350円台所事情(前編)
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「えーきせんとりっく、えーきせんとりっく。えーきせんとりっくしょうねんぼぉぉぉぉぉぅぅぅぅぅい!!!!」

 実家の屋根に座って夜空に叫んだ。歌の途中で母親に引きずり下ろされてメチャクチャ怒られた。

 関係者各位というか、どう関係しているかもわからない人にまで頭の上からポンポン怒られた。自分より背の高い人に怒られると、その声が二割り増しで怖い。中学生だったアタシは自分がチビであることを悔やんだ。それでもアタシは懲りてなかった。

 翌日の学校で進路調査があった。アタシは迷わず『主人公』と書き込んだ。放課後、職員室への呼び出しを予約したようなものだった。担任の先生がペラペラした進路調査の紙を指で摘みながら、まじめに書けとアタシを叱る。四十代の先生の頭はイマドキの若者を憂えるように呆れていた。表に出始めたシワは深くなり、ため息の頻度も年々増えている。

「お前は高校進学だろう? だったら志望高校の名前を書け」

「いやどこでもいいんです。主人公になりたいってだけですから」

 職員室の他の先生が向けてくる、ぶしつけでどこか蔑むような視線をはねのけるように、目を険しくしてから首をぶんぶんと横に振った。その仕草を先生は何かの否定と受け取ったのか、またため息。アタシの両親と一緒だ。どうして大人っていうのは深呼吸せずに、ため息ばかりなんだろう。先生はアタシの進路調査表を机に放って、椅子を回す。

 机についていた頬杖を外して、アタシと正面から向き合う姿勢になる。

「なぁ、三ツ葉。忠告しておくがな、こういう変わったことを書くっていうのはなんにもかっこうよくないぞ。歳をとった時、自分の中で汚点になるだけだ。夜のふとんの中で思い出して、恥ずかしさに悶え苦しみたくないだろう?」

 経験談のように、湿っぽい口調で先生が諭してくる。頭ごなしにただ怒るだけの、近所の人のお説教よりはアタシのわき腹に響いた。上履きが床に滑って、キュッと鳴る。

「だいたい、主人公ってのはなんだ? 具体的にはどういう見通しなんだ?

「それは……アタシが聞きたいです。主人公って、なんですか? 先生は主人公ですか?」

 アタシの質問に、先生は困惑したように両目を細める。太股をパンッと手のひらで叩いてから、また目を逸らしてため息。ほかの先生の嘲笑が、蚊の羽音のように聞こえてきた。

「わかりもしないものになろうなんて、無謀もいいところだな。諦めろ」

 どこか答えをはぐらかされている気がして、ムッと唇を尖らせた。大人はいつもこうだ。子供の真剣な相談を、くだらないものと決めつける。頭を働かせようとしない。

 アタシはヒーローになりたかった。それは漠然とした夢で、だけど小学校に入学した時期を境に、そんな思いが強くなった。子供のときから、なんでそんなことを考え出したのかはまるで思い出せない。なにかに焦るように、そういう願望に追い立てられて、アタシを様々な奇行に走らせた。

 ほかの誰かがやらない、できないと敬遠するような出来事には率先して挑戦したし、思いついたことはとにかく現実に、形になるようにと奔走した。

 おかげでアタシは、地元の有名な悪ガキ扱いだった。悪いことはしてないはずなのに。

「やってみないとわからないじゃないですか。先生は未来が予知できるんですか?」

「やってみなくちゃわからないようなやつじゃなくて、やる前から成功がわかってるようなやつだけが、お前の望むような主人公になれるんだよ。諦めろ、三ツ葉」

 当時は、なんて教育者だと憤慨した。かわいい生徒の夢を摘もうとするなんて。

 説得を諦めた先生が、「とにかく調査表を書き直せ、それまで帰るなよ」と新品の紙をアタシに押しつけてくる。アタシはそれを不承不承、受け取った。いつまでも職員室なんかにいたくなかったし、窓からの日光が丁度、顔に当たって眩しかったからだ。

 振り返る前、先生の机に雑に積まれていた調査表に目がいく。クラスで一番、成績のいい女子の進路調査表には地元の神学校の名前が書いてあった。そこが父親の出身校だったことを思い出しながら、アタシは床を蹴るようにして職員室を後にした。

 今度はヒーローとでも書いて提出してやろう、と考えながら。

 ……それからも、アタシは学校を卒業するまで様々な可能性を信じて走り回った。

 だけど結局、アタシはただの思春期に翻弄された痛い中学生でしかなかった。自分がヒーローになれないと知った、そんな中学三年間。思春期終了。

 

 

 

ホワイルナントカー、ジェントリーナントカー。

 歌詞を暗記したにもかかわらず、アタシの発音は語尾が少しあやふやだ。自覚しているけど、演奏しているアコースティックギターの音でごまかせていると信じて歌い続ける。

 あの暗黒のような中学生時代から、十年弱が過ぎた、夏の日。

 午前五時すぎ、空は遠くから始まっている。薄明かりを携えて、夜が次第に目を開けるように。木々は近くに見あたらないのこに、セミはアタシに負けず劣らずうるさい。

 土地を囲う有刺鉄線が、子供のスネぐらいの高さに敷かれている空き地でアタシはギターを鳴らしていた。有刺鉄線は野良犬や猫、あとはイタチの類が土地に入ってこないようにと、持ち主が張ったものだ。結果、野良犬は入らないけど、こうして人が入ってくる。畑に囲まれて、一人立つアタシは荒れた土地に突き刺さったカカシのようだった。

 スティルナントカー、ジェントリーナントカー。

 人家が近所にないから、歌おうと鳴らそうと苦情を訴えてくる人は現れない。今も周囲にはだれの姿もない。でも油断していると、たまに土地の持ち主に見つかって無断進入を怒られて、いい歳なのに町中まで追いかけ回されたこともあった。車どころか自転車も未だに乗れないアタシに「まぁぁぁぁてぇぇぇ!!」とか典型的なカミナリおやじみたいに大声で叫んで、原チャリに乗った五十代のオッサンが追い立てる。

 そんな様子を、たまたま朝早くから畑に訪れていた農家のオッサンに目撃されて、田舎特有の横のつながりによって家の近所にまで広まり、アタシはまた悪名を高めてしまった。ただでさえ、今は無職という点でも蔑まれているのに。

 ギターを演奏していると、日差しはまだ本格的じゃないのに汗が吹き出てくる。ドラえもんに出てくるような空き地ではないから、周囲はあけっぴろげで、それなのに涼風はどこからも吹いてこない。風や空気は宙で固定されて、それに触れると肌に熱を与えてくるみたいだった。

 反響するものがなくて、アタシの音楽は締まりなく垂れ流しになっている。それでも文句はこないけど、つまり誰も聞いてないってことだった。

 それでも、アタシは歌って弾いて、時々踊る。

 ギターに、それと洋楽に興味を持ったのは高校二年生のときだった。

 進路として結局選んだ高校は、成績が平均ぐいの地元の子が大勢受験するような、特徴のない学校だった。アタシはその中にいつのまにか、流されるように入学していたのだ。

 当時つきあっていた、同級生男子の部屋の棚にあったジョジョを読んだ影響で洋楽に興味を持って、それまでビートルズもマイケルジャクソンも聴いたことがなかったアタシはクラスの友人、ギー子から色々なアルバムを借りた。ギー子は英語の成績がよかったから、こういうのを聴けばアタシもよくなるんじゃないかって副次的な効果も期待して、部屋の埃被ったコンポを起動させた。ヘッドホンつけた。ジャカジャカ鳴った。

 聴きなれない発音、言葉、歌詞の流れ方。聴きすぎて英語ノイローゼになって吐きかけた。ギー子を超人とあがめて彼女の舎弟になろうか三日三晩悩んで、結局やめた。

 元々、歌うのは好きだった。そこに楽器が興味として加わったのだ。その年の夏休みに生まれてはじめてバイトして、お金を貯めて、楽器店でギターの種類が色々あることに驚いた。

 そして店員に勧められるまま、三万三千円のアコースティックギターを購入したのであった。

 それから自宅でギターの練習を始めると、今度はヘタクソな音楽を鳴らしていると近所の人の怒りを買った。ウチの周りは短気な人ばかり集まっているらしい。親からも煙たがられるようになったので、仕方なくこの空き地という名の独演会場を利用することにした。

 かれこれ六年ぐらい、ここでギターを練習している。アタシにしてはよく続いたものだ。

「うへー、シャツべちょべちょ」

 演奏が一区切りついたので、一度ハンカチで汗を拭く。背中が特にべったりと、シャツの生地との隙間をなくして不快だった。演奏に対する賞賛、批判はどこからも届かない。

 早朝だからという条件を差し引いても、ここでだれかがアタシの歌を聴くことはまずない。

 色々練習したけど、一番気に入ったのが「White my guitar gently weeps」だった。歌詞の意味はわからないけど、自分にあっているのか歌いやすかった。他に弾ける曲は正直多くない。自作ソングも挑戦したけど、どれだけ頭をひねっても歌詞が二行しか書けなかった。だから音楽の才能は、たぶん無い。これで食べていくのは無理だ、絶対。

「ああ嘆かわしい。たぶんって言ったのに、すぐ絶対とか思っちゃった」

 額と髪の生え際を握り拳で拭いながら、空を見上げる。朝焼けが見られるかなと期待したけど、まだ少し早いみたいだ。セミの声が車の音みたいに、右から左へ抜けていく。

 夜に染まった雲がゆっくりと動いているのを見ると、それに負けない速さで歩いていきたくなる。だけどアタシの行ける場所は少なくて、雲につきあうわけにはいかなかった。

 顎を引いて、静かで、照明を落とした舞台のように続く国道を眺める。誰も通らない、どこまでも遠くへ行けそうな夜明け前の道を見つめていると、なにかが疼いた。身体のどこが敏感に感情を捉えたのだろうと、手のひらを這わせて探ってみる。指先が見つけた場所は、鎖骨の下だった。そこの筋肉がピクピクと反応している。この反応の正体はなんだろう、と疑問に頭を振り回されるようにして、畑を見渡した。正体どころか、なにもない。

 イマドキの畑にはカカシもいない。本当に、アタシの歌を聴くのはアタシ一人だ。

 さて。

 二十歳もすぎて、どうして歌うカカシになっているかというと、これは日課だからだ。早寝早起きを心がけるアタシはいつも、片道二十五分の国道を散歩がてら歩いて、ご近所の迷惑にならないようにと空き地の真ん中でギターを弾く。疲れたらご飯食べに帰る。

 そして、どうして定職にも就かないで歌っているんですかというと、ヒーローになるために決まっていた。それがどう繋がるのか正直、自分にもわからない。でもやめられない。

 毎日、こんなことばかりやっていた。

 思春期が終わってから八年経った。もうアタシには十代の無謀に満ちた若さもないし、就職と進学っていう進路のニ択の猶予もないし、残っているのは厳しい現実だけだった。

 主人公の資格が残されているかも、正直怪しい。

「最後に一曲、えーっと、エキセントリック少年ボウイ!」

 それでもアタシは懲りてなかった。

説明
思春期残りかすオムニバス。ギターが好きなちょっと変わった女の子のモヤモヤをいっぱい詰め込みました。
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思春期 オムニバス ギター 

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