真・恋姫†無双異聞〜皇龍剣風譚〜 第十三話 BLACK DIAMOND 
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                            真・恋姫†無双〜皇龍剣風譚〜

 

                            第十三話 BLACK DIAMOND

 

 

 

 

 

 

「あれェ?饕餮(トウテツ)じゃねェの?」

 有機物の様に妖しく蠢く壁に囲まれた廊下を鼻歌交じりに歩いて来た窮奇(キュウキ)は、正面から歩いて来た漆黒の鎧騎士に向かって、馴れ馴れしく話しかけた。

「窮奇……?珍しいな。貴殿が、こんな所に顔を出すとは……」

 

 饕餮が、兜の下の端整な眉をしかめて窮奇の猛虎の顔を見返すと、窮奇は喉を鳴らして、大きな口を歪めた。

「ハハ!そりゃあ、お宅さんもだろうよ?最も―――俺様はただ興味が無ェから来ねェだけだが、お前は色々、来たくねェ事情があんだろ?」

 

「そんな事はない……。私も門外漢ゆえ、足を運ぶ機会が無いだけだ。だからこうして、呼ばれれば素直に出向きもする」

 饕餮が無表情にそう言うと、窮奇は鼻から息を吐いて、鋭い鷹の爪で、ポリポリと頬を掻いた。

「ま、そう言う事にしときましょ。で、呼ばれたって事は、お前も“あそこ”か?」

 

「そうだ……。どうやら、貴殿も同様のようだな」

「そら、まぁ……。そもそも、俺ら二人が、たまたまこの“研究棟”で行き会うなんて、あり得ねェだろ」

 窮奇は、そう言って肩を竦めて見せた。そう、二人が居るこの場所は、罵苦達の本拠地にある『研究棟』と呼ばれる場所だ。

 

 罵苦の軍勢の中でも、錬金、魔道科学に精通した檮?(トウコツ)が取り仕切っているこの場所では、呪術に特化した中級罵苦たちと檮?が日々、様々な研究、実験を行っているのである。そもそもが現場主義者である饕餮と窮奇が、この場所に揃って足を踏み入れる事などそうそうある事では無かった。

 まして、責任者の檮?と饕餮は犬猿の仲であるから、この二人がこの場所で顔を合わせるとなれば、それはもはや椿事と言っても良いほどである。

 

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「あの女狐、今度は何を企んでいるのか……」

 饕餮は、訝しげに自分の右側―――檮?の研究ラボへと続く廊下へと、視線を向けた。

「さァな……取り合えず、行ってみりャ解んだろ」

 窮奇は一度、饕餮と同じ様に暗闇に眼を遣ってから、『お先にどうぞ』というジェスチャーで、饕餮に道を譲った。

 

「おや、お二人ご一緒でしたか」

 饕餮と窮奇が、自動ドアと言うには些か禍々しい自動ドアからラボに入ると、背中を向けて机で何かを弄っていた檮?が、そう言いながら振り返った。

「おう、そこで行き会ったもんでよ。しかしまぁ、相変わらず“良い趣味”してやがんな、お前」

 

 窮奇は、そう言いながら、鷹の目でぐるりと檮?のラボを見渡した。ある壁には、怪しげな背表紙の魔道書が敷き詰められた巨大な本棚。

またある壁には、ミミズののたくった様な字で書かれたラベルが貼られた、明らかにこの世の物ではない生物の壜詰め。またある壁には、ビーカーやフラスコが所狭しと並んだ薬品棚……。

 

 その有り様は、映画に出て来るマッドサイエンティストの研究室その物だが、唯一つ違う点は、そこに置かれているモノ達は映画の小道具などではなく、それ故に、何とも言えない生々しさと存在感を放っていると言う事だろう。檮?は、皮肉とも賞賛ともつかない窮奇の言葉に妖しく微笑んで言った。

「お褒めに預かり恐縮です、窮奇殿。でも、見るのは構いませんが、触らないで下さいね。危険な物も多いので」

 

 饕餮は、窮奇が「へ〜い」と、檮?の言葉に気のない返事を返して視線を彷徨わせる脇で、無表情に檮?を見つめた。

「それで、何の用があって我々を呼び出したのだ?檮?」

「相変わらず、せっかちですね。貴方は……」

 

 檮?は小さく溜め息を吐いて、机の上に乗っていたアルコールランプに人差指を向けた。すると、芯にふわりと炎が灯る。

 檮?は三脚の上に、透明な液体の入ったフラスコを乗せてから口を開いた。

 

「いえね、前回の実地試験で、有用なデータを多く集める事は出来たのですが、同時に、運用方法や性能にも多くの課題が見つかりまして……。“双魔獣”の完成には、今少し掛かりそうなのです」

 檮?の言葉を聞いた窮奇は、部屋を見て回るのをやめ、不機嫌そうに鼻を鳴らしてから、背もたれを前にして、用意されていた椅子にどっかと腰を下ろした。

 

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「おいおい、それじゃあ何か、檮?。お前、俺らにまだ此処でブラブラしてろってのかよ?冗談じゃねェ、これ以上、食っちゃ寝してばっかじゃ、“狩り”の仕方ァ忘れちまうぜ!」

 檮?は、窮奇の言葉にゆるゆると首を振って言った。

「ですから、お待たせする事になるお詫びに、お二人にちょっとした“憂さ晴らし”を、ご用意したのでございますよ」

 

「憂さ晴らしィ?マジかよ、檮?。そんな事言って、お前の実験体の相手でもさせるつもりじゃねぇだろうな?」

「その様な……まぁ確かに、実験体を用いはしますが……。お二人がお相手では、私の実験体など、ガラクタも同然、遊び相手にもなりますまい」

 

 檮?の言葉を黙って聞いていた饕餮は、小さく鼻を鳴らした。

「成程。要は、お前の“玩具”を使って、北郷一刀と遊んで来いと言うのだろう?で、その結果を、お前に報告しろ―――と」

「えぇ、その通りです。私は、双魔獣の完成を遅らせる事なく実験のデータを得られる。お二人は、双魔獣が完成するまでの無為な時間の無聊を慰められる―――実に一石二鳥だとは思いませんか?」

 

 窮奇は、檮?が喋り終わると、にやりと大きな牙を剥き出しにして嗤った。

「ハン!正直、便利使いされてるみてぇで気にくわねェが、どうせ暇なんだ。俺様は、やってやっても良いぜ?ただし……そこまで言うなら、お膳立てはしてくれんだろうな?」

「窮奇……」

 

 饕餮が、窮奇を窘(たしな)める様に名を呼ぶと、窮奇は肩を竦めて、やれやれと首を振って見せた。

「良いじゃねぇかよ、饕餮。どうせ暇なんだから。お前だって、最近、身体動かしてねェだろ?それに俺様たちも、もうそろそろ北郷一刀とぶつかっといた方が良いだろうよ?」

「……ふん。まぁ、良いだろう……」

 饕餮が、不承不承にそう返事をすると、窮奇は改めて檮?に視線を戻した。

 

「だ、そうだぜ、檮?。……で、俺様たちは何すりゃ良いんだ?」

 檮?は、窮奇の言葉に満足そうに微笑んでから、この場所には如何にも不釣り合いな白磁のティー・ポットを何処からか取り出すと、蓋を開けて、火にかけていたフラスコの中身を勢い良く注ぎ入れた。

「勿論、既に準備は出来ておりますよ。お二方それぞれに……“道具”も、それを使う場所も―――ね」

 

 檮?はそう言って、引き出しから握り拳ほどの小箱を取り出し、蓋を開ける。そこには、黒く輝く大きな宝玉が鎮座していた。

「魏領の南陽を治めている、張繍と言う女が居ます。その者、魏の覇王殿に随分と長い事、懸想(けそう)している様でしてねぇ……。鬱々としたその感情、“これ”を使って解き放ってやれば、面白い事になりそうだと思うのですよ……」

 檮?がそう言いながら取り出した宝玉を見た饕餮が、面白くも無さそうに鼻を鳴らした。

「ふん。大方、強制(ギアス)か誘惑(チャーム)の類を封じたものだろう……下らん」

 

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「そうかァ?俺様は面白いと思うけどねェ……。しかしよォ、檮?。確か、魏の王は“女好き”で有名なんじゃなかったのか?何でまた、そいつには手ェ出さねェのさ?」

「さぁ?私とて、配下を使って、噂の裏を取っただけですからね……。気になるのなら、こちらには窮奇殿が行かれますか?」

 

 檮?がそう言って宝玉を差し出すと、窮奇は少し逡巡してから鋭い爪で宝玉を掴み、しげしげと眺めた。

「良いぜ、俺様が行ってやらァ。で、饕餮の方は何なんだ?」

「はい―――これですよ」

 窮奇が宝玉を眺めている間にティーカップに茶を入れ終わった檮?は、席を立って、壁に取り付けられたレバーを下げた。

 

 すると、ゴゥンと言うくぐもった音がして、壁が左右に割れ、そこに、巨大なガラスの筒を並べた様な物が表れる。窮奇は、透明な液体で満たされたその中に浮かんでいるモノを見て、感嘆の溜め息を吐いた。

「ホント、良い趣味してるぜ、お前……」

「どうも……これらは、双魔獣を素体として作った新たな中級種の“試作品”なのです―――」

 

 檮?はそう言いながら、透明な容器に手を当てた。

「幻想の吸収量に左右されずに長時間の作戦を遂行可能で、尚且つ、今までの中級種よりも高いレベルで性能の安定化を実現する―――と言うコンセプトで作り上げたモノです。前回の戦闘で得られたデータを元に、漸くカタチにする事が出来ました。ただ、カラダの開発自体は、双魔獣の試作品と並行して行ったので、少々、安定性には欠けますが……」

 

「要は、端(はな)からデータ集めの為の、ワン・オフの使い捨てなのだろうが?」

 饕餮が無表情にそう吐き捨てると、檮?は容器から振り返って言った。

「確かに、その通りです。しかし、だからと言って、即ち役立たずと言う訳ではありませんよ?」

 二人のやりとりを黙って聞いていた窮奇が容器に歩み寄り、爪でコンコンと容器を叩きながら、檮?に尋ねた。

 

「全部で五体……か。ベースにした生物は一緒みてェだが、随分と細部の意匠が違うな?」

「流石は窮奇殿―――。この子たちには、それぞれに違う特性を持った内蔵型兵装を持たせてみたのです。今後、ベースとなった生物の能力だけでは、苦戦する可能性が高いですからね」

 窮奇は、檮?の言葉に頷いて、饕餮の方を振り返った。

 

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「良いじゃねェか、饕餮。コイツ等、なかなか面白そうだぜ?データさえ持って帰ってくりゃ、ぶっ壊しても良いってんだから、好きに暴れさせりゃいいんだしよ」

 饕餮は、不敵に嗤う窮奇をひと睨みしてから、溜め息を吐いて首を振った。

「全く、お前と言う奴は……。時々、その性格が羨ましくなるぞ……」

 

「そりゃあどうも。俺様は基本、楽しけりゃ他は何だっていいもんでよ―――で、檮?。饕餮の獲物は、誰なんだよ?」

 饕餮の皮肉に芝居がかったお辞儀を返した窮奇が、顔を上げながら檮?に問うと、檮?は自分の席に戻り、ティーカップを持って中身を啜った。

 

「お二人とも、張三姉妹はご存じでしょう?」

「おぉ。確か、三国同盟のプロパガンダをやってるヤツ等だろ?」

「その通りです―――彼女達は今、河北の周辺を、歌で慰撫して回っているらしいのですよ」

 窮奇は、彼の手には小さ過ぎるティーカップを慎重に爪で摘まみ上げながら頷いた。

 

「成程ねぇ……しかしよ、そいつら、腕の方は大した事ねェんだろ?“新型”五体も投入しちまったら、返って個体別のデータが浅くなっちまうんじゃねェの―――アチッ!」

 窮奇がそう言いながら、茶で火傷をしたらしい自分の猫舌をべろりと口から出して冷ましていると、横で茶を啜っていた饕餮が、カップから視線を上げて檮?を見た。

 

「何か、裏があるのだろう?」

「えぇ……饕餮殿。貴方の本当のお相手は、彼女達の護衛役の方なのです―――窮奇殿、お水をお持ちしますか?」

 檮?は、窮奇がヒラヒラと片手を振ったのを確認した後、再び口を開いた。

 

「その名は、関雲長―――蜀が誇る、黒髪の軍神です」

「あんだとォ!?」

 檮?の言葉を聞いた瞬間、窮奇は今までのひょうきんな表情を引っ込め、椅子を蹴り飛ばす様に立ち上がった。饕餮も、口にこそ出さなかったが、瞳に驚きを浮かべて檮?を見つめる。

 

「ちょっと待てよ、檮?。そう言う事なら話は別だぜ!俺様だって、そっちの方をやりてぇ!」

「まぁまぁ……。先に了解したのは窮奇殿ではないですか。四凶の誇る突撃隊長が、一度口にした言を翻すのは、如何なものかと思いますよ?それに、そちらにだって、悪来・典韋と、虎痴・許緒が居ると言う事ですし、状況によっては、他の魏の猛将たちを誘き寄せる事も出来ましょう。そうそう、悪い話では無いと思うのですが?」

 

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 窮奇は、檮?の弁舌に悔しそうに唸り声をあげると、乱暴に椅子を引き戻してどすんと腰を下ろした。

「ケッ、上手い事言いやがって!しょうがねぇ、今回は、大人しく引いてやんよ……。どうせ、暇つぶしだしな」

「済みませんね、窮奇殿。それで、饕餮殿。策の概要なのですが―――」

 

 腕を組んでそっぽを向いてしまった窮奇を横目に、檮?がそう言いかけると、饕餮は小さく頷いた。

「解っている。以前、河北の辺りに作った方陣の中に誘い込めば良いのであろう?」

「はい。その通りで……。元々、破棄同然に放置していた物ものですし、破られても問題はありませんからね。仔細は、そちらにお任せしますから」

 

「しかし、二面作戦とはねェ。暇つぶしにしちゃ、中々に豪勢じゃねェか」

 機嫌を直したらしい窮奇が、そう言って鼻を鳴らした。本来、罵苦の軍勢が作戦行動を行う際は、四大魔兵団の何れかがメインとなって、他の兵団は、そのバックアップをおこなうか、ノータッチで待機しているかのどちらかである事が多い。

 特に、今回の外史のケースの様に、大戦力を一度に投入しづらい場合は、その傾向が顕著であった。

 

「大方、北郷一刀の情報収集能力と、やつが手に入れた瑞獣の移動速度と範囲の見極めも兼ねて、と言う事なのだろう?」

「まぁ、折角、蚩尤様に軍団の再編をお任せ頂いたのですから、仮想敵の情報は、出来るだけ多いに越した事はありませんからね」

 饕餮が、再び檮?に視線を向けながら問うと、檮?は悪びれもせずに妖しく微笑んだのだった―――。

 

 

 

 

 

 

 南陽郡、宛城の主、張繍(ちょうしゅう)は、城壁の上に登って、黒い雲が広がり始めた空を見遣った。

 天の御遣い、北郷一刀が帰還したとの報を受けてより数ヶ月、彼女の胸のざわめきは、一日たりと納まる事は無かった。理由は実に単純明快。彼女の想い人、曹操孟徳が、再び彼の男の胸に抱かれる所を、嫌でも想像してしまうからだ。

 

 

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 彼女は元々、叔母の張済が南陽郡を攻略した時に、それに付き従っていた部将の一人であった。 ところが、南陽の攻略が完了する直前になって、叔母が流れ矢に当たって命を落としてしまい、その後を継ぐ事になってしまったのである。

 当時、破竹の勢いで領土を拡大していた魏の覇王が、軍勢を率いて彼女の城に降伏勧告を突き付けてきたのは、叔母が死んでから一年ほどが経った頃の事だった。

 

 張繍は、降伏を受け入れた。元より、自分に天下を定める程の器が無いのは解っていたし、軍勢の規模から言っても、万に一つの勝ち目も無かったからだ。

それならば素直に降伏して、現在の領土の支配権を認めてもらった方が、遥かに利口だろうと考えたのである。

 

 結果として、張繍の考えは図に当たった。曹操は降伏を認め、張繍が引き続き南陽を統治する事も認めてくれたのである。―――しかし同時に、思わぬ誤算を抱え込む事になってしまった。

 彼女は、魏の覇王たる少女に恋をしてしまったのである―――。元々、張繍は男に興味は無かった(と、言うより、男との色恋に、だろうか)。

 

 男に恋心を抱いた事も無ければ、男の恋心を受け入れる気になった事も無い。女は何人か知っていたが、それでも、戯れ以上の感情を持って抱いた事は、一度もなかった。

 しかし、初めて曹操に会った時、身体に稲妻が走った。黄金の穂波がうねるが如き髪。深く清い泉を思わせる深碧の瞳。麗しい桜色の唇。小柄ながらも、覇気を漲らせた身体。公平にして高潔な、その立ち振る舞い……。

 

 張繍は、その全てに魅了され―――そして、願った。この少女を抱き締めたいと。己が腕の中で、思うままに乱れさせてみたいと。

 しかし、その願いが叶う事は無かった。曹操は、張繍に真名を呼ぶ事も許さず、宛城に視察に訪れた際も、張繍を閨に呼ぶ事は無かったのである。

 

 本来であれば、男同士であれ女同士であれ、道ならぬ恋であれば、想いを胸の内に秘めたまま終わらせてしまう方が多いだろう。もし曹操が、当たり前に男を愛する女であったなら、張繍の恋心は、胸に秘めたまま、ほろ苦い思い出になっていてもおかしくはなかった。

 だが実際、曹操は女を愛する女だった。彼女の腹心達は、ほぼ全員が、彼女と閨を共にしているのだ。

 

 だから張繍は、曹操と顔を合わせる度に、あからさまに期待を持った眼差しで彼女を見続けた。今度こそは『今晩、閨に来なさい』と、彼女の唇が動く事を願って。

 だが、その願いは、決して曹操に届く事は無かった。曹操は、張繍の熱っぽい眼差しを冷艶に受け流して、ただ微笑むばかりだった。

 

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 張繍は、思い悩んだ。容姿には、それなりの自信があった。魏の重臣たちと同等とは行かないかもしれないが、大きく劣っているとは思えない。年齢だって、客観的にみても、まだ若いと言える範疇(はんちゅう)である。

 想い焦がれ、思い悩み、だが、それでもまだ、張繍は幸せだった。自分は降将だ。ましてや、直接、魏軍に編入された訳ではなく、元々の領地の支配をそのまま委譲された身で、常に魏の本拠地である許昌に居る訳でもない。

 

 となれば、信頼を得るのには時間が掛かるのは止むを得ないにしても、実績を積み重ねれば、いつかは必ず真名を許され、閨に招いて貰えるだろう、と、思っていたのである。

 だがしかし、そんな彼女に、驚くべき報がもたらされた。魏、呉、蜀の三国が同盟を締結し、各国の王と重臣たちが揃って同盟の立役者である天の御遣いの側室候補となり、政(まつりごと)も、都に移って行うと言うのである。

 

 暗く冷たい嫉妬の炎が張繍の身を灼くようになったのは、それからだ。曹操が、他の女を“抱く”のは良い。だが、自分以外の誰かに曹操が“抱かれる”のは、我慢がならなかった。

 それもあろう事か、男の手が、かの麗しい覇王を乱れさせるなどと。実際に、その天の御遣いを見た事もある。

 

 都の本格的な運営が始まる折の祝賀記念行事に、張繍も招待されたからだ。魏の屋敷で会ったその少年は、どこにでも居そうな、ごく普通の少年だった。

 顔立ちは整っている方だが、格別の美男子と言う訳でもなく、神秘的な雰囲気など微塵も感じられない、普通の少年。

 

 だが彼は、張繍より遥かに曹操の近くに居た。玉座の置かれた、大階段の上に。夏侯惇、夏侯淵の大将軍二人によって、曹操と共に護られ、彼女を見下ろしていたのだ。

 少年は曹操を真名で呼び、曹操は、それが当たり前の様に、その声に応えていた。上洛中、屋敷の中庭を並んで歩く姿を見た事もある。

 

 曹操は、張繍がそれまで見た事もない様な顔で、優しげに笑っていた。暫く見ていると、曹操は、驚いたり、眉間に少し皺を寄せたり、溜め息を吐いたり……年相応の少女達と同様に、百面相をしながら、少年の話に聞き入っていた。やがて、中庭の端に辿りついた二人は、少し名残惜しそうに、互いに背を向けて歩き出した。

 

 しかし、少年は暫く歩いた所で踵を返し、曹操の名を呼んで彼女に駆け寄った。曹操が怪訝な顔で振り返った瞬間、少年は曹操の顔を両手で包み込み、その唇を奪った―――。

 張繍の凍り付いていた心臓が漸く動き出したのは、呆然と少年の背中を見送っていた曹操が、ほんのりと赤くなった頬を摩りながら立ち去ってから、暫く後の事であった。

 

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 張繍は、その日の内に荷物を纏め、曹操には、国表で急用が出来たと嘘を吐いて、都を後にした。それ以来、曹操には会っていない。

 北郷一刀が天に帰り、三国の将達が各国に帰還すると聞いた時、張繍は、ここ暫く無かった程の心の安寧を得た。曹操が許昌に帰るのならば、また南陽に視察に来る事もあるかも知れず、自分にも、まだ閨に呼んでもらえる機会があるかも知れない。

 

 何より、夜な夜な、『今頃、曹操はあの男に抱かれているのか』と、悶々とする事もない、と。 だが、その安寧も、僅か三年しか続かなかった。その間、曹操が南陽に視察に訪れる事も、一度も無かった。

 そして、とうとうこの日が―――曹操が、天の御遣いの戻った都に向かう為、許昌を立つ日が来てしまった。

 

 張繍は、鬱々とした気持ちを絞り出す様な溜め息を一つ吐くと、小さく首を振って、城に戻る為に踵を返した。悩んでみた所で、何がどうなる訳でもない、と考えながら。

 その時だった。彼女の背後で、獣の唸り声が聴こえたのは。

 

 

 

 

 

 

「いよォ。姉ちゃん、イイ顔してるじゃねェか……」

 振り返った張繍に、獣は優しげな口調でそう言った。

「ひぃっ……!?」

 張繍が、腰に佩いた剣に手をかけながら、漸く気の抜けた悲鳴にも似た息を吐き出すと、獣は、ニタリと大きな口を歪めて嗤った。

 

「そうビビんなって。俺様の名は窮奇……こんな顔してるが、根は優しくて力持ちの虎さんで通ってんだぜ?」

 窮奇と名乗った獣は、座っていた城壁の縁から飛び降りると、“二本足”で、張繍の前にスタスタと歩み寄って来た。張繍は、獣の背中にある巨大な羽が数枚、風に運ばれて行くのを、意識の端で呆然と見ていた。

 

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「妖物め……この私を宛城の主、張繍と知っての狼藉か!」

 張繍が、ようやっとの思いでそう言って剣を抜き放つと、窮奇はさも可笑しそうに、唸り声を上げた。

「そらそうだ。俺様だって暇じゃねェ……あぁ、いや、暇は暇なんだが、暇つぶしに忙しいってぇか……」

 窮奇はそこまで言うと、自分の言葉を掻き消す様に、鋭い爪が付いた手をブンブンと振った。

 

「兎に角、俺様は、お前に力を貸してやろうと思って来たんだぜ?」

「何だと?この張繍、妖物などに力を借りなばならん云われはない!早々に立ち去るがいい!」

 張繍がそう言って剣を向けると、窮奇は驚いたような顔をして、両手を上げて見せる。

「へェ、そうかい。折角、あんたの大好きな覇王様をモノにする機会をくれてやろうと思ったのによォ。まぁ、いらねェってんなら、しゃあねェやな……じゃ、俺様は帰らせてもらうぜ」

 

「―――待て!!」

 窮奇が、言うだけ言ってくるりと踵を返すと、張繍がその背中に声をかけた。

「あん?何だよ、気が変わったのか?」

 窮奇が、獲物が罠にかかった事を確信した笑みを押し隠して振り返ると、張繍は、剣の切っ先をガタガタと震わせたまま、窮奇を睨みつけていた。

 

「どう言う意味だ」

「どう言うって、そのまんまの意味だぜ?俺様が、魏の覇王を垂らし込む手伝いをしてやるって言ってんだよ」

「そんな事が出来ると?」

 

「当たりめぇだろ。この俺様が、そこらのエセ道士にでも見えんのかよ?」

 窮奇は、疑り深く自分を見つめる張繍に向かって、『さぁどうぞ』とでも言う様に両手を広げて見せた。

 そして、窮奇の身体を彷徨っていた張繍の目線が、その鷹の目を捉えた瞬間、彼女の瞳孔が、死人の様に広がって、光を失った。

 

「バカ正直な姉ちゃんだぜ、全くよ。こんな程度の揺さぶりで、簡単に“堕ち”ちまうんだからなァ」

 窮奇は、失笑とも憐れみとも着かぬ表情を浮かべると、生ける屍の様になった張繍の後ろに回り込み、彼女の両肩に大きな鷹の手を置いて、翼でその身体を包み込んだ。

「なぁ、姉ちゃん。お前、曹操が好きなんだろ?」

 

 窮奇が、自分の翼の中で佇む張繍にそう囁くと、張繍は、胡乱(うろん)な目つきのまま、コクリと頷いた。

「じゃあ、力尽くでモノにすりゃいい。俺様が、その“力”をやるよ……勿論、お膳立てもな。お前は一言、この石に『我、汝と契約す』って、言ってくれりゃ、それで良いんだ」

 

 張繍が、靄の掛かった意識を総動員して目を凝らすと、自分の前に差し出された鷹の足の様な手の中に、淡い黒に輝く、美しい石が納まっていた。それは、あまりに美しくて。それは、あまりに深くて。それは、あまりに禍々しくて。

 

 だから、張繍は―――「我、汝と契約す」―――思わず、そう言ってしまった。瞬間、首の後ろで、窮奇が嬉しそうに吐いた息の熱さを感じた。

「毎度ありィ……これで、あんたは“超人”だ……」

 窮奇のそんな囁きと共に、張繍は額に鈍い痛みを感じて、そのまま意識を手放した―――。

 

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                                     あとがき

 

 

 

 今回のお話、如何でしたか?まさかの、悪役only回再び、になってしまいました。本当は、華琳達の登場まで書くつもりだったんですが、思いの他、バックボーンを語るのに文字数を費やしてしまったので、キリの良い此処ら辺りで、一区切りつけようと思います。

 今回出番の多かった窮奇は、ずっと掘り下げたいキャラだったので、たくさん書けて作者としては大満足でしたwww

 張繍に関しても、女性化に当たり、華琳に謀反を起こす理由付けとか、色々と考えたキャラなので、気に入って頂けると良いなぁと思います。

 さて今回のサブタイ元ネタは、『勇者特急マイトガイン』後期ED

 

 BLACK DIAMOND/パープル

 

 でした。

 個人的に、悪役視点の曲とか大好きなものでwww

 あと、ギターとドラムがギンギンなのも私の好みであります。間奏最高!!まぁ、八割方キャラソンみたいなもんですけどねwww

 興味のある方は、“マイトガイン”と曲名をコピペして動画サイトで検索すれば一発ですので、是非。

 

 では、また次回、お会いしましょう!!

 

説明
どうも皆様、YTAです。
今回のお話は、悪役only回になってしまいました。
アンケートの結果通り、後半は華琳、流琉、季衣ルートに舵を切りましたが、出てくるのは今回の敵役の張繍さんだけです……。
何せ、随分前からバックボーンの設定を考えていたキャラなので、結構書く事が多くなってしまいまして……。
恋姫達の登場は、次回からになります。が、『宛城激戦編』を楽しんで頂く上で、大変重要な回でもありますので、読んでやって下さい。

では、どうぞ!!
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コメント
さむさん 私は、子供心にパープル様やホイ・コウ・ロウが好きでしたねぇ。あの作品のキャラは、本当にみんな立ってて凄いです。張繍さんの振られた理由も、華琳様らしいやつをちゃんと用意してますので、お楽しみに。(YTA)
マイトガインのEDは悪役が輝いてるんですよね。ショーグンミフネとか3枚目なはずなのに妙にかっこよかったなあ。……張?さんが切ないけど、袖にされた理由とかちゃんとあるんだろうなあ。(さむ)
西湘カモメさん 誤字報告ありがとうございます。修正しました。詳しくは言えませんが、罵苦というのは、宇宙刑事の敵組織みたいなもので、たくさんの外史を滅ぼして来ているんです。一刀を宇宙刑事、恋姫世界を地球に置き換えると……?と言う感じですかねwでも、オリキャラオンリーはやっぱりコメ少ないなぁwww(YTA)
やはり悪役サイドの話も無いと、何故こうなったかの部分が分かり難く為りますから宜しいかと。3pの饕餮の最後のセリフは「が」→「か」でないかと。6pのトウコツの「仮想敵」は一刀達で「本当の敵」は管理人か別の勢力がいることを、暗に仄めかしている様な気がしますな。(西湘カモメ)
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