遠くの光に踵を上げて - 第29話?第31話
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29. 3人目の招待客

 

「誕生パーティ? おまえの?」

 ジークが素っ頓狂な声をあげた。

「他に誰がいるっていうの」

 アンジェリカは彼の反応に少しむっとし、冷めた声で言い返した。

「なんでおまえ、そんなガキくさいことやるんだよ」

 ジークはさらに彼女の神経を逆なでする言葉を口にし、面倒と言わんばかりに後頭部を掻いた。

 ??アンジェリカはまだ子供なのに。

 リックはそう思ったが、口には出さなかった。ただ、彼女の実年齢をすっかり忘れているジークがおかしくて、こっそりと笑った。

「別に嫌だったらいいのよ。無理に来てほしいなんて、言ってないんだから……」

 アンジェリカはうつむくと、不機嫌な声で口ごもった。彼女の耳は、ほんのり赤く染まっていた。

「嫌っていうか……」

 今度はジークが口ごもった。

「なに?」

 アンジェリカはジークを見上げ、短く問い詰めるように言った。彼は眉をひそめ、困り顔で少し首をかしげた。

「俺、そういうの行ったことねぇんだよ。どうすりゃいいのかってのがな……」

 思いがけないジークの情けない発言に、アンジェリカは気が抜けた。少し呆れて息を吐くと、冷めた目で再び彼を見上げた。

「別にどうもしなくていいわよ。来るだけで」

 ジークはアンジェリカの視線から逃げるように顔をそらし、何か言いたげな顔をしていた。しかし上手く言葉にすることができずにそのまま押し黙った。

「ジーク、心配しなくても僕がついてるからさ」

 リックに笑いながらそう言われて、ジークは急に自分が情けなく思えた。

「別におまえについててもらわなくても大丈夫だ」

 意識して声を大きくし、今さらながら虚勢を張って見せた。リックはそんなジークににっこりと笑いかけた。そして、今度はその向こう側のアンジェリカを覗き込んだ。

「僕たちの他には誰を呼んでるの?」 

「あなたたちだけ……あっ、もうひとりいたわ」

 その言葉につられて、ジークもアンジェリカに顔を向けた。

「誰?」

 リックの質問に、アンジェリカは何か含み笑いのようなものを返した。

「ふたりのよく知っている人よ」

 はっきりと答えないうえに、意味ありげな笑顔。ジークはからかわれているような気がして苛立ちを感じた。

「だから誰なんだよ!」

 ジークは語気を荒げた。しかし、アンジェリカは動じることもなく、ただにこにこと笑っていた。

「そのうちわかるわ」

 彼女は楽しそうにそう言うと、「じゃあね」と右手を上げ、ふたりを残し小走りで家へと帰っていった。

 

 ふたりは無言で彼女の背中を見送った。

「誰だと思う?」

 彼女の姿が小さくなったところで、リックがぽつりとつぶやいた。ジークは腕を組み、小さくうなった。

「まさか……セリカ、ってことはないよな」

 リックも腕を組み、首をかしげて考え込んだ。

「アンジェリカの表情からすると、ラウルって可能性の方が高いんじゃないかな」

 ジークは眉根を寄せ、あからさまに嫌悪の表情を見せた。

「ヤツか……。確かにな。なんか気が重くなってきた」

「アンジェリカが名前を言わなかったのも納得がいくしね」

「どういうことだ?」

「ほら、ラウルが行くって聞いたら、ジークは行かないとか言い出しかねないよね」

 ジークはため息をつき、重い足取りで踵を返すと、ゆっくり家へと歩き始めた。リックもその歩調に合わせて並んで歩いた。

「ラウルって、そんなに悪い人じゃないと思うけど」

 いつも思っていたことが、ふいに口をついて出た。言った後で、またジークの機嫌を損ねたかなと少し後悔した。

 案の定、ジークの機嫌はますます悪くなった。

「悪いとは言ってねーよ。ただ気にくわねぇだけだ」

 むすっとした表情でそう吐き捨てた。リックはなぜ気に入らないのかという理由が聞きたかったのだが、これ以上追求するのはやめておいた。

 

「お帰り! ジーク!」

「なんだ、その格好……」

 家の扉を開けた瞬間、ジークは絶句した。

 ラフなパンツ姿しか見せたことのない母親が、突然ワインレッドのベロア調ワンピースで出迎えたのである。彼が言葉を失うのも無理はなかった。

「うっふっふ。私もまだまだイケるでしょ。もう二十年くらい前のなんだけどね。あのころは私も着飾ったりしていたものよ。あの唐変木を振り向かせるのは大変だったんだから」

 彼女は防虫剤の匂いを振りまきながら、回転してスカートをひらめかせた。

「だから、なんでその二十年前の服を、いま着てるんだよ」

 ジークはだんだんいらつき始めていた。今日はアンジェリカといい、母親といい、わけがわからないことだらけだった。

「今度これを着て行こうかと思ってね。引っ張り出してきて試しに着てみたのよ」

 レイラは全身を鏡に映して嬉しそうに声を弾ませた。

「そんなもの着てどこに行くんだ?」

 ジークはますます苛立ちが募っていった。話が一向に見えてこない。

 突然、レイラは顔を突き出し、ジークを下から覗き込んだ。そして意味ありげにニヤリと笑った。ジークは少し身をのけぞらせた。

「あんたも呼ばれてるでしょ? アンジェリカちゃんの誕生日」

「……ちょっと待て」

 ジークは一気に頭に血が上っていくのを感じた。

「なんでおまえが行くんだ? そもそもなんで知ってんだ……?」

「私もお呼ばれしてるからに決まってんでしょ」

 ジークの重い声での質問に、レイラは極めて軽い調子で返した。

 ジークは苛立ちは爆発した。

「なんでだよ! ほとんど面識もないくせに呼ばれるわけねーだろ!」

 レイラはそんなジークのわめき声を軽く聞き流した。そして、さらに信じがたいことを口にした。

「実はあんたに内緒で行ってきたのよねー、アンジェリカちゃんのお見舞い。そこであちらのご両親と仲良くなっちゃって」

 そう言うと嬉しそうにVサインをジークに突きつけた。

「なっ……嘘つけ! そんな話、俺、聞いてねぇぞ」

 ジークは顔を真っ赤にしながら、必死で反論した。信じられないというよりは信じたくないという気持ちがそうさせていた。

「そりゃそうでしょ。黙ってたし。彼女にも口止めしといたからね」

 ジークは一気に脱力した。レイラならそのくらいの行動力はある。内緒にしておいてあとで驚かせようという子供じみたことも、いかにも彼女のやりそうなことだ。もうここまでくるとジークは信じざるを得なかった。

「楽しみよね、ジーク!」

 無邪気にはしゃぐレイラを残し、ジークはよろよろと二階へ上がっていった。

 

 レイラは行動が読めない。何をしでかすかわからない。わけのわからないことを口走りかねない。自分の過去を誰よりも知っている人間であるから怖い。サイファ、レイチェルと何を話していたのか、アンジェリカに何か妙なことを言ってないだろうか。考えれば考えるほど不安に押しつぶされそうになる。

 そして、今度は一緒に行くことになるのである。自分の知らないところで勝手にあることないこと言われるのも嫌だが、目の前でむちゃくちゃな言動をされたり自分のことをからかわれたりするのはもっと困る。

 

 三人目の招待客はラウルのほうがはるかにましだった。今さらながらジークはそう思った。

 

 

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30. プレゼント

 

 とうとうアンジェリカの誕生パーティ当日がやってきた。

 

 レイラは張り切って、鼻歌まじりで髪をセットしたり化粧をしたりしていた。ジークは化粧をした母親の姿などほとんど見たこともなく、どうなるのだろうと不安な気持ちで眺めていた。

「ところでジーク、あんたプレゼントは何にした?」

 レイラは鏡を覗き込みながら、腕を組み扉口に立っているジークに声を掛けた。

「は? そんなものねーよ」

「……あんたまさかパーティに呼ばれておきながら、手ぶらで行くつもりじゃないでしょうね」

 レイラは手を止め、ゆっくりとジークに顔を向けた。ジークは彼女の視線から逃げるように目を伏せた。

「アンジェリカは来るだけでいいって言ったんだよ」

「ああ! 情けないっ!」

 レイラは身をのけぞらせると、額に手を当て、オーバーアクションで嘆いた。そして、鏡台から立ち上がり、驚いて身構えるジークに、化粧途中の顔を下から突きつけた。

「いい? ジーク」

 レイラは腰に手を当て、眉をひそめ、よりいっそうジークに顔を近づけた。ジークは右手で彼女を制止すると、斜め後ろに身を引いた。

「プレゼントは物じゃない、気持ちなのよ。自分のために、自分のことを想いながら選んでくれた気持ちが嬉しいわけ。わかる?」

 レイラは人さし指をジークの鼻先に突きつけた。

「何もむやみやたらにプレゼント攻撃しろって言ってんじゃないのよ。誕生日は何を祝う日かわかってる?」

「ひとつ歳をとったことを祝う日だろ」

「浅ーいっ!」

 ジークの脳天に空手チョップが入った。

「ってーな! 何しやがる!」

「もちろんそれもあるわよ。でも大事なのは、その人が生まれてきたこと、今生きていることに感謝するってことなのよ。だから大事な人の誕生日は特別なわけ」

「……」

「うだうだ言ってないで、ほら、さっさと買って来る!」

 ジークの体を玄関に向けると、背中を平手で目一杯バチンと叩いた。彼は数歩よろけて前へ出ると、顔だけ振り返り母親を見た。レイラは満面の笑みで手を振っていた。

「リックには先に行っててもらうから」

 ジークはレイラに押し切られる形で家を出た。

 

「ったく……。何を買えばいいか見当もつかねぇ」

 あてもなく町を歩きながら、ぶつぶつと独り言を口にした。

「そういえば」

 ジークは突然はっとした。

「俺、両親に誕生日プレゼントなんてもらったことあったか……?」

 

「お、買ってきたね」

 無言で帰ってきたジークの手に小さめの袋がぶら下がっているのを目ざとく見つけ、レイラは声を弾ませた。ジークはそれを隠すように後ろにまわすと、仏頂面をレイラに向けた。彼女は化粧を終え、服も着替え、すっかり準備を整えていた。

 化けた??。

 ジークは彼女の変貌ぶりに驚いたが、あえてそのことには触れなかった。

「今度の俺の誕生日にはプレゼント用意しとけよ」

「なに言ってんのよ。毎年ケーキ焼いてあげてるでしょ。愛情を込めて。まあ半分は私が食べたいからだけど」

 ジークは何も言えなかった。

「ところで、どう?」

 右手で横髪をはね上げ、左手を腰に当てると、レイラはポーズをとった。

「若作りしすぎだろ」

 ジークは毒づいた。しかしレイラはあははと豪快に笑い飛ばした。

「素直じゃないわね。アンタも」

 そう言ってジークの肩に手を置いた。

「ていうか、こんなことしてる場合じゃないだろ。もう走っていっても間に合わないな……」

「大丈夫。アレがあるでしょ」

 彼女がウインクしながら指差した先には大型のバイクがあった。それはジークの父親の形見だった。

 ジークは顔から血の気が引いた。

「ペーパードライバーのくせに何言ってんだよ」

「あら。免許があることには変わりないでしょ」

 息子の心配をよそに、嬉々としながらバイクを外へ運び出した。そしていったん部屋の奥へ戻ると、レイラはライダースーツにヘルメットをを装着して出てきた。ヘルメットはともかくライダースーツなんてどこにあったのか、ジークは不思議でならなかった。

「さ、後ろ乗りなさい」

 レイラはバイクにまたがると、ジークにヘルメットを投げてよこした。ジークは乗りたくなかった。しかし乗らなければ確実に間に合わない。少しの葛藤の後、彼は渋々ヘルメットを被った。

「安全運転、頼むぜ」

 レイラの後ろにまたがりながら、ジークは祈るように言った。

「まーかせて。自称A級ライセンスの腕を見せてあげるわ」

「自称ってなんだよ! わけわかんね……うわっ!!」

 ジークの叫び声を残し、バイクは豪快なエンジン音とともに猛スピードで走り去った。

 

 ふたりの乗ったバイクは、アンジェリカの家の前で止まった。

 レイラはヘルメットをとり、頭を振ると髪を風になびかせた。

「どう? 私の運転」

「スピード出しすぎ。急発進しすぎ」

 ジークはぐったりして言った。そんな息子を見ながら、レイラは小さく笑った。

「ふふ。昔リュークにも同じこと言われた」

「そりゃ親父でも誰でも言いたくなるぜ」

 ジークは大きくため息をついた。

 

「ジーク!」

 後ろからリックが手を振りながら走ってきた。

「やっぱりさっき追い抜いていったのってジークたちだったんだ。このバイクってお父さんの形見の?」

「ああ。俺もまさかこれが動くとは思わなかったけどな」

 ジークは額の汗を手の甲で拭った。

「ちゃんといつでも走れるように手入れしてたのよ」

 レイラは愛おしげに車体を撫でた。

 

「いらっしゃい」

 いつの間にか門まで出迎えにきていたレイチェルが笑顔で声を掛けた。

「レイチェル!」

 レイラはレイチェルに走り寄り、覆いかぶさるように小柄な彼女を抱きしめた。

「何やってんだよ!」

 母親のあまりの馴れ馴れしさに驚き、ジークは声をあげた。レイラはジークを振り返るとニヤリと笑った。

「ははーん。アンタうらやましいんでしょ」

「は?」

「それではジークさんも」

 レイチェルは無防備な笑顔で、ジークに向かって両手を広げた。

「な……」

 ジークは一歩脚を引いたまま硬直した。そして彼の耳はだんだん赤くなっていった。レイチェルとレイラは顔を見合わせると、ふたりしてあははと声を立てて笑った。

「遊ばれてるね」

 リックは気の毒そうに笑った。

 

 レイチェルに先導され、三人は玄関までやってきた。

「いらっしゃい」

 赤いワンピースを着て、赤いリボンを頭につけ、いつもより華やかなアンジェリカが出迎えた。彼女は少し恥ずかしそうにはにかんでいた。

「かぁーわいー!」

 レイラは両手を広げてアンジェリカに走りよろうとした。しかしジークが後ろからレイラの肩を押さえた。

「待て」

「何よ。ヤキモチ妬くくらいなら自分が行けばいいでしょ」

「バカ! そんなんじゃねぇよ!」

 ジークの耳はまたしても赤くなっていった。

 アンジェリカはそんなふたりのやりとりをきょとんと見ていた。

「まあまあ、親子喧嘩はそのくらいにして」

 奥からサイファが姿を現した。彼はアンジェリカに歩み寄ると、後ろから彼女の両肩に手をのせ、ジークたちににっこり微笑んだ。

「どうぞお入りください」

「どうもー、お邪魔しまーす」

 レイラは右手を上げ軽い調子で挨拶すると、応接間へと入っていった。そのあとに仏頂面のジークと笑顔のリックも続いた。

 

 応接間にはすっかりパーティの準備が整えられていた。

「すっごーい!」

 ご馳走の山を目の前にして、レイラは目を輝かせた。

「はしゃぐな!」

 ジークは恥ずかしそうにレイラを制止した。しかし、レイラはジークの言葉など耳に入っていないようだった。

「まずは乾杯ね!」

「なんでオマエが仕切ってるんだよ!」

 レイラはジークを無視して、レイチェルとともに乾杯の準備を始めた。

「えー、それでは。アンジェリカの11歳の誕生日を祝して、乾杯!」

「乾杯!」

 なぜかレイラが音頭をとり、みんなで乾杯をした。ジークだけは納得のいかない顔でレイラを睨んでいた。

「そうそう。忘れないうちに渡しておかなきゃ」

 レイラは鞄をがさごそかき回すと、赤とピンクのリボンがかかった黒い箱を取り出した。

「お誕生日おめでとう!」

 レイラがその箱を差し出すと、アンジェリカはとまどって両親を振り返った。両親はふたりともにっこりとうなずいた。

「ありがとうございます」

 まだ少し驚きながらも、嬉しそうにその箱を両手で受け取った。

「開けてもいいですか?」

「どうぞどうぞ」

 アンジェリカは丁寧にリボンをほどき、蓋をゆっくりと持ち上げた。

「わぁ!」

 その中には深紅の革靴が1足入っていた。つま先が丸く、かわいらしいデザインだった。

「私の手作りなのよ、それ」

「ありがとうございます!」

 実際にプレゼントを目にして、よりいっそう彼女の感情は高ぶった。

「サイズはほんのちょっとだけ大きく作ってあるから。それがピッタリになった頃には……ね! ジーク」

「はあ? 何に対して同意を求めてるのか、わけわかんねーよ」

 ジークは眉をひそめた。

 アンジェリカも何のことだかわからずにぽかんとしている。

 レイラはひたすらニコニコ笑っていた。

「僕もプレゼント持ってきたよ」

 言葉が途切れたところで、リックが割って入った。

「ごめんね。リボンとか何もかけてないんだけど……」

 そう言いながら、茶色いそっけない紙袋をアンジェリカに差し出した。

「ありがとう! 開けていい?」

 リックがうなずいたのを見ると、アンジェリカは口止めのテープをゆっくりとはがし、中味を取り出した。

「この本……」

「アンジェリカがよく図書館で読んでたなと思って。もしかしてもう持ってたりする?」

「ううん、欲しかったの。ありがとう! すごく嬉しい!」

 ジークはリックがプレゼントを用意していたことに、多少ショックを受けていた。

「ほれ、アンタも出しなさい」

 レイラは息子の背中をバシッと叩いた。

「いいよ俺はあとで……」

 ジークは弱々しく口ごもった。

「なぁーに言ってんの! あとでなんて忘れるでしょ! 今にしなさい、今に!」

 レイラの迫力に負け、ジークは鞄を手に取った。しかし興味津々で覗き込んでいるレイラとリックに気がつくと、鞄を隠すようにして立ち上がった。そしてアンジェリカを手招きすると、応接間の外へと出て行った。

 アンジェリカは目をぱちくりさせていたが、すぐに彼を追って外へ出て行った。

 ジークは扉を背にしゃがみ込み、頭を抱えていた。

「どうしたの?」

「何を買えばいいのか見当がつかなくて、とりあえず長持ちしそうなものにしてみたけど、そうじゃないかもしれねぇ……」

 アンジェリカはジークの言っていることが理解できずに、首をかしげた。

「まあとりあえず渡しとく。気に入らなかったら捨ててくれ」

 ジークは鞄の中から小さな袋を取り出し、アンジェリカに手渡した。

「ありがとう。見ていい?」

「あ! 待て! 俺が帰ってからにしてくれ」

 ジークの懇願するような目を見て、アンジェリカはしばらく考えていた。そして「わかったわ」とにっこり微笑んだ。

「部屋に置いてくるわね」

 アンジェリカは階段を駆け上がっていった。

「中はまだ見るなよ!」

 ジークは下から念を押した。

 

「ジークのプレゼントって何だったんですか?」

 リックがレイラに尋ねた。

「私も知らないのよね。でもあの子、こういうことに関してはバカだから、きっと普通じゃ思いもつかないようなしょうもない物に違いないわ」

 レイラはふふっと楽しそうに笑った。

「何かしら、私も楽しみだわ」

 レイチェルも後ろから話に加わった。サイファはさらにその後ろで、にこにこと笑顔を浮かべていた。

「ホントあの子バカだけど、温かく見守ってやってちょうだいね」

 そう言ったレイラの顔が、ふいに柔らかくなった。

 

 ギィ……という鈍い音がして扉が開いた。そこにいた四人は、いっせいにその扉の方を見た。

 ジークは皆と視線を合わせないよう目を伏せて入ってきた。

「ジーク! どうだった?」

 レイラは遠くから大きな声で尋ねた。

「渡した」

 ジークは素っ気なく答えた。

「で? で? 反応は?」

 下世話な興味を隠そうともせず、レイラはジークににじり寄った。

「あー!! もう俺に話し掛けるな! おまえに話し掛けられるだけで13倍疲れんだよ!」

「まー!! なによ 13って中途半端な数字は! 10か15のどっちかにしなさいよ! ホント割り切れない男だわ!!」

「おまえには不吉な 13がお似合いなんだよ!」

「もうふたりともやめようよ。よそのウチまで来て喧嘩することないじゃない」

 エスカレートしてきたふたりの言い合いに、リックは焦って止めに入った。そして、申しわけなさそうにサイファとレイチェルに目をやった。だが、ふたりには迷惑がっている様子はなく、くすくすとあまり声を立てないように笑っていた。リックは少しほっとした。

「どうしたの?」

 いつの間にか戻ってきたアンジェリカがリックに尋ねた。

「ただの親子喧嘩。いつものことだから気にしないで」

 リックは苦笑いを浮かべた。

 

「もう子供たちは放っておいて、私たちは私たちでオトナな会話を楽しみましょ」

 さんざんジークと子供じみたことを言い合ったあと、レイラはサイファとレイチェルのところへやってきた。そしてふたりの間に入り、彼らの肩に手を回し引き寄せた。

「レイラさんはバイクにお乗りになるんですね」

 レイチェルは顔を少し上げ、大きな瞳でレイラを見た。

「最近は全然乗ってなかったけどね」

 レイラは首をすくめた。

「よろしければバイク、見せていただけません?」

 レイチェルの思いがけない言葉に、レイラは顔をぱっと輝かせた。

「もちろん! サイファも行きましょ」

 三人は連れ立って部屋を出て行った。

 

 外はほんのり薄暗くなっていた。ジークとのことで熱くなっていたレイラには、ひんやりした風が心地よく感じた。

「わぁ、近くで見たのって初めてですわ」

 レイチェルはしゃがみ込んでまじまじとバイクを観察した。

「これ、死んだダンナの形見なのよ」

「それでは、旦那さんの影響で?」

「出会って間もない頃だけどね。そりゃもう必死で免許を取ったわよ。恋する乙女のパワーってヤツ?」

「まあ」

 レイチェルはにっこり笑った。

「旦那さんはお仕事もバイク関連だったのですか?」

 サイファが尋ねると、レイラはまっすぐ彼の目を見ながら答えた。

「そう。小さな町工場で技術者やってたわ。けっこう強い魔導力も持ってたらしいんだけど、そっちには全く興味がなかったみたい」

 レイラは肩をすくめた。

「そういうのって、全く使えない私から見ると腹が立つわけよ。なんで才能を腐らせておくのかって。それでいちど怒ったことがあるの」

 そう言いながら彼女は、思い出したように笑っていた。

「それで、アイツなんて答えたと思う?」

「え? なんて答えたのですか?」

 レイチェルはレイラを見上げた。彼女はハンドルにひじを乗せ、どこか遠くを見つめていた。

「初めて魔導が使えたときより、初めて自転車に乗れたときの方が嬉しかったんだ、って。ほーんと、バカでしょ」

 レイラは肩をすくめ、すこし照れくさそうに笑った。

「素敵なお話ですね」

 レイチェルは目を細めて微笑んだ。

 

「何話してんだろうな」

 ジークは肉にかぶりつきながら、窓越しに親たちを見ていた。声は聞こえなかったが、楽しそうに笑いながら話をしていることはその様子から容易にわかった。

「ジークの子供のころの話だったりして」

 窓際でジークと並んで外を見ていたアンジェリカがぼそりと言った。

「なんでだよ」

 ジークは外に目を向けたまま、今度はポテトを食べ始めた。アンジェリカは彼をを見上げると、いたずらっぽく笑った。

「私もいろいろ聞いたけど、結構おもしろかったわよ」

 ジークの動きが止まった。

「え? どんな話? 僕も聞きたい」

 リックが身を乗り出した。

「ちょっと待て! ……リックはそこにいろよ」

 額にうっすら汗をにじませながら、ジークは右手でリックを制止すると、アンジェリカの手を引き、部屋の隅まで引っ張ってきた。

「で、何の話を聞いたんだ?」

 動揺を隠すように腕を組み、彼女から目をそらしながら、ジークは低い声で言った。アンジェリカは少し遠くを見て考えるような素振りを見せると、淡々と語り始めた。

「いろいろあるけど、自分で掘った落とし穴にはまって足をくじいてさらに生き埋めになりかけたとか、魔導の力を使って魚を焼こうとしてテーブルまで燃やしちゃって火事になりかけたとか、あと……」

「あーー!! もういいもういい!!」

 ジークの顔はみるみるうちに真っ赤になった。

「とにかく! リックには言うなよ! いいな!」

 アンジェリカに人差し指を突きつけ、大声でわめき立てた。

「なんだか仲間はずれみたいでかわいそう」

 アンジェリカは口をとがらせ、不満げに言った。

「かわいそうなのは俺じゃねーかよ」

 ジークはくたびれたような乾いた笑いを浮かべた。

 

「ごめんね、リック。口止めされちゃった」

 アンジェリカはリックのところへ戻ると、両手を顔の前で合わせて謝った。

「もしかしてその話って落とし穴とかのじゃない?」

 リックはさらりと言った。

「!! なんでオマエっ……!」

 アンジェリカの後ろで、ジークは口を開けたまま硬直していた。

「ずいぶん前だけど、レイラさんから聞いたことがあるよ」

 リックはにっこりとジークに笑いかけた。

「あんのヤロー……」

 ジークは窓に張りついて、外で楽しそうに談笑している母親を睨んだ。

 

 パーティが終わる頃には、すっかり外が暗くなっていた。

「長居しちゃってごめんなさいね」

 レイラは軽い調子で言った。彼女は来たときと同様、ライダースーツを身に付けていた。

「いえ、とても楽しかったですわ」

 レイチェルの言葉にサイファも頷き、付け加えた。

「またいつでもいらしてください」

 レイラはウインクで答えると、大きなエンジン音を轟かせながら、バイクでひとり走り去った。

 

「アンジェリカ、またあしたね」

 リックが笑顔で右手を挙げた。アンジェリカも笑顔で返した。

「ふたりとも、本当にありがとう」

 ジークはアンジェリカをじっと見つめた。そして無言で右手を挙げると、背中を向け歩いていった。

 アンジェリカと彼女の両親は、ジークとリックの背中を小さくなるまで見送った。

 

 アンジェリカは、家に戻ると小走りで自分の部屋へと駆けていった。そして、ジークのプレゼントが入った袋を手に取った。袋の口を開け、中を覗き込む。

「……サボテン?」

 彼女は袋の中に手を入れ、ゆっくりとそれを取り出した。それは、鉢植えのミニサボテンだった。アンジェリカは渡してくれたときのジークの表情とサボテンを重ね合わせ、ひとりで声を立てて笑った。

 ひとしきり笑い終わると、彼女はそれを南側の窓際に置いた。

「ありがとう、ジーク。頑張って長持ちさせるわ」

 彼女はサボテンに向かって、とびきりの笑顔を見せた。

 

 

 

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31. 動揺

 

 アカデミーの正門脇を取り囲むように、人だかりが出来ていた。ざわめきの中からときおり悲鳴にも似た歓喜の声が上がる。

「そっか。今日が合格発表だったんだ」

 少し離れたところからその様子を眺めていたリックが、小さく頷きながらつぶやいた。隣にいたジークもじっと群衆を見つめていた。

 一年前の合格発表のとき、アンジェリカと出会った。そして初めて味わった敗北。傷つけられたプライド。

 最悪の出会いだった。

 そのときまで信じていたものが、いかに小さなものだったのか??。あれからいろいろな経験を重ねた今なら、素直にそれを認めることができる。しかしそのときはただ、自分を負かした小生意気な少女を憎らしく思うことしか出来なかった。

「あれからもう一年になるんだね」

 リックの声でジークは我にかえった。リックも一年前のことを思い出していたのだろう。その声からは近くて遠い日々を懐かしむ気持ちがにじみ出ていた。

「おはよう」

 いつの間にか近くまで来ていたアンジェリカがふたりに声を掛けた。そして、少し肩をすくめて見せた。

「すごい人ね。去年はここまで多くなかったと思うけど」

 合格発表を見ようと押し合う人々は、正門前まで溢れ返っていた。受験生だけでなく、その家族や興味本位の在校生も多く集まっていたようだった。

 その中からひとりの少年が身をかがめ、つまずきながら出てきた。背が高く、痩せてひょろりとしている。クラスメイトのダンだった。

「アンジェリカ、おはよう!」

 アンジェリカに気がつくと、手を振りながらまっすぐに走り寄ってきた。もみくちゃにされた髪を手ですき直していたが、あまり効果はなかった。

「おはよう」

 アンジェリカは挨拶を返しながら、不思議そうに首を傾げた。彼とはあまり話をしたこともなく、特に仲が良いというわけではなかった。

「今、そこで合格発表を見てきたんだけどさ」

 ダンは興奮ぎみにまくしたてた。両こぶしを堅く握りしめ、顔を輝かせている。

「すげーな! 今年も入ってきたんだな、ラグランジェ家の子。しかもふたりも!」

「え?」

 アンジェリカはダンを見上げ、目を見開いた。

「うそ? 誰?!」

 踵を上げて一歩ダンに踏み出すと、短く問い詰めた。彼はアンジェリカの激しい反応に少したじろいだ。

「あ、ああ。女と男とひとりづつだったかな。名前は……、えーと、なんだっけ」

 そう言うと、何とか思い出そうと、目を閉じ額に手を当てた。

 しかし、アンジェリカは彼を待たず、群衆へ向かって走り出した。ジークとリックも、眉をひそめ顔を見合わせると、そのあとを追っていった。

「思い出した! 男の方はレ……」

 ダンが目を開けたときには、もう周りには誰もいなかった。

 

 アンジェリカは人垣に阻まれ、中に進めずにいた。

「ワリィ、ちょっと開けてくれ」

 ジークがアンジェリカをかばうように後ろから肩を引き寄せると、無理やり道をこじ開けながら進んでいった。

「ちょっ……」

 ジークの強引なやり方に、アンジェリカはとまどいの声を上げた。

 リックはジークの背中にくっつくようにしてついていった。「すみません」としきりに周りに謝っていたが、あまり効果はなかったようだった。押しのけられた人々は文句を言いながら、ジークたちを睨んでいた。しかし、何人かはアンジェリカに気がつき「ラグランジェ家の……」と囁きあっていた。

 刺すような視線を背中に浴びながら、三人はいちばん前に躍り出た。

 アンジェリカは壁に張られた紙を見上げた。

「ユールベル=アンネ=ラグランジェ……? 誰かしら。聞いたことがない」

 いちばん上に書かれた名前を読み上げ、アンジェリカは首を傾げた。そしてもうひとりを探すべく、すぐに下へと目を走らせた。今度はいちばん下にラグランジェの名前を見つけた。

「レオナルド?! どうしてあいつが……」

 そう言うと、身を翻し、今度は自力で人垣をかきわけ出ていった。

「どうしたの?」

 アンジェリカを追って出てきたリックが、彼女の小さな背中に声を掛けた。ジークはただじっとアンジェリカの後ろ姿を見つめていた。

 アンジェリカはゆっくりと振り返った。

「今までラグランジェ家の子がアカデミーに入ったことなんてなかったのに、今年はふたりもいるのよ。どう考えても変よ」

 静かにそう言うと、眉をひそめうつむいた。

「見張り……ってこと?」

 リックは声を低くして尋ねた。アンジェリカは口元に手を添え、さらに深くうつむいた。

「そこまではどうかわからないけれど」

 アンジェリカが続けて何かを言いかけたとき、背後からの声がそれを遮った。

「お久しぶりです、お嬢様」

 聞き覚えのある声だった。胸に黒い気持ちが広がっていくのを感じながら、アンジェリカはゆっくり振り向いた。

「いったいどういうつもり?」

 彼女が睨みつけた先に立っていたのは、パーティでアンジェリカの肩を傷つけた少年、レオナルドだった。

 

 ジークは一度見ただけだったがはっきりと覚えていた。ラグランジェ分家の嫌味な奴だ。そしてアンジェリカと結婚することになっていたかもしれない男……。

 こいつなのか? アカデミーに合格したのは。

 ジークはアンジェリカの後ろで腕を組み、目つきを悪くしてそのブロンドの男を凝視していた。

「そんなに恐い顔をしないでください」

 レオナルドはアンジェリカに笑顔を向けた。ジークやリックのことは視界に入っていないようだった。

「あなたのその外ヅラの良さには敬服するわ」

 アンジェリカは苦々しくそう言うと、よりいっそうきつく睨んだ。その瞬間、レオナルドの顔に陰がさした。

「この前はやりすぎたと思っている。申しわけなかった」

 嫌味に丁寧でもなく、蔑むでもなく、自然な口調だった。

 思いがけない反応に、アンジェリカはとまどいを隠せなかった。しかし、今まで積み重ねてきたものがある。にわかにそれを信じるわけにはいかなかった。

「何を企んでいるの? アカデミーに潜入して、しおらしさをよそおって」

 アンジェリカは背筋を伸ばし、腕を組み、まっすぐにレオナルドを睨みつけた。少しの隙も見せないように気を張る。レオナルドはそんなアンジェリカから目をそらし、遠くの空を目を細めて眺めた。

「ただ証明しかっただけだ。お……」

「確かにあなたの言っていたとおり、アカデミーはたいしたことがないって証明されたみたいね」

 アンジェリカはレオナルドの言葉を遮り、精一杯の嫌味を突きつけた。そして、しばらく彼の反応をうかがっていた。しかし、彼は無表情のままアンジェリカに背を向け、何も言わずその場を立ち去った。

 アンジェリカはどうしてか声を掛けられなかった。小さくなっていく彼の背中をただぼんやりと見ていた。

 

「なんかあったのか? アイツと」

 ジークの声で現実に引き戻された。

「うん……まあ、いろいろと」

 アンジェリカにしてはめずらしく歯切れの悪い答えだった。ジークはそれがさらにひっかかった。

「いろいろって何だよ」

 背中を向けたままのアンジェリカに、低い声で問い詰めた。

 しかし、彼女はほとんど上の空で、「たいしたことじゃないわ」とつぶやくように言っただけだった。そして、深く考え込んだまま、アカデミーの門へと歩き出した。

 

 ジークはその日ずっと機嫌が悪かった。そして、アンジェリカは考え込んだまま難しい顔で黙り込んでいた。三人はほとんど会話らしい会話をしていなかった。

 授業を終え帰り支度をしていたリックは、アンジェリカを気にしながら、ジークにそっと耳打ちした。

「怒ってる場合じゃないと思うんだけど」

 ジークは無言のままむすっとしていた。リックはさらに畳み掛けた。

「アンジェリカは不安なんだよ。怖がってるんだよ」

「……おまえ、俺にどうしろっていうんだよ」

 ジークもアンジェリカを気にして横目で見ながら、声をひそめてリックに突っかかった。

「別にどうしろとは言わないけどね」

 リックはとぼけたような口調で言った。それからアンジェリカに振り向き、明るく声を掛けた。

「ねえアンジェリカ。屋上、行ってみない?」

「え?」

 ぼんやりしていたアンジェリカは、ふと我にかえるとリックに顔を向けた。彼はアンジェリカににっこりと笑いかけた。

「行こうよ、屋上」

 柔らかい彼の声を聞きながら、アンジェリカは怪訝な顔をして首を傾げた。

「行っちゃいけないんじゃないの?」

「大丈夫。ジークがなんとかしてくれるから」

「おいっ! 勝手に決めるなよ!」

 リックの勝手な言いように、ジークは焦って身を乗り出した。そしてリックの肩ごしに、アンジェリカと目が合った。気まずさを感じながら、なぜかふたりとも視線をそらすことが出来なかった。

「わかったよ。行こうぜ」

 そう言ってわざとらしくため息をつくと、ズボンのポケットに手を突っこみ、教室の外へと出ていった。

「行こう」

 リックに促されて、アンジェリカは彼とともに小走りで後を追った。

 

 屋上へと続く階段は、いつものように封鎖されていた。

 錆びた鎖がゆるく三重に渡され、その中央に「立入禁止」と書かれたプレートが斜めに架かっていた。プレートはほこりにまみれ、薄汚れていた。

 しかし、阻んでいるものはそれだけではなかった。

「結界まで張らなくてもいいのにな」

 鎖の背後はうっすら青白く光っていて、そこに結界が張られていることを示していた。

「でもかなり緩い結界だと思うわ。これくらいなら簡単に解除できるわよ」

 アンジェリカはそう言うと、あたりをうかがった。誰もいないことを確認すると、手のひらを結界に向け、呪文を唱えようとした。

「待てよ」

 ジークはアンジェリカの手をつかみ、それを止めた。

「なによ?」

「俺がやる。もしばれたら……まずいからな」

 今度はジークが手を伸ばし、結界に向け呪文を唱えた。シュッとかすれた音とともに中央部分から広がるように光が消えていった。

 ジークとリックは鎖をまたいだ。

 アンジェリカは後に続こうとして足を止めた。そしてじっと鎖を見つめた。彼女がまたぐには高すぎる。しかしくぐるとほこりまみれになりそうだ。

「足あげろよ」

 頭上から声が降ってくるのと同時に、アンジェリカの体が宙に浮いた。ジークが両脇から彼女の体を持ち上げていた。驚きながらも彼女は言われた通り、素直に足を折り曲げ膝を上げた。彼女はずっと自分の足元を見ていた。鎖を越えると静かに体を降ろされ、再び地に足がついた。

 アンジェリカが顔を上げたとき、ジークはもう彼女に背中を向け歩き始めていた。

 

 リックは前を向いたまま、ずっとにこにこしていた。

「……んだよッ!」

 ジークは耳を赤くし、中途半端に声をひそめて彼に食ってかかった。

「別に」

 リックはすました声で答えると、再びにっこり笑った。ジークはからかわれているような気がして、むすっとした顔のままよけいに耳を赤くした。アンジェリカもその後ろでかすかに頬を染めていた。

 

 階段を登りきったところに、鉄製の錆びた扉があった。

 ジークとリックは三本のかんぬきを抜き、扉を押した。ギギギ、と嫌な音をさせながら扉が動き、間から白い光が差し込んできた。

 アンジェリカは右手を光にかざすと目を細めた。

 

 リック、ジーク、アンジェリカは順番に屋上へ出た。

 眼前にも頭上にも遮るものはない。その恐いくらいの解放感に、アンジェリカは息を呑んだ。

「んー!」

 中央へ走っていくと、リックは両手を伸ばし大きく息を吸った。

「おまえ、ホント好きだな、屋上」

 ジークは腕を組み、浅く息を吐くと、少しあきれたような視線をリックに向けた。しかしリックはにこにこしたままおかまいなしだった。

「だって見てみてよ。この爽快感って他にないよ。それにいつもの景色がいつもとちょっと違って見えるのも好きなんだ。アカデミーのは初めてだけど、今まででいちばん見晴らしがいいよ」

 そういうと顔を上げ、再び深く息を吸った。

 アンジェリカも少し踵を上げて、思いきり息を吸い込んでみた。体の中を風が吹き抜けた。彼女は空を見上げて目を細めた。

 ジークは柵にもたれかかりながら、アンジェリカの様子を見ていた。彼女の笑顔に、彼の表情もつられて緩んだ。しかし、リックが遠くから自分の方を見ていることに気がついて、バツが悪そうにうつむいた。彼の耳は再び赤くなっていた。

「ジークは屋上きらいなの?」

 下を向いている彼に気がついて、アンジェリカは走り寄っていった。ジークは顔を少しそらせた。

「いや。嫌いじゃない、けど……」

 アンジェリカが覗き込んできたので、ジークはさらに顔をそらせた。

「…………」

 ジークは横目でアンジェリカをちらりと見た。

「少しは元気が出たみたいだな」

「あ、うん。……ありがとう」

 アンジェリカは少しのとまどいを含んだ声で、ぽつりぽつりと答えた。

「礼はリックに言えよ」

 彼女から顔をそむけたまま、ジークはぶっきらぼうに言葉を吐いた。アンジェリカはジークにどう接したらいいのかわからず、困って目を伏せた。

「無理にとは言わねぇけど」

 ジークは柵に身を預け、空を見上げた。

「悩んでることがあったら俺らに話せよ。解決は出来ねぇかもしれないけど」

 ジークはずっと仏頂面だった。しかし、アンジェリカはその横顔から照れの表情を見つけた。彼女はにっこりと笑った。

 

「おまえたちか」

 よく通る低い声。扉から姿を現したのはラウルだった。リックはしまったという表情で振り返った。

「俺が無理やり連れてきたんだよ」

 ジークはラウルを睨んで言い放った。アンジェリカは驚いて隣のジークを見上げた。

「だろうな」

 ラウルは腕を組み、自分を激しく睨む少年をゆったりと見下ろした。ジークは負けじと視線をいっそう鋭くした。

「いえっ、行こうって言ったのは僕です!」

 そう言いながら、後ろからリックが必死の顔で駆け寄ってきた。しかし、ラウルは冷めた目をジークに向けたまま、口を開いた。

「どっちでも構わないが、結界を解除したらすぐに張っておけ。他の者にわからないようにな」

 てっきり怒られるものだと思っていたリックは拍子抜けしてしまった。

 ラウルはアンジェリカに視線を移した。

「アンジェリカ。話しておきたいことがある」

 アンジェリカは小さくこくりと頷いて、ラウルの方へ歩きかけた。しかし、ふいにジークに肩をつかまれ、後ろに押し戻された。

「今日は行かせねぇ」

 そう言うとアンジェリカを後ろ手でかばうようにしながら、一歩前へ踏み出した。背筋を伸ばし、口をまっすぐに結んで、ラウルの前に立ちはだかった。

「ジーク! なに勝手なこと言ってるの?!」

 アンジェリカはジークの背中を軽く叩いた。

「話があるならここで言えよ」

 ジークは挑むように言った。彼の額には薄く汗がにじんでいた。

 ラウルは眉ひとつ動かさずに、じっと彼を見ていた。そして、アンジェリカに視線を移すと、静かに口を開いた。

「ユールベルには気をつけろ」

 ラウルはそれだけ言うと、身を翻し、扉をくぐって戻っていった。

「待って! どういうこと?! ユールベルって誰なの?!」

 アンジェリカはジークを振り切り、ラウルを追いかけようとした。しかし、しっかりと腕をつかまれ引き止められた。

「離してよ!」

 彼女はヒステリックに叫んだ。

「あしたでもいいだろう」

 ジークは彼女の腕をつかんだままうつむき、小さな声で言った。

「ジークは私の気持ちなんて全然わかってない!」

 こみ上げる感情のまま、アンジェリカは再び叫びを上げた。その声はわずかに揺らいでいた。それに呼応するように、ジークも感情を高ぶらせ声を荒げた。

「おまえだって俺の気持ちわかってねーだろ!」

 アンジェリカはジークを睨みつけた。その瞳はわずかに潤んでいた。

「ラウルに反抗したいだけじゃない!」

 ジークの手が緩んだ。アンジェリカの腕が、そこからするりと抜けた。彼女は数歩下がり、息苦しさをこらえるような顔でジークを見た。しかし、うつむく彼の顔には陰が落ち、表情を読みとることが出来なかった。

 アンジェリカはしばらくジークを見つめていたが、意を決したように踵を返すと、ラウルを追って扉をくぐった。

 

 ジークはもたれ掛かっていた柵を、ガツンと力を込めて叩き、歯をくいしばった。

 

 

 

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続きは下記にて掲載しています。

よろしければご覧くださいませ。

 

遠くの光に踵を上げて(本編94話+番外編)

http://celest.serio.jp/celest/novel_kakato.html

 

 

説明
アカデミーに通う18歳の少年と10歳の少女の、出会いから始まる物語。

少年は、まだ幼いその少女に出会うまで敗北を知らなかった。名門ラグランジェ家に生まれた少女は、自分の存在を認めさせるため、誰にも負けるわけにはいかなかった。

反発するふたりだが、緩やかにその関係は変化していく。
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