真昼の花火 2(レンリン)
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 遠くの空で、何かが弾けるような音がした。

 少女はその音を耳にした瞬間、どこまでも澄み切った空の片隅で、行き場のないこの想いが爆ぜてしまったのではないかと思った。

 

 

「何の音?」

 渡り廊下の途中でリンに声をかけていた同じクラスの男子生徒は、どこからその音がしたのかと不思議そうに辺りを見回していた。

 するとリンはすぐに空を仰ぎ、遠くの空に白い煙が上がっていることに気付く。煙はすぐに淡い空の色に溶けこんでしまった。

「……花火」

「こんな時間に?」

 そういえばずっと前にもこんなふうに、よく晴れ渡った真昼の空を眺めていたことがあった。リンは目を凝らしながら、あの空よりも煙よりもずっと遠くに行ってしまった日のことを思い出す。

 今はここにいない、幼い日のレンと一緒に。

 

 

「何の音かな?」

 もう八月も終わりだというのに、日の光が届かない部屋の中ですら生温い空気が肌に纏わりつく、とても蒸し暑い日だった。

「海のほうから聴こえたよ」

 子供が一人で眠るにはかなり広さに余裕がある、ベッドの空いている場所に腰を下ろしてリンと一緒に本を読んでいたレンは、窓の外から何かが弾けるような音を耳にした瞬間に、子犬のような丸い瞳を音がした方向へと動かした。

「……花火の音、じゃない?」

 するとリンは、咳のしすぎで少しだけ掠れてしまった声で呟く。

「前に庭でやったときには、こんな音しなかったよ?」

「そうじゃなくて、もっと大きいの。ほら、こんど花火大会が海の近くであるってママが言ってたじゃない」

 レンはベッドの上からフローリングの床に降り立つと、タタタ…と小さな足音を立てながらとベッドの反対側にある窓の前まで近付いていって、両手で勢いよく窓を開け放った。すぐに外の熱気と生温かい風、そしてこもったような夏の匂いが、閉め切っていた部屋の中に侵入してくる。

 それからしばらくは何の音も聴こえてはこなかったが、窓を閉めようとした直前にまた、パァン、と遠くの空で何かが弾ける音がした。しかしそれ以上には何の色も、煙すらも、二人がいる場所からは確認することはできない。

「まだ明るいから見えないね」

 リンはシーツの上に開かれたままですっかりレンが興味を失ってしまった本へと視線を落とし、先にページを進めてもいいものかどうか決めかねていた。

「きっとレンは連れていってもらえるよ。花火大会」

 しかしレンが「一緒に読もう」と言って持ってきた子供っぽい冒険小説を一人で読む気にもなれずに、残っていたページごと本を閉じてしまうと、リンはどこか諦めを含んだ声でそう呟いた。

「リンは?」

「リンはだめ。人の多いところに行ったら、また病気になっちゃうもん」

「じゃあ僕も行かない。家にいる」

 そう言ってレンは窓を閉じると、すぐにリンが横になっているベッドの上まで戻ってくる。一緒に読んでいた本を閉じてしまったことには何も言わずに、リンの隣に寝そべると、満面の笑みを浮かべた。

「リンが外に出られるようになったら、一緒に行くんだ」

 いつかその日が来ることを信じて疑わない、無邪気な声。

「一緒に見ようね。花火」

 

 

 やさしいレン。かわいいレン。

 あたしはそんなレンのことが、大嫌いだった。

 

 

 

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 あの子はもう十まで生きられないかもしれない。

 

 大人達がそう話していることは知っていた。自分が眠りについたのを確認して、リビングに戻ったママが涙を流している姿を、もう何度も目にしていたから。今にも消えてしまいそうな嗚咽を含んだ声も。嫌になるくらい耳にしていた。

『――…どうしてあの子だけ』

 そんなのあたしが知りたい。どうしてあたしだけ、いつもまわりの子と同じようにいられないんだろう。

 レンはあんなに元気なのに。これから先も――…あたしがいなくなったあとも、生きられるのに。どうしてリンだけ、いなくならなきゃいけないの。

「リン、はやく元気になって」

 そして自分を心配して部屋までやって来るレンに対しても、次第に苛立ちを覚えるようになっていた。

 ……嫌い。レンなんて大嫌い。

 レンなんていなければ、明るいお日様の下を走り回ってる姿を見て、こんなに自分のことを惨めになんて思わなかった。手の届かないものに焦がれることさえなかった。

 一人がこんなに寂しいなんて、気付かなかった。

「ん……」

 自分を心配するレンの声を聞きながらいつの間にか眠りに落ちていたリンは、どこからか漂ってくる嗅ぎなれない香りに、ゆっくりと瞼を押し上げた。

 鼻先をかすめる甘い花の香り。少しだけ頭を動かすと、どこかから摘んできたばかりの白い花びらがシーツの上に散らばっていた。根っこにはまだ土がついていて、湿ったような匂いがする。ベッドの上が汚れちゃうじゃない、とぼやきながらもリンはその場所に顔を近付ける。

 すう、と息を吸いこむと、忘れかけていた土とお日様の匂いが広がる。レンと一緒に眠っているときと同じにおい。

「…………嫌い。嫌いよ」

 だけど本当は、そんな自分が一番嫌い。

 あたしの手の届かないところに行ってしまうレンを追いかけられないことが、自分だけここに置いて行かれることが、悔しくてたまらなかっただけ。それだけなの。

 

 

「リ……ンっ……」

 外の空気が冷たくなるにつれてベッドから起き上がれない日が続くようになっていたある日、なぜか泣きじゃくりながら自分の部屋にやってきたレンの姿を見て、リンは何かを考えるよりも先に腕を伸ばしていた。それからすぐに近くまでやってきたレンの頭を両手でそっと抱えこむ。

 子犬みたいに柔らかくて癖のある髪が指の間からすぐに滑り落ちてしまいそうで、手だけじゃなく腕や身体全部を使ってしっかりと抱きとめた。

「どうして泣いてるの?」

 できるだけ優しい声で尋ねてみても、レンは何も答えようとしなかった。涙だけが、薄い寝間着に包まれた胸の奥まで染みていく。レンが腕にしがみつきながら嗚咽を漏らすたびに、苦しげな振動がまるで自分の器官を通しているみたいに近くで鳴り響いていた。

 身体の大きさは同じくらいなのに、あたしよりずっと小さな子供みたい。

 レンの背中に腕を回しながら、リンは昨夜から続いている熱のせいでうまく働かない頭でそんなことを考えていた。

「誰かにいじめられたの?」

「ち、がっ……!」

 もっとも、こんなふうにレンが泣いている姿を見るのはめずらしいことではなかった。昔からちょっとしたことでも泣き出して、すぐにその大きな瞳いっぱいに涙を溜めてしまうのだ。男の子でしょ、とリンが何度言っても、気付けば大粒の涙をこぼしている。そんな子供だった。

 だけどそれは弱いからじゃなくて、優しいから。悲しいくらいに優しいから、自分以外の誰かの分まで傷ついてしまうことを、ずっと誰よりも近くにいたリンは知っていた。きっとその涙のなかには、自分が流せなかった涙が含まれていることも。

「レンのことを泣かせる子は、リンがやっつけてあげる。だから泣かなくていいの」

 そう言って、リンはまだ泣きやもうとしないレンの頭をいっそう強く抱きしめる。

 こうしていると、身体の悪いところなんてとっくに治ってしまったんじゃないかと思えてしまう。そのくらい強い気持ちで胸が満たされていた。レンの涙を止めるためなら、何でもできる気がした。

 苦いお薬や痛い注射の針なんてちっとも怖くない。レンが自分の知らないところで泣いてるんじゃないかって不安になることのほうが、ずっと怖かった。

「ずっとずっと、一緒にいるから」

「……本当?」

「うん」

 何の根拠もない子供の口約束。だけど口にするたびに、不思議と力がわいてきた。

「じゃあ、約束」

 絡めたレンの指は冷たくて、自分の熱がうつったらどうしよう、と不安になったけど、そんなあたしの気持ちなんて知らずにレンはなかなか指を離してくれなかった。

「リン、苦しい?」

「大丈夫よ。こんなの」

 お医者さんやママやパパの前だとすぐに不安な気持ちでいっぱいになって、「もうやだ。リンだけこんなのやだ」って、すぐに弱気になっちゃうのに。

 きっとあたしがちょっとでも苦しそうにしてると、レンがすぐに泣き出しちゃうから。あたしは笑わなきゃって、強がっていられた。

 レンがいたから、どんなにつらくても笑っていられたの。

 

「レンと約束したから、大丈夫」

 

 大嫌いなんて嘘。嘘よ。

 レンの背中を見ているばかりじゃなくて、自分の足で追いかけていけるようになったら、ちゃんと言うから。

 いつの間にか育ちすぎて、自分でもうまく名前のつけられなくなってしまった気持ちにも、向き合えるようになるから。

 

 

 

 

「レンのことが好きなの」

 それが叶わない恋だって、とっくに気付いてた。

 きっと伝えてしまったらそれで終わり。これまであたしとレンの間にあったものまで全部壊れて、取り返しがつかなくなってしまう。

「……好きなの」

 伝えなければ、胸の中に秘めたままでいれば、きっと今までどおりでいられる。

 この気持ちは一時の熱病。時間がすぎてしまえば形を変えて、あたしの中だけで消化できる。それが一番レンのためだ。

 そうやって自分に何度も言い聞かせようとした。ムダだった。

 だって想いは言わなきゃ伝わらない。伝えられない想いは何も残さない。たとえいつかはあたしの身体が消えてしまったって、あたしの気持ちをなかったことになんてできない。

 愛する人のために泡になって消えていった、人魚になんてなれない。泡沫の恋なんて知らない。

 他の人達が、正しい人達がそれを選んだって、あたしはそれを選ばない。どうしたって、選べない。

 だけどそんなあたしの気持ちは、レンを困らせるだけだってことも、分かってた。

 

 

 

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『今日の花火が上がったら、もう二度とあんなこと言わない。ちゃんと他の人のことを好きになれるようにする。少し時間はかかるかもしれないけど』

『レンのこといっぱい困らせてごめんね。でも、楽しかった。結局最後まで追いつけなかったけど。置いていかれるだけじゃなくて、自分の足でレンの背中を追いかけることができて、すごく嬉しかったの』

『勝手なことばっかり言ってごめんね。大好き』

『これが最後だから、花火が上がったら忘れてね。あたしが言ったこと全部、忘れて』

 

 

『だけど本当は、忘れてほしくなんてない。

ほんのちょっとでいいから、どこかで覚えていてほしいの。ごめんね』

 

 淡いクリームイエローの便箋に書きつづった手紙を同じ色の封筒に入れて、レンの部屋の窓際にある机にそっと置いた。「レンへ」と書かれた小さな文字をしばらく指でなぞっていると、いきなりバッグの中から携帯の着信音が鳴り出して、リンはびくりと肩を震わせる。

 

「……あ、ミクちゃん? うん、もうすぐ出るよ」

 そして巾着の形をした和柄のバッグの取っ手に触れながら、携帯の向こうにいる親友のミクへと声を弾ませる。視界の端で、紺の浴衣の袖がひらひらと揺れていた。

「花火、楽しみだね」

 夜なんて来なければいいのにと、窓の向こうで橙色に染まっていく雲を見上げながら、聞き分けのない子供みたいなことをいつまでも考えていた。

 

 

「じゃあ、わたしとルカちゃんは屋台でご飯買ってくるから、リンちゃんは場所取りをお願い」

「うん。堤防の端っこのところでいいんだよね?」

 最寄りの駅から打ちあげ会場へ向かう途中の道路には色とりどりの屋台が軒を連ね、その屋台を抜けた先にはコンクリートの堤防に縁取られた白い砂浜が続いている。萌葱色の浴衣姿のミクは堤防をまっすぐに進んでいった先にある、砂浜へと下りる階段を指さして、あの下で待ち合わせね、とリンに確認した。

「あんまり会場に近いと、人が多すぎて落ち着けないものね。どこにいるのか分からなくなったら携帯で連絡するわ」

 それから臙脂色の浴衣を纏ったルカが、形のいい唇に優美な笑みを浮かべる。

 それぞれ色の違う浴衣姿の少女達が楽しげに話していると、そこだけ季節の花が咲いたみたいに華やかで、自然と近くを通りすぎる人々の目を集めていた。中でも均整の取れたスタイルと艶やかな風貌のルカが近寄りがたい空気を作り出していたので、余計なちょっかいをかけられるようなことはなかったが。

「分かった。じゃあ先に行ってるね」

 リンは屋台の通りへと向かう二人に手を振って、先ほど指さした方向へと足を動かす。歩を進めるたびに漆塗りの赤い下駄がカラン、カランと音を立てると、すぐに屋台の方角から聴こえてくる一昔前の流行歌や喧騒と重なって、夏の終わりを告げるための音を奏でているようだった。

 あるいは、こうしている間にも迫っている、恋の終わりを告げる音だろうか。

 しばらくして堤防の端にある白っぽいコンクリートの階段に辿り着くと、リンは足元に気をつけながら一歩ずつ慎重に下りていく。

 花火が打ち上げられる時刻が迫っているため、浜辺にはすでにたくさんの見物客で賑わっていた。リンはかろうじて空いていたスペースに家から持ってきたビニールシートを敷くと、その上に腰を降ろした。あたたかい砂の感触がビニールシートごしにも伝わってくる。

 視界の先に広がる海は鉛色に染まり、その向こう側へと身を沈めようとしている夕日は、水面に火を灯したように長くて赤い影を伸ばしている。

「……もうすぐ」

 携帯の画面で時間を確認しながら、リンは自分自身に言い聞かせるように呟いた。それまで騒々しかった周囲の声も次第に静まりかえり、あらかじめ示しあわせたかのように揃って空を見上げていた。リンもしばらくは同じように見上げていたが、しばらくすると首が疲れてきたのか、視線を落としたまま俯いてしまう。

 きっとこれが最初で最後の恋。どんなに時間が流れても、忘れられるはずがない。一生消えない傷になる。

 痛みも苦しみも、何よりも大事なレンとの思い出も、全部抱えて生きていく。絶対に忘れたりしない。

 だけど、忘れたふりをするの。この夏が終わったら。

 あの空に花火が打ち上がったら――…。

 

「――……リンっ!」

 

 いきなり頭上から降ってきた声に俯いていた顔を上げると、すぐ目の前に立っていた相手の姿に、リンは自分の目がおかしくなってしまったんじゃないかと思った。

 それから本当にこんな顔をしていただろうかと不安になって、だけどすぐに自分がこの顔を見間違えるわけなんてないと気付く。

「リン」

 その唇が自分の名前を形作った直後に、何かが空を上っていくような音がして――…。

 夜空に大輪の花が咲く。赤、橙、黄。押し潰されるような人々の歓声。熱気。

 そして目の前には、ずっと追いかけ続けていた相手。

「レン……。何で……」

 何で。どうして。ひさしぶりにちゃんと顔を見ることができて嬉しい気持ちとは裏腹に、頭の中には疑問符ばかりが浮かび上がる。

「はぁっ……。リン、こそ……」

 よく見るとレンの顔は全力疾走したあとのように赤く火照って、Tシャツにハーフパンツという涼しげな格好だというのに、頭から水をかぶったかのように全身が汗だくになっていた。

「……花火大会にはずっと二人で行ってたのに、何で他の奴となんか行くんだよ。あれだけ約束したのに……」

 ――…来年もその次の年も、ずっと一緒に見ようね。絶対だよ。

 そう言って小指を絡めたことを忘れたわけではなかったけれど。自分にとっては何より大切な思い出でも、レンはとっくに忘れたものと思っていた。

「それにあんな手紙見たら、家で大人しくなんてしてられないだろ……。忘れるからとか、ごめんねとか……っ!」

 どうしてレンがこんなに声を荒げて怒っているのか分からなかった。こんなに汗だくになってまで、どこにいるかも分からない自分を探しに来たのか。どうして――…。

「あれぇ、レン君も来てたんだ。だったら一緒に……」

 すると息を切らせながら腕で汗を拭っているレンの後ろで、両手いっぱいに屋台の食事を買い込んだミクとルカがこちらへ向かってくるのが見えた。

「っ……!」

 するとそれまで呆けていたリンは地面から勢いよく立ち上がり、花火が打ち上がっている場所とは真逆の方向に走り出した。

「リン、待っ……!」

「来ないでっ!」

「来ないで、って……」

 リンに拒絶されたことにショックを受けてしばらく固まっていたが、すぐにそれがリンの本心でないことに気付くと、レンは今にも人ごみの中に紛れようとしている後ろ姿を視界に捉えた。

「――…嫌だっ!」

 そして完全に見失ってしまわないうちに、レンもまた人ごみの中へと走り出す。ここに来るまでにかなりの距離を走ってきたので体力はかなり消耗していたが、その足はしっかりと地面を踏みしめ、向かうべき場所へとまっすぐに駆け出していた。

「……喧嘩、かなぁ?」

「さぁ」

 そんな二人の後ろ姿を、まったく状況を掴めていないミクとルカは、呼び止めることもできずに呆然と眺めていた。

 

 どうして来ちゃったの。やっと諦めようって決めたのに。あたしからずっと逃げてたくせに。

 どうして今になって、追いかけて来るの。

 

 

 

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「は……、はぁっ……」

 汗ばんだ素足に浴衣の裾がまとわりつく。下駄を履いた足が砂浜の柔らかい砂に埋まって、いつもの半分も速く走れない。こんな格好じゃ逃げ切れるはずなんてないと分かっていたけれど、立ち止まるわけにはいかなかった。

「や……だ。来ないで、ってば……っ!」

 リンは思い通りに動かない足にいらつきながら、レンを遠ざけるための言葉を叫び続けた。

「レンなんて嫌い……っ、大嫌い!」

「なっ……!」

 こんな心にもない言葉でレンを傷つけたって何の意味もないことは分かっていた。口にするたびに、自分の胸が切り裂かれるみたいに激しい痛みを訴えていることも。

「きら……、いっ……!」

 やっと自分の気持ちに向き合えるようになったと思ったのに。いくら身体がちょっとくらい強くなったって、ちっとも変わってない。

 あの頃のまま――…、遠ざけることでしか自分を守れない、臆病な子供のままだ。

 また本当の気持ちから逃げて、嘘ばかりついている。

「だから来ないで……っ! もうちゃんと諦めるって、決めたんだからっ!」

「……だからさ、リンは何でそういうことを――…」

 激しい憤りを感じているようなレンの声がだんだん近くなる。少し離れた場所で途切れることなくことなく打ち上がっている花火の音よりも、互いの呼吸の音のほうがずっと大きい。

「何にも言わずに、一人で決めちゃうんだよ!」

 背後から腕を思い切り引かれて、リンは踏み出していた足をもつれさせるとそのまま大きくバランスを崩し、砂浜の中に転倒しそうになる。

「っ…………!」

 しかし身体が地面に触れることはなく、そのかわりに身動きを取ることもできなくなっていた。

「つかまえた」

 声と一緒に熱い吐息が首のあたりに触れると、後ろから強く抱きしめられていることにようやく気付いた。汗だくになったレンの腕が、もう二度と逃すまいとするように絡みついている。身体中どこも熱くてたまらないのに、汗ばんだ肌が触れている部分だけは冷たいくらいだった。

 人ごみからはだいぶ外れた場所まで来てしまったらしく、花火が上がった直後のざわめきも今は遠くに聞こえる。

 苦しい、とリンが消え入りそうな声で呟くと、レンは少しだけ腕の力を緩めた。

「ごめん」

 どうしてレンが謝るの。謝らなきゃいけないのはあたしのほうなのに。本当はあんな手紙なんかに頼らずに、ちゃんと謝らなきゃいけなかった。

 レンの気持ちも考えずにあんなこと言ってごめん。困らせてごめん。

 ……好きになって、ごめん。ごめんなさい。

「ずっと考えてたんだ。リンの気持ちに見合うだけのものを、自分が返せるのかって」

「そんなの、無理よ」

 涙がこぼれそうになってるせいで声が震えてしまった。かっこわるい。

「……何でそう決めつけるの」

「だって、ずっとずっと好きだった。どうしてこんなに好きなのか、自分でも分かんなくなるくらい好きで、いつもレンのことばっかり考えてて……。きっとどこかおかしいの。だから、こんな……っ」

 今だって、こんなに苦しい。

「レンに好きだって言ったときだって、このまま死んじゃうと思った」

 その言葉に反応するように、リンを拘束している腕の力が強くなる。痛みに耐えかねて、わずかに肩が軋んだ。

「……死んだっていいと思った」

 リンは回されている腕に手を重ねて、その痛みすらも忘れずにいたいと思った。

「だからそれでもう充分だったの。レンに好きだって伝えられて、レンの口からそんなふうには見れない、って言ってもらえたら」

 話しているうちに腕の力が弱くなっていることに気が付くと、リンはゆっくりとレンの腕の中から抜け出して、ようやくレンと顔を向きあわせる。

「なのに逃げるんだもん。だからつい、ムキになっちゃった」

「…………ごめん」

 触れられるほど近くで、同じ色をした瞳が揺れる。見慣れた色のはずなのに、なんだかひどく悲しい色だと思った。

 ほんの少しだけ俯いたときの丸っこい頭の形。引き結んだ唇。さんざん自分の胸の中で泣きじゃくったあとに、バツの悪そうな顔をして「ごめん」と言った、あの日のレンと重なった。

 だけど、何かに怯えて泣きじゃくっていた男の子はもういない。あの頃のあたしだって、もうどこにもいない。二度と取り戻すことなんてできない。それでいいと思った。

 過去も未来もいらない。今だけあればいい。

「レンが好き」

 その気持ちだけあればいい。他には何もいらないの。

 それがたとえレンの気持ちだって。やさしいレンを困らせてしまうくらいなら、欲しくない。

 だから言って。リンをそんなふうには見れない、その気持ちには応えられない、って。そうしたら、あたしの恋もそこで終わるから。

「……大好き」

 真昼の空に打ちあがる花火みたいに、激しい音だけ残して消えていくから。

「僕、は……」

 だから、お願い。

 あたしの大好きなその声で、すべて終わらせて。

「僕もリンが好きだ」

 それまでの中で一番大きな花火が、レンが背を向けている方角の空に打ち上がった。

 ひとつ、ふたつ、みっつと、夜空に弾ける夏の花。炸裂音。空気が震えて、鼓膜から胸の奥まで、激しい震動が伝わってくる。

 それだけ激しい音の洪水の中でも、リンがその声を聞き逃すことはなかった。

「な……」

 けれど、何を言っているのかは理解できなかった。きっとレンだって、自分が何を言っているのか分かっていないんだと、リンは何の確信もなくそう思った。

「……嘘よ」

 レンはやさしいから。あたしを傷つけないために、そんな嘘をつくんだ。でなきゃ、そんなこと言えるはずない。

「嘘じゃない」

 けれど見上げた先にあるレンの瞳はどう見ても真剣そのもので、リンを余計に困惑させた。

「っ……!」

 身体の全部が心臓になってしまったみたいに痛い。うまく息が吐き出せなくて、喉のところで詰まってしまう。

「好きなんだ」

 さっきよりも苦しげなレンの声。言葉だけではうまく伝わらないことに焦れるような、そんな声だった。

 それ以上は何も言えず、息をすることすらできない苦しみに喘ぐように小さく開かれていたリンの唇に、ふいに柔らかいものが触れる。それがレンの唇だと理解したときには頬に手が当てられて、さらに深くまで重ねられていた。

 言葉だけでは伝えきれないものを伝えるように、深く。互いの呼吸を止めてしまうまで。

 

「……は、ぁっ」

 しばらくの後にゆっくりと唇が離されると、心臓の音はあいかわらずうるさかったけれど、ずっと息を止めていたからか唇は正常な呼吸をくり返していた。

「……本当だ」

「っ、え……?」

「何か、このまま死んじゃいそう」

 熱のこもった瞳を向けて、冗談めかすわけでもなくそんなことを言ってくるレンに、リンはそこにある何かを繋ぎ止めるようにシャツの袖を握りしめる。

「……やだ。レンが死んじゃうなんて、絶対に考えたくない」

「自分は言ってたくせに」

「嫌なものは嫌なの」

 小さな子供のように唇を尖らせていると、小さく吹き出すような息がリンの鼻先にかかる。

「ワガママ」

 レンは微笑を浮かべながら軽く額を触れ合わせると、啄ばむようにリンの唇の端に自分の唇を重ねた。それから頬にかかっているリンの髪を掻き分けて――…。

「……っ! ちょっと、待って……」

 バッグの中から赤いライトの点滅と着信音が鳴り響いていることに気付くと、リンは迫っていたレンの肩を押し返して、携帯の画面を開いた。

「ミクちゃんから、メール。レン君と仲直りしたら戻ってきてねって……」

 それ以上のことは深く追求していないメールの内容に、リンは小さく安堵の息を吐きながらも、何も言わずにミクとルカの二人を置き去りにしてしまったことを申し訳なく思った。

「じゃあ、もう少ししたら戻ろうか」

 

 もう少しってどのくらい? とリンが小首を傾げると、かすかに開かれていた唇へと、不意打ちのようにまたレンの唇が落とされる。

 

 

「この花火が終わるまで」

 

 

 

 

            End.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんだかえらい長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただいてありがとうございました。

 

 近親鏡音でリン→レンということでそれに至るまでのエピソードやら、真正面から自分の気持ちをぶつけながらもどこかで諦めているリンちゃんの心境やらを詰め込んでいたら楽しすぎて。

 あと、ひさしぶりに健全! と息まいていましたが途中からレン君が押し倒すんじゃないかとハラハラしました。最後の最後まで油断のならない……。

 その後の二人とかグミちゃんの番外編とか、気が向いたら書きたいですね。言うだけならタダ。

 

 

 

 

 

 

説明
現代で近親設定。後編。今回はリン視点です。
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レンリン リンレン 鏡音リン 鏡音レン 現代 近親 

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