銀と青Episode05【紅色聖夜祭】
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これより、儀式を始める。

 

己の血で描くのは八卦の円陣。

四方へ置くのは、守護天使達のシンボル。

 

東方へ火のミカエルを。

 

西方へ風のラファエルを。

 

南方へ地のウリエルを。

 

北方へ水のガブリエルを。

 

 そして中央には、主の血肉を喰らいし槍の欠片を。

 

天使達は共鳴しあい、聖痕よりアダムを呼び寄せる。アダムは寄り代となり、我らが父は再び降輪する。神の為に建てられた大聖堂はペテロ十字と共に贄となり、信者は神の復活を崇め讃える。

 そして主は、自らを貫いた鏃を自らの血肉とするだろう。

 

我は代行者。

神に仕える騎士ではなく、神を導く先導者。

 

我は恐れない。

我は望まない。

我は悔やまない。

 

この身はソナタの為に。ソナタは我が身の為に。

貴方様の御加護を我に。

この献身たる我の魂に貴方様の憐れみを。アーメン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【紅色聖夜祭】

 

 

十二月。街はクリスマスの彩り一色。赤や緑のネオンの雪花が咲き乱れ、鈴の音は人々を祝うように降り注ぐ。クリスマスまであと二日、イヴまではラスト一日。先週から南が丘学園は他より少しばかり早い冬休みに入っており、特に日柄やることもない私は双司さんの事務所に入り浸る毎日を過ごしていた。

 

「そういえば、もうすぐクリスマスですね。私達も何かパーティとかしますか?」

 

折角の世界公認のお祝い事ですし、たまにはこの事務所も彩り鮮やかにしても良いのではないかと思う今現在。しかし。

 

「必要ない。なぜなら、俺には縁のゆかりも存在しないからだ」

 

即答。その間、一秒足らず。うん、もう少しくらい考えてくれたっていいと思います。

 

「……双司さん、即答はあまりにも酷くないですか? パーティくらいいいじゃないですかー。この花のない事務所を、クリスマスくらい明るく彩りましょうよー」

 

 ソファーの上で、手足をバタバタさせながら言う。我ながら駄々っ子である。

 

「……小夜、お前クリスマスの由来は知っているか?」

 

――由来? たしかクリスマスは、イエス・キリストの誕生日とその前夜祭だったはずだ。

 今となっては恋人同士で過ごしたり、家族でケーキを食べて過ごすというお祭りごとみたいになっているが、元々はそんな感じだった筈。って、何かの本に書いてあった。

 

「でも、それがどうかしたんですか?」

 

 双司さんの質問と、飾り付けもといパーティを拒否する理由の関係がいまいちわからない。

 

「宗教というのはだな、人の存在概念を構築する上でかなりの影響力を持つ。たとえば、カトリック教徒の人間と、仏教徒の人間が存在するとしよう。方や絶対神を信仰する、方や複数の神々から成る世界を信仰する。この二人が互いの信じる概念を話し合った場合――どうなると思う? あぁ、勿論互いが自分の意見を曲げるなんてコトは絶対に無い」

 

えっと、つまり。

 

「それは、互いの意見が全く違ってお互いにソレを曲げようとしないなら話はずっと平行線ですよね?」

 

「その通りだ。二つの意見がずっと平行線という事は、その二つの線が交わることはありえない。後にも先にもただ平行に並ぶだけだ。それがどういうことか――解かるか?」

 

「……その二人は仲好くなることは絶対にありえないってことですか?」

 

 結局、どこまで辿っても平行線なら二人の意見が一致したり和解したりすることは無い。でも、それがどうかしたのでしょうか?

 そんな顔をしていると、双司さんはめんどくさそうに小さく溜息を吐きながら口を開く。

 

「以前、秋山香織が言っていただろう? 俺は元々この国の古神、それも科学の発展した現代にまで伝承の途絶えない力神だ」

 

「そういえば、普段はアレですけど神話やオカルトに疎い私ですら聞いたことのある名前でしたね」

 

……本当に普段はアレですけど、と口には出さずに呟く。

 

――彼の物の名をスサノオノミコトと言った。

日本神話において知名度で言えば天照大神と並ぶほどの昔の神様。双司さんと香織との一件があった後日、私は彼の名前について図書館で調べていたことがあった。その中でも最も有名なのが、ヤマタノオロチの神話だろう。

 

 その昔、日本神話における天上の神々が住まうという地――高天原を追放されたスサノオノミコトは、現在で言う島根県――出雲の国の肥河という土地へと降り立った。そこで、彼は後の伴侶となる櫛名田姫という少女に出会うこととなる。

 降り立った地の川の上流から、なにやら人の泣き啜る声が聞こえてくるので向かってみれば、美しい娘を間にして老夫婦が涙を流していた。この出会いが、八岐大蛇討伐の始まりである。

 スサノオが話を聞いてみれば、夫婦の名をアシナズチ、テナズチと言い、娘の名をクシナダヒメと言った。

 夫婦には八人の娘がいたが、毎年八岐大蛇という八つの頭と八本の尾を持つ大蛇が娘を食べてしまう。そして今年も、その大蛇がやってくる時期が近づき、最後に残った娘――クシナダヒメも食われてしまうので泣いていたのだ。

 それを見て、スサノオが何を思ったのかは分からないが――本人に聞く気も無い――クシナダヒメを妻として貰い受ける代わりに、彼が大蛇を退治すると言った。

 

 スサノオが行ったのは、初めにクシナダヒメを大蛇から隠す為に彼女を櫛へと変えて自分の髪に差した。恐らく、自分の身と共にあるのが一番確実に隠し通せると思ったからであろう。次に、八つの門を造りそれぞれに強い酒を満たした酒桶を置いた。これは私の予想だが、大蛇の頭の数に合わせてこういったものを造ったのだと思う。真実は双司さんのみぞ知る。

 そうした準備をして、大蛇が来るのを待っていると八つの山、八つの谷に跨る程の大蛇――八岐大蛇がやってきて、八つの頭をそれぞれの酒桶に突っ込んで酒を飲みはじめた。大蛇がその場で酔って寝てしまうと、スサノオノミコトは十拳剣を持ちて、それを切り刻んだとされる。尾を切った時、剣の刃が欠けた。彼は不思議に思い、尾を裂いてみると中から太刀が出てきた。その後、彼は太刀の一振りを天照大神へと献上した。それこそが、天叢雲剣であり、草薙の剣である。

 

 これが、スサノオノミコトにおける有名な伝承――ヤマタノオロチ退治の逸話である。

 

 図書館などに行けば必ず一冊は記載されているこの国の古代の英雄。今尚、様々な形でその名を世へ伝える荒人神。それが、浅見屋双司という人物の真名であり魔名。

 普段の双司さんを見ている限りでは想像も出来ない――私なんか戦車から見た蟻みたいに小さく見える程の逸脱した存在なのだろう。

 でも、私にとって彼は、料理上手で、めんどくさがり屋で、地味に言動がセクハラ染みていて、基本的にだらけているがいざという時には頼りになる、そんなヒトなのだ。

ぶっちゃけ、昔の話なんか知ったことか。

 

「――それで、ソレがどうしたんですか?」

 

「つまり、俺にとってはカトリックってことだ。言っただろう、平行線だと」

 

 双司さんが仏教でクリスマスがカトリック……あぁ、そういうことですか。

 

「単純に言えば、双司さんってクリスマス嫌いなんですね!」

 

……なんでしょう。なんでそんな頭の可愛そうな子を見るような目で私を見るんですか?って、溜息吐かないで下さいっ!

 何処となくいたたまれない気持ちになり、双司さんの視線から逃げるように窓の外へと目を移した。

 

『もろびとこぞりて』が、窓の外から響き渡ってくる。クリスマスソングとしては代表的な歌だ。

 

Joy to the world! The Lord is cone(もろびとこぞりて)

Let earth receirs her king(迎え奉れ)

Let ev'ry heart perare Him room(久しくまちにし)

And heaven and nature sing×2(主は来ませり)

And heaven, and heaven and nature sing(主は、主は来ませり)

 

瞳をつぶり、聞こえて来る音色に合わせて口ずさむ……たしか、聖歌の第二楽章の曲だったでしょうか?

口ずさみながらそんな事を考えつつ、先ほど粉砕されたクリスマス気分に浸る。

 

「う……うぅ」

 

なんか今、亡者のような唸り声が聞こえてきたんですけど。

 

「さ……小夜……」

 

今度は空耳では無い。たしかに私の名前が呼ばれた。この謎の唸り声の主から。

口ずさむのを止め、瞳を開く。最初に瞳に写ったのは、黒いスーツを着た何かが床をはいつくばっている姿だった。

 

「……双司さん、床に突っ伏して何してるんですか?」

 

なんと言うか、見た感じ虫の息だ。

 

「小夜……。せ、聖歌は止めてくれ…」

 

双司さんが起き上がろうとした瞬間、ガチャと入口の扉が開き何者かが駆け込んで来る。

 

「ヤッホー小夜ちゃん! さし入れ持ってきたよ!」

 

「ぐふッ!?」

 

あ、踏んだ。

 

「あれ、小夜ちゃんどしたの? そんなポケーっとした顔して」

 

私は走り込んで来た人物――秋山香織の足元を指さしてやる。

 

「……何やってるの浅見屋双司。ノゾキ? だったら灰にするわよ?」

 

「自分から踏んでおいて何言うか。と言うより早く退け、スカートだからまる見えだぞ?」

 

私は思う。この人は毎度毎度一言多いんじゃないかと。

 

ドスンと、何か巨大な物理音が事務所の室内に響いた。

後に残ったのは顔を真っ赤にした香織と、床にめり込んでいる黒スーツの男、そしてなんとも言えない微妙な空気だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで? 珍しいじゃないか。お前が自分からここに来るなんて」

 

「何よ。来ちゃ悪いって言うの?このノゾキ魔」

 

あれは不可抗力だ――と言っても無駄だと経験が悟っている。

 

「まぁまぁ、香織も双司さんも落ち着いて下さい」

 

秋山香織にはもう少し慎みを持てと言いたい。それは小夜にも言えることではあるのだが。

以前、女子高生に夢を持つなと言われた記憶が蘇るが、何となく理由が分かった。

 

「でも香織、本当に珍しいですね? いつもは私が誘わないと来ないのに」

 

「うん。小夜ちゃんのコトだから、冬休みになっても入り浸ってると思ってね。さし入れ持って来たの。浅見屋双司の分は無いけど」

 

「そうですね。香織のスカートの中を覗いた人に、さし入れなんていらないですよね双司さん?」

 

「だから不可抗力だ。第一、覗いたわけじゃ無い」

 

「……ちなみに何色でした?」

 

「――ピンクだ。しかもチェックの」

 

そうして、俺は言ってから気がつく。墓穴を掘ったと。

あぁ、そういえば馬鹿姉貴や櫛名田姫にも――貴方は一言多い――などと言われたことがあったっけか。

 

「――浅見屋双司。貴方、灰になるのと細切れにされるのどっちがいい? この際両方にしようかしら。曲がりにも古代神なんだから――これくらいじゃ死なないでしょ?」

 

事務所の室内の温度が急激に上昇する。

 

「――俺が悪かった。悪かったから炎を仕舞ってくれ」

 

土下座で謝る。我ながら思うが、古神の威厳もひったくれも無い。しかし、この事務所で火事を起こされるよりはマシである。

そんな俺を見下しながら、秋山香織はため息をつき炎を静め短刀をスカートのポケットへと仕舞った。

 

「はぁ、浅見屋双司。貴方一体、床で何してたのよ?」

 

「簡単に言えば、精神衛生上よろしくない歌を聞いて苦悶に喘いでいた」

 

頭の上にハテナマークが飛び交うように、秋山香織は首を傾げる。

 

「あっ、もしかして【もろびとこぞりて】ですか?」

 

小夜が、しまった……という風に問い掛けてくる。

 

「【もろびとこぞりて】って、聖歌の第二楽章よね? それがどうかしたの?」

 

……題名を聞くだけでも忌ま忌ましい。だが、説明しない事には始まらない。

 

「小夜には先ほど軽く話したんだが……秋山香織ならば知っているだろう。聖歌とは本来、正教徒の主へ捧ぐオーケストラだ。そこには一切の不純を含まない。一切の例外は存在しない。そして、一切の外神へ対する慈悲もない。主を絶対と讃えるが故に、灰は灰に塵は塵に。外界の異物に対して例外なく働きかける純潔無垢の音響結界。つまり――」

 

「――あぁ、そういうこと。そりゃ純然たる異教徒の神には効果抜群だわね。自分たちの神域を侵されない為に他者の神域を侵す詩。そりゃ耳を塞ぎたくなるわね」

 

 どうやら小夜とは違い彼女は理解してくれたようだ。

 

「えっ? 香織は今の説明で理解出来たんですかっ!?」

 

「あー、小夜ちゃん。一応私って陰陽道主体の魔術師だからね? 共感したくはないけど、浅見屋双司の言ってることも理解出来るのよ。そうね、例えば小夜ちゃんが風邪を引いたとしましょう。すると小夜ちゃんは身体の中のばい菌をなんとかしようとして薬とか飲むでしょ? 詳しく言うなら、小夜ちゃんの身体に住んでいる白血球――小夜血球がバイキンを排除しようとして熱が出るの。つまりはそういうこと。聖歌っていう異物が、浅見屋双司の肉体を阻害しているの。小夜ちゃんは寝るときにお腹を出して寝たら風邪を引くけど、浅見屋双司は聖歌という詩を聞いたら風邪を引く。理解出来た?」

 

「――何となく言いたいことは分かりましたけど小夜血球ってなんですかっ!? 私の身体にはそんな愉快な名前の細胞さんなんて住んでませんよ!」

 

 その言葉で、思わずミニマムサイズの小夜の大群が、えいやほらと病原菌を退治する光景が思い浮かんでしまった。

 多分、秋山香織も同じ思考に辿り着いたのだろう。口元が今にも噴き出しそうに笑っている。

 

「……小夜血球。大量のミニマム小夜ちゃん――これは売れるっ!」

 

「――売るなっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも、理屈は分かるとしてもアンタ本当に古神でしかも原色の一柱なの? いくらなんでも軟弱すぎないかしら」

 

 小夜がお茶を汲みに席を外している間に、秋山香織がさし入れと称して買ってきたプリンを頬張りながら呟く。恐らく、魔術師然とした会話を彼女にはあまり聞かれたくないのだろう。秋山香織にとって、小夜とは日常――平穏における象徴なのだ。

 

「この時期は毎年信仰が極端に弱まるから仕方が無い。第一、お前だって魔術のキレが落ちているだろう? それだけ、この地に根付いた西洋の信仰は濃いと言う訳だ」

 

「むっ、確かに平常時の半分以下にまで落ちてるけど……。アンタ原色でしょ? なんとかしなさいよ」

 

どうにかなるなら自分自身だってどうにかしたい。

 

「無茶言うな。そもそも、常時【青】の法則を使っていたら世界が塗り替わっている。アレは元来そういうものだ。三千大千世界において、その在り方を定着させる為の楔であり、破壊する為の穴。先月の一件では短時間――それも内界へ向けて使っていたから問題なかったものの、本来おいそれと使うべきものじゃない」

 

「――ちょっと待って。その物言いだとまるで……外世界を肯定するような……」

 

「……少し話し過ぎたか。忘れろ、年寄りの戯言だ」

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ」

 

 どうにも歳をとると口が軽くなるらしい。

 何か喚いている秋山香織をしり目に、俺は立ちあがり部屋を後にする。だが、これは彼女が魔術という化法を身に宿し、生業として行く以上いずれは突き当たる壁だろう。老婆心……という言い方は適切ではないが、自分が手を焼いてやる必要はない……のだが。

 どうにも、出自ははっきりとしないとは言え彼女――櫛名田姫の血脈。俺はソレに世話を焼きたがっているようだ。

 甘い、砂糖菓子よりも断然甘い。まるで天上の姉のようだ。故に。

 

「――ヒントをやろう秋山香織。お前が耳にしたのは、真理の理へ続く投石だ。トリスメギストス、アウグスティヌス、マグス、カリオストロ、ファウスト、クロウリー、安倍晴明、ダルク――数多くの英雄、魔術師たちが求めた無意識下の秘法。アカシックレコード、未知への壁、アカシャ盤、現世界の黙示録であり旧世界の遺物。そして、真世界の設計図。もし、お前がソレに挑むと言うなら……心して懸かれ。でなければ、喰われて終わりだ。せめて、俺と同格になれなければ諦めろ」

 

 平坦に、率直に、音のない声で伝える。

 背後で、息をのむ音が聞こえた。これで潰れるならそれまで。彼女の物語は予定調和のまま終わるだろう。成ればこそ、脱却出来るか……楽しみにしているよ秋山香織。

 そうして、俺は今度こそ部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私――秋山香織は浅見屋双司と名乗る男に対し、二度目の恐怖を抱いた。

 以前も思ったが、アレは決して人間の敵う相手ではない。いや、それどころか人外でも敵う相手ではない。そう、常識という枷から完全に逸脱した存在。陳腐な表現だが、空に浮かぶ星を掴もうとするようなものだ。

 アレで軟弱? 否、そんな訳が無い。彼が部屋を出る前に口にした言葉――それだけで、あの瞬間間違いなく世界が震えた。何故、こんな化物が此処にいるのか。何故、こんな化物が存在するのに、この世界は無事なのか。

 あの瞬間、間違いなく世界という存在は浅見屋双司という男に恐怖したのだ。

 

「――ははっ、なんて滑稽」

 

 気づかぬ内に握りしめていた拳には、大量の冷や汗が浮かんでいる。

 私はどうやってあんな化け物に喧嘩を売ろうとしていたのか。私はどうやってあの化け物に勝つ気でいたのか。戦車と蟻どころではない。蟻ですら、戦車の部品に入り込めばその命を持って不具合程度起こすことが出来るというのに――アレにはそんな常識は存在しない。以前、ボロボロになったアイツは――今なら自分をたやすく殺せる――そう言ったが微塵も思えない。あの時アイツに渡された短刀でだって、先ほどの浅見屋双司という存在を殺しつくせるとは思えない。

 なのにアイツは、自分と同格となれと言った。

 

「何、その夢物語? あんな化け物と同格? うぬぼれるな私。次元が違うとかそういう問題じゃない。アレはヒトには……理解出来ない」

 

 意図せずに口に出た言葉が、さらに私の恐怖を加速させる。

 

「……香織? そんな神妙な顔してどうかしましたか?」

 

 思考の中断。気が付けば、小夜ちゃんが心配そうに私の顔を覗き込んでいた。

 

「何か顔色悪いですよ? 買って来たプリンにでも当たりましたか……」

 

 聞こえてくる小夜ちゃんの声。恐怖とはまるで正反対な、能天気――などと言ったら彼女に失礼か。間違いなく此処にある日常を感じさせてくれる声が身体に染みる。

 

「……うぅん、なんでもない。なんでもないよ小夜ちゃん」

 

 なるべく、今の自分に出せる精一杯の声を出す。どうだろう? 私はいつもの私のように振る舞えているだろうか?

 

「――なんでもない筈がないでしょう。声震えてますよ?」

 

 どうやら、見事に失敗したようである。

 

「そういえば双司さんは何処に行ったんですか? 人にお茶だけ淹れさせておいて頼んだ本人がいないなんて……」

 

 まさかっ! と彼女は声を張り上げる。

 

「双司さん……あの人香織に何か余計な事でもしたんですね!? でないと唯我独尊フリーダムな香織がここまでキャラ崩壊することなんてありえません!」

 

 いや、その評価もどうなのだろうか? 自業自得とはいえ、日常における自分のキャラを多少訂正したくなってきた。ではなく。

 

「い、いや小夜ちゃん。私は大丈夫だから……ね?」

 

 もし、あの恐怖の矛先が小夜ちゃんに及んだら――考えただけでもゾッとする。

 これ以上アイツと彼女を引き合わせてはならない。だって、アレはヒトと共に歩けるものではないのだから。その筈なのに。

 

「なんですかその悪い男に掴まったけど必死に庇うような盲目女じみた言い訳は! 女の子が傷ついていたら大概男が悪いんです! そうに決まってます。それが八割がたの世の中の真理です!」

 

 ものすごい暴論で真理を語られた。

 

「というわけで――私、ちょっと双司さんぶん殴ってきます」

 

 どたばたと事務所の奥へと引っこんでいく小夜ちゃん。

――ちょっ、小夜、いきなりなにを!? って何でパイプ椅子を頭上に掲げる!? ま、待てっ、それは洒落に――。

 

 ガコンと、何やら鈍い音がして静かになった。

 あー、うん、なんだろう。先ほどまでの悩みが一瞬で吹き飛んだような――そんな気がした。

 

「……小夜ちゃんって、たまに常識で測れないことがあるよね」

 

 どこかスッキリしたような笑顔で戻ってきた彼女を見て、そんな言葉が口に出た。

 

「なんか、香織にだけは言われたくないセリフを吐かれた気がしますけど」

 

 ゴメンね小夜ちゃん。私も色々と突拍子のないことしている自覚はあるけど、今の小夜ちゃん程じゃないと思う。

 

「それはそうと、さっき双司さんに聞いてきたんですけど今日はもう帰っていいそうです。別段やることも無いんですって。てことで、どこか遊びに行きましょう!」

 

「えっ? 小夜ちゃん!?」

 

 そう言うと、彼女は私の手を引いて事務所を飛び出す。

 かくして、いつの間にやら私は小夜ちゃんに連れ出されて行くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえば、ネオンって今何してるんでしょうね? 冬休みに入ってから、まだ一度も顔見てませんけど」

 

 香織を連れて事務所を出た私は、特にどこかの店に入るのでもなくブラブラと街中を歩いていた。

 

「彼女なら確か、まだ見ぬ秘境を目指して旅に出るとか言ってたよ?」

 

「ネオンは一体冬休み中で何をやらかすつもりなんでしょうか……」

 

 何となくだが、今空にキランと笑みを浮かべたネオンの幻影が見えた。

 

「なんでしょう。冬休み明けたらアマゾンの奥地で原住民と会ってきたとか言ってる彼女の姿が頭に浮かびました……」

 

「あの金髪なら……ありえなくはないね」

 

 本物のオカルトに身を突っ込んでいる魔術師からのお墨付き程怖い者はないだろう。ネオン、貴女一体何者ですか?

 

Joy to the world! The Lord is cone(もろびとこぞりて)

Let earth receirs her king(迎え奉れ)

Let ev'ry heart perare Him room(久しくまちにし)

And heaven and nature sing×2(主は来ませり)

And heaven, and heaven and nature sing(主は、主は来ませり)

 

 他愛もない話をしながら、聖歌の響く街中を揃って歩く。

 

「そういえば、香織は冬休み明けるまでどうするんですか?」

 

「うーん、私は多分ずっとこっちにいるかなぁ。ちょっと先月の一件で実家はゴタゴタしてて居ずらいんだよね。でもお正月は流石に戻らないと駄目かも。巫女としての仕事もあるし」

 

 という言葉を聞いて思い出したが、香織は本物の巫女さんでした。うーん、これは香織をからかう為にも巫女服姿を拝みに行くしかないのでしょうか。

 

「小夜ちゃんは実家とか帰らなくていいの?」

 

「実家ですか……。私あんまり帰りたくないんですよねー。そりゃ向こうから帰ってこいと言われれば戻るかもしれないですけど、連絡無いなら放置です。多分、双司さんさえ良ければずっと事務所に入り浸ってますね」

 

 食費浮きますし、と言葉を続ける。同時に、一つの妙案を思い付いた。うん、後で双司さんに相談してみましょう。どうせあの人もお正月は暇の筈です。

 

「――なんだろう。今、変な寒気がしたんだけど」

 

 ふふふ、その寒気が現実になることを祈ってますよ香織。お正月、楽しみにしててください。きっと、今の私は相当に黒い笑みを浮かべているだろう。破天荒に被害を被っている私としては、たまには仕返ししてやらないとストレスが溜まるのである。

 

「さて、目的もなく歩くのも疲れてきましたし、どこか喫茶店で休憩しましょうか」

 

 笑みを悟られる前に、私は近場の喫茶店へ彼女の手を引く。お茶でも飲んで、思考を切り替えましょうかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 などと、そんな考えでのんびりお茶を楽しんでいる時にソイツは現れた。

 室内の席が空いていなかったのでオープンテラス。小夜ちゃんは抹茶オレ。私はミルクティー。互いのお気に入りのソレを飲みながら冬休みの今後の予定を立てていた時だった。

 

「――失礼。少々、道をお聞きしてもよろしいかな?」

 

 流暢な日本語だなと、私は思った。外国人特有の訛りというものが無い。まるでテレビの向こう側のアナウンサーが喋っているような声だ。なんかこう、無機質ともとれるし、舞台劇の役者が芝居めいた口調で喋っているようにも聞こえる。

 

「はいっ!? えっと、きゃんゆーすぴーくじゃぱに〜ず?」

 

「黒髪のお嬢さん。私は日本語で喋っているつもりですが、もしかすると伝わっていなかったですかな?」

 

 日本語の問いに何故か舌も回っておらず発音も怪しい英語で返す小夜ちゃんへ、人が良さそうに頬笑みながら問いかける外人の男。

 髪は金髪、瞳はブルー、背丈は長身。服装は――アレだ、教会にいる神父が着ているカソックと呼ばれる衣服。胸元に十字架が輝いているところをみると、恐らく彼は見た目通りの神父と呼ばれる人種なのだろう。外人の男だ。そう、男。

 整っている顔つきを見る限り、こういうのがイケメンと呼ばれる分類になるのであろう。

 

「いきなりで驚かせてしまって申し訳ない。実は……道に迷ってしまいましてね。金見教会病院というところへ行きたいのですが、どちらか道がをお分かりになりますか?」

 

――金見教会病院。それは南ヶ丘市北部に位置する病院の名だ。詳しくは知らないが、総合病院の敷地内に礼拝堂が建てられている、日本にしては珍しい病院である。

 

「あの教会がある病院ですね。それでしたら、今いる道をずっと真っ直ぐに行けば見えますよ。分からなくなったら、十字路になっている所で北って書いてある道を真っ直ぐ進めばいいです。この商店街って、それ以外に道がないから迷うことはないと思います」

 

 声すら発さない私を余所に、小夜ちゃんは男の質問に答えていく。

 

「そうでしたか! 確かこういうのをこの国の諺で……灯台もと暗しでしたかな? いやはや、無知蒙昧とはこのことか。しかし、こうして正しい言を知る機会を与えてくれた君たちと主に感謝いたします。それでは美しいお嬢様方、改めて感謝いたします。それでは……」

 

 そう言って、男は去っていく。そうして、私はようやく息を吐くことが出来た。

 

「結構カッコいい神父さんでしたね……香織?」

 

「あ、うん、どうかした?」

 

「いや、どうかしたのは貴方でしょう。ぼーっとして」

 

「――ちょっと嫌な事思い出しただけ。小夜ちゃん、あんな見た目だけの男に騙されたらダメだよ?」

 

「いきなり何言ってるんですか。って、なんで私の抹茶オレに手を伸ばします!? しかも一気飲み!?」

 

 騒ぐ小夜ちゃんを尻目に、私はカップの中身を飲み干す。ふぅ、少しは気分晴れたかな?

 

「さて、今日はもう帰ろう。と言う訳で、小夜ちゃんもあんまりブラブラしてちゃ駄目だよ?」

 

 よし、今日はゆっくりとお風呂に浸かって寝るとしよう。こういう日はさっさと寝てしまうのが一番である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その連絡を受けたのは、小夜と秋山香織が事務所を出て直ぐのとこであった。

 

「やぁ、久しぶりだね友よ。こうして電話越しとはいえ話すのは百年ぶりくらいだね。元気かい?」

 

「あぁ、お前は聞かなくても元気そうだな」

 

「そこは、君も元気かと聞き返して欲しいところかな」

 

――様式美と言う奴さ。

そう言って、幼さを感じさせるボーイソプラノの声が笑う。その声を聞いていると、夢の国の住人の話を思い出す。あれは何と言ったか。心も身体も、ずっと少年のまま生き続ける妖精の物語。思うが故に、現実から乖離してしまった主人公の喜劇を。

 

「それで、何の用だ? 普段は欧州の山奥に引きこもっているお前が連絡を寄こすなんて、どうせロクなことじゃないんだろう?」

 

「極東の島国に引きこもっている君が言うかい? まぁ、その予想通りロクなことじゃないよ。ボクにとっても、君にとってもね」

 

 少年の声は一息置き。

 

「――実は、教会の連中がその国に入ったらしい。それも、彼の槍の欠片の一つを持ってね」

 

 その言葉に、一瞬時を忘れた。

 

「君の居る極東は歪みが溜まりやすい場所だからね。古来よりそういう話には事欠かない。 だからこそ、穴が空き易い。多分、新しい界でも作るつもりなんじゃないかな」

 

「馬鹿か? 確かにこの国は世界中から見ても穴は空き易い場所だが、だからこそ歪みの均衡が崩れやすい。そんな場所で大掛かりな儀式をすれば、一時的には成功しても直ぐに安定せず崩壊する。それが理解出来ない連中でもないだろう?」

 

 言葉にしながら、俺は今代の教会の総主――法皇ゲオルギウスの姿を思い出す。

 アレは色々とぶっ飛んだ人間だが、頭が悪い訳ではない。むしろアレは人の極致に到達している人間だ。貴重な十三の欠片の内の一つを使って、半ば賭けみたいなことをしでかす訳がない。

 

「仮に成功してしまったら、僕のような死者には一大事だからね。今そっちに向かってるところだよ。それで、君は動くかい?」

 

「……知らぬふりをしておくのも難しい話しだろう。仮に成功でもしてみろ――禁忌や亜種の迫害の時代に逆戻りだ」

 

「――そして、異端者はすべからず排除される。まぁ、そんな事態になるのはゴメンだから僕も動くんだけどね」

 

「お前こっちに来る気か?」

 

「勿論! と言うより、もう領海に入ったところだけどね。あと……一時間くらいで到着するんじゃないかな」

 

 クスクスと、電話口で笑う声が聞こえる。

まるでイタズラに成功した子供のようだ。

 

「君も動くなら、教会の連中が向かった場所を伝えておくよ。確か場所はミナミ……なんて読むのかな? えっ、あぁ。ミナミガオカね。うん、ミナミガオカって土地らしいよ。それじゃ、Auf Widerhoren!(さようなら)」

 

 その言葉を最後に、受話器の向こうからは少年の声が聞こえなくなる。

 

「ミナミガオカって――南ヶ丘のこと……だよな」

 

 よりにもよってこの時期に、この街で、こんな面倒なことが起こる世の中に思わず殺意を覚えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……暇です」

 

 寒さの厳しいお昼下がり。

 香織と別れた私は事務所に戻る気にも自宅に戻る気にもなれず、ブラブラと一人散歩をしているのであった。

 

「もう、香織もなんでいきなり帰っちゃうんですか。そんなにあの神父さん好みじゃなかったんですかねー」

 

 持ち帰り用に買った抹茶オレを飲みながら呟く。

 ほんと、香織どうしたんですかねー。

 しかしながら、これからどうしましょう? 無闇に買い物してお金を浪費するのも気が引けますし。

 思わず俯きながら考え込んでしまう私。道端でそうこうしていると、

 

「あら……貴女?」

 

 ふと、声がかかる。

 誰かと思い顔を上げてみれば――どえらい美人さんがいた。

 

「――あぁ、やっぱり。前に公園に居た子よね?」

 

 公園? はて? 何のことでしょう?

 彼女の言葉に、ゆっくりと記憶を思い起こす。こんな美人さんなら普通忘れないと思うんですが……。

 とりあえず、女性を上から下まで観察してみる。

 ゆったりとした長袖の白いワンピースに、茶色の厚手のコートを羽織っている。裾の隙間から見える生足が。白く美しい脚線を描いている。そして、服の上からでも圧倒的に理解出来ること。うん、スタイルは圧倒的に私の負けです。全体的に線は細いが、出るところはしっかりと出ているし、引っ込む所は引っこんでいる。こう、全体的なバランスで言えば香織やネオンよりも彼女に軍配が上がるだろう。少女ではなく、女性としての魅力の差で。

 自分と比較してしまうと圧倒的な戦力差で叩き潰されてしまうので、極力意識しないようにして今度は女性の頭へと目を向ける。

 見つめられているせいか、ほんのりと頬を赤くしている彼女は同性から見てもトキメイてしまいそうだ。枝毛の見えない長く艶のある黒髪も、彼女のその表情を際立てることに一役買っているように思える。

……長い黒髪?

 

「――黒髪……美人……公園……お姉さん……ブランコ?」

 

「思い出してくれたかしら?」

 

「あぁ! ブランコの幽霊お姉さん!」

 

 その言葉に、女性はガクッと身体を倒した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「たしかに……あの時は幽霊っぽかったのは認めるけど、その思い出し方はないじゃないかと思うの。お姉さん……泣いていいかな?」

 

「私が全面的に悪かったですから、そんな本当に泣きそうな顔しないで下さい! ひしひしと罪悪感に打ちひしがれそうです……」

 

 かくして、無事女性のことを思い出した私です。話を聞けば彼女も暇だということで、以前彼女と出会った公園で世間話でもすることになりました。

 

「はい、紅茶でいいかしら?」

 

「……なんですかコレ。【自前花伝〜きっと君の想像しているミルクを使ったミルクティー〜】って。あまりにもネーミングがぶっ飛んでますね……」

 

「そこの飲料メーカーって、ずいぶん前に消費者に何かの不祥事で随分叩かれたらしくて……。それ以来、何を開き直ったのかずっとそんな感じの商品を出し続けてるのよ」

 

 ほら見て、と女性は自分の持っている缶コーヒーを私に見せる。

 

【ドキッ☆苦味スッキリ暗黒街コーヒー】

 

「暗黒街って何ですかっ! どう見ても苦味をスッキリどころか増長させてますよねっ?!」

 

「それがねー、コレ飲んでみると結構甘口で美味しいのよ。しかも、寝る前に飲むと安眠効果もあるらしいわ」

 

「――暗黒街ってそういう意味ですかっ!?」

 

 眠気覚ましにと飲んでも、安眠効果があるのでは意味が無いだろう。翌朝〆切前のプログラマーがうっかり飲んで、気が付けば朝になっていて精神的に暗黒街行き……イヤ過ぎます。

 

「まぁ、お姉さんは寝るのにはもう飽きちゃったから、あんまり意味はないんだけどね」

 

 そう言って、グイッと一気飲み。

 美人がやると、男っぽい仕草も様になるのが悔しいです。

 

「――ふぅ。そういえば、自己紹介がまだだったわね。私は崎守ミサキ。職業は――家事手伝いってことにしておいてくれると嬉しいかな?」

 

「つまり――ニートですか」

 

「……そうはっきりと言われると傷つくわね。仕方ないじゃない。最近までずっと入院してたんだから」

 

「あっ、ごめんなさい。最近までってことは、もう退院されたんですか?」

 

「うん、と言っても外に出られるようになったのは本当に最近のことだけどね」

 

 やっぱりシャバの空気は美味しいわー、と何処ぞにお勤め後みたいなセリフを吐く。

 

「それで、お嬢さんは何てお名前なのかしら? まさか、人は名乗ったのに自分は名乗らないなんてことはないわよね?」

 

「安心して下さい、その辺りの礼儀はわきまえてます。秋月小夜――南ヶ丘学園の二年生です」

 

「うん、自己紹介良く出来ました。小夜ちゃん……って呼んで良いわよね? まさかこんな所で小夜ちゃんに会えるとは思ってなかったなぁ。あの時は悪い事しちゃったし」

 

「……あの時?」

 

 はて、何のことだろうか?

 

「んー、小夜ちゃんは覚えてなくても無理ないよ。あの後、直ぐに恐いお兄さんが助けてくれたからね。きにしなーい、きにしなーい」

 

「頭を撫でるのは構わないんですけど、そんな小さい子供を撫でる風にするのは止めて下さいっ!」

 

 などと抗議してみても、その手をどかす気になれないのは年上の魔力か。

 結局、しばらくなすがままにされていた私であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、小夜ちゃんは一体何を道端で悩んでいたのかな。お姉さんに話してみない?」

 

 ミサキお姉さんのお悩み相談教室開幕でーす、などと騒いでいる眼前の年上。

 なんだか、最初会った時の印象が見事に吹き飛びそうです。

 

「――別に、悩みなんてないですよ? そりゃぁ、多少考え事していたことは認めますけど……」

 

「ダウト。前に、貴女の空気は読みやすいって言ったでしょう? 見事に顔に出てるわよ……多分根が素直なのね」

 

 そんなに顔に出やすいんでしょうか私……。

 

「見たところ……一緒に楽しくお茶を飲んでいた友人がいきなり原因もわからず帰ってしまって悩んでたって所かな?」

 

「――見てましたよねっ!? 絶対見てましたよねっ!?」

 

「だから顔に出てるって言ってるじゃない」

 

 そんな訳あるか。

 

「――そんな訳あるかって思ったでしょ? あれ、前に会った時も似た様なやりとりをしたような……」

 

 その言葉に、あの時も思ったが顔に出るとかそんなレベルじゃないですこの人。なんというか、思考が全部見抜かれてる気さえします。

 

「ハズレ。考えを全部見抜いてる訳じゃないわよ。そうね……思考パターンの先読みって言った方が正しいかしら。小夜ちゃんは、将棋をやったことある?」

 

「――将棋ですか。一応、ルールくらいは知ってますけど」

 

「それなら理解出来るかしら。将棋って、言ってしまえば最終的には相手が打つ手の読み合いなの。プロの棋士なんかは、常に相手の三手先を読んで駒を動かすって話があるわ。私のも、それと似た様なものなの」

 

「常に会話する相手の三手先を読んで会話しているってことですか?」

 

「そんなものよ。相手の表情、仕草、そして気質からどんな思考に辿り着くか予想して回答する。私の癖みたいなものね」

 

 何事もない風に言っているが、それはとてつもなく馬鹿げたことではないのか。

 思考を予想するといっても人間の性格は千差万別ですし、回答パターンも幾つ予想出来るのか想像もつかない。しかも会話中にそんな高速思考などしていれば、間違いなく自分の口が止まるだろう。彼女のそれは言わば、自分達には想像もつかない並列思考によってなりたっているのだ。つまり。

 

「――あぁ、双司さんみたいなとんでも人間なんですね」

 

「……小夜ちゃん? なんか今、ものすっごい馬鹿にされた気がするんだけど」

 

 違いますよー。馬鹿になんてしてませんよー。ミサキさんって、双司さんや香織みたいなびっくり人間寄りだなーって思っただけですよー。

 

「誰かは知らないけど、多分考えてる人達程私は人間辞めてないと思うわよ?」

 

「――安心して下さい。びっくり人間は皆さん同じことを言いますから」

 

 どこか苦味を潰したような顔で黙り込むミサキさん。うん、これで少しは意趣返し出来ました。

 

「まぁ、本当に悩みって程のものでもないですよ? 友達の帰り方が唐突過ぎて途方にくれていただけです」

 

「ちなみに、どんな別れ方だったの?」

 

 ようやく本題に入れたのが嬉しいのか、目を輝かせている彼女に先ほどの出来事をかいつまんで説明する。ぶっちゃけ、原因があの神父さん以外には思い浮かばない私です。

 

「――あぁ、それなら間違いなくその神父の男性が原因ね」

 

 ミサキさんも同じ回答が出たようでした。

 

「それで、小夜ちゃんはどうしたいの?」

 

「……何がですか?」

 

「だから、お友達が帰っちゃった理由を知ってどうしたいかって聞いてるの。単なる好奇心? 自己満足? それとも偽善心?」

 

 むっ、どういう意味だろう。

 

「小夜ちゃんは気質が読みやすいって前に言ったけど……この問いだけは別。だって――今の小夜ちゃんからは何も読み取れないもの」

 

 そう言うミサキさんの瞳に映り込んだ私は、自分でも驚く程に無表情であった。

 なんだこれは? これは誰だ? 私は何故こんな中身の無い顔をしている?

 ぐるぐるぐると、頭の中で歯車が廻る音が聞こえる。それはまるで、巨大な鋼鉄の扉を開く様な重々しい音だ。

 

「――私は」

 

 言葉が出ない。二の口が紡げない。

 何か気が付いてはいけないものに気が付いてしまった。だが、よくぞ気が付いてくれた。

 そんな背反の感情が、私の視界をモノクロに染める。

 眼前に居る筈のミサキさんが遠い。空が近い。地が底へ落ちていく。そして、思考が海へと流れ出す。

 それ以上はヤメロ。私の思考を現在から飛ばすんじゃない。過去へと誘うな。もう私は、ヒトなんだ。

 

 だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから――、

 

「――うん、やっぱり今の無し!」

 

 というミサキさんの声に引き戻された。

 

「ゴメンね、変な事聞いて。まー、お友達がいきなり挙動不審になったりしたら心配だもんね。友情っていいなー」

 

 何か満足したと言うように笑うミサキさん。

 私、今何をしてましたっけ?

 

「……ミサキさん?」

 

「でもあの怖い怖いお兄さんが気に入る訳がやっと分かったわ。限りなく完成された不完全。ピースの足りていないパズルってところかしら? 完成したらどんな色になるのか楽しみで仕方が無いわね」

 

 彼女はそう言うと、私に背を向けて歩きだす。

 えっ、良く分からないこと言ってそのまま帰っちゃうんですか!?

 

「――あっ、大事な事言うの忘れてた」

 

 と、足を止め首だけ振り返り、

 

「小夜ちゃんのパズルが完成したら――また夢幻の回廊にご招待してあげる。完成後なら、あのお兄さんも手は出してこないでしょうしね」

 

 などと、またもや意味のわからないセリフを残して去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よく来てくれた、秋山香織。いきなり呼び出して済まなかったな」

 

 小夜ちゃんと別れた後、再び事務所へと足を運んでいた。

 理由は単純。帰ってお風呂にでも入ろうと思った矢先、この男――浅見屋双司にいきなり呼び出されたのだ。

 

「……いきなり何の用よ。私だって暇じゃないんだから、つまらない内容なら帰るわよ?」

 

 彼への拭いきれない恐怖を抑えつけながら、せめてもの反抗として憎まれ口を叩く。

 そんな私の内心を余所に、彼はタバコの煙を吹かしながら何かの書類と思われる紙束を差し出してきた。

 

「なにこれ、私に書類整理でも手伝えって言うの?」

 

「違う、中身に目を通してみろ。先ほど纏めた、この街で起こるであろう厄介事とその結果予想図だ」

 

 厄介事? その言葉に首を傾げながらも、私は言われた通り紙束の内容に目を通し――息を飲んだ。

 

 

 

 聖槍の欠片を用いた儀式魔術予想

 

 

 彼の者を貫いたとされる槍の欠片を持って、教会の人間が南ヶ丘へ侵入。

 ローゼンクロイツの予想によれば、欠片を用いた大規模儀式魔術行使の為だと思われる。

 予想される儀式の内容は三つ。

 

 一つ、欠片を用いた信仰力の上昇儀式。

 しかし、信仰力を向上させるだけなら、わざわざ極東の島国にまで足を運ぶ必要性が存在しないので目的としては却下。

 

 二つ、欠片を利用した降霊術の行使。

 極東の島国の特徴一つである歪みを利用した、降霊、もしくはそれに伴う蘇生術の使用。

 だが、この行為も歪みを利用する上で最適とは言えない。なぜなら、歪みを利用し蘇った者は、また歪むからである。潔癖症とも言える教会の連中が、わざわざ歪な存在を呼び戻す為に術を使うとも思えない。

 

 

 三つ、これが最も可能性が高く、可能性が低い内容である。

 

 大規模異界創造魔術【再誕ノ贄】

 

 位相空間論という学術理論がある。

 これは、開集合と閉集合、コンパクト性と連結性、点集合における幾何学理論など実数世界における現象がなにかしらの連続性――つまり法則性に則って起こっているという概念である。

 分かりやすく言えば、一見無意味とも思える行動が先を見てみれば利益に繋がっている……と表現した方がいいのだろうか。

 すなわち、物質、精神、全ての事柄は点と点、線と線で幾何学的に結びついているという集合論だ。

 【再誕ノ贄】という術は、この法則を反転させる。

 繋がり合った要素数同士を反発させ、亀裂を生み出す。繋がりという法則に則っていた事象は、これにより繋がりが失われ崩壊する。

 そうなると、どういった事が起こるのか。繋がりを断たれた部分には穴が開くのだ。

 風船を膨らませようにも、穴が空いていればそこから空気が漏れだしてしまう。血液を循環させようにも、穴が空いていれば血が流れ出してしまう。

 それでは、【再誕ノ贄】が行われた空間そのものに穴が空いてしまえばどうなるか?

 答えは簡単だ。その部分の物理法則が崩壊していく。いや、その場所だけ新しい法則が誕生すると言えるだろう。つまり、新しい世界というものが産まれるのだ。

 一歩間違えれば、自分たち以外の他勢力全てを敵に回すような所業だが、成功すれば新世界の王ともなれる方法。恐らくは、かつて絶対的であった主の威光を用いた世界を創る気なのだろう。仮に安定せずに世界という形を成さなかったとしても、主の降り立った地として新たな聖地と祭り上げることが出来る。

 しかし、あの現法王であるゲオルギウスが、このような強硬手段を用いるかというところで疑問が残る点ではある。

 

 

 

「……これは、どういうこと?」

 

「どうもなにも、書いてある通りだ。先ほど旧友から連絡があってな……どうにも厄介事が始まるらしい」

 

「厄介事ってレベルじゃないでしょう!」

 

 紙束を机に叩きつけながら叫ぶ。この内容が本当のことなら、間違いなく各魔術師や異能者達の勢力が動く。そうなれば、南ヶ丘にはそいつらが押し寄せることになるだろう。

つまり、この街が――戦場となる。

 

「冗談じゃないわ。貴方、この街を戦場にする気? 今回に限っては間違いなく一般人にも被害が及ぶ……小夜ちゃんだって、巻き込まれる可能性があるのよ!?」

 

 自分達の領域どころか世界すらも侵されると知れば、なりふり構っていられない戦争が起こる。最悪、この街ごと更地になるかもしれない。

 

「進んで戦場にさせる気はないが、残念なことに俺に連絡を寄こしたのは死者の都のローゼンクロイツだ。それにヤツは既にこの国に入っている。遅かれ早かれ、何か起こるだろうな」

 

「――何でアンタはそんなに落ち付いていられるのよ!? 自殺願望でもある訳?」

 

「そんなつもりはないさ。だが、焦っても仕方あるまい。そういう君はどうする? このまま傍観しているつもりか? それとも、魔術師らしく動くつもりか?」

 

 その問いに、私は間髪入れずに答えた。

 

「冗談じゃないわ。この街でそんなふざけたことやらせる訳ないでしょ?」

 

 この街には私の友人がいるのだ。たとえ浅見屋双司が動かないとしても、私が動く。みすみす小夜ちゃんを危険な目に合わせてなるものか。

 

「良く言った秋山香織。これで俺も動き易くなるというものだ」

 

――はっ?

 

「いやはや、お前がそう言ってくれて助かったよ。事情が事情とはいえ、古神が表舞台に出てくるのは少々問題があるからな。これで心置きなく――暗躍できる」

 

「えっ、アンタ動く気ないんじゃなかったの?」

 

 私の言葉に、彼は眉を潜める。その表情は、私が何を言っているのか心底分からないといった感じだ。

 

「俺がいつ自分は動かないと言った? 他の場所ならまだしも、拠点であるこの街で直接動くのは少々危険だったのでな。大ぴらな理由が欲しかったところなんだ」

 

……確かに、現存する古神がタイミング良く現れたとなると様々な組織が黙ってはいないだろう。その実態の調査、あわよくば神を御する為に人材を派遣してくるに違いない。でも、おおぴらな理由?

 

「まだ分からないのか? 出自は不明とはいえ、お前は櫛名田姫の血族なのだろう。なら、その一派が再誕ノ贄を防ぐために動いたという噂でも流せば、俺の存在がばれても一時的に顕現しただけと思われる。なにせ、生身で現存する古神なんてものは半ば空想の産物になっているからな」

 

 そのくらいの情報操作は簡単だ、などと言ってのける眼前の男。しかし、味方であればこれほど頼もしい人物は存在しない。正真正銘伝説級の化け物に、誰が敵うと言うのだろうか。

 

「さて、お前には俺の眼となり足となってもらう。しかし――再誕ノ贄を行使する程の術者を止めるとなれば、少々力不足だな……」

 

「――って、待ちなさいよ! その言い方だと、まるで私にアンタのパシリになれって言ってるみたいじゃないの!?」

 

「そういえば少し前に読んだ漫画を参考に、時間概念を弄った部屋があったな。あの時はギャグのつもりで作ってみたが、以外にも役に立つものだ」

 

「だから話を聞けー!」

 

 そんな私の叫びを余所に、いつの間にか背後に回った浅見屋双司に首根っこを掴まれる。

 えっ? 何この状況?

 

「よし、これから少し魔術の概念のイロハを叩き込んでやる。心配するな、ただマシな戦いが出来るように鍛えてやるだけだ。あぁ、ついでに火乃迦具鎚も持ってこい。どうせ実家に奉納しなおしたんだろう? 移動用の魔力は貸してやるから早くしろ」

 

 えっ、なにそれ恐い。

 ずるずると、そのままなすすべもなく連れて行かれる私。

 お願い、一言だけ言わせて。

 

「――だから人の話を聞けー!」

 

 そんな叫びが、事務所に木霊するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――S…la…v…e。

 

 薄暗い地下洞窟。

 南ヶ丘――その中心に位置する地下空間に、カソックで身を包んだ西洋人が岩壁の空を見上げていた。

 

「……玉座は近い。しかし、天を浮上させるにはあと一歩贄が足りない」

 

 金の短髪を掻き上げながら、男は呟く。

 

――Ra…g…ie.。

 

「これ以上は贄は望めぬだろう。ならばどうするか。内が足りなければ外から持ってこればいい」

 

――na mas…ter mi…seric…or。

 

「先人は良い言葉を残した。ゴルゴダの模倣は既に完成している。つまり、私は儀式の為の翼を造り上げればよい」

 

 男は指揮者がタクトを振るうように、虚空へ向かい腕を振るう。

 

「――あぁ願わくば、み名尊まれんことを。み国来らんことを。み旨の天に行わるる如く、地にも行われんことを」

 

 と、声を止めた。

 

「……いけないな。あぁ、いけないな。折角の私が主へ捧げる詩が台無しじゃないか。ほら、伴奏を止めては駄目だよ」

 

――ユルシテ……タスケテ。

 

――イタイノ……モウラクニシテ。

 

 薄暗い空間から声が聞こえる。それはまるで男の声に答えるように、壊れたラジオみたいな音を出していた。

 

――ユルシテ……タスケテ。

 

――イタイノ……モウラクニシテ。

 

 神様に救いを求める亡者の声。まさしくそう言って過言ではないだろう。幾つもの音は、洞窟の中を反響して地響きに近い音色を奏でる。

 

「痛いのは嫌だ、苦しいのは嫌だ、自分が不幸になるのは嫌だ。それは人間として正しい感情です。誰しもが楽でありたい、幸せでありたい、幸福が欲しい」

 

 男は語りかけるよう言葉を続ける。

 

「今のあなた方は誠に人間らしい! その願い……素晴らしい程に愚っ直で、青臭い少年のように輝いている! まさしく、ペトサイダ池の水を天使が動かすに値する願いだ」

 

 何処か歓喜するように男は声を上げた。

 そして、岩石の割れ目から洞窟内を日の光が照らす。

 

――光に映ったものは、岩壁一面に張り付けられた人間であった。

 

 老若男女。様々な人間が十字に貼り付けにされ、その身を鮮血で染め上げている。

 

――ユルシテ……タスケテ。

 

――イタイノ……モウラクニシテ。

 

 それぞれの口から零れるのは、生への怨念じみた叫びであり願い。

 この苦しみから早く自分を解き放ってくれ。もう痛くしないで欲しい。いっそのこと殺してくれ。痛い痛い痛い、苦しい苦しい苦しい。

 

「さぁ、主へ捧ぐ磔刑達よ! 共にグレゴリオを奏でよう。我らの日用の糧を今日我らに与えたまえ。人に許す如く、我らの罪を許したまえ。試みに引きたまざらわれ、我らを開くより救い給え」

 

 男の祈りは、磔刑となっている人々を蹂躙するように洞窟内に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、結局ミサキさんとのお話もよくわからないことになってしまった私は、こう言う時はやけ食いに限ると団子屋の全種類セット片手に自宅へと足を進めていた。

 

「み〜た〜ら〜し〜、しょ〜ゆ〜、ご〜ま〜、きなこ〜、三色だんご〜」

 

 すっきぷ、すきっぷ、くるりとたーん。

 自分でも酷いくらいの浮かれ具合だとは思うが、こうでもしないとやっていられないのです。今日に限り現役女子高生としての恥は捨てます。

 

「ぜ〜んしゅる〜い買ったのにぃ〜、なぜ〜かお茶だけべぇつりょうき〜ん」

 

 団子全種類に玉露パック。合わせて合計二千八百円の出費である。

 いいんです。もう今日は何も気にしません。ぷくぷくと太っても構わないんです。体重系なんて怖くないっ!

 

「こ〜んやは一人で、だんごぱ〜てぃ〜」

 

 クリスマス前だというのに、私は一体なにをやっているのでしょうか。

 ケーキではなく団子。うん、花より団子です。団子最高です。もういっそのこと、将来は団子屋目指してみましょうか。

 

「……日本では面白い歌が流行ってるんだね。何て曲名なんだい?」

 

 横からそんな声が耳に届く。

 あぁ、もういい加減にして下さい。今日は厄日なんでしょうか。

 

「残念ながら曲名はありません。しいて言うなら、私に捧げる団子レクイエムです」

 

 そう口にしながら声の主へと首を動かすと――、

 

「団子レクイエムか。食べちゃうんだから確かにそうだよね」

 

 コロコロと、機嫌良さそうに笑う美少年がいた。

 

「へぇ、君が持っているのがジャパニーズ団子か。話には聞いていたけど、見るのは初めてだよ。美味しいのかい?」

 

 歳は十歳前後だろうか。

 肩口で切り揃えられた銀髪がさらさらと風に靡き、成長すれば絶世の美丈夫となることを約束された美貌を際立てている。

 身に付けているライダースーツのような革製の衣服には、ジャラジャラと無造作にチェーンや薔薇の細工をあしらった十字架が巻きつけられていた。まるで自分を鎖と十字架の檻に閉じ込めているようだ。

 しかし、私が言いたいのはそんなことではない。本当に、本当にいい加減にして下さい。

 

「――また外国人ですか! というか今日は妙な人との遭遇率多過ぎですよ! 私何かイベントフラグでも立てました!? お願いですから……静かにお団子食べさせて下さい……」

 

 心からの願いである。少しの傷心も許されないのでしょうか。

 

「えーっと、僕何か悪いこと……しちゃったかな?」

 

 頬を引き攣らせながら謝る美少年。

 うん、無理に背伸びして頭を撫でようとしないでいいですから。もう私のハートが砕けちゃいそうです。るるる〜。

 

「僕でよかったら話だけでも聞くよ? 愚痴だけでも、言葉に出してしまえば多少は楽になるものさ」

 

 見ている側も釣られて頬が緩んでしまうような笑顔で少年は言う。

 話の切り出し方もミサキさんとは大違いです。なんか、久しぶりにマトモな人と会話している気がします。

 

「――って、見ず知らずの外国人にいきないこんな事言われても困るか。ゴメンね、変な事言っちゃって」

 

 なんでしょうこの子。すっごく心が洗われるんですけど。普段濃いメンツに囲まれているせいか、新鮮味が凄まじいです。しかも銀髪の美少年ですよ。ゴメンって言う時なんか、逆にこっちが罪悪感に囚われそうになる表情になるなんてどこまでヒトの心を鷲掴みにするんだって。ではなく。このまま抱きしめて気にしてないよって言ってあげたいというか発育悪いお姉さんは嫌いって聞きかけそうになるというかとにかく私の心が別の意味ではーとぶれいく。つまり、

 

「――愚痴、聞いてもらってもいいですか!?」

 

 こういう結論に至る訳であります。

 

「そう? それなら言ってみて良かったよ」

 

 私も良かったです。その笑顔がすっごく眩しい。

 

「それじゃ、場所を移そうか。フラッド、この付近で落ち付いて会話できて――そうだね軽食なんかも食べられる場所はあるかい?」

 

「それでしたら、この地点から西へ百メートル程進んだ所にある和食処がよろしいかと」

 

 少年の背後から、低い枯れた声が聞こえた。

 いつからいたのだろうか? 燕尾服に身を包んだ白髪の初老の男性。まるで少年に仕えているかのように、彼の一歩後ろに佇んでいる。いや、きっと仕えているのだろう。少年を魅せることを重点的に置いているような雰囲気は、海外小説などに出てくる古参の執事のように思えた。

 でも、そんな人を連れているなんてこの子どこかの御曹司だったりするのでしょうか?

 美少年の御曹司――ネオン辺りが喜びそうなネタである。

 

「君が選ぶ場所なら期待出来そうだね。では、お手をどうぞフロイライン。道案内は彼の役目だけど、エスコートするのは僕の役目だからね」

 

 その言葉に私は、何故彼が自分の友人でないのかと天に嘆くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カコン、カコン。室内にししおどしの音が響く。

 心のオアシスを与えてくれそうな少年にエスコートされて連れてこられたのは、見事にお高そうな日本料亭でした。

 

「どうかしたかい? そんなに緊張しなくてもいいよ。どうせ個室なんだし」

 

――個室だから緊張するんですよ!

 

 明らかに良いお値段がしそうな料亭に連れてこられ、責任者と思われる女性に頭を下げられている少年の姿に呆然として気が付いたら個室で向かい合ってお茶を飲んでいた。

 

「こんな状況……誰が予想出来るって言うんですか」

 

 少年に聞こえないように小さく呟く。

 しかも、テーブルに鎮座しているのはまた高そうな香りを出している玉露と、先ほど私がやけ食いように買ってきた団子である。値段的な意味でミスマッチにも程があります。

 

「それにしてもこのジャパニーズ団子は美味しいね。コレは是非国の同志達にも食べさせてあげたい味だよ」

 

 そう口にしつつ団子を頬張る美少年。こういう姿は年相応で可愛らしい。

 

「君は食べないのかい? 自分で買った団子だろう?」

 

「い、いえ、食べたいのは山々なんですが……」

 

 この場所の空気に負けて喉を通りそうに無いとは言えない。私にはこの子を責めるような言葉は口に出来ないんですっ!

 

「でも僕ばかり食べてるし……。そうだ! 確かこの店にはアンミツってデザートがあったはず。団子のような味なのかは分からないけど、お礼に御馳走するよ!」

 

 そう言ってお品書きを手に取り注文をする少年。

……今、チラリと餡蜜の値段としては恐ろしいケタが見えたのですが。

 

「ふふふ、実はこうやって誰かとゆっくり話すなんて久しぶりなんだ。だから出来ればもう少し肩の力を抜いてくれると僕は嬉しいかな」

 

「……そうですね。折角いいところに連れてきてもらったんですから、そうさせてもらいます」

 

 うん、開き直ろう。それが一番だ。

 正直、明らかに年下であろう少年に愚痴を言うのは良心的にはばかれるものがあるのだが、本人が良いって言うのだ。お言葉に甘えるとしよう。

 

「実は最近、私見事に振り回されてる気がするんですよ」

 

 ずずずと、お茶を啜りながら語る。

 

「確かに双司さん――私の雇い主みたいな人なんですけど――のお手伝いをするってことは、理不尽な事態に巻き込まれる確率が高いのは分かってます。でも、双司さん以外にも私の意志そっちのけで自己完結するんですよ!? 今日だって、一緒に出かけていた友人は何の前触れもなく帰っちゃうし、会ってまだ二回目の人に奇妙な会話された挙句にそのまま私を放置して何処か行っちゃうし……。皆フリーダム過ぎるんです! むしろ双司さんの手伝いするようになってから、そういった不思議な人との遭遇率が高過ぎるんですよ……」

 

 一度口にだしてみれば、以外にも出ててくるストレスの塊。

 今更ながら、自分って結構不満あったのかと自覚します。

 

「……もうお祓いでも頼むしかないのでしょうか?」

 

 実家が神社な友人を思い出すが却下。本人がアレなので、効き目が期待出来ない。

 はぁ、と溜息を吐く私の姿に、少年は顎に手を当て考え込むような仕草をしてから口を開く。

 

「うーん、君にそういう事が起こるようになったのはいつごろからかい?」

 

「いつごろ……。まぁ、奇妙な日常が始まったのは今年の四月位からですけど」

 

 思えば、変な友人や不思議な人と出会うようになったのは四月のあの事件が切っ掛けとも言えなくはない。あの月から、香織やネオンみたいなエキセントリックな人との関わりが始まった。それ以前は、周囲の人たちとは付かず離れずの平凡な日常を送っていた筈だ。

 教師のブラックリストに入れられることも無かったですし。

 

「――なるほどね。そうだな……この国では四月っていうのは出会いと別れの季節って言い表し方があるそうだね」

 

「えぇ、そうですけど」

 

「表現の多様性っていうのはこの国の素晴らしい文化でもあるけど、逆を言えばそれだけ多種多様な解釈があるって意味。また、そのような言い表し方は一種の願掛け染みた力にもなることがある」

 

 あくまで迷信みたいなものだけどね、と彼は言葉を続ける。

 

「星の巡りって言えばいいのかな。そういった風習がある場所では、人の進む未来なんかにも影響してくることがあるんだ。四月という始まりの時期に、その後の起こる未来の方向性を定めてしまった結果――それ以前の行動結果論が崩れてしまう。つまり、周りを取り巻く日常の型っていうのがズレてしまった訳だ」

 

「……それは素直に諦めろってことですか?」

 

「いや、そういう意味じゃないよ。この型っていうのは簡単に変えられるのもなんだ。例えば、危ない所に近づくなって言われた人は大抵二つの反応に分かれる。危ないなら近づかないようにしよう、もしくは危ないっていうなら面白そうだから行ってみようってね。もし、自分の理解の範疇以外のことに関わりたくなければ、ここで行かなければいい。また逆なら、危険を冒してでも行けばいい。もし、平凡な日常を望むなら危うきに近づかずに徹すればいいんだ。その行動一つでこの先の未来は変わってくると思うけど……参考になったかい?」

 

 言いたいことは分かった。もし本当に嫌なら、関わりを持たなければいい。関わりがなければ、私が言っている結果は生まれないのだから。

 

「でも僕の予想だと、素直に今を受けとめる気でしょ? 本当に嫌だと思っているなら、もっと醜い顔で話すのが人間ってヤツだからね」

 

 君、愚痴をこぼしている時心なしか楽しそうだったもの。

 

「……うっ、分かりますか?」

 

 その言葉に、見事に図星を突かれた。

 

「はははっ、そんな君だから僕も話を聞いてあげたいって思ったんだけどね」

 

 こうして話をしていると、自分より少年の方が何倍も年上のような気がしてくる。

 なんというか、見た目の愛くるしさに似合わないくらいに存在感が重いというか。

 

「なんだか、少し気が晴れました。ありがとうございます――えっと、そういえば自己紹介してませんでしたよね?」

 

「――あっ! 僕としたことが大事な事を忘れていた……。女性をエスコートする前に、そんな基本的な事を忘れるななんて……」

 

 この子、見るからに失敗したって顔してるんですけど……。

 その姿か何かどうしようもなく可笑しくて、

 

「――くすっ。そんなに気負わないで下さい。自己紹介は今からでも遅くないんですから」

 

 思わず、笑いながら少年の頭を撫でてしまった。

 

「そんなに気にするのなら、一つ提案です。私とお友達になってくれませんか?」

 

 その言葉に、少年は驚いたように目を見開き――満面の笑みを浮かべる。何か不思議といいことをした気分になれます。

 

「喜んで貴女の友となりましょうフロイライン。僕の名は、クリスチャン・ニコラス・フォン・ローゼンクロイツ。薔薇十字の祖にして開拓者。よろしければ、お名前を教えて頂けませんか?」

 

 おとぎ話の舞踏会であるような芝居がかった動きで手を差し出す少年。

 しかし、その一挙一動は絵本から抜け出してきた貴族様を沸騰とさせるほど様になっていた。だから、ここは私も礼に習うとしましょう。

 

「私の名前は、秋月小夜です。ありがとう、デア クライネプリンツ(小さな王子様)」

 

 そんなやり取りをしながら、しばらく二人でお茶を啜るので会った。

 ちなみに、奢ってもらった餡蜜はとても美味だったことを言っておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 西欧協会、その本部であるローマ・ヴァチカン大宮殿。ヨーロッパの小国に匹敵する程の大きさを持つ、世界最大級の聖堂宮殿だ。

 そんな広大な建造物の地下深くに、大司祭と呼ばれる人々でも一握りしか知らないとされる大聖堂が存在していた。

 名を、サン・ゲオルギウス大聖堂。法皇ゲオルギウスの為に作られた、教会の深部とも言える聖堂である。

 一面をステンドグラスに包まれた広大な室内には、一切の空気の澱みも存在しない。

 まさに、汚れきった地上とは隔離された聖域と言える。

 

「さて、彼は上手くやってくれているでしょうか……」

 

その聖域には玉座が存在していた。

 聖堂内の最深部。聖母のステンドグラスを背後に、この聖堂の主の為の玉座が鎮座している。

 そして、玉座に座っているのは未だ年若い少女であった。

 

「人の歪み、霊脈の歪み、魂の歪み……あらゆる歪みが集まり終着する極東の島国」

 

 彼女が唇を震わせる度に、空は揺れ儚い光達は踊り出す。

 声の主こそ玉座の主であり、聖ゲオルギウスの名を冠する教会の帝。十二億もの司祭と信者の頂点に君臨する法皇である。

 

「一つ一つは小さな因果。だけど、それが繋がり合えば大きな力を生み出す連結世界。人は善を求める心から抜け出せない。人は悪の因果から抜け出せない。白であり、黒であり、灰色であるこの世界。今の世界に――救いはない」

 

 白いドレスを身に纏い、足首まで伸ばされた銀の髪を空に乗せながら少女は謡う。

 

「何故、人は罪から抜け出せないのか。何故、人はがむしゃらに救いを求めるのか。あぁ、私は全てを愛しているのに――何故人はこうも自己愛のみに生きるのか」

 

 カツン、とハイヒールを踏みならす音が響く。

 

「何が悪い? 何が悪なのか? 世界が悪なのか? それとも私が悪なのか? 愛することは罪なのか?」

 

 彼女が自身の細い腕を言葉に合わせて振るうたび、連れられるように光達はステップを変える。

 

「エフェソス、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキア。新天地を求めればよいのか? 罪を洗い流せぬ者は捨て置くのが善と言うのか? 否定することが善だと言うならば私は善すら否定しよう」

 

 故に喝采せよ、喝采せよ、喝采せよと少女は謡う。

 この魂に憐みを、万軍の王は此処に居るぞと声を響かせる。

 

「同胞たちよ! 福音を告げるラッパを掲げよ。蛇すらも共に行きたいと願うのなら、私はそれを受け入れよう。告げる! 剣を掲げよ、槍を突き立てよ、流れ出した聖なる血は全て私が抱きしめよう!」

 

 謡い終えると、聖堂には少女を讃えるように跪いた騎士たちの姿があった。

 その数、十三。それぞれが、彼女を象徴する十字架を背負う騎士達である。

 

「我ら十三槍の騎士キリエ・エレイソン。我らが身は主――法皇リナ・ゲオルギウス閣下の為に魂すらも捧げましょう」

 

 総勢十三の騎士達が、一斉に各々の武器を天に掲げる。

 リナ・ゲオルギウスと呼ばれた少女はその姿を一瞥し、満足そうに笑みを浮かべた。

 

「――しかし、恐れ多くもゲオルギウス閣下。何故、あのような男に東方遠征を任されたのですか? 正直申しまして……あの男は閣下のご意向とは別の意志をしているように思えるのですが」

 

 騎士たちの最前列にいた中年のスキンヘッドの男が問いかける。

 鎧の上からでも視認できる程に鍛え上げられた肉体は、一見しただけでは教会関係者とは思えないだろう。戦場を渡り歩いた軍人――そう言われた方が納得できる風貌で合った。

 

「ふふふっ、貴方の言葉は最もだと思いますよ騎士団長。ですが、私は言った筈です。私は――全てを愛している。この魂に憐みを。共に行こうとしている迷い人を無碍にするなど、私には到底出来ないのです」

 

 では、その騎士が頭を垂れるリナ・ゲオルギウスという少女は一体何なのか?

 いや、彼女という存在を人の尺で測ることすらおこがましいのであろう。

 彼女には、それだけのカリスマと力があるのだから。でなければ、今頃玉座には座っていない。

 

「それに仮に失敗したとしても、彼からすれば本望でしょう。なにせ、不完全とはいえ主を降ろす儀式の一端を担えたのですから」

 

 クスクスと、聖堂に可愛らしい笑い声が響き渡る。だが声とは違い、彼女の表情は妖絶――策略を模索する魔女のような表情を浮かべていた。

 

「まぁ、貴方の懸念するような事態は起こらないと思いますよ?」

 

「と、言いますと?」

 

「だってあの国には――」

 

 彼女は一息置き。

 

「恐い怖い、法則の色を司る青がいらっしゃるんですもの」

 

 年相応の乙女のように、恋焦がれた表情で答えるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 携帯に映る時刻を見れば、いい感じの夕暮れ時。

お土産用にさらに高級餡蜜を三つも貰い今までの不満が見事に吹き飛んだ私は、折角だから皆で食べようと軽い足取りで事務所へと向かっていた。

クリスチャン・ニコラス・フォン・ローゼンクロイツ――長いのでクリス君で良いと言われた――ともメールアドレスを交換しましたし、次に日本に来た時はまたお茶でも飲もうとの約束も交わした。うん、普通のやり取りって素晴らしいことである。

 どうやら彼はこれから行かなければならない所があるらしく、非常に名残惜しかったのだが付き人の人に連れていかれたのだった。本人は見事に駄々をこねていたのだが。

 付き人の人――フラッドさん曰く、普段は非常に聡明な人らしい。あからさまに駄々をこねるなど初めてで、一体何をしたのかと問い詰められた時は正直泣きそうになりました。

 だって、無表情の執事さんが徐々に近づいて来るんですよ? 無駄に圧力かけてくるんですよ? アレで動揺しないでいられるのは双司さんくらいです。

 

「……でも、クリス君って友達少なかったんですね」

 

 心当たりがないので、とりあえず友達になったと答えたのだがフラッドさんはいきなり泣き出してしまった。その時のセリフがコレである。

 

「――ありがとうございます! ローゼンクロイツ様は……何と言いますか部下は沢大勢いらっしゃるのですが、御友人は殆どおりませんゆえ……」

 

 本人に聞かれないようにボソリと呟いたその言葉に、目がしらが熱くなってしまったのは仕方ない。

 あんなに良い子なのに、何ででしょうかねぇ。

 

「でも、このカードは一体何に使うんでしょか?」

 

 ポケットから、去り際にクリス君が渡してきたカードを取り出す。

 金色の金属の板に、十字架に巻き付いた薔薇のレリーフが刻まれているものだ。なんでも、同じマークがある店で出すと役に立つのだとか。

 

 ちなみに、これは年が明けたころに聞いた話だが薔薇十字加盟会社のVIP用カードだったらしい。空港何かで出せば、タダでスイートクラスに乗れるだけの代物だと双司さんが言っていた。このカードを見た後、双司さんは直ぐにどこかに電話し始めたがどうしたのだろうか?

 さておき、いつの間にやら事務所に到着である。

 

「双司さーん、餡蜜貰ったので香織も呼び戻して一緒に食べましょ――って……あれ?」

 

 勢いよくドアを開いてみたものの、事務所の中は静寂に包まれていた。

 何と言うか、人の気配が一切感じられない。

 

「……鍵も閉めないでコンビニでも行ったのでしょうか?」

 

 出鼻を挫かれた気がして、ボフッとソファーに倒れ込む。

 香織がいないのは当たり前だとしても、双司さんが外出するなんて珍しいです。流れてる『もろびとこぞりて』を聞いてあんなに苦々しい顔してたのに……。

 

「うーん、このまま自宅に戻るのも癪な気がします」

 

 と言っても、誰も居ないのでは当初の予定が丸つぶれである。

 本当にどうしようかと悩んでいると、視界の隅――テーブルの影に何か四角い物が映った。

 

「――あっ、ベリアルさん。起きてたんですか」

 

 私の言葉に答えるように、ふわふわと四角い物体が浮き上がってくる。

 それは、赤いハードカバーに覆われた分厚い本だった。

 

――魔王第四写本【ベリアル】

 

 六月ごろに起こったとある不思議体験以来、私が一人でいるときにだけ姿を現すマスコットみたいな人? である。

 個人的に色々と大変な目に遭わされた気がするが、しっかり謝ってくれたので今となっては良き話し相手だ。

 ぼーっとあの時のことを思い返しながら見つめていると、ぱらぱらと本のページがめくれていく。

 

【……もってるソレ、なに?】

 

 そうして、白紙のページに赤いインクで文字が浮かび上がった。

 その光景は、どう見たって呪われていそうなダイイングメッセージなのだが、これがベリアルさんの会話方法なのだから仕方ない。

 

「これですか? 友人にお土産で貰った餡蜜っていうデザートですよ。甘くて美味しいんです」

 

【……あまいって、なに?】

 

「甘いっていうのは……食べると幸せな気分になれる味ですね」

 

 ベリアルさんとの会話は、こういう一問一答形式が多い。

 と言うか、本だからなのか私達が普段気にも留めないような疑問が多いのだ。それに答えている内に、自然とこんな会話形式になってしまったのです。

 

【しあわせ……あまい……】

 

 そう書かれたページを開いたまま、ベリアルさんは空中で身体をゆするような動作をする。こういう所が小動物っぽくてぷりてぃーです。

 そして、新しいページがめくれる。

 

【……たべてみたい】

 

「――いやいや、間違いなくベリアルさん湿っちゃいますからね!? 紙は湿ると乾かしても元に戻りませんからね!?」

 

 この美味しさを食べさせてあげたいのは山々なのですが、流石に本に餡蜜を垂らす訳にもいきませんしねぇ……。

 

【……だいじょうぶ。わたし、まおう】

 

 どこか自信満々に身体を揺らすベリアルさん。

 いや、魔王って名前の本だってことは知ってますけど無理があるでしょう。

 すると、ベリアルさんは新しいページを開き不思議な模様を描き始める。どこか英語に似ているような文字だが違う。とりあえず、日本語でないことは確かなようだ。

 まるで高速コピー機のような音を立てて文字と模様が描かれページがめくれていく。

 そういえば、結構こうやって会話することがあったのに、本のページが減っていない気がするのはどうしてでしょう?

 やはり、双司さんみたいに魔法のようなものを使っているのでしょうか?

 

【……できた】

 

 日本語で文字が浮かび上がり、動きが止まった。

 

【あんみつ……かけて……】

 

 どうやら自殺願望に目覚めたらしい。

 

「――だから餡蜜なんてかけたら間違いなく燃えるゴミの日に出されてしまいますよ!?」

 

 ベリアルさんがバグってしまったようです。

 先ほどまでの動きは、もしかしたら何かしらの動作不良でも起こしていたのかもしれません。

 

【……ちがう。うつわのせいしつ……かきかえた】

 

 浮かぶ文字を見る限り、言ってる事は分からないが何かしたのは間違いないようです。

 

【だいじょうぶだから……あんみつ……】

 

 子供がすがりつくように太ももの上に降りてくるベリアルさん。

 あぁ、こうなっては言う通りにしない限りテコでも動かないだろう。

 

「……本当にどうなっても知りませんよ? 来週ゴミ捨て場に転がっていても責任とれませんからね?」

 

【ワクワク……】

 

 はぁ、と溜息を吐きつつスプーンで餡蜜を開かれたページに垂らしていく。

 

――べちゃり、べちゃり、べちゃり。

 

「――って普通に汚れていってるんですけど!?」

 

 真っ白な空白のページを染め上げていく餡蜜。

 あっ、今頭の中にベリアルさんのエンディングロールが流れました。残念な事に、この不思議な本との付き合いもこれまでらしい。さらばベリアルさん。次に生まれてくる時は、せめて食べ物が消化できる身体になっていて下さい……。

 

「……あれ?」

 

 白を塗りつぶしていた筈の餡蜜が、ゆっくりとスポンジが水を吸い込む様に染み込んでいく。そして、瞬く間に元の綺麗な空白のページに戻ってしまった。

 

【あんみつ……すき……】

 

「……まさか、今のが食事ですか?」

 

 何と言いますか、もうちょっとファンタジー的な食べ方をすると思ったら普通に染み込んでいった。シミすら残って無い所は間違いなくファンタジーなのでしょうけど。

 

【さよ……もっとちょうだい】

 

 雛鳥に餌を与えるような心境とはかけ離れた光景を前に、頬を引き攣らせながら再び餡蜜を垂らす私でありました。まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、この辺りかな?」

 

 時刻は夕暮れ時。

私――秋山香織は現在、この街で一番大きなローマ系の教会がある金見病院まで足を運んでいた。

 理由は単純。昼間に遭った神父が病院までの道を尋ねていたことを思い出したからだ。

 普通に考えて、真昼間から神父の格好をした外国人がいること自体珍しい事だし、何より神父の眼が私には印象に残っていた。

 あれは獲物を見定める目だ。

 値踏みするように、自分にとって価値があるかないかを図る為の視線。昼間に小夜ちゃんを置いてまで帰ろうとしたのは、その視線が妙に身体に纏わりついて離れなかったからだ。

 

「……まるで、タチの悪いストーカーみたい」

 

 浅見屋双司の地獄の特訓を強制的に受けさせられたのだ。もしあの男が黒なら、思う存分ストレスの捌け口とさせて貰うとしよう。

 ここの教会は病棟を抜けた先――丁度病院の裏手に位置する場所に建設されている。その都合上、必ず一度は病棟へと入らなければ行けない作りになっている。基本的に教会への出入りは日中であれば一般公開されているので、誰でも訪れられるようになっているのだ。

 そんな訳で、念のため周りを警戒しつつ病棟の扉を開けたのだが――。

 

「……誰もいない?」

 

 受付も、売店も、診察を待っている患者すら見当たらない。まるで廃れた遺跡を思い起こすかのような静寂が辺りを支配していた。

 これでは、一種の異界だ。この病院は既に現実という枠組みから外れてしまっている。

 自覚した途端、甘くねっとりとした空気が身体に圧し掛かってきた。

 

「……全く、どこのホラー映画よ」

 

 まだ日が沈みきっていないだけマシかもしれないが、気分的にはよろしくない状況だ。病院というのは、諸説より深夜に近づけば近づくほど怪異が発生しやすくなる。

ぶっちゃけ、さっさと帰りたい。

 そんな溜息を吐きつつ、適当に院内を歩き扉を開けてみると診察室と思わしき場所に出た。

 

「これは……カルテかしら?」

 

 恐らく医師が記入している途中だったのだろう書きかけのカルテ。

 外国語――多分英語で書かれたソレの辛うじて読み取ることが出来た場所――日付を確認してみると……。

 

「――一か月前? ちょっと、本気で変な空間に迷い込んじゃった?」

 

 なまじ似た様な術に心当たりがあるので何とも言えない。

 

――忌闇の結界。

 

 対象の座標を意図的にずらし、用意した異空間へと繋げる陰陽術の一種だ。

 私が浅見屋双司に使用した時は神剣のバックアップを使った力技で、強制的に結界内部へと取り込んだものである。その時用意した異空間は陰陽師百人がかりで作り上げた特別製のものだったのだが……数分で破ったアイツはやはり性能的に壊れている。

 

 だが、この病院は違う。

 陰陽術で別の空間座標に用意すべき異空間を、現実の病院そのものを使って塗り替えているのだ。

 つまり、現実の上に異界が存在する状態。それすなわち、この場所が既に一種の異世界――新しい事象法則に則った世界であるということで。

 

「……参った。つまり私って獣の胃袋の中に自分から飛び込んだようなものじゃない」

 

 そう言葉を零し。

 

「――火乃迦具槌神(ひのかぐつちのかみ)」

 

 私は呼び出した神剣を振りおろした。

 燃え上がる室内を一瞥し、刀身に指を這わせ祝詞を紡ぐ。

 

「天ノ国、母たる命を焼きて生まれ出た事は罪なのか」

 

――魔術とは、言わば自身の願望、欲望を事象化させることだ。かつて魔法使いや魔女が恐れられ、迫害されたのはそこのところの性質におけるところが強い。聖教は欲を悪とみなした。では、願うことは悪ではないのか? 祈る事では悪ではないのか? 言い方を変えただけで中身は善も悪も同じだ。そもそも、奇跡も魔術も在り方としては、本来世界を縛る法則から逸脱する為に発生したものなのだから。

 概念操作によるバックアップと神剣のブーストで、一時的にだがお前を本来の魔術を行使できる領域まで持っていく。上手く使えよ?

 

「黄泉ノ国、父に襟首を撥ねられながらも生を願ったのは罪なのか」

 

 私にこの業を教えた浅見屋双司はそう言った。

 つまり彼の言う魔術とは、言わば常識という概念から外れるものということだ。世界を変質してでも打開せよ。【再誕ノ贄】が新たに場を造るのなら、それを塗りつぶしてしまえ。

 

「石祈神、根祈神、石筒之男神、建御雷之神、ミカハヤヒノカミ、ヒハヤヒノカミ、クラオカミノカミ、クラミツハノカミ、マサカヤマツミノカミ、オドヤマツミノカミ、オクヤマツミノカミ、クラヤマツミノカミ、ハヤマツミノカミ、ハラヤマツミノカミ、トヤマツミノカミ。汝ら我が産声を嘆きを肯定せよ」

 

 迷いなどあってはならない。自身に亀裂を生んではならない。絶対の自信と確信こそが、不可能を可能にする唯一の法則。故に、私叫ぼう。

 私の平穏を汚す物など、万象一片焼かれてしまえ。

 

「号砲を上げよ 一切合財焼き尽くせ 我が生は無意味なものではなかったのだと、高天原を紅に染め上げよ」

 

 そして、最後の言霊を口にする。

 

「――火神被殺(カグコウサツ)・八神御刀伊都之尾羽張(ヤガミオントウイツノヲハバリ)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 金見病院地下に存在する大空洞。静寂と暗闇が周囲を蔓延るその場所に、十字架が建てられた祭壇があった。そして、十字架に対し熱心に祈る痩せこけた男が一人。白衣を纏った男の名は金見病院院長、金見ミキオ。

彼は、突如爆音と共に天を焦がす炎を見て歓喜に身体を震わせる。

 

「おぉ、神よ! ついに私を楽園へ誘ってくれるのですのか!?」

 

 熱烈な信教者である彼には、それが天界から地に降りた大天使の炎のように見えたのだ。

彼は歓喜した。あぁ、主よ。我が願いをお聞き下さったのか。自身の部下や同僚、患者達をも供物に捧げてでも願ったこの渇望を聞き入れて下さったのかと。しかし。

 

「――残念。何を嬉しそうな顔をしているのか知らないけど、私は神じゃない。どちらかと言えば堕神よ」

 

 声と共に炎の中から降りてきたのは、年若い少女であった。燃え滾る炎を背後に桜色の美しい長髪を靡かせている姿は、幻想的な美しさを醸し出している。

 だが、金見ミキオは気に入らないのだろう。まるで捨てられているゴミを見るような目で、少女――秋山香織を見つめる。

 

「――誰だ貴様? ここは神聖なる神の光臨なされる祭壇。貴様みたいに、信仰心の欠片も無いような小娘が立ち入ってよい場所じゃない」

 

「信仰心? 一応あるわよ。ただ、アンタとは違う神様だけどね。それで、アンタが黒幕ってことでオーケー?」

 

 地に降りた彼女は、緋色の長剣を突き付けながら男を睨む。

 

「でも、何か腑に落ちないのよね……。あの神父が無関係とは考えにくい。かと言って、アンタが無関係ってこともあり得ない。と言う訳で、キリキリ洗いざらい吐きなさい。そうすれば、命だけは助けてあげる」

 

 どちらが悪役なのか分からないようなセリフを言う彼女に対し、金見ミキオは歪み切った表情で怒声を放つ。

 

「命? 命とは何か? それは神への供物だ! 貴様のような背徳者が口にしてはいい言葉ではない! 故に貴様は、その命を天に返すといい。私が楽園へと至る為の礎となれ!」

 

 その姿に、秋山香織は疲れたように溜息を吐いた。恐らく、まともにお話出来ないヤツほどめんどくさい物はないとでも思ったのだろう。若干、表情がうんざりしているようにも思える。

 

「……あー、もういいわ。私が浅見屋双司に【再誕ノ贄】の核を潰せとしか言われてないし、アンタ間違いなく危険人物だから別にいいわよね」

 

「……何?」

 

「私はアンタを害意と認識する。だから――私の天地開闢にアンタはいらない」

 

 言葉と共に、金見ミキオは肌が焼けるような熱を感じた。

 

「――カ…ヒッ?」

 

 焼ける、焼ける、焼ける。金見ミキオの皮膚が、眼球が、唇が、喉が、全身が、余すところなく紅蓮の衣に包まれる。

 そして、それは彼以外も例外ではなかった。

 病院で彼女が見せたものと同じように、周囲の物全てを巻き込み炎上する。

 

「アンタ、この場所が神聖な場所とか言っていたけどそれは間違い。ここは既に、私の世界よ」

 

 その問いに答える者は既にいない。

 大空洞を支配するのは、陽炎を揺らす炎の壁のみである。

 自分以外誰もいなくなった空間を一瞥して、秋山香織はどこか苦味を潰したような表情をした。

 

「……祭壇が燃えてない。火神被殺が上書きされた? いや、干渉しきれなかった?」

 

「――そんな簡単にこの場を壊されてしまうと困りますからね。折角の主を導く為の儀式場なのです。長年かけて準備したものを壊されるのは、個人的に許容しがたい」

 

「――っ!?」

 

 突如耳に届いた声に、秋山香織はその身を声とは反対に翻す。

 彼女の背後――先ほどまで誰も居なかった筈である場所に、カソックに身を包んだ金髪の西洋人の神父。そう、秋山香織が昼間に出会った男だ。彼は、まるで彼女をせせら笑うかのように、薄い笑みを浮かべながら悠然と存在していた。

 

「ようこそ、力強き極東の魔術師よ。私は貴女の来訪を歓迎致します」

 

 どこか芝居がかった口調で、神父は秋山香織へと話しかける。

 人の気配はしなかった。隠蔽していたとしても、この空間で自分に察知されないことなんて不可能だと、彼女は高速で思考を廻す。

 

「反応も中々のものです。余程高度な鍛錬を積まれたのでしょう。教会の騎士たちと比べて、勝るとも劣らない良い動きだ」

 

 彼女の内心を知ってか知らずか、神父は言葉を続けた。

 

「それに、この異界は少々予想外でした。手の刀剣を触媒にした、自己欲の流出顕現。基礎となっている術式までは読み取れませんが、門を開く為の階位に至っていることに驚きました。余程――貴女は優秀なのでしょう」

 

――自己欲の流出顕現。それこそが、浅見屋双司に与えられた秋山香織の力であり切り札である。それは本来の魔術の在り方であり、その完成型。自己の願望を形にし、それを世界へ強制的に適応させる大魔術。自身のルールを他者に押し付け征服する、ある種の新たに世界を造り出す魔術である。

 

「だからこそ、貴女の魂は良い贄となる。丁度、この【再誕ノ贄】を発動させるのに魔術師の豊潤な魔力が欲しかった所なのです。一般人のソレでは身体ごと取り込んでも――少々力不足でしたものでして……」

 

「――それ以上、口を開くなっ!」

 

 神父の言葉を遮るように、秋山香織は再び異界を形成する。

 火神被殺・八神御刀伊都之尾羽張。彼女が自身にとって害意、悪意、自身の存在を認めぬと認識したモノ。それら全てを例外なく焼き尽くす空間を生み出す力。

 だが、忘れてはならない。神父が起こそうとしている【再誕ノ贄】も、彼女が扱うものと同質の術であるのだから。

 

「……自己紹介が遅れましたね。私の名はリオン。西欧教会法皇直属大司祭ルノワール・リオンと申します。短い間ですが、お見知り置きを」

 

 神父は懐から、金の帯のようなものが幾重にも飛び出す。

 それは、小さな十字架が幾つも繋げられて作られた鎖であった。

 

「東方へ火のミカエルを、西方へ風のラファエルを、南方へ地のウリエルを、北方へ水のガブリエルを、中央の玉座にはみの名を貫きし鏃の欠片を献上したまへ」

 

「天ノ国、母たる命を焼きて生まれ出た事は罪なのか」

 

 秋山香織の祝詞を聞き、神父――ルノワール・リオンは喜悦の混じった笑みを浮かべる。

 

「我らが父よ、願わくばみの名を尊まれんことを。み国来らんことを、み旨の天に行わるる如く地にも行われんことを」

 

「黄泉ノ国、父に襟首を撥ねられながらも生を願ったのは罪なのか」

 

 鎖は神父の周囲を取り巻き、二重三重の円環を構築する。

 

「我らが人に許す如く、我らの罪を許したまへ。そうなるように、そうなるように、与えられし権能と栄光は、汝父と子と聖神へ帰す」

 

「石祈神、根祈神、石筒之男神、建御雷之神、ミカハヤヒノカミ、ヒハヤヒノカミ、クラオカミノカミ、クラミツハノカミ、マサカヤマツミノカミ、オドヤマツミノカミ、オクヤマツミノカミ、クラヤマツミノカミ、ハヤマツミノカミ、ハラヤマツミノカミ、トヤマツミノカミ。汝ら我が産声を嘆きを肯定せよ」

 

 熱と黄金が大空洞に満ちていく。それは形成せし場の押し合いであり、せめぎ合い。

 

「楽園への門を開け、アダムとイヴに閉ざされし天界の道を築きたまへ。奈落へ堕ちし禁断の果実は、我が呼びかけと祈りを聞き届け生命の樹を生み出さん。失われし楽園よ、再び!」

 

「号砲を上げよ、一切合財焼き尽くせ、我が生は無意味なものではなかったのだと、高天原を紅に染め上げよ」

 

 秋山香織は剣を地に、ルノワール・リオンは鎖を天に突き立てる。

 いざ、出で参れ新たな世界。

 

「――Der paradisus(望楽園)・sanctuarium fastus adventus(聖域は祝祭と共に光臨する)」

 

「――火神被殺・八神御刀伊都之尾羽張っ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は理解した。なぜ浅見屋双司は、自分――秋山香織にこれだけの力を与えたのかを。

 使い方を誤れば、彼自身にも牙が及ぶような業を与えたのかを。

 それは、扱えなければ対抗することすら不可能であるからだ。

 

「――私の世界が押し切られる!?」

 

 徐々にではあるが、神父が生み出す金色の波が私の世界を侵食していく。

 なんだアイツの世界は? 押し寄せる黄金の洪水を前に、私は無意識に唇を噛みしめる。

 祝詞を聞く限り、聖教関連の術式がモデルとなっているようだが効力が読み取れない。アレが【再誕ノ贄】だというのならば、現行概念を反転させ破壊する異界の筈だ。だが、そのような現象は微塵も起きていない。むしろアレは、破壊などとは程遠い全てを包み込む包容のような――。

 

「理解出来ない……といった顔をしていますね」

 

 私の内心を読み取ったかのように、神父は口を開く。

 

「貴女は勘違いしていらっしゃる。まぁ無理もないでしょう。貴女は再誕ノ贄に対する認識そのものが間違っているのですから」

 

「……どういう意味よ」

 

「言葉通りの意味です。再誕ノ贄は界に亀裂を生じさせ、新たな界を構築する術とでも聞かされましたか? だとしたら結構――見事に我らの手中で踊ってくれたことを感謝いたします。この術はそのようなものではない。界を生み出すという意味では間違っていませんが、厳密な意味では違うのですよ。これはただ、道を開くだけのもの。そして天主の玉座――楽園への扉を開く為のものです。黄金の道が完成する時、私は天主へと至りメシアとなる。すなわち、私は人にして主と同格の存在へと昇華するのです!」

 

 彼の言葉に呼応するように、黄金の波は勢いを増す。

 

「貴女のソレは……自身が害意と認識した存在を否定し、焼き尽くす世界といったところですか。先ほどの詩歌を聞く限り――産まれた時に母体でも焼きましたか?」

 

「なっ!?」

 

「あぁ、母を焼いて産まれた自分の、なんと罪深きものなのか。どうか自分が産まれたことを肯定して欲しい。罪を背負って産まれた私を、誰か許してくれないだろうか。許さぬならば、私にアナタは必要ない。故に、燃えて消えて無くなってしまえ」

 

 神父の口から漏れるのは、間違いなく私の術の根本をなす言葉。火神被殺を展開する上での、最も侵されてはならない部分。駄目だ。私の心を開くんじゃない。

 

「その願い――実に生命に満ちていて素晴らしい。生まれし命に罪は無い。それを罪だと決めるのは他人です。そして、罪を許すのもまた同じ他人。ですから、私はその願いを聞き届けましょう。貴女の渇望を肯定しよう。さぁ、黄金に身を任せるのです。貴女の魂で最後の一歩を、楽園への扉を開きましょう。そして楽園を地へと降ろし、新世界へと救いの鐘を鳴らしましょう」

 

 揺らぐ。私の世界が揺らぎ黄金に犯されてゆく。

 その揺らぎは、私が求めた安息の揺り籠のようでもあり、身体を、心を溶かしていく。

 

「――ぁ、アンタは、楽園を降ろした後に何を望むの……?」

 

「――救いを。現行世界、三千大千世界、ありとあらゆる森羅万象に救いと恵みと安らぎを」

 

 彼の言葉は、まるで神託のように大空洞に響いた。

 あぁ、彼の言う楽園とやらが本当に幸福をもたらしてくれるのなら素晴らしいことだろう。他者から無条件で与えられる幸せというのは、砂糖のように甘く麻薬のように依存するものだ。

 だけど、だけど私は――。

 

「――認めない。私はそんな受諾するだけの世界なんて――認めたくない」

 

 高みを目指すことなく、他人から与えられた幸せを受諾するだけの世界。ソレは只の停滞だ。停滞の先に、進化は無い。それでは、タダの家畜と同じである。

 

「生憎とは私は――飼われるより飼う方が性にあってるのよね!」

 

 だから、負けるな私の世界。

 アンタが完結した世界で救いをもたらすのなら、私は他を否定することで救いをもたらそう。故に、燃えろ。高天よ、紅蓮に染まれ。

 

「何故、何故この楽園が理解出来ないのか。痛ましい、悩ましい、残念でならない。言葉で分からぬと言うのならば、その身体を持って楽園の素晴らしさを体感して頂きましょう。あなたのような――生ぬるい世界など塗りつぶして御覧に入れましょう!」

 

 力の差が決定的すぎる。

 駄目だ、迷うな。この魔術において、迷いなど致命的なミスだ。一切揺らぐな、私の心。揺らいでしまえば、その時点で敗北する。

 

「――って言っても、もう持たない……」

 

 視界を黄金が包み込む。

 あぁ、悔しい。私では、あの光に届かなかったのか……。

 思考が深い水底へと沈んでいく。

 浅見屋双司、アンタに謝るのは癪だけど――ごめんなさい。折角教えてもらった力でも……私じゃアイツに届かなかったみたい。お願いだから、小夜ちゃんのことだけは守ってね?

 そして、自身の敗北を告げるように紅が散っていく。

 これ以上あがくのは無駄だと、刀を納めようとした瞬間。

 

「――Eins,zwei,drei,vier,funf  Wolfgang Artillerie Zug Feuer!!」

 

 透き通る声と共に、黄金を喰い破る弾丸が宙を駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴方……誰?」

 

 秋山香織は朦朧とした意識の中で、突然の乱入者へと問いかける。

 それは、まだ子供と称してよいほど幼い、銀髪の少年であった。

 この場に乱入してくるような人物にしては異質。いや、それ以前に彼の存在自体が異質過ぎると彼女は思考する。

――彼の纏う気配は、死だ。動いているのに停止している。停止した時間の中で活動している生ける屍。陽気な愛らしい表情に騙されてはいけない。アレは、紛れもなく現世に存在してはならないものなのだから。

 

「……いやぁ、埃っぽいね。なんで大空洞の中とはいえ、地下なんかに祭壇を創ったんだい? 普通、ボス的な意味合いも込めて高い所に作ればよかったのに」

 

 そうすればビジュアル的にも映えるだろう? などと、世間話をするように彼は口を開いた。

 

「ふーん、術式の基盤は四大守護天使かぁ。まぁ、オーソドックスな方法だけど芸がないよね……。せめてガバラ――セフィロトの概念くらい使ったらどうだい? 守護天使を使うにしても、熾天使か死天使の一体くらいは顕現させないと三流だよ」

 

 彼は宙を漂う黄金を眺めながら、つまらなそうに言葉を続ける。

 

「こんな構成じゃ、この法則に囚われた世界を逸脱することなんて出来やしないね。いや、既存の術を使っている時点で結果は同じか……。触媒はその鎖? へぇ、聖槍の欠片を使った倫理武装か。モノは良くても、使用者が駄目だね。見事にただ使っているだけじゃないか。最高峰の素材を使っていても、その本質と用途を理解出来ないようじゃ術者として致命的だよ?」

 

 結論、花丸までは程遠いね。そう言葉を締めくくり、彼は右手に持った銃を構えた。

 

「……ク、クリスチャン・ローゼンクローイツッツツツ!」

 

 少年――クリスチャン・ローゼンクロイツの言葉に、神父――ルノワール・リオンは歪んだ形相で声を叩きつける。

 

「貴様が! 貴様が! 十字を掲げながらリビングデットへと堕ちた貴様が何故ここにいる!? 異端者が! 背徳者が! 貴様のような穢れた存在が、何故! 今尚存在しているのだ!?」

 

 悲観、憎しみ、怒り、様々な感情が入り混じった叫び。

 ローゼンクロイツは、そんな彼の叫びに面倒くさそうに答える。

 

「何故って言われても、どっかの誰かが面倒くさいことこの上ない術を使おうとしたからじゃないか。全く、君が馬鹿なことをしなければ……今頃あの子と一緒に夕食を食べていた筈なのに。数百年ぶりの友人が出来たんだよ!? どう責任取ってくれるのかな?」

 

 と、彼はそこまで口にして。

 

「あっ、でも君が騒動を起こしてくれなかったら日本に来てないのか。そうなると、彼女と僕が出会うことも無かったんだよね……。うん、そこだけは感謝してあげるよ」

 

 ニッコリと、外見通りの純真無垢な笑みを浮かべた。

 

「きっ、貴様ぁ! 馬鹿にするのも大概にしろ!」

 

 怒声と共に、幾重もの黄金の鎖が宙を走る。

 ある束は少年の逃げ道を塞ごうと、ある束は少年の身体を貫こうと鋭利に駆け抜ける。だがしかし、それは銃声と共に無意味な結果となった。

 

「沸点低いなぁ……。後、その鎖の使い方じゃ駄目だって言ったでしょ?」

 

 銃口が狼煙を上げた。そして、火薬の炸裂音。

 

「……うそ。動きが見えなかった」

 

 秋山香織は呆然と呟く。

そして、それはルノワール・リオンも同じだったのだろう。彼の足もとに転がる鎖だったモノが、その事実を悠然と語っている。

 

「君の鎖と同じ、聖槍の欠片を使った銃。本当の聖槍の扱い方ってヤツを教えてあげよう」

 

 銀の少年は銃口を天へと向けた。

 

「――この号砲が、苦難の終わりをもたらす始まりとなった(Diese Waffe hat den Anfang vom Ende Resultat in Not gekennzeichnet)」

 

 ボーイソプラノの声が謡うのは、彼の始まりと終わりを告げる鎮魂歌。

 

「七つの楔に四つの精。巡れ廻れと、金と銀の鍵を手に楽園の門を開く。高慢の性を持ち、嫉妬に身を焦がし、憤怒を悔悟し、怠惰の日々を過ごし、強欲に身を焦がし、暴食に明け暮れ、色欲の抱擁を交わし、黄金の頂へと昇る(Spirit of vier vor sieben Keil. Maigret und Maigret, offnen die Tore des Paradieses, die goldenen und silbernen Schlussel zu erhalten. Sex mit einem Stolz, verbrannte sich um Eifersucht, Wut und Reue zu verbringen ihre Tage in Musiggang, verbrannte sich die Gier, von morgens bis abends Vollerei, Wollust ausgetauscht Umarmungen, und steigen an die Spitze des Goldes)」

 

――大気が脈動した。

 神父や少女の時とは明らかに異なる、世界が呼吸をしたかのように場が変質する。

 

「火焔天より始まり、月天、水星天、金星天、太陽天、火星天、木星天、土星天、恒星天、原動天を巡り至高天へと――天上の薔薇へと集い我が愛を求める(Flamme beginnt im Himmel, Himmel Mond, Himmel Merkur, Venus Himmel, Himmel die Sonne, Mars Himmel, der Himmel Jupiter, Saturn Sky, Kalibrierpunkte und uber den Himmel in den Himmel oberste Motiv - die Liebe, die wir versuchen, Rosen im Himmel sammeln)」

 

 少年の周りを真紅の薔薇が舞い踊り、黄金色を塗り替える。

 この薔薇こそ、彼の祈りであった。クリスチャン・ローゼンクロイツという固体を、極限まで突き詰めた結果であり象徴。全ては一瞬。故に、括目せよ。一が十に及ばないなどと、くだらない夢想を塗り替えよう。聖なる鏃は、世界に対する癌なのだから。

 

「――Longinus Lance(薔薇十字)・Tanz der Toten(死人舞踏会)」

 

 彼を抱く様に、薔薇の十字架が地に刺さった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気が付けば、私は薔薇の絨毯に立っていた。

 別に、比喩でも何でもない。私の――秋山香織の炎を蹂躙した黄金が、一瞬の内に薔薇の放流に吹き飛ばされたのだ。

 吹き飛ばされた黄金の先には一面薔薇の咲き誇る庭園が広がっていた。

 それにあの少年の名を何と言ったか? ローゼンクロイツ? それって、浅見屋双司が言っていた【死者の都のローゼンクロイツ】のことではないか?

 クリスチャン・ローゼンクロイツ。それは、中世のヨーロッパに存在した魔術師の名である。薔薇十字団と呼ばれる魔術師集団を作り上げた始祖であり、魔術、錬金術、その他古代の英知と呼ばれる遺物のエキスパートとも言われた人物だ。また、彼は不老不死の怪物でもあり、そういったモノを標的にする組織などから多額の賞金を懸けられている。魔術を収めるもの達の中ではこういった風評も流れている程だ。

――曰く、ローゼンクロイツに会ったら真っ先に逃げろ。命を喰われるぞ。

 そして、私はその風評の意味を知ることとなる。

 

「――綺麗な花には棘がある。これはどんなに清く美しいものにも、罪が存在する≠チて意味だ。だけど僕は、そんな部分も含めて花を美しいと思う。だって、どんなに罪があっても美しいのには変わらないだろう?」

 

 開かれた庭園の中で、薔薇十字を背に少年は愛おしそうに言葉を紡ぐ。

 これが彼の世界。舞い上がる薔薇の花びらを見て、私は純粋にこう思った。

「……綺麗」

まるで絵画の一枚絵のようだ。薔薇の庭園に佇む美少年。この光景を中世の画家たちが見たのなら、こぞってキャンパスを取り出すことだろう。次の光景を見るまではであるが。

 

「――ぁ?」

 

 神父が呆けた声を上げた。

――枯れている。

 徐々にではあるが、神父の身体が痩せ細っていく。いや、あれは搾取されているのか。

 

「――あぁあああああああああっ!」

 

 自らの身体を抱きしめながら叫ぶ。当たり前だ。自分の身体がいきなり痩せていくのだ。それで叫ばないほうがおかしい。彼の反応は、人として正常な反応だろう。

 

「薔薇は何故赤いのか。それは薔薇が生者の肉を喰らい、棘は生き血を啜るからさ。真紅に染まった薔薇達は、血肉を喰らった証。薔薇十字に喰われた命は芳醇な赤を彩り、僕の魂に還元される。そして、喰われた命は花弁となって軍勢を作り上げる。さぁ――死人舞踏会を始めよう!」

 

 宙を舞っていた花弁たちが集まり、無数の人形を形成する。喰われた命は花弁となって軍勢を作り上げる。その言葉の通りなら、それらは彼が今まで喰らった命であり――。

 騎士が居た、魔術師が居た、学者が居た。

その姿は老若男女様々であり、すべからず瞳に生気というものが宿っていない。あぁ、なるほど。まさにこれは死人舞踏会だ。死者達の軍勢。数千を超える、意思を持たぬ操り人形のレギオン。死者の都の名に恥じない、墓場の王の力である。

 

「でも、君は僕の薔薇達に加える価値はないから――さっさと消えてくれないかな?」

 

「■■■■■■■■――――!?」

 

 その言葉を号令に、人形は神父を蹂躙する。苦悶に喘ぐ声が鼓膜を震わせた。もがき抵抗するも、圧倒的な物量で蹂躙されていく。剣が、槍が、銃弾が、理不尽を思わせる暴力となって襲いかかっていた。

 

「価値はないけど、命が散っていく様は実に美しい。出来れば、その美しさで僕の薔薇園を彩ってくれ」

 

 そうして、彼は神父に最後を告げようと右腕を振り上げる。腕が下された瞬間、軍勢は僅かな情けも容赦もかけずに命を刈り取るだろう。だが。

 

【夜久毛多都伊豆毛夜幣賀岐都麻碁微爾夜幣賀岐都久流曾能夜幣賀岐袁(やくもたついずもやがきつまにやじゅうがくつくるとのやじゅがきを)――天叢雲(アマムラクモ)・天之尾羽張剣(アメノオハバリノツルギ)】

 

 突如頭に響いた声と共に、巨大な鉄塊が無数の人形を粉砕した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 巨大な何かは、見上げても全長の見えない程の大きさを持った剣であった。

あまりの非現実的な大きさに放心していると、再び頭に声が響く。

 

【止めろ。ローゼンクロイツ、そこまでで充分だ】

 

 あぁ、私はその声の主を知っている。正直認めたくないが、その声を聴いて安心……緊張の糸が切れてしまった自分が恨めしい。気が付いたら、私は地面にへたり込んでいた。

 

「……浅見屋、何故止めるんだい? 僕的には、コイツはここで始末しておいた方が楽だと思うんだけど」

 

【それで聖槍の欠片を回収するつもりか? 悪いが、俺はお前に二つも聖槍を持たせる気はない】

 

 言葉に乗せて掛かる威圧感に、思わず息を呑む。

 浅見屋双司は、安易にこう言っているのだ。言葉に従わなければ容赦はしない≠ニ。

 

「……いくらなんでも君を敵に回すつもりはないよ。今の僕じゃ、君には絶対に敵わないからね」

 

 そう言って、彼は薔薇十字を散らせた。同時に、周囲の景色が元の岩壁に包まれた大空洞に戻る。

 

【素直で何よりだ。折角概念を使わないように下準備までしたのに、それが無駄足に終わるのは回避したいところだからな】

 

 私が敵わなかった神父を圧倒的な力で制圧した少年。彼が敵わないと称する浅見屋双司は、一体どれほどの化け物なのだろうか。かつて私と戦った時には、間違いなく手加減をしていたということだろう。でなければ、声と共に掛かる酷く重苦しい重圧の説明が付かない。アイツは、本気で格が違う別次元の化け物だと改めて再認識させられる。

 

【……虫の息だが、一応生きているか。では、術式を始めよう】

 

 キィン、という甲高い音が鳴り大剣がひび割れる。そして、亀裂から青を纏った風の放流が大空洞を包んだ。流れた風は神父を囲むように弧を描いていき、やがて術の陣と思われる文様を映し出す。

 

【意味はないだろうが、傷の治療はしておいてやる。精々、あの小娘に泣き付くといいさ】

 

 そして、神父の姿が消えた。恐らく、浅見屋双司が何処かへと転移させたのだろう。残っているのは、へたり込んでいる私と、死者の都の二人だけだ。

 

「……さて、僕は帰るとしますか。極東の少女よ、君の炎は中々に美しかった。出来れば、次は本来の形で見てみたいものだよ。それと、死にたくなったらいつでも言ってね。君なら、僕の軍勢に加えるのも一興だよ」

 

 ばいばい、と彼は背を向けて去って行った。

 なんだろう。短時間で色々ありすぎて身体が動かない。もう、いっそのことこのまま寝てしまいたい気分だ。

 

「――寝るのは構わないが、シャワーくらい浴びたらどうだ? 女としてどうかと思うぞ、秋山香織」

 

 とりあえず、現在進行形で悲鳴を上げている身体に鞭を打ち、悠々と声を掛けてきた男に向かってドロップキックをかましたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……暇です。眠いです。そして誰も帰ってきません」

 

 ひたすら事務所でゴロゴロしていた私は、すっかり暗くなった窓の向こう側を眺めながら呟いた。時刻を確認してみれば、只今時刻は二十三時五十六分。イヴまで後わずか四分足らずである。こんな時間まで出歩いている双司さんは、一体何をやっているのでしょうか?

 

「――まさか、一人で途方に暮れている若い女性でも捕まえてそのまま……」

 

「……小夜、何の話をしている。発想が中年親父だぞ?」

 

 と、入り口から双司さんの声が聞こえた。

 中年親父とは失礼な。私は一応花の女子高生ですよ? むしろこんな時間まで出歩いて、か弱い女の子を一人きりにした双司さんが失礼です。や、別に事務所に戻ってるとは一言も伝えませんでしたが……。って。

 

「――って、香織!? なんでそんなボロボロになってるんですか!?」

 

 双司さんが、何故かボロボロになった香織を担いで戻ってきたのだった。

 

「やっほー、小夜ちゃん……。ちょっと未知の怪物と遭遇しただけだから」

 

「未知の怪物って双司さんじゃあるまいし……。ま、まさか!? 双司さんにヤられたんですか! こう、欲望のパトスが抑えられなくなった双司さんがそのまま――」

 

「――お前は俺を一体どんな目で見ているんだ?」

 

「そ、双司さんコメカミぐりぐりしないでくださいぃぃいいい! 割れます! 冗談抜きで割れちゃいます!」

 

 香織を担いだままなのに器用である。

 

「とりあえず秋山香織を寝かせるから手伝ってくれないか? 出来れば、濡らしたタオルで身体を拭いてやってくれ。それだけでも気分的に違うだろう。傷自体は処置はしてあるから放置しておいても構わない」

 

 そう言うと、双司さんは奥の部屋へと引っ込んでいった。何があったのかを詳しく聞きたい所だが、今は香織のことが優先である。私は手早くタオルとぬるま湯を張った桶を用意して、香織の服を脱がし身体を拭き始めた。

 

「……小夜ちゃん」

 

 身体に力が入らないのか、されるがままになっていた香織がふと口を開く。

 

「どうしました? もしかして、かすり傷とかが染みましたか?」

 

 首を横に振る香織。

 

「……私ね、頑張ったよね?」

 

 その言葉に、彼女のどれだけの思いが込められていたのか。事情が分からない私には、その込められた内容を理解してあげることが出来なかった。だが、擦り切れた声を出す彼女の姿を見て、ただこれだけは言える。

 

「……そんなになってまで何かやってきたんでしょう? なら、間違いなく香織は頑張りました。事情はわかりませんが、例え誰かが否定しても私は香織を肯定します。だから――香織は頑張りました」

 

 ゆっくりと、香織の身体を拭き続ける。やさしく、労わるように、この子が少しでも気持ちが楽になるように、優しく優しく拭いていく。

 

「……小夜ちゃん、ありがとう」

 

 なるべく、嗚咽に近い声を出す彼女の顔を見ないように肌に布をあてがうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日談。

 

 正直、私は香織――魔術師という人の回復力を舐めていました。

 あれから三日で全快した香織は、ゆっくり休む暇もなく実家に呼び出されたと帰省してしまいました。おかげで詳しい話は何も聞けずじまい。双司さんに聞こうにも、詳しく話す気は無いようです。まぁ、あの人は元々秘密の塊みたいなものなんですが。

 そして、その双司さんも年末は所用があるらしく事務所はお休み。つまり、実家などに帰省する予定のない私は、年末年始は孤独に過ごすことになりそうでした。

 そう、でした。

 

「あれ、小夜にゃん?」

 

 コンビニに寄った十二月三十日の昼下がり。金髪のポニーテールが私の視界に写り込んだ。終業式以来出会うことのなかった友人……悪友『ネオン・夏木=サマーウインド』である。秘境を探して旅立った筈の彼女が、何故こんなところにいるのかはさておき。紆余曲折、私たちはある予定を立てるのだった。

 

――それは、秋山香織神社(仮)初詣計画。

 

 

紅色聖夜祭END

 

 

説明
季節はクリスマス間近。
何時も通りの日常を過ごしていた女子高生、秋月小夜に新しいお友達が出来ました。
そんな背景で、浅見屋双司と秋山香織は一つの事件に相対する。

さぁ、主よ降り立ちたまえ。三千大千世界ありとあらゆる罪と嘆きに救いを、許しを与えたまえ。
新たな界は此処に。開きたまえ楽園への扉。


作品自体初見の方は銀と青Episode1【幽霊学校】からお読みください。
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