MAFIA MARCH HARE 第二章
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第二章  黒、そして白

 

 

 兎にも角にもそんなことがありまして、私はしばらく黒服の妖怪兎の頭領こと、因幡てゐ女史とそのご一行に、全く興味が尽きませんでした。

 すなわち、てゐ女史を取材の対象にしたい――それは確かに私の本心なのですが、私の興味の対象はご一行の「活動」ではなく、その「事業」の方にある、と言うことを念頭に置きたいと思います。

 

 まずてゐ女史ご一行の「活動」とは、その「解決料」を当月以降のミカジメ料として商店に請求しながらも、そもそも飢えに耐えかねてその店を襲った貧しい民衆に、食料を配って救済する、と言うものでした。

 人間達が迷子を恐れて滅多に近寄ろうとしない、兎達の楽園『迷いの竹林』――。

 そこに、微かな春の足音と共ににょきにょきと生えてくる筍や、同じくそこで取れる山菜などを収穫し、それらを里のあちこちで起こる騒動の鎮定の手段として、全くの無代で配り回るのです。

 唯(ただ)でさえ自らを竹林の主を称しているのですから、少なくともその食料を自分達の取り分とするのは当然の筈――。

 と、『妖怪の山』に同じような縄張り意識を持っているいち天狗としてはそのように思っていたのですが――当のてゐ女史にその気が全く無いようで、自ら人里へと繰り出しては、それらをあのような形で大盤振る舞いしていたのです。

 そんな、騒動の裏に隠されたてゐ女史ご一行の英断のことなどつゆ知らず、大部分の貧しい民草や、略奪から救われた商店は、その「ご好意」に素直に感謝し、皆口を揃えて賞賛しました。

 それどころか、一部の民衆は彼女らこそ大国様(※1)の遣いに違いないなどと言いふらして回り、ファンクラブを結成して熱烈に崇拝するほどなのです。

 何にせよ、ご一行が中々に愛されていると言うこと自体につきましては、私自身がこの目で見たと言うこともありまして、疑いの余地などついぞありませんでした。

 けれども彼女の噂は、決してそのような美談だけでは済まされないと言うことも、紛れも無い事実です。

 

 てゐ女史は、尚も狼藉を働く者に対しては一切の容赦も見せず、その場で、又は所によって場所をわきまえては、老若男女問わず自らの手で始末しました。

 何の躊躇いもなく、その手に持った拳銃で射殺するのです。

 その姿を見た難民達は、並々ならない恐怖に心の底から震え上がり、しかし誰もそれを糾弾しようとはしませんでした。

 そもそも一体誰が、てゐ女史を非難出来たのでしょうか。

 それに、彼女を批判したところで、何か利益があったのでしょうか。

 良い子にしていれば、有難い施しを無条件で頂戴することが出来ると言うのに、もしもてゐ女史の機嫌を損ねて、貰える物すら貰えなくなってしまったら。

 唯でさえ飢えているのに、救いの手を差し伸べて下さった筈の御仁に逆らって、結局は遅かれ早かれ死ぬことになる――。

 そんな間抜けな選択が、一体誰に出来たと言うのでしょうか。

 幸か不幸か、てゐ女史の堪忍袋は決して小さくはなく、目の前で目に余るほどの狼藉を働きさえしなければ、そう簡単に機嫌を損ねることはありませんでした。

 このようなご時世ですから、人心が荒みきっていること自体は、彼女自身も重々承知の上だったのでしょう。

 何にせよ、民の命を繋ぎ止める救いの神としての顔と、一瞬にして命を奪う死神にも等しい顔――てゐ女史は、そのどちらもを持ち合わせており、そして他の誰の裁断を仰ぐことも無く、自らの意志で、他者の生死与奪を決めていたのです。

 それはさながら、外界は上州の義侠、国定忠治(※2)の再来にも見えたのでした。

 

 さて、そんな具合にてゐ女史にぞっこんの私が次に考えましたのは、いかにして彼女にお近づきになるか、と言うことです。

 先程も申し上げました通り、この混沌としたご時世に、救世(ぐぜ)の為に立ち上がった義徒がいると言うこと自体は、僭越ながら私のもとで発行している新聞の第一面を飾るに何の申し分ありません。

 兎に角彼女を取材の対象にしたかった――このことについては私の職業をお察しして頂ければ、最早これ以上述べる必要は無い筈です。

 ただそれとはまた別に、私はてゐ女史に、もっと重要なご用があったのです。

 すなわちそれこそが、彼女が「救済活動」と共に行なっている、とある「事業」についてのことでした。

 実は、私はあの因幡てゐ女史に、とある「お仕事」をお頼みしたかったのです。

 

※1 大国主命

 おおくにぬしのみこと。多数の呼び名を持ち、「ダイコク」はその一つ。その為七福神の「大黒」と同一視されやすい。

 日本創造を「完成させた」神様。出雲大社の祭神。守矢神社の祭神、八坂神奈子の夫「タケミナカタ」の父。

 国造り、農業、商業、医療など、ご利益は非常に多い。

 

※2 国定忠治

 江戸時代後期、上野国(現在の群馬県)で活躍した侠客(渡世人)。

 同じく上州出身で、上州の大半を縄張りにしていた大親分、大前田英五郎とは義兄弟だったらしい。

 天保の大飢饉の際、飢えに苦しむ農民を救済して回ったと言う逸話を持つ。

 しかし喧嘩っ早く、笑って人を切ると恐れられた。

 

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生憎てゐ女史との交友が全く無かった私は、如何にして彼女にお近づきになるか、まずそれが最初の課題となりました。

 何と言っても、先方は本物の銃をお持ちです。

 私がオハコの突撃取材を敢行しようものなら、当然彼女はその銃口を私に向けることでしょう。

 そもそも断られてしまったら元も子もありませんが、なるだけ事を穏便に運びたいのならば、素直にご面会の申し入れするのが恐らく最良の策と言えるでしょう。

 しかし、更にそこで難題が待ち受けます。

 次なる問題とは、一体誰を通して、もしくは何を使ってお頼みするのか、と言うことです。

 

 例えば電話(※3)――そもそも永遠亭には電話がありません。

 それ以前の問題として、てゐ女史は屋外活動に大変精力的です。

 もしたった今永遠亭に電話が開通したとしても、てゐ女史がお戻りになるまでは、里の電話局でいたずらに待ち惚けすることになるのが関の山でしょう。

 次に、お手紙――結局のところ、唯一にして一番真っ当な手段と言えるでしょう。

 私自身の手で置き手紙を残すことだって、文字通り造作も無いことです。

 しかしながら、確実に手元に渡って、なおかつしっかりとお目を通して頂けるか、その保証が全くありません。

 と言いますのも、私はその手紙に直接署名をするつもりが無かったものですから、差出人不明では怪しがって読んで頂けない、と言う可能性があったのです。

 手紙に直接私の名を残さず、彼女に確実に渡すには―現時点で最も有効なのは、私の新聞と一緒に、手紙を永遠亭のどこかに置いておく、と言う方法でした。

 しかしながら、私のそれのみならず、天狗達が競って発行している全ての新聞を学級新聞などと皮肉ったこともある永琳女史が、無造作に置かれた私の新聞を見てまともに取り扱って下さるかどうか、正直分かったものではありません。

 けれども本当に無価値と思われているのなら、尚更それをその場に放っておかず、捨てるなり何なりの行動に出る筈です。

 つまり、手紙だけはそのまま新聞と一緒に捨てられないよう工夫を凝らした上で、それに気付いた人物から直接手で渡して頂ければ良いのです。

 重要なのは、発見当初に手紙と一緒に置かれていた物が何かを確認して頂くこと、ただそれだけなのでした。

 その旨を追伸に書き加え、いざそれらを置いておくのは永遠亭の縁側。

 縁側に置いた手紙の上に更に新聞を重ね、私は一旦その場から離れます。

 そして竹藪の向こうから双眼鏡を覗き、誰がいらっしゃるのかを待ち構えます。

 

 最初にそこへ現れ、私の新聞に気付いて下さったのは、永琳女史のお弟子こと、鈴仙・優曇華院・イナバ嬢でした。

 私がこの数日間てゐ女史のご一行を見て来た限りでは、鈴仙嬢がそれに加わったことは、たったの一度もありませんでした。

 大方、出自や普段の境遇など、諸々を他の妖怪兎達と異にする鈴仙嬢が、日頃の行動まで共にする理由が無い、と言うのが一番の根拠でしょう。

 閑話休題、新聞を拾い上げた鈴仙嬢は、最初は訝しむように、辺りをキョロキョロと見回していました。

 私自身は鈴仙嬢の事を余り存じている訳ではないのですが、出身が月と言うこと自体は割と有名なものですから、地上では常識外れなその聴力と視力で、突然私の方に振り向くかも知れない――などと、内心ビクビクと震えていたのですが。

 案の定、その直後に鈴仙嬢がお気付きなったのは、竹藪に身を潜めてその様子をうかがう私――の方ではなく、新聞の下に忍ばせておいた、あのお手紙でした。

 そして夕刻、永遠亭にお戻りになったてゐ女史に、私の手紙をその手でしっかりと渡して下さったのでした。

 手紙を確実に届けると言う関門は、有難くも鈴仙嬢の全面的なご協力によって、無事に突破することが出来たのでした。

 

 と、ここからは余談となるのですが、その後私の新聞は、大変有難いことに鈴仙嬢に気に入って頂けたらしく、その夜はラジオ漫談(※4)の頃合いになるまで、自室で熱心に読んで下さるのを覗うことが出来ました。

 私自身にはそのようなつもりは決して無かったのですが、てゐ女史に付きまとうことで、また一人私の新聞の読者を増やすと言う、願っても無い幸運を手に入れたのでした。

 さて、辺りはすっかり暗くなってしまい、どちらへ飛べば山に戻れるのか、皆目見当が付かなくなってしまったのですが。

 そもそも、何だって私はこんな夜分にまで、こんな寒い場所でガタガタと震えながら、永遠亭のだんらんを双眼鏡越しに探っているのでしょうか。

 天狗食堂の一斉食事の時間など、とっくのとうに過ぎています。

 つまるところ、私はこの大食料難時代のたった一晩、されど一晩の食事を逃してしまった訳ですが。

 けれども抱えてしまった空腹は、我慢する以外に仕方がありません。

 早く山へ帰って熱々のお風呂に浸かり、温かい布団に潜って眠りたいものです。

 ああ、お腹が減りました。

 

※3 電話

 一八七六年にベルが開発し、翌年に日本に上陸した。一八九〇年に東京・横浜間を皮切りに、電話局及び郵便局間で、交換台の手動交換による電話サービスが始まった。

 当時は一般家庭で扱えるものではなかったため、電話を掛ける、もしくは電話が掛かった場合、電話局か郵便局に行く必要があった。

 

※4 ラジオ 【radio】

 古くは「ラヂオ」。

 カナダ出身の電気技師レジナルド・フェッセンデンが1900年に発明。その他大勢の事業者による実験放送を経て、1920年に公共放送がペンシルバニア州ピッツバーグで始まった。

 日本の公共放送は1925年(大正14)、東京放送局(NHKの前身)から開始された。

 

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翌日、私は天狗食堂で、麦飯一杯と数枚の沢庵漬けのみと言う実にけちな朝食を頂いてから、人里のほぼ中心にある市場へと向かいました。

 食料難のご時世ではありますが、露店や屋台が何十と軒を連ねて出来た市場には、この時期に取れる作物や魚、そして鳥獣の肉が、それまでよりもずっと高額の値を付けられて、その店頭に続々と並び出します。

 以前は、これらを狙って貧しい方々がどっと押し寄せ悪さを働く、と言うことも

 かなり頻繁にあったようですが、里の中心だけに警察署(※5)が近いこともありまして、その殆どが失敗に終わっていました。

 人里随一の人集りがあるのにも関わらず、大変好ましい具合の平穏を保つことが出来ている、文字通りの人里の中心――。

 幾つかの屋台からは、そこで手に入る食材をふんだんに使った料理の大変香ばしい匂いが漂って来ます。

 中には鳥料理を出している屋台もありますので、全てのそれが私にとって心地良いと言う訳ではないのですが、その香りは悔しくも大変食欲をそそり、出来れば正午まで忘れていたかった空腹感を、これでもかと言わんばかりに思い出させるのです。

 誘惑に耐え切れなかった私は、別の屋台で出されていた里芋の煮転がしを買い、結局満たされず仕舞いだったお腹の足しにしました。

 天狗食堂の一人当たりの配給量の微調整などという、あまりに卑劣な「実質値上げ」に比べれば、単に値上げしただけでさほど量は変わらないこちらの方が、ずっと良心的だと感じます。

 ちょっとした抗議に三食全てを人里で賄ってしまおうか、とも思ったのですが、私も決して裕福な方ではないので、残念ですが今は我慢するしかありません。

 と言う訳で、ようやく腹八分目程までお腹を満たせましたし、待ち合わせまでのお時間も大分消化することが出来ました。

 市場を後にして、電車通り(※6)沿いのすぐ隣に立つ赤煉瓦の瀟洒な建物、電話局の中へと入ります。

 そして、今日の営業を始まってまだ間も無い電話局の待合室でふかふかのソファに陣取り、残りの時間はゆっくりまったりと、彼女をお待ちしようと思っていたので、す、が――。

 ……やや暗いその建家の中へと入ったその瞬間に、私は思わずはっとせざるにはいられませんでした。

 と言いますのも、そこにはもう既に、ソファにゆったりと腰を掛けて私をしかと見つめている、あのてゐ女史の姿があったからです――。

 

※5 警察

 日本の近代警察の発足は案外早く、1871年(明治4)年に邏卒(らそつ)と言う名称で設置された。3年後に警視庁が創設され、現在の形に近い組織が出来上がった。

 嘗ては思想なども取り締まっており、反体制的な新聞や同人誌をも検閲の対象にしていたが、本小説では現在のタイプの警察とする。

 

 

※6 路面電車

 1879年のベルリン博覧会において、ドイツのジーメンス社によりデモ走行が行われたのが始まり。1881年にフランクフルトで世界初の旅客運行が開始した。

 日本では1895年(明治28)に京都で運行が開始された。現存する国内最古の路面電車は1911年(明治44)製の京都市電。博物館明治村蔵。

 

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気不味いです、実に気不味いです。

 まだ約束の時間にはなっていない筈ですが、大変残念なことに、私の方が後から入って来る形になってしまったのです。

 何故そんなこと気にするのかと言いますと、何を隠そう私は昨日の手紙に、「電話局の待合室で『お待ちしております』」と、そのように書いてしまったからなのです。

 差出人が誰かは直接分かり知れないながらも、その不躾甚だしい手紙を書き寄越した当の本人が、遅れて到着することになるなんて。

 しかしながらてゐ女史は、矢が降ろうとも陽が西から昇ろうとも、そこから私のことをじっと見つめていらっしゃるのです。

 その事実は例えコロンブス氏が卵を立てようと、全く否定のしようがありません。

 私は今すぐにでも逃げ出したい気持ちを抑え、ガクガクとする脚でひょこひょこと奇妙な歩き方をしながら、てゐ女史に近づいて行きます。

 本日のてゐ女史のお召し物は、先日の黒の外套ではなく、長らく妖怪兎の目印とされて来た、あの白い衣装―あの厳めしく、非常に渋い格好とは打って変わり、それまでの認識と同じ、大変愛らしい可憐な少女の格好をされております。

 しかしその目付きや滲み出るオーラは、あの時私も拝見したそれらと何ら変わってはおらず、ただ睨み付けるだけで私を射殺すことが出来るのではないかと思ってしまうほど、大変鋭く厳しいそれなのでした。

 

 すっかりてゐ女史の威圧感に竦みきってしまった私ですが、それでも意を決し、彼女に向かって声を掛けることにします。

「とっ、隣、宜しいでしょうか?」

 妙に上擦った声でそう尋ねたところで、私は再び後悔せざるを得ませんでした。

 一体全体、私は何を尋ねているのでしょう。

 その問いかけに、果たして意味があったのでしょうか。

 いえ、てゐ女史が拳銃を持っていらっしゃるのであれば、少なからずその意味は確かにあったのかも知れません。

 しかしもう何度も言わせて貰えば、ここに呼ばれたのは彼女であり、呼んだのは私の筈なのです。

 隣がどうとかそう言うことではなくて、用があるのは私自身ではありませんか。

 いやいやそれ以前の話、一体どうして私は「おはようございます」の気の利いたご挨拶すらをも省略してしまったのでしょう。

 兎にも角にも何もかもがしっちゃかめっちゃかで、私の体裁は本題に入る前から既にボロボロだったのでした。

 そんな私の気を知ってか知らないでか、建家の中に入った時からずっと私を睨み続けていたてゐ女史は、小さくため息をついて視線を手前に戻し、その手で自らの右隣へと私を促しました。

 いいから座れ―そんな思惑が、ひしひしと伝わります。

「あ、有難うございますっ、で、ではでは、失礼致しま……」

 申し訳なさで一杯になった私はそれ以上何も言うことが出来ず、促されるままにてゐ女史の右隣に座りました。

 が、その時。

 私の左脇腹に、何やら角張った物が、ゴリッと強く押し当てられたのです。

 全身から冷や汗がブワッと吹き出す中、私は、それを、ゆっくりと見下ろします。

 私が着ている白いブラウスにぐいとめり込む、金属質の鈍い光を反射させるそれ。

 そこにあったのは言うまでもなく、てゐ女史が狼藉者を始末する時に使っていた、あの拳銃だったのでした。

「このところ、ずっと監視していたな」

 その低い口調つられて震えながら顔を上げれば、そこに待っていたのは、やはり一片のご容赦の念も感じることが出来ない、まるで私を酷く憎んでいるかのような鋭い目付き。

「あやや、ば、バレておりましたか」

 黙っていれば良い相手でもありません。

 私は必死で愛想笑いを作って取り繕いましたが、はっきり言って逆効果でした。

 脇腹を押し付ける力が強くなり、てゐ女史の細い眉がより一層釣り上がります。

「あまりしつこければ射殺してやろうと思っていたところだ。今そうしてやろうか」

 てゐ女史はそう言ってカチン、と撃鉄を起こします。

 本気で撃とうとする程までにお怒りです。

 本当にやばい状況です。

「ごっ、ご免なさい、大変ご迷惑をお掛け致しました。申し訳ございません」

 スペルカードと弾幕勝負ならまだしも、実弾を持った相手ではお話になりません。

 私は殆ど泣きながら、潰れた蛙のような声で非礼を謝るしか無かったのでした。

「ふん、まぁいい」

 大変慈悲深いてゐ女史は、そう言って銃を私の脇腹から離します。

 緊張のあまり息すら止まりかかっていた私は、ようやくぶはっと溜めていた息を吐き尽くし、ぜえぜえと荒く呼吸を繰り返しました。

 私がこの世に生をうけてから千年近く経ちますが、これ程の死の恐怖を味わったのは、本当に数える程しかありません。

 文字通り、寿命の縮む思いをしました―私の寿命が後どれ程なのかは分かったものではありませんけれども。

「それで、私に一体何の用だ。私を出張らせた、その落とし前を付けられるだけの目的があるんだろうな」

 てゐ女史は私に向けた銃を仕舞いながら、もう一度私に向かって尋ねます。

 せめて呼吸が整うまで待つ位のお情けは頂戴したかったのですが、銃を下ろして頂けた、これ以上の便宜など絶対に必要ありません。

「は、はい。勿論です。その、幾つかお伺いしたいことがございまして」

 私がすぐにそう返事をすると、元々ご機嫌が宜しい訳でも無かったてゐ女史は、眉間に更に皺を寄せて言いました。

「おおよそ、お前の瓦版(かわらばん)のネタとしてか。いい気なものだな。ブン屋と言う奴は」

 図星を指されてしまい、返す言葉もございません。

 私の肩書きなど周知の事実ですし、そもそも『新聞以外に一体どんな用があるのか』、まずそれ自体の見当が付く訳が無いでしょう。

 けれども、その次に拒否の言葉が続くことはありませんでした。

「放っておく方が面倒だ。とっとと片付けてやる」

 続けて言われたその言葉に、私は驚き半分、喜び半分で聞き返しました。

「よ、宜しいのですか」

「特別だ。用が済んだら、二度と私の視界に入って来るな」

 恐らく、それは無理だと思います――。

 そう心の中で言った私のことなどつゆ知らず、てゐ女史はそう言ってソファから立ち上がり、出口に向けて歩き出しました。

「えっ、あのっ、どちらへ」

 慌てて私も立ち上がり、後を追いながら尋ねると、てゐ女史は段々と混み始めた電話局のカウンターを指さして、言い放ったのでした。

「こんな、幻想郷一耳がそばだった場所で話が出来るものか」

 

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私とてゐ女史が向かったのは、電車通り沿いに一町(約109メートル)ほど歩いた先にある、小さな西洋風のカフェーでした。

 まだ誰も入店していない、独占状態のカフェーの入口から二つ目のテーブルに陣取り、

 てゐ女史はエスプレッソを、そして私はカフェラテをマスターに注文します。

 店内には、カウンター近くに置かれた蓄音機(※7)から微かに聞こえる『スウィート・ホーム・シカゴ』の音色。

 それを片耳に、まずは非常に味わい深い、淹れたてコーヒーを一杯。

 安定供給されている物を普段通り嗜むことが出来るのは、実のところ私達妖怪だけなのかも知れません。

 小洒落た内装には余り似合わない、そこはかとなくやさぐれた感じの選曲が、何となく、そう感じさせてくれるのでした。

「カフェインは大丈夫なのですか。兎さんと言えば……」

 自分でも何を今更と思いましたが、私は何か話題をと思い、何となく気になったことを素直にぶつけてみます。

「私と同じ、妖怪のお前が言えたことか」

 てゐ女史は目を合わせようともせず、ピシャリとはねつけるように言いました。

「そ、そう言えばそうですね」

 確かに、わざわざ妖怪にもなって鳥獣の時代の体質を引き継ぎ、そして珈琲一杯如きの為にカフェイン中毒を起こすと言うのは、何とも情けない話です。

 いまだにネギへの苦手意識を捨て切れない白狼天狗達は、必ずや彼女の姿勢を見習うべきだと思いました。

 と、そんな他人の好き嫌いはさて置き、私は懲りることもなく下世話な話を投げ掛けてみます。

「お気に入りの店なのですか?」

「そんなことが聞きたいのか」

 てゐ女史は不機嫌そうと言うより、半ばうんざりしたように言いました。

 出来れば是非とも親睦を深めたかったので、他愛も無い話からてゐ女史そのものを引き出して行きたいところだったのですが――。

 いい加減、そろそろ止めた方が身の為かも知れません。

「い、いえ、では本題に入った方が宜しいでしょうか」

 そう言った私に、てゐ女史は肯定の意味を込め、ただ沈黙を突き通しました。

 蓄音機の曲目が、『フェン・ユー・ゴット・ア・グッド・フレンド』になった時、私は小さくため息をついて、用件の『一番の目的』の方から切り出しました。

「ドン因幡、貴方にお頼みしたいお仕事があります」

 私がそう呼びかけると、てゐ女史は眉を一瞬ピクリと動かし、決して合わそうとしなかった目をようやく私に向けて、たしなめるように言いました。

「その呼び方はやめろ。お前は私のファミリーじゃない」

「では、何とお呼びすれば」

「てゐでいい」

 てゐ女史はそう短く答えると、懐から赤い円の描かれた煙草の箱を取り出して、その中の一本取り出して口に咥えました。

 生憎喫煙者ではない私は、日頃からマッチ(※8)など持ち歩いてはおりませんでした。

 その為てゐ女史は自分の手で火を点ける必要があったのですが、それについてはさほど気にしてはいないようでした。

 手慣れた手付きで煙草を手にし、ふう、と紫煙を一吹き。

 可愛らしい外見とは裏腹に、随分と手慣れていらっしゃいます。

 以後もてゐ女史に付き纏うつもりなら、これからは念のためにマッチを持ち歩いた方が良いのかもしれません。

「解せないな。天下の天狗が何で私なんかに」

 煙を燻らせているてゐ女史には、私の依頼のおおよその傾向が、既にお分かりのようでした。

 何故、一人一人が強大な力を持つ天狗が、ずっと弱いはずの妖怪兎に頼るのか。

 けれどもそれを踏まえた上で、因幡てゐと言う存在と、彼女が率いる組織と言うものの実情に、ある程度見当が付いている――。

 先ほどまで何もかもがぐだぐだだった私が、そう言う物言いをしたのでした。

「勿論、これは私にとっても簡単なことです」

 私は素直にそれを認め、手元のカフェラテを呷ります。

 そしてその上で、言葉を更につけ加えました。

「しかしながら、私にも上司と言う者がおりまして。組織と言うものの煩わしさは、貴方も良くご存知の筈です」

 私の言い草に、てゐ女史は眉をひそめて言いました。

「それで、お仲間の秩序を脅かしかねないことを、私に頼むのか」

「……組織の頂上にいらっしゃる方なら、と」

 私の言い草に、てゐ女史は首を傾げながらいささか呆れたかのように軽く肩を竦ませ、しかしそれと同時に、小さく頷いたようにも見えました。

 そして灰皿に煙草を置き、組んだ両手に口元を隠して言います。

「―お前達と我々とでは、組織内の規定(※9)の内容が、多少異なっているようだ」

「……具合宜しくありませんでしょうか」

 心配になってそう尋ねると、軽く頭を振って否定します。

 その判断は勿論、彼女が組織の頂上にいる方だからこそのこと。

「聞くだけなら」

 引き受けるかどうかは、今は判断出来ない、判断しない――。

 さし当たって今現在はそう言う条件の下、私は組織と言うものを重んじるてゐ女史に、特別に依頼を持ち掛けることを許されたのでした。

 私はカップをソーサーの上に戻して一呼吸をおくと、ようやくその依頼の内容を口にしました。

「この里にある、とある鳥料理屋を畳んで頂きたいのです」

 カウンターの蓄音機から響く曲目は、『カム・オン・イン・マイ・キッチン』に変わったところでした。

 

※7 蓄音機【gramophone】

 トーマス・エジソンの発明品と見做されがちだが、実用化したのはエミール・ベルリナーと言うドイツ出身の発明家である。

 1877年にエジソンが円筒式蓄音機を発明したが、性能は悪く、マスコミ戦略用でしかなかった。その後ベルリナーが研究を重ね、1887年に円盤式を発明した。

 

※8 マッチ【match】

 1827年に、英国のジョン・ウォーカーが最初に発明した。発火用の頭薬と側薬こそ現代と異なるが、形態はほぼ同じであった。

 嘗て日本では、一箱が米四升に等しい高級品だったが、1875年より金沢藩士の清水誠が大量製造を開始。20世紀初頭ではスウェーデン・アメリカと並び、世界三大生産地に上り詰めた。

 

※9 オメルタ【omerta】

血の掟、沈黙の掟。マフィアのメンバーとなる際に誓う掟。自らの人差し指を刺し、出た血を聖母マリアの絵に垂らす(更に手の上で焼くと言うパターンも)と言う儀式を行うことで、正式にメンバーとなれる。

具体的には十箇条の誓約があり、一つでも破ると、血の制裁を受けることになる。

 

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「こちらです」

 間も無く私達はカフェーを後にし、例の店までやって来ました。

 その店があるのは、カフェーからそう遠くない、割と大きな店舗の建ち並ぶ商店街の中。

 同じ並びの向こうに見える、最近建て替えたばかりの霧雨店の大きな外構えや、今日訪れて来た洋風の洒落た建物とは打って変わり、極めて伝統的な町家の佇まいのお店です。

 そしてその店に近づけば近づくほど鼻をくすぐる、大変悔しくも非常に香ばしい、鳥を料理する匂い――。

 平生では滅多に感情を出さない私ですが、この店の前では別です。

 言い様もない程の無念さに、私の心は酷く痛むのでした。

「今この一瞬も、私の同胞が肉となり、食となっております」

 ゴトンゴトンと、いかにも重そうな音を上げて目の前を通過する電車や自動車を見送りながら、私は街路の向こうに立つその店を指差してそう言いました。

 出入り口の前では、厚手の着物に身を包んだ裕福そうなご婦人とそのご息女が、若い男性店員に見送られてそこを後にしようとしています。

「兎の皆さんも、どちらかと言えば捕食される側の身です。この心の痛み、お分かり頂けるでしょう」

 そしてもう一度暖簾を捲り上げる、新たな利用客の影。

 実際にグルメランキングでも一、二を争う程の、大変人気のある鳥料理屋なのでした。

「……ふん、鳥を煮て焼いて喰うなど、今に始まった話じゃあないと思うが」

 てゐ女史は鼻で笑いながら、意地悪そうにそう言います。

「ええ。勿論それだけなら、このようにご依頼を持ちかけようなどとは思いません。」

 その程度で店を畳むべきだと言う結論を出すのであれば、今頃私は自らの手で、この店のみならず、市場をも焼き討ちにしていたことでしょう。

 百歩譲って私が動かなかったのは、生類としての種を異にしていたからです。

 すなわち、今回私が、このように意を決さざるを得なかったのは。

「ここで食肉として供されているのは鶏、鴨、その他実に多くの鳥達……そして、正真正銘の私の同胞、鴉なのです」

「……なるほどな」

 てゐ女史はそう言って手を口元に宛てがいながら、その店をじっくりと見つめていました。

「……いかがでしょうか」

 私が顔色を窺いながらそのように尋ねると、てゐ女史はしばらくの沈黙の後に、小さくため息をついて言いました。

 

「手前の尻拭いも出来ない鴉共の代わりに、種の違う私のような兎風情が体を張る義理など、これっきしも見付けられたものではないな。」

 

 ごう、とすぐ手前を通過する自動車。

 一瞬、私の周りだけが、時が止まったかのように思えました。

 私に数々の至らなさがあったのは間違いありません。

 自ら簡単だと豪語した癖に、他の手を借りなければ出来ないなど、どう聞いてもお笑い種でしかないでしょう。

 確かに人間が鴉を食膳にのぼせ出したのは、ここつい最近の話に過ぎません。

 しかし日常から捕食の危機に晒されている兎の方々であれば、この状況に親身になって下さると信じておりました。

 けれどもその兎の頂上に位する方の返答は、これ以上に無い程の明確な拒否。

 あまりに無情な結果に、私は失望の色を隠さずにはいられませんでした。

「そう……ですか」

 私はがっくりとうなだれ、視線を彼女から逸らしました。

 今日の午前中の私の行動は、全て水の泡となってしまったのです。

 ならばこれ以上、ここで油を売る必要もありません。

 午前を無駄に過ごした分、次号分の取材を半日以内に集めなければいけません。

「出過ぎた真似を致しました。数々の非礼、お詫び申し上げます―それでは」

 私はそう言って礼をすると、兎の御仁に背を向けて歩き出そうとしました。

「それでいいのか」

 最初の一歩を踏んだその時、背後から彼女が私に尋ねます。

 二言を問うなんて。

 如何にお相手が「大国様の遣い」とまで称される方とは言え、兎と言うのは鴉を、鴉天狗を、一体どれだけ侮辱すれば気が済むのでしょうか。

 腹が立った私は、無視して歩き続けました。

 叶えられない望みと共に、お互いに雑踏と騒音の中に消えていけば良い――。

 そう、私は自分に言い聞かせて納得したのに、彼女はもう一度言ったのでした。

「お前の依頼と言うのは、本当にその程度のものだったのか」

 思わず足を止める私。

 俯き加減の私の目からは、あふれでて来る大粒の涙。

 全て、彼女のおっしゃる通りでした。

 組織の体面と板挟みになりながらもこれだけのお膳立てをしたと言うのに、私の、種の無念と言うものは、こんなにもあっさりと諦められるものだったのでしょうか。

 私は彼女に断られたことではなく、私自身が抱えてしまった、どうしようもない不甲斐の無さが、たまらなく悔しかったのでした。

「……いいえ」

 年甲斐にも無く零してしまった涙を拭き、私は再び彼女の方へ向き直ります。

 そして腕組みをして返答を待っている兎の頭領に、はっきりと言いました。

「私は、何としても、同胞の無念を晴らしてやりたいと思っています」

 それが、きっと同情して頂けると思っていた相手に見捨てられてしまった私の、精一杯の答えでした。

「……それでいい」

 そう言うと、てゐ女史は何を思ったのか、私の手前まで近付いて来ました。

 私よりも背が低い上、一本歯をあしらった靴を私が履いていた為に、てゐ女史は腕をぐっと伸ばさなければいけませんでしたが、ギリギリ背伸びをすることも無くその手をポンと私の肩に置くと、宥めるように、柔らかな口調で言ったのでした。

「その依頼、引き受けてやろう」

 私が驚き戸惑っていると、彼女はもう一度、安心させるように言ったのでした。

 

 

「お前は、私がその憂さとやらを晴らしてやると、同胞に伝えてもいい」

 

 

-7ページ-

 

ヨ タ バ ナ シ

 

Column 3

「忠義者は借りを返す。そして約束を守る者だ。特にそれが大国様からと言うのなら尚更だ」

 

 よく誤解されますが、一見最強の無法者集団に見えるマフィアにも、義理人情―すなわち任侠道と言うものがあります(ファミリー、時代、各ボスの思想によっても違う為、全てそうとは限りませんが。)。

 そもそも、アメリカにおけるイタリア系移民は他の民族にかなり遅れを取っており、一時期の社会的地位はほぼ底辺にありました。

 このような背景からイタリア系住民は同郷者同士で互助関係を築き、時には武力を行使することで、その地位の向上に努めました。

 こうして出来た「組織」は、義理や利益が無ければそう簡単に動き出すものでは無いのですが、時にそれらを越えて動くことがあるのは、ある意味このような組織の矜持、もしくはそれに準ずる何か、とも言えるのかも知れません。

 これを幻想郷に当てはめると、兎達は人間のみならず他の生物や妖怪からすらも捕食対象とされており、幻想郷社会のほぼ底辺に位置していると言っても良いでしょう。

 境遇さえ似通えば、てゐは喜んで、他者に手を貸してくれるのかもしれない―私はそのように考えます。

 

 特に、「生存」と言う合言葉さえチラつけば。

 

Column 4

「鴉の肉は実際美味しいと、評判も上々のようですよ。私はまだ食べたことありませんけどね」

 

 今回の題材として「鴉の食用」について取り上げました。

 ゴミや動物の死骸を食べる為に、どう考えても鴉は食用に適さないと思われがちですが、その肉の食感は鶏とさほど変わらず、味も鯨のそれに近いと言う結果が、最近の研究で明らかにされているようです。

 また、この鴉肉の食肉化に関しましては、2011年今現在も東京都知事を続投している石原慎太郎氏が、嘗てカラス対策の一環として食用化し、ミートパイにして東京名物にすべきと提唱したことがありました。

 勿論この提案が実現することはありませんでしたが、後に東京MXテレビの番組企画で、テリー伊藤らが鴉肉のミートパイを用意し、自ら食す事になった、と言う逸話が残っております。

 原作でさえ、文は鳥を食すこと自体に表立った反対運動を起こすことはありませんでした。

 しかし同胞の「生存権」が侵害され、天狗組織にもまともに取り合って貰えなかった文は、こうしてより強く魅了されていくのです。

 

 より長い間、より過酷な境遇の中で強かに生き続けて来た、因幡てゐと言う存在に―。

 

説明
第二章です。
今回の話が夏コミで発表しようと思っていた話の一部なのですが、残念なことに間に合いませんでした。ごめんなさい!
そんな感じで私も漫画化する気が失せまして、相方に迷惑掛けず、自分のケツは自分で拭こうと思い、小説化に踏み切ったわけです。

ところで私はウサギ肉もカラス肉も食べたこと無いのですが、いつか食べてみたいですね。
と言うか、てゐちゃんか文ちゃんぺろぺろしたいです。
ぺろぺろ^ω^

※前回の「オートモービル」について、表記を「自動車」に戻しました。 ピクシブで横文字、印刷の方で漢字表記、と言う形にしたいと思います。

ところで、私はお世辞にも自分で書いた文章が決してウマい方だと思っておりません。
それどころか国語自体苦手で、単語ひとつ書く度に辞書を引くくらいです。
そのくせかなりクドく書くとすら思っているので、その場合は本当に、一言でもいいので「クデェ!」とか「ここ意味わかんねぇよ」とか言って頂けると大変光栄です。
何卒。

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