真・恋姫無双〜君を忘れない〜 二十八話
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一刀視点

 

 翌朝、俺たちは竜胆の失踪を知った。敵に連れ去られたのではないか、単騎で劉璋を討ちに行ったのではないか、など様々な憶測が飛び交ったが、結局一つの結論に纏まった。

 

 裏切り者。

 

 広州から皆の頭の片隅にあった疑問、拭いきれなかった不安、消すことのできなかった可能性、それが一つの真実を紡ぎ出した。

 

「……竜胆」

 

 桔梗さんが落胆を露わにしてそう呟いた。これまで共に反乱軍として、痛みを、苦しみを、憤りを共有してきた、

 

 同志だった。

 

 盟友だった。

 

 そして、友だった。

 

 そんな相手に裏切られたのだ、桔梗さんのショックは測り切れないものだろう。しかし、俺たちは立ち止まるわけにはいかないのだ。どんなことがあろうとも。

 

「……桔梗さん、今は……」

 

「分かっておる。北郷、急ぎ、焔耶たちと合流するぞ。恐らく、竜胆から今日のことが伝わっているはずだ。急がねば、討伐隊が送られる」

 

「……はい!」

 

 桔梗さんは自らの手で立ちあがった。友に裏切られようと、勝利を掴み取るために、その歩みを止めぬために。

 

 すぐに俺たちは焔耶に合流すべく、門に向かった。すでに焔耶たちは門の前に集結していることだろう。門が開くのを合図に、成都に雪崩れ込むように指示してある。もし、竜胆が先に劉璋軍と共に門を開けば、焔耶は何の準備もなしに、劉璋軍との戦闘に臨まねばならない。そうなってしまったら、勝機はなくなってしまう。

 

 だが幸いにも、俺たちが門に到着するときには、まだ劉璋軍の姿はなかった。どうやら間に合ったらしい。

 

「ぐずぐずはしてられん。すぐに劉璋軍は迫ってこよう。劉璋の居城を目指すぞ!」

 

 門を開いた。

 

 そこには焔耶たち反乱軍の姿があった。

 

「反乱軍の兵たちよ! 我らが精兵達よ! 時は来た! これより我らは宿願を果たす! もう苦しむ民を見て我慢することも、見て見ぬ振りをすることもない! 今日は我らが苦難を、義憤を、志を、全ての力をその腕に宿して戦うのだ!」

 

 桔梗さんの声に、全ての兵士たちの顔に力が漲る。そして、桔梗さんは俺の背を押して、兵士の前に立たせる。

 

 そうだ。これが天の御遣いの使命。俺が果たす役目なのだ。

 

「天の御遣い、北郷一刀の名においてここに命ずる! 戦い、戦い、そして生きよう! 生きて故郷に戻ろう! 愛する者に、子に、友に、全ての民たちに見せよう! 平和になった益州を!!」

 

「全軍、出陣!!」

 

「おぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 

 俺たちは走り出した。

 

 目指すは劉璋、ただ一人。

 

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 門から劉璋の居城へ向かうと、すぐに劉璋軍が現れた。

 

「全軍抜刀っ! 立ち塞がる敵は全て斬り捨てよっ!」

 

 桔梗さんの命令で一斉に兵士たちは駆けだした。

 

 それぞれが胸に秘めた、

 

 怒りを。

 

 悲しみを。

 

 憎しみを。

 

 その刃に託して。

 

 狭い市街では、数の差は大した問題ではなかった。勝敗を決めるのは、兵士の質。これまで長い間、厳しい訓練に耐え、この日のために己を鍛えてきた反乱軍にとって、成都でぬくぬくと過ごしてきた兵たちなど敵ではなかった。

 

 この戦さえ終われば、また訪れる平穏な毎日。家族と笑いあって過ごす平和な日常、平凡という名の幸せな日々、ただそれを得るがために、兵士たちは戦う。

 

 勝負は呆気なく決まってしまった。ほとんど兵士たちはすぐに投降したため、反乱軍は劉璋の居城を囲んだ。

 

 しかし、城からの反応は皆無だった。

 

「おかしいの」

 

 桔梗さんが首を傾げなら思案する。

 

 呆気なさ過ぎる結末。それは不思議を通り越して、不気味だった。反乱軍が相手した兵士たちには、指揮官と呼べる人間がいなかったのだ。ここまで早く決着がついたのは、兵の質もそうなのだが、指揮官なき軍など烏合の衆に過ぎない。

 

 そして、城を囲まれながらも、何の対応を見せない劉璋。これまでも見えなかった敵の思惑が、ここに来て、将たちの心にプレッシャーを植え付ける。

 

「桔梗様、ここまで来たのです、一気に城を攻めましょう!」

 

 焔耶がそう提案する。兵士たちもそうだそうだと同調する。

 

「いや、兵のほとんどはこちらが押さえておる。城には少数で潜入する方が良いだろう。どんな罠が待っているか分かったものではないからの。詠、雅、ここはお主たちに任せる。もし、儂らに何かあれば、お主らで城を攻めよ」

 

「き、桔梗、だけど……」

 

「詠よ、心配は無用だ。それよりお主らは酒でも用意しておけ。勝利の後の祝杯のためにの」

 

 桔梗さんはいつものように唇を歪めて笑みを浮かべる。

 

「ふ、ふん。だったら早く帰って来るのね! そうしないとボクたちで全部飲むからね」

 

 詠もそんな強がりを言っているが、本心ではかなり心配しているのだろう。

 

「分かっておる。お館様、紫苑、焔耶、恋、儂の五人で城に行く」

 

「ね、ねねも行くのですっ!」

 

 そこに恋さんの後ろからねねが声を上げる。

 

「ねね、お主はここに残れ。先にどんな危険があるやもしれぬ。お主を守れるとは限らぬのだ」

 

「で、でも……」

 

 小さく食い下がろうとするが、そのまま黙りこんでしまった。おそらく彼女は竜胆のことが気がかりなのだろう。この前ねねから聞いた、竜胆との過去。

 

「ねね、俺に任せくれないか? 大丈夫。きっと何とかするさ」

 

 俺はそう言いながら、ねねの頭にぽんと手を置いた。何を任せるとまでは言わなくても、彼女はそれを理解してくれたようで、囁くような声で、お願いするのです、と言った。

 

「桔梗さん、紫苑さん、焔耶、恋さん、行きましょう。俺たちの手でこの戦いに終止符を打ちましょう」

 

 俺たちは劉璋の居城へと向かった。

 

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 城内に侵入するも、そこは静寂が場を支配するだけで、まるで人気がなかった。しーんと静まりかえる城内は、恐怖すら抱きかねない雰囲気を醸し出し、ピリピリとした空気が肌に触れる。

 

「行くぞ……」

 

 桔梗さんを先頭にして城内を進む。

 

 ゆっくりと慎重な足取りであったが、着実に劉璋がいるであろう玉座の間を目指す。劉璋さえ討ちとることが出来れば、この戦を終わらすことが出来るのだ。

 

「……! お館様、伏せなされ!」

 

 桔梗さんの声に反応して、すぐにその場にしゃがみ込む。すると、俺の頭があった場所に数本の矢が通過した。

 

「……どうやらただで通してはくれぬようだの」

 

 すぐに劉璋の兵士たちが俺たちに飛びかかってきた。各々が武器を手に、それを迎え撃つ。どこに潜んでいたのか、かなりの数が押し寄せてきた。

 

「ちぃっ! こんなところ時間を食うわけにはいかんのだがの!」

 

 悪態を吐きながら、襲い来る兵士たちを薙ぎ払っていく桔梗さん。確かに、もし劉璋に逃げられたりすれば、ここまでの苦労が水泡に散ってしまう。

 

「ここは私に任せろ! お館たちは先に行ってくれ!」

 

 次の扉を開いて、先に進もうとする俺たちを背に、焔耶だけがその場に残った。背後に迫る兵士たちの相手を一人でしようとでも言うのか。

 

「焔耶、よせ! 無茶だっ!」

 

 俺の声に焔耶はこちらを振り向き、穏やかな笑みを浮かべた。

 

「ここから先、命に代えて通しはせぬっ! 劉璋に魂を売った者どもよ、通りたくば、この魏延が相手をするっ! かかって来いっ!」

 

 鈍砕骨を両手に構え、不動の構えを見せ、その場に仁王立ちする焔耶。その姿に恐れをなしたのか、兵士たちの動きもぴたりと止まってしまった。

 

「御主人様、ここは焔耶ちゃんに任せましょう。私たちは先へ……」

 

 紫苑さんに説かされる形で、俺たちは先へ進んだ。背後では戦闘が始まったのか、鈍砕骨が振るわれる轟音が響いた。焔耶の無事を祈りながらも、俺たちは先へと歩を進めた。

 

「この先の広間を抜ければ、玉座の間、そこに劉璋がいる」

 

 目の前の扉を開く前に、確認するように桔梗さんが呟いた。

 

 自分に何かを言い聞かせるように。

 

 その場の誰かに教えるように。

 

 そして、扉を開いた。

 

 広間の中央に人影が一つ。

 

 紅の鎧を纏い、綺麗な紫色の髪を後ろで纏める女傑。

 

 その手の野太刀が鈍く光る。

 

 俺たちを待つように静かに佇む。

 

 竜胆。

 

 反乱軍からその姿を消し、行方を晦ましていた彼女はがいた。

 

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「やはりお主か……」

 

「…………」

 

 桔梗さんの呟きに対して、竜胆は無反応だった。やはり、ということは桔梗さんには扉を開ける前から、彼女がここにいることに気付いていたのだろう。偽りだったとはいえ、桔梗さんと竜胆は反乱軍の将として、長年行動をともにしていた仲。

 

「竜胆、どうして我らを裏切った? お主とて、劉璋の為政には不満を抱えていたはず。それともそれすら嘘であったのか?」

 

「……済まん」

 

 竜胆さんは今にも消え入りそうな声で呟いた。そのまま静かに得物である竜神爪覇を構えた。ゆうに二メートルは越える大太刀であり、それをぴたりとこちらに向ける。

 

「益州の忠臣、二君に従わずっ! 劉璋軍が将、張任、ここから先に進みたくば、我が屍を越えていけっ!」

 

 普段は口数少ない人とは思えないような咆哮。そして、彼女の身体からは強烈な殺気が放たれる。本気で俺たちを殺そうとしている。それは言葉以上に雄弁に俺たちに語っていた。

 

「やるしかないの……」

 

「俺がいく」

 

「な!?」

 

 豪天砲を片手に竜胆に歩を進める桔梗さんに向かってそう言った。桔梗さんは驚きの声をあげてこちらを振り向いた。

 

「何を仰います、お館様!」

 

「そうですわ、御主人様! いくらなんでも危険過ぎます、死にに行くようなものですわ!」

 

 紫苑さんも慌てて俺を制止しようと、俺の肩を掴もうとする。

 

 俺はその手を逆に掴んだ。

 

「俺が行かなくちゃ、いけない気がするんです。大丈夫です。約束しました。必ず紫苑さんの家に帰ると……。それに紫苑さんのおまじないもありますから」

 

 俺は紫苑さんに向けて笑顔を見せた。何でそんな風に思ったのかは、自分でも分からなかった。はっきり言って、俺が敵うような相手ではないのは重々承知している。

 

 相手は張任。益州を代表する猛将。その強さは桔梗さんすら上回る。

 

「御主人……」

 

 竜胆は困惑した表情を浮かべたが、すぐに刃先を俺に向けた。俺は腰に佩いていた刀を抜いて、同じように竜胆に向けた。

 

 目を閉じて、すーっと大きく息を吸った。一騎打ちをするのは、鍛錬を除いてかなり久しぶりであった。高鳴る心臓の鼓動を抑える。竜胆の動き、筋肉の躍動から呼吸まで全てを見る。

 

「はあぁぁっ!」

 

 気合一閃、竜胆の初動は上段切りであった。剣術において、初手から上段切りを繰り出す人間は稀である。直線的かつ単純な軌道、下手すれば返す刀で反撃すら受けかねない攻撃。しかしそれゆえの必殺の剣。

 

 それを行うのは、自分の力を過信している、自分の剣に驕っている愚か者か、あるいは本物の実力者のみ。

 

 竜胆は確実に後者である。

 

「……っ!!」

 

 地面を蹴り、バックステップで避ける。しかし間一髪。それくらい素早い振り。俺の目をもっても何とか見極められるレベルのスピードであった。

 

 そして、竜胆の太刀が轟音とともに床を破壊する。その破片が身体中に襲いかかる。致命傷を避けるために、腕を十字にクロスさせ、顔へのダメージは間逃れたが、それでもその一撃が絶大であるのは明らか。

 

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 桔梗さんの強さはその圧倒的なまでの攻めのスタイルにある。自分の豪勇を、その超越的な剛腕を振りかざし、こちらの攻める隙を与えない。そして、豪天砲という、遠近両方に活用できる破壊兵器がその力を何倍にも増大させる。

 

 紫苑さんの強さはその絶対的な見切りのスタイルにある。彼女はどんな攻めをも読み切り、受け切り、避け切る。それを可能にする天賦の素早さ。誰の目にも捉えられぬスピード。そして、いつの間にか颶鵬によって射抜かれている。

 

 では竜胆は?

 

 竜胆はそのどちらの特性も有している。

 

 一撃で床を粉々に砕くまでの圧倒的な力、そして俺の視力ですら完璧な軌道を読ませないスピード。野太刀という武器から、接近戦でしか戦えないが、それであればおそらく彼女に勝てる人間など数えるほどしかいないであろう。反乱軍であれば、せいぜい恋さんくらいか。

 

 では俺が彼女に互角以上の勝負をするためには?

 

 俺が唯一彼女に勝てる部分があるとすれば、それはお互いの知識である。

 

 俺は戦場で彼女の戦闘スタイルを何度となく見ている。彼女の癖や行動パターンを何となくではあるが、把握している。

 

 しかし、彼女は一度も俺が戦っている場面を見ていないのだ。俺が鍛錬をしていたのは永安にいた頃だけ。反乱を起こしてからは、彼女たちとは鍛錬をしていないのだ。つまり、彼女は俺の戦闘スタイルを知らない。

 

 俺がここの時代の猛将と、焔耶と五分の戦いが出来る理由。それは俺の目。俺の目はただ相手の動きを見切るだけではない。相手の一挙手一投足、それどころか呼吸も瞳の動きすら見逃さない。これだけは誰にも負けない。

 

「せいやぁぁぁっ!!」

 

 竜胆が繰り出す斬撃をすんでのところで避ける。相手の動きを先読みしながら、身体を動かしていく。少しでも遅れれば致命傷は免れない。

 

 下手に打ち合っても俺に勝機なんてない。むしろ、あの巨大な太刀と俺の刀では耐久力に差があり過ぎる。一号でも打ち合えば、そこで終わりだろう。

 

 とにかく持久戦に持ち込むことだ。相手の攻撃の尽くをさばき、攻撃が当たらないという精神的揺さ振りと、体力の消費という肉体的な制限を課せば、俺にもチャンスはある。

 

 しかし、全く気の抜けない戦いの最中、俺の脳裏には戦闘には関係のない疑問が浮かんでいた。どうしても気がかりな謎。

 

 なぜ、裏切り者である竜胆は俺たちが成都に入った段階で殺さなかったのだ?

 

 反乱軍の首脳陣である俺たちを殺せば、それで終わるはずではないか。そして、外に待機していた反乱軍の兵士もその後で奇襲すれば容易に制圧できるだろう。

 

 なぜそれをせずに、わざわざ劉璋の居城に待ち伏せしていたのだ。しかも、外の兵士の指揮すら執らずに。

 

 いや、敢えてそうしなかった理由が逆にあるのか?

 

「はぁ……はぁ……」

 

 どれくらいの間戦い続けたのだろう。さすがの竜胆にも疲労の色が隠しきれずにいた。呼吸が乱れ、肩で息をしている。

 

 自分の攻撃が当たらないというのは、予想以上に体力の消耗を促す。下手に斬り結ぶと、それだけで身体の高揚感を促進し、人は自分のリミッターが外れたかのような力を発揮する。

 

 逆に全く攻撃が当たらないと、ストレスが溜まり、人の行動を鈍らせる。すでに竜胆の攻撃は粗くなり、避けるのも先ほどと比べれば、容易になっている。

 

 今なら俺にも勝機がある。こちらから攻めに転じれば、確実に勝つことが出来るだろう。

 

 しかし……。

 

「竜胆、お前、もしかしたらわざと負けようとしていないか?」

 

 俺の一言に竜胆がピクリと反応を見せた。

 

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「竜胆、答えてくれ。どうしてお前は本気で俺を殺そうとしないんだ?」

 

 俺の言葉に俯き、何も答えてくれない竜胆。それは自分が本来持っている力を出していないということを語っていた。

 

 考えてみればすぐにでも気付けたはずだ。いくら俺の目が全ての動きを見切れても、竜胆の行動を予測できても、俺と竜胆の間にある絶対的な力量差、それだけは覆せない。

 

 俺なんかでは三分と彼女と対峙できるはずがないのだ。戦いを続ければ続けるほど、竜胆の動きに見られた違和感。まるで手を抜いているような、俺に攻撃を見せるような動き。

 

「俺たちを殺す機会なんて他にもあったはずだ。俺たちを裏切ったのには何かわけがあるんだろ?」

 

 そして、ずっと頭の中にあった疑問。

 

 俺は刀を下ろして、竜胆に近づこうとした。

 

「…………づくな」

 

「え?」

 

「私に近づくなっ!」

 

 竜胆は太刀を力任せに振り回した。技術も何もない、まるで駄々をこねる子供のように。その顔には涙が流れていた。その端正な顔立ちが崩れていた。

 

「私にはこうするしかないのだっ! これしか方法はないんだっ!」

 

 体力もほとんどないのに、竜胆は攻撃を止めなかった。そして、やがて体力も限界を迎えたのだろう、もはや立つのも苦しそうに剣で身体を支えながら粗い息を吐いていた。

 

「……私は……劉璋様を救いたいんだ……」

 

 そう呟いた。

 

 劉璋を助けたい? それはどういう意味だ?

 

「放てっ!」

 

 そのときだった。突然声が響いたと思うと、玉座の間に続く扉から兵が現れた。その手に持つ弓矢を竜胆に向けて。

 

「なっ!?」

 

 反応するより前に兵士から矢が放たれた。竜胆を庇おうと、身体を動かそうとするが、彼女との戦闘で身体にガタが来ていたのは俺も同じで、思うように動かなかった。

 

 矢は的確に竜胆に向かった。

 

 駄目だ、間に合わない。

 

 そう確信した。

 

「竜胆さんっ!!」

 

 そのとき、俺たちの背後から急に人影が飛び込んできた。それは勢いよく俺たちのところまで駆けてきて、その矮小な体躯に渾身の力をくわえて竜胆の身体を押す様に突っ込んだ。

 

「ねね!?」

 

 それは城の外に待機しているはずのねねだった。

 

「……あぅっ!」

 

 竜胆を押すことで、矢の射程範囲から彼女を外すことは出来たが、その代わりに彼女が矢の餌食になる。幸いにして、それは彼女の腕を掠る程度にしか当たらなかったが、床に倒れると痛そうに顔を歪める。

 

「竜胆さん、無事だったですね……良かった……の……です」

 

 そう口にすると、ねねは意識を失ってしまった。その身体はどこもかしこもひどく汚れていて、ぼろぼろだった。一人でここまで駆けてきたのだろう。おそらく城に潜んでいた兵士に見つかって、必死で逃げたのかもしれない。

 

 竜胆のことが心配で。

 

 玉座の間へと視線を向ける。

 

 そこに立っていたのは、いかにも高級そうな毛皮を身につけた初老の男性。顎にたっぷりと蓄えた白い髭を撫でながら、狡猾そうに、嫌みったらしくこちらに向けて、笑顔を見せる。

 

「お前が……」

 

 劉璋、と続けようとした。

 

「……劉焉様?」

 

 しかし、俺が言葉を綴る前に、桔梗さんが声を発した。その声は驚きに震えていた。

 

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「くっくっく……あーっはっはっはっはっ!」

 

 桔梗が劉焉と呼んだその男は呵々大笑した。

 

「なぜ……、なぜあの御方がここにいらっしゃるのだ! 亡くなったはずではなかったのか!」

 

 桔梗さんが大きく動揺する。そして、彼女が劉璋のことを説明していたときのことを思い出した。劉焉、彼は劉璋の父親で、すでにこの世を去っていたはず。桔梗さんが驚くのも無理はなかった。

 

「よぉ、桔梗。久しぶりだな。そこにいるのは紫苑だな。お前ら、わざわざこんなところまで御苦労なこった」

 

 にやにやと悪意のこもった笑みを浮かべながら、劉璋は言った。低く何やら底知れぬ圧迫感を醸し出す声。驚いたことに、劉焉は彼女たちを真名で呼んだのだ。

 

 しかし、俺を一番驚かせたのは彼ではなかった。

 

 彼の足もとに立っている一人の少女であった。

 

 山であった桜色の髪を持つ少女。

 

 あのときと同様にその表情には何も映さず、目の前にあることに、自分が置かれている状況に何の関心も持たないような瞳。どこまでも深く、どこまでも暗く、そしてどこまでも無。

 

「ふん、そこの孺子が天の御遣いか。竜胆も大概使えん。余計なことまで口にしようとしやがって。せっかく始末してやろうと思ったが、とんだ邪魔が入った。まぁいいか。どうせお前らはここまでだ。ついでに事の真相を教えてやるよ」

 

 そのまま下にいる少女の頭を乱暴に掴む。

 

「これが劉璋、俺の可愛い愛娘だ。って言っても、こいつには意思なんてもんはありはしないけどな。俺が南蛮から招き寄せた術師の手によって、俺の言うことしか聞かないただの人形だ。これのおかげで俺は自由に動くことが出来たからな。俺自身を死んだことにして全部をこれの責任にすればいいんだからな」

 

「……お前の目的は何だ?」

 

「決まってんだろ。俺は俺の国を造る。俺のためだけの、土地も民も兵士も将も全てが俺のために存在する国。俺の理想の国家を造るためだ。これはそのための生贄だよ」

 

 愛おしそうに劉璋の顎を撫でる劉焉。

 

 ぎりっと奥歯を噛み締める。怒りが腹の中で煮えたぎる。自分の強欲のために、この益州を、益州の民を、そして自分の娘までも道具として見なし、これ呼ばわりするこの男に。

 

「話はここまでだ」

 

 劉焉は話すことに飽きたようにため息交じりにそう言い、右手を上げた。それを合図に玉座の間から大勢の兵士どもが殺到し、俺たちを包囲した。

 

「あぁ、勘違いすんなよ。こんな雑魚どもでお前らを殺せるとは思ってない。これは単なる時間稼ぎだ」

 

「…………」

 

 劉璋の台詞を黙って聞いたまま考える。こいつは予想以上に狡猾な人間だ。わざわざ自分の死を偽ってまで行動する人間。これまでの出来事、読めなかった思惑について頭を巡らせる。

 

「まさか……」

 

「ほう。御遣い様よ、頭の働く孺子じゃないか。その通りだ。どうして、わざわざ俺がお前たちをここまで来させたと思っている? どうして成都にこれだけしか兵士がいないと思っている?」

 

 それだけで十分だった。竜胆から情報を得ながら、どうしてこいつが俺たちに対して迎撃もせずに、ここまで通したのか。ここを守るはずの益州の正規軍は今、どこで何をしているのか。

 

「お前たちをここで殺したところで大した面白みもない。だったら、その目に見せてやるよ。お前たちの大好きな永安の民が無残にも殺されるところを」

 

 これまで以上に悪意のこめた笑みを見せると、その場から立ち去ろうとする劉焉。

 

「そうだ、竜胆。お前は約束を違えた。これとともにそこで果てろ」

 

 振り返りざまに劉璋の手を掴んでこちらまで投げ飛ばした。劉璋は一切声を発することなく、ただ黙って俺たちの前で倒れた。

 

「そ、そんな! 劉焉様!」

 

「永安で待っているぞ、愚かなる反乱軍の諸君」

 

 そして、劉焉はその場を後にした。

 

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「くっ、まさか永安が狙いであったとは!」

 

 桔梗さんは焦りを露わにしてそう言った。まさかの展開、真の黒幕は劉焉であり、全てはあの男の手のひらで踊らされていたに過ぎないという事実。

 

 いくら桔梗さんや紫苑さんが益州を代表する猛将と言えど、この数の兵士の相手をするにはそれ相当の時間がかかってしまうだろう。特に体力を使い果たした俺や竜胆、怪我を負ったねねをかばいながらの戦いでは。

 

 刻々と時間は過ぎていく。俺たちがこうしている間にも永安の危機は確実に迫っているのだ。無駄にする時間なんてこれっぽっちも残されていない。

 

「…………どいて」

 

 そのときであった。劉焉は勘違いをしていたのだ。どれだけ兵士がいようと、それは時間稼ぎにも使えない。例え三万の軍勢が相手でも、俺の横にこの人がいる限り、行く手を阻むことなんて出来ないんだ。

 

 大陸最強の武人、飛将軍、呂布がいるのだから。

 

 まるで竜巻でも起きているかのような有様だった。恋さんがその腕を振るうだけで、その場にいる兵士たちは一斉に吹き飛ばされる。これが彼女の武。誰であろうと、彼女を遮ることなど不可能なのだ。

 

「…………死ね」

 

 一切の情けもなく彼女は兵士たちを切り裂いていく。これは文字通りの意味だ。深手の傷を負うとかそんなレベルの攻撃ではない、恋さんの斬撃を受けた人間は上半身と下半身、首と胴体を切り裂かれていくのだ。

 

「…………ねねを傷つけた。許さない………!」

 

 あぁ、ねねを傷つけられたことに対して怒っているのだ。彼女はもう大切な人も失いたくない。すなわち、もし自分の大切な人を傷つけようとする者が現れれば、容赦なく叩き潰すだろう。

 

 劉焉、お前の手のひらでただ踊らされているだけではない。

 

 お前の好きにはさせない。

 

 あらかた兵士たちを撃破したあと、怪我をした竜胆とねね、それから劉璋を背負い、城の外へと向かう。急がなくては。一刻でも早く永安に向かわないと。

 

 兵はいつから永安に向けて発ったのだ?

 

 どのくらいの規模の軍が向かっているのだ?

 

 もう攻撃は開始されているのか?

 

 悪い考えが次々と脳裏に過るのを必死に抑えながら、俺たちは出口に向かう。

 

 その道中。

 

「竜胆、詳しいことを話してくれないか? お主はどこまであの御方について知っているのだ?」

 

「……私も真実を知ったのはごく最近だった。最初は私も御主人についていきたかった。だけど、あの男は劉璋様を人質にしたのだ。私が反乱軍を裏切らなければ、劉璋様を殺すと脅された。私はあんな悲しい瞳をした少女をむざむざと殺させるわけにはいかなかったのだ」

 

 桔梗さんの質問に、顔を伏せながら答える竜胆。彼女は成都の路地裏に住む子供を保護してきた。その瞳に彼らと同じような闇を持つ劉璋を放ってはおけなかったのだろう。

 

「御主人と戦いながら、この人なら劉璋様を救えるのではないかと思った。この人ならば、あの娘を解放することが出来るのではないかと……」

 

「だから、わざと負けるように戦ったのか……」

 

「……私は最低だ。皆を裏切り、傷つけた。私さえいなければねねも怪我しなかった……。桔梗、もう無意味かもしれないが、私を斬ってくれ。これ以上、恥を晒して生きたくはない」

 

「勝手なことを抜かすな!」

 

 俺は竜胆に怒鳴っていた。

 

「御主人……」

 

「ここでお前を斬るのは簡単かもしれない。だけど、残された人たちはどうなる? お前には守るべき家族がいるんだろう! 大切な家族がお前を待っているんだろう! 二度とあんな子たち生まないために俺たちは戦ってきたんだろう! それにお前が死んだら、ねねは何のために怪我をしてまでお前を助けたんだ! お前が死んだら、誰がこの劉璋を守ってあげられるんだ! 生きるのが辛いなら、これ以上恥を晒すのが屈辱なら、俺たちのために生き続けろ! それがお前の義務だ! 反乱軍の将として、それを裏切った者としての、な。」

 

「御主人……、済まない。ありがとう」

 

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 俺たちは道の途中で、俺たちを先に行かせるために残った焔耶を拾った。いくら雑兵相手だったとは言え、さすがに数が多かったのだろう、満身創痍で意識を失っていた。

 

「焔耶……、良かった」

 

 焔耶が無事であったことにほっと胸を撫で下ろしたが、休んでいる暇などない。いくら急いでも急ぎ足りないくらい、事態は逼迫しているのだから。

 

「桔梗さん、劉焉とはどんな人物なんですか? 桔梗さんたちの真名を口にしていましたし……」

 

「あの御方は、簡単に言えば天才の名をほしいままにした御人だ。時代が時代なら、まさに天下を取っていた人であろう。若かりし頃から、その才能を遺憾なく発揮し、中央で名声を得てから、自ら、当時治安の悪かった益州の州牧を志願し、またたく間にそれを制圧した。儂もその器に惚れ込んだ身での……。まさかあの御方がこんな事をするなんて」

 

 桔梗さんも紫苑さんも真名を託したってことは、きっとそのときは立派な君主だったのだろう。だが、何があったのかは知らないが、今の劉焉は紛れもなく暴君と化している。何としても止めないと。

 

 城から出て、外に待機している詠や雅と合流し、これまでの経緯を手短に説明した。

 

「詠、永安はどのくらい保つ?」

 

「うーん、相手の規模が分からないから何とも言えないけど、はっきり言えば、それほど長くは無理よ。いくらボクが防御策を講じてきても、将がほとんどいないんじゃ、士気も保てないだろうし……。それにしてもやられたわ。まさか、劉璋を囮にして、永安を狙うなんて。軍師としてそれを見抜けなかったわ、ごめん」

 

「それも劉璋が傀儡だったから成り立つもの。お主の責任ではない。それに今は時間を一時も無駄に出来ぬ。紫苑、永安には誰が残っている?」

 

「孟達ちゃんを念のため残してきたから、多少の侵攻は防げるとは思うけど、それでもやっぱり長くはもたないでしょうね。あの子、優秀ではあるけれど、精神的に弱い面があるから、急がないとまずいわね」

 

「永安には速さを重視して騎馬隊のみで先行しよう。俺と桔梗さん、紫苑さん、恋さんで騎馬隊を率いて、永安に急行しよう。兵数は足りないかもしれないけど、何とかするしかない。竜胆と雅は歩兵を率いて後から来てくれ。詠、お前は成都で負傷者の治療と民の慰撫を頼む。もしものときを想定して兵も一部残していくよ。これで大丈夫かな?」

 

「問題ないでしょう。時間はありません。儂らは発ちましょう。詠、ここは任せた。何かあれば広州に伝令を放て。必要な人材は残っていよう」

 

 俺たちは騎馬隊のみ二万騎を率いて永安に向けて出発した。紫苑さんは何も言わなかったが、永安には璃々ちゃんも残っているのだ。絶対に阻止しなくてはならない。

 

 璃々ちゃん、永安の民たち、待っててくれ。

 

 必ず間に合ってみせる。

 

 必ず救ってみせる。

 

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 その頃、永安では……。

 

「……様! 大変ですよ! なにやらどこかの兵がこの街に向かっているそうです! ど、どうしましょう! 早く逃げなくちゃ!」

 

「……、詳しく話してくださるかしら?」

 

 市の茶屋にて優雅に座っていた女性は、供の者から話を聞くと、静かにその場から立ち上がった。そして、何も言わぬまま城に向かって歩き出した。

 

「ちょっ! ……様、どうするんですかー!?」

 

「決まっているでしょう、……さん、この街を守るのです」

 

 その瞳には静かな、だが確固とした覚悟を湛えて。

 

-11ページ-

 

あとがき

 

第二十八話をお送りしました。

 

いや、どうしてこうなってしまったのかは作者にも分からないのですが。

 

これまで散々引っ張ってきた劉璋の正体です。

 

実は劉焉が陰で糸を引いていました。

 

これまであった敵の思惑も全ては永安を壊滅させるための策だったのです。

 

広州に兵を差し向けたのは、自分は反乱軍の情報を握っていると示し、その後何もしなかったのは、すぐにでも成都に侵入させるため。

 

後は台詞にあるように、城に招き寄せて時間を稼ぐために竜胆をそこで戦わせたのです。

 

全て劉焉の思惑通りだったわけですね。

 

それから竜胆と一刀の戦闘についてですが、一刀は物語でこれまで触れているように、武に関しては焔耶程度の実力です。

 

それでも竜胆と対等に戦えたのは、竜胆が実力を出さずに戦っていたから。一刀も最初は戦闘に必死で気付かなかっただけですね。

 

いや、いろいろと文句やら突っ込みを言いたくなるような内容だとは思いますが、そこは我慢していただくと幸いです。

 

それからここ二、三話で一刀と紫苑さんの間にいろいろと展開がありましたが、それについては反乱編終了後に描きたいと思います。

 

次回は反乱編最終話。

 

一刀たちは間に合うのか?

 

永安で待つ者とは?

 

誰か一人でも面白いと思ってくれれば嬉しいです。

説明
第二十八話の投稿です。
益州反乱編も終盤です。もはや何も言いません。駄作製造機にはこんな展開しか書けぬのです。納得いかない方も多くいるのかもしれませんが、どうか寛大な心を持って御覧ください。相変わらず言い訳はあとがきにて。次回で反乱編も終了となります。

コメントしてくれた方、支援してくれた方、ありがとうございます!

一人でもおもしろいと思ってくれたら嬉しいです。
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コメント
シグシグ様 最後の人物に関しても物語の中で少しながら語られています。さて一体誰なのでしょう。反乱の終結、この物語の大きな区切りですね。勿論、これまでの作者の妄想を垂れ流すだけの駄文ですので、期待はあまりしないでください。(マスター)
320i様 読者の皆様を少しでも裏切る展開であれば嬉しいのですが。これまでの伏線回収といったところです。恋は存在が若干薄かったですが、ここぞとばかりに活躍しますね。(マスター)
砂のお城様 新の王莽とはまさしくその通りですね。台詞が若干小物くさいのがまた作者の好みです。最後の人物ですが、この人物の評価を巡って賛否両論になりそうで、すこしながら怖いところです。(マスター)
淫獣ヒトヤ犬様 春蘭は確かに自分の力を過信していますが、過信するに足る実力も備えていると作者は思います。まぁ脳までばっちり筋肉なのでプラマイゼロと言ったところでしょうか(笑)(マスター)
最後に出てきたのは誰だか気になりますね。次回がどんな締めくくり方をするのか楽しみです。(シグシグ)
4Pの文章を参照するに春蘭は自分の力を過信しているということですね(ギミック・パペット ヒトヤ・ドッグ)
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