あぶない!奈々先生
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 全ての業務を終えると、もうすっかり夕方だった。

 差し込んだ西日は机の上のビーカー、フラスコ、そのほか雑多な実験器具を茜色に染め、どことなくノスタルジックな気分を誘う。

 ただし、ここは理科室ではなく生徒会室だ。様々な実験器具は皆、西垣先生が理科室から持ち込んだもの。

 生徒会の業務が終わった後は(度々業務中にも食い込むが)こうして西垣先生のラボに変身するのが最近の生徒会室だ。

「それでは、先に失礼しますが……本当に大丈夫ですか?」

 帰り支度をした綾ちゃんが、不安そうに聞いてくる。多分、また爆発しないかと心配なんだろう。

 それを聞いた先生は、自信たっぷりに親指を立てた。

「安心しろ杉浦。多少下校が遅くなっても、松本は私がちゃんと引率するぞ!」

「いえ、そういうことでは……」

「まぁまぁ綾乃ちゃん、二人の時間を邪魔したらあかんよ〜? ほな、失礼します〜」

「ちょ、千歳……。先生ッ、くれぐれも爆発には注意チューリッヒしてくださいねッ!」

 なおも食い下がろうとする綾ちゃんを促して、千歳ちゃんが彼女を連れて出ていった。気を利かせてくれたようだ、ありがとう千歳ちゃん。

「やれやれ、爆発なくして成功はないというのに……そうは思わないか?」

「……、…………」

 でも、気を付けましょう。

「出来うる限りはな……では実験だ!」

 後輩を心配させて申し訳ないとは思う。ただそれ以上に、先生と二人になれたことが嬉しい。颯爽と器具を組み立てる先生は、とても素敵だ。

「ちょっとそっちの薬をとってくれないか?」

「……!」

 呆けたように先生のことを見ていた私はその言葉で現実に戻り、慌てて手元にある怪しげな色の液体が入ったフラスコを先生に手渡した。

「すまないな、ありがとう」

 それを受け取った先生は、それをゴム栓とガラス管で作られた科学の砦の始点となるところへ繋いで、アルコールランプで熱し始める。

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 熱された薬はしゅるるると不穏な音を立てながら色とりどりの薬が入った別のフラスコを経由し、ゴールとなるフラスコへ透明な雫を落とした。

 なんの薬を作っているのだろう。

「…………?」

「む? 順調にいけば、これは『リア充に反応して爆発する薬』になる筈だ。使い道はまだ考えてないがな!」

 リア充――どういう意味だっただろうか、聞いた覚えはあるのだけれど。

「経過は順調。もうしばらくしたら完成か」

 砦の様子を見ていた先生は満足げに呟いて、椅子にどっかりと腰掛けた。もう手伝うことはなさそうだったから、私も隣の椅子に座って、実験の経過を見守ることにした。

 それきり生徒会室は、しゅるるという音以外なにも聞こえなくなる。既に下校時間は過ぎ、グラウンドや廊下からも人の声は聞こえてこない。いかにも、『放課後』といった感じだ。

別に沈黙は気まずくない。でも、少し甘えたくなった。

「…………、……?」

 もっと近づいても、構いませんか?

「一々聞かなくても大丈夫だぞ? ほら――」

 そう言って、先生は椅子をこちらに引きずった。私達の距離が一気に縮まる。

「ふふ、可愛いなぁ……」

 ごく自然に私を抱き寄せ、先生は私とくっ付く。

 先生の白衣は理科室の匂いがする。塩酸やアルコールのケミカルな匂い。

 決していい香りとは言えないけれど、私はこの匂いが好きだ。

「すまないな、普段からこうしてやりたいんだが……色々難しい……」

「………………」

 私達の関係が知られるのは確かにまずい。

 客観的に見れば、教師と生徒会長がやんごとない仲だということは大いに問題である。

 だけど、私は先生に焦がれているのだ。いつでも先生と一緒に居たいのだ。

 大好きな先生にもっと触れたり話したりしたい心を止めるなんて絶対に出来ない。

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「私も生徒だったら、堂々とべたべた出来るんだが……。今度、若返りについて研究するのもいいかもしれんな。爆発のショックで成長を逆行させるような方法を考案できれば……」

 一目を気にせずいちゃつくために、若返る。なんて荒唐無稽なんだろう。でも先生なら、果てしない爆発の果てにそれを成し遂げられると思う。

「…………」

 私が年をとってもいいと思います。

「そうだな、逆にお前が大人になってもいい。きっと、今以上の美人になれるだろう」

「……!」

 さらりと恥ずかしいこと言われてしまった。

 返答に困って、私は俯いた。きっと、今の顔は真っ赤になっている。

「照れなくてもいいんだぞー? 本当のことさ」

「……、…………」

「何を言ってるんだ。声が小さくても、みんなお前のことを慕ってくれていると思うぞ? もちろん、私もな」

 私の心を揺さぶるような台詞を次々は言うのはやめてほしい。熱くて烈しい何かが膨れ上がって、先に私が爆発してしまいそう。

「…………!」

 わ、私だって先生のこと!

 黙ったままでいるのが苦しくて、体の中の何かが弾ける前に私は先生にそれを思い切りぶつける。机のフラスコが、がたりと震えた。

「知っているとも、爆友というのはお互いに愛がなければ成立しないものだからな……」

 私の言葉を聞いた先生は、優しく頭を撫でてくれた。

 ああ、言って良かった。

 手の感触が心地よくて、私は隣にいる先生を抱きしめる。理科室の匂いが一段と強くなり、大好きな人が傍にいることの幸福感が、私を満たしていく。

「おお!?」

「……?」

 がぼがぼという、水の沸騰より数倍危険を感じる音がしたのは、私が先生に密着してからすぐのことだった。

 なみなみと溜まった『リア充に反応して爆発する薬』が泡立ったのだ。

「どうやら、薬が仕上がったようだな……さてさて」

 フラスコを取り上げた先生は、それをまじまじと観察する。私も名残惜しいが先生から手を放し、先生の手元に注目することにした。

 『リア充に反応して爆発する薬』は終始不機嫌そうに泡立っていて、近寄りがたいオーラを出している。

 そういえば、リア充の意味は結局何だったろう。おぼろげなイメージだけが記憶に残っていて、はっきり思い出せない。

「……?」

「リア充というのは、インターネットのスラングでな。生活が充実している人間という意味だ。とりわけ恋人がいる者を指すことが――――」

「…………!」

 気付いた時には、既に手遅れだった。

 先生が言い終わる前に、透明だった薬は鮮やかな警告色に変化し、秘めていたであろう圧倒的エネルギーを一気に解放した。

 

――要するに爆発した。

 

 爆風で壁に吹き飛ばされながら、私はまた先生と、荒れ果てた生徒会室の後片づけをしなきゃいけないな、と思った。

 不謹慎だけど、先生と一緒なら、きっと楽しい掃除になるだろう。

 

 

【爆発オチ】

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