千早にとっての春香というもの
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 彼女はいつでもきらきらと光っている。

 それはスポットライトを浴びた宝石のように嫌味なものではなく、太陽に照らされた水面のように極自然に光っているものだ。

 だから皆、自然と彼女に惹かれる。なんでも彼女は芸能事務所に入っていて、アイドルの候補生なのだという。千早は芸能人を見たことなど無いが、あの光っていると感じられるものはいわゆるオーラというものなのだろうか。

 そんな彼女と千早が初めて会話をしたのは高校に入ってから一週間経った、昼休みだった。

「ねえ、何読んでるの?」

「え、これ?『モルグ街の殺人』っていう本だけれど――」

「へー、ミステリとか好きなの?」

 彼女は屈託の無い笑顔を向ける。

「ええ、まあ基本的に本は何でも読むけれど」

「そうなんだ。私、あまり本とか読まないから、今度何かオススメ貸してよ!」

「わかったわ。えっと――天海、さん」

「春香でいいよ!そのかわり、私も千早って読んでいい?」

「ええ、いいわよ。じゃあ、今度持ってくるわね、春香」

 話が切れるのと同時に昼休み終了のチャイムが鳴り、春香は自分の席へと戻っていった。

 今まで鑑賞物のような存在だった彼女が、自分の名前までちゃんと覚えていたことに嬉しさを感じた。

 

 次の日千早は、春香に『ファウスト』を貸してみた。

 昨晩、悩んだことは悩んだ。しかし、何を貸せばいいものかさっぱりわからない。その上、最近は緩和されたとはいえ、中学生時代は思春期の悪い部分が心の表面に出てしまっていたため、流行りものは意図的に読んでいなかった。故に本棚には携帯小説はおろか村上春樹も東野圭吾もないのだ。

 だから、千早はあえて一番好きな本を貸すことにした。引かれようが難しい奴扱いされようが、それはそれでいいと思った。

 

「ごめん、よくわからなかった」

 これが春香からの返答だった。

「そう」

 千早は自分で自分に失望した。そんな返事がくることは火を見るより明らかなことは、中学時代に嫌というほど学んでいたというのに。決して春香をバカにしているわけではない。普通は本を貸してと言われたら、手駒の中から一番適切であろうものを差し出す。それが人付き合いのマナーというものである。それを拒否している時点で理解されようなど言語道断なのだ。

「でもね、でもね!」

 春香は大げさに開いた両手を左右に振った。

「千早ちゃんが選んでくれたってことがすごい嬉しかったの!なんていうか、千早ちゃんはこの本が好きなんだろうなとか考えたり――」

 春香ははにかんだ顔を見せる。考えて見れば、本の話題から自分のことに矛先を変えられたのは初めてかもしれない。たいていは本の中身をちらりと話して、会話が続かなくて途切れるというのがパターンだった。

「春香――」

 千早は無意識に微笑んだ。

「千早、って呼んでくれるんじゃなかったの?」

「え、なんか千早ちゃ――千早のほうが大人っぽくて、つい」

 春香は照れ笑いを浮かべる。

 春香はクラスでも人気で、いつも誰かと楽しそうにしゃべっている。日陰に生きていると自覚している千早の真逆に位置する人間のはずなのだ。なのに、千早は自分が何故春香と話すことが嬉しいのかがわからなかった。

 

 千早はだんだんと春香と行動を共にすることが多くなった。

 別に学校内で特別、一緒にくっついているわけではない。約束をするわけでもない。ただ放課後、校門を出るときにはいつも隣にいる、そんな関係だった。

 いつも特に目的はない。春香の雑誌の隅に載っていた新しい雑貨屋に行ってみたり、千早の一存で都内有数の本屋に出向いてみたり、ファーストフード店で無駄に時間を浪費したり。春香は夜からアイドルになるためのレッスンに行くことが多かったから、学校が終わってから大体二時間前後で解散する。

 春香はいつも優しく、屈託の無い笑顔を向けてくれる。千早は表情を作るのが苦手だった。故に、他人に顔色を伺われることがままある。しかし、春香となら会話が止まっても、それもそれで自然とひとつの空気になる。

 一緒にいることに不自由を感じない。

 ――春香はどうなのだろうか。

 不思議な感覚。

 ――ああ、多分そんなことを考えていること自体が――この人に惹かれてるんだな。

 千早はそう思った。

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 そんな関係が半年ほど経ったとき、馴染みである駅前の喫茶店からいつものようにレッスンに向かおうとする春香に対して千早はひとつの疑問を口にした。

「アイドルって、そんなになりたいもの?」

 春香はキョトンとした顔の後、口に人差し指を当て少し考えそぶりを見せると、ニンマリと笑った。

「それは私と一緒にもっといたいって思ってくれたってことかな?」

 千早は予想外の答えに全力で否定する。

「違う違う、違うわよ。毎日大変だなって思って――」

 春香の顔がいつも優しい笑みに戻る。

「なりたい、のかな。もちろんなりたいから頑張ってるんだけど、同じ事務所で私と同じようにアイドル候補生の人がいっぱいいてね、その人達ってやっぱ輝いてるんだ。私も少しでもそうなりたいって思って」

「春香より――?」

「私よりって言葉が褒め言葉になるのかはわからないけど、みんなすごく魅力的なの。繰り返しになっちゃうけど、やっぱ輝いてるんだ。だから一歩でも、届かないものかもしれないけど、近づいてみたいんだ」

 その瞬間、千早は春香がものすごく大きく見えた。

 千早が春香といることだけで満足している時、春香はもっと大きな目標に向かって明確に努力をしていたのだ。見えなくなった壁、否、見えなくなるように努力した壁はやはり見えなくはなったが存在はしているということを千早は痛感する。

 出会う前に感じていたオーラと名付けたものは実像を伴って何倍にも膨れ上がり、改めて千早の前に姿を表した。

「あれ――」

「ど、ど、どうしたの千早ちゃん!」

 知らずのうちに千早は涙をこぼしていた。

「ご、ごめん。なんでもないの。本当になんでもないの」

 春香は慌てふためきながらハンカチを渡す。

「なんでもないわけないじゃん! なにか私悪いこと言っちゃった!? ごめんね!?」

 千早は春香に差し出されたハンカチで目を強く押さえ、細かく呼吸をする。一分ほどで息は整い、目は赤く腫れたものの涙をせき止めた。

 そして震えた声を絞り出す。

「ごめん春香、時間なんだから行って頂戴。明日またゆっくり話すから」

 そういうと千早は固まって動かなくなってしまった。春香は当然のごとくいろいろと問いたかったが、はじめて見る千早の姿に黙ってレッスンに向かうしかなかった。

 

 次の日、千早は委員会の仕事で下校が遅くなることがわかっていたため、春香は先に駅前へと向かった。

 そういう時は大概隣駅にあるショッピングモールで時間を潰すことが多いのだが、今日はなんとなく昨日の喫茶店で待つことにした。千早がくるまで二時間はあるだろうか。とりあえず席に着きカフェラテを頼むと、昨日のことを考えていた。

 ――千早ちゃんのあの涙はなんだったんだろう。

 春香は丸一日経った今でもわからなかった。多分ではあるが、怒りや憎しみなどマイナス方面の涙ではないはずだ、と信じてはいる。だからといって今回に限って別れを惜しんで涙を流してくれるというのも変だ。千早の性格からすればあり得ないと言い切ってもいいほどである。

 故に、まだ明確な答えを見出せずにいる。

 時間をつぶすために形だけでもとカバンの中の教科書を広げてみる。ケータイのメールをむやみに送ってみる。レジの前に置いてあるファッション誌を読んでみる。どれも手につかない。そしてその流れの一つとして次回の演技力レッスンのイメージトレーニングをしている途中――春香は少し眠ってしまった。

 

「春香?」

 春香は自分を呼ぶ声にすぐさま反応し、寝ぼけ眼で顔を忙しく動かした。そしてテーブルの横に立っている千早を反射的に補足する。

「あ、千早ちゃん! ごめんね、ちょっと寝ちゃってたみたいで」

「ああごめん、寝てるって知ってたら起こすつもりじゃなかったのだけれど」

 千早は相変わらずの重そうな鞄を奥の椅子に置き、自分は手前の椅子へと腰を下ろした。

 そして注文を聞きに来たマスターがコーヒーがひとつと復唱し去るやいなや、千早は早速本題へと入った。

「春香、昨日のことなのだけれど――」

 春香はうんと相槌を打つが、心なしか緊張している。

「繕っても仕方ないから本当のことを言うわ。昨日ね、春香がなんか、遠いところに行ってしまうように感じたの」

「遠いところ?」

「ええ、遅かれ早かれ、私なんかが触れることすらできない遥か遠いところに行くために春香は頑張って毎日努力してるんだなって思ったら、なんか知らない間に泣いちゃってたの」

「千早ちゃん――」

「ほんと、ただそれだけなの。春香は本来私と一緒にいるような人じゃないって自分に言い聞かせてもみたんだけど――」

「そんなんじゃない!」

 春香は声を張り上げる。幸い客はいなかったものの、昨日に続いて常連の二人がもめているのをマスターが心配そうに見ている。

「私がもしアイドルになれて、お仕事が忙しくなるような日々になっても、千早ちゃんとずっと一緒にいるから! もし無理ならアイドルなんてやめるから!」

 春香は千早の目をまっすぐに見る。千早はそれににこりと微笑みを返した。

「大丈夫、もうそれはいいの」

「それはいいって――!」

「今日ね、委員会の仕事代わってもらって放課後765プロに行ったの。春香の事務所」

「ウチの?」

「そう。行ったら丁度良く社長さんがいてね」

「あ、ウチの事務所お昼にいるの社長か事務員の人しかいないから」

 固くなっていた少し春香の表情が柔らかくなる。

「そしてダメ元で言ってみたの。春香と一緒のレッスンを受けさせて下さい、って。それがダメなら洗濯係でもなんでもいいから居させてくれないか、って」

「千早ちゃん――」

「そしたらなんか運良く社長に気に入ってもらえたみたいで。明日から春香と一緒にレッスン来てみなさいって――」

 春香の目が爛々と輝いた。

「じゃあ明日からもっと一緒にいれるってこと!?」

 千早はこくりと頷く。

「やったあ! 千早ちゃん大好き!!」

「明日から一緒に頑張りましょう」

 千早は屈託の無い笑顔を向ける春香に恥ずかしそうに、しかし嬉しさ満面に浮かべ笑顔を返した。

「私も大好きよ、春香――」

説明
千早の中で大きくなっていく春香という存在。
人に依存しきれないキャラは好きです。
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コメント
>>通り(ry の名無しさん はるちはは正義です!(姑獲鳥)
春香に惹かれてアイドルへの道を志す千早・・・これはいいはるちはですね!(通り(ry の七篠権兵衛)
>>まことさん 拙い文章ですが、アイマスというものに触れるきっかけのひとつとなれば幸いです〜。終りの部分については反省し、次回からの糧にさせていただきたいと思います!(姑獲鳥)
ファウストのくだりで笑いました。千早さんも春香さんも素敵な人ですね。アイドルマスターに興味がわきました。終わりのところが少しあたふたしていると思います。でも、いい! かわいい!(まこと)
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アイドルマスター 千早 如月千早 春香 天海春香 はるちは 

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