兄と弟
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「君さぁ、本当に昔の俺が好きだよね」

いつも通りの言葉を、アメリカは若干呆れながら言った。

イギリスの口から出るお馴染みとしか言えない言葉たち。

昔は可愛かった。

昔のおまえなら。

昔、昔、昔……。

「もう、君にはうんざりだよ! どうして今の俺を見てくれないんだいっ?」

元々声は大きいが、荒げられることは少ないアメリカの声が大きく揺れて、イギリス以外がビクリと慄いた。

イタリアに至っては日本とドイツの背後に隠れてお馴染みの悲鳴をあげている。

「なんとか言ったらどうなんだい?」

アメリカの言葉に、沈黙を貫いていたイギリスがアメリカの視線に自分のそれを絡ませた。

その真摯な瞳に、アメリカが小さく肩を震わせる。

「違うだろう?」

その言葉は、イギリスの口から発されたというより、ポトリとその空間に落ちてきたようだった。

アメリカが意味を汲み取るより早く、イギリスは言葉を重ねた。

「俺じゃないだろう? おまえが、昔の俺を好きなんだろう?」

アメリカが息を呑んだ音が、妙に大きく部屋に響いた。

「お前を大切にして、おまえを守って。まるで、おまえの母親のような。そんな俺が」

「なに、言ってるんだい……?」

笑えないジョークは嫌いさ、と続いたアメリカの声は、掠れていた。

 

「アメリカさん、泣いてたんですよ」

は? とフランスは思わず一音を発した。

思わず耳を疑ったのはフランスのせいではない。

「泣いてたって? え、ちょっとそれって、お兄さんの知ってるアメリカの話ってことでいいんだよね?」

勿論です、と日本は頷いた。

「というか、あんな大国がふたつもあったら私はどうすればいいんですか……」

私は一人で手一杯です、と日本は溜息を吐いた。

「あ、ごめん。お兄さんが悪かった! 謝るからそんな情けない顔しないでよ、日本!」

コホン、と咳払いして、日本は「先程の話ですが」と話を戻した。

自分が情けない顔をしたという事実を認める気はないらしい。

「この間、うちにいらした時に。勿論、寝てる時ですよ。あの人は、弱った面を人に見せるような方ではありませんから」

日本が、寂しそうに笑った。

「イギリスが俺を、小さくて可愛いと愛してくれるなら。俺は、大きくなんてなりたくなかったのに」

「え?」

「そう言って、ボロボロ。普段はあんなに騒がしい方なのに、驚くほどに静かに泣かれるものですから」

爺はどうしたものか困りましたよ、と日本は微笑んだ。

「でも、だから。イギリスさんの言葉は、間違っていないのではないかと思いました」

フランスが口を開くよりも先に、パタパタと走る音が聞こえて、同時に「日本! どうして仏國なんかといるあるか! 孕まされちまうあるよ!」と叫ぶ過保護な兄の声がしたために、フランスは被害を避けるために日本から一歩離れた。

「あなたはなんてことを叫ぶんですかっ! フランスさんに失礼でしょう! それに、分かっているでしょう? 私は女性ではありませんからねっ?」

その怒号に、離れていたフランスは安堵の息を吐いた。

兄馬鹿な中国も怖いことは怖いが、一番怖いのは日本だと悟っている国は一体いくつあるのだろう?

日本の言葉が聞こえていないかのように、日本をしっかりと腕の中に閉じ込めた中国は威嚇するようにフランスを見た。

「手ェ出してないよ」

両手をパタパタと振って無実を訴えたフランスは、ふと面白いことを思いついてニヤリと笑った。

「まだ、ね」

案の定、怒りに顔を真っ赤に染めた中国が「まだってどういうことあるかー!」と叫ぶのを宥めながら、フランスはどこぞの味音痴な兄弟を思って溜息を吐いた。

 

一歩足を進める度に、靴底が床を打つ音が廊下に響いた。

背後からも足音が響いていたが、それが誰か分かっているフランスはなんの行動も起こさなかった。

廊下の突き当たりにある空き部屋の扉を開けて中に入ると、背中に衝撃を感じて、その後バタンと扉が閉まった。

「泣くくらいなら、あんなこと言わなきゃいいのに」

背中から嗚咽が聞こえるのに、フランスは苦笑を浮かべながら言った。

普段ならばすぐに飛んでくるであろう罵詈雑言は、今日のような日には返ってくることはない。

「お兄さんの大事なスーツに鼻水つけないでね?」

頭が、肩口に擦り寄せられた。

了承の意か、それとも今現在拭っているのか。後者ではないと信じたいが、彼の性格を思うとそちらの確率の方が高い。

「でも、本当なんだ」

掠れた声に、フランスは溜息を吐きたくなった。

「今迄、ずっとそう思ってきたわけ?」

コクリ、と背中に当てられた頭が縦に振られる。

バカだなぁ、とフランスは思わず天を仰いだ。

昔の相手が好きなのは、お互いさま。

でも。

どうせ、今の相手が好きなのもお互い様なんだろう?

「もー、お兄さん妬けちゃう」

指先で目許を擦って涙を拭いながら、イギリスは「は?」と首を傾げた。

「ねぇ、イギリスは俺の恋人だよね?」

逡巡の後に「当たり前だろ」と返されて、フランスはニコリと笑った。

生まれてくる黒い感情には、気付かないフリをして。

(ホントに、バカだよ。おまえも、アメリカも)

相思相愛なくせに、それに気付かず、自分の想いにすら気付けず。

こうも簡単に、攫われる。

「ねぇ。ずっとずっと、お兄さんといてくれるよね?」

フランスの問いに、イギリスは頷いた。

嗚呼。もう逃げられないというのに。

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