恋愛小説
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「あ……」

「あ、すみません。どうぞ」

「あれっ? 由里子?」

「え、?」

「あ、いや。早川、由里、子……さん?」

「あ……、何だ、偶然だね。どうしたの?」

「いや、おまえこそ、何で紀伊国屋に?」

「え、あぁ、私は、ほら、今この人の担当だから、ほかの版元のも読んどかなきゃって、それで……」

「あぁ、そっか」

「でもこれ、最後の一冊みたいね。いいわ、あなたにあげる」

「いいのかよ」

「うん。私の分は、社の方で何とか頼んでみるわ」

「あ……元気か? 久しぶりなんだし、これから……」

「ゴメン、これから原稿取りに行かなきゃいけないの。じゃ、また連絡する」

「…………」

 

**************************************

 

「あれっ? 何だ、来てたのか」

「何よ、もう忘れたの。あなたが鍵をくれたんじゃない、いつでも来いって」

「いや、違う違う。そんな意味じゃなくて、ほら、今日おまえ直木賞作家の先生のところへ原稿取りに行くって、さっき言ってたからさ」

「ああ、その事。またいつものとおりよ。結局、あと三時間ほど待ってくれって言われて」

「だから、ここで時間つぶしてるって訳か」

「そっ。あ、ビール冷蔵庫の中」

「気が利くね。おまえも飲む?」

「まさか。これでもいちおう仕事中よ」

「どうだか」

「それより『業』、読ませてもらったわ」

「何だよ勝手に」

「だって、あなたちっとも見せてくれないんだもの。でもまぁ、よく書けてる方よね」

「よく言うよ。誰が読んだって『坊っちゃん』と『カラマーゾフ』のパロディーだって思うぜ」

「けど誰だって、最初は模倣から入るものよ」

「ま、いいか。飲むにはまだ時間が早すぎるよ。喫茶店にでも行く?」

「割り勘?」

「おごるよ」

 

**************************************

 

「私はコーヒー。あなたは?」

「同じでいいよ」

「久しぶりね。ちょうど……、一年?」

「もうそのくらいに、なるかな」

「早いものね。元気だった?」

「うん。そっちは?」

「相変わらずよ。毎日原稿取りに行ったり、アシスタントみたいなことばかりやらされてるわ。好きで入ったんだけど、こうも忙しいとね……時々辞めたくなっちゃう」

「あ、『アトポス』読んだよ」

「本当に?」

「うん。おまえに言われて今年はずっと推理小説を読んでた。結局百冊くらい読んだと思う。でもやっぱり、俺には合わないかな」

「ふぅん。……ね、何が一番面白かった?」

「『水晶のピラミッド』かな」

「……そう?」

「うん。ちょっと『ギリシア棺の謎』に似てるような気もするし。まんまと騙されたよ」

「そうかな? あそこまでレッドへリングも多くないと思うけど…」

「まぁね」

「それに『ギリシア棺』の方は、不親切だわ」

「そう?」

「そうよ。私なら『オランダ靴』の方が好きね」

「『オランダ靴の謎』は簡単すぎるよ。あまりにも純粋に書かれ過ぎてる。誰がやったのかが、すぐ分かっちゃうもの」

「そうかしら?」

「そうだよ。って言うより、登場人物だって多くないから、この人しか行うことができないっていう状況が整い過ぎちゃってると思う。ほら、おまえ言ってたじゃん。推理小説の醍醐味は最後の最後で、まさかこの人がっていう人間が犯人だと指摘された瞬間と、その謎が、論理的に解明されていく過程にあるって」

「それは……、そうだけど」

「『ギリシア棺』の方が、まさにそれに当てはまると思わない?」

「うーん、確かにそうかも知れないけど、でも私は『アトポス』の方が好きなの」

「どうせ、あの砂漠のシーンだろ」

「大正解! だって白馬よ、白馬! まるで『アラビアのロレンス』みたいじゃない」

「あんな奴、絶対にいないよ」

「だからいいんじゃない。だって登場人物が皆、『七つの棺』の黒星さんみたいだったら夢がないわ。女って、せめて小説の中だけでも夢が見たいのよ、きっと 」

「だったら『君を見上げて』や『水中花』の方がロマンチックだぜ、殺人もないし」

「そうかも知れないけれど、やっぱりリアルすぎるのよ、中年男性が書いたものって。私なら『妻への恋文』とか、『ぼくの美しい人だから』の方が好き」

「両方とも、男の作家だぜ」

「うん、でも二人とも若いわ。それに海外だし。ほら、日本人が書いたものって、男でも女でも、ロマンティックなものが少ないでしょう。フィクションと言いつつも6対4か、7対3くらいで、リアリスティックの方に比重の置いてある作品が多いじゃない。文章力や表現力があれば、それでも充分ロマンティックに描かれることは可能だけど。でも、その力が大してありもしない人が平凡な日常を書いちゃうと、無味乾燥で、読んでいて確かに共感って言うのかな、ああ、はいはい、好くあるわよね、こんな事って、って思うことはあるんだけど、そんな、普段の生活で感じたりできるような経験を、わざわざお金を払って買った小説の中でまで、疑似体験したくないわ。やっぱり読んだ途端に、一気に日常とは別の次元に連れていってくれるような、普通の生活にひょっとしたら存在するかしらっていう程度の素敵な主人公が登場するような、そんなロマンティックな小説が読みたいのよ。でも、絶対そんな人いないんだけどね」

「ふぅん。で、おまえにとっての、そのロマンティックな小説ってのが、ハーレクインじゃなくて推理小説な訳なの?」

「それだけって訳じゃないわよ。『細雪』とか『古都』なんかも同じくらい好き。特に千重子と苗子がどっちも主役として書かれてるじゃない。彼女たちの生活と京都の四季が綺麗に折り重なってて、淡く悲しみが溶け込んでるって言うか」

「ありきたりの感想だなぁ。それにどっちも中年男性が書いたものだぜ。……あれ? 禁煙するのやめたんだ」

「私はあなたの持ち物じゃないわ! こんな台詞、あったわね」

「ノーラ……だったかな。あのシーンも確か冬で、クリスマスくらいだった」

「ええ。私たちもあんな風に身分が不釣り合いだったら、もう少しちがってたのかしら」「さあね。でも今より正直にならなくちゃ、うまくはいかないことは確かだと思う」

「『ぼくの美しい人だから』って映画になってるでしょ。見たことある?」

「随分前にね。ラストシーンはいいけど、俺は小説の方が好きかな。おまえは?」

「私にそんなこと言っても知らないわよ。それより、どう? 推理小説もそんなに悪くないでしょう」

「うん、プロットの組み方なんて、特に勉強になるね。結局推理小説なんて昔から、事件が起こって、その犯人を探偵なり警察が突き止めるって言う、極めて単純なものじゃん。でも、いや、だからこそ、その単純な筋をいかに見せるか、最後まで読ませるかってところで鎬を削って発展してきたものだと思うんだ。まさに、ストーリーテリング技術の集大成だと思うよ。でも、来年からは読まない」

「え、どういうこと?」

「去年の今頃、おまえに勧められたとき、じゃあ今年一年だけは、推理小説しか読まないようにしようって決めてたんだ」

「何よ、なんであなたってそんなに極端なの?」

「おまえこそ、そんなに推理小説が好きなら、なんで早川か東京創元にいかなかったんだ? よりによって……」

「私の方が知りたいわよ。両方とも面接で落とされて、結局、まさか入れると思ってなかった今のとこに受かっちゃったんだもの」

「どうせ落ちるだろうけど、記念として受けてみるって言ってたもんな」

「そうね、信じられなかったわ」

「おまえの年って、何人採用したの?」

「実質三人。あとコネか何かで入ってきた人も何人かいるみたい」

「優秀なんだな、おまえは」

「あなたは代助みたいね。親の臑を齧って、時間を持て余して」

「『それから』……か。少なくとも彼よりは自分に正直だと思うけど」

「あなたはちっとも正直なんかじゃなかったわ。それが後ろめたくって私に優しくしていたのよ。だけどそれが自分でも許せなかった。だから私の前からいなくなって……」

「そんなに器の小さい男かな、俺は」

「そうね……。そうかもしれないわ。いつも自分だけは枠の外にいて傍観者気取りで、それでいて相手のことが羨ましくって仕方がないのよ」

「間違った分析じゃない」

「ほら……。そうやってまた他人事のように言う」

「…………」

「いざって時に黙り込むところもよく似てるわ。何か考えているふりをして、何も考えようとしていないのよ」

「…………」

「でも、私はそんなあなたのことが好きだった……」

「……もう、過去形?」

「ねぇ、学校っていつまでなの?」

「え? ああ、今日までだけど」

「クリスマスイブなのに。大変ね」

「レポート提出があったからね。それに社会人よりは楽だよ」

「少しは成長したのね。いつもだったら家で寝てるじゃない。去年のクリスマスなんて、プレゼントも買ってくれなかったわ」

「あの時はどうしても欲しい本があったんだよ。ちゃんと謝ったし、プレゼントだってあとで買ってきたろ」

「プレゼントが欲しかった訳じゃないのよ」

「作者の直筆サイン入りでさ、最後の一冊だったんだよ。本当はその本だけ買うつもりが、本屋にはいるとつい……他の本も欲しくなってさ、分かるだろ?」

「まあね……」

「あれっ? 随分と物わかりが良くなったじゃないか。そっちも大人になったんだな」

「社会人ですから。それより来年の群像、出す気ないの?」

「来年の話をすると、鬼が笑うぞ」

「バカ。でもあなたさえその気なら、私から編集長に推薦するわよ。こうみえても、結構信頼されてるんだから、私」

「まだ俺には早いよ」

「その台詞だけは、昔から変わってないわね」

「…………」

「…………」

「そうだ、おまえそろそろ行かなくていいのか?」

「何よ、急に」

「いや、もうそろそろかなと思って……」

「女の子でも来るの? クリスマスイブだから」

「違うよ、男だよ。ゼミの友達。ほら、実家の田舎が『業』の舞台となる場所だからって泊まらせてくれて……」

「ふぅん……。まあ、今の私には関係のないことだけど……」

「そんな言い方するなよ……」

「だって……。そうね、そろそろ行くわ……」

「駅まで送っていくよ……」

「いいわよ、そんなに遠くないし……」

「…………」

「…………」

「…………」

「そうね……、じゃ、送ってもらおうかな」

 

**************************************

 

「いい天気ね」

「昨日より、少し寒いかな……」

「うん………」

「…………」

「ねえ、覚えてる? 昔もこうやって駅まで送ってくれたの」

「あの時は新宿まで送ってったろ……」

「ううん、そんな昔じゃなくって」

「ああ、二年前くらいだっけ?」

「たぶん、そのころだったと思う」

「ちっとも方向音痴は治らないよな」

「だって、ここの地下鉄の入り口、全然目立たないところにあるんだもん」

「たしかに」

「夜、迎えに来てくれたこともあったじゃない。何でもない日なのにスーツ着て……」

「驚かせようと思ってさ」

「可笑しかったぁ、あれ。何でスーツなのって思っちゃった」

「ウケた?」

「うん、すっごくウケた」

「それだけ?」

「うん……。あと、何だか少し感動しちゃった……」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………今夜、空いてる?」

「え……、だってさっき友達が来るって……」

「いや、イブだから、さすがにあいつも来ないかも知れない。きっと彼女と一緒に過ごすだろうし……」

「…………」

「…………」

「残念でした。これから原稿取りに行って、それから印刷所行ったり、社に戻って打ち合わせしたり校正したりで、たぶん今夜は徹夜になりそうなの」

「そっか……」

「うん……」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「駅……着いたよ……」

「うん……」

「気をつけてな」

「うん……、そっちも、元気でね」

「またな……」

「またね……」

「…………」

「…………」

「…………」

「じゃ、行くね……」

「うん……」

「さよなら」

「さよなら」

「…………」

「電車、来るぞ」

「うん……」

「…………」

「…………」

「…………」

「あ…………」

「…………」

「…………」

 

**************************************

 

「何やってたんだよ、南百瀬。随分遅かったじゃん。もうとっくに時間過ぎて……」

「驚いた?」

「どうして? おまえ、今夜は徹夜で仕事だって」

「驚いた?」

「当たり前だよ、ドア開けたら由里子が居るんだもん」

「はい、ケーキ。チョコムースよ。入ってもいい?」

「あ、うん」

「良かったの? 誰か他の人を待ってたみたいだけど……」

「バカ。男だって言っただろ。……でも、いいのか、仕事の方」

「だって、あんなことするから」

「え、?」

「キス……、」

「え……、」

「キス、あんな所でするから……」

「驚いた?」

「当たり前じゃない。改札のすぐ横よ。人も沢山いたし、駅員さんだっていたし」

「いいじゃん」

「あなたはすぐ帰っちゃったから、いいかも知れないけど、私あそこで少しの間、固まってたんだからね」

「人が沢山いたのに?」

「そう。何であんなことしたのよ、別れた彼女に」

「何で来たんだよ、昔の男の部屋に」

「お返し」

「お返し?」

「そう、あなたを驚かせようと思って」

「これでおあいこ、か」

「……あ、それよ!」

「なにが?」

「分かったわ、あなたの『地方人』って『これでおあいこ』ね」

「よく分かったな。ほら、そんな処に立ってないで、ビールでも飲もうぜ。ってか、おまえが来るならシャンパンでも買っておくべきだったな」

 

**************************************

 

「ねえ、『ホテルニューハンプシャー』に出てきた、あの熊の名前ってなんだっけ」

「ステート・オ・メイン?」

「そうそう。それでさ、一番下の娘が、リリーだったかしら、『グレートギャッツビー』のラストは超えられないって言うじゃない。あれ、あなたもそう思う?」

「そうだな、あれはあれで一つの頂点だと思うよ。でも、本来小説なんて、互いに較べられないものじゃん。出来の良い小説、悪い小説なんて基準は、そもそも間違ってるよ。そんなものはないと思う。あえて言うなら、読後感が面白かったか、面白くなかったかじゃないかな。でもさ、読後感がつまらなくても一文一文はすごく詩的で、あぁ、上手いなって感心させられるやつだってあるし」

「例えば?」

「『ボヴァリー夫人』とか『狭き門』とかかな。その逆に表現は凡庸だけど、読み終わってみると楽しかったってやつがあるだろ」

「例えば?」

「そうだなあ、『日はまた昇る』なんてそうだろうな。彼は描写しないんだ。一般的に言われるように、古典主義的な言葉の節約ってやつさ。あとは……」

「ねえ、」

「ん?」

「……電気、消して……」

「…………」

 

**************************************

 

「そろそろ、帰るね」

「…………」

「…………」

「あれ、口紅変えたの?」

「うん……」

「俺の持論では、濃いグリーンの洋服が似合うことが美人の条件なんだ。濃いグリーンが似合う女性は日本人には少ないだろ。まず相当な色白じゃないと、グリーンに負けて顔色がくすんで見える。とにかくグリーンが似合うことは重要なことなんだ」

「なんだっけそれ?」

「そういうはっきりとしたグリーンを着るのはやめた方がいい」

「どうして?」

「黄色人種はグリーンを着ると顔がくすむ。日本人の中ではかなり似合う方かも知れないけど、全人類の中では相当似合わない」

「どこかで聞いたことある台詞なんだけど、いちおう褒めてくれてるんだ」

「……今、彼氏いるの?」

「……ううん、いないわ」

「俺たちさ、もう一度……」

「だめ。今は仕事が恋人なの。それにあなたいつも言ってたじゃない、愛のないセックスが一番気持ちいいって。きっとお互い、今日みたいに偶然逢う方ががいいのよ」

「でも、トマーシュはサビナじゃなく、テレザを選んだぜ」

「恋が現実に勝てるのは、小説の中だけよ」

「小説や論文の題材と方法の選択は、必ず枚数で正当化されるものだよ。枚数が、重要なんじゃないかな」

「私たち、もう充分すぎるほど、同じ時間を共有してきたわ。それにあなたって、いつもそうやって思いつきで話すから…」

「直感は、ひらめきなんかじゃないよ。それまでに厳密に考え抜いたことから発生するんだ……」

「…………」

「ずっと、好きだった……」

「…………」

「…………」

「……ずるい」

「…………」

「今更、そんなこと言うなんて……、ずるいよ」

「…………」

「だってそうでしょう、あの時、一方的に別れておいて、」

「虫が良すぎることは分かってる」

「だったらどうして今なのよ、あのあと私、あなたのことを忘れようとしたわ。仕事も覚えたし、おいしいワインのあるお店だって、素敵な夜景の見えるバーだって、連れていってもらったわ。口紅も変えたし、香水も変えたし、今は仕事だって忙しいのよ、」

「由里子……」

「あなたはいつもそうやって、突然私の前に現れて、きっとまた突然いなくなっちゃうのよ。ほかにやりたいことが見つかると、私のことなんて放ったらかして。がんばったって、私なんて世間にも時代にも無知だから、あなたについていくのがやっとで、なのにあなたはちっとも振り返ってくれなくて、私はいつも置いてけぼりで……、もうそういう自分は嫌なのよ! あなたのことだってずっと忘れてたんだから! あなたのことなんてもう好きじゃないんだからっ!」

「…………」

「…………」

「…………」

「……ゴメン。私酔ってる……、もう帰るわ」

「お、おい、ちょっと待てよ」

「放してっ」

「きっと俺はきれい事を言い飽きたんだ」

「いつもそうやってけれんな事を言って。私はあなたのことなんかもう忘れたんだからっ」

「由里子……」

「あなたあの時なんて言ったか覚えてる? 俺を待つだけの女になって欲しくない。そう言ったのよ。あなた私にそう言ったのよっ!」

「…………」

「…………」

「…………」

「さよなら……」

「…………」

 

**************************************

 

「はい、もしもし?」

「俺だけど……」

「…………」

「今、いいかな?」

「だめ。忙しいの」

「ビルのすぐ下からケータイでかけてるんだ。降りてこられないか?」

「どうして? どうしてあなたっていつもいきなりなのよ。どうしてそんな所にいるのよ」

「ほんの十分でいいんだ。来てくれないと、ここで大声を出して君を近所の有名人にしちゃうぞ」

「……最低ね。ちょっと待ってて」

「ありがとう」

 

**************************************

 

「それで。いったいどういった御用件なのかしら?」

「お茶でも……、どうかな?」

「私忙しいの。それにあなたのことが嫌いなのよ」

「俺は好きなんだ」

「私は嫌いなの」

「…………」

「…………」

「悪かった、今までのことは謝るよ。おまえじゃないとだめなんだ。このまま別れたら、きっと俺は後悔する。また同じことの繰り返しになる。あれから季節が四つ巡ってまた冬が来ても、気がつくと街でよく似た髪型を捜してしまう。東京には美人も沢山いるけど、頭をよぎるのはおまえの寝姿やほくろばかりなんだ。好きだった花を見かけると、おまえのことを思い出してしまう……。春先にいきなりばっさりと切ってしまった柔らかい髪の匂いも、沖縄の日差しを遮るために買ったサングラスの奥の長い睫毛も、瞳の色も、夜中の電話で受話器から聞こえてくる声も、雑誌のページをめくる細い指先も、スキーで挫いた足も、ホラー映画を見てるとすぐ泣くところも、笑うと左の頬にできるえくぼも、花火大会の時の浴衣の帯の色も、……みんな、みんな覚えてる。そんなに簡単に忘れられないよ。……狡いかも知れないし、今更かも知れない。でも……、俺はおまえのことが好きなんだ!」

「…………」

「…………」

「…………」

「……別れた女のことを、勇気を出してもう一度口説いてるんだ。何とか言ってくれよ」

「…………」

「…………」

「……プレゼントは、持ってきてくれた?」

「……あ、ゴメン。忘れてた……」

「イベントを覚えてないのは相変わらずね」

「恋が現実に勝てるのは、小説の中だけじゃないだろ?」

「そうみたいね。ねぇ、私はあなたにとってサビナなの? それともテレザかしら?」

「ジュリエットだ」

「悪くないわね。あがって。風邪ひくわ。それに私まだ無名のままでいいもの」

「ああ。ところで一つだけ質問してもいいかな」

「?」

「どんな恋愛小説のエンディングより勝るものって何だと思う?」

「……キス?」

「正解……」

「…………」

「…………」

「…………」

 

説明
作家志望と編集者。かつて恋人同士だった二人が偶然出会って……。地の文を省いたシナリオ風に書いてみました
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