Dog_Fight (後編)
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3.

 

週末の夜0時を過ぎた頃、みたび、リュウは、この練習場に、足を踏み入れた。

週末の夜中、普段なら(政府が雨でも降らせない限り)非番のレンジャー連中でにぎわっている下層街の屋台通りも、今日ばかりはすいていて、店の者は首をかしげたかもしれない。

リュウが足を向けたとき、いつ来ても、さびれていたこの場所が、今夜だけは熱気に包まれていた。

リュウを応援してくれる新入りのサードたちは勿論、上にはファーストがいて、なかなか上に上がれないセカンドの連中や、見世物気分で指笛を鳴らすファーストの幾人かが、練習場をぐるりと取り囲むにわか作りのギャラリーに参加している。

――サードがファーストに私闘を挑むらしい――、

そんな噂を聞きつけて、数十人のレンジャーが集まっていたが、その多くは、ひまつぶしやただの野次馬なのだろう、とリュウは思った。

幸いなことに、彼らは、ただの観客で、敵ではない。

リュウを潰そうとしている敵は、ただひとり。

ファースト相手に勝てるなどとは、リュウだってゆめゆめ思ってはいないが、念願のレンジャーになってまだ3か月、手足を失って、レンジャーを廃業するようなことだけは避けたい。

いくら相手がそう望もうとも、おめおめと自分のレンジャー生命を譲る気は、リュウにはなかった。

「”ドッグ・ファイト”は、完全に一対一の勝負だ。仲間の援護はないと思え。

剣は刃をつぶしてあるが、油断をすると痛い目を見るぞ。

どちらかがぶっ倒れるか、降参すれば、終了だ。

剣を捨て、両手を挙げて、地面に膝をつけるのが、降参の合図だ、覚えとけ。」

スポーテッドと呼ばれた背の高いファーストは、ここで、いったん言葉を切り、

まるで、市場で売られているディクを品定めするように、頭を引き、にやにやとリュウを見た。

「…それから、今回はローディのために、特別ルールを設けてやった。」

「……。」

「30分の時間制限を設けてやる。30分逃げ回れば、お前の勝ちだぞ。」

いくら小さい町を模した練習場でも、たかだか数百メートル四方の空間を逃げ回れば、たちまち軽蔑をこめた失笑と、怒号を含んだ野次が飛び交うことだろう。

リュウは、無言のまま、肩をすくめる。

「ギャラリーもいることだし、せいぜい、がんばるんだな。

ま、お前じゃ、5分もつか、もたないかだろうが。」

「…努力します。」

リュウは、ぱしん、と、かかとを鳴らして敬礼し、そのままくるりとスポーテッドに背を向けた。

「なんだ、その態度は、8192、」 笑顔を消したスポーテッドは、リュウの後ろから、顔を近づけて声を荒げた。

「…後悔させてやるからな。お前の相棒もだ。覚えとけ。

――今夜はおもしろい見ものになるぞ。」

そうして、スポーテッドは身を離し、リュウの立つ練習場入り口とは、反対のサイドへと歩み去った。

リュウは、練習場にひしめくギャラリーから背を向ける形で、入り口の壁際に向かった。

手にした練習用の剣を、地面に突き刺し、片膝をついて、髪を縛りなおす。

誰が決めたか知らないが、この場所で戦うことになったのは、リュウにとっては、幸いだったけれど。

下を向き、手を頭の後ろに回して、髪を高く結い上げる間も、リュウは目を閉じていた。

どくん、どくん。

こめかみが鳴る音がする。

(お前は、もっと強くなりたい、

誰よりも強くなりたい、と思ってる、だろ?)

ふと、ボッシュの声が、リュウの耳元に蘇る。

夜風に揺らされる金の髪が、目に浮かんだ。

どくん。

リュウの心の中の声が、そのとき、それに応えた。

(そう…。俺は、)

あれほど、わきあがっていたギャラリーの雑音が、突然、リュウの中からかき消える。

(だれにも、負けない強さを、ほしい、と、そう…思った。)

リュウの内側から、しん、とした静寂がやってきた。

(その力で、仲間を、ボッシュを…守りたいから。)

こころを乱さない、不可思議な熱さが、体の奥底から立ち上り、全身をめぐり指先にまで届くのを、リュウは感じた。

静かな、炎のような、力が、体の内側をすみずみまでを照らしていた。

…そうだ。

強さは、自分の内側に、あるんだ。

(リュウ、己を知るのだな。)

夜中の訓練で、ゼノのつぶやいた言葉が、リュウの体内を駆け巡る。

自分を知れば、自分の中にある力を知れば、

おのずから、強さを知ることになる、と。

ゼノの言った意味が、ようやく、リュウにもわかった。

打ち負かされて、倒れても、

でも、俺はもう、自分に負けることもないんだ。

動悸が、やんだ。

やがて、目を開き、息を吐いたリュウは、剣を手にとって、振り返る。

ゆっくりと競技場と化した練習場の中央へと歩き出すと、

激しいシャワーのように、人々の歓声が高まって、リュウを包んだ。

さっきまで暗く半分に落とされていた、ライトが、天井から、地面から、強く白い光で、リュウを迎えた。

どくん。

けれど、なぜか、ふたたび、リュウの胸が、一度だけ、高く鳴った。

競技場は、狂ったように、沸き返る。

リュウのいた入り口とは反対側の競技場の端に、リュウの対戦相手が、姿を現した。

背後からの強いライトに照らされて、虹色の光と、くっきりとした残像が、リュウの眼に焼きつけられる。

残像の影の中に、ねめつけるような、青い瞳と、金の髪が、見えた。

強い意志に固められた表情を縁取る金の髪は、、強すぎる光に焼かれた金属のように、無機質に白く輝いていた。

 

 

 

 

 いつも同じ方向に向かって、歩いていたはずの相棒が、いま、にわか仕立ての闘技場と化した、この場所の反対側から歩いてくるのを見て、リュウは、呆然とした。

手には、いつものレイピアのかわりに、リュウがいま持っているのと同じ、ごつごつした練習用の剣をぶら下げている。

ボッシュの左側には、はりついたような笑顔を浮かべたスポーテッドが、だらしなくポケットに両手をつっこんだまま、少し後をぶらぶらとついてくる。

リュウのいる位置まであと3メートルというところで、ボッシュは足を止めた。

「悪いな、リュウ。」

そして、リュウがボッシュの手にした練習用の剣に目を走らせたことに気づき、付け加えた。

「この不細工な剣か? お前へのハンデだよ。」

「いったい、なんでボッシュが…。」

ボッシュは、めんどくさそうに、剣を持った手を背中に回すと、手首のふしのところで、首の付け根をとんとんと叩く。

ついで、ブーツの足先が汚れていないか、見下ろして確認しながら、ボッシュは答えた。

「んー…、まぁ、諸事情って、やつ?

お前をやれば、あの件はチャラにするとか、いろいろ…、約束があるんだ。」

「そういうこと。」 スポーテッドが口をはさむ。

リュウは、少しも悪びれずに口にする言葉を理解できずに、ボッシュの顔をまじまじと見る。

「ボッシュ、冗談、だろ…?」

「いや、そうでもない。」 ボッシュが、ブーツのつま先を見て、とんとんと地面にぶつけながら答えた。

「だって、俺たちは…、」

ボッシュが、リュウの言葉をさえぎって、その先をついだ。

「パートナー、…か…?」

その口調に、リュウの目の前が、暗転した。

自分の援護を待たずに、突入するボッシュの姿がリュウの目に浮かんだ。

確かに、最初から、実力の差は歴然としていた。

だけど。

「そうだろ? 違うってのか…?」

「8192、わかるだろ?

ローディの代わりなんて、いくらでもいるんだよ。」

会話を聞くスポーテッドが、にやにやしながら、口をはさんだ。

「それに、このほうが、おもしろいだろ、8192?」

「うるさい。」 ボッシュがぴしゃりと言って、見下ろしていた視線の先をリュウのところまで上げる。

「俺の前に立つ気かよ、リュウ。

…いますぐ武器を捨てて、降参しろよ?」

「おい、それじゃ、約束が違う。」

スポーテッドの方を振り返りもせず、ボッシュは、まっすぐにリュウを見ていた。

リュウは、ボッシュの瞳の中心にある、少し暗い蒼の輪が、カメラのフォーカスのようにすぼまるのを見た。

右手の剣は、抜き身のまま、右斜め後方に差し出されている。

「ふざけるな!」

リュウは、思わず叫んだ。

「パートナー相手に降参しろって?

全然、わかってないよ、ボッシュ。

――そんなこと、死んだって、するもんか!」

ボッシュの目が、へぇ、というふうに見開かれ、2,3度まばたきを繰り返した。

「おもしろいな、リュウ。

でも、それなら、遠慮ナシでいくからさ。」

ボッシュは、きっぱりとリュウに言いわたす

「思い出せよ、リュウ。

全部、お前の、したことだろ?

……悪く思うな。」

ギャラリーの最前列に陣取っていたターニャたちが憤って、ガラスをどんどんと叩く音が聞こえる。

それがさらに、周囲からの遠慮のないやじや、無責任な歓声を呼び起こす。

スポーテッドが後ずさりして、ふたりのそばから離れながら、観衆に向かって、ぐるぐると手を回した。

本気なのか?

剣を半ばまで持ち上げて、用心深く身構えながら、それでも、ボッシュの右手を見つめるリュウの瞳は揺らぐ。

湧き上がる歓声をかき消すほどのけたたましいブザーとともに、壁面に残り時間が表示され、戦闘の開始を知らせる赤いランプが灯った。

 

 

 

30:00

 

慣れない武器の重みを確かめるように、一度剣を後ろに振りながら、ボッシュが、リュウに向かってゆっくりと歩きはじめた。

レイピアで闘う姿はよく知っているけれど、リュウは、剣を使うボッシュを見た覚えがない。

その重みに、いつものスピードが殺がれてくれることを、リュウは祈った。

リュウの前に立つと、ボッシュはためらうことなく剣を振り上げ、そのまま、殴りつけるように振り下ろした。

がしん。

リュウがあわてて、目の前に持ち上げた剣が、ボッシュの刃を受ける。

ボッシュの表情には、少しの揺らぎもない。

手加減を加える気もないらしいことが、一撃の重さで、リュウにもじゅうぶん伝わった。

ガラスの向こうのギャラリーの歓声がここまで聞こえてくる。

リュウの背中が、じんわりと、熱くなる。

力任せに相手の剣を押し返し、すぐにリュウは、後ろへ飛びのいて、ボッシュとの間合いを保った。

ボッシュは少しも急がずに、ひゅん、と一度後方に剣を振り、ゆっくりとまた近づいてくる。

リュウは、ぐずぐずせずに、すぐに動いた。

一か八か、右手にある一番近い建物の中へ駆け込む。

ボッシュは、リュウが向かった先にけだるそうに顔を向けて、リュウを走らせるままにした。

すぐさま、むきだしのコンクリートでできた構造物の階段を駆け上りながら、リュウは、考える。

(いくら慣れない重い剣だといっても、速度と技術で、

ボッシュには太刀打ちできない。

でも、パワーと体力は確実に俺のほうが勝るはず。

袋小路に追い込まれなければ…、

なんとかボッシュの油断する隙がめぐってくれば…。)

ボッシュといま、まともに斬りあうよりも、

遮蔽物を利用しつつ闘うほうが、自分が勝つチャンスは増えるはずだと、リュウは考えた。

4階分の階段を駆け上がり、リュウは建物の屋上へと出る。

建物の屋上から、この訓練所の全景を見渡して、リュウは、記憶の中の地図が間違いないことを確かめた。

 幸いなことに、この場所で何度も訓練を繰り返していたリュウの頭の中には、それぞれの構造物の高さと位置がしっかり叩き込まれている。

 一辺が数百メートルの四角い訓練所には、ビルを模して建てられたコンクリートの構造物が一辺に4つずつ、計16棟あり、その廃墟の群れの真ん中に、ほかの構造物より頭二つ分ほど高い建物が1棟、監視塔のように、突き出して建っている。

 全部で17棟の構造物でできた”街”のまわりには、”通り”と呼ばれる広い通路が四角く取り囲み、通りの外側の壁面にとりつけられた強化ガラスの向こうから、無責任な観衆が、いまもリュウたち2人をやじっているはずだ。

 建物と建物の間にある”路地”は、場所によっては人ひとりしか通れない狭いつくりになっていて、その場所に追いこまれれば、動きを封じられて、確実にリュウの不利になるだろう。

 いまリュウのいるのは、その”通り”ぞいにある建物の屋上だった。

念のため、屋上の端から、いまさっき2人が切り結んだ”通り”を見下ろしてみるが、ボッシュの姿はもうない。

 相棒を引き離して、ほっとしたのはほんのわずかの間のことで、すぐに相手の姿が見えない不安のほうが大きくなる。

  4階分の高さの壁面にそって、下から上がってきた風が、リュウの頬をなでる。

 リュウは、そのまま大きく数歩下がり、約3メートル離れた隣の建物の屋上へと駆けてゆき、虚空に向かって大きくジャンプした。

 

すたん、とリュウは、次の建物に着地すると、勢いをそがずにその屋上を駆け抜け、さらに次の建物の屋上へと飛んだ。

数メートルの幅を跳躍し、足がついたあとで、リュウは背後を振り返る。

いまリュウのいた建物にも、その前の屋上にも、ボッシュの姿は見えない。

”街”の角に当たるその建物の上で、リュウは進行方向を右手へと変えて、さらに離れた次の建物へと飛び移るかどうか、思案した。

決断が遅れたのは、一瞬のことだった。

リュウの左手、階下への階段に通じる四角い穴から、この屋上へと走りこんできたボッシュが、加速をつけて、リュウを薙いだ。

ボッシュの大振りな動きに、とっさに風の流れを感じ、リュウはその一撃を避けて、後ろにとびすさった。

そのまま止まることなく、リュウのいた場所へ右手から回りこんできたボッシュにはばまれて、もう隣の建物には、飛び移れない。

迷うことなく、リュウは、いまボッシュが出てきた階段へと走りこむ。

10段の距離を一跳びで、大またに駆け下りる。

落ちている、といったほうが早そうだ。

建物を模しているとはいえ、この構造物の内部には壁紙もなければ、照明もない。

むき出しのコンクリートの壁面に窓のようにうがたれた四角い穴からの外光だけを頼りに、あちこち欠けてくずれた階段を踏み外しながら、リュウは建物の出口へと急いだ。

3階分の距離を駈け降り、"通り"に面した出口を目の前にすると、リュウは建物を出るのをやめ、いま降りてきた階段の左手の壁面に身を潜ませた。

背中につけたコンクリートが、リュウのほてった背中を冷やす。

呼吸の音を止めるのに苦心するリュウの耳に、カン…、カン…、カン…、カン…、と、ゆったりとした間隔で、壁に金属を打ち付ける音が、次第に近づいてくるのが聞こえた。

訓練用の剣で、壁面のコンクリートを叩きながら、ボッシュが少しも急がずに、ゆっくりと階段を降りてくるのだ。

身を潜ませてその音を聞いていると、さっき、屋上でも感じた強烈な違和感が、リュウの中に沸き起こってきた。

背中をぞわり、となであげるような強烈な感じがした。

(これは…何だろう?

この感じ…、なんて、いうんだ?

そうだ、既視感…て、いうんだっけ……。)

自分は、確かに、いまのこの情景を知っている。

この場面を、どこかで、見たことがある、そんな確信がリュウを目覚めさせる。

リュウは、自分の感覚を確かめるため、階段の影を出て、目の前にある建物の出口から、外へと飛び出した。

 

 

 

 

17:00

”通り”へと出たリュウは、すぐ右に折れて、ふたりのいた建物と隣の建物の間の狭い”路地”へと駆け込み、外壁に身をそわせて、建物の出口からボッシュが出てくるのを、待った。

落ち着いて考える必要があった。

さっき、自分の感じた違和感を、リュウはもう一度、取り出して、確かめた。

強烈に感じた違和感は、この建物の階段を、ボッシュがわざわざ音を立てて、降りてきたこと。

なぜ、そんなことをしたんだろう?

どうして、リュウに、わざわざ自分の居場所を知らせる必要があった?

リュウは、戦闘前のボッシュの態度を、もう一度反芻する。

(ボッシュは、なんと言っていたんだっけ?)

(このドッグ・ファイトが始まる直前に、俺たちは、何を話した?)

(たしか…そうだ、スタート前に、ボッシュは確か、こう言ってたんだ。)

(「思い出せ、リュウ。

全部、お前の、したことだろ?」)

(全部、俺の、したこと…?)

前日の夜に、ボッシュが口にした皮肉が、リュウの脳裏に閃いた。

(「…いくら練習したって、ホログラムの敵の動きを全部覚えてるんじゃ、実戦の役に立つのかよ?」)

リュウは、ようやくその意味に気づいて、はっとした。

既視感のわけに思い当たり、そして、すぐに背後を見上げた。

建物の外壁にある、2階の高さの四角い窓に立っていたボッシュが、剣を振り上げて、路地に隠れていたリュウに向かって身を躍らせてくるところだった。

リュウの記憶の中で、その姿が、ホログラムの敵の動きと重なった。

そう、ここで、一度倒された。

あの夜に、ボッシュがオリジナルで組んだ、戦闘プログラムの中の敵の行動を、リュウはまざまざと思い出した。

すんでのところで飛び降りてきたボッシュの剣をかわしたリュウは、”路地”の奥側へと逃げ、地面へと着地したボッシュと対峙する。

ボッシュは、にやりと、笑った。

「今度は、よけられたらしいな?

…さぁ、走れよ、リュウ。」

ボッシュが、右手を大きく動かして剣を振り、それを見たリュウは、何も言わずにくるりと向きを変え、”路地”の奥へと走りこんだ。

いまは、ボッシュが何を考えているのか、わからない。

でも、リュウは信じた。

あの夜、ボッシュが組んだプログラムの先。

ボッシュがリュウに伝えた、その先を、見るために、リュウは走った。

狭い”路地”を抜け、リュウが向かう先に、”街”の真ん中にそびえ立つ、あの一番背の高い建物が見えた。

 

 

 

 

廃墟でできたこの”街”の中央には、ほかの建物とは頭2つ分ほども高い構造物がある。

その屋上が、前夜に、リュウとボッシュが行き着いた、あの場所。

そこに、答えがあるはずだった。

リュウは、2ブロック分の路地を走り、途中で、右手の路地から駆け込んできたボッシュの剣にわずかに先んじて、中央の広場へとたどり着いた。

やはり、ボッシュは、あの夜のシミュレーションの動きをなぞっている。

それが、からかいなのか、それとも剣と同じようにリュウに与えたハンデのつもりなのか、わからなかったが、

リュウもまた、そのルートからはみ出すことは得策ではないと思う。

もしも、あの夜の敵がボッシュの動きを元にしていたのなら、リュウはあの夜にもう、何度も敗れていたことになる。

それを身をもって体験したリュウは、いまはボッシュの導くコースに乗り、その中でチャンスを待つつもりだった。

ボッシュには、大きな誤算がある。

あの夜のリュウの相手は、疲れを知らないコンピュータのプログラムだったが、いまこの場所を駆けているのは生身のボッシュだ。

持久力ならば、絶対にリュウが勝る。

リュウは、壁に映し出された残り時間を確かめながら、その瞬間――生身のボッシュが隙をみせる瞬間――を、待つつもりだった。

 

15:00

 

かろうじてボッシュを背後に引き離したリュウは、中央の構造物へと、駆け込む。

外観からは7層の建物に見えるこの構造物の中身はがらんどうで、張りぼても同然なつくりになっている。

四角くコンクリートが切り取られただけの入り口から、埃っぽい内部へととび込んで、リュウはすぐに上を見上げた。

コンクリートがでっぱっただけの、手すりのない階段が壁際にそって、ぐるぐると螺旋状に続き、天井には屋上へと通じる四角い穴が、天窓のように小さく見える。

外のライトから差し込む光が、白いすじになって、だんだんとだらしなく広がり、リュウの立っている最下部にまでは、ぎりぎり届かなかった。

見上げた光のすじの経路に、きらきらとほこりの粒子が横切っている。

リュウは、ためらわずに、壁際の階段を上り始めた。

ところどころ壁に開いている窓の前を横切るときだけは、足元の階段もよく見えるけれど、そうでない部分では、踏み外しそうなほど足元が暗い。

右手に剣をもち、左手をときどき壁にぶつけながら、リュウは足元を見ず、上だけを見て、勢いをつけて駆け上がる。

やがて、階段の半分ほどを上ったリュウは、建物の入り口をふさぐボッシュの影を振り返った。

ボッシュは階段の下段に足をかけると、今度は走る速度で、リュウを追いはじめた。

高さがつのるほど、がらんどうの空間では、下からの風が吹きあげて、手すりのない階段を駆けのぼるリュウを揺さぶる。

足元からコンクリートの破片がカラカラと崩れて、中央の空洞を落下する音も、天井が近づくとやがて聞こえなくなった。

四角い壁にそって、几帳面に7度ぐるぐると駆け上がり、リュウはようやく天井に開いた、四角い穴から、上へと抜け出した。

ボッシュは、一階下にまでせまってきていた。

建物の天井の穴から飛び出したリュウは、屋上の中央まで走り出して、そこで振り返り、剣を構えて待った。

 

12:00

 

屋上に開けられた、人ひとり分が通れる大きさの四角い穴に足をかけて、ボッシュがゆっくりと姿を現した。

狭い穴を抜けて上がってきた風が、うすい色の細い髪をわずかに揺らしている。

この場所、あの夜に向かい合った屋上で、リュウとボッシュは、剣を構えたまま、対峙していた。

リュウは、あの日のシミュレーションを思い起こしていた。

あのとき、リュウは、ここで力尽きて倒れ、ボッシュが剣をつきつけたのだ。

(どんな気分だ、リュウ?)

もう、記憶は、役に立たない。

この先のシナリオは、無かった。

 

 

 

 

「ひざまずけよ、リュウ。」

ボッシュは、面白そうに、口にした。

「むしろ、お前はよくやったよ。

けど、ハンデはここまでだ。

もう遠慮、しないぜ?」

「俺も、しない。」

「はぁ? 何言ってる?

わかってないな。

お前がそんな口きける立場かよ?」

「きけるさ。ここで、俺とやり合いたかったんだろ、ボッシュ。」

「は……?」

「お前は俺とやり合いたかった。

でなきゃ、こんな私闘にお前が出てくるわけがない。」

「調子に乗るんじゃない。いい加減に分をわきまえろよ。」

「…試したかったんだろ、俺を。

だから、俺は、剣を捨てない。目もそらさない。

お前には、屈しない。」

ボッシュが浮かべていた笑顔が消えた。

光を通す髪の一本一本が、浮き上がるように揺れた。

「ここまで、馬鹿とはね…。」

瞬時に、ボッシュが動いた。

リュウは、右に動きつつ、左腕を目の前に振りかざす。

だが、ボッシュの剣は、予想した速度を、上回っていた。

ガシン、という金属音と、肩口まで伝わる衝撃が同時にやってきた。

完全にはよけきれず、振りあげた左腕に断ち切られるような激痛を得て、リュウは眉をしかめ、右手の剣を握りしめる。

左腕が一瞬力を失ってだらりとたれ下がり、短い鉄骨が袖口から、下へと落ちた。

さっき階段の脇で見つけて、左袖に隠しておいたものだ。

リュウだって、こんなところで、命や腕を落としたくはない。

「ふん。次は、その右腕にも何か隠してるとか?」

「いや、もうないよ。」

「じゃあな。」

「ちゃんと胴体を狙えよ、ボッシュ!!」

言うなり、リュウは動いた。ボッシュは、もう小手先の技を使わず、まっすぐに剣を振り上げて、全力の一太刀で斬り込んできた。

リュウは、落とした鉄骨を左手で拾い上げて、左腕にそわせて持ち、それを盾にして相手の切っ先をそらそうとしたが、もう、間に合わなかった。

鉄骨は斜めにそがれ、右にそらされ勢いの流れた剣を、ボッシュは手首を返して向きを変え、そのままリュウのほうへと戻した。

重い鋼鉄の刀身が、リュウの腹を薙ぐ。

ふしぎと、痛みはなかった。

あれだけ、見えなかったボッシュの動きが、いまはもう、止まっているかのように、ゆっくりになった。

いまのリュウの目には、すべてがスローモーションのように、見えていた。

剣を振りぬいたボッシュのすっきりと伸びた腕。

目を焼く天井のまぶしいライト。

壁に映し出された「05:00」の残り時間。

下から仰ぎ見る、ボッシュの顔が、ゆっくりと遠ざかる。

それが、なぜかとても寂しそうに見えた。

腹をもっていかれて、床に沈みながらも、

リュウは思った。

置いて、いけない。

意識を手放しそうになり、その誘惑を振りほどく。

リュウは、もう一度、既視感を味わった。

それは鮮烈な記憶だった。

誰かが、リュウの背後から、手を添えてくれている。

見えない暖かい手で、後ろからリュウの腕に触れながら、耳元で、誰かがこう言っていた。

(お前は、わかっていない。

これは、お前自身の剣と力なのだよ、リュウ。

私はその使い方を、教えただけだ。

己を知るのだな。

そうすれば、その力は、お前に従うだろう。)

最初の夜に、ゼノが伝えたかったことが、ようやくリュウに届く。

リュウは、左手を右手に添えて、近づいてくる地面に、渾身の力を込めて、手にした剣を、つきたてた。

地面とリュウがつながったかのような、あの瞬間が蘇る。

もう、力から逃げることをせずに、リュウは全身をそれにぶつけ、その身をゆだねた。

リュウの内部にあるものすべてが、床に向けた剣の先の一点にむかって解放され、無限に広がってゆく。

リュウの力と剣が一体となり、切っ先が歓喜に燃えた。

リュウの力を受けとめたコンクリートの床は、淡い光を吐き出して、まるで薄氷のように一気に割れた。

大きな亀裂が閃光とともにボッシュに向かって走り、その足元の土台を奪う。

うすいコンクリートでできた屋上の床は砕け、そこにできた暗い穴がボッシュを飲み込もうとした。

コンクリートに深く剣を挿し込み、そのまま倒れこんだリュウの目の前を、バランスをうしない、亀裂に吸い込まれていくボッシュの腕が横切った。

リュウは剣を捨てて、ボッシュが落ちこんだ穴の方へにじりより、なんとかその服を掴んだ。

ボッシュは、亀裂のふちに左手をかけ、くだけた穴にぶら下がっていた。

裂けた穴の底には、15メートル下にあるこの建物の土台がうっすらと見える。

吹き上げる風が、ボッシュの体を不安定に揺らしている。

リュウは、ボッシュの服を握り締めながら、なんとか腰のベルトに右手をかけ、その体を少しずつ上へと引っ張り上げた。

ぶら下がっていた右腕が亀裂のふちに届くと、ボッシュは腕をてこにして、自分の身を引き上げた。

それは、リュウが両手でボッシュの腰のベルトを握ってひきあげようとしていた、ちょうどそのときだった。

急に軽くなった反動で、リュウはボッシュの腰を抱いたまま、勢いづいて後ろに倒れこんだ。

仰向けになったその上にボッシュの体がおおいかぶさり、リュウは、ボッシュの重みと、動悸とを感じとる。

リュウの上に乗ったボッシュが、左の手のひらをリュウの胸の上に置いた。

「降参、しろよ?」

抱きとめていたボッシュがリュウの胸の上に左手をつき、上半身を起こして、上からリュウを見下ろしている。

ボッシュの右手に握られた剣は一度も離されることはなく、いま、横たわったリュウの喉の左側にあった。

リュウ自身の剣は、さっき走りよるときに捨ててしまって、どこかに転がったままだ。

腹の傷の上に乗られ、息を切らせたリュウの胸の動きが上下して、ボッシュの髪がふわりと揺れる。

はっ、はっと短く息を吐きながら、リュウは微笑んだ。

「いま、どんな気分か、聞かないのか、ボッシュ?」

「どんな気分だ?」

「本気でやりあえて、

――最高に、楽しかった …!!」

リュウの胸の上にかかっていた重みが、ふっ、と軽くなった。

「お前が、ほんとにここまでついてくるとは、ね。

遊びは、終わり。

リュウ。」

顔を上げ、逆光になったボッシュの表情の背景に、残り時間を知らせる赤い数字がさかさまに見えた。

 

00:00

 

すべての数字が揃ったとき、ズン、と、つきあげるような衝撃が、リュウの背中に、ひびいてきた。

つづいて、重いものが裂けるような、轟音。

ボッシュに続いて、あわてて身を起こしたリュウの目の前で、目の高さにあったはずの、遠くのコンクリートの構造物が、次々と視界から消えていった。

地響きと爆発音は、一撃でやむことなく続く。

次々とビルを模した訓練場の構造物が、まるで立つ力を失ったかのように、すべもなく震えたまま、真下へとくずれおちていくのを、リュウは見た。

リュウとボッシュのいる、この建物を取り囲む構造物はすべて、端からその根元を爆破され、垂直に砕けて、震えつつ落ちていった。

2人のいるこの建物をのぞいて、訓練所内部の目で見える限りのすべての構造物が、粉塵をあげてじゅんじゅんに姿を消し、

消えた建物のあった場所には、生き物のように、元の建物と同じ高さにまでせりあがってきた厚い土ぼこりが、やがて高さをあきらめて、

ふたりのいる場所を中心に、波のように静かに外側へと広がっていった。

もともとこの区切られた部屋の中で、頭ふたつ分ほど高かったこの建物のほかは、見渡す限りの構造物が失われ、

リュウは、自分とボッシュがただふたりだけになったかのような気分に襲われた。

轟音と厚い土ぼこりの壁に隔てられて、ガラスの向こうのギャラリーからも、いまは2人の姿がまったく見えないだろう。

「訓練場内の建物に、爆破物を、仕掛けてたのか…?」

「壁の時計と連動させただけだ。

『全部、ぶっこわす』って、言っただろ…?」

リュウは、前日の夜の、ボッシュの言葉を思い出した。

「これで、俺たちに口を出す馬鹿は、もう、いなくなるぜ。」

訓練場全体を見渡せるこの場所に腰掛けて、2人がいるこの高い建物のほかは、すべての構造物がくずれていくのを、ボッシュは、楽しげな、けれどどこかでなにかをあきらめたような瞳で、見つめている。

「ボッシュ………。」

はてを見るようなその横顔を、いままで見たことが無いほど凄絶に綺麗だ、と、リュウは思い、そのまま意識を手放した。

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4.

 

「どうだ、気分は?」

やわらかく、けれどどこか凛とした声に、リュウは、ゆすぶられた。

目を開くと、白い天井の四角い模様を背景に、ゼノ隊長の顔が見えた。

「ここは? 俺…、どうなったんです?」

「医務室だ。肋骨が3箇所骨折しているそうだ。

いまは鎮痛剤が効いているが、しばらくは息をするのもつらいだろうな。気分はどうか?」

ええ、だいじょうぶ…と、答えかけて、リュウはぱっと、目を開いた。

「ボッシュは!?」

「お前の相棒なら、ぴんぴんしてる。」

ゼノが苦笑いを返し、ぽん、とリュウの体の上の毛布をはたいた。

それで、リュウに、すべての記憶が戻ってきた。

「訓練施設は、どうなりました? 怪我人は?」

「施設がどうなったかは、お前も知っているだろう?

怪我人は、お前だけだ。

強化ガラスごしに見ていた、サードの新米たちは、無論無事だった。

あとは誰がいたのか、誰も口を割らない。」

「…すみません…。」

その響きの裏に、何も語れないとわびる意志をかぎとって、ゼノが笑う。

「お前たちが何を隠そうが、何も変わらないさ。

全員、処分は覚悟しているな。」

「はい。」

「明朝、出頭するように。」

「あの、ゼノ隊長…!」

出口に向かうゼノを、リュウは思わず呼び止めた。

「あの、ボッシュは…いえ、施設の破壊については、どうなりますか?」

「お前の、その怪我は、事故によるものか?」

「そうです。」

「ならば、…今回の件は、そういうことだ。

事故が起き、レンジャーが一名負傷。

それ以上に、何か言うことがあるか?」

「いえ、ありません!」

リュウは身を起こして敬礼し、痛みに飛び上がる。

ゼノの表情が、緩んだ。

「お前をボッシュのパートナーに選んだことを、

いまも誤ったとは、思っていないよ。

お前も、ボッシュも、まだ学ぶべきことは多い。」

くるりときびすを返すと、ゼノはもう振り返らずに出て行った。

すぐに、外で待っていたらしい、ターニャとマックスとジョンが、入れ替わりに入ってくる。

「リュウ〜〜〜!」

「お前、死んだかと思ったよ…。」

「大げさだな。」

リュウは微笑んで見せたが、マックスの顔色はいままで見たことがないほど、白かった。

「皆、捕まったの?」

「新米だけ、全員ね。

リュウを心配して、施設内を探し回ってて、見つかっちゃって。

その間に、ファーストやセカンドの連中は皆逃げちゃって、誰一人残っちゃいないんだから。」

笑おうとして、リュウは顔をしかめた。

ゼノの言ったとおり、息をするのも、骨が折れそうだ。

「ガラスの前の建物が崩れたと思ったら、土埃が舞い上がって、何も見えなくなったの。

何が起こったのかとにかくわからなくて、施設内に入ろうとドアのところへすっとんでったんだけど、

セカンドの連中は出口のほうに殺到してくるし、スポーテッドがドアのところでがたがた震えてて、

すぐには入れなかったんだ。

皆んな、あなたが死んじゃったかと思って、ほんとに怖かった。」

「俺たちは、ターニャがとび込もうとするのを、あわてて後ろから羽交い絞めで止めたんだぜ。

それで皆んなで、重装備を用意して入ったんだ。

埃がひどくて、30分ばかり、何も見えなくてさ。

手分けして探すうちに、騒ぎを聞きつけてとんできた部隊に捕まったってわけ。」

「…ボッシュには、会った?」

マックスとジョンが顔を見合わせて首を横に振り、しばらくしてターニャが、いまいましそうに、答えた。

「あたし、見たわ。土煙が一瞬途切れて、あの屋上で、ボッシュがあなたの隣に座ってるのを。

意識のないリュウを、屋上の真ん中へんまでひっぱりあげてた。」

ターニャが、リュウの目を、覗き込んだ。リュウが、黙って、ターニャの目を見つめた。

「…、あいつさぁ。」

ターニャは、いつもの上滑りでもなく、面白がるようすでもない声で言った。

「自分がかわりに出て、あなたがファーストに潰されないように、って思ったのかな?」

「さぁ、どうかな。」

「そうよね、まさか。それじゃ、買いかぶりすぎよね。」

リュウがかすかに笑うと、ターニャがいつもの表情で顔を寄せた。

「ちょっとだけ、見直したみたい。うん、安心して!」

「そんなことより、問題は処分だよ〜。俺たち、どうなるんだ?」

マックスが情けない声を上げ、ターニャに背中をはたかれて咳き込んだ。

「うるさい。リュウがこんな目にあったの、誰のせいよ?

なんなら、全部隊長に報告する?」

「うそ、うそだよ、ごめん。リュウ、早く怪我、治してくれよな。

このお詫びは、なんでもするからさ。」

「だいじょうぶだよ、これくらい、すぐ治る。」

「用事は、何でも、こいつに言いつけろよ?」

ジョンが、頭をこづいたので、マックスは小さな悲鳴を上げた。

そわそわしだしたリュウに、ターニャが気をきかせた。

「じゃ、ゆっくり休んで。また見に来るから。」

「ありがと、ターニャ。」

「ほらほら、行くわよ!」

しきりに、肩をすくめるマックスをはたきながら、にぎやかな連中が出て行った。

ひとりになった医務室は静まりかえり、ぽっかりと穴が空いたような感じがする。

リュウは、胸の前で指を組み、眉をしかめながら、ひとつ深呼吸すると、ベッドから降りて、医務室を後にした。

 

 

 

 

 

 

「なんだ、こっちへ帰ってきたのか。」

宿舎の自室へ戻ってきたリュウの目に、はしごを上った先にある上段のベッドに、所在なげに組みかえられている足だけが見えた。

時刻はもう深夜を回っていたが、ボッシュはベッドの上に寝転んでいるだけで、眠ってはいなかったらしい。

「あぁ、こんな時間だけど、もう目が覚めたから。

どんな処分になるのか、皆んな、気にしてたよ。」

相手の顔が見えないまま、ベッドの上段へ向けて、リュウは続ける。

「おおかた、謹慎か、まぁ減棒処分てとこだろ。」

マックスには、減棒処分が一番こたえるだろうな、とリュウはこっそり思った。

「あの騒ぎは、事故で処理だって、隊長が言ってたけど。」

「表向きはな。あの老朽施設は、もともと、

まもなく取り壊され、作り直す予定だった。

だから、あの場所を選んだ。

すぐに最新型の訓練施設ができる計画さ。」

「ファーストの、スポーテッドは?」

「たまたまあのとき、あの場所を通りがかった、ファーストやセカンドの証言があって、内々に処分されたぜ。

だいたい、あのお遊びは毎年恒例で、隊長だって黙認してきた。

ところが、あいつは、やりすぎた。

それで事故も起きた。そういうこと。

恒例行事もお開きだろう、とさ。」

ボッシュの右のブーツが、左のひざの上に乗っかったまま、ぶらぶらと揺れている。

それを見ながら、リュウが口火を切った。

「屋上で気を失った俺を、ボッシュが、引き上げてた、って、ターニャにきいたよ。

――そうなの?」

「…あんの、おしゃべり女…。」

一瞬ブーツの動きが止まって、ボッシュが上半身を起こし、高さの違うまま、2人の目が合う。

「お前のそれ、肋骨骨折だって?」

「よけきれずにね。」

「ふーん。

しばらくは、息をしても、痛むぜ。」

「ゼノ隊長にも、言われた。」

「楽しみが、増えたな。ま、しばらくおとなしくしてろよ。」

「…いやだ。」

リュウは、目をそらさなかった。

「ボッシュ、俺を置いていくな、なんて

一度でも、俺が、言ったか?

そんなこと、たのんだか?

俺はただ、

ひとりで敵の中に飛び込むようなまねをやめてほしいだけだ。」

「はぁ?」

「…取引の場にひとりでつっこんでいったとき、どれだけ心配したと思うんだよ?

俺の力を認めようが、認めまいがそっちの勝手だ。

でも、俺は、お前に、ひとりで行くな、って言ってるんだ。」

ボッシュがぷいと顔をそらせて、手にしていた書類へと視線を戻した。

それで、リュウは、ボッシュのいる上段のはしごに手をかけて、いつもの調子で体を引き上げようとした。

「……。」

無言で眉をしかめるリュウを見下ろして、ボッシュが顔を向けた。

「ふん、痛むんだろ。」

 

つむじ風のような、目の前の元凶は、いつだって、自分の手にあまるんだ。

けど――。

 

リュウは、きっぱりと顔を上げて、だまって右手を差し出した。

ボッシュが、ゆっくりと、その手を掴み、リュウを引き上げた。

「お前、俺と、…くるかよ。」

「相棒なら、いっしょに敵のところに飛び込んで、闘って、そんなの当然だろ。」

「…ふん、そうだな…。」

「いま、認めたろ?」

「うるさい。調子に乗るな。

お前の腕なんて、まだまだ鍛えて、使い物になるかどうかのレベル、なんだからな。」

リュウがすねて、うなり声を上げた。

ボッシュが、唇の端を引き上げて、微笑んだ。

リュウの手が、ボッシュの腕をぐい、と抱き寄せて、

それでかかった慣れない痛みに、ひゃ、と小さく声を上げた。

ふざけたボッシュが、リュウの両脇に、手をついて、

痛みでにじんだ涙に、顔を近づけてくる。

リュウは、顔を上げて、その熱情を、ゆっくりと、受け止めた。

甘いにおいがする。

「ボッシュも、減棒か謹慎処分?」

「俺が処分のわけあるかよ。事故から、お前を助けたんだから。」

「えぇ、そういうことに、なってるの!?」

「当たり前だろ。”相棒”を助けなくて、どうする。」

 

 

そう、いつだって、俺の手にあまる。

だけど、わかってても、手を伸ばしてしまうんだ。

 

――だって、そういうもんじゃないか?

 

 

リュウは、ボッシュの頭に手を触れて、指をすべる髪を乱暴につかもうとした。

ボッシュが、リュウの後頭部に手を回して、結っていた髪をぱらりとほどいた。

分不相応な願いでも、かまわない。

俺に、手が届くかどうか、

勝負は、まだついていない。

リュウは、やっかいな相棒の手をシーツの上におしつけ、その上に自分の指を重ねて、強く握り締めた。

 

 

END.

説明
ゲーム「BOF5 ドラゴンクォーター」二次創作小説です。レンジャー時代、ボッシュとリュウが本気でやりあう話。後編です。
※女性向表現(リュボ)を含みますので、苦手な方はご注意を。
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ブレスオブファイア ドラゴンクォーター BOF ボッシュ リュウ リュボ 女性向  

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