戦争
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「伏せろっ!」

 怒鳴り声とともに軍服を着た大柄な男が覆いかぶさってきて、私は倒れこむように地に伏せた。そのまま頭を押さえ込まれる。すぐ上を銃弾が掠めていくのがわかった。

 銃撃がおさまった隙を突いて、男に引きずられるように一番近い塹壕に転がり込んだ。

「こんなところで何してるんだ! 死にたいのか!?」

「言われたとおり森を抜けてきたんです!」

「馬鹿! 北の森じゃねえ! 俺が言ったのは西の森だ!」

 鬼の如き形相で怒鳴られて私はたじろいだ。

「だいたい、なんで戦場に出てきたっ? 森に潜んでいればいいものを!」

「向こうの兵士にみつかったからですよ! あの人たち、私の言うことなんか聞きやしない。有無を言わさず銃口を向けてきたら逃げるしかないでしょう!」

 私も熱くなってつい口調が荒くなった。

 なぜ、こんなことに巻き込まれてしまったのだろうか――

 

 五日前、町の酒場でジョッキを傾けていたときのことだ。

「おい、あんた」

 野太い声に振り返ると、私よりずっと背が高く体つきも獣のようにがっしりとしたいかつい男が一人、こちらを見下ろすように立っていた。その風体とぶっきらぼうな口調からも、あまり穏やかな人柄でないことは自明の理であった。

「旅のモンだな。悪いことは言わねえ。さっさとこの町から出ていきな」

「なぜです?」

「あんたも町んなか見てきたならだいたい想像はつくだろ? この国はもうすぐ戦争をおっぱじめるのさ。巻き込まれたくなかったらさっさと出て行ったほうが身のためだぜ」

 たしかに彼の言うとおり、この国はこれから火蓋を切ろうとしている。その噂はこの国に来るずいぶん前からすでに耳にしていたし、行商人などはよほどの用でもない限りこちらの方面には近づかないようにしていた。それを承知の上で私はやって来た。

 いまも、わかっていて訊き返したのだ。

 そして回答は噂を肯定するものだった。街中には嫌な雰囲気が漂っていた。軍人と思しき男たちが、眼光鋭く警戒の視線を向けてきた。よそ者には容赦などない。

 町の男たちは誰も彼も暗い表情で、目に見えぬ重圧に必死になって耐えているようだった。きな臭い話もそこかしこから聞こえてくる。屋内に篭っているのか女性や子ども、お年寄りの姿はほとんどなく、たまに道で見かけても強張った顔のまま足早に通り過ぎていくだけだった。

 ある民家の前を通りかかったときのことだ。不意にひとりの少年と目が合った。男の子は家の窓に吊るされた分厚いカーテンの隙間から外の様子を伺っていた。やはり子ども心にも社会の様子が気になるのだろう。少しでも安心させたくて微笑みかけたら、少年は怯えたように顔を引っ込めてしまった。

 あとには灰色のカーテンが弱々しく揺れているだけだった。

 一抹の寂しさを覚えてため息をつく。

 開け放たれることのない小さな窓。外界を遮断するくすんだ色のカーテン。

 この町にいるどれだけの者たちが、あの窓と同じように心を閉ざしてしまっているのだろう。さきの少年も然り、町行く民も然り。

 寄る辺なき非力な人々の行く末を案じると、胸の辺りがじくじくと痛んだ。私はこの現状を記録するべく、周囲に悟られないよう注意を払いながらシャッターを切って回った。

「一刻も早くここから離れたいなら東の商業路は使わず西の森を抜けて行け。急げば戦火に遭う前に逃げられるだろう。間違ってもこれから一戦交える隣国の方には向かうなよ」

「親切にどうも……」

 私はカウンターに御代を置き、不快な気分を抱えたままさっさと酒場を後にした。

 宿に戻ると荷物をまとめ、翌朝早く町を発った。

 

 北の検問は封鎖されているため必然的に西の森から、昨晩彼に言われたとおりに進んだ……つもりだった。野獣に警戒しつつ急ぎ足で進む。ある程度拓かれた道はしかし、曲がりくねっていて、道なりに歩くうちに段々と方向感覚が失われていった。おまけに道標もない分岐路をいくつか越えてきていた。

 いつもならここで冷静に方角を調べるのだが、このときの私は漠然とした不安とやるせなさに苛まれていて、そこまで思い至る余裕がなかった。

 わずか数日の滞在。しかも深い付き合いなどなかった町の人たちの顔が断片的に、けれども強烈に脳裏をよぎる。とりわけあの男の子の表情が忘れられない。

 割り切れない頭をそのままにしておいたのが悪かったのだろう。完全に道に迷ってしまった。立ち止まっていてもどうにもならないのでひたすら歩を進めたものの、野宿をしながら数日間彷徨うことになった。

 ふと遠くから砲撃音や銃声が散発的に聞こえてきたのは、いよいよ歩くのも疲れてきたころである。ひょっとして徐々に戦場に近づいているのではないか。嫌な予感がして、来た道を引き返そうとした。

 その時だ、隣国の兵士と出くわしたのは。

 しかも、どうやら正規軍ではなく傭兵のようだった。隣国の王家の紋章を着けてはいるが装備は不揃いで、ギラついた目が私をじっと捉えていた。

 男たちはニヤリと不気味な笑みを口元に浮かべると、まるで獲物をみつけたハンターのようにすばやい動きで小銃を構え、あるいはナイフを抜いて身構えた。

 突然の遭遇に思考が停止していたのもつかの間、危険を察知して横っ飛びに身を投げ出した。とたんに耳をつんざくような銃声が鳴り響いた。恐怖に全身がこわばったが、すぐに道なき道をがむしゃらに逃げ出した。

「わ、私は旅の……しゃ、写真家でっ……!」

 出来うる限りの大声で身分を明かすが聞き入れる様子はなかった。

 男たちは三人。本隊と離れた別動隊にしては規模が小さい。かといって斥候などの重要任務を傭兵にさせるとも思えなかった。どういう意図があって別行動しているのか不明だが、戦時にかこつけて公然と人を殺せるこの機会を利用しようとしている。それだけは間違いなかった。彼らは意図して人間を狩ろうとしているのだ。

 遮蔽物が多い森で追いかけながらの射撃は難しいのだろう。直線ではなく左右に振りながら走ったのも功を奏したのか弾は当たらなかった。けれども刃物で襲われたらなす術はない。転びそうになりながらも必死に姿勢を立て直して走り続けるうちに、視界が開けた。

 西に向かっていたはずが、迷っているうちにどんどん森を北上していたらしい。

 私は戦場の只中に飛び出してしまった。

 

「こいつを護衛につけるから、とにかく陣地の最後尾まで行け。補給要員に頼んで都まで馬車にでも乗せてもらえ! いいなっ!?」

 酒場で会った男はそう言うと、部下に森も偵察するよう指示を飛ばした。陣地の規模からここは本陣ではないようだ。おそらく主力部隊は右翼から北東方面の草原へと展開しているのだろう。森と本陣の間隙から進攻されないための布陣だろうが、小規模でも戦場にかわりはない。散発的に響き渡る銃撃音や砲弾の風切り音、爆音が鼓膜を震わせた。

「さあ、こっちへ! 俺の合図に合わせて姿勢を低くしたまま走ってください! いいですか……いきますっ!」

 援護射撃の音が響くなか、まだ若い兵卒の後を追って塹壕を飛び出した。斜め後方の別の塹壕に飛び込む。これを繰り返してちょっとずつ前線から離脱するのだ。

 途中、少し離れた壕に着弾した。轟音とともにえぐれた土と砂煙が舞いあがる。

 視界が晴れた先の光景に、私は思わず目を背けた。人の体とはかくも容易くバラバラになるものなのか……。

 何度目かの移動の後、青年が敵陣の様子を伺いながら口を開いた。

「俺、学校辞めて入隊志願したんですよ。『俺が国を守るんだ』ってずっと思ってた。でも、前線に出て気づいたんです。自分の命も守れないやつが国を――他人の命を守るなんて百年早いって。はははっ……もっと……もっと格好いいもんだと思ってたのに……!」

 引きつった笑顔を貼り付けて心情を吐露する彼の目は、今にも泣き出しそうだった。よく見ると足も震えている。震えながらも銃剣を担ぎ、駆け出す機会をさぐっていた。

 なんとか陣地の後方まで無事にたどり着いたのは、それから間もなくのことである。

 事情を説明し後方支援部隊に私を託した青年は、また前線に戻っていった。

 別れ際、彼に礼を述べ、一言「死なないでください」と伝えた。

 余計な任務を増やして命を危険にさらした元凶が何を無責任にほざくのか――そう思われたかもしれない。しかし、それでも私は、言わずにいられなかった。

 

 馬車の荷台で揺られながら、彼の言葉を思い出す。格好よさなどどこにもなくただ血生臭く、醜い。憎悪と悲哀ばかりが膨れ上がる。

 

 そう、これが戦争だ――

 

説明
2011年12月8日作。偽らざる物語。
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