【Fate】合縁奇縁【弓凛】
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 学校の廊下に横たわるソレを見て、アーチャーは思わず言葉を失った。

 聖杯戦争のために召喚され、己が何物なのか明確に分からないままマスターに従い、先程ランサーと戦うことになったのはつい先程の事であった。己が何物なのか分からなくても、出来る事は分かっていた。アーチャーというカテゴリーに分類された己であるが、好むのは近距離での剣での戦い。武器は全て投影魔術によって形成。それで十分だと己も判断していた。

 けれど、サーヴァント同士の戦いを目撃した不幸な一般人に始末に走ったランサーを追いかけてアーチャーが見たものは、これといって特徴もない、この学校の生徒であろう男の亡骸……否、今にもその生命の炎を消しそうな体であった。

 マスターである遠坂凛の召喚失敗の影響で、今までもやのかかったように明確でなかったものは、カチリと音をたてて嵌めこまれ、脳裏に浮かぶは己が望んだ奇跡。

 

──■■■。大丈夫。最後まで私が好きでいてあげる。だから貴方は自分が選んだ道を歩いて。■■■が頑張ったから、私が今度は頑張る番ね。

 

 とうにすり切れたと思っていたまだ己が人であった頃の記憶がちらつき、アーチャーは呼吸するのも忘れて男を見下ろした。

 毀れたと思っていた感情が、己の中で捻れて行くのが解る。

 最後に笑った銀髪の少女はもういない。忘れてしまったはずなのに、こんなにも鮮明に脳裏に浮かぶ。

「アーチャー!」

 我に返ったのは、己のマスターの声が聞こえたからで、アーチャーは肩で息をした凛が傍に来たことに、驚いたような顔をする。

「……凛。ランサーを追う」

「わかったわ」

 あと少し彼女が来るのが遅ければ。何より、自分が呆けていなければと苦い後悔をしてアーチャーはその場を離れた。

 

 鷹の目を持ってすれば、ランサーを追うのはそう難しいことではないのだが、よほど用心深いのか、ランサーはアーチャーが追うのをかわし闇にその身を溶かした。途中まで追ったアーチャーであったが、その足を止めて、夜の街を見下ろす。

 凛に一日連れられて回った街を知っていたのは、英霊として呼び出される時に刷り込まれる現代の記憶のせいだとばかりアーチャーは思っていた。けれど、己がこの街に帰ってきたのだと漸く思い出した。

 喉が焼けるような不快感と、眼の奥が焼き付くような痛み。

 アーチャーがこの街が嫌いだった訳ではない。ただ、余りにも沢山の物を失った場所である、己が原点とも言える呪われた街。

「……キセキか……」

 滑稽だと思った。己が望んだ奇跡だと言うのに、何故己のマスターがよりによって彼女なのかと。どうやら、奇跡もただでは叶えてくれるほど気前は良くないらしい。

 現に、あの男にとどめを刺すことが出来なった。

 召喚失敗の余波。混乱した記憶。それは、あの男を生かす為にセカイが望んだカタチだったのかもしれない。

 無意識に指に触れたのは、アーチャーが生涯持ち続けた小さな宝石であった。嘗て己の命を救ったであろう、その宝石の持ち主が誰であるかも漸く理解した。否、多分人であった時にも薄々気がついてはいたが、確信はなかった。

「あぁ、だから私は凛に召喚されたのか」

 

 家に戻った凛は、不機嫌そうにアーチャーの帰還を待った。

「済まない。見失った」

 そう言ったアーチャーに凛は少しだけ視線を向けると、仕方ないか、と言うように肩を竦めた。あのランサーは強敵だった。それは凛も認めざるを得ない。けれど、もっと納得いかないはランサーではなく、己の目の前に立つ英霊であった。

 アーチャーというカテゴリーからは予想できなった戦い。元々セイバーを引き当てたかった凛としては比較的コンビの組みやすい相手であることは理解したし、皮肉屋であること以外はこれといって失点はない。けれど、アレは何だったのだろうと考えたのは、次から次へとアーチャーの手に召喚された剣。使い捨ての宝具等聞いたこともないので、アレ自体が宝具であるという事はないだろう。ならば、アレを召喚する能力がこのアーチャーの特殊能力なのか。そんな事を考えていると、アーチャーは眉を上げて怪訝そうに口を開いた。

「首飾りはどうした」

「あぁ、空っぽになったから置いてきたわ」

 父親の形見であったが、空ならば必要ない。そっけなく言った凛の言葉に、アーチャーは暫し黙っていたが、彼女の手に首飾りを乗せた。赤い石。魔力は当然空っぽ。

「……遅いと思ったら、わざわざ学校に拾いに行ってくれたの?」

「そんなものだ」

 適当な嘘をついてアーチャーはそれは遠坂凛に返還した。己がここに召喚された以上もう必要ないであろう彼女と自分を繋ぐ媒介。全てが己の手から滑り落ち、それしか残っていなかった人であった頃の名残。アーチャーはその首飾りをまた己の胸に飾った凛を見て、満足そうに笑った。

「やっぱりそれは凛によく似合う」

「……」

 皮肉屋の彼の言葉をどう判断したらいいか分からなかった凛は、顔を真っ赤にして不貞腐れたようにそっぽを向いた。

 その後アレコレと話をしていたが、ランサーを逃した事、あの男を助けた事、ならばまた狙われるかもしれないと結論に至った凛に連れ出され、あの男の家へ行く事となった時、アーチャーは当然気乗りはしななった。けれど、己の手で殺さねば意味が無いという点では、今ランサーに始末されるのも都合が悪かったのだ。

 

 消してしまいたい己が根源。

 吐き気のするような正義の味方。

 ノイズのかかった様な擦り切れた記憶。

 そしてまた全てを失うのか。

 

「アーチャー?」

 魔術回路で繋がった凛に、何か流れたのか、彼女は怪訝そうに振り返った。霊体としてついていっているので、表情が見られることはなかったが、なるだけ平静を装って、どうかしたか?と声を発すると、彼女は少しだけ首をかしげて、なんでもない、といいまた駈け出した。

 そして、目指す場所から放たれた光。

 唖然としたのは凛だけだはなく、アーチャーも同じであった。

 

──衛宮士郎。お前は何を引き当てた。

 

 それは祈るような気持ちだったのかもしれない。どうか、彼女だけは引き当ててくれるなという、余りにも滑稽な感情。

 再会を夢見た時期もあった。けれど、彼女を救えなかった後悔がそれを侵食していった。そして、いつの間にか己は歪に歪んで行った。

 けれど、セカイの選択とは非情なモノであるとアーチャーは直ぐに思い知った。

 屋敷から飛び出してきたその影は、一目散に凛に向かってその剣を振り下ろしたのだ。反応できたのは、マスターを守るという刷り込まれたサーヴァントの令呪のお陰だったのかもしれない。アーチャーは、その影を敵と認識することが出来ずに、反応が明らかに遅れた。

「アーチャー」

「ッ!」

 辛うじて一撃を弾き返すが、本職の剣士である彼女と正面切って戦うのは余りにも無謀であったのだろう、アーチャーは呆気無く弾き飛ばされる。軋むのは受肉したカラダだけではない。ココロが捻れ、軋む。

 

──問おう。貴方は私のマスターか。

 

 黄金色の髪をした騎士王。

 誇り高き少女。

 思い出すなと心が警鐘を鳴らす。

 思い出せばもう戦えないと。

 

「やめろ!」

 アーチャーにとって、不快な声に遮られ、動きを止めた少女。それを黙視して、アーチャーは凛と彼女の間に滑り込んだ。

「……こんばんわ。衛宮君」

 背後の凛がそう眼の前の少女のマスターに声をかけた時に、アーチャーは思わず瞠目した。

 

 

 

「不満そうねアーチャー」

 教会に行った後に、バーサーカーと一閃交える事になり、そこで負傷した衛宮士郎を治療して戻ってきた凛は、家に帰るなりそう零した。それに対してアーチャーは皮肉げに口元を歪めると、鼻で笑う。

「君は甘い」

「……フェアに戦いたいだけよ」

 ルールも知らないゲームにいきなり放り込まれた衛宮士郎に対して、凛はこの上なく親切に聖杯戦争の事を教えた。そして、バーサーカーとの共同戦線。彼女の性格は理解しているアーチャーは、半ばこうなる事も予想はしていた。

 すると、今度は逆に凛がアーチャーに視線を送って口を開いた。

「……どうしてイリヤスフィールを狙わなかったの?」

 その言葉にアーチャーは暫し驚いたような顔を作ったが、直ぐにいつも通りの顔をつくって口を開いた。

「マスターの指示がなかったからな。それに、彼女は凛以上の魔術師だ。何の準備もなしに戦うのは得策ではないと判断した」

「まぁ、それもそうよね。アインツベルンの秘蔵っ子だろうしさ。あー、ムカつく。あんな子供にいいようにされて!」

 ボスっとクッションに拳を埋める凛を見て、アーチャーは少しだけほっとしたような顔をした。よほど逃げられたのが悔しかったのだろう、凛はブツブツと文句を言いながら、何度もクッションに拳を打ち込む。

「紅茶でも淹れようか凛。どうせ学校には行かないのだろう」

「そうね。お願いするわ」

 サーヴァントを召使にする気などない、と凛は言っていたが、何やかんやでアーチャーの淹れる紅茶は驚くほど美味しい。一体どこでそんなスキルを手に入れたのかと、謎は深まるばかりだと思いながら、凛は長椅子にクッションを抱いて寝転んだ。

 自分が引きたかったセイバーのカードをよりによって魔術師として半人前の衛宮士郎が引いたのは凛にとっては悔しくもあり、有難くもあった。サーヴァントというのは、マスターの能力に左右されて能力を制限されたり、伸ばしたりするのだ。敵となるのならこんなに有難いことはない。けれど、それも面白くなかった。勿体無いという気持ちが先に出るのであろう、凛は不服そうに唇を尖らせて、アーチャーの背中を眺めた。

 自信たっぷりに最強のカードを君は引いたと言い切ったアーチャーではあるが、いまだに凛は真名も知らない。知らなくても十分戦えているのは確かに凄いが、どうせなら最大限に能力を使いたい。

「ねぇ」

「何だ?」

「名前思い出した?」

 足をぶらぶらさせながら凛が聞くと、アーチャーは振り返りもせずに、残念ながら、という返事だけを返した。

「そう言えば、バーサーカーの時に使ったアレ。あれは宝具……じゃないわよね」

 バーサーカーとセイバーが墓地で戦った時に、アーチャーには援護を凛はさせた。初めは普通に弓を遠距離射撃していたようだが、最後に打ち込んだのは威力はケタ違いで、士郎迄巻き込むものであったのだ。爆発物かとも思ったが、士郎が言うには、おかしな形をした剣であったらしい。剣であろうが、飛ばせば弓扱いなのかもしれない。

「宝具とは少し違う。私が近距離で使う剣と似たようなモノだ」

 アレもアーチャーが召喚した武器なのか、そう考え、凛は体を起こした。

「名前だけ思い出せないの?宝具の名前も?それが分かれば真名も調べられるのに」

 英霊と宝具は基本的に対になっている。だからこそ、敵には宝具を明かさない。己の素性も、弱点も敵にさらけ出す事になるからだ。

「残念ながら」

 そう言いながら、アーチャーはティーカップを凛の前へ置いた。柔らかな香りが鼻孔を付き、凛はそれを両手で持つと、少しだけ口をつけた。

 うむ、やっぱり美味しい。一体どうなってるんだうちのサーヴァントは。そんな事を考えながら、喉に琥珀の液体を流しこんでゆく。

 うんうん唸りながら紅茶を飲む凛を眺めながら、アーチャーは少しだけ瞳を細めた。

「凛」

「何?」

「今日は早く寝るといい。流石に君も疲れたろう。夜になったら起こす」

「それもそうね。他のサーヴァントも夜にならないと動かないだろうし。それまでに名前、思い出しておいてよ」

 睨むように凛が言うので、アーチャーは苦笑したように、善処する、とだけ返答した。

「しっかし、衛宮君もあの傷の治りの早さ異常だわ。セイバーの能力が逆流してるのかしら」

「……」

 喉まで出かかった言葉を飲み込んで、アーチャーは皮肉気に笑いを浮かべると、アレは頑丈なんだろう、と言葉を零す。

「……頑丈ってレベルじゃないんだけどね」

「ランサーに二度殺されかけたうえに、バーサーカー戦ににまで茶々を入れて生きている。頑丈なんだろう。凛が守らなくても構わんと私は思うがな」

 そっけなく言うアーチャーを眺めて凛は目を丸くした。皮肉屋ではあるが、ここまで徹底して気に食わないというオーラーを出すのも珍しいと思ったのだ。付き合いは三日程度ではあるが、少なくとも自分に対しては皮肉は言うが悪意は込めない。それを不思議に思った凛は、アーチャーの顔を眺めて、首を傾げた。

「衛宮君の事嫌いなの?」

「奴も私のことが気に食わないだろうな」

 好きとか嫌いというのは、相手のことを知らないと湧かない感情である。無関心であるのなら解るのだが、こうも悪意が込められると凛も判断に迷う。無論、下手に肩入れされて、いざという時に相手を殺せないのも困るが、明らかに何か不自然で、凛はそこに引っかかりを感じる。

「……もしかして、アーチャーって衛宮君のご先祖様に殺されたのかもしれないわね」

「面白い冗談だ」

 ふと凛が口にした言葉を聞いて、アーチャーは口元を歪めると、凛の紅茶のおかわりを淹れるためにまたキッチンへ戻っていった。どうやらアーチャーは臍を曲げてしまったらしいと思いながら、凛は彼の背中を眺める。

 ランサーとアレだけ見事に闘いながら、セイバーへの反応は遅れた。無論それは霊体だったというのもあるだろう。そして、イリヤスフィールを狙わなかった理由も、納得できた。けれどやはり衛宮士郎への悪意は腑に落ちない。冗談めかせて吐いた言葉に不快感を滲ませた所を見ると、衛宮士郎自体の話題などふって欲しくないのかもしれない。そう考え、凛はむむっと眉間に皺を寄せた。

 人間誰しも相性はある。けれど、初見であそこまで反発するのも珍しい。うちの茶坊主は一体何物なのか。それが段々と気になってきたのだ。

 戻ってきたアーチャーは紅茶を凛の前に置くと、そのまま窓辺に向かい外に視線を送る。それが警戒のためなのか、会話を拒否してなのかは分からないが、凛は黙って二杯目の紅茶に口をつけた。ちらりとアーチャーの体躯を眺める。鍛えあげられた体に無駄はないし、戦いの勘もいい。戦略的なものも十分持っている。サーヴァントとしては十分アタリの分類である。けれど、自分の事を覚えていないというのだけは頂けないと、ぼんやり考えながら、凛は紅茶をちびちびと飲む。

 体が暖かくなってきた事で、少し眠くなってきた。そう感じて顔を上げると、アーチャーは凛の方を眺めて、口元を歪めた。

「次はベッドまで運べばいいのか?マスター」

「それぐらい自分でするわよ!」

 莫迦にした口調に反射的に怒鳴り声を上げた凛を見て、アーチャーは肩を竦める。

「切れやすいのは君の短所だ」

「……う。解ってるわよ」

 学校ではミスパーフェクト等と呼ばれているが、それは凛の努力の賜物である。遠坂家の人間として恥ずべき姿は見せられない。けれど、流石に家でまで気をはっている訳にはいかない。無論、アーチャーに対しても優秀なマスターであると常に知らしめるつもりではあったが、余り巧く行ってないのも凛は自覚している。堅物のセイバーであれば、巧く行っただろうか。そんな事を考えるが、こうやって憎まれ口を叩きながらも自分のそばにいるアーチャーのことは割りと気に入っているし、信頼もしている。

「それじゃ、夜には起こして!いいわね!」

「了解した」

 ドスドスと機嫌悪そうに部屋を出ていく凛の背中を見送って、アーチャーは彼女に聞かれないように咽喉でこっそり笑った。

 

 元々結界のある遠坂邸であるし、昼間は比較的聖杯戦争の動きも少ない。アーチャーは警戒をどうしたものかと考えながら、主のいなくなったソファーに腰を下ろす。7人目のマスターが決まり、正式に聖杯戦争はスタートした。遠坂凛の聖杯への願いは問題ない。彼女は聖杯自体には興味がないのだ。勝つために戦うというシンプルな持論を持ちサーヴァントを召喚した。それはアーチャーにとって、幸運とも言える。比較的相性もいい。

 しかし、マスターが彼女でない方が有難かった。

「……また同じ事を繰り返すのか」

 莫迦のドミノ倒しだ、そう呟いて、アーチャーは瞳を閉じた。

 

──■を■すわ。だってそうしないと10年前よりずっと酷い事になる。冬木の管理者としてそれだけは認められない。

 

 強かった思い出の少女。本当は顔も思い出せなかった。自分の命を救ってくれた恩人。魔術を仕込んでくれた師匠。

 その彼女が選んだ道が本当は正しかった。

 けれどそれを認めることが出来なかった自分は、最後まで足掻いて……否、先延ばしにした結果、沢山の犠牲をだした。

 

──有難うございます■■。……やっぱり正義の味方ですね。私のことちゃんととめてくれて嬉しいです。

 

 己の手から滑り落ちた大切なもの。

 吐き気がする程無様だった自分。

 信じていた理想はどこへ行ったのか。

 己はどこで歪んだのか。

 

 その根源を毀すための奇跡を望んだ。そして望みは叶えられた。目の前のある己の根源。それを毀してしまいたい。殺してしまいたい。今すぐ。この手で。

 

 眠っていたつもりはなかったし、サーヴァントは夢を見ないと聞く。けれど、胃の腑が捩れるような不快感にアーチャーは思わず瞳を開けて己の手に視線を落とした。眼の奥が焼けるような痛み。それは肉体的な痛みと言うよりは精神的な軋みに近かった。

 気がつけば夕暮れに近く、アーチャーは軽く首を振った。

 夜の巡回の前に凛は食事を取るだろうか。ならば少し早めに起こしたほうがいい。彼女は恐ろしく寝覚めが悪い。そう考え、アーチャーは彼女の寝室へ向かう事にした。

 

 一応ノックはしてみたものの、返事はなく、アーチャーはそのまま部屋に入った。すると、驚いた事に凛は机に突っ伏して寝ていた。ぎょっとしたアーチャーは傍に寄る。すると、机には幾つかの宝石と、本が広げられていた。恐らく今晩の準備をしているうちに寝てしまったのだろう。こんな事ならば初めからベッド迄運んでおけば良かったと心のなかで呟きながら、アーチャーは彼女に手を伸ばした。

「凛」

 そう声をかけてみるがよほど疲れているのか反応はない。小さく溜息をついたアーチャーは、少しだけ彼女の椅子を引くと、そのまま彼女を抱き上げる。

 長い年月をかけて編みあげられた、遠坂の魔術刻印を抑えるため、彼女は痛み止めの薬草を飲み続けている。それ故、少し変わった香りが鼻につく。彼女がこれを気にして香水の類も自分で作って使用していたが、その効果も薄く、今は薬草の様な香りだけがした。

 懐かしい匂い。

 アーチャーはベッドに凛を寝かせると、そっと手を伸ばし、彼女の髪を撫でた。

「凛」

 もう一度名を呼ぶ。

 自分が理想を叶えるために置いて行ってしまった一番大事な人。

 誰よりも自分を愛してくれた人。

「……遠坂」

 アーチャーは、ずっと呼ぶことのなかった懐かしい名前を口にした。

 

 アーチャーが部屋を出ていった後、凛はガバッと布団を頭から被って赤面した。意味が分からないと。本当は一番最初に声をかけられた時に目は覚めていたのだ。けれど、もう少し寝ていたいと言う欲求が勝り、うとうととしているうちにベッドに運ばれた。そこまでは良かった。いや、お姫様抱っこだった辺りよかったどうかは悩む所なのだが、そこまでは凛は我慢できた。けれど、あの後は反則だ。何なんだアイツは!と凛は布団を被ったままブツブツと呟く。

 髪を撫でられ、名前をまた呼ばれた。凛自体は魔術師ということもあって、髪を触られるのはどちらかと言うと好きではない。けれど、それを心地良いと感じた自分にも驚いたし、何故、【遠坂】と苗字で呼ばれた方が恥ずかしいのだと、愕然とした。

 ちらりと盗み見したアーチャーの顔も良くなかった。

 いつもの皮肉屋の顔ではなく、優しげで、それでいて酷く悲しそうな顔をしていた。まるで大切な名を呼ぶように、【遠坂】と言葉を零した。

 お陰で凛の眠気も吹っ飛んだが、逆にアーチャーにどんな顔を向ければいいのか彼女は解らなくなってしまい、うんうんと唸る。

 しかし、そうこうしているうちに、何だか良い匂いがしてきて凛は漸く体を起こした。

「……え?もしかして食事作ってるとか?」

 慌てて部屋から飛び出しキッチンへ向かうと、そこにはムスッとした顔で食事の準備をするアーチャーの姿があり、凛は面食らう。先ほどの顔が嘘のようで、アレは夢だったのではないかとさえ思えた。

「何だもう起きたのか」

「……あ、うん。え?ご飯作ってるの?」

「昼食も取らずに君が眠りこけていたからな。流石に夜の巡回をするのに、腹をすかせていては困るだろう」

 紅茶を淹れるだけではなく、どうやら自分のサーヴァントは食事も作れるらしい。よくよく考えてみれば、初日に派手に壊したリビングの掃除も完璧だった。何という家事スキルの高いサーヴァントを引き当ててしまったのだろうと、凛は愕然とする。

「寝起きだから、軽食だがな」

 キッチンに並んでいるのはサンドイッチで、卵やら、ハムやら色々と挟まれていて非常に美味しそうである。きっとアーチャーの淹れた紅茶と一緒ならば美味しいだろう。そう思い、凛は素直にソファーに座ると、アーチャーの背中を眺める。

「エプロンでもプレゼントしましょうか?アーチャー」

「そんな余分な金があるならば、大事に貯金しておくことだ。君の魔術は金食い虫らしいからな」

 いつもの皮肉たっぷりの返答が返ってきて、凛は少し安心したような顔をする。すると、アーチャーは先にスープを凛の前へ置いた。刻んだ野菜の入ったコンソメスープ。どうやら部屋で嗅いだ香りはこれだったらしい。

「ありがと」

「あぁ」

 短くそういうとアーチャーはまたキッチンに戻る。

 じんわりと指先が温かくなるのを感じながら、凛はスープを胃の中に入れた。ぽかぽかと体が温まってくるのが解る。夜の巡回は体が冷えることを気にしてスープも作ったのだろうかと考えながら、凛はちらりとアーチャーの表情を伺った。

「?何だ凛」

「どこで料理覚えたの?自分の事思い出した?」

「……残念ながら。料理をどこで覚えたのかも思い出せない」

 素っ気ない返事に、凛はふむ、と手元のスープに視線を落とした。そこで不思議に思ったことを口にする。

「コンソメの使い方知ってるの?」

 料理に使うアレは、一見何か分からない。ただの四角い塊である。子供の頃美味しいものかと勘違いして舐めてひどい目にあった人間も多いはずだ。例えアーチャーが生前料理が得意だったからと言って、英霊のいた時代にコンソメなどという便利アイテムがあったとは思えない。そう思って凛が口にすると、アーチャーは少し考え込んだ後、サンドイッチの乗った皿を運びながら口を開いた。

「ここに近い時代に行った事があるのかもしれないな」

「そこで覚えたの?」

「どうだろうな。英霊として召喚された場合は、その場所で得た知識は、輪廻の輪から隔離された私の本体に一応フィードバックされる。けれど、それは知識の図書館に本が増えるというレベルのもので、本を開いて読めば、あぁ、そんな事もあったな、と言う感じでな。良く分からん」

 曖昧であるが、英霊の召喚システムと言うもを口にしたアーチャーを眺め、凛は少し口を尖らせた。結局アーチャーの事は何も分からないではないかと言う様な顔に気がついたのか、アーチャーは少し眉を寄せて皿を凛の前に置く。

「まぁ、こうやって紅茶を淹れる知識も、料理の知識も意識せず使えるということは、余程しっかり叩きこまれたのだろうな。凛の様なマスターに」

「何で私みたいなマスターなのよ!」

「……紅茶の味が気に入らないと、徹底的にリテイクを食らわすタイプだと思っていたが、違うのか?」

 アーチャーの言葉に凛はうっと返答に詰まる。流石に捨てるのは勿体無いが、完璧主義であるのは自覚しているし、例えば、アーチャーが紅茶を淹れるのが絶望的に下手な癖に、紅茶を入れたがったら、徹底的に仕込んだであろう。それを看破された気がして凛は結局反論せずに、目の前のサンドイッチをつまんだ。

「……何か、アーチャーの淹れる紅茶も、サンドイッチも私好みで悔しいわ」

 マスタード多めのサンドイッチ。紅茶もいつだって極上に美味しく淹れる。美味しい物を食べているのに、不服そうな顔をしている凛を見て、アーチャーは眉を寄せた。

「美味しいなら美味しそうに食べて欲しんだが」

「え?」

 拗ねたようなアーチャーの発言に、凛は驚いて顔を上げた。すると彼は、少しバツの悪そうな表情を作って顔を背けた。

「……そうよね、ごめん。凄く美味しいわ。紅茶もそろそろ入れてくれる」

 鮮やかに笑った凛を見て、アーチャーは満足そうに笑うと、紅茶を淹れるためにキッチンへ引き返していった。それを見て、凛は唖然とする。

「アイツ普通に笑えるんだ」

 どこか冷めた笑いばかり浮かべていた。けれど、自分が料理を褒めただけで、一瞬だが、嬉しそうな顔をした。

「……不意打ちはずるいわよね」

 残ったサンドイッチをモグモグと口にいれながら、凛は俯いて恥ずかしそうにそう言葉を零した。

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