を所持していた男が、まだ二十代前半の若者で、それが薬物中毒による重度の精神異常者であったことから、日本では何の罪にも問われないことが、ケンタには無念であった。

 こうしたケンタの心中を利用するかのように、マスコミの矛先ならぬペン先は、薬物中毒の男などに銃の所持を認めた公安委員会に向けられた。やり玉に上げられた公安委員会は更なる法整備の強化を打ち出し、幕引きとなった。

 京浜商大四年生のケンタが喪主となり、六本木の葬祭場を借りて家族の葬儀がしめやかに執り行われたが、年始と言うことで参列者もまばらで、ケンタの同窓生は千雪だけという侘びしさとなった。

 P1駐車場に着くと、千雪はケンタがどんな車で迎えにきたのか興味津々となったが、ケンタが電子キーで助手席を解錠したのは、ホワイトパールにきらめくスタイリッシュなフォルムで若者に人気の高い三菱のコルトで、千雪を見直させた。

 ケンタは素早く千雪の荷物を後部シートに押し込み、千雪を助手席に座らせると、自分も慣れた物腰で運転席に座り、シートベルトをかけ、エンジンを始動させた。

 やや間を置き、カーナビが、

「目的地に設定された横浜みなとみらいホールには、午前十一時三十分に到着します」

 音声を発すると、千雪はほっと安堵し、シートベルトを締めた。千雪はふと、

「ねぇ、わたしを助手席に座らせてもいいの?」

 妙に持って回った質問をすると、ケンタはサイドミラーとバックミラーに加え、全周囲モニターで周囲の安全を確認すると、コルトを発進させながら、

「何の話だ?」

 きょとんとして聞き返した。千雪は、

「いい、解った」

 ケンタはツードアのスポーツカーを乗り回していることから独身だと察しを付けた。また、女の長い髪は落ちていないし、香水のにおいもしていないことから、一緒にドライブするようなガールフレンドもいないことが解ったのだった。

-2ページ-

 

 

 ケンタが運転するホワイトパーツにきらめくコルトは、新空港道の成田ジャンクションから東関道上り車線に入ると、千雪は四年前の葬儀を思い出し、

「ねえ、ご家族はお気の毒だったけれど、あれからケンタ君どうしていたの?」

「京浜商大に在学中から気象予報士の勉強を独学でしていたんだ。幸い、合格していたから横浜のローカルテレビ局に就職して、スポンサーを探す営業をやらされている。そのうち天気予報番組の解説でも担当させられるだろう」

「赤坂から引っ越したの?」

「当然だ。犯罪の被害者だろうが加害者になろうが、あれだけマスコミに大騒ぎされれば、とても、住んでなんていられない。家族の保険金と親父から相続した家と土地を売って、横浜の元町にマンションを買ったんだ」

 千雪には、家族が皆殺しにされるような大きな不幸を淡々と語るケンタが不気味で、

「……まるで、他人事みたいな言い方……」

 思わず呟くと、

「初めのうちだけだ。クラスメートも隣近所のおばちゃん達も、『がんばるんだよ』『気を確かに持ってね』とか、優しい言葉をかけるが、一か月もすると、『お前みたいな疫病神となんぞつき合っていたら、こっちまで祟られる』と、言わんばかりに眉をひそめられる。家族の葬儀に篁以外、誰もこなかっただろう、あれがいい例だ」

 千雪は、ケンタの家族の葬儀に同窓生を何人か誘ってみたが、結局、上京している親戚のもてなしがあるから、正月休みを利用してスキーに行っているから、などともっともらしい理由をつけ、誰もが口を揃えて拒んだのは、ケンタのあまりにも大きな不幸を忌み嫌ったからであったことを初めて知り、社会の認識というものに驚いた。

「最初の質問だけれど、ケンタ君が何でわたしが帰国する便を知っていて、迎えに来られたの?」

 千雪は最も不思議に感じていることを尋ねると、ケンタは、

「篁が自分で世界に情報発信をしている。ブログだ。タイトルは『ちゆき みっしょんず』。なかなかしゃれたタイトルをつけたもんだ」

 楽しそうに応えた。千雪は頬をかあっと赤くし、

「そ……それで!」

「一月六日の記事に、

『パリのオスマン通りにある名前も記憶に残らないような教会での新年礼拝がやっと終わりました。市内散策は明日の午前中にすることにして、セーヌ川のほとりをのんびりとマルト・オペラに帰りま〜す』

 とあったが、マルト・オペラってホテルか?」

「オペラ座やルーブル美術館に近くて、こぢんまりとしているけれど、いいホテルだったよ」

 千雪がうっとりとして洗練されたインテリアを配した内装を思い返して言うと、ケンタは、

「問題は一月七日から八日にかけての記事だ。

『早朝から市内散策してパリ北駅からド・ゴール空港へ行こうと思っていたら……パリ市内は大雪で真っ白! ちょっと、これ、マジでやばくね?』

 吹雪の向こうにエッフェル塔を捉えた説得力のある写真が添えられていた。デジカメはどこのメーカーの製品を使っているんだ?」

 白銀の矢のように走るコルトは、東関道の下りを走り続け、湾岸千葉ジャンクションから湾岸線東行へ入った。

 ケンタは慣れたハンドル操作で、頻繁に車線を変更しては次々と追い抜きをかけていくが、決して速度超過は犯していないし、危険な走行でもはない。

「SONY。パソコンもSONYだから」

 そもそも公開することを目的にしているブログだが、丸暗記されていることに複雑な思いで千雪が応えると、ケンタは、

「VAIOか。楽曲編集に特化したソフトをインストしているから、オルガニストには最適の選択だ」

 ケンタは楽しそうに言い、言葉を継いだ。

「さて、一月八日の記事には、全便欠航となったド・ゴール空港のロビーの写真が使われ、

『な……何だ、これ。一月十日のコンサートに間に合うように二日も早くパリを出ようと思っていたら、空港に缶詰じゃねぇか! わたしを成田に帰らせろ〜!』

 実に臨場感と悲壮感が伝わってくる。一月九日の早朝に、

『どう見ても、メタボでフランス人のおとうさんと小柄な日本人のおかあさんのハーフのかわいい女の子とお友達になりました。この子、生まれつき両脚がないんだけど、大きくなったら、画家になって、フランス中歩き回ってきれいな景色をたくさん描く夢があるんだって、日本人のおかあさんが話してくれました。がんばってね、フローラ』

 あの金髪のくるくる巻き毛の女の子が、フローラか?」

 ブログに掲載されていた五歳ぐらいの女の子と千雪が並んで写した写真を思い出し、ケンタが言うと、千雪は憮然として、

「その子、まず、膝のない義足で生活しているんだって。安定して、つかまり歩きや一人歩きといった健常な身体発達段階を損なわない配慮なんだって。わたしの障害は左腕だからよく解らないけど。で、よく覚えていないけれど、何の用事かバルセロナかベルリン行きの国際線に乗って行ったよ」

「その後、篁は日本航空とエールフランスのコード・シェア便の5054便に搭乗して、定刻の十三時十分に離陸したものの成田には三十分遅れの九時四十分に到着した、というわけだ」

 千雪は、国際線での移動を、まるで山手線に乗車するがごとく甘く捉えていた自分の迂闊さを一つ一つ指摘されているようで、腹立ちを感じたが、湾岸線から見える冬陽に照らし出された京浜工業地帯と東京湾の美しい景色に、ふと心が和み、

「経過は解ったよ。でも、わたしを成田でつかまえようと思ったら、三日間、ブログの更新とパリの天気予報につきっきりになっていたことになるよね? どうして、そこまでするの?」

 千雪が冷静にケンタの真意を尋ねると、

「礼と贖罪だ」

 コルトは川崎湾岸ジャンクションを通過していた。ケンタがこともなげに応えると、千雪は訳が解らず、

「わたしにお礼? 何の?」

「家族の葬儀に参列してくれたのは、幼馴染みでは篁だけだった」

 凶弾に撃たれ、皆殺しにされた家族の葬儀の席上で、喪主として一人一人に黙礼していたが、小中高と共に学んだ同窓生は、千雪以外、誰も訪れなかったことを四年経つ今日でもまるで昨日の出来事のように鮮明に覚えていることをケンタが応えると、千雪は、

「贖罪は何に対して?」

「小学四年生のとき、篁の左腕にボールをぶち当て、障害児だったことを学校中にさらけ出したことだ」

 ケンタが潔く応えると、千雪は首を傾げ、

「そんなこと、もうどうでもいいのに。それより、ケンタ君、あのとき、わたしの左肘を掴んで、かっこいいって連呼していたじゃない。障害者がそんなにかっこいいの?」

「例えば、毎年八月の終わりに、民放が募金を訴え、二十四時間ぶっ通しのテレビ番組を企画しているだろう? あの番組に取材される何らかの障害者は誰も美しい。それは、生命がもつ輝きと言っていいと思う」

「あんなの……障害者が自分を見世物にして、日銭を稼いでいた昔の見世物小屋の現代版で、放送が終われば、視聴者はすぐに忘れちゃうよ」

 千雪は健側の右手で、生まれつきなく、ハイパー筋電義手で機能を補っている左腕をさすりながら吐き捨ているように言った。

「ところで、篁はまだ結婚していないんだな。姓が篁のままだ。夫婦別姓を主張している、なんて嫌みは言うなよ」

 ケンタは巧みなハンドルさばきで十トントラックを追い抜きながら言った。コルトは大黒ジャンクションから横浜ベイブリッジを渡り、本牧ジャンクションへと向かった。

-3ページ-

「結婚なんて出来るわけないじゃない。こんな、片ちんばの女」

「篁、『片ちんば』は放送禁止用語だ。ついでに『こんな』と『見世物』もやめとけ」

 ローカル局ではあったが、民間放送局で働く者らしい言葉で千雪を諫めた。千雪は、

「何さ、ケンタ君だって、家族との思い出が詰まった赤坂から逃げ出したくせに」

 ケンタの自分を不憫に思う心根は嬉しかったが、一身上の不幸から目を背けている、という点においては同じ穴のムジナであった。ケンタが怒り出すことを覚悟して、過去にずかりと踏み込むように千雪は言った。

 しかし、ケンタは怒り出すどころか、成田空港で千雪をつかまえて以後、何の抑揚もなく繰り返している淡々とした口調で、

「俺は家族の思い出から逃げ出したんじゃない。隣近所の禁忌の目を避けたのと、たまたま採用された会社が、横浜の山下町にあったから、近い元町に引っ越しただけだ」

 もっともらしく応えた。千雪には詭弁に聞こえ、それなら、あんた、わたしと結婚出来る? と質しそうになった。

 左腕がない嫁を迎え、将来、子供が生まれたとき、母親同様の障害が出れば、世間体が悪く、一生のお荷物になる。

 こうした理由から、結婚する者同士が承知していようが、家族や親戚が猛反対し、泣く泣く別れさせられた例を、千雪は聞き飽きている。

 しかし、ケンタには猛反対する家族もいなければ、親族からも禁忌されているのだった。千雪が口を噤むと、ケンタは、

「家族は、俺を生涯、苦しめようとして死んだわけじゃない。俺が、亡くなった家族に一生、下ろせぬ重荷を背負わされた、という思いで人生を送り続けていたら、それこそ家族は浮かばれない。誰かを、何かを恨み続けていても家族の魂は悲しむだろう。

 記憶に新しい、航空機の墜落事故や関西の鉄道の脱線事故で、亡くなった人の遺族が、自分の大切な家族は、航空会社や鉄道会社に殺された! あの出来事を風化させてはならない! と命日が近づくたびに声高に叫んでいるが、ほんの一つ、亡くなった家族に、いつ、どこから見られていてもいいように、遺された者として、誠実に、明るく、強く生きていこう、と気づき、実行を重ねていく歳月が、自分はおろか家系を救う唯一の術なんだ、と思い至らない連中が不思議だね」

 大規模な事故や災害で家族を失った者達が、瞬時に救われる一言を示した。千雪が唖然としていると、ケンタは言葉を継いだ。

「篁は、自分の左腕を必要以上に負い目に感じているようだが、篁の両親は娘を一生、苦しめてやろうと思って障害児に生んだわけじゃない。娘のしあわせを願ってやまなかったからこそ、病院への送り迎えを繰り返し、好きな道へ進ませてくれたのだろう。

 こうした両親の無償の愛情に気付いて、障害を自分だけに与えられた貴く、尊い勲章だと捉えてみてはどうだろうか?

 その瞬間、篁自身は、心に宝を捧げ持った富者へと生まれ変わることになる。医学的に極めて稀な障害者という社会の評価も少しずつ変化していくはずだ」

 社会一般から千雪個人が救われる一言を伝えた。一か月前、オルガニストとして生きていく、という人生を与えられていたことに気付いたが、それと裏表の存在としてあった障害者という負い目からも解放されたのだった。

 ……心の富者……

 千雪が涙でにじんだ瞳を見張ったとき、コルトは既に狩場線下りに入り、石川町ジャンクションを出ていた。横羽線みなとみらいはもはや目前だった。

 

 平成十年六月に開館したばかりの真新しい横浜みなとみらい大ホールのステージ後方にあるパイプオルガンの演奏台に立つと、真紅のドレスに身なりを改めた千雪は、二千二十席ある客席を見渡した。

 まだ開場したばかりの午後十二時二十分だというのに、どこか頼りなさが漂うもののスーツや華麗な振り袖を着た新成人が、空席を次々と埋め始めている。

 千雪は、オルガニストを志した幼い日を思い出し、身の引き締まる思いとなった。

 本来なら、とっくにリハーサルを終えていなければならない時刻であったが、開演の十二時四十五分には、まだ間があった。全て幼馴染みのケンタの努力の賜物だった。

 着席を始めた新成人達は、ざわついていたが、千雪が演奏台に立ち、思いもかけずリハーサルを目に出来ることに気付くと、一斉に口を噤み、奏者の背に注目した。

 巨大な鳥人の姿をした神像が屹立し、黄金に輝く翼を広げたかのような神々しささえ放つパイプオルガンに向かうと、千雪は新成人を祝い、自らを支えてくれる全てに感謝を捧げ、J.S.バッハのコラール「目覚めよと呼ぶ声聞こえ」BWV645を、壮麗な音色で奏で始めた。(完)

説明
生まれつき左腕がない篁(たかむら)千雪(ちゆき)は、十五年も前に贈られていたクリスマスプレゼントに気付きますが、その1か月後の「成人の日」、幼馴染みのケンタから思いもかけなかった一言を伝えられます。
千雪とケンタにもう一度、会ってみたくなり、番外編を書きました。「成人の日」にUP出来なくて残念です。
テーマに共感をいただければ幸いです。
総閲覧数 閲覧ユーザー 支援
567 552 2
コメント
どこのどなたか、お二人も支援して下さり、ありがとうございます。ただいま、次回作を準備中です。(小市民)
タグ
前腕義手 筋電義手 成人の日 横浜みなとみらいホール コラール目覚めよと呼ぶ声聞こえBWV645 

小市民さんの作品一覧

PC版
MY メニュー
ログイン
ログインするとコレクションと支援ができます。


携帯アクセス解析
(c)2018 - tinamini.com