【TB・虎&兎】虎徹の家に行こう 
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 虎徹さんに教えられた駅に降り立ってまず驚いたのが、降り注ぐような蝉の鳴声だった。

 工事の騒音みたいだ。

 それに、見たこともないぐらい緑が多くて濃い。

 レトロな駅のつくりは、なんだか映画の中の風景みたいで落ち着かなかった。

 にこにこした駅員が僕の切符を受け取って、「ようこそ、オリエンタルタウンへ! この辺りは保存指定を受けた居住区なんですよ。昔の日本の景色を垣間見ることができます」と説明しながら、滴る汗をハンカチで拭っていた。

 そういえば観光地…だったな。居住区は基本的に観光客が流れてくるようなところじゃないから落ち着いていると虎徹さんは言っていたけど、なんだかあんまり人が住んでるようには見えない。

 腕の時計を見ると、約束の時間よりも少し早かった。

 さて、どうしようか?

 今日はとても良い天気で、ぎらぎらした太陽が痛そうなぐらいに見えたけど、僕は好奇心を我慢せずにひとつしかない駅の出口に出てみた。

 そして驚いた。

 空が青い。高い。入道雲があんなにくっきりしてるし、木がすごく多い。

 赤い、大きな門みたいなのがそびえてる。これが虎徹さんに目印だって教えてもらった鳥居…かな? 本当に不思議な形だ。

 虫も多くて、油断すると蚊がそばにきて痒くなった。

 ………暑いな。

 しばらくそのままぼんやり立っていたら、見知らぬおばさんに「あんた、真っ白だけど大丈夫かい?」とソーダ味のアイスバーをもらって、知らないおばあさんからは「帽子被ってないと危ないんだよ」と駅の売店で売ってる安っぽい麦藁帽子を被せられた。

 ……なんとなく、虎徹さんの性格が出来上がったルーツが今、見えた気がする。

 なにより、あの人たちは僕がヒーローのバーナビーかどうかなんて、どうでも良いんだな。

 そう思うとちょっとおかしくなって、僕は押し付けられたアイスバーをかじりながら、じわじわと浮かぶ汗に当たるそよ風を心地よく感じて立っていた。

 しばらくして、これまた風景に似合うレトロなワゴン車が走ってきた。

「バニー! もう着いてたのか!?」

「はい。予定より早く出られたので」

 ワゴン車から降りてこっちに来たのは、虎徹さんだ。僕たちは夏の連休をいっしょに取ったのだった。

「しっかし…ははは! なんだ、それ」

「通りがかったおばさんとおばあさんがくれました。暑いでしょうって。変ですか?」

「いや、案外似合ってるぞ。さあ、来いよ」

 見慣れた服装じゃない。気楽なTシャツとジーンズ姿の虎徹さんは、いつもよりずいぶん若く見えた。

「はじめまして。虎徹さんにはお世話になっています。バーナビー・ブルックスJr.です。この度はお世話になります」

「ようこそ。どうせコイツが無理やり呼んだんだろ。気を遣わずに過ごしてくれ。俺はコイツの兄貴の村正だ」

 運転席の、虎徹さんよりけっこう上のおじさんと挨拶を交わしていると、虎徹さんは「べつに無理にじゃねえよ。バニーも喜んで遊びに行くって言ったよな?」とぼやいた。

 ……べつに喜んでじゃなかったはずだけどな。ただ、虎徹さんが連休をどう過ごすんだ? って訊くから、いつもと同じです。両親の墓参りをするだけですって答えたら、じゃあ俺ん家に遊びに来いって。

 シュテルンビルトの虎徹さんのアパートかと思ってたのに、その先が実家だったことには驚いた。

「ほら、乗れよ。バニー!」

 見たこともない古いデザインのワゴン車の中は、やっぱり古くて、こういったものに縁がなかった僕でもなんだか懐かしい。

 うしろは荷物を乗せる形になってるんだな。虎徹さんが僕の荷物といっしょにうしろに回って、僕は麦藁帽子を取って助手席に乗せてもらった。

 クーラーが効かなくて、中は暑い。でも走り出したら開けっ放しの窓から飛び込んでくる風がすごく気持ちよかった。

 ……畑がある。

 やっぱり家は少なく見えるな。

 もしかして、あれは牛?

 シュテルンビルトからの距離はせいぜい電車で半日程度でしかないのに、まるで見知らぬ異国の風景だ。

 

 

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 虎徹さんの家も、古かった。一階建てのレトロな民家だ。

 なんだか、だんだんこの「レトロな」って言い方がおかしい気がしてくる。

 この辺りではこんな作りが普通らしいから。

「おやまあ、いらっしゃい! ウチの馬鹿息子がいろいろ面倒をかけてるそうだねえ」

「もう慣れました。こんにちは。はじめまして。バーナビー・ブルックスJr.です。おじゃまいたします」

「若いのにしっかりしてること! あたしは安寿。この子の母親だよ。自分の家だと思って過ごしてちょうだいね。虎徹! 早く部屋に案内しておやり。玄関じゃ落ち着かないだろ!」

「へいへーい。…ったく、いつまでガキ扱いするんだか。バニー、上がれよ。靴は脱いでな」

「はい」

 村正さんは、「まだ配達があるから」とワゴン車で行ってしまった。

 虎徹さんに呼ばれて、ライダーブーツを脱いで、前に並べられたスリッパを履く。……ちょっと小さい。

「あれ? おまえにも小さいか、それ。ああもう、脱いじまえ! 俺も使わないしな。ははは!」

 いや、家人と客ではそのあたり、違うんじゃないですか?

 ……言っても無駄な気がする。ああもう、取り上げられてしまった。

 本当にいいのだろうかと思いながら靴下のまま板張りの床に上がると、ひんやりとして気持ち良かった。

「こっちが台所、こっちが縁側。あ、便所は向こう、風呂はそっち。ほら、ここが母ちゃん自慢の畑だ」

「家庭菜園…ですか。あれはナスビで……こちらはトマトですか? 葉っぱが枯れてきてますね」

「おう。そろそろ終わりだ。枝についたまま完熟したトマトはサイコーだぜ。あとで食わせてやる。向こうに俺がガキのころ使ってた部屋があるんだが、今は楓が使ってるからちょっと見せてやれねえかもな」

「かまいませんよ。それに、女性の部屋を勝手に見るなんてとんでもないことです」

「う、……そ、そりゃそうだ」

 どうして渋い顔をしてるのだろう。まさか、勝手に娘さんの部屋を見て怒らせたとか?

 ………ありそうな話だ。

 虎徹さんが案内してくれたのは、落ち着いた雰囲気の客間だった。タタミだ。あれも知ってる。床の間…だな。じゃあ、壁に掛かってるのが掛け軸? 鯉の絵だ。涼しそうだな。

 床の間には、いかにも日本らしい花が飾ってあった。

「いいだろ? これが水盆。日本の花瓶だな。剣山を沈めて、そこに花を刺して飾るんだぜ。ほら、トゲトゲしたのが中にあるだろ?」

「痛そうですね」

 素直にそう思って言ったのに、なにがおかしかったのか、虎徹さんは笑って僕の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

 髪がもつれるからやめてほしい。

「これが、仏壇な! 今は友恵の家みたいなもんだ」

 部屋の隅に置かれたなんだか儀式に使えそうな不思議な作りの棚の中で、虎徹さんの奥さんの写真が優しく微笑んでいた。

 虎徹さんに倣って、僕も手を合わせて挨拶する。

 奥さんの家……。そんな大切なもののある部屋に僕が泊まっても良いのか心配になったのだけど、虎徹さんもこの部屋で寝ると聞いて安心した。

 それからミセス鏑木……虎徹さんのお母さんでいいかな。お母さんに冷たい麦茶と水ヨウカンをいただいて、小さなリビングで虎徹さんの昔話を聞いた。

 やんちゃな子どもだったこと。

 明るくて、友だちが多かったこと。

 ロックバイソンさんとは高校のころからの付き合いで、今でも地元に帰ったら「アントニオ」って呼ぶこと。

 虎徹さんのお母さんも、忙しく台所でなにか作りながら話してくれた。

 途中でよく冷えたトマトを出してくださって、塩を少しかけただけなのにあんまり美味しくて驚いた。

 ただ、虎徹さんが手洗いに立ったときに、ふと振り返ったお母さんが教えてくれた。

「あの子はね、ああ見えて昔、NEXTの力に目覚めたばかりのころ、ずいぶん友だちに避けられてしまって、泣いたんだよ。あなたは大丈夫だった?」

「はい。僕は二歳でした。やっぱり母には苦労させてしまったみたいです」

 言うつもりはなかったのに、優しい顔を見ていたら、つい口から出てしまった。

 虎徹さんのお母さんは、笑って僕に麦茶のおかわりを注ぎながら言ってくれた。

「そう。でも、子どものことでする苦労は、母親にとっちゃなんでもないことでね。いくつになったって変わりゃしないよ。ああもちろん、人の道に外れたことはいけないけどね」

 虎徹さんによく似てるな。目の色とか。

 ……お父さんはどんな人だったんだろう。でももちろん、僕は聞かなかった。

 家族のことは、僕も言いたくない。自分が言いたくないことは、聞かない。

 夕方、虎徹さんの娘さんが帰ってきた。楓ちゃんは、虎徹さんと組んだばかりのころ、僕が助けた女の子だ。

 それを知ったときは驚いたな。あの時はお互い印象も悪くて、むしろ嫌いあってたのに、急にお礼を言われて理由がわからなかった。仕事なんだから当たり前なのに。

 今ならちゃんとわかる。水臭い。あの時言ってくれれば良かったのに。

 そう思うのは、今の僕が虎徹さんを信じているからだろう。

「バーナビー、あの、お久しぶりです!」

「元気そうで良かった。おじゃましてます。能力は落ち着いた?」

「あ…はい! 中学からは、シュテルンビルトでヒーローアカデミーに行こうかなって」

 驚いた。視線を向けると、虎徹さんはやっぱり複雑そうな顔をしてる。

 ……娘に危険な仕事をさせたくないのは当然のことだ。

「ヒーローを目指して?」

 僕も、もし子どもがいたらそう思うだろう。そう考えて尋ねると、楓ちゃんは照れくさそうに笑って言った。

「わかんない。でも、力を扱う勉強はしなくちゃいけないと思ったの。だって、人を守る力があるってことは、人を傷つける力でもあるんだってお父さんが……」

 楓ちゃんの言葉に、僕の胸も温かくなった。

 本当に、君のお父さんは「ヒーロー」なんだね。

 教えてしまいたい。かつて君のお父さんが、君に「カッコいい」そう言ってもらえることが、自分の一番の夢だと僕に語ったこと。

 ヒーローになるかどうかなんて、もっと先に考えればいいことだ。

 女性のヒーローは視聴者の視線を意識して、どうしても露出が多くなるからそこが心配だけれど。

「さあ、そろったところで夕飯にするよ。今夜はお祭りなんだから、食べ過ぎないようにね!」

「お祭り?」

「おう。だから呼んだんじゃねえか」

 よくわからないな。

 でも、確かにお腹が空いた。

 それから僕は、虎徹さんのお母さんと楓ちゃんが並べてくれたちらし寿司をいただいた。みんなはお箸で、僕はスプーンで。

 スシバーのものとはぜんぜん違う。でも、美味しい。

 食べ過ぎないのは難しくないですか?

 困ったのだけど、おかわりをする前に虎徹さんにお皿を取り上げられてしまったから、しょうがなかった。

 

 

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 とりあえず、日本のお祭りがどんなものかわからない。前はこういったものに興味なんて持たなかったのに、最近の僕はやけに好奇心が強いな。

 そう思いながらさっさと玄関に行こうとしたら、虎徹さんに「おい、着替えてからだぞ」と呼ばれた。

 着替え? どうせ汗をかくのに?

 不思議に思ったのだけど、虎徹さんのお母さんも僕を手招いて客室に向かう。

 ……日本の文化なのかな。僕に使えって言った部屋なのに、どうして全員が当たり前に入ってくるんだろう。

 これも虎徹さんの性格につながってる。そう考えていて、あれこれクロゼットから取り出す二人を見ていてわかった。

 そうか。部屋数が少ないから、いつも使ってるわけじゃないこの部屋が、収納も兼ねてるんだな。

「ほらよ、お前の方がちょっと背が高いんだって話したら、母ちゃんが丈を直してくれたんだ」

「キモノ…ですか?」

「違う。これは浴衣ってんだ」

「ユカタ……」

 違いなんてわからない。首をかしげていたら、目の前で虎徹さんがさっさと服を脱いで手際よくそのユカタを着てみせてくれた。

 やっぱり、キモノに見える。

「ほら、バニーも脱ぎな」

 楓ちゃんは自分の分を持って虎徹さんのお母さんと別の部屋で着てるらしい。

 こっちがいいかなとか、どっちがバーナビーの好きな色かなとか声が聞こえてきて、僕はちょっと楽しかったのだけど、虎徹さんはむっとしてた。

 自分の好きな色を着てほしいってことなのかも知れない。父親にとっては、娘は特別だってよく聞くから。

「あなたの好きな色は?」

「あ?」

「僕が、その色を好きだと楓ちゃんに言えば、選ぶと思います」

 そう思って言ったのに、虎徹さんは目を丸くして大きなため息をつき、頭をがりがり掻いて「ばっか、そんなんじゃねえよ」と言った。

 怒らせた…みたいだな。珍しい。

 今のは、本気で怒ってた気がする。

 怒った虎徹さんに、僕は一度だけ叩かれたことがあった。あの時はそうなることがわかっていて酷いことを言ったけど、今はそんなつもりじゃなかった。

 びっくりして虎徹さんを見ていたら、虎徹さんは困ったように笑って、今度は僕の頭を撫でた。

「おまえに怒ったんじゃない。気ィ遣ってくれたのはわかってるぜ。ちょっとズレてるけどな」

「……すみません」

「しょげるなって。こりゃもう、親父の勝手ってヤツだ。親父ってのは馬鹿でな、いつまでも娘の王子様でいたいのに、こうやって本物の王子様が現れたらどうにも勝てねえなあと思い知っただけだ」

 娘に彼氏がいるとわかっていても、恋愛相談を受けて気の良い返事をしていても、いざ結婚したいと連れてこられたら、マシンガンで相手の男を追っ払いたいのは仕方がない。

 そう言われて僕はなんとなくそんなものかと納得した。

 とりあえず、僕の着替えだ。黒いTシャツを脱いで、ワークパンツを脱いで、靴下も脱ぐ。裸足はちょっと抵抗があると思ったけど、素足で立つとタタミが気持ちよくてびっくりした。

「別に下着はいらねえだろ。ほれ、しゃんと背筋伸ばして!」

「伸ばしてます」

「はいはい、腕通して」

「どこに?」

「袖だろ、袖!」

 よくわからない。結局、僕は言われるまま立ってるだけで、虎徹さんが着せてくれた。

「大きな子どもみたいだな〜。腰紐締めるぜ。ちょっときついけど我慢しな」

「…ッ、だいぶ、きついです」

「ここを緩くしたら着崩れるんだよ」

 慣れると苦しくないのかな? わからない。

 藍色の綿の生地には、白いトンボがたくさん飛んでいた。シンプルな柄だ。虎徹さんのものも藍色で、こっちは三日月のような形の刃物とマルとへんな形の模様だった。三文字でワンセットになって、全部その模様になってる。

 帯は、虎徹さんが手間取って、待ちかねたお母さんが結んでくれた。

 さすがに早い。それに、虎徹さんのとは違って、青っぽいふわふわした生地のもので柔らかい。

「絞り染めの兵児帯だよ。大人はあんまり使わないんだけど、着慣れてないならこの方が楽だからね」

「お父さん、バーナビー、終わった? あ、カッコイイ!」

「え、俺!?」

 白々しく喜ぶ虎徹さんに笑いながら、僕と同じような生地の黄色いふわふわの帯と鮮やかな赤いユカタ姿の楓ちゃんが僕を見上げて言ってくれた。

 きっとお世辞だろう。でも、まんざらでもない。

 赤い生地に紫と黄色い花。それに黄色の帯が本当によく似合ってる。

「楓ちゃんも可愛いよ。その髪飾り、前に虎徹さんが君のためにって一生懸命探したものなんだよ」

「えへへ、知ってる! これ、浴衣に合わせようと思って、今日まで使ってなかったんだ」

「そう。すごく可愛いね。似合ってるよ」

 素直に言うと、楓ちゃんはぽっと赤くなってカゴの内側に紐のついた布袋が入った変わった形のバッグをぶらぶらさせながら照れくさそうに笑った。

 ファイヤーエンブレムとブルーローズまで巻き込んで、虎徹さんが本当に一生懸命探していた髪飾りは、ヒマワリとリボンをあしらったものだ。和風のものを扱うお店で見つけたものだった。

 今の楓ちゃんには、少しだけ大人っぽい気がする。でも、ブルーローズがこれぐらいの方がきっと喜ぶって力説してた。

 本当にそうなったな。

「楓も来年からは帯を変えるからね。見納めだよ」

「そうなんですか?」

「だって、中学生になるんだもん! ほら、早く行こ! あのね、バーナビーは下駄とかきっと無理だから、ビーチサンダルを買ってきたんだよ。あたしが選んだの!」

「ゲタ…じゃなくても、いいんですか?」

「おう。ユカタは気楽な普段着なんだよ。じゃあ母ちゃん、行って来る」

「はいよ。虫除けのスプレーはしてお行きよ。手ぬぐいは玄関に出してあるからね」

「おーう」

 それから僕は、二人がかりであちこちにスプレーをかけられて、真新しい赤いビーチサンダルを履いて歩き出した。

 なんだか、すごくだらしない格好のような気がするんだけど、こんなものなのかな?

「わあ、ちょうちんだ! ほら!!」

 まばらな街灯に、いつの間にか紙のランプの光が混じり始めた。人通りも増えてきて、辺りがだんだんにぎやかになってくる。

「日本の盆祭りは、亡くなった人があの世から里帰りする日なんだ」

「……そうですか。なら、きっとあなたの奥さまも今、いっしょに歩いてますね」

 友達を見つけて小走りに駆け出した楓ちゃんの姿をまぶしそうに見る虎徹さんにそう答えたら、なんだか泣き笑いのような表情で「かもな」と目尻を下げた。

 あの世からの里帰り、か……。

 僕の両親は、どうなんだろう。サマンサおばさんも、教会の神父様も、僕の両親は天国にいると教えてくれた。

 胸がチクリと痛む。……日本なら、たまにはそばに来てくれただろうか。もしも帰ってきてくれても姿は見えないのに、車一台分の道の両脇に並んで僕たちを照らすちょうちんの光を見ていたら、これを目印にして僕を見つけてくれたらいいのにとぼんやりと思ってしまった。

 

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 お祭りの会場は、楓ちゃんの通う小学校のグラウンドだった。小さな舞台まである。

「おー、立派な櫓だな!」

「ヤグラ?」

「上に太鼓があるだろ? あの周りを輪になって踊るんだ。夜店も出てるし、バニー、どこに行きたい?」

「え? どこって言われても……」

 周りを見ると、ユカタの人、普段着の人、派手な人、上半身裸の人、いろいろいた。もちろん、金髪の人も。

 布の看板を垂らした小さな屋台のお店がグラウンドの周囲にぐるりとあって、たくさんの人が集まっている。

 ぱっと見ただけじゃどこがどんなお店なのかもわからない。

「あー、鏑木だ!」

「なによう!」

 元気な声がして、仲良しの女の子といっしょに僕のそばにいた楓ちゃんがむっとした顔で振り返る。仲の良くない男の子のようだ。

 意外なことに、虎徹さんはむっとはしてなかった。

 ケンカ……になりそうなのか? よくわからないけど、心配になってそばにいくと、楓ちゃんとほとんど変わらないぐらいの気の強そうな男の子が「ぐッ」と僕を見上げて腰を引く。

「楓ちゃんの友だち?」

「クラスメイト! すぐあたしのことからかうの!」

「そう。どうして?」

「どうしてって…な、なんだよぅ、おまえ……」

 ずるずると下がる男の子の周りにも、友だちらしい子たちが集まってきた。それから誰かが「バーナビーだ!」と叫んで、少しにぎやかになる。

「楓ちゃんに意地悪したりするのはいけないよ」

 怖いおじさんが本気で怒るからね。そんなつもりで言うと、「わぁッ」と叫んだ男の子たちが遠巻きになる。

 納得したなら良しとしよう。ぷりぷりしていた楓ちゃんがうれしそうに笑ってくれて、僕も笑った。

 良かった。NEXTの力に目覚めて、この子まで辛く当たられたら悲しい。

 そう思って手をつないで虎徹さんのもとに帰ると、虎徹さんは「俺の出る幕なかったな」と笑って僕たちの頭を撫でた。

 それから僕たちは、いろんな屋台を回った。

 綿菓子はふわふわしていて甘い。ひとつで分け合って十分だったし、たこ焼きは熱過ぎて口の中を火傷したけど美味しかった。焼いてるのは校長先生だと楓ちゃんが笑ってたけど、シュテルンビルトの店よりずっと美味しくてびっくりしたぐらいだ。

 とうもろこしを焼いたのは、ショウユが焦げる匂いが苦手で遠慮したのに、強引に口に突っ込まれて渋々とかじってみたら美味しかった。

 射的は自信があったのだけど虎徹さんの方がはるかに上手くて、楓ちゃんの欲しがったウサギのぬいぐるみは虎徹さんが鮮やかに取って見せた。

 コルクの弾の軌道は実弾とずいぶん違う。射撃の成績は虎徹さんよりはるかにに良いし、ウッドチップで的を外したことはないのに、こんなに近くても外すなんて思わなかったな。勉強になった。

 持ち帰りで選んだのはベビーカステラ。それから、金魚すくい。はじめは二人が僕に教えてくれると張り切っていたのだけど、いつの間にか親子対決になってしまった。

 これはあまり、上手くないかな? 二人とも力みすぎだ。

 仲良く二匹ずつ。そこに僕がずっと目で追っていた、ドレスのような尾びれがひらひらした目玉の飛び出した金魚をおじさんがサービスしてくれて、楓ちゃんが喜んだ。

 お化け屋敷は…その、あんまり楽しくなかった。

 どうしてわざわざ悲鳴を上げに行くのか、僕には理解できない。

 折紙先輩が、「お化け屋敷は日本のが一番恐ろしい」と言っていたけど、本当だ。

 結局ずっと目をつぶっていて、不安定な足元にどきどきしながら、僕は虎徹さんと楓ちゃんに交代で手を引かれて出口に辿りついた。

 二人とも「平気平気」「あたしがついてるよ」と言ってたくせに、何回も悲鳴を上げて僕にぶつかってくるからなおさら怖かった。

 それから、盆踊りだ。くねくねと腕を揺らす不思議なダンスで、これはすぐに覚えられた。

 踊る人はみんな楽しそうだ。懐かしい家族もきっといっしょだと思えるから、笑顔を覚えていて欲しいから、笑うのだろうか?

 僕も笑ってた。笑顔の人の中は、自分ひとりだけ世界から切り離されたような気がして苦手だったのに、今の僕にはそんなに遠い世界のようには感じられない。

 きっと、虎徹さんがいるからだろう。相棒は、家族なんだ。

 そう言った虎徹さんの言葉が、今は素直に納得できる。

 結局、本物の家族ではないのだけど。でも、それに限りなく近い絆だと…そういう意味なのだと。

 最後は、小学校のグラウンドを出て、川べりに集まった。川の向こうから上がるのは世界でもっとも美しいと謳われる日本の花火だ。

 もっとも、ここのものは地元民だけのささやかなお祭りだから、ずいぶん控えめだとは聞いていた。だから観光客もほとんど来ないと。

 それでも、山の黒い形と空を背景に上がった様々な色、形の花火は、十分美しかった。

 きっと、のんきな人もいるだろうから、天国でも忙しい人もいるだろうから、遅れて帰ってくる人たちがびっくりしないぐらいがいい。

 音が大きくて最初は驚いたけど、慣れたらそうでもない。

 ぼんやりと見ていたら、僕の肩を虎徹さんが抱いて、もう片方の手で楓ちゃんの手を握っていた。

 花火に照らされた二人の横顔は楽しそうだ。

 なんとなく、心配になった。僕は…じゃまになってないかな?

 でも、僕のそばにいる暖かな気配に囁かれたような気がした。大丈夫だと……。

 虎徹さんを選んで、虎徹さんが選んだようなひとなんだ。同じように僕を迎えてくれたかも知れない。

 そんなことを思うのは少し、図々しいかも知れないけど。

 帰り道、眠そうな楓ちゃんを見かねて、虎徹さんが背負った。楓ちゃんはずいぶん僕の目を意識して恥ずかしがったけど、子どもは眠るのだって大切な仕事だ。

 じゃあ、僕の背中にする? と訊いたら、真っ赤になった楓ちゃんは隠れるようにして虎徹さんの背中に張り付いた。

 なんだ、やっぱりお父さんがいいんだな。……当たり前か。

「楓も大きくなったなあ」

 やっぱり、眠かったんだな。虎徹さんに背負われてすぐに寝息を立て始めた楓ちゃんに、虎徹さんがうれしそうな顔で呟く。

 そこで「重くなった」と言わないあたりは、進歩かも知れないと僕はちょっと笑った。

「すぐにこんなことできなくなりますね。……いいんですか?」

「んー?」

 子どもの成長は、早い。まだ子どどころか伴侶もいない僕でさえそう思うのだから、虎徹さんの実感は大きいだろう。

 一度は引退を決めたのに。そう考えて訊くと、虎徹さんは満足そうな表情で楓ちゃんを背負いなおし、言ったのだった。

「成長を間近で見てられねえのは、淋しいさ。けど俺は、ヒーローだからな」

 奥さんが願った、楓ちゃんが願った、そして虎徹さんが選んだ、仕事。生き方。その在り方……。

 楓ちゃんの進学もある。お母さんの生活もある。

 賠償金で苦労してるのに、でもそこで活躍の仕方を変えられないのがこの人だ。

 だから僕は、あんまり虎徹さんの借金が増えないように、なるべくさりげなくサポートできたらいいと思う。

 僕にとってのヒーローとは、なんだろう?

 改めて考えた。

「似合うな」

「え?」

「楓がおしつけたろ。それ」

 虎徹さんが笑って顎で指したのは、僕が頭にずりあげたヒーローのお面だ。似合うもなにもこれ、僕本人のお面ですけど。

「おまえもヒーローだなあ」

「虎徹さんこそ、買えば良かったのに」

 ワイルドタイガーのお面も売っていたけど、なぜか買わない虎徹さんがちょっと不思議だった。

 圧倒的に人気があるのはやっぱりスカイハイのお面だけれど、男の子や男性の中にはワイルドタイガーやロックバイソンのお面を買ってる人も多い。

 特に子どもが僕と虎徹さんのお面をつけてヒーローごっこをしているのを見つけた時は、本当にうれしそうだった。

「いいんだよ、俺は」

 そうですね。声に出さずに、僕はうなずいた。

 故郷での貴方は鏑木虎徹です。それが一番良いんですよね。

 そういえば、蝉の声がしなくなって、かわりに別の虫が鳴いてることに気がついた。

「コオロギだな。それから鈴虫……。シュテルンビルトからたった一日分の距離でも、違うもんだ。このあたりの気候はさ、本物の日本に近いんだってよ」

「そうなんですか?」

「ああ。盆が終わったら、秋はもうすぐだ」

 いろんな人たちが、名残惜しそうに家路につく。土と緑の匂い。

 虫たちの声に耳を傾けながら、時々蚊を追い払って、僕は今日の収穫を抱えなおして虎徹さんの隣を歩いた。

 

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 家に帰ると、虎徹さんはお母さんを呼んで楓ちゃんを任せて、それから僕のユカタを脱がせてくれた。

 虎徹さんも脱いで、いい大人の男が二人、下着だけの姿というのはだらしなくていけない。

 そう思ったけど虎徹さんは「すぐ風呂に入るからいいんだよ」と笑って戦利品を片付けて回った。

 まずお風呂に入ったのは楓ちゃんだ。まず僕に、と全員で勧めてくれたのだけど、こんなに眠そうな楓ちゃんを待たせるなんてできない。

 そう言うと、楓ちゃんは大急ぎで入浴を済ませてくれて、かえって申し訳ないことになった。

 次は僕だ。日本のお風呂って、狭い。深い。

 洗い場でまごついていたら、虎徹さんが入ってきてびっくりした。

「背中流してやるよ」

「それも日本の文化ですか?」

「そういうこと! 今度はみんなで温泉行くか!?」

 ああ、テレビで見たことがあるような……。どの「みんな」かと思ったら、ヒーロー仲間だった。

 ライバルと親睦を深めてどうするんだろう。もっとも、全員でどこかに行くなんて、あの頼りにならない警察を見ていたらできないだろうけど。

「バニーのとこじゃ、親と風呂入ったりしないんだってな」

「兄弟とも入りませんよ。日本人はプライバシーの考えが違うんですね」

「家が狭いってのもあるな。ほーら、目ぇつぶれ」

「……頭ぐらい自分で洗いますから」

 身体も洗えますけど。

 結局、僕の背中のあとは虎徹さんが当たり前みたいに自分の背中も流せと要求してきた。

 ああ、はいはい。そういうことですね。

 言われた通り、あちこちに古い傷跡の残る、逞しい背中を流す。

 僕の背中も、いつかこんな風に傷跡が増えるんだろうな。一つ一つが、この人の人生の証だ。

 この傷を受ける時、きっとうしろに誰かを庇っていたんだろう。そんなことを思う。

 もっとも、オジサンならではのドジでついた傷もあるだろうけど。

「……狭いですね」

「そりゃしょうがねえ。これでも広い方なんだ」

「そうですか」

 和式のバスタブは、体格のいい男二人で入るにはどうしようもなく小さい。くつろぐはずのお風呂で虎徹さんと並んで身体を折りたたむように浸かりながら大きな息をつくと、絞ったタオルを頭の上に乗せられた。

 それから、調子の良い鼻歌だ。声は良いのに歌が上手くないのが虎徹さんらしいと思う。

 お風呂から出てルームウェアに着替えて髪を乾かしていたら、また虎徹さんに呼ばれた。

「風呂上りには縁側でスイカとビールだぜ、バニーちゃん」

「いただきます」

 確かに、美味しい。スイカも冷えたビールも美味しくて、僕にしては勢いよく一本飲み切ってしまった。

「虎徹さん……。下品ですよ」

 蚊取り線香というらしい、不思議な匂いのお香を焚き染めた中、スイカを食べた虎徹さんが種を外に捨てるのがどうにも我慢ならなくて注意すると、「これが正しいスイカの食い方だ!」と力説された。

「遠くに飛ばしたら勝ちなんだよ」

「畑に混ざりませんか?」

「んなもん気にすんな!」

 そんなものか……。なんとなく張り合いたくなって真似してみたけど、けっこう難しい。僕の足元に落ちた種を見て笑われたのが悔しくて意地になっていたら、最後にお風呂を使ったお母さんに見つかって叱られた。

「コラッ! スイカの芽が混ざるじゃないか!!」

「あいてッ!」

「!?」

 ど、どうして僕までぶたれるんだ?

 虎徹さん、やっぱりこれがマナーなんてウソじゃないですか!

 むっとして睨むと、虎徹さんは悪びれもせずに「ははは、怒られちゃったなー」とぶたれた頭を摩りながら言って、お母さんは「早く寝なさいよ」と自分の部屋に戻って行った。

 それから、次はベッドだ。……って、違うな。フトン、というらしい寝具。

 虎徹さんに教えられるまま仕度して入ってみると、意外に固すぎず気持ち良かった。

「……涼しいんですね」

「んー? この辺りはあんまり開発されてねえしなあ」

「土の匂いがします」

「朝には湿った土と草の良い匂いもするぜ。エアコンがなくても、網戸で十分だろ。虫の声、大丈夫か?」

「慣れました」

 横になると、いきなり眠気が襲ってきた。お腹にかけたタオルケットが気持ち良い。外したメガネを枕元に置いて、ぼんやりと隣のフトンに入った虎徹さんの影を見ていたら、優しい風を感じる。ウチワであおいでくれてるらしい。

「そんなことしなくても……」

「ちょっと汗をかいてるからさ。先に寝ちまいな。眠そうだぞ?」

「………」

 やっぱり、面倒見が良いですね。笑ったつもりが、声にならなかった。

 そういえば、確かにうっすらと汗をかいてる。

 それが不快じゃなくて、こうして優しくあおがられるだけでとても涼しいのが不思議で、僕は瞬く間に眠りに落ちた。

 悲しい夢は見なかった。苦しかったり、辛い夢も。

 ただ、僕は知らないはずの鮮やかな緑の山の中にいて、僕の前にはいかにも元気そうに日焼けした少年が大きなカブトムシを持って手を振りながら僕を待っていた。

 ああ、虎徹さんだ。

 ヒゲがなくたってわかる。笑顔が同じだ。貴方、こんな顔をした子どもだったんですね。

 声を出して虎徹さんが笑う。僕も笑ってた。

 僕たちのそばを横切った黄色くて大きなトンボは、僕が着せてもらったユカタの模様にそっくりな形をしていた。

 

 

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 朝は、また蝉の声で目が覚めた。

 頭がぼんやりする。ずいぶん時間をかけてから思い出した。ここは、僕の部屋じゃない。

 隣を見ると、もう虎徹さんはいなかった。フトンもたたまれてる。

 台所から聞こえるのは虎徹さんと、お母さんと、楓ちゃんの笑い声だ。……楽しそうだな。時々大きな声になっては、あわてて声をひそめるのが僕への心遣いだとわかってうれしくなる。

 メガネをかけて天井を見上げると、柔らかな木目が目に入った。天井が低いのは好きじゃないのに、ここは安心するし、落ち着く。

 そのまましばらく見上げていたら、忍ばせた足音が近づいてきて、そっと横スライドの扉が開いた。

「あれ? 起きてたのか?」

「はい。今……」

 虎徹さんだ。もう見慣れたいつもの服に戻ってる。そうか。今日帰るから。

「おはようさん。顔洗うか?」

「はい。おはようございます」

 むっくりと起き上がって息をつくと、虎徹さんが笑って僕の寝癖頭をぽんぽんする。

 まったく、いくら一回り違っても僕ももう大人なのに、やっぱり子どもがいる人は違うんだな。

「今日も良い天気だぜ。ほら」

「……はい」

 ガラ、とカーテンごとガラス戸を開けられて、鮮やかな緑とあの青い空が目に飛び込んできた。

 なんて眩しい。それに、蝉の声がいっそう大きい。

 最初は工事現場みたいだと思ったのに、嫌じゃないな。少しだけ湿った土と緑の匂いが気持ち良かった。

「ウチのお姫様がおまえのお目覚めはまだかとそわそわしててな。早くハンサムに戻って行ってやってくれ」

「はあ、わかりました」

 ハンサムに戻れって、どういう意味だろう? 首をかしげて考えたけどわからない。

 フトンは虎徹さんが片付けると言ってくれたので、とりあえず洗面所で顔を洗うと、頭がはっきりしてきた。よし、着替えよう。

 寝癖は濡らせばまあ、納得いく形に収まった。

「おはようございます。遅くなって申し訳ありません」

「よく眠れたんなら良かったよ。さあ、朝ごはんにしましょうか」

「おはようございます!」

 キッチンを兼ねたリビングに行くと、虎徹さんのお母さんと楓ちゃんが明るい笑顔で僕を出迎えてくれた。なんだかうれしい。

 楓ちゃんのつけてるピンクの髪飾りも、虎徹さんが選んで贈ったものだ。じっと見ていたら、楓ちゃんがおどおどと訊いてきた。

「えっと、これ、子どもっぽいですか?」

「え? そんなことないよ。さすが虎徹さんは娘さんに似合うものをよく知ってるなって思って」

「ホント!?」

「ええ。虎徹さんは、君のことをよく『俺の大切なお姫様』って言ってたしね」

 本当に、大切で、愛しくて、そんな表情で楓ちゃんのことを語る虎徹さんを見ていたら、僕は安心した。

 僕はもう早くに両親とも喪ってしまったけど、でもきっと僕のお父さんもこんな風に僕のことを考えてくれてたんだって思えて。

 男の子と女の子じゃ、少し違うかも知れないけど。

 楓ちゃんはもっとうれしそうに笑って、お花とレースの髪飾りを触って、お母さんはそんな楓ちゃんを目を細めて見てた。

 そして虎徹さんが戻ってきて、朝食だ。トウフとネギの味噌汁と、出し巻き卵、それからインゲンという豆とナスビの煮物。少し油が入っていてピリ辛で、美味しい。もちろん炊き立ての白いご飯も。

 ただお箸の使い方が難しくて、僕だけ途中からまたスプーンになった。

 虎徹さんのお母さんの作るご飯は、やっぱり虎徹さんの味付けに似てる気がした。僕が知ってるのはチャーハンとかチャーハンとかチャーハンとかカレーだけど、不思議だな。

 ……あ、味噌汁が似てるからそう思ったのかも知れない。

 楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。帰り際、玄関先であれも、これもと虎徹さんのお母さんが持たせてくれたお土産は、僕の旅行かばんより大きくて重くなった。

「母ちゃん、そんなに持たされたって食いきれねえって!」

「二人でちゃんと食べなさい。乾物は腐らないし、梅干は大事だよ。梅酒だって好きでしょ」

「そ、そりゃまあ」

「ありがとうございます。僕は料理ができませんが、調理法を調べてきっと全部いただきますから」

 もちろん、虎徹さんと半分こして。

 そう言ったら虎徹さんは「じゃあおまえ全部食え」なんて言って、お母さんは目を丸くしてしみじみと僕の背中を撫でて言ってくれた。

「バニーはホントにいい子だねえ。もちろん、そうしてちょうだい。虎徹にさせたらいいわよ。そしたら二人で食べられるでしょ」

「い!?」

「面倒がらないの! ヒーローが食事に気を配れないなんて情けない」

「わ、わかったよ。バニーちゃん、そういうわけで手伝えよ?」

「はい」

 ……お母さんにまで普通に「バニー」と呼ばれてしまった。虎徹さんがそう呼ぶから本名だって誤解してるのかな?

 指摘するのも無粋だし、仕方がない。

「お父さん……」

 朝ごはんの時はにこにこしていたのに、どんどん元気をなくした楓ちゃんが、淋しそうに虎徹さんを呼ぶ。

 虎徹さんは本当に優しい表情で楓ちゃんの目を見て、そっと抱きしめた。

「また帰ってくる」

「うん。テレビ、見てるから。ケガしないでね」

「大丈夫だ。バニーだっているんだしな」

 これからも虎徹さんはケガをする。それは確かだ。

 でも、一人じゃないよ。その時にはきっと僕だって同じだ。

 目を潤ませた楓ちゃんは、精一杯笑って頷いてくれた。

「バーナビーも、また来てくださいね?」

「ありがとう。今度は僕の部屋に来るかい? 虎徹さんもいっしょに。ドラゴンキッドやブルーローズも呼ぶよ」

「うん。うん…! 約束してくれる?」

「もちろん」

 華奢な小指と指切りをして、約束する。大丈夫。僕は約束を守るよ。

 笑った楓ちゃんに僕も笑い返して、僕たちは玄関から外に出た。クラクションが聞こえる。村正さんが迎えに来てくれたんだ。

「二人とも、身体に気をつけるんだよ!」

「お父さん! バーナビー! きっとだよ! きっとだからね!」

 車に乗り込むと、楓ちゃんがしばらく追いかけてきてくれた。慌てて窓から身を乗り出した虎徹さんの「またなー!」って声を聞きながら、僕も振り返って手を振る。

 家族との別れは、短くても辛い。虎徹さんの背中を見ていると、そんなことを今さら知ったような気がした。

「ありがとうございました」

「おう。今度は店に飲みに来い。虎徹の大事な相棒だからな。おまえさんなら、夜でも開けてやるよ」

「はい」

「兄貴、じゃあまたな。ありがとよ」

 配達の途中だと言ってた村正さんと虎徹さんの挨拶は、シンプルだった。ふっと笑って片手を挙げただけでまた走り出す。

 不思議だな。だからって仲が悪いわけじゃないのはちゃんと伝わってくるから。

 昨日の駅員が僕たちを見つけて笑って、会釈で答えてホームのベンチに座る。短いけれど、たくさんの思い出ができたような気がする。

 ふと気がつくと蝉の声が静かになっていて、不思議に思って空を見たら、もくもくとした入道雲が黒くなっていた。

「もうすぐ夕立が来るぜ」

「夕立……」

「ああ。虫の方が人間よりも鋭い」

 確かに。

 ほどなくバケツをひっくり返したような雨が降って、電車がやってきた。

 残念だな。ちゃんとここの風景を見ておきたかったのに。

「来年…」

「はい?」

「来年は、おまえの家に行ってもいいか? …って、家はもうないのか」

「はい。でも、お墓参りにいっしょに行きませんか? 改めて、僕のバディですと両親に紹介したいので」

 そう答えると、虎徹さんは笑って言ってくれた。

「じゃあ少し早めに行こう。そんで、そのあとは友恵の墓にもな」

「友恵さん……奥様ですね」

「おう。あいつもきっと紹介して欲しいって思ってるからさ」

 もう会ったような気がします。

 でも、こんなことを言うのは無粋だ。そう思って僕は笑って頷いた。

 電車はガタゴトと揺れながら走る。滝のように窓を流れていた雨脚がやがて優しいものになって、オリエンタルランドを囲むような形でつながった山の向こうに、青い空とくっきりとした虹が見えた。

 ほかの乗客たちも気がついて歓声を上げる。

 素敵な故郷ですね。

 急にそんなことを言いたくなったけど、虎徹さんが得意そうに笑うところが容易に想像できて、やめた。

 だって僕には故郷なんてない。初めてそれがちょっと淋しいことなんじゃないかって自分で思ってしまって、子どもっぽいようで……ヒーローなのに、恥ずかしかったからだ。

 

 

 

END

説明
.ある夏の日、休暇をとった僕は、虎徹さんの故郷へ遊びに行きました。(全6話)■小説ではなく、「お話」です。21話まで観た現在、あっちこっち考えてしまって心配で! 楓ちゃんに正体もばれたし、平和になったら、こんな夏がきたらいいなと。おじさんがヒーロー引退してもいい。でも、みんな無事でいてほしいなー。■この二人は特にどっちが上とか下とかじゃないです。ただの仲良しも好物です!

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