さとうと瓶とぼーだーらいん
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「暑いですね」

「それを口にするな」

 ありきたりな会話がつい漏れる程度には、頭が冷静さを欠いていた。

 商店街の熱気と元々の気温で零れる汗を拭いながら、隣を見る。

 

 そんな佐藤に比べて、松下一郎は平気そうに見えた。

 

 スーツを着用している松下が言えることではないが、長袖の暑そうな生地を着用している彼も相当暑いはずだ。

 髪を伝って汗が落ちる。それでも顔はいつも通りだ。つまりはしかめ面だった。

 

 特別な用がなければ外に出るよう性格ではない彼が、佐藤と一緒に外に出ているのは気まぐれでも何でもない。家に入れないからだった。

 というのも夏の暑さで生き物が活性化するこの時期、黒光りのする太古の生き物が大量繁殖で不法侵入を果たし、殺すのは可哀想だと判断した松下が忌避剤を改良したまではよかった。

 実際、一匹の残らず出て行ったように思う。しかしながら、同時にこちら側も駆除されかけた。

 その結果、効果が薄れるまでの間、避暑ならぬ避難中なのである。

 幸い、そこまで長時間もつものではなく、二時間程度で元に戻るそうだ。

 

「喫茶店とかがよかったかもしれませんね」

 道で配られていたうちわで松下を扇げば、彼は揺れる髪の下で目を細める。

「無駄遣い禁止だからな」

「珈琲一杯ぐらいならいいと思いますよ」

 喫茶店からしたらそれで粘られるのは迷惑かもしれないが、この異常事態ぐらいは大目に見てくれるはずだ。

 

「……僕は、いや、やめよう」

 

 小さく首を振って、松下は言う。

「涼しいところに移動したいという意味では同意だ」

 ネクタイを緩めながらその声を聞いていると、懐かしいものが目に入った。

「そこに丁度いいベンチがあるので、休んでいきませんか?」

 目的の物と離れたところにあるベンチを示せば、そうだなと松下は頷く。

「あと、少しお待ちいただいてもよろしいですか?」

 

「便所か?」

 

「私が離れるとなると便所しか浮かびませんか、メシヤは」

 確かにそれも一理あるが、いや、風呂まで侵入したこともないではないか。

 自らの思考に否定をくわえ、改めて松下を見た。

 差し出されたうちわを手にとった小さな手を眺めて、彼はふんと鼻を鳴らす。

 

「金魚の糞という意味では便所が似合うだろう」

「おや、家ダニは飽きたんですか?」

「飽きたというより、家ダニ通り越して寄生虫だと思ってな」

「否定できませんねえ」

「否定しろ」

 笑うしかないなと思えば、松下に睨まれた。

 

「否定してしまうと嘘になってしまいますから」

 

 どちらにしろ傍に居るという意味では事実だ。それを否定するということは、離れたいと意志表示することになってしまう。

 

 万が一、そう受け取られてしまってもきっと松下は顔に出すことはないだろう。

 共にした時間はお世辞にも長いとも言えないうえに、彼自身の全てを知ろうと思うこと自体が不可能なことだ。

 

 それでも歩み寄りたい願いはある。だからこそ、できるだけ誤解を生む表現は避けたかった。

 まだ変態だと言われる方がマシだと思える。それでも傍においてくれるというのなら。

 

「せいぜい、帰り道を見失わないことだな」

「今度は迷子になりませんよ」

 これでは旅に出るようだなと思いながら、その場を離れる。

 

 

 目的の場所に進みながら、そうかと気づいた。

 これだけごった返していると、人一人を目で追うのは難しい。

 身長が特別高いというわけでもなければ、スーツの男性の姿などさして珍しくはない。

 

 心配されたのだろうかと思うと浮足立ちそうだが、それはつまり馬鹿だと言われているようなものだ。

 それすらも嬉しいとは口に出さない方がいいかもしれないが、表情ですぐに気づかれてしまうのだろう。

 

 松下は天才だが、誰かの好意に気づく感覚は鈍い。それでもわかるというのなら、余程わかりやすいか、あるいは。

 

「見てもらえているということかもしれませんね」

 

 目的のものを手に戻れば、彼の姿はなかった。

 

 近くを見渡すが、これだけ人がいると探すのは難しい。

 最初の頃は慌てていたと思いながら、ベンチに腰掛ける。現在時刻を確認する。

 十分で戻ってこなければ緊急事態だ。正直、五分でも長いくらいなのだが、うちわが放置されてない現状を考えると攫われたという可能性はないだろう。

 

「便所ですかねえ」

 

 こうやって平静を保てるのも二分が限界だと、松下はきっと知らないのだろうと思う。

 秒針の動きを目で追いながら、きっちり三分。顔を上げると、人混みから見慣れた影が現れるのが見えた。

 

「なんだ、意外と早かったな」

 

 いつのまにか、また汗を流す松下の声は僅かに息を切らしていて、走って来たんだろうかと期待してしまう。

 隣に腰かけた彼からうちわを受け取り、心中で安堵しながら扇げば無造作に手を差し出された。

「やるよ」

 手の上には小袋入りの金平糖が転がっていた。

「どうしたんですか?」

 甘いものが苦手な彼が手に入れたというには、違和感のある嗜好品である。

「もらった」

 その言葉に合点が言って、そういえばこの前の祭りでも同じことがあったなと思い出した。

 

「迷子からですか?」

 

 濡れた手からそれを受け取りながら、口元が自然と綻ぶ。

「だから手を繋げと常々思うがな」

「暑いですからねえ」

「だから、それを口にするな」

 そう言って、佐藤の横に置かれたものに気づいたようだ。

 覗き込むように身を乗り出して、ほんの僅かに罰が悪い顔をみせたが、すぐににやりと笑みを浮かべた。

 

「丁度、喉が渇いていたんだ。よこせ」

 

「よこせだなんて言わずとも、メシヤのものですよ」

 そこまで気遣わずとも傷ついても居なければ、怒ってもいない。

 置いてあった瓶の口を持つと、中のビー玉が転がる音がした。

「少し温くなってしまいましたね」

 

「いや、これでいい。買い直すなんて無駄な事はするな」

 

 手渡された瓶を受け取って開けるのを見ながら、佐藤も手元の金平糖の袋を開けた。

 転がる色彩豊かな星と隣で泡立つ中に沈む球体は、澄んでいるという意味では似ているように思えた。

 

「甘いですねえ」

「甘いな」

「よけい甘くなるからやめろとは言わないんですね」

 見れば、瓶を手にしたまま、松下は目を瞬かせていた。

 

「……失言だ」

 

「失言だったんですか?」

 問いかければ、視線をそらされた。

 照れているのだったらいいなという願望は口に出さないでおく。

 

 口の中で金平糖を舐めていると、隣のラムネもあいまって幼少期が頭をよぎった。

 彼が助けたという迷子の子どもは、松下のことをどう思っただろうか。

 その子どもにとって松下はヒーローであったというのなら、それはとても喜ばしいことだった。

 悪魔よりはその方がいい。

 

「ほら、やるよ」

 鼓膜を緩やかに揺らした声に隣を見れば、瓶を差し出されたところだった。

 半分ほど残った液体が波打っている。

 

「間接キス!」

 

「そこでテンションあがるな、変態が!」

「冗談ですよ、冗談。ええ」

 受け取りながら小さな口を凝視する。

 

 メシヤの口ではありません、瓶の口です!

 

 揺らめく液体の向こう側、泡が昇っている下にはビー玉。

 この炭酸からビー玉を救いだすために、飲んでいるのだとしたら子どもたちはみんな救世主だ。

 甘さは変わらない液体を飲み干し、ささやかな幸せに浸れば、松下が嫌悪感を隠さずに見ている。

 

 正直、照れる。

 

「あっ、メシヤも食べます?」

 いらないと言われると思いながら差し出せば、松下は意外にも手に取った。

 白い色の金平糖を迷いなく選んで、口に放り込む。

 

「甘いな」

「甘いですよね」

 

 しかめ面になるぐらいなら口にしなければいいのに、そうするところがまた。

 

「熱いですねえ」

「熱いな」

 

 わざとらしく肩を大きく落としながら、松下はつぶやいた。

 澄んだ音を立てて、瓶の中をビー玉が回る。

 

 なんだかおかしくて吹き出せば、靴下嫌いの足に蹴られた。

 

 

 

説明
ツイッターで佐藤botを見つけたので、彼にほのぼのして欲しいなと思った結果がこれだよ! botが嬉しすぎて、今日一日のテンションがどうかしています(進行形)
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