悪天商店街の名女と暇人学生
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  0:

 

 なぜだか、僕はそこに立っていた。いつも雨が降っている雨宮商店街、一般名称、『悪天商店街』の入り口に。

 何かを買いに来たわけでもない。そして誰かと待ち合わせているわけでもない。その点については、今の僕に愛しい彼女や友達がいないからだと、断言しよう。

 じゃあ何故にここにきてしまったかという理由を言ってしまうと、僕は暇だ。そういった事実。

 僕の名は、灘暁(なだ あかつき)。葉桜高校一年の帰宅部。世間からは一般に僕のことを無気力少年と呼んでいる。ただ無気力なだけで、行動力がないわけじゃないと思う。家にいるのが嫌だからという理由から、寝るとき以外は外で計画的に何かしら暇人思考を全うしているから、行動力はあると思う。

 …くだらない思考はさておき、これから何をしよう。何も考えずに歩いてたどり着いたのがここだったから、何かの縁と捉えるべきなのか。

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  1:

 

 雨が、降っている。

 雷が落ち、人々の大半はその光と音に恐怖する。

 雨が降って雷が落ちるといえば、梅雨の時季でもないのに年中雨が降り続けるといった不気味な商店街があると、いつか聞いた。

 近隣の住民はその商店街を『悪天商店街』と呼んでいたそうだ。

 

  ◇

 

 とにかく、商店街の中を歩き回ってみようか。

 最初に見えたのは八百屋だった。常に雨の音が聞こえる目前の八百屋の雰囲気とは打って変わり、売っている品物、もとい野菜のことだが、かなり新鮮そうで生のままかぶりついても大丈夫だろう、とでもいっておけばどういったものかわかると思う。

 八百屋の前で立ち止まり、右側に見える八百屋とは反対側を見た。

 反対側の店はどうやら、本屋のようだ。

 その隣の店に目をやる。隣の店は骨董屋のようで、頑丈そうで透明なケースに囲われた、いかにもお高いお品ですよとでも思わせるブツがいくつか目に付く。しかし僕はそんなことに興味はない。だから、目に付いたそのブツを思い出すということは無いだろう。

 少しの間歩いて、商店街の真ん中に指し当たろうとしたところだ。

 喫茶店だと思われる店の出入り口からエプロンを身に着けた赤毛の少女が出てきた。赤毛の少女は僕の姿を見るなり、僕に話しかけてきた。

「あ、人だ」

 …訂正しよう。話しかけてきたのではない。呟いたのだ。

「人だ、なんていきなり酷いですね」

「あ、ごめん。聞こえてた?それは悪かったな」

 赤毛のセミロングヘアにエプロン、よく見ると右側の髪を髪留めで留めてある。そんな容姿とは裏腹に、若干男口調だというところにギャップがあって違和感を感じる。

「よかったらここ寄ってくか?あたし、ここの店の店主だからタダで飲ませてあげる」

 ちょっと話が飛んでいる気もしないことが無いとは言えないのだが、それはともかく、ちょうどのどが渇いていたので遠慮なく頷いた。

 

  ◇

 

「いらっしゃい、そしてようこそ、雨宮商店街一の喫茶店、『魔法薬』へ」

 赤毛でエプロンを身に着けている少女、もとい店主はそう言うと、グラスに水を注いで僕に差し出した。

「ほら、魔法水」

「水じゃないんですか」

「水だけど」

 ただの水のようだ。なのに、魔法水と言われると何か特別なもののように感じる。でも所詮はただの水なのだろうが。

 グラスを口に運び、魔法水とやらを飲んだ。

 店主の言うとおり、ただの水だった。といっても、空気を飲んでいるかのように違和感なくのどを通る。味はもちろん何もなかった。…違和感がない点では特別な水だと言えるだろう。

「この水、おいしい」

 僕はそういうと、店主はそうか、と聞き流された。

 店主は言った。

「ところで、アンタ。なんで人がここにいる」

「なんでって、なんでですか」

 むむ、と店主は言葉を詰まらせる。

「、なんでって…聞き返すか。てか知ってるわけないか。じゃあ、説明してやる。雨宮商店街は一般に“悪天商店街”って呼ばれてるのは知ってるよな」

 もちろん、と僕は言った。突然何を聞くかと思えば、そんなことか。そんなの、この辺に住んでいる人なら皆知ってることじゃないか。

「実はな、“悪天商店街”はこの世界には元々存在しないんだ。つまりは、というか要するにだ。ここは架空の世界だ」

 店主はそう言うと、メニューらしいものを取り出し、僕に差し出した。店主の言葉は理解していたものの、それを重要だと感じるところまで到達しない僕はそれを受け取った。すると店主は言った。

「こう言われて、もうわかってるかもしれないが、アンタは来ちゃいけない所に来たってことだ」

 そう言って、店主は何か食べたいものあるか、と言ってまた話を戻す。

「なんで来ちゃいけないかわかるか?」

 わからない、と僕はそう言うと店主はやっぱりな、でなきゃ来るわけがないな、と頷く。

「ここはアンタのいた世界ではない、架空の世界に来てしまった。じゃあ、どうやって帰る?」

 店主は僕の返答を待たずに続けていった。

「わからない、アンタはそういうつもりだったろう。

 帰り方は、この商店街の住人達が知ってるさ。あたしも一応この商店街の住人だから、教えてあげてもいいぜ」

 ただし、と店主は付け足すように言った。

「ただし、その前に頼み事がある。引き受けてくれるのなら、教えてあげよう」

 頼み事…?まあ、家に…というか、元いた世界に戻る気は更々ない。あっちにいても、暇なだけだから。だが、もしもの場合も考えられるので、ここは引き受けておいても損はないはずだ。

「いいですよ。頼み事、ってなんですか」

「あたしの家に住んで、働いてくれ」

「はあ、…え?あ、あー。構いませんよ」

 予想外の言葉に思わず戸惑ってしまった。いいや、働くことは予想の範囲内だった。“住むこと”、それも店主の家というところが予想外だったんだ。

「それはよかった。店員が二、三日前に辞めちゃってね」

 ふう、とため息をついて店主は言った。

「自己紹介が遅れたな。あたしは、桧原美奈。さっき言ったとおり、喫茶店の店主だ。呼び方は好きにしてくれ」

 桧原美奈(ひのはらみな)、そう名乗った喫茶店の店主は笑みを浮かべる。

「灘暁、暇人学生です」

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  2:

 

 喫茶店『魔法薬』は実は二階建てだった。桧原さん曰く、商店街は大抵二階建てだという。喫茶店『魔法薬』には二階に桧原さんの生活空間は存在していた。

 僕の部屋は店主、もとい桧原さんの部屋の隣で、元々その部屋は空き部屋だったらしい。

「やけに綺麗ですね。この部屋」

「ああ。二、三日前に辞めたっていうやつが使ってた部屋だからな。辞めるならちゃんと部屋を綺麗にしてから出てけ!って、あたしが言ったからな」

 ニヤリ、と桧原さんが笑った気がした。

 

  ◆

 

 二階にあるキッチンとダイニングは、階段がある廊下を真っすぐいったところにある。

 ダイニングの中央に置かれているテーブルは二人が使っても余裕が大分あって、五人ぐらいが一度に食事しても問題ないだろう。キッチンも設備がしっかりとしていて、一階の喫茶店の方よりも実用的に見えるぐらいだ。

 

 ダイニングの壁に掛けてある時計が七時を指す頃、僕と桧原さんは夕食を食べ始めていた。

 二人だけで使うには大きすぎるテーブルにはサラダや肉などが盛られたやや大きな器が中央に置かれ、僕や桧原さんの前には、スパゲティらしい麺系の料理と温かそうなスープがあった。

「いや、ホント申し訳ないです」

 僕の言葉に、何がだと桧原さんは問う。

「それは、ここに住まわせてくださる上に、こんな料理まで振る舞ってくださるので…」

 なんだそんなことか、住ませたのはこっちなんだから当然のことじゃないかと桧原さんは言った。

 それもそうだ。こんなことを口走ってしまう僕はどこかおかしいのだろう。

 桧原さんは微笑を浮かべて言った。

「その分、明日から働いてもらうから。覚悟しとけよ…あはは」

 笑い出す桧原さん。

「そういえば桧原さん。明日からどういった仕事をすればいいのですか?」

「簡単さ。明日からやってもらう仕事は…」

 桧原さんは一呼吸いれて言った。

「使いっぱしりさ」

「そうですか」

「ほう…そうですか、ってか。まあ、それだけで済ましたことをどう思うか、楽しみだ」

 なぜそう言ったのかはわからなかった。とりあえずはそれだけの使いっぱしりをくらうことになるだろうな。買い出しとかマッサージとかマッサージとか。

 そんなことを思考をしているうちに桧原さんは夕食を食べ終わった。桧原さんは食器洗っといてくれーじゃあ寝る、と言ってダイニングを出ていった。

 疑問が湧いた。

 風呂場は、あるのか?

 ト、トイレは…あるのか?

 そんな事を考えながら、食器を洗い始めた。

 

  ◆

 

 食器を洗い終わっても尚、さっきから始まった思考が続いていた。

 気になっていた。風呂場は…バスルームは…何処に?ト、トイレは…何処に?

 しかし、話を遡れば答えは案外近くにあったことに気が付いた。

 

"――要するにだ。ここは架空の世界だ"

 

 架空の世界、ということは、何者かに作られた話だということだろう。

 …この話の作者はバスルームやトイレの存在を考えてない場合も十分にあり得る。でも、文化がここまで忠実に再現されているんだ。…可能性はあっても――まあいいか。ここにいる限り、無かったら無かったで楽だ。

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  3:

 

 日が昇らないうちに起床した。いや、起こされたのだから、『起床した』ではなく『起床早々に叩きのめされた』が正しいのかも。

 桧原さんは何故かメリケンサックのような刺々しいモノを拳にはめていた。

 意識が朦朧としていたので、しばらくして気が付いたことなのだが、どうやら僕は今泣いているらしい。そして、頬から伝う赤い液体を見て――気絶した。

 

 

 

「起きてくれ、暁」せめてそういう風に僕は起こして欲しかった。

 そう思ったのは二度目の覚醒をしてからだった。

 目覚めたのは、日の出してしばらくしてからのようだった。

 体を起こすと隣にいる誰かを発見した。

「お、おはよ。暁君」

 隣にいたのは桧原さんだった。しかし、桧原さんの第一印象である男口調ではない。しかも何故かぎこちない女の子の口調だ。

「えと、おはようございます。桧原さん」

「あの…ほっぺ…だ、大丈夫?」

 手を頬に当ててみると、もうすでに血は止まっていた。

「大丈夫ですよ。ところで、桧原さんこそ、その口調はどうなされました?」

「―――えと、実は、偶数の日は女の人の性格なって、奇数の日は男の人の性格になるの」

「変わってますね」

「―よく…言われます。そ、それよりも、朝食ができました。さ、さあ、早く着替えて…ください」

 と、桧原さんはしゃがんで僕の服を―脱がし始めた。

「ちょ、っと…?桧原さん?何をされているんです?」

「見ての通り…、ふ、服を脱がして、差し上げて…ます」

 ぎこちない口調ながらもとんでもないことを言うなあ、この人は。

「自分でできるので、先に行っていてください」

「じゃ、じゃあ…先に行って…ます」

 桧原さんは寝間着のボタンを外す手を止め、立ちあがって部屋を出ていった。

 

 

 

 着替え終えた後、すぐにダイニングへと向かった。

 ダイニングとキッチンに繋がるドアを開ける。

 はじめに目に入ったのはダイニングの中央に設置されている大きめのテーブル。テーブルには、中央にサラダが盛られている器、テーブルの椅子側には食パンやポタージュのようなスープが置かれ、スープからは湯気が立っていて食欲をそそる。

 桧原さんの料理はさすが店を開いてるだけあって美味しい。

“あたしはあくまで喫茶店をやってるだけだから、頑張ってもこの程度だ”

 そういえば桧原さんは昨日の夕食の時にそう言っていたっけ。

 それから最後に目に入ったのは、ぼーっと朝食を見つめる桧原さんだった。その姿は何故か“雨に打たれる寂しげな少女”を彷彿させる。

「すいません。お待たせしました」

 僕はそう言ってテーブルの席に着く。桧原さんは僕の言葉が聞こえたのか、こちらを向き、にこりと笑って言った。

「そ、それじゃ…いただき、ます」

 僕は桧原さんのぎこちない食前の挨拶を聞いてから、いただきます、と食事を始めるのだった。

 

 

 

 桧原さんは昨日とは打って変わって、僕が食べ終わるのを待っていた。桧原さんが食べ終わる早さは人一倍早い。というのも、桧原さんが食べる量が人一倍少ないからだ。昨日の桧原さんも食べる量は少なかった。性格は違っても食べる量は変わらないようだ。

 

 僕が最後に残っていたトマトを口に運ぶところまで桧原さんはまじまじと見つめていた。

「お、おいしかった…ですか」

「はい、とてもおいしかったです」

「あ…ありがとう、ござい…ます。じ、実は…全部て、手作りなんです」

 昨日の桧原さんからは考えられない程赤らめていた。おまけに噛みまくりでぎこちなさが余計に目立つ。手作りなのは当然だろうと思いつつも、そんな桧原さんにうっかりときめいてしまった。

「そうなんですか。道理で初めて食べたときから美味しいと思ってました」

 桧原さんの顔がますます赤くなって、今にも噴火しそうになったとき、若干慌てて言った。

「そ、それじゃ、しょっ…食器の方、片付けますね…!」

「僕も手伝いますよ」

 そう言って、ものすごいスピードで食器を回収する桧原さんから回収したそれを半分程とサラダが盛られていた器をキッチンの流し台のところへ運んだ。

 

  ◇

 

 ふと、思った。

 悪天商店街が生まれた時代。時代が古ければ、それだけ文化も古いはず。僕が小さいときには悪天商店街の話を聞いていた。

 その時代は台所にガスコンロはとっくに普及していたはず。

 なら――

 てか、僕はさっきから桧原さんにとんでもないことを言っていたような…?―――

 

  ◇

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  4:

 

 キッチンに、手際よく食器を洗う桧原さんと、ダイニングのテーブルに座り、商店街内で毎朝配られるという『雨宮新聞』を広げて眠そうにそれを読む僕。その光景は有りがちな夫婦の日常の様で内心、若干恥ずかしくて、想像してしまったことをほんのちょっと後悔した。

「桧原さん。この『雨宮新聞』は全部商店街の人で書かれているんですか」

「え、えと…大体そんな感じ、かな。それを書いてるのは、商店会よ」

「へえ…そうなんですか」

「うん。正確には…商店会の新聞部、ていう、と…所で創られているの。中身は、見たらわかると思うけど…商店街のお店ので、出来事とか、何を入荷したとか言う情報を主に、載せられてるわ。商店街以外の人でも商店会の本部で契約すれば読むことができる、ていう代物よ」

「便利ですね。ところで商店街以外の人っているんですね」

 桧原さんは笑う。そして言った。

「お客様がいなきゃ商売が成り立たないわよ。でも、人っていうけれど、暁君から見たら人じゃないかもね」

「人じゃないかもねって……それはそうと、桧原さん」

「どうしたの、暁君」

「さっきまでぎこちなかったのに、もう普通の話し方になってますね」

「性格が変わった後はしばらく体が口調に慣れてないの。だから、しばらく話してると、急に普通の話し方に戻るの」

「へぇ〜…」

「だから、うちの喫茶店は一〇時開店なの」

「ぎこちない口調だと客に情けないから、いつもの口調に慣れてからってことですよね」

「…まあ、そういうことになるわね。あら。もうこんな時間。さあ、準備しましょう。ちょうど今洗い終わったから、ついて来てくれる?」

 そう言うと、桧原さんは足早にダイニングを出ていった。壁に掛けてある時計を見ると、針は九時三〇分を指していた。

 

  ◇

 

 喫茶店『魔法薬』の一階。昨日ここで、桧原さんがここで住んで働いてくれなんていう、頼み事を言った場所。

「それじゃあ、まず買い出しに行ってくれるかな。できるだけ一〇時までにお願い」

 僕はこの世界で初めての買い出しを頼まれた。

「それでは行ってきます」

 僕はそう言って喫茶店を出た。

 

 

 

 渡された二枚のメモとお金の入った財布、そしてやや大きめな鞄。一枚目は買うものと店の名前が書いてあった。二枚目は商店街の地図だった。「まず、野菜からだな」

 僕は早速八百屋へと走り出した。

 

  ◇

 

 …行ってきます、か。久方ぶりだ、この言葉。

 それにしても、引っかかるな…。

“暁君から見たら、人じゃないかもね”

 どういうことなんだろう。

 

  ◇

 

 商店街全てを雨から守るように屋根に覆われている。雨が屋根を叩く音は僕にとってはもうただの風の音に等しいまでに自然となった。

 二分程で八百屋に着いた。

 若干息は切れてはいるが思考する分には問題ない程度だ。

 メモを見た。そして僕はメモに書いてある野菜をいくつか手にとっていく。そして僕の存在を気づいたのだろう。店の奥から誰か出てきた。

「いらっしゃい。すいませんね、今オヤジは居ないんだ…見慣れない奴だな。誰だ?」

 出てきたのは十五歳前後の少年だった。

「今日から喫茶店『魔法薬』に勤めることになった、灘暁と言います。今後ともお見知りおきを」

 あくまで紳士的に、そのつもりだったのだが…。

「桧原さんのとこのか。ボクの名前は、三神美知。女っぽい名前だけど…気にしないでくれ。それじゃあ、これから灘君って呼ぶよ。

 それで、今手に持っている野菜は買うものだよね」

「うん、それでいくらに?」

 うっかりというもので、つもり、というものは案外脆(もろ)くすぐに崩れることを今知った。

 うーん、と三神美知はしばらくの間考えた後、口を開く。

「四五マカ、頂戴するよ」

 通貨の読み方はマカというらしい。

「はい、四五マカ。じゃあ、時間が危ないみたいだからこれで。また世話になるよ、美知君」

「美知でいいよ、灘君」

「じゃあ美知、これで」

 買い取った野菜を鞄に入れる。そしてメモを取り出し、書いてある品物を見た。

「次は、本屋で…料理本、注文してあるものなので代金のみ支払えばよし、か」

 案の定、本屋は八百屋の前にあったので本屋の中へと向かった。

 

 

 僕が今入った本屋『おもひで散歩道』の中は店名とは関係無くやたらと新しく、手入れが行き届いているようだった。

 カウンターは入り口のすぐ左側にあった。

 僕は店員に用件を伝えるため、声をかけた。

「すいません、喫茶店『魔法薬』の使いの者ですが。注文した物は届いていますか」

「はい。喫茶店『魔法薬』と言えば、美奈さんのお店だね」

 ええと、と男の店員はカウンターの下を探り出した。

「これだね。料理本ってことは、新しく何か作りたい料理でもできたのかな」

 そう言いながら男の店員は丁寧に袋に料理本を入れて差し出した。

「えと…三五マカです」

「ああ、そうだったね」

 財布から三五マカを取り出す。

「ちょうど、三五マカですね。ありがとうございます」

 じゃあ、それだけを残して僕は本屋を出た。店を出る寸前、またご来店下さいませ、と店員の声がした。

 

 次は、最後か。花屋『愛花』にて紫陽花と太刀草を……太刀草って…何だ?

 花屋『愛花』の場所は喫茶店の四軒隣か。

 

  ◇

 

 睨みつけた八月。夏だっていうのに、夕立が一度も発生しないでただ、この星の生きとし生けるモノを照らし続けていた。

 水源の枯渇。世界的に問題になろうとしていた頃だ。

 僕が“悪天商店街”という昔話を思い出したのは。

 そして、思った。

 

 雨が降り続ける世界なら、この世界にいるよりもよっぽど水に飢えることはないんだろうな…と。

 

 極端な話だが、確か、こっちの世界に来てしまう前まではそう思っていた。

 

  ◇

 

 本屋から走り出して、五分が経った。この商店街に終わりがあるのかと思う程長く感じた。実際、長いのは間違いないのだが。

 息を切らしている。鞄が重く感じ始めたせいか、さっきまで普通に走っていたのに、歩いている。僕は毎日外を出歩いているが、元々体力に自信は無い。喫茶店から八百屋まで大して息を切らすことなく二分程で到着したのも不思議なくらいだ。

 

 

 

 喫茶店に一度荷物を置けば良かったのだが、僕の中途半端な性格上、そのまま『愛花』に向かうことにした。

 結局、『愛花』に着いたのは本屋を出発して一〇分かかった。

 『愛花』の店先には色とりどりの花が飾ってある。そして花に水をやっている店員らしき少女が一人。茶髪を肩ぐらいまで伸ばして、身長は桧原さんと同じくらいだと思う。

「だ、大丈夫ですか!?」

 店員らしき少女は、ぜえぜえと息を切らしている僕の存在に気づいたのか、声を掛けてくれた。

 何故だろう。さっき受け取った本に呪いでもかけられていたわけでもないだろう。そもそも此処はゲームや二次元の世界ではあるまい。

 僕は根性で用件という言葉を発した。

「だ…大丈夫です…、それよりも…喫茶店魔…法薬…です…、紫陽花と…太刀草ってやつを、一輪ずつ下さい……ふう」

 何とか言い切った。途中で呼吸が整い始めたので楽になったから、言い切ったという表現は間違っているかもしれない。

「本当に大丈夫ですか…?あ、紫陽花と太刀草一輪ずつですね。それではお持ちしますね」

 店員らしき少女は足早に店の中に入っていった。

 店員を待っている間に呼吸は整った。そして店内に見える時計を見た。九時五八分、ぎりぎりだ。

 店から先ほどの店員が出てきた。そして店員は言った。

「大変お待たせしました。紫陽花と太刀草一輪ずつ、合計一九マカです。美奈さんに今後ともよろしくと伝えておいてください」

 代金を渡すと店員はにこりと笑みを浮かべる。

「また来てくださいね」

 じゃあまた来ます、と僕は言って喫茶店に向かった。

 

  ◇

 

 …此処に来て大分調子が狂ったのかも。

 それよりも…桧原さんが言う、僕から見たら人じゃないってどういうことだろう。

 

  ◇

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  5:

 

 

  ◇

 

 蒸し暑さが残る七月。梅雨明けが告げられたにも関わらず、朝晩雨が降り続けるというパターンがマンネリ化して暫く経つ。

 天気予報によると、七月末日辺りから雲一つ無い快晴状態の日がずっと、続くそうだ。日差しが例年より強くなるので対策をしっかりしておきましょう、とテレビ番組でよく見る、“予報が当たらない”気象予報士言った。

「下らない」

 そう吐き捨て、テレビの電源を切った。そして、行きたくもない学校へ向かった。

 居たくもない家から行きたくもない学校へ…。なんて、下らない。義務教育なんて終わっているのに何で学校なんかに通わなければいけない?

 親に強制され葉桜高校に入学。勉強なんて、並かそれ以下しかやらない僕にとっては偏差値が五〇以上である葉桜高校に入学することは、精神的な苦痛が半端ではなかった。

 校則は厳しい上に授業は難しい。親は、僕の将来やりたいことなんてのは完全に無視してやがる。

 

 …

 

 桜の花びらの雨が美を飾る季節。あの学校に僕が行くこと自体はすでに無駄だと感じていた。

 何も考えず、ただ黒板に書いてあることをひたすら書き続けていただけの僕に。

 何も考えず、休み時間中は虚空を見つめ、放課後はひたすら無言で、全ての障害を無視。そしてそれから適当に、深夜まで徘徊。誰にも絡まれなかった自分が少し不思議に思う時期もあった僕に。

 

 正直、嫌々続けて一学期間もやり過ごせたことはちょっとだけ奇跡的だ。

 

  ◇

 

 ――からん、からん。

 

 喫茶店のドアを開けた。ドアを開けたその先には心配そうな表情をしている桧原さんの姿があった。

 桧原さんは、『仕事着』らしいエプロンを着ている。

 心配している面持ちのまま、桧原さんは言った。

「お帰りなさい、暁君…いえ、アッキー」

 そう言って桧原さんは、にこっと笑みを浮かべる。

「只今…。ていうかなんでアッキーなんです?うっかりアッキーを肯定してしまったじゃないですか」

「暁君って呼ぶのは、なんか固っ苦しいからアカツキ、略したら、アッキーになったの。ちなみに決定事項だから、拒否権はアッキーにはないわよっ」

 ふふふ、と笑う桧原さん。

 アッキー、か。まんざら悪くはない気がするが、この世界でニックネームを付けられるとは思わなかった。

「はいはい。わかりましたよ。それはそうと、頼まれたもの、買ってきましたよ」

 この際敬語なんてどうだっていい。

「はい、ありがとう。あかつ…ア、アッキー」

 敢えて口には出さないけど、桧原さん…アッキーの名付け親がアッキーと呼ばないで本名口にしようとしたね…。

「どう致しまして。それにしても、桧原さん。今何時ですか」

「えっとね…。あ、もう一〇時ちょっと過ぎちゃってるわ。開店しないと!」

 

  ◆

 

 桧原さんの話によると、昨日は偶々喫茶店は休みだったらしい。

 

 

「それじゃ、また明日」

「ええ。また来てね〜」

 閉店時間ギリギリまで桧原さんと話込んでいた最後の客が、喫茶店を出ていく。桧原さんは客を見送っていて、僕こと灘暁はというと、食器やナイフ等を洗っていた。こういった雑事にはまだ慣れない(そもそもやったことが無い)が、暇ではないので、それなりにやりがいを感じていた。

「さて、アッキー。おつかれさま。慣れないことだから疲れたでしょう。初仕事祝いに、どこか行きましょうか」

「どこかって…、食べにでも行くんですか?」

「まあそんなところ、かな」

 桧原さんは微笑む。

 桧原さんは、さてとでも言わんばかりに一度深呼吸。そして言った。

「行きましょうか、アッキー」

 

 

 

 商店街は、僕が元いた世界の商店街と大差なく街灯に照らされている。

 桧原さんから、喫茶店を出るときに渡された傘。大きさは海水浴等の場面で見られるパラソル程。重さはというと、僕が元いた世界のビニール傘と大して変わらないと思う。見かけより大分軽い為に、初めてそれを渡された時は、それなりに重いと仮定していた為か「え、軽っ」と焦った。

「桧原さん、商店街の外に出るんですか」

「そうよ。だって、商店街は一面屋根に囲まれてるのよ。

 それと、今から行くところは、夜景が綺麗な所よ。ただ、そこへ行くのは、きっと最後でしょう。…きっとね」

 朝に僕がダイニングに入ったときと同じ表情を、桧原さんは浮かべた。

 そんな桧原さんは、すぐににこっと笑って、言った。

「気にしないでね。今わたしが言ったこと」

 桧原さんは歩き始めた。僕も歩き始める。桧原さんのペースに合わせて。

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  6:

 

 

  ◆

 

 似ていた。赤髪のセミロングにエプロン姿。そして、男口調だけど、女の子だと言う決定的な性格。その決定的な性格というのは、後日わかったことなのだが、実は―――

 

  ◆

 

 桧原さんは、軽やかな足取りで歩いている。僕はその人の隣を歩き(実は何故隣を歩いているのかわからない)、色々と話していた。

 今日の出来事や、ここに来る前のくだらない日々の愚痴。そして、今はというと、

「太刀草…?ああ、あれはね、ドリアンを切るのに使うの。――実はね、太刀草は人を簡単に切り裂けちゃうのよ」

 僕の血の気が引いた顔を見て、笑った。

「アッキー、安心して。太刀草の切れる所は普通四センチくらいで、枯れやすいの。太刀草は枯れると、何も切れなくなるから、凶器として使う人はあまりいないわ。少なくとも、この世界ではね」

 花屋『愛花』で買った、太刀草(たちそう)の話だ。太刀草だけ、鞘のように頑丈そうな入れ物に入れてあったのが印象的だったので、訊いてみたのだ。

「それに、太刀草はあの店でしか育てられてないし、販売もされてないの。野生の太刀草っていうのはもう無いみたいよ」

「そうなんですか。――太刀草って、食べられるんですか」

「――無理じゃないけど…食べたら、死ぬと思う」

「誰も食べないんですか?…太刀草って、毒でもあるんですか」

「太刀草のちょうど、刃にあたる部分からは、細胞を、傷ひとつ付けずに切れるようにする汁が出るの。原理は説明するのは難しいから言わないけど、その液は、源に水分があることで、出きるらしいの。それで、源はどんなに加工しても取り除けないの。――ということは、枯れちゃってても源はあるでしょ。食べちゃったら、体の中の水分と源が混ざって、太刀草汁ができちゃって、ちょっとの衝撃で、胃とかがパカッとお腹が裂けちゃった〜、とかなっちゃうらしいの」

 お腹が裂けちゃった〜じゃないよ、桧原さん……この人、ときどき物凄いこと言うな。

 僕は、その話題を持ち上げたことを後悔したので、話を無理矢理切り替えた。

 

 

 

 しばらく歩き続けると商店街の道が分かれている所に着いた。

 桧原さんは言った。

「アッキーにはまだ説明してなかったね。ここ雨宮商店街のこと。ここは、雨宮商店街、サードクロス《第三の十字路》よ。十字路は、ここから一キロの所にセカンドクロス《第二の十字路》があって、二キロ程北の所にファーストクロス《第一の十字路》があるの。雨宮商店街は、【第一区】から始まって、【第三区】まであるの。そしてここは、【第二区】よ。右側が、【第一区】、左側が【第三区】よ。十字路は、隣の区に繋ぐ道だから、覚えておいてね」

 桧原さんと僕はそのまま十字路を通り過ぎる。

「ついでに言っておくと、【第一区】が食べ物が中心で、【第二区】が日常生活に必要な物が中心。そして、【第三区】は、機械系の製品の物が中心よ。

 これから色々、買い物とか、散策に商店街の外に出てもらうことがあるかも知れないから、これも覚えておいてね」

 

 

 

 またしばらく他愛もない話をしながら歩いて、セカンドクロスに着いた。

 商店街の中央なだけあって、大きな広場のようになっている。

 桧原さんの話だと、月に一回、ここで雨宮商店街内の店全体で各店舗の来店客数と美化度を発表する、グランプリ的な大会が開かれるそうだ。

 商店会はついでに、と言っているそうだが、雨宮商店街全区の中での、人気の店主、店員を発表する大会も同時に開催されるそうだ。

 …どういうわけか、これは商店会の会長の趣味だと、思ってしまった僕がいた。

 

  ◆

 

 話しながら、ファーストクロスに着いた。

 桧原さんは言った。

「ここは、アッキーが想像している通りの場所よ。ここはね、《第一の十字路》の別称があるの。それはね…“呪陣の環”って呼ばれてるの」

「――この呼び方は、商店街の一部の人しか呼ばない、秘密の呼び方だから、誰にも言わないでね」

「それって――」

 何ですか、と言おうとしたとき、

「それは、また帰ってからね」

 桧原さんは、さあ行きましょうと言って歩き始めた。

 はい、と生返事をして僕は桧原さんの背中を追いかける。

 桧原さんに追いつくと、桧原さんと僕はまた、他愛もない話を話し始めるのだった。

 

  ▼

 

 商店街の中で、最も大きなそれは商店会の建物。一階と二階のほとんどは一日中明かりが消えることはなく、消灯されるところといえば、会議室、役員用休憩室、そして会長室である。

 会長に雇われている、あるメイド曰わく、

「あの女ったらしの変態野郎には近寄らない方がいい」らしい。

 これは、“奇数の日”の桧原さんから聞いたことだ。

 僕は思った。いや、思わされた。

 

 コイツ《会長》、できる…!と。

 

 ところで、できる…!って思ってしまった僕は何なんだ?

 

  ▲

 

 商店街の門、所謂(いわゆる)出入り口のことだ。

 僕と桧原さんは鉄製の門の前で立ち止まった。

 商店街の出入り口である門の扉が閉じられている。どこの出入り口もこうして閉じられているのだろうか。

「どうしました、桧原さん」

 隣に立ち止まっている桧原さんを見ると、顔をしかめている。

「もうちょっと早かったら開いてたのにね。まあ、別にここから出られる所があるからいいけどね」

「別に出られる所、ですか」

「ほら、あそこ」

 桧原さんが指差すその先には、門の扉とは違って、平凡な住宅によく見るドアが不自然な雰囲気を醸し出しながら、存在していた。

「周りの雰囲気にあってませんね。てか、使いどころ間違ってません?」

 桧原さんは、それは言わないで、とでも言いたげな目線を僕に送る。

 どうやら、商店街の人達の暗黙のルールであって、理であるらしい。

「そう、あそこから入るの。さあ、行くわよ」

 桧原さんは不自然な雰囲気を醸し出している国民的なドアへと歩み寄る。

 あそこを通るのかと思うと、ものすごいモヤモヤ感という拒絶反応が襲ってきた。

 僕がぼーっと、しているように桧原さんに映ったのか、桧原さんは手招きをして言った。

「はやく、はやく!」

「あ、はい」

「早くしないと、とんでもない事になるから、さあ、行きましょう」

 そう言って、桧原さんはドアノブに手を掛けた。

-8ページ-

 

  7:

 

  ◆

 

 あ〜〜っ、何かこのドア潜りたくね〜…。

 

  ◆

 

 

 あの不自然なドアを無理矢理潜らされた。勿論、桧原さんにだけど。

 

  …

 

「大変なことになるって、どういうことですか」

 桧原さんは、どうしてだか早く潜らなければ大変なことになると言って聞かないのだ。

「今日でそこへは行けなくなるの。はい、じゃあ行きましょう…!」

 桧原さんは僕の腕を引っ張り、ドアの向こう側へ押し込んだ。

 

  …

 

 

 

 商店街の外《外界》には、森が広がっていた。

「着いてきて」

 桧原さんは足早に歩いていく。

 そして、気づく。

 

 雨が、降っていない――!?

 

「桧原さん!どういうことですか!あ、雨が!雨が降ってません!」

 桧原さんは僕の方を向き、口を開く。

「また、あとで」

 そして、桧原さんは前を向く。商店街の中にいたときとは違って、かなり真面目な表情だった。

 

「……………」

 

 

 

 長い、静寂。その中に、一人の商店街の住民とパラソル大の傘を持つ人が一人。二人は、そこに辿り着くまでほとんど口を開くことはなかった。

 

  ◆

 

 目的地まで、ざっと三〇分強はかかった。

 深夜、木々の間、望月に照らし出される。風景は、見る限りに変わった。

 商店街を出たときは、普通の、日本ならどこにでもありそうな森だった。けれど今は、まるで原生林……いや、まるっきりそれだ。

 大量のシダやとてつもなく巨大なメタセコイアの間に出来た道。人がよく通るところなのか、草の生えていないところが道となっている。その先を追っていくと、森が断絶され、開けた空間に、この世界の全て《世界樹》を発見した。

 そびえ立つソレは、首都にある電波塔とは比にならない。

 ソレにかなり近づいたとき、桧原さんは言った。

「あと、一カ月」

「…どういうことです?」

 桧原さんは、悲しい顔をする。

「あと一カ月で、この物語の世界は忘れ去られるの」

「忘れ去られる。この世界の存在価値が無くなるのよ。この世界は、一カ月後、消滅するの」

「この木は、通称、“マナのマキョウ”って呼ばれてるわ。魔物の魔に鏡と書いてマキョウって読むわ」

 マキョウ…?

 少なくともマナとは心の糧。マナはわかるとして、魔鏡の意味が今ひとつ想像できない。

「魔鏡、この意味、わかる?」

 桧原さんは僕の応えを待つ間もなく話し始めた。

「アッキーが元いた世界では、どんな意味を想像されるかはわからないけど、この世界で、魔鏡は、“食べる”っていう変わった意味なの。でも、日常会話でそれが出ることは無いわ」

「…食べるって意味なら…つまりは、あの木はマナを食べているってことですか」

「そう。マナ、指す意味は心の糧。

 マナが食べるもの、それがあの木。それで、あの木は地球のマナを食べているのよ」

 次々に、僕の理解の範囲を超えたことを言う桧原さん。

「地球のマナって、なんですか…?」

「そうね…。地球にも心があると思えば簡単よ。あと、地球と言っても、この世界の地球じゃなくて、アッキーのいた方の世界の地球よ」

「…こういうこと、あり得るんですか」

「…?どういうこと?」

「僕のいた世界では、今、世界的に雲一つない日差しだけで、水源が枯れてしまう所も少なくはないといった状態です」

「アッキーは、それがこの“マナの魔鏡”が関係していると言いたいのね」

「そうです」

「実はね、“マナの魔鏡”はね、この“悪天商店街”の物語の世界に生ける全てに存在価値を与えてるのよ」

「マナの魔鏡が死ぬ時、それはきっと、アッキーのいた世界が死んじゃう時でしょうね」

「…この状況、かなり危ないじゃないですか!」

「もちろん」

 桧原さんはさてと、と言ってさっき通ってきた道の方を見た。

「あ」

「どうかされましたか」

「忘れたわ。アッキーはさっき、雨が降ってないって言ってたよね?」

「はい」

「実はね、“雨が降ってない”っていうのは、違うの。雨はちゃんと降ってるの。ただ、この世界に来て、四日は経たないと見えないだけなのよ」

「そうなんですか」

「でもね」

 何かを言いかけた時、行きましょうか、と言って、桧原さんは歩き出した。何を言いたかったのか気になりつつ、その光景にどこか既視感を感じながら、桧原さんを追った。

 

  ◆

 

  …

 

 いつも気づけば見てしまっている。そう、当たらない天気予報士がやっている天気予報。当たらないくせして、やたらと無駄話を挟みやがって、ウザったい。

 テレビの電源を消す。そして、癖のように、いつも言う。

「下らない」

 

  ○

 

 葉桜高校。偏差値五五。男女の割合は、若干女子が多くて、葉桜高校に通う生徒の大半は、人間として腐っている。なぜなら、

 

「おい灘ァ、今日も誰かとホテルかい?」

「……………」

「ねえ、灘君。昨日、女の子ナンパしたってホント?」

「……………」

 いつも、朝学校の教室に入るとその調子だ。

 一般に、こういうのはイジメに分類されるのだろう。

 ちなみに僕は、ホテルなんてところには行ったこともないし、行きたくもない。ナンパなんてしてないし、そんなことをする気にもならない。偏見の塊か、奴らは、と思うのも、もはや日常。

 

「……………」

 

 先生に何か問われる以外、絶対に言葉を発しない。これは、親に対する、ちっぽけな反抗、そして痴愚。

 

  ○

 

  …

 

 平凡な割、地域には協力的な高校、葉桜高校。平凡だったらもう少し、マシな人間がいてもいいだろうと思う。

 

 

 

 昇降口、そして靴箱。ちょっと目線をずらすと靴箱の側面にはポスター、床には簀の子が敷いてある。

 葉桜高校の学生が当然、そこには自分の上履きがあることを知っているかのように―――当然の事なのだが、靴箱のドアを開け、上履きを取り出し、下履きを

脱いでそれを履く。それから友人らしい学生が近づいて、話し掛け、上履きを履いていた学生と話しながら階段のある方に歩みを進める。

 学生ならあって当然の光景。

 僕の上履きが入っているであろう、靴箱のドアを開ける。しかし、僕の上履きは無かった。だが、代わりに紙が入っていた。

 “今日も借りてくね ヤナギ”

 ヤナギが僕の靴を借りていく、これも、日常。いつものことだ。

「……………」

 ヤナギは女の癖、男口調で話しかけてくる、“あの”女。男口調の癖、手紙とかの文とかは女。変わったヤツだ。

 “あの”女が言うには、身長が低いから自分の上履きが入っている所まで手が届かないから、借りるのだと。

 “あの”女は不思議だ。僕が無視し続けているというのに、話し掛け続けてくる。

 嫌がらせか、と初めは思っていた。しかし、“あの”女は違うようだ。なぜなら、悪意を感じないというのもあるが、話の内容が至って“普通”だった。

 

「おはよーアッキー!昨日の仰天世界ニュース見た!?」

 

 …これも、日常。

 それでも僕は無言、ただ黙って、沈黙を突き通す。

 それでも“あの”女《ヤナギ》は何一つ、嫌な顔もせず、むしろ楽しそうで、必死そうにも見えて、毎日、授業と授業の間の休み時間にも話しかけてくる。

 時々思う。灘暁《僕》がやっている事は正しいのか、いや、正しいのかなんてどうだっていい。自分が幸せなのかなのかだ。

 時々思う。“あの”女が今度話し掛けてきた時、言葉を返して、会話をしようかな、と。

 

  ◆

 

「なあ、アッ…カツキ」

「どうされました、桧原さん」

 やっと、と言うべきか、セカンドクロスにたどり着いた頃だ。

 午前零時を過ぎたようで、桧原さんの性格が変わってちょっと時間が経った頃だ。

 桧原さんは、頬を赤らめて僕の名前を言う。女の子の性格の桧原さんが勝手に名付けた僕のニックネーム、“アッキー”。桧原さんは、“アッキー”と言ってしまいそうになったのだろう。頬を赤らめたのはきっと、それが原因だ。

「“呪陣の環”について、説明してやろう」

「そういえば、それについて聞いてませんでしたね」

「ああ。“呪陣の環”というのは、呪いに、陣取りの陣と書いて呪陣、タマキ《環》と書いて、ワと読む。

 それで、だ。“呪陣の環”は、“マナの魔鏡”から分配されるマナを溜めておく役割があって、呪陣、わかりやすく言えば、結界。それが、いくつもあって、樽のタガみたいなものを作ってるんだ。タガってわかるか?樽とか桶の外についてる輪だ。

 ちなみに、“呪陣の環”に溜められてるマナはな、俺たち商店街の住民のマナなんだ」

「仮に、呪陣の環が無くなったら、桧原さん達商店街の人たちは消えちゃうって事ですか」

「そうだ。ご名答」

「桧原さん、この呪陣の環、必要なんですか」

「正直、いらない。けれど、必要だ」

 桧原さんはあくびをする。

「…てのはさ、商店街に店員と住民がいて、この世界が成立するだろ。店員や住民が商店街にいなかったら、物語も何も無いだろ」

 考えてみればそうだ。あまり考えたくはないけど、店員や住民がいなかったら、ただの、“血肉の無い骨”――ただ、静寂が全ての空間《世界》になってしまう。

「桧原さん、あなたの願いは何ですか」

「何で、それを今聞く」

「何となくです」

 本当に、何となくだ。実際に口走った僕が言ってから何言ってるんだろう僕、と思うくらいだ。

 桧原さんは、うーん、と考えてます、という素振りをする。そして言った。

「まあ、なんだ、こう…世界平和ってやつ?ありきたりだけどさ」

「世界平和、ですか。いいですね。理想論も偶にはいいもんですね」

「おい、今若干軽蔑しなかったか」

「いえ、気のせいでしょう」

 

 

 

 それからしばらくの間桧原さんは、軽蔑したよな、とか、さあ吐け、吐くんだ、とか言って、挙げ句の果てに、頼む!軽蔑したって言ってくれ!なんていう事を若干声の音量を上げはじめるといった状況にまで陥った。

 

 

 

 その後、桧原さん曰わく、「疲れてたから、気が変になってた」、だそうだ。

-9ページ-

 

 

  0/

 

 

  □

 

 昔、といっても、それほど時は経っていません。

 しとしとと。ざーざーと。そこはずっと雨が降る商店街。

 ポツリ、ポツリと雨粒が商店街の屋根を叩く音はもはや、そこでの生活においては、静寂も当然。

 ある、商店街で店を開いた人はいいました。

「ここからもう出られない」

 昔、商店街で店を開いた人はいいました。

「ここから出たいなら、商店街の住民に訊け」

 ―――著者名不明、“悪天商店街”物語より抜粋。

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  ◇

 

 結局、喫茶店に帰ってから僕の部屋にたどり着いて間も無く、ベッドに倒れ込んだ。

 

  ◇

 

 

  1/

 

 

「だから、あいつはあそこで腹切るべきなんだって」

「でもよ、美奈ちゃん、ベルモットは祝福されるべき人なんだって」

 喫茶店『魔法薬』の常連客と桧原さんは、雨宮新聞に掲載されていた小説のことについて、さっきからずっと討論みたいなことをしている。

 小説のタイトルは確か――「好きだと言える殺人鬼」だった。

 

 

 タイトルからして、シリアスな感じと、案外恋愛モノなのかもしれない…というのが、僕が感じたことだ。

「かもしれないけどなぁ…ベルモットは殺人鬼だぞ。言い訳がどうあれ、人間三〇〇人とエルフ四〇〇人、おまけに五〇頭の幻獣を、手当たり次第に、殺したんたぞ」

「それでも、事の発端は全部ミヤコだよ?彼女のミヤコが、ベルモットを狂わせたんだよ?」

「殺したのは、ベルモットだ。結局、ミヤコは、あそこまで狂うとは思わなかったんだろ」

 さっきからこの調子だ。

 ミヤコが狂わせたベルモットは祝福されるべきだ、と主張するのは、常連客の花定(はなさだ)さん。

 一方桧原さんは、ミヤコに狂わされたとはいえ、殺人鬼と化したベルモットは、腹切ってしまえと主張している。

「花定さん、ベルモットは最終的に、殺す事を楽しみだしたんだぞ?」

「美奈ちゃん、それでもミヤコを愛していたんだよ」

 …話があまり進展していない気がする。

 そのとき、喫茶店のドアが開いた。

 からん、からん。

「いらっしゃい。…あ、おはよう。達哉君」

 昨日の、本屋の店員だった。どういうわけか、息を切らしている。

「おはよう…ございます。それより―――!」

「アイちゃんが――倒れたんだ!!」

「アイちゃんって、『愛花』の哀ちゃん?」

 桧原さんは静かに言った。

 一方達哉は焦っているようだ。

「とにかく、着てくれますか?!」

「お店の営業があるから、アカツキ。代わりに行ってやってくれ」

「は…はい、わかりました」

「達哉君、それじゃ、アカツキを連れてってくれ。

 アカツキ。哀という女の子の容態を詳しく、調べといてくれ」

 一応、達哉君と呼ばれた本屋の店員に簡単な自己紹介をしよう。

「僕は灘暁。よろしく」

「ああ。俺は大葉達哉。こちらこそよろしく…って、ああ!早く行かないと!さあ、着いてきて!」

 大葉達哉は走って喫茶店を出ていった。こんな場面で自己紹介なんて何でしたんだろうと僕は後悔しつつ大葉さんを追いかけた。

 

 

 

 花屋『愛花』。奥の部屋のベッドに、昨日の花屋の店員が、顔を火照らせ、息を荒くしていた。目は、見る限り、充血している上に、活力が無い。

 哀という女の子の正体は、どうやら昨日の店員のようだ。

「…達哉、君…?」

「ああ、俺だ。美奈さんは、今忙しいそうだから、代わりの人を連れてきた」

「僕は灘暁。あなたがその――アイさん…?」

「うん、わたしは…――沢波、哀」

「じゃあ、さっそくだけど、症状を聞かせてくれる?」

 哀さんの病状は、推定三八度前後熱に充血、頻繁に強い耳鳴りに加えて呼吸が荒い。今のところは全体的に落ち着いている方らしい。

「…以前から変わったことは、ある?」

 哀さんはしばらく考えた後に何もないと言ってゆっくりと目を閉じて、やがて寝息を立て始めた。

「じゃあ僕は、桧原さんに伝えてくるから、達哉君は哀さんを看といてあげてください」

 わかったと大葉さんは静かにそう言った。

 

 

 

 桧原さんに哀さんの容態を伝えると、しばらく黙った。そして言った。

「新聞取ってきてくれ。一昨日のだ」

「あー、あたしの部屋にある机の一番大きい引き出しの中にあるから」

「わかりました」

 僕は桧原さんの部屋に向かった。

 

 

  ○

 

 

 夏休み前の出来事だ。一学期の成績のことで、両親が二人、揃いも揃って、欠点スレスレの成績が記されているを片手に僕の部屋で説教をし始めたのだ。

 まあ、当然のことだろう。テストなんてのは名前だけで提出した教科もあったのだから。内容は完全に把握していた。問題を解けば全教科九〇点以上なんて軽い。まさかこんなにも簡単なテストだとは思わなかった、とはクラスの連中も言い出すくらいだ。よほどの手抜きだったのだろう。教職員は一体何をしている、と『親御さん』共がしゃしゃり出てくるのが普通なのだろうが、そういったことは一切無いようだ。この頃、異様な何かを感じたのは僕だけじゃないと思う。

「一体どういうつもりなんだ!」

「この成績はどういうことなの!」

 …一度目。

「………」

「…答えなさい。一体どういうつもりなんだ」

 …二度目。

「………」

「答えなさい。親が質問しているんだ!何か言いなさい!」

 …三度目、キレた。

「………ああ?お前等が言えた立場なのかよ。お前等が勝手に強制したんだろうが。他人の話だけ耳に入って、息子の話は聞けないってのか?言ったよな、この息子が『西北沢高校に行きたい』って。何度も、何度も。それでも、お前等は聞く耳一つ持たなかったよな。今もだ。憎いな。ああ、お前等の様な屑から生まれてしまったのかと思うとな――!!」

 そう言うと、両親は黙って部屋から出ていった。

 

 

  ○

 

 

 桧原さんの部屋はとても手入れが行き届いていて、ゴミなんかはもちろん、髪の毛一本も落ちていそうにない。

 やや大きめの鏡が取り付けられている机―――ドレッサーがあった。

 ドレッサーの前に立ち、一番大きい引き出しを引いた。中には三日前までの新聞が入ってあった。何故新聞がこんな所に収納されるのかがわからないまま、一昨日の新聞を取り出して、引き出しを閉じた。

 そして、桧原さんの部屋を出た。

 

 

 

「見つかったか、一昨日の新聞は」

「はい、どうぞ」

 確かこの辺りに、と桧原さんは新聞をめくり始め、やがて記事を読み出した。

「八月十日夕方、雨宮商店街のファーストクロス、第一区にある料理屋『タイトルマッチ!雨宮商店街店本店』付近にて死亡事故が起きた。死亡したのは、雨宮商店街の第三区で電子レンジ屋を営まれている女性、三九歳独身。死因は流行り病である倭(やまと)病。専門医によると被害者の女性は発病してから約一週間と診られており、病状が安定したところを被害者の女性は外出したと見られ、その途中で病状が悪化し、死亡に至ったということ。倭病とは、原因不明の流行り病である。それ故か、ワクチンを開発することがとても難しく、現段階でも、ワクチンの数は一〇〇に満たないそうだ」

 桧原さんは目をつぶる。

「この倭病は、死亡率は八割を超える。例えワクチンを投与したとしても、確率は五割にしかならない。アカツキは、どう思う?」

 五割という数字は大きくもなく少なくもない。だけど、死の病となると、五割より若干六割、七割に傾いているように聞こえる。

「確率は数字だけの世界です。生きるも死ぬも、患者の意思と時間の問題ですから…。どうかと言われても、答えるのは難しいです」

 桧原さんは目を開けた。

「言い忘れたが、あたしが今言っているのは、哀ちゃんのことだ。何故、アカツキに新聞を取ってきてもらったか、考えてみな」

「――それは、哀さんが倭病だと、桧原さんは言いたいのですか」

 ああそうだ、と桧原さんは言った。

「ワクチンは、買えるのですか…?」

「ワクチンはほとんど政治力を持つ金持ちに持ってかれてる。買えるものだとしても、あたし等が買えた代物じゃないさ。それに、破産覚悟でも手の届かない額が付いてるらしいしな」

「じゃあ、どうすれば―――」

「簡単だ。作ればいい」

「――!作るって…、材料はどうするんです?それに作り方も――」

「あたしの店の名は、名だけじゃないんだ。作り方なんてどうにかなる。とりあえず、材料を集めろ。わかったなアカツキ」

 時間が無いのだから急げ、ということだろう。

 桧原さんは、メモ用紙にペンを走らせ、書き終えると僕に差し出した。

「とりあえず、メモに書いてある番号通りに集めてきてくれ。できるだけ、一種類回収できたらその度に帰ってきて欲しい。期限は、明後日の午後までだ。あと、これを持っていけ」

 桧原さんは、財布の様なものを投げた。それを受け取ると、桧原さんは言った。

「本屋の達哉君も連れていって。哀ちゃんの看病はあたしがやるから」

 そう言うと、桧原さんは奥に入っていった。

 急がないと…!

 僕は冷静さを保とうと必死に喫茶店を飛び出した。

-11ページ-

 

 

  2/

 

 

  ○

 

 

 陰暦では皐月と呼ばれる月。五月晴れだの、五月病だの、五月があるが故の言葉がある。

 

 気付けば、僕の机の前に立っていたり、座り込んで話しかけてくる“あの”女、ヤナギと言っていたか。

「おっはよ!昨日のアレ見た?」

「……………。(アレってなんだよ…主語を言え主語を)」

「何だったっけなぁ〜〜うーんと……そうそう!『熱唱!外国語の歌〜フォーリナーズソングス』!」

「……………。(そんな番組聞いたことねえぞ、てか家出てたからわかんね)」

「宮武ジョーが熱唱した、ネクストダウンロードなんか、スゴく上手かったよね!」

「……………。(宮武ジョー…、朝の下らないニュース番組に時々出てくる奴か)」

「あ、そういえば芸人の招き山のムーンウォークもイケてた!」

「……………。(ムーン…ウォーク?)」

 そしてチャイムが鳴った。ヤナギはじゃあねと言って自分の席に戻っていった。

 

 

  ○

 

 

 花屋『愛花』にもうすぐで着こうとした時、達哉君が『愛花』から出てきたのを見つけた。

「達哉君、どうしたんですか?」

「不味いことになった」

「ワクチンの材料の一つらしい、舞茸魚が絶滅したらしい」

「…………本当ですか?」

「ああ。雨宮新聞臨時号がさっき届いたんだ」

 桧原さんからもらったメモを見た。確かに、材料が全てで六つある内、五番目に書いてあった。ついでに数を見た。どうやら最低二尾は必要らしい。

「魚屋に舞茸魚って売ってるかな」

「売ってはいないだろう。入手方法なら知ってるかもしれないけど」

 一番目の材料を見た。必要らしいのは『万年草』というやつらしい。

「達哉君、万年草はご存知ですか」

「ん?勿論。倭病のワクチンに使われてるからね」

「万年草がある場所ってわかりますか」

「ああ、知ってる。『ベジタリヤンキー』で売ってたと思うよ。ちなみにうちの本屋の前にある八百屋ね」

「…本当ですか!?」

 本屋の前の八百屋といえば、美知がいる店だ。

 

「大葉君、とにかく向かいましょう」

「…ああ」

 そして僕と大葉さんは八百屋へと走り出した。

 

 

  ☆

 

 

「…俺の…バカやろう…!」

 俺は確かに“あの”時、助けられた筈だ。

 

 朝のニュース番組。報道された事柄の一つに、俺がよく知る人の名が出てきた。

 『―――葉桜高校三年の宮尾千晴さんが、仁王峠の谷底にて死亡しているのが地元の住民が見つけ―――――自殺と推測されている―――』

 宮尾千晴。同級生であって、幼なじみで、悩み事の相談相手。大抵は千晴から相談事を持ち込んでくる。将来のことや、人付き合いのこと。勉強のことや、家庭的な人間関係の悩み。少なくとも、俺の知る千晴は、悩み事とかを何でも相談しに来る、落ち着きの無いヤツだった。

 

 

 葉桜高校の屋上は立ち入り禁止だ。けれど、人影は確かに見えた。

 西北沢高校に通う俺は通学中、時々その人影を見かけるのだ。

 それが、千晴だと知ったのは、確か最後にあったあの時―――

 

 

  ☆

 

 

「美知!万年草ってあるか!?」

 全く息を切らせていない大葉君は言った。それかは若干遅れて僕は追いついた。

 息を切らせていない大葉君は羨ましい。…要するに僕は今、息が上がっている。

「!!…あ、いらっしゃい!えと…、なあオヤジぃ、万年草ってある〜?」

 店番をしていたのは美知“君”だった。本人は男なので自分の名を嫌っているようだ。そんなのは僕だって同じだ。「“暁”なんて名前、特殊過ぎやしないか…?」なんてことを学校の先生に言われた記憶がある。今思うと、ぶっちゃけたことを言ってくれたなと思う。

 オヤジと呼ばれた人らしいおじさんがでてきた。

「あ〜?万年草だぁ?あるけど出せねぇぞ…、いらっしゃい!何かお探しで?」

「オヤジぃ、だから桧原さんのとこの灘君が万年草欲しいって言ってんの!」

「灘って、新人のか。じゃあ売ってやろう」

 “じゃあ”って、何ですか、僕は口に出さない程度に思った。それよりも息切れがしんどくてあまり頭が回らない。

「おいくらですか」

 大葉君は店長に訊いた。

「―――六〇〇マカだ」

「六…六〇〇マカって、オヤジ…!!」

 

 財布を開けた。中には…二〇〇〇マカ程が入っていた。でもこの先を考えると厳しい。六つある内の一つにこれだけの値が付くとすると、どう考えても無理がある。日本円だと、おおよそ一二〇〇〇〇円分財布に入ってるとして、三〇〇〇〇円強の値が付けられていることになる(僕の金銭感覚推測)。…たかだか草程度で―――っと、こんなこと考えている場合じゃない。

 お金に困った時は―――――

「…負けてもらえません?」

 “負けて”作戦に限る。

「うちで金をケチっていいのは美奈ちゃんだけだ」

 敗北。――いや、まだだ…!

「桧原さんに言ったら、桧原さんはどう思われますかね」

 こういうときは、弱みを握れ…!

「美奈ちゃんがケチる時は――色っぽく言う。最も、言う時は大抵極貧金欠の時だけだがな」

 な…敗北だって…!畜生、このオッサン色気に遣られてただけ――だけでもないか。それに、極貧金欠って何、どんな状況なのか、想像がつかない。

 と、そこへ大葉君が介入。

「まあまあ、親父っさん。桧原さんのお願いに加えて、『愛花』の哀ちゃんが倭病にかかっちまったんだ。それのワクチン作るために桧原さんが必要としているんだ。俺からも頼む――――」

 その刹那、美知のオヤジさんは声を上げた。

「な…なんだってぇ!!!!哀ちゃんが倭病に!!?ああ!!哀ちゃんが!!!タダだ!!!持ってけぇぇ!!!!!」

「だってさ。ありがとう、親父っさん。このこと、桧原さんや哀ちゃんに言っとくよ」

 美知のオヤジさんは店の奥に戻り、万年草らしき植物を手に持ってきた。

「ほらよ、持ってって、治してやってくれぇ!!」

「ありがとうございます」

「本当に、ありがとう、親父っさん」

「気にするな。全ては哀ちゃんの為だ」

 そうしてまた走り始めた。勿論、桧原さんのいる『愛花』へ。

-12ページ-

 

 

  ☆

 

 

「ねえタツ、どうしてかな」

「何が」

 夕暮れも近い。けど、夕日の光が川に映るという光景は在り来たりと知っていても美しい。

 帰宅途中、バッタリ“千春”と出会った。

 今は、家路から少し外れた、思い出の川に来ている。

「夕暮れが近い時の川って、こんなにも寂しいのかな」

「千春にはそう映るのか」

「うん…、なんでだろ。最近、ずっとこうなんだ。どうかしちゃったのかな」

「偶々、じゃないのか?」

「偶々って、偶然性があるってことだよね。偶々でも、必然性はゼロじゃないんだ、だってね―――初めてじゃないんだ」

「そうなのか?まあ、とにかく考え過ぎるなよ。千春は昔から考え込みすぎると、どんどん暗くなるからな」

「うん…」

 

 

  ☆

 

 

「はあ…はあ……嗚呼、苦しい……」

 『愛花』に着いたはいいが、息切れが激しく、かなり苦しい。何故だろう。

「大丈夫か灘君?」

 大葉君は心配そうな表情を浮かべていた。大葉君は相変わらず全く息を切らせている感じがない。

「先に上がってもらえる?しばらくここで休めておくよ」

「ああわかった。俺は哀ちゃんの容態が気になるから、また後で」

 大葉君は『愛花』の奥に入っていった。

 

 

 しばらくして大葉君が…ではなく何故か桧原さんが出てきた。

「なんだ、アカツキ。男の癖にもう息切らせているのか?情けないな」

「じゃあ変わりに桧原さん行ってくださいよ」

 桧原さんは仁王立ちして、腕を組み、目を閉じた。

「あたし、女だけど」

「“一応”の間違いじゃないですか?」

 桧原さんの瞼が若干開いた。その間から放たれる視線が僕に恐怖心を与える。

「誰がワクチン作ってやるのか、知ってんのか?」

「桧原さんですが」

「そうだ。しかもあたしの“ご好意”でのことだ。材料を完全に把握しているのは、商店街の中で恐らくあたしだけだ。それに、一刻を争う。できる限り、急いでほしいわけだが、倭病にかかっている者は少なくはない。

 一週間後には、商店街内で三割、二週間後には七割を超えるだろう。つまりは本来の寿命である一ヶ月。今の現状からして、致死率が高い上に原因がわからない流行り病は非常事態なわけさ。というわけで、達哉君には材料集めをしてもらい、アカツキには原因を究明してもらう。わかったか?」

「は、はい、わかりました」

「財布は達哉君に渡して。あと、さっき貰って来たって言う材料」

 桧原さんは手を差し出す。最初の材料、万年草を渡した。

「ちなみに言っておくと、アカツキが予想を超える体力の無さが、今の現状にしたわけだ。本来なら、一緒に行動して、ついでにと考えていたが、どうやら達哉君だけで材料収集した方が効率良いことがわかったからな。

 ちなみのちなみ、だ。原因究明についての情報だ。とりあえず商店会に行け。一応商店会には連絡は取ってある。神流という女性を訪ねろ」

 カンナ…、変わった名だ。僕ほどでもないけど。

「わかりました、が―――商店会はどこですか」

「あ、忘れてた。商店会はだな、セカンドクロスを左に曲がって直ぐにある。でかい建物だから見たらわかる」

「では、行ってきます」

「アカツキ、急げよ」

「はい、勿論です」

 ランニングとまではいかないがジョギング程度の速さで僕は走りだした。

 

 

  ☆

 

 

「達哉君…て、アカツキは?」

 哀ちゃんのいる奥の部屋に俺が入るなり、俺の方を見ないで美奈さんは言った。

 この世界の原理の全てを知ると言われる桧原美奈という“魔女”。

「なんだか物凄い息切れ様でした」

「やっぱり、運動不足だったか」

 それ故にか、“雨宮商店街の名女”とまで言われるまでの存在だ。彼女は薬品等の調合に長け、おまけに美人とくる。偶数の日は女性で、奇数の日は男性の口調、性格になるとか。いや、現実として彼女はそうなっている。しかし、こういった事を話題にしないのが、暗黙のルールである。

 そして、何故この世界があるか、何の為にあるか、何が存在していいのかを知る彼女にそれを訊く事も勿論、暗黙ルールである。何もかもを話していいのは美奈さん、彼女本人のみだ。

 ちなみに俺は何も話して貰っていない。何故かは、わからない。

「ちょっとだけ、哀ちゃんを看ておいてくれ」

 美奈さんはそう言って立ち上がった。

「灘君、ですか」

「ああ。わかってるじゃないか」

「美奈さんがここから出る理由といえば、灘君以外に考えられなかったもので」

「此処に来て間もないが、アカツキ自身の根源が目的を持っていたからな」

「目的、ですか」

「ああ。そうだ。だが、達哉君は知ってるか、目的。勿論、達哉君自身の目的だよ」

「…わからないです」

「そうか。やっぱりまだ早いかな。…とは言っても、知る権利というのは達哉君にあるんだけど。ま、“あたしが『知る権利がある』と判断してから”なんだけど。わかったら、教えてやるよ。この世界の全てを」

「知るか、知らないままか、全ては俺次第だということですよね」

「勿論。だが、アカツキにはまだ言わないよ。それに、場が場だからな」

 “雨宮商店街の名女”は出て行った。行ってしまった。

 俺は哀ちゃんの方に視線を向けた。落ち着いている様で、少し荒い寝息を立てていた。

 この世界の全て、か。それに根源、何の事だろう。

 

 

  ☆

 

 

 やはり息切れは激しかった。とはいえ、ジョギング程度の速さで走っていたのでさっきよりは“マシ”だった。

 息切れはともかく、商店会らしき大きな建物に着いた。 その建物は、『雨宮商店会』とでかでかと四階程の高さの壁の真ん中に書かれていた。

  何よりも気になったのは、『ボンキュッボン、S、ツンデレ(ツンツンデレデレ)、美人な秘書、メイドさん募集中!!』と、問題点だらけのポスター、基誰かの落書きを発見。

「それ、会長が勝手に貼り付けたやつだから、あんまり真に受けないでね」

 後ろから声がした。僕の後ろには、典型的な洋館のメイド服を『着せられた』、スタイルの良い、緑髪の女性が申し訳なさそうな表情を浮かべて立っていた。

「全く――――」

 台詞の割、無表情でポスター、基会長の落書きが書かれた紙をビリビリと破いていく。

「いいんですか?こんなにして」

「べっつに。所詮は採用試験と称してボディタッチ、初仕事だと称してベッドに連れ込む位の変態だから」

「嫌じゃないんですか」

「嫌に決まってる。あたしゃあ、お金が無くて、他の働き手も探すの面倒だから仕様が無くやってる」

「…ところで、神流っていう人を探しているのですが」

 女性はニヤリと笑った。

「それは、あたしだよ」

「話の方は既に済んでいると桧原さんからは伺いましたが」

「うん、聞いてる。ただ、原因究明は難しいかも…つか無理かもよ」

「まあまあ。そこは明後日までになってみないと結果はわからないですよ」

 

説明
両親に無理やり高校に入学させられたことと、くだらない学校生活に虚無感を覚えた主人公、灘暁は、物語の世界に迷い込む。
テーマは、裏の自分です。(連載中)
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