私の存在証明
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鋭い痛みによる存在の証明。手にしたナイフに己を委ね、湧き出る鮮血に安堵を覚える。

 

極めて閉鎖的なこの自己陶酔は万事において限りなく無益で非生産的な愚行であるといえよう。

 

しかしながら、不条理に身を任せ、理不尽に生きるこの世界においては、理に適わぬ行為こそものの本質ではないかと私は考える。しかしながら、多くの人間は私の存在証明方法を酷く醜いものだと否定し、さらには同情の目を向け、私に精神的弱者という配慮の欠片もないレッテルを貼りたがるのだ。金銭を得るためだけに、身を削り、命を削り、ブルジョワ層に使われているだけの人間が偉そうに講釈を垂れる姿を見て、私は憤怒ではなく哀れみを覚える。彼らは、直接的な、肉体的な自傷は否定するくせに、間接的、精神的自傷、あるいは自虐を肯定する悪癖を持っている。

 

身を粉にして一生懸命頑張る。それはなぜか?生きるために。なぜ生きる必要があるのか?死にたくないから、なぜ死にたくないのか?死ぬのは苦しいから。

 

なぜ自分を傷つけるのか?生きるために。なぜ生きるためにそれが必要なのか?自分の存在を証明できるから。自傷をしなければ存在の証明は不可能なのか?不可能。それは何故か?痛みでしか自分の存在を肯定できないから。自分の存在を証明する必要性は?証明されなかったら、生きている意味がないから。生きたい?生きたい。

 

 

 

人の価値観など、時代の流れや土地柄風土により数多に存在し、それぞれの存在を、概念を確立している。

 

社会において、これほど不明瞭でいて、尚且つ明快な指標が他にあるだろうか。

 

自傷という、あたかも非社会的、道徳的背信行為は、世界のどこかで、少なくとも私の中では、至極単純で一般的な自己肯定行動であり、誰に咎められることもない、明瞭な社会活動である。

 

だから、私を否定しないでほしい。肯定しろとはいわない。ただ黙って私のことを見ていてほしい。私の存在を、私がいるということを忘れないで、認めてくれなくていい。だからお願い!私を!私を忘れないで!私はここにいるのだから!

 

 

 

人として生まれながら、人として認められず、その存在を否定された君に対し、僕は、どうして君を忘れることができようか。難しい言葉で取り繕わなくていい。無理に人を納得させようとしなくてもいい。君がいいならそれでいいじゃないか。それが生きるってことさ。君は生きている。それだけで充分なことさ。

 

銀色に光ナイフに、ベットリと付いた赤黒い血が、禍々しく声高らかに、私に自身の存在の示し方を語った。

 

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