飛翔
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 鳥が飛べるというのに、人間が飛べないというのはどうもおかしい。

 昔から考えていた。本当はわれわれも自分の力で飛ぶ能力があって、無意識下にそれを封じ込めているのではないかと。

 それだから、私は思い切って飛んでみることにした。電車に乗って十二分。繁華街の高層ビルの屋上へ。太陽に焼かれた屋上を踏みしめ、鉄柵の近くまでやってくる。階層にして、地上十七階。私は人類の空への自由を証明してみせる。

 眼下では空を飛ぶことをあきらめた人類が這い回っている。目に物見せてくれよう、と意気込んで、私は身体を宙に投げ放った。

 浮遊感はすぐにやってきた。ああ、私は飛んでいる。そう思ったが、体は無気力に落下を始めていた。内臓がいっぺんにひっくり返るような思いがして、気分が悪くなった。

 ここにきて私はようやく、鳥が空を飛ぶメカニズムを頭に思い浮かべることをした。はばたき飛行? グライディング? そういえば、私は「人間の飛び方」を知らない。

 羽ばたこうにも翼はない。滑空しようにも風を受ける翼はない。腕では役不足じゃないか。ならば他の方法をとるしかない。どうやって。

 考えている間にも、私の体は高度を失っている。ああ、まずい。このままでは地面にぶつけてひしゃげてしまう。

 必死に考えた。私には腕がある。足もある。しかし飛ぶための器官はない。なにかしらで代用できぬかとじたばたもがいてみても、文字通りの空回りを繰り返すだけで落下は加速するばかりである。

 私は、人間でも飛べる方法があると信じている。今からそれをやって見せようとしている。だけども、体のどこをつかっても、その方法は見つからない。

 ああ、しまった。研究が足りなかった。口惜しい気持ちがこみ上げてきた。

 私は失敗を信じなかったけれど、この試みは失敗すればそれまでなのである。この瞬間の風の抑圧と重力の偉大さと、ちっぽけな浮遊感のために私は一生分の自由を投げ出した。それに気づいたとき、私は自由の意味が、実は良くわかっていなかったということにも気づいたのだ。

 ああ、やめておけばよかった。

 地上まで数十メートル。私の内蔵は何回転しただろうか。おとなしく地上にいれば一生味わうことのなかった奔流にさらわれて、何回転しただろうか。

 私には何もかも足りなかったのだ。それは、飛ぶ以前の問題だった。

 これから訪れるであろう一切の悲しみから、私は放棄というかたちで解放され、自由を得ようとしている。だが、この表現は正しくない。なにせ私はこれより一切の束縛から解放されて、自由の意味を忘れるからだ。

 ああ、本当にやめておけばよかった。

 簡単な後悔の末に、私はアスファルトに鼻っ柱から突き刺さった。

 

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