紅魔館と侵入者と門番と
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【放浪少女と紅い館】

 

 空は暗く曇り、冷たい雨が降っていた。

 重たい雨は、やがて雪に変わることだろう。

 そんな中、少女は一人、湖の畔に立っていた。吐く息が白い。その少女はまだ成長期にも満たなかった。薄い布地の上着と、古ぼけたスカート。その服装は冬も間近な時期に着るにはあまりにも心許なく、くたびれていた。

 森の奥にある紅い屋敷へと続く道。その入り口にある木に身を隠しながら、目を細めて屋敷を見る。編み笠を被り、緑のチャイナ服を着た門番が一人立っていた。

 屋敷の入り口までの距離はおよそ1町(約109 m)。脚には少しは自信がある。全速力で走って十数秒といったところか。

 これだけ大きな屋敷だ。さぞかし金目の物があることだろう。

 少女は笑みを浮かべた。

 そこには、確かに明日を生きる糧を見出したという喜びがあった。しかし、それよりも遙かに大きく、安穏と豪勢な生活を送る者に弓を引く悦びの感情があった。

 少女は蝙蝠傘をその場に置いて、木陰から道へと姿を現した。

 周囲から雨音が消える。

 それは雨が止んだからではない。雨が空中で停止したからだ。

 雨だけではない。すべてが停止した世界の中でただ一人、少女は駆ける。真っ直ぐに目標となる屋敷へと。

 少女はその門へとたどり着く。走りながら彼女は紅い髪と翡翠の瞳をした門番を横目で見た。その姿は間抜けに思えた。誰も自分を見る者がいないと知った上で、小さく嗤う。

 その場に立ち止まらずに、少女は門の中へと駆け抜けていった。

 時間を止めていられる限界が近づく。だがそれでも構わない。邸内に入ってさえしまえば、後はどうとでもなる。これだけ広く人気のない庭で、しかもこんな雨の中では少女の存在などまず誰も気付かない。

 無人の庭園の中を駆けていく。

 屋敷の大きな扉の前、紅い花の咲き乱れる庭園の中で、時間の停止を解除した。

 再び雨の音が少女の周囲から聞こえてくる。水たまりを踏み、小さな水音が彼女の耳に届いた。時間が再び流れ始めた証拠。

 そんなことは気にもとめず、少女は紅い屋敷の扉の前へと歩みを進める。

 一歩、二歩……。

 

“止まりなさい”

 

 不意に背後から聞こえてきた声、そして右肩に置かれた手に、少女はびくりと震えた。……さっきまで何の気配も無かったはずだというのに。そう、確かにこの庭園はついさっきまで無人だったはず。

「申し訳ありませんが、お嬢様の許可無く紅魔館への立ち入りはご遠――」

 一瞬とはいえ、身を震わせたのは反射によるものでありそれは人である以上無くすことは難しい。だが、その次の行動への決断は早かった。背後に立つ者が何者かは分からない。だが彼女にとって驚異であることは間違いない。そして、驚異に対して取る行動は一つしかない。

 少女は袖の中に空間を歪曲させて隠し持っていたナイフを手に取り、振り返らずに背後の声へと投げつけた。

 小さな水しぶきの音と共に、少女の肩から手が離れた。振り向きざま、今度はスカートから右手に折り畳み式のナイフを取り出す。

 少女は舌打ちした。その目の前には門の前に立っていた女がいた。しかも無傷でだ。

 振り向いた勢いのままに、今度は右手に持ったナイフを半身で構えた門番の心臓目掛けて突き出す。その動きに躊躇はない。たとえそれが、相手の命を奪う事だったとしても。

 何故なら、それは彼女にとって当然のことだからだ。実際のところ、今まで人を殺した事は無い。しかし、殺さなければただでは済まないときというのはいつか必ず来る。そのときに躊躇してはならない。だから、何度も頭の中でシミュレーションした。実際に体も動かした。実行するのが今になったというだけのことだ。

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「っ!?」

 ナイフが門番の腕をすり抜け、そして互いの腕がこすれたところで少女は思わず腕を引っ込めた。

 間髪入れることなく、門番の拳が揺れた。

 砲弾のような拳が彼女の鼻先を掠める。直撃していたなら、少女の顔面は文字通り潰れていたことだろう。その風圧に、前髪が揺れた。

 その間一髪の死線に、彼女は戦慄する。

 少女は歯を噛み締めた。

 だが、それでも少女は止まらない。止まれない。ここで止まれば、それこそ死だ。生き残るには突き進むしかない。

 もう一度、今度は脇腹を……それがダメなら首を……目を……諦めることなく狙う。無駄なく、躊躇無く、己の出来る最速で、最短の動きで。

 しかし、そのどれもが捌かれる。捌かれるどころではない。武術における動作が常に攻防一体であるのは確かだが、まさしくそれを体現しているかのようにカウンターが返されてくる。しかも、そのどれもが必殺の一撃。服、そして皮膚に拳や肘が擦れるたび、ヤスリのように神経も削られるような錯覚を少女は覚えた。

 門番の防御は鉄壁だった。カミソリが入るか入らないかという隙間を少女は縫い込んで急所を狙うが、それがまるで誘いのようにしか思えない。いや、実際に誘いの意味も兼ねているのだろう。ここまで見切られて……まるで攻撃が通らないのだから。

 こんなときは冷静に……焦ってはいけない。少女はそう自分に言い聞かせる。しかし、だからこそ冷静な思考が冷酷な答えを算出してしまう。

 打つ手が無い。

 ありとあらゆる攻撃が目の前の女には届かない。そして、体力的にもまともにやり合える時間は残り少ない。

(この……化け物っ!)

 彼女にとって、目の前の女は理解の範疇を越えていた。あり得ない。まるでこれは悪夢だった。

 体が冷える。改めて、今が凍えるほど寒い事を思い出したかのようだ。

(……っ!)

 またもや女の拳が少女の頬を掠めた。

 脚が震える。

 それは少女が久しく感じたことのない……恐怖の感情だった。雨とは違った冷たいものが彼女の背中を伝わっていく。

 じわじわと、死のイメージが少女の脳裏で形作っていく。

「ふ〜っ。ふ〜っ」

 少女は目の前に立つ紅い髪の門番を睨んだ。深い翡翠色の瞳には何一つとして迷いが映っていない。それは苛立たしく、美しいとすら思える。

 白い息が少女の口から慌ただしく吐き出される。その荒れた呼吸は彼女の目の前に立つ門番とは対照的だった。

 酸欠に喘ぐ中で、それ故に思考力が低下した中で、より多く空気を求めるのは生き物が生きていこうとする以上は避けようのない理屈だった。

 それは本当に、少女も自覚出来なかったほんの僅かな隙だった。呼吸を整えようと、少し大きく息を吸う。

 少女の瞳が大きく、驚愕に見開かれた。巨大な岩石が目の前に落下したかのような衝撃が足下から伝わった。

 体が動かない。瞬きも出来ない。走馬燈はない。

 残された時間をゆっくりと味わえと言わんばかりに、刹那の一瞬が脳内に駆けめぐる。

 門番の拳が少女の腹を貫いた。衝撃が背中を貫通する。そこで彼女の意識は途切れた。

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【少女と紅い温もり】

 

 死んだらどうなるのか?

 ここ、幻想郷では幽霊となって冥界に行き、そして三途の川を渡って閻魔の裁きを受ける。

 それがどんな感覚なのか、少女には想像もつかなかった。だが、少なくとも今までのような肉の感覚は失せているのだろう。そして、行き先は地獄なのだろう。そう思っていた。

 だから、意識を取り戻したとき、その感覚に彼女は困惑した。そもそも、意識があるということ自体、信じられなかった。

 ぼんやりとした視界。古びた天井。そして自分を包む柔らかく暖かい毛布。

 少女は表情を歪めた。

 下腹にそれまで経験したことのない様な異物感と痛みを覚える。腹の中に無理矢理、握り拳くらいの鉄球を埋め込まれたような感覚。一度は取り戻した意識が、再び遠のく。

(ここは、どこ?)

 少しでも腹が痛まないように、体を動かさないように眼球だけを動かして自分の周囲の様子を探る。。大きなタンスに、暖炉。ベッドの傍の大きな窓を薔薇の花柄をしたカーテンが覆っている。そのすぐ傍にはハンガーで少女が着ていた衣服が吊されていた。乏しい灯りに照らされた薄暗い室内に、見覚えは無い。

 一瞬、自分は今裸なのだろうかと少女は思ったが、どうやらそうではないようだと直ぐに気付いた。着ていた服とはまた別の、もっと柔らかい布の感触に気付く。どうやら下着も含め、すべて着替えさせられているようだ。

 そして、今更になって自分に命があることを再確認する。死んではいない。まだ痛みがある。だから死んではいない。

 生きていることを自覚し、神経を緩ませた瞬間、下腹から大きく痛みが襲ったが。

 その痛みに、少女は何があったのかを思い出す。

 紅い屋敷に忍び込もうとして、その門番に返り討ちにあった。そしてその結果ここにいるということは、ここはおそらくあの屋敷の一室なのだろう。

 と、心臓が大きく脈打った。

 視界を足下と窓側の方から、入り口の方へと移動させようとして、そこで目の動きが止まる。

 自分の直ぐ隣で、あの紅い髪の門番が椅子に座ってこちらを見下ろしていた。

「ああ、目が覚めたみたいですね。よかった」

 少女の体から冷たい汗が噴き出す。

 忘れていた恐怖を思い出した。

「あ……ひっ…………あっ……」

 悲鳴を上げそうになるが、それも上手くいかなかった。

 そんな少女を見て、紅い髪の女は困ったように首筋を掻いた。

「あらら……起き抜けに驚かせてしまったみたいですね。ごめんなさい」

 少女は理解出来なかった。

 頭の中が混乱する。命があった。それは分かった。自分はここに盗みに入った。その上、本気で目の前の女を殺そうとした。

 それなのに、どうしてこの女が謝罪の言葉を口にしているのか? それが、分からない。

(あ……ひょっとしてこれ、手当もされている? この女が? どうして?)

 少女は自分の下腹に衣服とはもう少し別の柔らかい感触が巻き付いている事に気付いた。包帯と湿布薬か何かだろう。

「ああ、あまり無理に動かない方がいいと思いますよ。内臓破裂とかそんなことにはなっていないと思いますが、気の流れが滅茶苦茶になっているんです。いきなりナイフで襲いかかってくるので、ちょっと力加減を間違えてしまいました。そっちも、ごめんなさい」

 申し訳なさそうに頭を下げてくる女に、何を言えばいいのか分からず、少女はただ黙って頷いた。

「私はこの紅魔館で門番をやっている紅美鈴っていいます」

「……そう」

「ええと、お腹空きませんか? 今までずっと眠っていたから分からないと思いますけど、もう夜も遅いです。何か食べないと体に悪いですよ。スープは温くなっちゃってますけど」

 美鈴が座る椅子の傍らに、小さな机があり、その上にはパンと鍋が置かれていた。わざわざ食事を用意していたらしい。

「結構よ」

 しかし、少女は首を横に振った。

 囚われの身で、出された食事をはいそうですかと食べる気にはなれない。何が入っているか、分かったものではない。ましてや、自分をここまで痛めつけた相手だ。どちらが悪いかは分かっていても、感情的には受け入れがたいものがあった。

「まあまあ、そう言わずに。美味しいですよ〜? ほら」

 美鈴は笑顔を浮かべてパンをちぎり、スープに軽く浸して少女の口元へと持っていった。オニオンスープの香ばしい香りが少女の鼻孔をくすぐる。

 少女は苛ついた。

 こんな状況だというのに、一旦食べ物を差し出されると、たちまち口の中に唾液が溢れ、耐え難い空腹感が呼び起こされる。早朝から何も口にしていない。

 笑顔を浮かべながら、唇をパンでつついてくる美鈴が憎らしい。

 食べる気は無い。それを態度で見せつけようと。少女はひたすら押し黙る。

 数十秒もすれば、諦めるだろう。少女はそう思っていた。

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(……まったく、しつこいわね)

 しかし、目の前の女は自分の意志なんて気にもとめていないのか、相変わらずにこにこと笑顔を浮かべたまま「はい、あ〜ん☆」などとやっている。

 そのまま、数十秒どころか数分が経過しようとしていた。放っておくと、いつまでも続きそうな根比べ。

 少女の体が小刻みに震える。

 空腹感と苛立ちに精神がどうにかなってしまいそうだった。

「あ、あなたねえっ!」

「ほいっ!」

 少女は目を白黒させた。

 いい加減、我慢の限界となり文句を言おうと口を開けた瞬間、パンを口の中に放り込まれた。

 我慢に我慢を重ねた上で味わうパンとスープの味は、美味であった。

 それが刺激になったのか、少女のお腹が鳴った。

「ほらほら、体は正直ですよ〜?」

「……くっ」

 一旦口に入ったパンを吐き出すことは、もう出来なかった。飲み込んで、少女は美鈴を睨む。悔しさと恥ずかしさに顔が紅くなるのを自覚した。

「はい次ですよ〜。あ〜ん」

 少女は上半身を起こした。

「……自分で食べるわ」

「そうですか。じゃあ、これ。スープは今こっちのお皿に移しますから、こっちから食べて下さい」

 少女は美鈴からパンの塊とスープの入った皿を受け取った。

 もう一度、少女の腹が鳴った。

 不機嫌な表情を隠さないまま、少女はパンとスープとがっつき、瞬く間に平らげた。

 そして、再びベッドの中で横になる。

「お粗末様でした。ところで、あなたには色々と聞きたい事があるんですけど、お話しする元気はありますか?」

 なるほど、と少女にはこの女が自分を手当てした理由に合点がいった。要するに自分がどこの何者で、ここに何をしに来たのか尋問しようというわけなのだろう。

 違和感はある。侵入者に対する扱いにしてはやけに上等すぎる気もしなくもない。しかし、負わせた手傷の深さから、暴れる事は不可能と見積もられているなら、そして警戒心を解くためであるというのなら分からなくもない。

 少女は寝返りをうって女に背を向けた。この女に何も話すつもりは無かったし、ここには金品以外に興味もない。わざわざ、話す余裕があるかどうかなど訊いてくるのだ、話さなくても言い選択肢を与えたのはあちらだ、その甘さは利用させてもらうまでの話だった。

 背中越しに、女が落ち込んだような息を吐くのが聞こえた。

「分かりました。そうですね、体の調子が悪いですものね。もう夜も遅いですし、ゆっくりと休んで下さい。あ、トイレに行きたくなったらいつでも言って下さいね? それでは、お休みなさい」

 少女は目を閉じた。

 眠気は特に感じてはいない。そのつもりだった。

 しかし、こんなにも暖かく柔らかな寝床の中に入るのは久しぶりで……そして何よりも居心地がよくて、あっという間に再び意識は闇の中へと落ちていった。

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 少女が目を覚ますと、窓から日が差していた。よく分からないが、日差しの強さから判断するに、日が出てからまだそれほど時間は経っていないだろう。

 カーテン越しに雪が降っているのが見えた。

 心の中で小さく舌打ちする。隙を見て闇夜に紛れてここから逃げ出すつもりだったのだが、すっかり眠りこけてしまった。自分の気の緩みと、それが招いた失策が口惜しい。

(……いえ)

 少女は思い直した。腹の痛みが治まらない。下手をすると昨夜よりも酷いかも知れない。満足に動くのは難しいだろう。

「おはようございます。よく眠れましたか?」

 顔を横に向けると、何がそんなにも楽しいのか、にこにことした笑顔を浮かべた美鈴がいた。椅子に座って毛布にくるまっているのを見る限り、その格好で眠っていたのだろう。

「早起きしてくれて助かります。もうちょっと日が高くなると、妖精メイド達も起きて来ちゃうし、私も門番の仕事に行かないといけないですから」

 妖精? この館は妖精にメイドをさせているのか? 少女には妖精達が満足に仕事を出来るとは思えなかった。どうやら、この館の主人は随分と酔狂な性格をしているらしい。

 少女が押し黙っていると、美鈴が少し頬を赤らめて首を掻いた。

「ええとその……それで……起き抜けに言うのも何ですけど……トイレ、行きます? 多分、今くらいしか行けないと思うので……日中はお丸とか尿瓶を使ってもらう事になるかと思います」

 トイレという単語に、少女は思い出したように尿意を催した。起きたばかりと言えば当然と言われれば当然なのだが。

 この門番もそれで気を遣って言ってきたのだろう。

 一瞬、もう少しデリカシーのある言い方はないのかと思ったが。逆の立場で考えてみても思い浮かばなかったので、怒りを収めた。むしろ、自分から言い出さずに済むので、このタイミングで気を遣ってくれるのは有り難いくらいだった。

 そして、美鈴の誘いに乗るべきかどうか少女はしばし考えた。

 取り敢えずのところ、この女に敵意は無いようだ。そしてしばらくすれば妖精とはいえメイド達が起きてくる。見つかるのは歓迎しない。外は天気が悪い。こんな体調で出れば下手すれば命に関わりそうだ。なら、しばらくはここの世話になる方が得策だろう。

「…………行く」

 少女は頷いた。

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 寝間着からメイド服に着替えさせられ、少女は美鈴に背負われる。そんな格好で彼女らはトイレへと向かっていった。

 横になって安静にしているときに較べ、立ち上がったときは格段に腹の痛みが強かった。やはり逃げ出すどころではないことを少女は悟った。

 メイド服に着替えさせられたのは、メイド妖精達に見つかったときの一応のカモフラージュのためだった。あと、少女の体格に合うような服も妖精メイド達用のそれくらいしか無かったためである。それまで着ていた寝間着は美鈴のものだったが、ぶかぶかだった。

「分かっていると思いますけど、なるべく顔を上げないように、隠して下さいね」

 美鈴の言葉に少女は頷いた。

 こうして背負われる経験というのは、少女が記憶している限り、これが初めてだった。美鈴の大きな背中と、柔らかく暖かい温もりが伝わってきて、それが慣れない感覚でどこか気恥ずかしい。

「まあ、ここの主人……レミリア様は吸血鬼なので昼間はほとんど起きてきません。妹様も地下に閉じこめられたままです。レミリア様のご友人のパチュリー様も地下にある図書館にずっと籠もって魔法の研究をしていますし、彼女達に見つかる事は無いと思います。妖精メイド達は数が多いですから、見つかっても新入りとか適当に言えば何とか誤魔化せるかも知れませんけど」

 吸血鬼という単語に、少女は一瞬だが体を硬くした。

 侵入する前に、こんな利便性の悪く人里離れたところに館がある事を不審に思うべきだったと後悔する。

「安心して下さい。私も妖怪ですけど、あなたを食べる気はありませんよ。昨日のご飯にも人間は混じっていません。確か、巫女は食べてもいいってどこかで聞いた気はするんですけどね?」

 少女の僅かな緊張を和らげるかのように、美鈴は優しい口調で告げた。

 この門番も妖怪だった事に、それこそ化け物と呼べる強さだった事に少女は納得する。若干の緊張は解けないままではあったが。

 ただ、妖怪と妖精の棲む館でこうして看病されているというのは、奇妙な感覚だと改めて少女は思った。

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 ベッドの中で横になりながら、少女はカーテン越しに外の様子を眺めた。相変わらず雪が降り続けている。こんな天気の下で、こうしていられるのはある意味では運のいい事なのだろうかと、ふと思う。

 もっとも、妖怪の棲む館で、これから食料や玩具にされる運命が待っていたとしたら、それは幸運でも何でもないが。

 少女は嘆息した。

 美鈴に名前と親の存在について訊かれた。迷子や家出だったら人里に送り返すつもりだと言っていた。どちらも存在しない事を伝えたら、それもまた予想通りだったようだが。

 取り敢えず、名前については何て呼べばいいのか分からないから、後で考えると言っていた。自分で呼んで欲しい名前があればそれでもいいと言っていたが。

 暇つぶしに、と美鈴が置いていった本がすぐ傍に置いてあるが、それにはまだ目を通していない。今はただ、体を休めていたかった。

 外からは黄色い声が聞こえてくる。どうやら妖精メイド達が雪かきをしようとして、そのまま雪合戦を始めたらしい。妖精は寒いのが苦手な者が多いと噂では聞いていたが、遊びとなるとそれも忘れるらしい。

 吸血鬼……悪魔の棲む館の住人とは思えないほどに、それは脳天気な声だった。

 ゆったりと時間が流れていく。

 こんな時間は、自分の人生では後どれくらい過ごせるのだろうか? 時間を惜しむように、少女は掛け布団を強く抱きかかえた。

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 日も落ちて外も暗くなった頃、美鈴は部屋に戻ってきた。

「ただいま戻りました。いやー、外は雪が凄いです。門番どころか今日はほとんど雪かきで終わりましたよ」

 雪かきどころか、この門番は妖精メイド達と一緒に雪合戦をやっていたのではなかっただろうか。妖精メイド達の声に混じって美鈴の声も聞こえた気がすると少女は思った。

 仕事明けの開放感に、朗らかな笑顔を浮かべて美鈴はベッドの脇の椅子に座った。

「どうです? お腹の痛みは?」

 答えるべきかどうか、一瞬迷ったが、別に隠すような話でもないと少女は思い直す。

「少しはよくなったわ。それでも、まだ完全ではないけれど」

「そうですか、それはよかったです。でも、無理はしないで下さいよ? 私の見立てだと、あと四、五日は掛かるはずですから」

「……そうね」

 完治まであと数日。それは少女の見立てと一致していた。そこまで見切られていた。どうやら、この点では何も隠し事は出来なさそうだと少女は悟る。

「ところで、名前……どうしますか? 何か希望はありますか?」

 少女は首を横に振った。横になりながら、全く考えてみなかったわけでもないが、あまりいい考えが湧かなかった。

 名は体を表すという。では、自分を表す名はどんなものか? そもそも、自分とはどんな人間か? ……冷たく空っぽなイメージしか湧かなかった。それを表す名を考えてみる気も、呼んでもらう気も起きない。

「じゃあ、私が決めますよ? いいですね? あ……その、嫌だったら嫌だって言って下さいよ?」

「いいわよ。それで、私の名前は……何?」

 期待や好奇心。抑揚に乏しいが、ほんの少しだけそんな感情が滲んだ少女の口調に対し、美鈴は大きく頷いた。早く言いたくて堪らないのかも知れない。

 

“咲夜っていうのはどうですか?”

 

「さく……や?」

「はい、花の咲く『咲』に『夜』で咲夜です」

 少女は瞬きをした。それは、自分がそれまで抱いていたイメージに比べて、あまりにも似つかわしくない名前だった。そう……綺麗過ぎると思った。思わず、赤面する。

「えへへ、私思うんですよ。咲夜ちゃんはですね、きっと美人さんになるなあって。それも、月明かりに映えるようなクールで瀟洒な感じで。それで、月下美人って名前の花を思い出したんです。この花、夜に咲く綺麗な花なんですよ? 図書館の図鑑でしか見た事ないですけど。それで、咲夜です。どうですか? 咲夜ちゃん」

 よほど舞い上がっているのか、さっきから了承も無しに「咲夜」という名前で呼んでいる事に美鈴は気付いていないらしい。

 咲夜は肩をすくめて苦笑した。

 気恥ずかしい思いはするが、不快ではない。

「ええ、それでいいわ」

「やったっ☆」

 よほど嬉しかったのか。美鈴は胸の前で両手の拳を握ってガッツポーズを取った。

 その様子を眺めながら、咲夜は自分の名前を頭の中で繰り返す。……やはり、悪い気はしなかった。

「ところで美鈴。あなた、これからもその椅子で寝るつもり?」

「え? ええ、そのつもりですけど」

「その……今夜からは一緒にベッドで寝ない? 風邪ひかれると、私も困るから」

 美鈴に風邪を引かれると、食料の調達やらもろもろで困ることになる。それに対する最善の策を考えた結果がこれだ。それ以上の意味はない。ましてや、綺麗な名前を付けてくれて嬉しかったからではない。

 そのはずなのに、言ってみると妙に照れくさい。

「そうですね。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます。寝相はいい方だと思うので、安心して下さい」

 そんな咲夜を見て、美鈴は微笑んだ。

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【咲夜の安息の終わり】

 

 そして、咲夜が名前を得てから五日が過ぎた。

 冬の弱い日差し。雪は降ってはいない。外から聞こえる妖精メイド達や美鈴の歓声を聞きながら、咲夜は天井を眺めていた。

 完治に必要な時間は、見立ての通りだった。手を当ててみるが、痛んでいた腹はほとんど疼く事は無くなっていた。

 咲夜は小さく溜息を吐いた。

 完治する。それは喜ばしい事だろう。しかし、同時に残念な気もした。

 暖かい布団、そして温かいご飯。美鈴……他人の温もり。それらは、居心地がよかった。しかし、そんな時間は長くは続かない。

 また、あの外へと戻る事になるのだろうか? いや、戻らなければならない。 咲夜は昔どこかで聞いた古い暗殺者集団の話を思い出した。彼らは道で迷った人間を歓待し、その人間達が外に出る気を失わせた後に、組織の一員として育てるという話だった。

 ひょっとしたらここもそうなのだろうか?

 咲夜は再び溜息を吐いた。そんなこと、分かるはずもなかった。

(……どうして……こんな……)

 涙が零れた。

 これまでずっとそうやって過ごしてきたくせに、今になってまたあの外の世界に戻るのが恐い。

 そんな気持ちになる自分が、情けないと思った。

(時間を操る能力を持っているっていうのに、こういうときは本当に……意味がないわね)

 咲夜は暗く、自虐の笑みを浮かべた。

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 深夜。

 ベッドの中。咲夜の隣では美鈴がいる。

 多分、普通に考えれば明日にはここを出て行かなければならないのだろう。ただ、その前に聞いてみたい事が出来た。最後まで、理解出来ないままというのは嫌だと咲夜は思った。

「ねえ、美鈴。もう眠ってる?」

「いいえ、まだ起きていますよ。どうかしましたか?」

「……美鈴は、どうして私を看病何てしたの? 分かっているのよね? 私がここに何をしに来たのかって」

「ええ、そうですね。そりゃまあ……いきなりナイフ何て投げつけてくるんですから」

 咲夜は背中越しに、美鈴が苦笑を浮かべる気配を感じた。

「何でかって言われても……あまり上手くは言えないですね。ただ、放ってはおけなかったんですよ」

 それは懐かしむような、哀れむような、そんな遠い口調だった。

「気に障ったらすみません。咲夜ちゃんを見て、昔の自分を重ねてしまったんです。私もここに来るまでは長く放浪の生活をしていました。咲夜ちゃんほど小さくはなかったんですけど……でも、その……やっぱり放っておけなかったんです。だから、門番としては失格なのかも知れません。お嬢様達に見つかったら、どんなお仕置きがされるかも分かりません。だけど、罰する気にはなれませんでした」

「……いいえ、こんな事を言うのも変かも知れないけれど、感謝するわ」

 どうやら、ここ数日間の出来事は本当にこの門番の裏表のない気持ちだったらしい。それを知って、咲夜は胸に満たされるものを感じた。

「私からも一つ訊いていいですか?」

「ええ」

「咲夜ちゃんは、これからどうするんですか? もう、お腹の様子もだいぶ治っている頃だと思います」

 咲夜は数秒、押し黙った。

「何も考えていないわ。これからどうなるか……どうしようかなんて、何も……」

 結局、どう答えていいのか分からないので、咲夜はそのまま頭の中を伝えた。

 

“じゃあ、もう少しだけここにいませんか?”

 

 その答えに、咲夜は大きく目を開いた。

「いいの?」

「ええ、いいですよ」

 もう少し、自分はここにいてもいい。一番聞きたくて、でも自分から言い出す勇気はなくて……その言葉が咲夜には嬉しかった。

「ありがとう。美鈴」

 咲夜は暗闇の中でよかったと思った。こんな顔は美鈴には見せられない。何故ならきっと、くしゃくしゃになってしまっているだろうから。

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 その次の朝も、雪が降っていた。

 美鈴が居ない彼女の自室で、咲夜は本を読んでいた。

 これから先の事を考えていないわけではない。いくら美鈴がここにいてもいいと言ってくれたとはいえ、その時間も永遠ではない。第一、いつまでも隠れ続けていられるはずもない。

 しかし、どうしても直ぐには答えが出てこない。故に、本を読んで気晴らししようと思った。

「美鈴……私をいくつだと思っているのかしら」

 民俗学か何かの参考資料という事なのだろうか? 妙に立派な装丁のくせに、中身は昔話のようなものがほとんどだった。咲夜は拍子抜けする。それでも、確かに暇つぶしにはなりそうだが。

 体が動くようになると、ベッドの中にいつまでもいるのが苦痛に感じられる。

 お茶でも飲もう。そう思って咲夜は本を横に置いて、ベッドから抜け出た。

 机の上に置かれた急須から、コップにお茶を注ぐ。

 そのまま、彼女は窓の近くへと歩いていった。ここ数日、カーテン越しにしか外の様子を見ていないので、どんな様子なのか直に見てみたかった。

 カーテンの隙間から、外の様子を見てみる。

 広い庭園は一面の銀世界になっていた。

 しかし、咲夜は少し残念に思った。

 今日は朝から外の様子が静かだった。今日も多分、雪かきをする必要はあると思うのだが、妖精メイド達の姿が見当たらない。メイドをする妖精というのがどんなものか、それに彼女らと美鈴がどんな風に雪合戦をしているのかを見てみたかったのだが。

 その代わりに、今日は心なしか館の中の方が騒がしいような気がする。

 どういう事なのだろう? 咲夜は様子が知りたくて、今度は部屋の出口の方へと近付いた。鍵は掛かっている。だから美鈴以外に誰もここには入って来る事はない。

 咲夜は扉に耳を押し当てた。

 どたばたと妖精メイドが走っているようだった。

 

“ちょっと。聞いた聞いた? 美鈴さんが侵入者を匿ったらしいよ”

“うん、地下の図書館でお仕置き中だって”

“レミリア様が怒り心頭だって、美鈴さん。ただじゃ済まないんじゃない?”

“それで……と、すると侵入者ってやっぱりここ……かな?”

“そういえば、朝早くに美鈴さんがメイドを背負っていたのを見かけたわ。ひょっとしてあの子?”

“美鈴さん……どうなっちゃうのかな? だってここのお嬢様って……悪魔でしょ?”

“多分、無事では済まないでしょうね。下手すると、もう二度と……”

 

 咲夜はぞわりと身の毛がよだつのを感じた。

(美鈴が……捕まった?)

 妖精メイド達の言っていることは、つまりはそういうことだった。いや、それどころではない。彼女らの台詞から判断するに、状況はもっと悪い。

 美鈴が侵入者を匿う場所として真っ先に疑われるのはどこか? それは美鈴の自室に他ならなかった。恐らく、この扉の前では妖精メイド達が集まってきているのだろう。

 この館の主人に見つかったら、どんなお仕置きを受けるか分からない。美鈴の言葉を思い出す。

(どうする? どうする? どうする? 考えろ……考えるんだ私)

 まずは、この部屋から出なければならない。それはどんな選択を選ぶにしてもそれは間違いない。

 咲夜は時を止め、急いでだぶついた美鈴の寝間着から自分の服へと着替えた。折り畳み式のナイフを探そうとするが、それはスカートのポケットの中に入っていた。一瞬、美鈴を不用心だと思ったが、動けないのならどこに置こうと同じ話だったとかと思い直す。

(このまま逃げる? それとも、美鈴を……)

 見捨てるのか? その選択肢を咲夜は首を横に振って捨てた。

 それは出来ない相談だった。

 物心付いてから初めてだった。こんな、人間らしい生活と心を持った数日間は。それを忘れる事は出来ない。咲夜という……名前をもらって、それでそんな浅ましい生き方は出来そうにない。

(我ながら、いつのまにかお人好しになったものね)

 咲夜の口元に苦笑が浮かんだ。

 だが、それも仕方のない事かと彼女は思った。何故なら、一緒に過ごしたのがどうしようもないほどにお人好しなのだから。

 咲夜は扉を開けた。

 目の前には何人ものメイド服を着た妖精が集まっていた。まさか本当に侵入者がここにいる……それどころか自分から現れるとは思っていなかったのが、彼女らからどよめきの声が挙がった。

「そこをどきなさい。さもなくば……」

 咲夜はナイフを構え、紅魔館に宣戦を布告した。

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 妖精メイド達を蹴散らし、重厚な扉を勢いよく開いて咲夜はヴワル図書館の中へと入った。

 その正面には、レミリアとパチュリー、そして美鈴の姿があった。吸血鬼、魔法使いと聞いていたが、その幼い姿に咲夜は一瞬だが意外だと思った。それだけで、油断するつもりは無いが。

「へえ。美鈴? この紅魔館に忍び込むような命知らずの狂犬をよくここまで仕込んだものね。まさか……くっくっ……本当に助けに来るなんて……」

 口元に手を当てて嗤うレミリアに、美鈴は呻く。

 美鈴は後ろ手にされていた。手首と足首に魔法陣が紅く輝いていた。拘束用の魔法か何かだろう。

「咲夜ちゃんっ! こっちに来ちゃダメです。どうして逃げなかったんですか。早く逃げなさい」

「美鈴。黙りなさい」

「……くっ」

 レミリアは美鈴の首筋に、手にしていた紅く輝く槍の先を当てた。

「美鈴に何する気なの?」

「やっぱり人間は愚かね。ちょっと妖精メイド達に美鈴の様子を噂させただけで、こうしてのこのこと炙り出されるくらいだから、当然かも知れないけれど」

 睨み付ける咲夜に対し、レミリアは嘲笑を浮かべた。

「『何をするか?』 悪魔に訊く質問じゃないわね。この私に黙って、この紅魔館に弓引く者を匿ったんだ。二度とそんな気が起きないくらいの恥辱と恐怖を与え、徹底的な忠誠を誓わせる以外に何をすることがある? ……パチェ」

 パチュリーはレミリアに頷き。魔法を唱えた。

 咲夜の背後、ヴワル図書館の出入り口に紅い障壁が展開された。

「ご苦労様。パチェ。さて、これでお前はもう袋のネズミという訳よ。さあ、どうする?」

「お嬢様、お願いします。私は……どうなってもいいですから、ですから咲夜ちゃんだけは見逃してあげて下さい。まだ小さな子供なんです。どうか……どうか……」

 美鈴の懇願に、レミリアは目を瞑った。その表情は、美鈴の絶望の声が実に心地よく聞こえているということを物語っていた。

「ああ、いい声で鳴くねえ美鈴。……でも、だ〜め」

 けらけらとレミリアが嗤う声が図書館に響いた。

 咲夜は手にしていたナイフを固く握った。

 その次の瞬間、咲夜はパチュリーの背後に立ち、彼女の首筋にナイフを当てていた。

「……いつの間に」

 パチュリーの顔に薄く動揺の色が浮かんだ。

「吸血鬼にはナイフなんて効かないでしょうけど、魔法使いならそうはいかないでしょう? まさか、この魔法使いも首を刎ね飛ばしても生きていられる……なんてことはないでしょうね?」

 それでもレミリアは笑みを浮かべたままだった。

「さあてね? パチェのことだから、案外と首を刎ねても生きているかも知れないわよ? 試してみる?」

「随分と友達甲斐の無いことを言うのね、レミィ。ちょっとは助けるそぶりくらい見せてくれないのかしら」

「ふふ。……信頼しているっていうことよ?」

「はいはい」

 咲夜はより強くパチュリーの首筋に刃を押し当てた。

「虚勢を張るのも止めにしたらどう?」

「虚勢ではないわ」

 そう、パチュリーが言った瞬間。咲夜の体が紅い光に包まれた。

「なっ!?」

「咲夜ちゃんっ!」

 その次の瞬間咲夜はバランスを崩して床に倒れた。手首と足首に拘束呪式が展開されている。

「覚えておきなさい。十分に準備した魔法使いは、如何なる妖怪も歯が立たないくらい強いということを。この程度の不意打ちなら、まだ予想範囲内。もっとも、あなたがレミィと交渉なんてことも考えないくらいに頭が悪くて、私を殺しにきていたなら、話は別だったかも知れないけれど」

 芋虫のように藻掻く咲夜を見下ろしながら、パチュリーは静かに嗤う。

-13ページ-

「そう、それはいい事を聞いたわ」

 再び、咲夜の姿がその場から掻き消えた。

 そして次の瞬間、今度はレミリアの首にナイフが突き刺さった。

 レミリアの首から、噴水のように赤い血が噴き出す。彼女の背後に咲夜が立っていた。

「こうすればいいっていうことね?」

「……お前」

 口から血を零しながら、レミリアは唇を噛んだ。

「あなたもこうなりたくなかったら、美鈴を離しなさい。それとも吸血鬼? あなたは友人を見捨てるの?」

「咲夜ちゃん。それはダメです。止めなさい。お嬢様もパチュリー様も、もうお止め下さいっ!」

 美鈴が悲鳴じみた声を挙げる。

 しかし、それをレミリアとパチュリーが聞いている気配は無い。

「馬鹿な……あの拘束呪式の暗号鍵がそうやすやすと解けるはずはない。いや? 違う? 魔法的要素の痕跡が無い。……まさか、そういうこと?」

「さっきから何をぶつぶつと……」

「レミィ。その子の能力が分かったわ。その子、時間を操る力を持っている。瞬間移動も拘束呪式の解除もそれよ。まさか、呪式の時間だけ操って強制的に機動魔力切れを起こさせるなんて……とんでもない力業をするわね」

 咲夜は目を細めた。

 まさか、こうも早く看破されるとは思わなかった。さすがは悪魔の館に棲む魔女という事か。

 人質は生きているから交渉手段となる。だからこそ今度はレミリアを狙ったのだが……甘い考えだったかと咲夜は軽く後悔する。

「ええ、その通りよ。それで、どうするの?」

 咲夜にナイフを刺されたままの格好で、レミリアが震える。

「くっ……くっ……くっくっ。まさか、そんな人間がいるなんてね。面白い、本当に面白いわ」

 血の泡を吹きながらレミリアが哄笑を上げた。

 

“教育してあげるわ。吸血鬼の戦いってものを”

 

「なっ!?」

 つい先ほどまであった肉の感触がナイフから消えた。その代わり、大量の蝙蝠がレミリアのいた空間から湧いた。

「こっちよ」

 咲夜はレミリアの声を頼りにその姿を探す。彼女は本棚の上に座っていた。しかも、首の傷は既にふさがっていた。

「そして――」

 そして、再びレミリアの姿がその場から消えた。その瞬間が、咲夜には残像にしか捉えられなかった。

 咲夜の首筋からひやりとした冷たい感覚が伝わった。

「――私も、瞬間移動は無理だけれど、スピードには自信があるの」

 咲夜の背後に、レミリアが立っていた。そして、首筋に長く鋭い爪を押し付けてくる。

「さて、どうしようかしら? 咲夜も喉から血を吹き出してみる? 言っておくけれど、馬鹿な真似はしない方が身のためよ? もし、また時を止めてパチェを本気で殺したなら、そのときは容赦なくあなたを雑巾のように捻り潰すわよ」

 咲夜は次の手を考えた。

 しかし、観念する。手が思い浮かばない。

 咲夜は震えた。それは死に対する恐怖ではない。美鈴を救えなかった悔しさによるものだった。

「美鈴。ごめんなさい」

「咲夜ちゃん」

 声を震わせ、唇を噛む咲夜に、美鈴は心を痛めた。そんな二人を嬲るように、つぅっとレミリアの爪の先が咲夜の首筋を撫でた。

「ふふふ……そんなに固くなる必要はないわ。命までは奪うつもりはないから。でも、死んだ方がマシと思えるくらいの恥辱は与えるから、覚悟しなさい」

 その瞬間、咲夜は小さく……悲鳴混じりの声を飲み込んだ。

 レミリアの爪によって切り裂かれ、咲夜の着ていた服が、散り散りとなってその場に崩れ落ちた。穿いている下着だけを残して、全身の白く幼い肌が露出する。

 それを見て、レミリアは舌なめずりをした。

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 咲夜は後悔した。

 こんな恥辱はそれこそ、生まれて初めてで、想像していなかった。

 羞恥に頬が真っ赤に染まる。

「ふっ……くっくっ。いい格好ね咲夜。似合っているわよ」

 レミリアの自室。咲夜の目の前で、玉座に座りながらレミリアがにやにやと笑みを浮かべていた。

「くっ…………こんな……こんなことって……」

 美鈴に助けを求めたい。しかしそれは無理な話だった。美鈴も咲夜と同様、無惨な姿と成り果てていた。

「もういいでしょう? これ以上、私を嬲って玩具にして……いい加減にしてよ。そんなに……そんなに楽しいっての?」

 涙混じりの咲夜の懇願。それが悪魔にとって嗜虐心をそそる行為でしかない事は分かっていても、それでも言わずにはいられない。

 咲夜は悪魔によって既に感情、精神がボロボロにされていた。

「口の利き方がなってないねえ。パチェ、もう10セットくらい追加しよう」

「う……………う……あぅ……」

 いつまで経っても終わらない地獄。咲夜の気が遠のいた。

 咲夜は白いバレエ衣装を着せられていた。それはまだいい。

 問題は、股間から白鳥の首が伸びている事だ。そんな馬鹿げた服を着せられて、あまつさえ適当でいいからとバレエの真似事をさせられていた。

 その前は肉襦袢を着せられ、そのまた前は猿の着ぐるみ……その前は禿げヅラを被らされて……衣装が替わるその度に、恥ずかしい真似をさせられた。そしてそれを見てレミリアがお腹を抱えて笑い転げていた。

「……んー、そろそろこういうのはどう?」

 ぼふっと咲夜と美鈴の周囲に煙が舞った。そして次の瞬間、煙が晴れると今度はネコ耳、白の紐水着、ネコ尻尾という姿になっていた。

 服を構成している元素属性を最小単位にまで分解し、後に再編成するという、分かる者にとってはとんでもないレベルの属性魔法の応用なのだが、逆に分かればとんでもない魔法の無駄遣いだと呆れられる事だろう。

 咲夜は思わず胸や下を隠した。

「え〜? さっきまでの方が面白くない?」

「そうかしら? 私はちょっとマンネリ気味って思ったんだけれど。たまにはちょっと趣向を変えた方が咲夜にも刺激になるんじゃないかしら。それに何より……こっちの方が芸術的よ?」

 ネコ耳とネコ尻尾が隷属的要素を、未成熟な少女の肢体に申し訳程度に絡み付く水着が、背徳的な雰囲気を咲夜に与えていた。

「……ふむ」

 レミリアは咲夜を見る。

 確かに、何だかんだ言ってさっきまでの咲夜の反応は、最初の頃に比べたら薄くなってきていたかも知れない。

 それに比べれば、恥じらって目を瞑り、床にしゃがみ込むこの反応は新鮮かも知れない。

「そうね、じゃあこっちの方向で50セットくらいいってみよう」

 それを聞いた瞬間、咲夜は燃え尽きた灰のように真っ白になった。

 美鈴も憔悴した表情を浮かべている。精神的には勿論だが、妖怪とはいえ体力的にも辛いものがあった。

「あ、あの〜。お嬢様、そろそろ勘弁して下さい。咲夜ちゃんもそろそろ限界だと思うのですが」

「五月蠅い。全く、ずっと黙っているなんて……そんなにも主人を信用出来ないというの?」

「いや、だって仕方ないじゃないですかっ? お嬢様に素直に言ったら、咲夜ちゃんを玩具にしてしまうじゃないですか」

 美鈴の訴えに対し、レミリアは口元に手を当てて目を細めた。

「ふふふ…………当たり前じゃない」

「ですから、そんなことカリスマっぽく言わないで下さいっ! いいですか、咲夜ちゃんは昨日までずっと寝込んでいたんです。そんなことしたら、咲夜ちゃん治るものも治らないじゃないですかっ!」

「でも、もう治ったんでしょ? パチェ、次〜☆」

「あ、お嬢様っ? ちょっと、話聞いて下さいーっ!」

 レミリアは新しい玩具を見つけて上機嫌であった。

 今まで美鈴に隠されていた分、少なくとも今夜一晩は遊び倒そうと思った。

 紅魔館の夜は……永い。

-15ページ-

【十六夜咲夜と紅魔館】

 

 永い夜が明けて、咲夜は美鈴のベッドの上で寝込んでいた。流石に病み上がりにレミリアに一晩中付き合わされて、精神的に限界だった。

 その傍らで、美鈴が椅子に座って休んでいる。寝込むほどではなかったが、流石に門番をやらせるのも大変だということで、休みを貰えた。レミリアは悪魔だが、主として寛容の精神は必要だろうと……そんな誇りは持っている。

「ごめんなさい。流石にずっと隠し通すのは無理だったみたいですね。数日前から妖精メイド達の間で、ちょっとだけ咲夜ちゃんの事が噂になっていたみたいです」

 それがどういう経緯を辿ったのかは詳しくは分からないが、パチュリーとレミリアの耳にまで届いてしまった。

 その結果、真偽を確かめようと……好奇心旺盛なレミリアは昼間に起きてきて美鈴に問い質してきたのであった。

「もうちょっと私も上手く言えばよかったのかも知れませんけど……。昨日は満月だったみたいで、お嬢様も力が一番発揮出来るものだから、ちょっとはしゃいでらしたようです」

「そうみたいね」

 乾いた笑みを咲夜は浮かべた。

 まあ、終わってみれば殺されるよりはマシなのかも知れないが。

 美鈴は申し訳なさそうに頬を掻いた。

「えーと、それでですね咲夜ちゃん。お嬢様が咲夜ちゃんの事を気に入られたようでして……紅魔館のメイドにしようって言ってきたんですが……どうします?」

 咲夜は苦笑を浮かべた。

 まさか、こんな運命が待っているなどとは思ってもみなかった。

「そうね。その申し出、有り難くお受けするって伝えて」

 その返答に、美鈴は小さいが驚きの表情を浮かべた。

「いいんですか? 本当に? 言っちゃ悪いですが……お嬢様はあの通りですよ?」

「ええ、それでも……いいわ」

 何故なら、もう外に戻ってもここの数日間を忘れる事は出来そうにないから。

 そうですか、と美鈴は微笑みを浮かべた。

「じゃあ、早く名字を決めないといけないですね」

「名字?」

「ええ、なんか妖精メイド達の噂ではお嬢様が咲夜ちゃんの名字を決めようってあれこれ考えているようです」

「何かまずいの?」

「普通にしているといいんですが、紅魔館のメイドに相応しい何か格好いい名前をとか、何か変な方向に考えすぎると、とんでもない名前になる可能性があります」

 真剣な表情で言ってくる美鈴に、咲夜は汗を流した。彼女がここまで言ってくるという事は、かなりの問題なのだろうなあと。

「じゃ……じゃあ、昨日は満月だったから……『十六夜』で。安直かしら?」

 ふむ、と美鈴はしばし虚空を見上げた。

 とにかく急がないと……と、咲夜は慌てて考えたのだが。

「いいえ、いい名前何じゃないですか? 響きも悪くないと思います」

「そう? じゃあ、これからもよろしくね。美鈴」

「ええ、こっちこそよろしくお願いします。咲夜ちゃん」

 冬。満月の翌日。紅魔館に新しいメイドが加わった。

 

 ちなみに、これは別の話になるが……咲夜の名字をあれこれ考えた挙げ句、レミリアの考えたものはやはりとんでもないものになっていたそうな。

 

 

 ―END―

説明
東方二次創作
紅魔館に侵入者がやってきたようです
以前に書いた「紅魔館と向日葵と門番と」と設定は同じです
もはや何番煎じなネタなのか分かりませんが、やっぱりこういうのは一度は書いてみたいものだなあと思いましたです
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東方Project 十六夜咲夜 紅美鈴 レミリア パチュリー 紅魔館 

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