健康第一
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 夜のお茶会の最中に、ブラッドの顔が気にかかった。整った顔はもう見慣れているのだが、顔色が芳しくない。

「ブラッド。あんまり顔色が良くないわね」

「……なに? アリス、君にはそう見えるのか?」

  ティーカップを傾ける手を止めて、鏡を取り出す。いつもならエリオットが素早く差し出すところなのだが、あいにく仕事で出かけているようだ。闇の中でもブラッドの顔の白さが際立っている。

「うん。なんかいつも不健康そうに見える顔が、今はいつにも増してナイトメアっぽいわ」

 ブラッド=デュプレは常日頃、見えない努力をしている。マフィアのボスのくせに、だらだらとサボり続けているように見える。しかし、それはあくまでポーズだというのは、屋敷の内部では有名だ。実際は隠れ仕事熱心な人で、誰にも仕事をしている様を見せない。つまり徹夜しているのだ。健康なわけがない。

 

  しかし、この世界では昼と夕と夜がランダムに訪れるために、一概に『徹夜が健康に悪い』とは言えないかもしれない。ここでは、そもそも規則正しい生活が送れない。だが、少なくとも私のいた世界では、徹夜は体に悪いことだった。

  今までに何度か徹夜を止めるよう注意してみたが、ブラッド曰く――。

「私は自分のしたいときにしたいことをする。仕事もやりたいときしかやりたくないんだ。特に、夜は仕事がはかどる」

  どこまでも我侭な男だ。それでも仕事はちゃんとこなしているし、居候の身では出過ぎたことを言えない。健康管理も自分でするのが大人だ。だから注意で終わる。

 

「済まないが……黙っていてくれないか。特に、エリオットには」

  静かに鏡を仕舞って、おかしなことを言ってきた。下っ端ならば、教える必要がないのは解る。だが、上司の不調を腹心の部下に秘密にする必要がどこにある。

「どうして? 彼はあなたの懐刀じゃなかったの? 弱っているときこそ、傍にいてもらうべきよ」

「いいや。お嬢さんは何にも解っちゃいない」

  何だかブラッドの様子がおかしい。鬼気迫る目で睨まれる。……潤んでるけど。

  精神安定剤……もとい紅茶をガブガブ飲んでいる。

 

「そうだよ。あいつならボスを守るどころか、きっと殺しちゃうよ」

  唐突に双子の門番が横槍を入れる。いつの間にお茶会に紛れ込んでいたのか。ブラッドは動じずに、紅茶を飲み続けている。ディーの早口に、ダムのゆっくりした意見が同調する。

「間違いなくオレンジ色の料理責めにして、心身共に殺しちゃうよ」

「ああ……思い出すだに恐ろしい。今でも時々夢に見るほどだ。と言うか、思い出したくないんだが」

  ブラッドは吐き気をもよおしたのか、口元に手を当てている。ディーが耳元でこっそり教えてくれた。

「前にボスが寝不足で弱ってたとき、馬鹿ウサギがすっごい心配して……トドメを刺したんだよね」

  反対側の耳にはダムがはり付いている。

「そうそう、本当は大したことなかったのに。カロチン不足だーとか言って、ヒヨコウサギが薬膳人参料理を無理矢理ボスに食べさせたんだ」

「うんうん。アレはひどかったよね。拷問みたいだった。思わずタダで同情しちゃったよ」

「僕たちの給りょ……じゃなかった。ボスを失うところだったよ。あの後のボス、余計ぐったりしちゃって、持ち直すのに何十時間帯もかかったよね……」

「仕事が本当に山を作って、また瀕死になってた……」

 

「と……トラウマものの体験よね。なかなかに貴重だわ。全ッ然羨ましくないけど」

  内緒で話していたはずなのに、しっかりとブラッドの耳には届いていたようだ。やや恨みの籠もった目でこちら、と言うより双子を見ている。

「……エリオットを止めてくれたまでは感謝しているよ。だが君たちは、そのぐったりした私に、しっかり特別手当の誓約書を書かせたのではなかったかな……」

「やだなあ。僕たち、ホントに命がけで止めてあげたんだから、そのぐらい貰ったってバチ当たんないと思うな」

「ボスってば、ほら、気分屋だから。後で誤魔化されちゃかなわないから、わざわざ血判まで押してもらったんだ」

  鬼だ。瀕死の病人にそこまでの外道っぷり。鬼以外ありえない。

  ブラッドは咳払いした。

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「……だから私は、エリオットの前でだけは常に健康なんだ。例え、どんなに胃に穴が開いたり、吐血しそうだったり、危篤状態であったりしても、エリオットにだけは見せない」

「……何て言うか……ご愁傷様」

  ホント自分じゃなくて良かった……。心底そう思う。もう他人事で済ます以外に方法がない私に、ディーが食ってかかる。

「他人事じゃないんだよ、お姉さん! お姉さん、か弱いから病気で寝込んだ日には、ニンジ……オレンジ一色の料理まで一直線だよ!」

 

  禁止用語(ブラッド限定)に素早く反応する。鷹の如く鋭く光る目を向けられて、ディーが明後日の方向へ視線を流す。慌てて言い直した。ダムも合唱する。

「そうだよ、そうだよ! お姉さんは人一倍、健康に気を遣うべきなんだ!」

  私の左右で巻き起こる双子の喧騒に、ポツリと不穏な呟きが混じる。

「いや、むしろ私は誰かに追体験させてあげたい気分なんだ。私ばかりトラウマが増えるのは、些か不平等に過ぎやしないかね?」

  誰かとか言いつつ、照準はばっちり私に合わせられている。いつもより二割増し青白い顔で、ゆらりと近づく様は、幽鬼を連想させる。美形なせいで、お伽話の挿絵にあるような吸血鬼にも見える。

 

「えっ、ちょ……ちょお……いい! 私は体験したくないから! 尊い犠牲は一人で十分! 生贄はこれ以上要らないわよっ!」

「そういう気分なんだ」

  どういう気分だ。サド! このサド帽子!

「た、助けて、ディー! ダム!」

「ごめんね、お姉さん……。僕ら雇い主には逆らえないんだ」

「あと、もっと言っちゃうと、ここで反対したら僕らに矛先が向けられる……」

  救いの手は差し伸べられない。目の前にあるのは、美しい悪魔の笑顔。

「う、裏切り者……」

「さすがは、うちの門番たちだ。よく、心得ているじゃないか」

  よくできましたとばかりに、ブラッドが先生染みたスマイルを向ける。背筋を冷気が駆け抜けた。

 

「たっだいまー! なになにー? なに話してるんだよ、ブラッド。俺も混ぜてくれよっ」

  出た。何でわざわざタイミングを見計らったように現れるのかな、このウサギさんはっ。

「やあ、お帰り、エリオット。ちょうど良いところに。お嬢さんが大変なんだ」

  恭しく私の背を、エリオットに向けて押す。気分は生贄の子羊だ。いや、子ウサギか。

「え? どうしたんだよ、アリス?!」

  ご機嫌な様子で帰ってきたエリオットは、見る見る剣呑な気配を表してくる。双肩をがっしと掴まれて、身動きどころか視線を外すことすらできない。

「なっ、何でもない! 何でもないわ」

「何でもなくねーって! 何がどう大変なのか、俺に教えてくれよ! 誰かに何かされたのか? もしそうなら……許さねえ」

  声のトーンが低くなる頃の後半は、もう銃を握っている。

 

「落ち着け、エリオット。お嬢さんは軽い風邪を召されたらしい。本人の自覚症状が無いようだから、看病を頼むよ。仕事は他の奴に回しておいてやる」

「ひいてないわよ! エリオット、騙されちゃダメよ。私は健康よ、元気ハツラツなのよ!」

「え? なんだよ〜、驚かせんなよ」

  暗かった表情が、花を散らすようにぱっと明るくなる。大の男に花を散らしてはいけない気がするのだが、ウサギさんなので許される。

「でも本当に良いのか、ブラッド? 俺がアリスの看病しても」

「聞けよ」

  エリオットの耳は、ご主人様の声しか聞こえないらしい。

 

「いいに決まっているだろう。アリス、大丈夫だ。私も後で君の顔を見に行ってあげるからな」

  私を覗き込むブラッドの顔は……超嬉しそう。私の運命を思うと、笑いが止まらないんだけど、堪えてるような顔。あんまりにも腹に据えかねたから、体重をかけるだけかけて、ブラッドの足を最大限に踏んであげた。短い悲鳴が上がる。

「ふ……相変わらず、凶暴なお嬢さんだ。地獄のフルコースを完食した後に同じことができるかな?」

「いくらでも。お好きなだけ踏んであげるわ」

  私の負けん気な発言に、ブラッドは顔を引き攣らせながら、足をさすっている。

 

「それでは、完食した暁に(生きていたら)また会おう」

  そうして、エリオットに連れられて、私は自室に戻ったのだった。この後に見舞われるであろう、オレンジ色の地獄を覚悟して。

 

 

 余談ではあるが。ブラッドの体調は本当に思わしくなく、後で倒れてしまった。そして二人仲良く、エリオットに『看病』されたのだった。人を呪わば穴二つとは、よく言ったものである。

説明
「ハートの国のアリス」の二次創作SS。帽子屋ファミリー中心のコメディに始まり、コメディに終わるお茶会です。
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コメント
ありがとうございました!(柊)
すごく読みごたえがあります !(^^)!  (momoti)
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