うそつきはどろぼうのはじまり 8
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この結婚には世界の平和が掛かっている。長らく隔たれていた二つの世界が、共に手を携え歩む未来を、誰もが望んでいる。事態は既に少女の遥か頭上で行われる水準であった。当事者といえども、進退を決められる立場ではない。

だが領主は軽く首を振った。

「でも、実際に結婚するのはあなただから。わたしは後見人としてだけではなく、一人の友として、あなたの意思を優先したい」

その言葉に、理性で塗り固めていた心が揺らいだ。感情の現われを許した脳裏に、一つの影が浮かぶ。

もしかすると、既に知っているのかもしれない。嘘が上手な彼のことだ。知った上で、エリーゼが不審に思わぬよう、普段通りの対応をしてみせたのかもしれない。

ドロッセルは自分の意志を優先すると言ってくれた。ならばこのくらいの甘えは許されるだろう。どのような決断を下すにせよ、彼にはせめて、自分の口から伝えたかった。

「少し……時間を貰えませんか?」

即決はできない、との答えは予想の範疇だったのだろう。領主は鷹揚に頷く。

「分かったわ。でも、あまり先延ばしにはできないわよ」

「はい」

俯き加減の少女がとぼとぼと退出した後、領主は長い溜息をついた。

机に両肘をつき、組んだ手の甲に額を乗せる。椅子に座ったままだというのに眩暈がした。

(仕方のないこととはいえ、疲れる仕事だわ。全く)

件の封書を目につかないところに仕舞いこんだ彼女は、窓辺に寄る。燦燦と降り注ぐ日の光に洗われた木々が、憎たらしいほど鮮やかだった。

カラハ・シャールには緑が多い。馬車の走行を快適にするための道路整備も勿論盛んではあるのだが、一方で植樹も頻繁に行われている。舗装工事に勤しむ工夫達の向こうで、馬に引かせた苗木が運び込まれているという光景も、この街では取り立てて珍しいことではなかった。

そんな緑と風に溢れるカラハ・シャールの中でも、ひときわ自然に溢れ返っているのが、このシャール家の屋敷だった。言わずと知れた領主の住まいであり、領民のみならず外部からも統治手腕に定評のある女領主ドロッセルが寝起きする場所である。

今日も彼女は朝早くからいくつも面会をこなし、やわらかな日差しの落ちる執務室で書類と向き合った。代々受け継がれてきた執務机には、各商会や領民からの訴状、報告書が山と積まれている。その一つ一つを、ドロッセルは丁寧且つ迅速に裁いてゆくのだ。

兄クレインの跡を継ぎ、十代にして当主となった当初は、世間知らずなお嬢様でこの先不安だと、随分な言われようだった。実際、彼女は優秀な兄の庇護の元、貴族の令嬢らしく奔放な毎日を過ごしていたのだから、領民からそう陰口を叩かれるのも仕方のないことであった。

だが彼女は成長した。いや、目覚めたと言うべきなのかも知れない。皮肉にも兄クレインの非業の死によって、彼女は六家シャールの血を自覚した。かつて陶器に夢中になっていた頃のあどけなさは鳴りを顰め、代わりに人の上に立つ者としての貫禄が立ち振る舞いから滲み出るようになった。羽根筆片手に書類を眺める横顔も、さらさらと署名をする手の滑らかな動きも実に堂にいっており、その凛とした佇まいは臣下を速やかに安堵させた。

リーゼ・マクシアの混乱期を見事乗り越え、カラハ・シャールの安寧秩序を守る由緒正しき屋敷の一画で、ドロッセルは憂いを湛えたまま、窓枠に身を預ける。

「兄さん。私は、正しい選択をしているかしら」

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