たいやき屋。 |
私は世間様でいうところの、いわゆる女子高生ってやつだ。
ただし、今時のっていう修飾語が使えるかは微妙。お洒落や流行にあんまり詳しくないし、興味があるのは本を読むことくらい。たまに買っている雑誌はあるけれど、同じものをクラスの子が読んでいる可能性は皆無だと思う。その雑誌がどれだけ珍しいかっていうと、取り寄せを申し込んだとき書店員さんの目が何度も瞬きしていたくらい。
ひょろりと痩せた体に短く切りそろえた髪の毛。これで普段はパンツルックだから、街を歩いていて男子と間違われることもあった。
でも別に、たいして気にしてない。彼氏が欲しいわけじゃないし、自分を可愛く着飾るのに興味はない。今はお金を貯めるのが優先だから、服や小物にお金をかける気になれなかった。
そう、私はお金が欲しかった。勉強をしてお金を貯めて、海外に行きたかった。
ただ海外っていっても、旅行に行きたいんじゃない。留学して、仕事を探して、出来ることなら永住権を取得したかった。
でもどこの国を選ぼうと、良い成績と先立つものが必要なのには変わらない。
進学校で必要最低限な順位をキープしている私にとって成績や内申書は全く問題ない。
兄弟姉妹がなく、親との交流が断絶状態である私には、引き止める人間もいない。
残るハードルはお金だった。
インターネットで留学の諸費用や情報を集めた私は、高校卒業と同時にその計画を実行に移すべく、たいやき屋でアルバイトを始めることにした。
アルバイトを始めた私の、毎日たいやきを焼く日々が始まった。新人に最初から調理をさせるなんて無謀な店だと思ったけど、慣れてみるとこれが案外楽しい。
店長の教え方は大雑把だったけど、生来手先の器用さに自信がある私は難なく仕事を覚えて、二週目には既に殆どの作業を楽々こなせるようになっていた。
後から聞いた話では、今までの人が急に辞めてしまったので、多少の無理は承知の上で調理を覚えて欲しかったらしい。
何故ならこの店は、毎日毎日長蛇の列が出来る人気店だった。
なんと雑誌にも紹介されたことがあるほどの店で、それをクラスメートから聞いた私はかなりびっくりしたものだ。
もっとも、クラスメートからはその事実を知らないことに驚かれた。普段下校途中に寄り道をしない私は知らなかったけれど、クラスメート曰くここは買い食いの定番スポットなのだそうな。
有名店だからこそなかなかアルバイトの空きも出ない、そこで働けるなんてすごい、私も誰々も面接で落ちたんだよ──そう言って羨ましがるクラスメートに、高校生でも雇ってくれる店であることと時給が美味しいというだけの理由で決めたとはとても言えず「たまたま運が良かったんだ」とだけ言って誤魔化した。
わざわざ私の働き振りを見に来るクラスメートに愛想笑いをしながらも、私は毎日忙しくたいやきを焼いた。
バイトの初日に私は、とあることに気づいた。メディアで特集されるくらい人気のお店なのに、一種類だけ売れ残るたいやきがある。その日だけなのかと思いきや、その一種類だけが毎日毎日売れ残る。
それはお好み焼き味のたいやきだった。
閉店間際、売れ残ったお好み焼き味には特価の札をつけて売りさばく。それでも殆ど毎日売れ残る。売れ残った日は必ず、店長がお好み焼き味のたいやきを包んでお土産にしてくれた。
買取じゃなくて良いのかと聞いたけど、無駄にするよりは良いから無料だと言って持たせてくれた。
正直なところ、私は甘いものがあまり好きじゃない。だからお好み焼き味のたいやきを貰うのは、むしろ歓迎だった。これがあんこやクリームだったら幾ら人気があるといっても遠慮したと思う。
家に帰って、お土産に貰ったお好み焼き味のたいやきを一口食べる。
冷めて湿った外皮の中に詰まった、絶妙のハーモニー。キャベツ、芝海老、紅生姜。私が焼いた、お好み焼き味のたいやき。
美味しかった。すっかり冷めてしまっていたけれど、売れ残るのが不思議なくらい、美味しかった。
けれど何故だか食べていて、やるせなくなってきた。
売れ残るお好み焼き味のたいやき。美味しいのに人気のない、お好み焼き味のたいやき。
このたいやきは私だ。
甘くなくて、冷めて湿った体で、それでもきっとたいやきとして買って欲しいのに、興味本位以外で買ってもらえないたいやき。
女の子らしくさがなくて、クラスメートとは上っ面の付き合いしかしなくて、私だって周囲に必要とされたいのに、誰にも必要だと言ってもらえない私。
このたいやきは、私だった。
自分とお好み焼き味のたいやきを重ねてしまってから私は、お好み焼き味を焼くことが苦痛になっていった。
たいやきは基本、種類それぞれの売れ行きを見ながらローテーション組んだ順に焼いていく。そのローテーションにお好み焼き味が入ることはまれだったが、それでも一日に二回は焼く機会がある。
それが辛くて仕方ない。
売れない子を焼く作業は、必要とされない自分を量産しているような気がしてやりきれなかった。
興味本位でたまに買って行くお客の為だけに焼く、お好み焼き味のたいやき。それは気が向いたときにだけクラスメートとの交流を持つ私のようだった。
本当にお好み焼き味が好きで買っていくお客がいるのか。
お客を観察するようになった私は、ある固定客の存在に気がついた。
曲がった腰に小さな体で、毎日ほぼ決まった時間にたいやきを買いに来るおばあさんがいる。
老若男女に人気があるこの店では、年配の人が買いに来るのは決して珍しいことじゃない。
ただそのおばあさんは、必ずお好み焼き味のたいやきを選んで一匹だけ買い、すぐそこのベンチに腰掛ける。そして美味しそうに顔中にしわを作りながら笑顔で食べる。
自前の水筒からお茶を出して飲みながら、ゆっくりたいやきを食べるおばあさんは、心からの笑顔を浮かべていた。
幸せそうだった。おばあさんも、お好み焼き味のたいやきも。
私は毎日毎日、その光景を見るのが楽しみになっていた。いつしか私は、おばあさんがお好み焼き味のたいやきを食べているとき、自分の頭を撫でて貰っている、そんな風に感じるようになった。
誰かに頭を撫でてもらった最後の記憶は、小学校に上がる前。ずっと出来なかった逆上がりを成功したと報告して、両親から撫でてもらったときだ。
誰にも褒めてもらえない私を、あのおばあさんが褒めてくれているような気がした。
何故おばあさんは、こしあんでもつぶあんでもカスタードクリームでもなく、お好み焼き味を選んで食べているのか。機会があれば聞いてみたかったけれど、次から次へとやってくるお客の波のおかげでそんな時間は全くなかった。
けれど暫くして、私が質問を投げる前に、おばあさんは店に来なくなった。
思えば毎日毎日来店していること自体が不思議だったので、そのうちまたひょっこり来てくれるだろうと思いながら、私は胸の奥にぽっかりと空洞が出来てしまったことを認めざるを得なかった。
飽きたのかもしれないし、元々年配の方なんだからたいやきを食べるのが体に良くなくなったとか、そんな理由があるのかもしれないし、近所にもっと美味しいたいやき屋が出来たのかもしれない。
ただ、寂しかった。
しわしわの手でお好み焼き味のたいやきを持って、これが大好きで美味しいのだと全身で言っている姿を見られないのが、たまらなく寂しかった。
あの姿を見ているだけで、毎日毎日お好み焼き味を持って帰っても、宣伝用のポップにお好み焼き味をお勧めできなくても、おばあさんを見ていれば幸せになれたのに。
幾ら待ってもおばあさんは店にやってこなかった。
我ながら身勝手だな、と思いつつもおばあさんを責めずにいられなかった。
おばあさんが私から幸せな気持ちを奪ったように感じ始め、次第に頭を撫でてくれなくなった両親とおばあさんが重なり、いっそもう来なくても良いと思い始めていた。
期待して、裏切られるのなんか慣れてる。ならもうあのおばあさんを心待ちにしたりしない。
どうせ誰も好きじゃないだろうお好み焼き味なんて、毎日売れ残れば良いんだ。
おばあさんがくれたはずの温かい何かが私の中でひび割れていく、そんな気がした。
そうしておばあさんがこなくなって暫く経ったある日。私が会計を担当していると、一人のおじいさんが来店した。
機械的にいらっしゃいませと告げた私に、おじいさんは何故かだんまりを決め込む。
待っていても何も言わないおじいさんに多少イラつくけれど、客商売客商売と心を鎮めてから、私はおじいさんに先を促した。
「ご注文は?」
「お好み焼き味のを、全部ください」
おじいさんの発した言葉に、私は耳を疑った。
あのおばあさんが来店しなくなって以来、更に売り上げの落ちていたお好み焼き味のたいやきを、このおじいさんは全部買うという。
「全部、ですか?」
「はい。今あるだけ全部をください」
「……少々お待ちください」
私は泣きそうになるのを必死でこらえながら、お好み焼き味のたいやきを袋に詰めた。
全部欲しいということは、少なくとも興味本位で食べてみたいんじゃない。おじいさんは、お好み焼き味を選んだんだ。
確かに買ってくれるのはあのおばあさんじゃないけど、間違いなくお前はもう一度お前として必要とされたんだよと、心から叫びたかった。
もう二度とこんなことはないかもしれない。夕方のこの時間、店長の指示がなければもう今日はお好み焼き味のたいやきを焼かないだろう。だから売れ残らないのは、今日だけかもしれない。それが、たまらなく嬉しい。
たいやきの詰まった袋をおじいさんに手渡す。穏やかに微笑むおじいさんの笑顔は、どうしてだかあのおばあさんを思い出させた。
とても勝手な思い込みだけれど、私はそれだけでおじいさんにも頭を撫でてもらった気がした。
「ありがとうございました」
初めてお好み焼き味のたいやきの場所に「完売」の札を置けるのが嬉しくて、私は大きな袋を両手に抱えたおじいさんの背中に、深々と頭を下げた。
お好み焼き味のたいやきが全部売れてしまったのを見た店長が、追加で焼くよう指示する。
今から焼いても売れ残るのが目に見えている私は内心その指示にがっかりしていたが、所詮バイトでしかない私は店長からの指示に逆らえるわけがない。
渋々一列分だけ、お好み焼き味のたいやきを焼く。
焼きあがって「完売」の札を名残惜しげに外し、再びそこにお好み焼き味のたいやきを並べていた私の肩を、店長が叩いた。
振り返ると、店長は並んでいるお好み焼き味のたいやきを一匹手に取ると私に手渡した。
「店長?」
「休憩だろ。これ、折角焼きたてだし持ってっていいよ」
「あ、ありがとうございます」
出来上がったばかりのお好み焼き味のたいやきを手に、私は休憩室へ向かう。
休憩室には珍しく誰もいない。
サービスで飲める温かいほうじ茶を淹れた私は、窓際の席に腰掛けた。
そういえば焼きたてのお好み焼き味を食べるのは初めてだ。家に持ち帰っても、温めなおすのが面倒で冷えたまま食べていたから。
鼻先に漂う香ばしさいっぱいのたいやきを頭からかぶりついた。
「……え」
──こんなに美味しかったっけ。
キャベツと出汁と生地の異なる種類の甘さが混ざって、ぴりっと効いた紅生姜と忘れちゃいけない干し海老のアクセントが飽きさせなくて、ぱりっと香ばしい外皮がそれを優しく包んでる。
味のハーモニーは家で食べるときと同じなのに、何倍も美味しかった。
口の中でたいやきを咀嚼しながら、私は唐突に理解してしまった。
こんなに美味しいたいやきは、私と同じじゃない。少なくとも、今の私じゃない。
お好み焼き味のたいやきは、沢山じゃなかったとしても、その数が少なかったとしても、確実に必要とされている。例え売れ残っても、毎日毎日焼いてもらえる。少しでも買ってくれるお客の為に、売り場に並ぶ。
だから店長も、売れ残るってわかっていても毎日必ずお好み焼き味のたいやきを焼くんだ。
あのおばあさんの幸せそうな笑顔もしわしわの優しい手も、沢山買ってくれたおじいさんの笑顔も全部全部、個性的で美味しいお好み焼き味のたいやきのもので、私に向けられたものじゃない。
クラスでは自分から溶け込もうとせず、親にはどうせわかってもらえないからと話もせず。海外に行きたいのだって、誰も自分を知らないところで一からリセットしてみたいだけの私とは違う。
冷めていても求められて、冷めてなければもっと美味しいお好み焼き味のたいやきと、最初からすべてを諦めていて、新天地での周囲に期待しているだけの私とは違う。
違うんだ。
私は、お好み焼き味のたいやきを見下して、仲間が欲しかっただけに過ぎないんだ。
「……」
現実を認めてしまった私の涙腺が限界に達し、頬を涙が伝う。
なれるだろうか。まだ、間に合うだろうか。
私にも、お好み焼き味のたいやきのようになれるだろうか。
傷をなめ合うように姿を重ねるのではなく、本当の意味でお好み焼き味のたいやきになりたい。万人好みでなくても、誰かに美味しく食してもらえるお好み焼き味のたいやきのようになりたい。
なれなくても、なれるように努力してみたい。
「……よし」
家に帰ったら、数ヶ月ぶりに親と話をしてみよう。私が何を考えていたのか、将来どうしたいのかを真剣に話してみよう。
今日もきっと売れ残るだろう、お好み焼き味のたいやきを温めなおしてから出して、お茶を淹れて。
誰もいない休憩室で一人、私は涙を流しながらお好み焼き味のたいやきを完食した。
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たいやき屋でアルバイトを始めた女子高生のお話。自サイト他で投稿したお話を載せてみました。 | ||
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