FIRE_WALL (後編)
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3.

いつの間に、まどろんでいたのだろう。ソファにもたれかけていた体を、リュウはものうげに立て直した。

手を伸ばそうとして、体の上にひっかかった毛布にやっと気づき、それをわきにおしやりながら、やっと頭が冴えてきた。

振り返って、時計を見る。

午前7時。

出動時間には、まだじゅうぶん早い。

寝過ごしたわけではないとわかり、ようやく息をついて、リュウはソファから身を起こした。

ぐっすり眠っているのなら、起こすことのないように、とリュウは、二段ベッドのはしごの下から二段目に足をかけ、体を引き上げて、そっと上の段を覗き込んだ。

「…ボッシュ?」

誰もいない。誰かが寝た形跡もない。

ようやく、リュウは、今日がいつもの朝とは、違っていることに気づき、思わず、ぶるっと身を震わせる。

ボッシュが、どこにも、いなかった。

(落ち着け。きっと先に本部に出動してる。いまごろコンピュータルームで…)

そんなことを繰り返しながら、自分のベッドの上に投げ出していたジャケットをひっつかみ、そのまま持ち帰っていた剣を確かめると、顔も洗わずに部屋を飛び出した。

いつもなら夜勤明けの疲れた空気と、朝早く出勤してきた早朝組のけだるい雰囲気が混じっているこの時間だが、レンジャー本部は、昨日と変わらないぴりぴりとした緊張感に覆われていた。

ひと目で徹夜したとわかる下っ端レンジャーのひとりを、廊下でリュウは捕まえた。

「ボッシュ? いや、昨夜からずっと見てないぜ。」

「そう…ありがとう。」

「リュウ!」

廊下の向こう側の扉が、シュッと開き、とび色の目をひときわ赤くしたターニャが、リュウを見つけて声を上げた。

彼女だけには、疲れの色が見えない。むしろ、生き生きしているように見えて、リュウはほっとする。

「ターニャ、今朝、ボッシュを見なかった?」

「ボッシュ? ――いいえ。いっしょじゃなかったの?」

リュウは、歯噛みし、少し目を伏せた。

「昨夜、いっしょに部屋までは戻った。けど、うかつだった。うたた寝した間に、姿が見えない。」

「そう。昨夜から捜査本部にも戻ってないし、今朝の出動計画からも、はじかれたはずだけど。」

ターニャは言葉を濁した。

昨日、また犯人を取り逃がした責任を、ボッシュにおしつけようとしている幹部がいることを、リュウには告げなかった。

「わかった。じゃ、また後で。」

急いで駆け出そうとするリュウの腕を、後ろからあわててターニャがつかんだ。

「ちょっと待ってよ! 例のやつ、あるわよ!」

「例の…?」

「もう。ぼんやりしないでよ。昨日、リュウが言ってたでしょ。「犯人の声明文が残されてたらしい」って。

あの声明文の内容、手に入れたわよ。」

リュウは、ターニャをまじまじと見返した。上層部のトップシークレットは、まだ解除されていないはずだ。

「ふふーん、見直した?」

「驚いた。…でも、ボッシュにゆうべ聞いたんだ。意味のない中身だったって。」

「意味がないって? とんでもない!」

ターニャは、くるくるしたとび色の巻き毛をぐいと押さえつけている、額の上のゴーグルをとんとんと叩いて見せた。

リュウが首元に下げていたゴーグルの受信スイッチをあわてて、オンにする。

目の前に立っているターニャの、そばかすの浮いた顔の上に、少し劣化した画像が浮かび上がった。

リュウが視線をずらすと、画像がそれにあわせて、壁の上へと移動する。

ピントがわずかにずれているが、手書きの声明文を真上から撮影したもののようだ。

やはり、いまどきめずらしい紙の上に、びっしりと小さな手書きの文字が、几帳面に並んでいる。

文字のガイドとなる横線もないのに、行と行の間は、驚くほどまっすぐで、少しも曲がったところは見られない。

改行もなく、ずらずらと続く長い文の最初の部分に、リュウはざっと目を通した。

「でも、ボッシュの言った通りだ。文明批判と、遺伝子改変の否定、自然に戻るべきだ…そんな内容みたいだけど。」

「表はね。で、これが裏よ。」

画像がひらりと立ち上がり、その裏面を表示させた。

最初は紙の真ん中が大きく四角に塗りつぶされているのかと、リュウは思った。

だが、リュウの瞳孔がピントをあわせるのに応じて、画像が次第にクローズアップされ、それが黒いインクでびっしりと書き込まれた手書きの数字であるとわかった。

1901.46.912.851.431.7952....延々と続く数字の羅列は、少なく見積もっても数百はありそうだ。

「いったい…これは、何の数字なのかな? 暗号?」

「たぶんね。いま、本部がトップスピードで、解読を進めてるって話。

でも、声明文は2枚あるでしょ、数千通りの数字の羅列だから、きっと何日か、悪くすると何週間かかかるでしょうね。

しかも、苦労した挙句、意味のない、狂人のたわごとかもしれないんだから、

B64地区をさがしたほうが早いって、本部が判断するのも、無理はないよね?」

けれども、リュウは答えなかった。

なにかがひっかかった。

紙。この紙だ。

この声明文が書かれた白い紙に、リュウはどこかで見覚えがあった。

「ちょっと、どしたのよ、リュウ?」

リュウの表情の変化に鋭く気づいたターニャが、リュウの目の前に回り込もうとする。

リュウは、待って、というように、ターニャを制する。

最近、紙を見たといえば、あそこしかない。

昨日、リュウたちが突入した犯人ジェイコブのアパート、

そこで壁に貼られた紙を見た。

紙の上に、印刷された下層街の地図、

その地図の上の五ヶ所の地点に、深くマチ針が突き刺さっている光景を、リュウははっきりと思い出した。

一連の紙を使ったのだろう、あの地図の印刷された紙の種類、折り目のつき方が、声明文の紙と同じだった。

そして、もうひとつ、紙があった。

アパートのテーブルの上に残された、キーボードの落書きされた、紙製のトラップを、リュウは思い出す。

表にキーボード、裏に配線があり、光にすかしてみると、キーボードの文字と配線の位置が重なっていたのを、リュウは確かめていた。

「きっと、同じだ。重ねて、みるんだ。ターニャ、見て。」

リュウの低めた声に、ターニャは黙りこみ、自分のゴーグルの受信モードをオンにする。

2人の目の前の空中に、左側に犯人の残した声明文の画像、右に壁に張られていた地図の画像が浮かび上がる。

地図の画像は、記録用に、昨日、リュウが撮影したものだ。

リュウは、地図の画像を、声明文の画像の上に、ぴたりと重ねた。

寸分の狂いなく重なる二枚の紙が、ターニャの目の前にクローズアップされた。

地図の上の5か所の地点のうちのひとつ、B64地区を示す針の先にある、声明文の数字が、読み取れた。

1120

そして、もう一枚の声明文の裏の画像も、リュウは同じように重ねてみる。

そこにあったのは同じ数字、やはり、1120だ。

「これが、何なの。確かに同じ数字だけど、

声明文から、一つの数字を抜き出しただけで、これだけじゃ、何も、わからないよ。」

「思い出して。地図の数字は座標を表していた。この場合も座標と考えたら…?」

「でも、B64地区をくまなく探したのに、いまだに何も出てこないじゃない!」

「1120って数字を考えてみて。下層街は1000だろ、深度1000メートル。

下層街B64地区を探しても何も出てこないのは、ひょっとしたら、これだけは深度が違うからじゃないかな。」

「じゃあ、最後の爆発物は、何処にあるの?」

「B64地区…ただし、深度1120メートル地点…。」

そう言いながら、リュウはふと、ボッシュの言葉を思い出す。

( 「あぁ、見た。くだらない内容だったぜ、見る必要はない。」 )

( 「残り、1回…、B64地区のどこかに、あるのかな。」 )

( 「さあな。」 )

リュウの顔がみるみる色を失うのを、ターニャは見た。

リュウは、噛み切ってしまいそうなほど、唇をかみしめ、すぐに動いた。

きびすを返し、レンジャー本部の短い階段を駆け上がると、レンジャーたちの控室へと足を向ける。

ターニャが、あわてて、後を追った。

皆が険しい表情をし、殺気立った緊張感で泡立つ控室の真ん中を、リュウは誰も寄せ付けない速度で歩き、一番奥にある隊長室の前へと立った。

「ちょ、ちょっと、リュウ…!」

ターニャの制止する声が、背後から聞こえた。

しゅん、と音を立てて、隊長室のドアが開くと、中にいた数名の幹部たちが、いっせいに会話と動きを止め、リュウのほうを見た。

だが、リュウはまっすぐに、ゼノのほうだけを見た。

「勝手に、お前、なんのつもりだ?」

「緊急の報告があります。」

真剣なリュウのまなざしを見て、リュウをつまみ出すために動き出そうとした幹部を、ゼノが片手を上げて、とめる。

「指示は継続、作業を続行せよ。

…リュウ1/8192、1分で、話せ。」

「犯人の仕掛けた最後の爆発物の位置は、B64地区、深度1120メートル地点と推定されます。

すぐに捜索隊の編成と出動を…。」

「根拠は?」 ゼノが、リュウの言葉をさえぎる。

リュウは、下を向いた。

地図と声明文を重ねると、B64地区だけが1120の数字が書かれていたこと、

説明はしたいけれど、そもそもリュウが声明文を知っている理由、その出所を明かすわけにはいかない。

「ふむ。ボッシュ1/64に言われてきたのではないのか?」

「違います、なぜですか?」

「ちょうど1時間ほど前、同じ地区に捜索隊を指揮したいと、ボッシュ1/64から要請があった。

だが、部隊は、現在、下層街の爆発物捜索と、犯人の捜査に、二分されている。

どちらも最優先事項だ。これ以上、別働隊を組織する余力はないと、断った。」

「!」

「ましてや、1120メートル地点といえば、あそこは、居住区ではないからな。

万が一、そこで爆発が起こっても、人的な被害は考えにくい。

任務には、優先順位があるのだ、リュウ1/8192」

「でも――」

「1分、経った。退室せよ。」

リュウは、たじろがずに、ゼノを見た。

「でも、それなら、ボッシュは、きっと一人で行ったんだ。

俺は、後を追います――。」

リュウは、ゼノに向かって敬礼すると、くるりときびすを返そうとした。

「リュウ1/8192、」 ゼノが厳しい口調で、声をかけた。

「部隊の一員として、勝手な行動は許されない。

だが、お前たちは、今朝の作戦からははずれている。

通常任務のパトロールの範疇ならば、問題はない。」

「じゃあ…。」

「ヒッグスに声をかけていけ。

ほかに、今回の作戦からはずれている者を手配してくれる。

何人か、ついていく者もいるだろう。

ただし、パトロールだけだ。早急に安全を確認し、すぐボッシュ1/64と報告に戻れ。」

ゼノはほかの者に指示を出すため、もうこちらを見てはいない。

「…はい。」

リュウは、ぴしり、とかかとを合わせ、ゼノに最敬礼を返した。

無事に隊長室から出てきたリュウを見て、ターニャは明らかにほっとした表情を浮かべ、ついで怒り出した。

「もう。なによ。声明文のこと、ばらしたんじゃないでしょうね。」

「まさか。1120地点への出動許可をもらった。

ボッシュをさがしに行くよ。」

リュウはぐずぐずせず、すぐに下層街のレンジャーの任務を一手に管理しているヒッグス主任のところへと向かった。

「ヒッグス主任、B64地区、1120地点にパトロール、要請します。」

「あぁ、隊長から聞いてる。」

「はい、すぐに同地点へ向かいます。」

「…リュウ…!」

振り返って、本部から飛び出そうとするリュウを、けして大きくはない、けれども決然とした声が引きとめた。

細い腰のまわりに、道具のささったベルトを締め付け、中身の重さのために太ももあたりにまで垂れ下がった布のリュックを肩にしょったエリーが、そこに立っていた。

「主任に許可をもらったの。私にも、支援させて。」

「エリー、でも…。」

「…ボッシュに言われて、私、このままじゃ駄目だとわかった。言われなきゃ私、いつまでもぐずぐずしてた。

足は引っ張らない。お願い、ボッシュをさがすのを手伝わせて。」

「おーい、リュウ、連絡を入れたから、パトロールに出てる何人かがいまからあっちへ向かうぞ。」

背後から、ヒッグス主任の大きな声が飛んできた。

「わかった。エリー、ついてきて。」

 

 

 

同じ朝、午前6時。

ボッシュは右手に握った無線機を口元から下ろし、本部とのホットラインを切ると、

ジャケットをはおり、まだ夜の暗さの残る街へとひとり抜け出した。

ゼノの答えは、望んだものではなかった。

自分の指揮する小隊の出動を要請したボッシュに、ゼノは、いま分隊を作る余力はない、と断ってきたのだ。

それならそれでいい。

強さを求め、闘うとき、結局、頼りになるのは自分ひとりだということを、ボッシュは、よく知っていた。

上層街の連中は、自分のことを、ただの親の七光りで、自分ではなにもできない腰抜けだとおもってる。

だから、下層街に落ちたと聞いて、同情をするふりをして、連中の目は、どこか、嘲笑っていた。

どうせ、親の力を借りないと、ここまで戻ってはこれないだろうと、さげずむ目だ。

あいつらは、なにも、知らない。

ただ、与えられたわけじゃない、

ボッシュが、いつも自分ひとりの力で、なにもかも、もぎとってきたこと。

そのために利用できるものは、なんでも利用してきたことを。

ふと、ひざを立てたまま、ソファにもたれて眠っていたリュウの姿が、浮かぶ。

起こして、つれてくるべきだったろうか。

(そうだ。リュウを、たたき起こして、当該地区へ先行させればいい。)

(ジェイコブは、犯行の結果を見るために、きっと現場に潜んでる。)

(そうして、リュウへの反応を探れば、隙を突いて、背後に回りこむこともできる――。)

無線機を持ったボッシュの手は、動かなかった。

(なぜだ?) そんな声が、どこからかやってきて、ボッシュの頭をかっと熱くする。

(なぜ、しない? 呼べばいい。)

(そうして、いつもの調子で、言ってやるんだ。)

(リュウ、お前が先に行けよ。俺が背後に回りこむ。)

(きっと、あいつは、なにも疑わずに、のこのこ向かっていくぜ。)

(そして、死ぬまで、闘うだろう。)

(最後まで、俺の援護を待ち、俺の身を、守ってるつもりで…)

(そうすれば、いいさ。)

ボッシュの手は、動こうとしなかった。

「――そうだ。相手は、無印だぜ?

ボッシュ1/64ともあろう者が、無印相手に、ローディの助けを借りるのかよ?

勤務外に遭遇した犯人を単独で処理したとなれば、評価も割り増しに上がるのに?

勤務が始まる前に、さっさと――。」

ボッシュは、そう小さくつぶやき、口の端を上げて、笑おうとしてみた。

頬がはりついたように、うまく動かない。

どこかが、へんだ。

暑くもなく、また汗を流しているわけでもないのに、ボッシュは、右手の甲で、額を、ぬぐった。

そのまま、きしんでいるような右手をようやくもちあげて、手にした無線機を、油と泥にまみれた下層街の壁へとがしゃんと投げつけた。

そして、下層街から、さらに下へと向かうエレベータに、乗り込む。

深度1120地点は、バイオ公社が管轄するディク廃棄処理場が、あちこちに掘られている場所だ。

廃棄処理場とは名ばかりで、要は、四角いユニットに実験の失敗作の遺体を投げ込んでは、満杯になると埋め、また新しい空間をごみ捨て場として準備することを繰り返している場所だった。

ジェイコブが、最後のターゲットに、わざわざこんな人気のない場所を選んだのは、きっと、

ボッシュを見逃さない為だ。

1度目はレンジャー施設で、2度目は自分のアパートで、やつは失敗した。

ただ、爆破をしたいだけなら、こんなに待つ必要はない。

3度目の失敗を犯さないために、おそらく、犯人は、ここに、来ている。

数人が乗るのがやっとのせまいエレベータは、がしん、と、底にまで落ちたような音をして、止まる。

エレベータのドアが開くと、小さな廊下の先に、右上に茶色い字で「B64」と大きく書かれた両開きの金属の扉が見えた。

腰に装着していたレイピアを、すらりと抜き、ボッシュが、薄汚れた自動扉の前に立つと、何事もなく、左右に扉が開いた。

すぐに、ボッシュの視線が、自然と上へ向けられる。

目の前に広がっているのは、天井の高さと奥行きがそれぞれ約100メートルの、四角く区切られた空間だった。

巨大なさびた機械がそこここに打ち捨てられ、生ごみというより、動物の死骸が腐ったようなにおいが、鼻をうつ。

壊れてでもいるのか、ボッシュが、部屋に足を踏み入れても、入り口の扉は、閉まらなかった。

壁のどこからか、地下水でもしみてきているのだろう、床をブーツで歩くと、ぴちゃりとにごった音がする。

ボッシュは、眉をしかめただけで、気にせず部屋の奥まで進み、立ち止まると、頭を回さずに、ぐるりと周囲の空間全部を見回した。

「オイ、いるんだろ?」

ボッシュは、なるべくさりげなく、声をかけた。

天井の高ささえあるものの、奥行きはそれほど広くない空間だ、

そんなに声を張り上げる必要はない。

そう。ちょうど、相棒のリュウに、話しかける調子で。

「――聞いてるか? 話をしにきた。

声明文を、読んだ。

俺や、社会に、言いたいことがあるんだろ?

ひとりで、来たんだぜ?

話を、聞かせてくれよ。」

返事はなく、どこかで漏れている水の滴る音が、とがらせたボッシュの耳に聞こえてくる。

1分ほど経った後に、部屋の奥の暗がりで、なにかが、動いた。

汚れた床と同じ色をした毛布を、ばさり、と払いのけた男が、ゆっくりと立ち上がる。

そのまま毛布を床に投げ捨てずに、はおるように、体に巻きつけた。

一度対峙した覚えのある、30代前半の、がっちりした体格の男だ。

最初に追ったとき、ボッシュが斬りつけた背中の傷は、思ったより軽かったらしい。

巨大なジャンクの影になった部分から、足をひきずることもなくボッシュに向かって歩いてきた男は、ボッシュまで、数メートルのところで、唐突に、歩を止めた。

男は、頭を丸め、顔には、泥を塗っていた。

「やぁ、ジェイコブ。俺を呼んだんだろ? 話を、聞きに来た。」

「本当に、ひとり…か。」

「あぁ、そう。

ほかの連中は、あんたをすぐに処罰せよと、言ったけど、

俺は、あんたと、話がしてみたいと、思ったんだ。

声明文だけじゃなくて、生の声で、

あんたの主張を聞きたいとおもってるやつは多い。

だって、そうだろ?

これだけのことを、やってのけたんだ。

社会は、あんたの言葉を、聴く義務がある――。」

だが、石のように、男の表情は、変わらない。

ボッシュは、ごく自然に、相手の真正面に向き直った。

踏みこむ右足に、ゆっくりと、重心を移動させる。

(喉元を、やれば、

一瞬で、終わる。)

「あんたの声明文を、読んだ。

繰り返そうか?

『――私は、神の使いとして、来た。その使いとして、警告に来た。

この社会は、汚れ、人々は汚染されている。

人々の体の中に、数限りない汚染の因子が、実験として、混ぜ込まれ、純血を汚し、異形の子供たちを生み出している。

私は、穴の中で、たくさんの失敗作を見てきた。私は、神の使いとして、それを警告に来た。――』

俺は、あんたの言葉が、本当かどうか、調べてみたい。

まだ、続ける?」

ボッシュは、派手な身振りをし、一歩分の間合いをつめた。

「――そんなことは、しなくていい。」

「なんだって?」

「しなくて、いい。

1/64、

下層街で、そんなに高いD値を持った人間に会えることは、もう、ないだろう。

なにかが、お前と私を引き合わせたんだ。

その髪の色、お前は、遺伝子を汚されたのか?

お前がもつ汚染の因子を、政府の連中に見せつける。そうすれば、私の主張が認められる――。」

汚れた毛布のひだの下の、ジェイコブの手がかすかに、動いた。

背後で、しゅん、と音がして、

はっとして、思わず、ボッシュは、振り返った。

入り口のドアが閉ざされ、わきにあるコンソールにつけられた、緑色の小さな丸い光が、赤へと、変わるのが見えた。

ボッシュの目の前が急に、暗くなった。

目の前に立つ男が、急に大きくなり、覆いかぶさるような、その影の中に、ボッシュは入ってしまったかのようだった。

聞こえるはずがないのに、ボッシュの耳の奥に、かちり、と鍵が閉まる音が聞こえた。

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4.

午前7時15分。

レンジャー本部を飛び出したリュウは、玄関前の階段を飛び降り、下層街を駆け抜けて、マンホールを降りた細い通路の先にあるエレベータへと駆け込んだ。

廃ディク処理施設へと降りるエレベータのところで、エリーはようやくリュウに追いつき、2人は無言のまま、せまい金属の箱へと乗り込んだ。

やがて、寒々とした1120地点へとエレベータのドアが開かれると、すぐに、暗い廊下の先に、「B64」と大きく書かれた扉が見えた。

本部から連絡を受けたパトロールの連中が2人、先にたどりついていて、両開きの扉の右側にあるコンソールパネルを、いまにも剣の柄で叩き割ろうとしていた。

「待って。」

リュウが、声をかけると、2人が同時に振り返った。

「あぁ、リュウか。

なんでか…扉が開かないんだよ。

前来たときは、普通に開いてたのに。」

「手を触れないで。」

「――いま、行きます。」

一度、犯人のアパートで苦い経験を積んだリュウの制止につづき、息をはずませたエリーが、後ろに引き倒されそうになりながら、肩にかけた重いかばんを前に回し、扉の前に座り込む。

パトロールのレンジャーたちは、顔を見合わせて、なんとなく、2人に道を開ける。

エリーが、束ねた細い髪を後ろにはねのけ、右耳を冷たい金属の扉に押し付けて、センサーを扉の表面に走らせ始める。

薄い茶色の細いほつれ毛が、額にかかり、小刻みに揺れる。

コンソールの部分に何度もセンサーを走らせたエリーは、立ち上がって、かすかな響きも聞き逃さぬよう、両手と頭の右側を、扉のコンソール部分に押し付けている。

リュウは、彼女の緊張の糸が、わずかな動揺へと揺らぐのを、感じ取った。

「なにか、あるんだね?」

「セムテックスの反応が…たぶん、まちがいない、と思う。」

さっきコンソールパネルを叩き割ろうとしていたレンジャーたちが、ぎょっとして、2、3歩、後ろに退いた。

「どのくらい?」

「そうだね、この廊下がまるまる吹き飛ぶくらい、かな…。

たぶんコンソールの電力系統に信管をつないであって、

外からロックをはずそうとすると、爆破するようにセットされてるんだと思う。

セムテックスの反応は、扉のまわりに集中してるから、

中の人間は安全で、廊下にいる人間だけを吹き飛ばすように、仕掛けられているのかも…。」

「解除できる?」

エリーは、ようやく扉から耳をはずし、リュウのほうに顔を向けたが、視線は下を向いたままだ。

「…たぶん、無理。部屋の内側にセットされていて、

誰がやっても、部屋の外からの解除はできないと思う。」

「じゃあ、遠隔操作で、爆破させたら…?」 だが、リュウの望みを、エリーは申し訳なさそうに、断ち切った。

「ううん…これだけの量を爆破したら、たぶん廊下がくずれて、中には誰も入れなくなる。

崩れた壁で扉が埋もれて、中の人間が出ることも、できなくなるかもしれない…。」

「お前ら、待ってろよ。本部の支援を呼んでくる。」

事態の深刻さをようやく汲み取った、パトロールのレンジャーたちが、無線で応援を呼びつつ、エレベータのほうに駆け戻った。

「じゃあ、どうしたら…!」

そんなことをしても、無駄だとわかっていながら、扉と扉の合わせ目を、指でこじ開けようとしてみる。

どうして。

どうして、入れないんだ?

この中に、相棒が閉じ込められているかも、しれないのに。

(「閉じ込めるんだよ、せまい部屋の中に。」)

(「そして、その中に、一匹のモンスターを放す。」)

(「逃げようとするが、逃げられない。」)

(「外側から、鍵がかかっているからだ。」)

リュウは、思わず、硬い扉部分に額を押し付け、右のこぶしで、思い切り、その冷たい表面を殴りつけた。

がああん、という音が、せまい廊下に、こだました。

「っ、リュウ…!」

何かに気づき、はっとしたような、エリーの声に、リュウは、自分を取り戻して振り返った。

「できるかも…。」

エリーは、自分の思いつきに驚いたように、目を見開き、両手で口元を覆った。

「できる?」

「うまくいくかは、わからない…でも、このタイプのユニットは、壁の内部ががらんどうで、弱い部分があるの。

扉は開けられないけど…、

いま持ってる少量のセムテックスで、部屋の壁の弱いところに

人ひとり通れる穴を開けることは、できるかもしれない…。」

「でも、そんなことしたら、犯人が仕掛けた爆弾まで火がついて爆発するんじゃ…?」

小さな爆発がきっかけで、扉が吹き飛び、廊下にいる人間はおろか、中にいる人間までもが巻き添えになったら…。

「だいじょうぶ、火薬と違って、セムテックスみたいなプラスティック爆弾は、

信管が作動しない限り、爆発しない。

もし、火がついても、ろうそくみたいに燃えるだけなの…。」

エリーは、腰に下げた布のふくろから、粘土のように見える物質を取り出した。

ナイフでその欠片をうすく剥ぎ取り、リュウに手渡すと、すぐさま、ナイフの柄の部分に仕込まれた金属マッチで、リュウの手にした欠片に火をつけた。

プラスチック爆弾の本体である、セムテックスと呼ばれるその物質は、リュウの手の中で、まるで紙のように、小さなほのおを持ったまま、静かに燃えた。

「もしやるなら、…2分もあれば、設置できる。」

もうじき、大勢の上級レンジャーたちがやってくる。

そうしたら、”小さな爆発”を試すまで、また何時間も時間がかかるだろう。

火が消えるまで、リュウは、待たなかった。

「エリー、やってくれ。できるだけ、早く。」

暗い廊下で、小さなオレンジの光が、下から、リュウの表情を照らし出した。

ボッシュが、閉じ込められているのなら。

リュウは、行かなくちゃならない。

今度…こそ。

リュウが手の中の炎を投げ捨て、廊下が元の暗さに戻る前に、リュウが口にした言葉に、エリーは、小さくうなづいた。

そのまま、暗い廊下にしゃがみこみ、腰に巻いていた硬い布製のホルダーをはらりと広げると、たくさんのポケットが連なっている部分から、手早くツールを取り出して、並べていく。

B64地区に面した壁、扉から奥へ3メートルほど進んだ壁面に、エリーは、さっきの自走式センサーをセットすると、手元の計器をのぞきこみ、床から1.5メートルほどの地点に、チョークですばやく×印をつける。

そこから左へ1メートル走らせ、また壁に×印。

ついで、ナイフで固い粘土のような塊を切り取り、信管を埋め込んで、印の上に粘着シートで貼り付ける。

人一人が通れる大きさの範囲が、プラスティック爆弾を留めつけた粘着シートでくまなく埋め尽くされると、仕上げにエリーは、その中央に、白いテープで大きな×印を描くように、受信機を貼り付けセットした。

リュウが、時計を見た。

2分と少し。

エリーは、後ずさるように、立ち上がり、リュウに向かってうなづいた。

「…これが送信機ね、スイッチになる。5メートル以上離れてから、押してね。3秒後に爆発するから。」

「わかった。」

小型の送信機をエリーから受け取ると、リュウは、厚手のレンジャージャケットから腕を抜き、肩にかけるようにはおった。

「エリー、急いで。エレベーターのところまで、走って!」

リュウの声に押されて、床に広げていたホルダーの端をひっつかみ、エリーが、振り返る間もなく、駆け出した。

止まっていたエレベータの箱にまっすぐに駆け込んだエリーは、リュウを待っていったん扉を閉めるため、エレベータの開閉ボタンのところへ飛びついた。

だが、リュウは、エリーのいるところまで、駆けては、こなかった。

廊下の中ほどで立ち止まったリュウが、肩にかけていたジャケットを、頭を覆うように広げると、あっ、と思ったエリーに向かって、ちらりと視線を向け、廊下の壁際によりかかるのが見えた。

そして、がああん、と耳の奥が裂けるような衝撃音。

大きなコンクリートのかけらがくだけ、廊下の壁にばらばらと突き当たった。

そのひとつが、エリーのところまで飛んできて、思わず奥の床に身を伏せると、エレベータの扉が閉まり、エリーにはリュウの姿が見えなくなる。

リュウは、全身を大きな板で殴られたような、衝撃の大きさに、わずかの間、息を吐いた。

耳の奥は、しんと静かで、爆風で反対側の壁に跳ね飛ばされて、ぶつけた左腕にがしびれている。

リュウは、鈍い痛みに眉をしかめると、コンクリートのかけらをいくつもはじいてくれたジャケットを投げ捨て、そのまま、爆発物が開けた穴へと向かって走った。

B64地区へとつながる壁には、いまの爆発で、人が通り抜けられるくらいの穴が開き、爆破されずに残ったセムテックスが穴のふちに溶け、貼り付いて、黒煙を上げながら、紅い焔を吐いている。

リュウは、右腕に剣を抱き、左手を額の前にかざして、炎を噴き上げるコンクリートの壁の穴へととび込んだ。

炎に囲まれ、肌をちりちりと焼く熱と痛みをくぐり抜けて、寒々とした空間に出たことに、突然リュウは気づく。

高い天井へと抜けていく冷たい空気。

酸が入り混じったような汚水の匂い。

そして、泥と同じ色をしたなにかが、リュウの前方、数メートルのところに立っていた。

泥のようなかたまりは、そのまま振り返り、侵入者であるリュウに、向き直った。

リュウもまた、相手に気づいたとたん、胸に抱いていた剣を引き抜いて、後先も考えず、そちらへ向かって、駆け出していた。

ばさり、と、そのなにかを覆っていた土色の布が、円を描くように、足元に落ちた。

巻きつけていた毛布を落とし、立ちはだかる男の胴体に、ビニール袋に入った粘土のようなものがいくつもいくつも、粘着テープで止められ、細く赤いコードが、ベルトのあたりへと束ねられている。

瞬時に、彼の意図を知ったとき、動揺で、斬りつけるリュウの速度が鈍った。

塗りたくった泥が乾き、ひび割れた顔をした男が、白い歯を見せて、笑う。

ゆがんだ笑顔を浮かべる男の向こう側の影に、見慣れた金色がちらりと見えた。

男の右手が、信管をくくりつけた腰の辺りへと動くのを見ながら、リュウは、唇をかみ締め、絶望的な思いで、剣を振り上げた。

もう、攻撃が間に合わないと思ったとき、それでもリュウが剣を振り下ろす前に、男の表情が一瞬、とてもさびしげなものに変わったことに、リュウは気づく。

妙にゆっくりとした動きで、泥色の男は、自分の右手を目の前にかざして、見ていた。

背の高い男が、急に小さくなったように、見えた。

持ち上げた男の右手の先が、無かった。

ひゅん、と金属がたわみ、風を斬る音がして、白い光の残像が、立ちすくむ男を、背後から、リュウの方へと押した。

両手に握ったレイピアを、犯人の首筋に根元まで突き刺して、ボッシュが、背後から男の背中に全身でぶつかっていた。

ジェイコブは、叫ぶ形に目と口を開いたまま、前向きにくずおれ、その背後にいたボッシュも、引きずられて、そのまま前へと倒れ込んだ。

リュウがあわてて、膝をつき、くずれそうになるボッシュを、抱き止める。

「ボッシュ? 怪我は、ないね?」

「…来たのか、リュウ…。」

「ごめん、遅くなった。」

「オイ…見たかよ、リュウ。」

リュウの肩に頭を乗せたボッシュの髪は、泥と汗と、きつい血の匂いがした。

乱れた髪に顔を埋めたまま、リュウの耳元で、熱にうなされているように、ボッシュはつぶやきつづけている。

「…なぁ、リュウ…、見ただろ…?

後ろから、俺が、やったんだ…。」

「無理にしゃべらなくていい。」

「…見ろよ…怖いものなんて、ないんだ…。」

ボッシュのわきには、レイピアをつきたてた物言わぬジェイコブの体が転がっている。

レイピアの柄から離れようとしないボッシュの右手の指を、リュウは、ひとつずつそっとひきはがしていった。

いつもならありえないことだけれど、ボッシュの体はぐんなりと、リュウに支えられている。

体を密着させていても、ボッシュの全身は、氷のように冷たく、荒い息を吐き、体の震えが止められないようすだった。

「俺は、勝ったんだ…。

…これで…?」

「これで…?」

「出られるか…リュウ…。」

あぁ、とつぶやいて、リュウは、ボッシュの頭を、両腕で抱え込むように、胸元へと強く抱き寄せた。

抱きとめるリュウにも、はっきりと、その震えが伝わってくる。

はりついた金髪を指で払い、手のひらで、頬にこびりついた泥と血をぐいぐい、とぬぐった。

「出られるよ、ボッシュ…。」

普段なら、拳や蹴りが返ってくるだろうけれど、ボッシュは、リュウに身をもたせかけ、ただ、静かにしているだけだった。

入り口の扉の壁一面に貼られたセムテックスに、火が燃え移り、黒煙をあげながら、燃え始めた。

焔が、ぱちぱちとはぜる音だけがした。

やがて、燃えている壁の向こうから、大勢の人の声がしはじめた。

それでも、リュウは、汗と泥と血の匂いにまみれたボッシュの頭を両腕に抱き、胸元に強くぎゅっと押し付け続けた。

 

 

 

5.

そわそわと足を踏み変えて、リュウは、エリーとふたり、無言で隊長室に立っている。

両手を前で握り合わせ、今朝は髪を結ばずにすとんと胸元に落としたエリーは、どこかうつむき加減で、事件の前の自信のない、弱気な彼女に戻ってしまったかのようだ。

リュウは、そんなエリーを見て、だいじょうぶ、と目配せする。

そんな確信は、どこにもなかったのだけれど。

やがて、背後で、無機質な音を立てて、扉が開き、ふたりはぴしり、とかかとを鳴らした。

「…待たせましたね、授与式の後でもよかったのですが。

どうしても、直接あなたがたの口から、報告を聞いておきたいと思って。」

ゼノ隊長の口調は、気軽だが、いつものように、真実を見逃しはしない。

リュウは、ゼノ隊長にむかって、言い訳やごまかしを言おうと思ったことは一度もないし、またできるとも思わなかった。

そんな覚悟を感じ取ったのか、リュウが口を開く前に、隊長がふっと口元を緩ませた。

「己のしたことを恥じていないのなら、

そんな顔をする必要はない。」

「恥じては、いません。けれど、本部の指示を仰がずに、独断でディク処理施設の壁を破壊しました。

彼女…エリーは、俺の依頼で設置を行っただけで、爆破の指示と実行については、すべて俺がやったことです。」

「いえ、」 エリーが声を上げたので、リュウまでが振り返った。

「私も、本部の指示のないことを知っていました。

…それに、壁の爆破を提案したのは、私です…。」

声がかすれ、終わりは消え入るような声になった。

「ふたりとも、とくにリュウ1/8192。」

ゼノは、少しあきれたように聞こえる言い方で、きっぱりと言い渡した。

「私の言うことを、聞いていなかったのですか。

『任務には、優先順位がある』と言ったはず。

現場のレンジャーは、ときに決断をせまられます。

任務遂行か、人命か、

正しい選択は、その都度、あるでしょう。

命令違反の禁を犯しても、決断せねばならぬときもあります。

その意味が、わかりますか?」

「ええ。」

「では、胸をはりなさい、リュウ1/8192。

命令通り、ボッシュ1/64と、戻りましたね。

事件解決により、今回の件は、不問とします。

ただし、選択を誤れば、己がその責を負わねばならない。

肝に命じておくように。」

「はい。」

リュウは、ゼノのほうを見、ゼノは、エリーの方に向き直る。

「エリー1/2048、己で決断したと言いましたね。」

「…は、はい。」

「あなたには、自信と決断力が足りないと思っていたが、

認識を変えねばならないようですね。

ボッシュ1/64の報告により事件解決への寄与が認められ、

正式に技術課への配属が決定しています。

今後いっそう、研鑽に励むように。」

「…はい!!」

驚きと少しの不安と、希望の入り混じった声で、エリーが答えた。

リュウは、改めて最初のころのエリーの姿を思い出した。

事件の担当なんて、とても…、と恥ずかしそうにうつむいていたエリーは、もうそこにはいない。

あのときの夢の先にあるのが、危険に満ちた任務だと、いまは知っている。

それでも、彼女の願いは変わっていなかった。

「授与式は、とっくに終わっているころだ。

2人とも、退出なさい。」

リュウとエリーは、隊長室を抜け出して、思わず、ほっと、顔を見合わせた。

「おめでとう、エリー。」

「うん、感謝してる…リュウと、それから、ボッシュが教えてくれたこと。」

「そうそう、忘れるところだったよ、

相棒を迎えに行かなくちゃ。…また後でね、皆でお祝いするときに。」

明るく手を上げて、隊長室の前からかけ出したリュウの背中に、エリーが首をかしげ静かな笑顔を向けた。

リュウは、気づいていなかった。

あのとき、避難したエレベーターから、破れた壁の穴へ急いで駆けつけたエリーが目にしたもの。

エリーの中に、芽生えかけていたものに。

どちらも、永遠に、口にされることがない。

それでも、ふたりからもらったものがある。

エリーが出てきたのを目ざとく見つけたターニャが、廊下の人波の向こうから、大きく手を振った。

胸元に手を置き、一呼吸したエリーは、茶色の長い髪を背中側にさらりと流し、自分を心配してくれていた先輩や同僚の待つ職場に向かって、勢いよく、駆け出していった。

「…あ、ボッシュ。式典、終わったの?」

「あぁ、

略式で助かったぜ。退屈しなくてすんだ。」

本部施設の会議室から出てくるレンジャーたちに押されながら、リュウは、ボッシュを捕まえた。

思えば、前回、ボッシュがこの会議室の演台に上ったのは、犯人ジェイコブを見つけたときだったっけ。

そして、今日、同じ事件を解決したと、部隊全員の前で認められた。

完全解決。

ボッシュは、勝った。

「ほら。」

きらり、と天井のライトを受けた光が、ボッシュの手から離れ、リュウの胸元へと届く。

「やるよ。」

「え? だって、大事なものだろ。」

「ローディじゃあるまいし。

そんなもの、これからいくらだって集められる。」

「へー、そうなの?」

リュウが、いたずらっぽく語尾を上げる。

ボッシュが、右手のこぶしを握り、リュウの腹に打ち込むまねをした。

リュウが、それを手のひらで、受け止める。

ぱしっと、気持ちのいい音がした。

「それ、やるから、俺が呼んだら、いつでも来いよ?」

「冗談じゃない。これは、もらっとくけど。」

「は? お前、俺に逆らうの?」

「ばーか。

呼ばなくても、行くよ。」

ボッシュが、一瞬、絶句した。

リュウが、続ける。

「ところでさ、今度は、ちゃんと連れてけよ。」

「は? どこへだ?」

「上層街で馬鹿にした奴らに、仕返しに行くときだろ。」

リュウが軽口を叩くと、ボッシュも、にやっと笑った。

リュウの手の中で、ボッシュの受けた名誉、レンジャー部隊のマークをかたどったメダルが、くるりと回る。

ふたりでひとつの栄誉。

リュウは、それでもう、じゅうぶんな気がした。

 

 

END.

説明
ゲーム「BOF5 ドラゴンクォーター」二次創作小説です。リュウとボッシュの間にあった壁のお話。後編です。※女性向表現(リュボ)を含みますので、苦手な方はご注意を。
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ブレスオブファイア ドラゴンクォーター BOF ボッシュ リュウ リュボ 女性向  

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