【epistula】02
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 感謝します

 

 感謝します

 

 この素晴らしい命を 私に与えて下さった あなたに

 

 この素晴らしい時間を 私に与えて下さった あなたに

 

 感謝します

 

 感謝します

 

 

 

 

 

 ――――ラ・ファエルがこの世を去ったのは、つい先日のことだ。

 あと五十年は生きると言っていた男が生きた残りの時間は、三年にも満たない。

 何の前触れもなかった。突然、襲いかかった胸の痛みにラ・ファエルは倒れ、帰らぬ人となった。

 

「毒虫らしいよ。この大陸には、いないような虫なんだって」

「そうか」

「いま、((風鳴|かざなり))様が調べてくれてる」

「うん」

「煌」

「なんだ」

「泣いた?」

「少しだけ」

「……そっか」

 

 傍らの幼馴染と、丘の上に立つ。

 街を一望できる丘の風は、二人の髪を撫で通り過ぎた。

 

「手紙がね、見つからないんだ」

「手紙?」

「あの人が、家のどこかに残してるはずなんだけど」

「……ああ。物を隠したりするの、好きだったもんな」

「そうそう。宝探しだよーとか言って」

「でも、いつもあっさり見つかったろ」

「だから不思議でさ。読めって言ってたくせに、念入りに隠したみたいで」

「俺も一緒に探そうか」

「うん。そうしてくれると助かる」

「お前ってさ」

「ん?」

「約束は、守るほうだよな」

「約束は、守るものだろ?」

「まぁ、そうなんだけど」

「いつも、あの人が言ってたんだよね」

「? なんて」

「約束は守れって。出来る限り」

「出来る限り」

「そう」

「……おじさんらしいな」

「あ、おじさんって言った。ラーって呼んでって言われてたじゃん」

「……。ほんと、変わったひとだった」

 

 くすくすと笑って、亡き人を語る。

 

 感情がひとつくらいなくても、困ることはないな――――そんなことを思う。

 焔の欠落した感情に、哀れむ人間は多かった。

 本人にとってはどうでもよいことだったが、悲しみを知っている人間には、そうではないらしい。

 不快に思ったことはない。彼らは優しい人間だった。

 哀れむだけ哀れんで、あとは変わりなく付き合ってくれたのだから。

 付き合いが長くなればなるほど、哀れみは消えて行く。

 中には、焔の欠けた部分のことなど忘れている人間もいたくらいだ。

 

「焔、あれ」

「え?」

 

 

 いつもどおりの景色の中、ほんの少し人波が騒がしくなる。

 ざわざわと走り回る人々。そして、見えて来たもの。

 

「煙だ」

 

 墨色の大きな煙の塊が、風に揺れ広がり、空へと登って行く。

 

「火事?」

「…………」

「ねぇ、煌。あの場所って……」

「……! 焔、走れ!」

 

 声に促され、煌のあとを追う。

 街に入るとすぐに、どす黒い煙が視界を覆った。

 それを生み出しているのは、見慣れた屋敷で。

 

「なんで」

 

 焔が父親と暮らしていた場所。

 それがいま、狂ったような炎に襲われている。

 不運なことに、ここは特殊な力を持たない人間が多く暮らしている区域だ。

 すでに火消しの活動は行われていたが、炎の勢いは増すばかり。

 

「この炎、おかしい」

 

 煌が呟く。それは、焔にもわかっていた。

 炎からは、強い魔力を感じる。まだ若い二人には、対抗出来ぬ力だ。

 

「助けが来るまで、せめてこれ以上、広がらないように……――――焔!?」

 

 燃え盛るその中に、焔は飛び込もうと走り出す。

 煌は反射的に腕を掴み、制止した。

 

「死ぬぞ」

「でも、手紙が」

「死んだら読めない」

「このくらいの炎なら」

「いまの俺たちじゃ無理だ」

「…………」

「諦めろ」

 

 冷たく聞こえる言葉も、焔を思ってのことだ。

 そんなことは、わかっている。

 掴まれた腕が震えていたのは、煌の手が震えていたからだろうか。

 いまにも崩れそうな屋敷が、火の粉を散らす。

 風に乗り、近くにいた二人の肌を焦がしながら舞う。

 大人たちが下がるように叫んでいるが、燃え盛る炎の音で、声は届かなかった。

 

「約束、守れなかった。出来る限り守れって、言われてたのに」

「出来る限りならいいだろ」

「いいかな」

「いいよ。俺が許す」

「そっか。……じゃあ、いいよね」

 

 いつの間にか握り合っていた手に、力を込める。

 

「ごめん……」

 

 消え入る焔の声と共に、炎が屋敷全体を包み込む――――その時。

 

「え……」

 

 目を疑う光景が、そこにはあった。

 炎の姿も、火の粉も、確かに変わらずに目の前にある。

 だが、おかしい。

 

「何これ」

 

 景色が止まる。まるで火に包まれた屋敷を描いたかのように。

 炎の音までもが鳴り止み、ざわめく人の声ばかりが辺りに広がっている。

 

「焔の家だったの」

「こんなに近くにいては、怪我をするだろう」

 

 頭の上から聞こえた穏やかな声に、二人は慌てて振り返る。

 

「((影久|かげとき))様」

「帝……」

 

 

 気が付けば、民衆は膝をつき、みな頭を垂れていた。

 慌てて煌が膝をつこうと身を屈めるが、意思と反してその体は浮かび上がる。

 

「必要ないよ」

 

 軽々と持ち上げられ、もう一度、真っ直ぐに立たされる。

 癖のある柔らかな髪に隠れがちな、優しい瞳が微笑んだ。

 

「君たちも」

 

 影久の声に従い、膝をついていた民が静寂を守りながら立ち上がる。

 

「さて、黒曜。抜け出してきたんだし、はやく戻らないと」

「わかっている。……俺の土地で、ふざけた真似をしてくれたものだ」

 

 真っ直ぐに伸ばした腕を、水平に走らせる。

 空気が揺れた。焔も煌も、止まっていた景色が動き出したのだと思った。

 

「炎が……」

「消えた」

 

 確かに、屋敷の時間は動き出した。

 しかしその景色の中に、炎の姿はない。

 目の前には焼け焦げた屋敷が、静かに佇んでいる。

 

「……帝」

「行くぞ、焔」

「え」

 

 何の説明もなく、黒曜は焔を抱えると、さっさと歩き出した。

 唖然とされるがままの焔を見送っていた煌が、ちらりと影久に視線を送る。

 

「大丈夫だよ」

 

 苦笑いながらも微笑む影久に、煌は説明を求めるべきか悩んだ。

 煌の考えていることがわかったのか、影久は手を伸ばす。

 

「煌も、おいで。素敵なものを見せてあげるよ」

 

 

説明
01(http://www.tinami.com/view/261150)の続きです。台詞多いです。[挿絵:ミネ]
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