水渡り
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 のどかな田園風景のなかを歩いていると、はるか東の国を旅したときに見た少女たちのことを思い出す。

 彼の地も田畑に森林、山の連なり、川の流れと湖から成り、道を行けば農耕用の牛馬を引く農民とすれ違うようなのどかな土地であった。

 広大な湖のそばを進んでいると、湖面に浮かぶ飛び石を渡っていくひとりの少女がいた。この地方に伝わる民族衣装だろうか。前合わせの赤い衣や白い衣を重ねてゆったりと身にまとい、赤い帯を締めている。手には先の巻いた細身の杖を持っていた。

 近くには似た衣服を着た同じ年頃の男女がふたりずつ、二艘の舟に乗って漂っている。

 これから何が起こるのか見守っていると、最後の飛び石に立った少女がためらいもなく湖面に踏み出した。

 思わず息をのんだ。彼女が湖にはまったと思ったのだ。しかし、少女はさらに驚かせるようなことを私の目の前でやってのけた。

 彼女は湖面に立っていた。

 細く色白の足が、何事もなかったかのように水の上を渡っていく。

 飛び石から少し離れたところまで来ると、彼女は立ち止まった。すぐに二艘の舟が彼女の背後に回り込み、左右二手に分かれて停まった。

 舟に乗る少年少女たちが、ゆっくりとした動作で楽器を構えた。

 笛、鈴、太鼓。それに見たこともない丸い胴の撥弦楽器が左右に並ぶ。

 顎を引いて目を瞑り、精神を集中させる湖面の少女。

 おもむろに各々の楽器が音を鳴らした。

 はじめのうちはばらばらだった音が、次第にまとまり、ひとつの曲を奏ではじめる。

 すると、水渡りの少女がふわりと跳ねた。

 やわらかく着水するとパシャリと飛沫を散らし、水面を揺らす。

 トン、と石突で湖面を打つ。

 広がる波紋の淵を追うように体を半回転させながら横へと跳躍し、また降り立った。

 彼女は一心不乱に踊っていた。太鼓の律動に合わせて足踏みし、笛の旋律に身をゆだねて旋回する。鈴の音に杖を振り、弦を撥で強く弾けばくるりと軽やかに宙返りをした。

 飛翔するように腕を広げて飛び上がったかと思うと、地を這うように腰をかがめて小刻みに反回転する。激しく動く踊りの陽と、静かに踏み出す舞の陰を併せ持つ不可思議な動き。華麗にもかかわらず清楚で、艶美の内に無垢を垣間見る。相反する在り方が渾然一体となっていて、見ている者の心までうきうきとさせた。

 小柄な少女の躍動に私は夢中でシャッターを切った。レンズ越しの彼女は楽しそうに笑っていた。澄んだ湖面に空の色と雲が映りこみ、まるで天にいるかのような錯覚さえ覚えた。

「ありゃ、また練習しとるのか。熱心じゃな」

 いつのまにかそばに、鍬を担いだ老人が立っていた。

「あれは今度の祭りで豊作祈願に奉納する踊りじゃ。昔はもっと単純な『舞』じゃったらしいが、いまはあのようにほれ、元気よう跳ねて踊りよる。まあ、見とる方もあれのほうが愉快だわな」

 老人はかっかっと大声で笑った。

 演奏は終盤に近づいたのかゆったりとした曲調に変わっていた。

 少女がすっと杖をかざしたかと思うと水面に突き立てた。

 合わせたかのように音がやむ。突如訪れた静寂の中、少女が流れるような動きで深々と頭を垂れた。頭を上げるのにあわせてふたたび曲が奏でられる。

 彼女が杖を突き、礼をするたびに、演奏は途切れまた響くことを繰り返す。

 天に地に、太陽に雲に、田畑に野山に、森林に川に、恵みをもたらすようにと祈りを捧げる。

 最後に岸に背を向け、湖に一礼して踊りは終わった。

 彼女の額には玉のような汗が煌いている。

 この様子なら本番も見事に踊ってみせることだろう。祈りも届くに違いない。

 息を整えた少女が笑顔で湖面を渡る。足を踏み出すたびに水面に映った太陽がゆらゆら揺れた。

 ふと一番の疑問を思い出す。

「そういえば、彼女はどうやって水の上に立ってるんです?」

「うん? ああ、あれか。光の加減でわかりにくいが、よぉく水面を見てみぃ」

 老人に言われたとおり目を凝らす。

 ……なるほど。ようやくその種がわかった。

 水面下ぎりぎりまでせり上がった大きな影が目に入った。

 広く平らな天然の巨岩が、豊穣の神に舞踊を捧げる水上の舞台となっていたのだ。

 

説明
2010年12月28日作。舞(まい)は元来廻ひ(まひ)であり、巫覡(ふげき 女巫子と男巫子=シャーマン)が順旋回および逆旋回を繰り返すことによってトランス状態になるために行った。踊りは跳躍を主とし、舞と区別する。偽らざる物語。あとがきと雑記等、TINAMIでは別アカ禁止みたいなのでpixivに掲載してます。
http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=1213583
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