Little prayer(1)Ewhoit 中編-2
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 第五章 果てなき夢の果て、眠る楼はついに、

 

 

 

「フラウ兄ぃ、あ〜んっ」

「いいって俺は……自分で食べられるからっ」

 嬉々とした表情で、「あーん」をやって、野菜を俺に食べさせようとするフランを牽制しながら、自分の皿によそった肉を口に運ぶ。うん、うまい。

 あの一戦が終わってから、俺はあり得ない再会を果たしていた。

 フラン。俺の、妹のような存在であり、元ルームメイト。

 正直このスラムで一泊した時から、騎士団に戻れるとは思っていなかったから、時として思い浮かべることはあっても、学校の奴らとは二度と会う事は無いとそう思っていた。

 時間にしては、たった数カ月だ。隊に配属され、初陣で行方不明扱いになっている間に、フランは一学期遅れで騎士学校を卒業したらしい。十二歳での所属は、多分史上最年少だろう。今回の任務の遊撃隊に、支援要員で参加していたのだが、前方が壊滅したせいで遊撃もクソもなく、ずっと物陰に隠れていてあそこに居たのだそうだ。

「しかしちょっと見ない間に……背、少し伸びたか?」

「えへへ。成長期だからねっ。フラウ兄ぃは――なんか、大人っぽくなった」

「そうか?」

「うん、雰囲気がね。前はちょーっと俯瞰的っていうか、妙に冷めてて、たまに何考えてるのか分かんなかったけど……今はやりたいことをやってるって顔してるよ」

 やりたいことをやってる、か。

 俺がこのスラムに居たことについて、フランは何も聞いてこなかった。騎士団内部では俺以外の小隊は全員戦死扱いで、ほぼ戦死と見られていた人物が、敵であるはずのリトルプレイヤーと一緒に居たんだから。

 ちなみにシュカやセトナさんには、フランの事について全部話している。早々にフランの事を認めてくれたのは想定外だったが助かった。さらに、積もる話もあるだろうと、シュカの家を貸し切りにして貰って夕食を摂っている次第だ。他三人は、セトナさんの住まいに帰っている。

「まぁ……フランも卒業できたのは俺も嬉しいさ、ただ――俺はもう、騎士団の一員じゃ、ないんだ」

 皿と箸をテーブルに置き、フランに語りかける。が、フランの方はというと、野菜を口にもごもごさせながら、表情一つ変えない。

「うん」

「いや、うんじゃなくてだからだな……俺は、騎士団に戻るつもりはないんだよ」

「うん。それで?」

 いやいやいや。

 確かにフランは昔から天然で頭が若干弱い部分もあったけど。

「フランお前、騎士団に入ったんだろう。俺は、シュカ達……リトルプレイヤー側についてるんだ。今は何故か成り行きでこうして鍋を囲んでるわけだけど、本来なら即軍法会議だ。言いたいこと、分かるよな?」

 俺が詰め寄ると、フランは幾分不満げに眉根を寄せた。手は鍋の次の素材に向かっているが。

「うーん……フラウ兄ぃは騎士団やめたんだよね? なら、私も騎士、やめちゃえば問題ないんじゃないかな?」

 さらっと。

 そんなことを口にした。

「はぁ!? おまっ、自分が何言ってるのか分かってるのか?」

 四年も学校に通い、兵士としての教育を受けて、ようやく前線に出たと思えばすぐやめてしまうなんて……。

「本気だよ。うん、もう決めた。私、騎士団やめる」

 フランの瞳がすっと細められる。

「待った、せめてもう少し考えてからに」

「いいじゃん、時間なんて無くても。……それに、フラウ兄ぃのことだから、ここに留まるって決めたのもどうせそんなに考えなかったでしょ?」

 うっ。

 た、確かに即日即決だった気がするけど。

「なら一緒だよ。……それに私、孤児だし。記憶も無いし家族も居ない。フラウ兄ぃだけが、ずっと私の傍に居てくれた。もちろんリゼッタやヴィルも居たけどね? だからフラウ兄ぃが卒業しちゃってから、私今まで以上に頑張って。フラウ兄ぃと同じ戦線に立てればいいなって、立ちたいって思った。フラウ兄ぃがやめて、ここに残るなら、私も残るよ」

 フランの瞳は揺るがない。心に揺るぎが見えない。

「……そうか。本気なんだな」

「フランちゃん聞きわけ悪いからね。一度決めたら例えフラウ兄ぃでも止められないよ」

 にひ、と悪戯っぽく笑う。

「はぁ……。そこまで決めてるならもう何にも言わないよ。せめてシュカやセトナさんには話を付けてやる。そこから先、どうするかは自分でどうにかしろよ?」

「本当!? うわーいやったぁ! ひゃっほう!」

 急に立ち上がり、箸を片手に万歳してテーブルの周りをぐるぐると回りだすフラン。

「こ、こら! 暴れるな! あんまり建て付けの良い家じゃないんだから、走り回ったら崩れるかもしれないだろ!」

「おおー! 狭いながら実はお風呂まであるよフラウ兄ぃ! そういえば私ずっと遠征でお風呂入って無かったんだよね! 後で一緒に入ろう!」

「入るか馬鹿!」

 っていうか他人の家に上がりこんでるのに物色し回るのはやめろ。

 

 

「はぁ……なんか色々と疲れたぞ」

 浴槽に半分ほど張った湯船に浸かり、立ち昇る湯気を眺めながら、そう一人ごちる。

 フランとはとりあえず話をつけた。シュカはまだ戻ってこないから……それを待っている間に風呂まで済ませることにした。ちなみにフランは居間で待機。ちゃんとカギも掛けてある。

 今日だけでセトナさんと知り合い、騎士団に反逆して、フランと再会した。

 まさに激動の一日と言う奴だ。作った生傷に湯がしみる以上に、身体は疲労に浸食されている。

 これからどうしよう。

 そればかりが頭を巡る。

 フランにはああ説明したが、俺は行方不明扱いになっているだけであって、騎士団に辞表を提出したわけじゃない。毛頭戻る気など無いわけだが、じゃあ逆にフランまで巻き込んで、ここで何か目的があるのかというと、今のところシュカの傍に居る、という漠然としたものしかなくて、明日一日をどう過ごすのかすら決まっていない。

 肩の傷が治るまでは……なんてずっとシュカの家に泊っていたものの、じゃあ治ってしまえばいざ何をするのか……。

 そういえばシュカがこの地に留まっている理由はなんだったっけ。そもそもどうやって生計を立てているのかすら不思議でならなかったし、今度でも聞いてみようか。

「よしっ」

 ざば、と湯船から腰を浮かせた。と同時に、洗面所側のドアが開くのが見えた。

 ガラガラと音を立てて入ってきたのは、

「じゃじゃーん! フランちゃんがお背中を流しにやってきちゃったよ!」

 なんというかまぁ、予想通りの、フランだった。

 いつもリボンで束ねている金髪は解かれて腰の辺りで揺れている。丈の短い、白い布一枚しか身につけていないせいで、流体のようなほっそりとした腰と、平面に近い胸ですら色っぽい。

 だがここで慌ててはフランの思うつぼ。ここは平静を装って……。

「はぁ……フラン。鍵掛けてた筈なんだが、どうやって入ってきた?」

「鍵? これのこと?」

 つい、と右手を挙げる。握られていたのはドアノブ、と錠前の部分だ。

「壊してまで入ってくるかよ普通……」

 さすがに呆れる。シュカになんて言えば良いんだ……。

「ちっちっち。甘いね、私とフラウ兄ぃの障壁は例えお風呂場の鍵だって意味をなさないんだよ!」

 そりゃ壊してしまえば関係ないからな。なんてこった、俺が居ない間に破天候度が酷くなっている……思わず頭を抱えそうになった。

「とにかく、俺はもう上がるから。背中流しは必要ない。ほら、出た出た」

 風呂場からフランを押しやる。

「えっ、ちょっ、ちょっと〜。やんっ肩触ったフラウ兄ぃのえっち!」

「はいはい」

「むぅう〜! ちょっとくらい意識してくれたっていいじゃんフラウ兄ぃのバカ!」

「うおっ」

 咄嗟に腕を取られて、フランに引き込まれる。このまま倒れると肌と肌で密着してしまう。それはさすがにまずい、とドア枠を掴んだ。それが失敗だったらしい。

 古くて腐っている木の部分なのか、持った瞬間べきりと枠が折れる。さらに濡れた床でバランスを崩して、つい前にあったフランの身体を押してしまう。

「きゃあっ!」「うわぁ!」

 二人して転倒。はらり、と白いものが舞った。

 瞬間、視界に入ってきたのは、ほんのちょっとだけ焼けた、人形みたいな幼い肌。小さな起伏。俺は結果的にフランを押し倒すような形になっていた。

「ふ、フラウ兄ぃ……そ、その……」

「〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」

 お互いタオル一枚しか身につけていない。タオルが巻かれていない肌の部分が密着して、なんとも言えない緊張が走る。

「ご、ごめん! 今どくから……」

「あっ……フラウ兄ぃ、ちょっと痛いよぅ」

 反射的にどこうとすると、足が絡まってうまく抜けない。あああ、早くこの艶めかしい展開から脱却したいのに!

 顔の前数十センチに、耳まで顔を赤くしたフランの顔と、流麗な首筋のライン。心拍数が急上昇して冷静な思考が取れない。そして、

「ただいま〜……あら? フラウ、居ないの……?」

「……シュカ?」

 …………。

 絶望的なタイミングで声が聞こえてきて、それと共に一気に、頭に昇った血が冷めていく。

 がらり、と洗面所と部屋を結ぶ戸が開いた。

「まだお風呂に――」

 そこまで言って、シュカの口は閉じた。

 シュカから見た状況は、『風呂場』で、『ほぼ全裸の男』が、『年下の少女を押し倒している』のに、違いないのだから。

「……ふ、ふふふ……」

 ぷるぷると震える。

「い、いや……シュカ、これは……誤解なんだ!」

 何を言っても言い訳にしか聞こえない、と思った。

「ふふ……ひ、人の家で……他の女を風呂場に連れ込んで……何してるのかしらぁああ? ねぇフラウ、あんた……覚悟はできてるんでしょぉおおねぇえ!?」

 ずんずんずん!

 怒りを足先から頭のてっぺんまで露わにしたシュカが迫って来る。

「ま、待て……な? 話し合えば分か――」

「夢の中で勝手に話し合いしてこいっ! ばかぁあああ!」

 ごすっ。

 足で蹴られたのか、鈍器で殴られたのかは分からないが……とにかく顎を正確に捉えた熱の芯は、すぐに頭に到達して、視界の端にシュカの怒り顔と、フランの驚いた表情が移ったところで、意識を失い――なんだかよくわからない混濁を彷徨って……

 

 目を覚ました。

 気づくと、やたらと感触の硬いベッドの上に寝かされていた。もう何度と見た、ボロ小屋の天井がすぐに目に入った。額の上に乗っていた、薄い水色の濡れハンカチを手に取る。仄かな清涼系の香りがした。

「大丈夫〜? フラウ兄ぃ」

「んっ……フランか」

 ベッドの横に、心配そうに俺の顔を覗き込むフランが居た。

 腹筋に軽く力を入れて、起き上がる。どうやらダメージは残ってなさそうだ。

 ふぅ、と一つため息。

「フランは何もされなかったのか?」

 シュカにとっては変なものを見せられた鬱屈があっただろう。俺はこうして攻撃されたわけだが、同じくほとんど素っ裸の状態で居たフランにも何かやったはずだ。というか、シュカの何気なく八つ当たりに走る性格から考えて、そうに違いない。

「えー……? まぁ、ちょっとだけ?」

「別に何もしてないわよ。話聞いたら、半分だけは納得したわ」

「し、シュカ……」

 気付かなかったが、シュカもフランの後ろに居た。何故かリンゴを、器用に包丁で向いている。

「フン。本当だったら、裸のまま外に放り出してるところよ。それに、この子のことは聞いた。さすがにこの家はそんなに大きくないから、数日のうちにセトナに工面してもらうけど……大きく動いたせいでこの付近自体が物々しくなっちゃってるし、暫くは泊めてあげてもいいわよ」

「……本当か?」

 しょりしょり、と皮を向く音が一瞬止まる。

「こんな子供を、犯罪率の高いスラムに野放しにするわけにもいかないでしょ」

「む。フラン、子供じゃないよ!」

 いやいや、お前まだ十二歳だろ……。

「子供でしょ。胸だってつるぺったんだし、私よりも背、小さいじゃない。言動も子供っぽいし。フラウの入ってる風呂に侵入するなんて、兄が好きな小さな妹のすることよ」

 つん、とシュカが突っぱねた。それに対抗意識を燃やしたのか、フランは座っていた椅子からガタン! と音を立てて立ち上がり、リンゴを向いていたシュカに詰め寄る。

「子供じゃないもん! 大体、胸がつるぺったんって、あなたもまな板じゃない! そのリンゴを置いて切るのに丁度いいんじゃないの?」

「……喧嘩売ってるのかしら?」

 カタリ、とシュカが包丁を置いた。眉間に皺を寄せた二人が向き合う……こっちから見ると、どっちも背は変わらない。どんぐりの背比べの方が、まだ益があるかもしれない。

「そもそも、さっきは如何わしい真似をしておいて、よくそんなことが言えるわねっ!?」

「如何わしくなんてないもん。お兄ちゃんに迫るとこのどこが悪いの!」

「本当の兄弟じゃないから問題よ!」

「それに、別にシュカさんがフラウ兄ぃのことをどうも思ってないなら私が何しようと勝手でしょ!」

 おいおい、起きて早々ちょっとまずい方向に話が流れてきたぞ。

「どど、どうも思ってないわよ? ……ええ。でも私は家主でフラウは居候なわけ。関係で言えば主と従なんだから、従者の面倒を見るのは主の役目でしょ!」

「どこが従者なの! もうフラン怒った。フラウ兄ぃをそんな目で見てたなんて、酷い!」

「私が言いだしたんじゃないもの。ついてきたのはフラウよ? ねぇ、フラウ?」

 いや、俺に振られても……。

「ほらー! フラウ兄ぃ黙ってるじゃん! そんなの作り話だよ!」

「ちょっとフラウ! 本当のことを言いなさい!」

 今度は、二人の矛先が揃って俺に向かう。

「い、いや……な? 二人とも同じ年なんだし、もっと仲良く……」

「そんなのできないよ!」「こんな子と一緒にされたくないわ!」

 どうしたものか。

 いやもしかしたら男としては二人の女の子……それに可愛い子から詰め寄られているシチュエーションは悪くないのかもしれないが、しかし状況が状況である。彼女らは存在が相対する者同士でもあるから、ちょっとした喧嘩でも大事にならないかこっちはたまったもんじゃない……などと思いつつ、困った顔をしていると、二人が視線を一瞬だけ交差させる。

「ねぇはっきりしなさいよ!」

「フラウ兄ぃ〜、もちろん私を選ぶよねっ!?」

 フランに左腕を、シュカに右手をとられる。

「お、おい何を――ぎゃあ」

 そのまま上半身をベッドの上に押し倒され、どさっ。埃がばっと舞い、視界には煌めく金と銀。腰の上に跨るそれが、綺麗なシンメトリーを思わせた。

 まぁ端的に言って、二人にマウントポジションを取られていただけの話だ。

「さぁ」

「どっちを選ぶの!」

「いや……あの……いきなり言われてもだな」

 そもそもこれはどちらかを選んだとして、それでどうなるのか……。いったい二人は何を争っているのか、皆目見当がつかない。

「私と同じベッドで寝たくせに! あれは遊びだったわけ!?」

 何とも誤解を招きそうな言い方だから補足しておくと、怪我人は放っておけないってベッドに寝かせたのはシュカの方だ。

「わ、私だってずーっと何年も、フラウ兄ぃと同じ部屋で寝てたもん!」

「別々のベッドじゃない! 私の勝ちね」

 あの、人の腰の上で喧嘩しないでくれないか。

「むきー! むかつく! なら今日は私とフラウ兄ぃが一緒なの!」

「おわ!?」

 腰に跨っていたフランが、胸に飛びついてきた。柑橘系の香りがぱっと一瞬だけほのかに香って、どきっとした。軽く小さい体の女の子の匂いじゃなくて、大人っぽさを醸し出したそれに近い気がした。

「ちょ、ちょっと抜け駆けするつもり? 私も!」

 続いてシュカまで……左肩と胸をフランが占領しているから、シュカは首筋にもたれかかるように。異なる二つの女の子の雰囲気が、俺の頭を加速度的に駆り立てていた。

「ま、待て二人とも。正気になって、頭を冷やしてくれ。な? まずは俺の上からどいて……」

「ダメよ」「ダメ!」

 即効で却下された。

「決めた。私その子がフラウから離れるまで離れないわ」

 シュカは端然として、首に絡めた腕に力を強めてくる。

 や、それはちょっと……。

「じゃあ私もシュカさんが離れるまで離れない!」

 胸に込められた力もいっそう強くなる。

 もうどうすればいいのか分からないまま、幸か不幸か眠気が襲ってきた。しばし忘れてはいたが、つい数時間前には騎士団とやりあったばかりなのだ。フランはともかくシュカも俺にしがみつきながらも目を閉じている。まさかこの体勢のまま寝るとか言わないよな……?

 ふと視線を横にやる。フランと目が合った。するとフランは、もそもそと上の方に這い上がり、小声で囁いてきた。

「(ねぇ、フラウ兄ぃ)」

「……ん?」

「(――こうしてると、昔みたいだね。変なのは居るけど)」

「ああ……そうだな……」

 スペースだけ広い部屋に、二人居た学校時代。

 初めてルームメイトになった年、フランは一人で寝るのが嫌だと言って、兄妹でもなんでもない俺のベッドに勝手にもぐりこんでいたっけ。俺は当時嫌がっていたけれど、てこでもフランは離れなかった。

 不思議だ。

 思えば途中からは、親の仇打ちと共にフラン達の安寧を守るために戦おうって思ってたんだけども……まだ一人のリトルプレイヤーを手にかけてないのに、フランは傍に居る。むしろ、あのまま俺が見つけることがなければ、どうなっていたかは分からない。

 なんとも言えない気持ちを抱きつつ、再びフランに視線を移すと……もう軽く瞳を閉じて、寝入っているようだった。

「まぁ……久々に、こういうのも良いか」

 自分の体に二つの温もりを感じながら俺もまた、硬いベッドに意識を預けた。

 

 ***

 

 今日の指令本部会議は慌ただしさに満ちていた。

 無理もない、最低でも一人のリトルプレイヤーが潜伏していると考えられていたスラム街に一部小隊を送り込み五人を戦死させ、重い腰を上げて上層部が意気込みながら大隊を突入した第二作戦、決行が今日だったからだ。

 しかし現在目の前で展開されている論戦というか……まぁ私からしてみれば老害共の責任の擦り付け合いと愚痴にしか見えないのだが、とにかく彼らにとって悪いしらせだったのは言うまでも無い。

 歩兵、遊撃隊、将官クラスまで総動員した約千二百名……本来ならば作戦を終えて帰ってきているはずである。なにせ相手は超人といえど数人だ。

 が、報告員が持ちかえったのは……戦死九百名超という、もはや大敗では済まされないほどの大損害、さらに残り三百余名のほとんどが重傷・または行方不明……。

 聴取によると敵勢力は全部で三名だったそうだが、何にせよこの負けは軍部の、騎士団の負けと言われても言い訳は出来ない。

 それこそ騎士団人口で見れば千人を失っても問題ない戦力があるのだが、言い方を変えればではどれだけ戦力をつぎ込めば相手を倒せるのか……当然ながら、相手戦力の死亡は一人たりとも確認できてはいないのである。

 怒号は続く。

「ですから! 何故あれだけの戦力を結集させたのです! 段階を踏めば良かっただけのこと、しかも標的施設は狭いことを考えれば大戦力は逆に邪魔になることを理解できなかったのか!」

「……ではどうしろと言うのだ。結局千人を持ってしても倒せなかったのだろう。将官の数はそう多くなかったとはいえ、もはやこの程度では無理だと言うことだ。では次はどうする? 万か? 十万か? 冗談も休み休み言え。たった数人にそれほど使うぐらいなら民衆ごと犠牲にしてしまって空爆した方が楽だ」

「本気で仰っているのか! 民の為の騎士団がこれでは話にならない! とにかく、今回の責任は中将、あなたにある!」

「なんだと……? お前、相手を誰だと思ってそのような口を利く!」

 会議は紛糾している様はもう何時間と続いている。それはそうだ、騎士団はリトルプレイヤー討伐という大義名分を振りかざし、国から多額の支援をもって兵力としている。失態が知れれば、騎士団は潰えて他の組織にとって代わられるだろう。

 だが私は――自分が大将という、国を除けば最高地位にあるにも関わらず。

 その状況を、静かにほくそ笑んでいた。

 一人の部下――先ほど中将に怒鳴りつけていた奴が、慌てて私の元にやってくる。

「大将……あなたにも策を伺いたいのですが」

 それを突っぱねる。

「残念ながら私も一朝一夕に思い浮かぶわけではない。そもそも最初に一小隊だけ送ったのは私の指示だが、今回の敗戦は預かり知らぬところだ……まぁ、尻だけは最悪拭いてやる。その代わり然るべき処置は覚悟しておくことだな」

「そ、そんな……」

「話は終わりだ。思索を邪魔されるのは遺憾なものでな」

 顔面を蒼白にして部下は去って行く。ここで私に物言える者など居ない。

 ああは言ったが、この状況は実に私にとって思い通りになっているのだ。つまり、策など無い。毛頭尻を拭いてやるつもりなどない。

 この大敗を指示したのは私に反感を抱く者達だが、挑発を煽ってそうさせたのは私だ。

 そして結果、見事に敵は部下達を叩きのめした。

 半ば敵が倒される可能性こそあったが、見事に敵はやってくれたらしい。

 まさに目論見通り。

 私がずっと前に蒔いた種が芽を出し根を張った。つぼみが作られ、そろそろ花が咲くだろう。

 そして出来る『実』のために、

 『実』に袋を掛けに、自ら出向いてやろう。

 誰にも採られないように。

 自分が摘み取る為に。

 私が動く時が、来たのだ――。

 無駄に高級な椅子から立ち上がり、未だ収まらぬ会議に一石を投じる。

「中将」

「……ハッ?」

「兵をこれ以上つぎ込む必要は無い」

「了解しましたがしかし……この件はどうするのです?」

「私が居る」

 これにはさすがに静まり返った連中もどよめきを上げる。

「私が行こう。余計な兵は要らぬ。邪魔になるだけだからな」

「しかしッ……!」

 異は唱えさせない。両手で机を打つと、途端に声は無くなった。

「私一人で十分だと言っている。アラン中将、君を今日付けで大将代理に任命する。私が居ない間、騎士団を頼むぞ」

 それだけ言って私は部屋から去った。背後から聞こえてくる喧騒など、私が待った四年に比べれば無と一緒だ。

 さぁ、クライマックスへ行こうか。

 

 ***

 

「ん……っ」

 朝一番、窓代わりをしている壁板の穴から差し込んだ光で、私は目を覚ました。

 いつもは硬くて腰が痛くなるベッドも、今日はそんなに苦労しなかった。昨日の夜、アイツの身体にくっついていたら、いつの間にか寝ていたみたい。起き上がると、そいつの寝顔がすぐ近くで見れた。

 私の所にコイツが来てそんなに時間は経ってない。けど、コイツに対しての私は、どこか緩くなってしまったような気がする。今だって、ほら。

「なーに幸せそうな顔して寝てるんだか」

 つん、とほっぺを突いてやった。硬い。

 隣には同じく緊張感の無さそうな顔で、フラン、って子が眠ってる。フラウの腕を取って。

 フラウとはずっと、ルームメイトで妹みたいな存在らしい。正直、お似合い……かもしれないって、思う。

 人の家でこんなにすやすや寝ちゃってまぁ図々しいって思うけど。

 でも、やっぱり私の知らない彼を、彼女は知ってる。

 悔しいって思っちゃってる?

 なんで。

 ただの他人なのに。

「うん……そう、他人なんだから」

 他人だから――関係ない。

 

「ああシュカ、ちょっといいか?」

 だからフラウを起こして、フランちゃんを起こして、

「何? もうおかわりは無いわよ」

「違うって……フランが半分以上食べちまったのは謝るけどさ……。今日、フランにここ周辺とかを案内してやろうと思うんだ。来たばっかりだし、ついでにセトナさんとも詳しく話しておきたいし」

 こう言われても、別に気にしないんだ。

「フラウ兄ぃとデートに行くんだよ! 良いでしょ〜。あっ、私だけだからね!」

「案内っつってるだろ……」

「別に良いんじゃない?」

 気にしないから、フラウとフランちゃんがデートしたって別に構わない。

「そ、そうか……」

「あれ? 何か言ってくるかと思ったのに。意外とアッサリOK出しちゃったよこの人! やっぱりフラウ兄ぃとは遊びだったんだ!」

「人聞きの悪いこと言わないで! フラウとは遊びじゃな……って別に付き合っても無いわよ元から! 何言わせるの!」

「今軽くシュカの方から自爆したぞ」

「うん、人のせいにするのは良くないよね〜」

 うぅ〜、関係ないにしてもやっぱりこの子はむかつく!

「まぁとにかくそんなわけだから少し街の方にも出るけど……大丈夫か?」

 少しだけぴくりとしたけど、平静は保てたはず。

「良いって言ってるでしょ。ま、二人でゆっくりしてくれば」

「う〜ん……何か引っかかる言い方するな……。まぁいいや、そういうわけだからフラン、出掛ける準備が出来たら早速行くか」

「わぁい! 三秒で準備しちゃうよ!」

 さすがに三秒では終わらなかったけど、どこに持っていたのかフランはそれから今流行りらしい服に着替えて、そしてフラウと一緒に出て行った。

 私は街に出るのが嫌いだから、服なんてそんなに持ってない。

 流行外れで廃棄されるものを使い捨てに着てるだけ。今持ってるワンピースなんて、フラウはきっと可愛いなんて思ってくれてない。

「……って、何考えてるんだろ」

 フラウのことなんて、関係ないんだから。私が可愛いかどうかなんて、どうでもいい。

「そういえば、二人ともどこ回るんだろうな……」

 フラウに前、強引に街へ連れて行かれた時、いかにも『恋人』っぽい人達がいっぱいいたから、そういうことをする所もあるのかな。

 思わず食器を洗う手が止まってしまう。なんだか私、ばかみたい。

「悩むなら、こっそりついて行けば良いじゃないですかぁ〜?」

「ひゃあ!」

 玄関先から声がして、食器を落としそうになる。そこには、セトナがふふふとなんだか黒い笑みを浮かべながら立っていた。

 

 ***

 

「さてと……どこから回ろうか?」

 フランを連れて、スラムから街へ。実際には前有ったことを考えれば街はあんまり好きではないんだけれども、これからさらに行く機会は増えるだろうし、案内して損はしない。それに、久々にフランと外に出たことだ。今日は楽しませてやりたい。

「フランはフラウ兄ぃが一緒ならどこでもいいよ! ……えいっ」

 腕に抱きついて、絡ませてくる。

「ふふ、こうしてたら恋人みたいだね」

「……そうか?」

 わざとおどけてみるが、内心その気が無いわけじゃない。というか、久しぶりに並んで歩いたフランは少し色っぽくなっていて、昔の、妹扱いしていた頃とは違うな、と思った。

 実際に、街はカップルで色濃く染まっている。年齢層は様々だが、昨日戒厳令が出ていたとは思えないくらいに活気づいていて、それぞれ着飾って我こそがベストカップルだと言わんばかりに皆煌びやかだ。

 概してフランも、ハイウエストなプリーツスカートに、細身の体をスタイル良く見せる白のブラウスで、身長差があっても子供っぽいとは言えない。逆に俺はいつも通りのデニムにこれまたいつも通りのシャツと、何の変哲もないアピールをしているみたいで小恥ずかしい。

「ま、とりあえず適当に回ってみるか」

「うん!」

 二人並んで、腕を組んで、

 たまにフランへの視線を感じた。

 それをフランは気にしていないようだったけど……すれ違う男性のほとんどがフランを振り返っているのを見るとなんだか、誇らしいのと共に、その視線を避けてやりたくなった。

「店はたくさんあるし……どれが入りたい店あるか――あれ?」

 急に隣からフランの姿が消えてしまった。

 焦って周りを確認してみると、居た。

「……はわぁ〜〜……」

 ガラス張りのショウケースにべったりと貼りついていた、手と顔をそれこそガラスを通り抜けようとせんばかりに。

 その中には、煌びやかなものから、一見質素に見えてそれが清楚な感じを引き出しているものまで……要するに、流行物を扱う女性用のファッションショップだった。

「おい、いきなり居なくなるなよ。心配したぞ」

「あ、ごめんねフラウ兄ぃ。でもあれあれ、見てよ。すっごい可愛いと思わない? はぁー、着てみたいなぁ〜〜」

 フランの視線は、その清楚な方に釘付けにされていた。

「……入ってみるか?」

「入る!」

 即答だった。というか、そのまま手を引っ張られて無理やり入店。

 中も色とりどり、所々綺麗に着飾った女性スタッフが忙しく動いていて客も女性ばかり。男性の姿はほとんど見られない。なんというか、すごく気まずかった。

 そんな、店内の様子をわーわーはしゃぎながら動き回るフランと、ぼけーっとしている俺に気付いたカウンターのスタッフが、こちらへ歩いてきた。

「いらっしゃいませ! 本日はカップルでのご来店でしょうか? こちらへどうぞ〜」

「い、いやいやそんな! 違いますって、こいつは妹みたいなもんで……」

「えへへ! フラウ〜恥ずかしがらなくてもいいんだよ! きゃっ呼び捨てにしちゃった!」

「ばかおい、誤解を生むようなことを言うな!」

 俺達二人を見た店員さんは、もうほほえましさを全開にして、「あらあら〜」なんて呟き、

「そうですね、本日は女性のお客様が多いですけれど、普段はお二人で来られる方々も居ますから、お好きなものをご自由に取っていただいて、試着ルームはそちらになりますのでごゆっくりしていってくださいませ。何か御用命がありましたら、お呼びください」

 華麗な営業スマイルを残して、別のお客の所へ行ってしまった。

「綺麗な人だったね〜」

「あ、ああ」

「私もあんな人みたいになれたらいいなっ。あ、あの服良さそう!」

 フランが俺の手を引っ張り、コーナーの一つへ。手に取ったのは、春の妖精っぽさを想わせる、淡い色遣いをしたフリル付きのドレスタイプだ。

「これとかどうかな?」

「……一回着てみたらいいんじゃないか?」

「そうだけど――あ。これサイズが大きすぎるかも……現品限りって書いてあるし、残念だけどもうちょっと成長しないとダメだね。あはは」

 その服を元に戻して、また別の場所へ。

「うわぁ、結構コアなのも置いてあるよ」

「どんなのだ……ぶぶっ」

 両手に持たれた、二着の衣装を見ただけで思わず噴き出してしまった。

 片方はひどく胸元と肩の露出した、お腹もへそが見えそうなくらいしか布の無い、極めて布面積が小さい真っ黒の、しかも臀部に至ってはこれは服じゃなくてただの紐なんじゃないかってくらい細い。その紐の先っぽには白い糸の塊がおまけのようについていて、衣装と一緒にウサギの耳を模したヘッドドレスが。

 もう片方は、ちょっと動いただけで下着の見えてしまいそうなくらい丈の短いスカートの、婦女喫茶店で働く人の制服に似ているものだ……確かメイド服、なんて名前だったと思う。

「これ、似合うと思う?」

「いやいや、やめとけって。似合う似合わない以前に、これを着る奴はどうかしてるだろ……」

 これを着て街を歩くフランの姿を少し想像しただけで……頭を抱えたくなった。

 するとさっきの店員さんが後ろから声を掛けてきて、

「ああ〜、それはとあるお客様が勝負服に使われるとかで、お取り置きしてるものなんですよ。一応お売りすることもできるんですが……いかがなさいます?」

 俺とフランは一瞬だけ逡巡したあと、揃って首を横に振った。

 そのあともフランは2,3着ほど胸に当てては考え込んでいる。

「うーん……でもどれも可愛くて、迷っちゃうなぁ」

「さっきガラスケースでじっと見てたやつはどうするんだ? 一回着てみたらいいんじゃないか」

「えっ……! だ、だけどあれ。すっごく高いんだよ?」

 別に試着するだけなら構わないと思うんだけど。

「もし着ちゃって、買いたくなってもさすがに無理だからね……ほら、あれ」

 フランが指差したのは、そのガラスケース裏にある値札だった。

 1から始まる数字が3つ並んだあと、0が3つ。

 この店の色んな服より、大体0が1個多い。この地域の通貨で考えると、騎士団の隊長クラスの給料が1カ月分吹っ飛んでしまうくらいの額だから、当然フランには手が出ないのも頷ける。

 俺は自分の財布に入っている紙幣の数を想い出しながら、心の中で笑みを浮かべた。

「いいから。とりあえず着てみな」

「な、なんでフラウ兄ぃそんなに積極的なの……っ」

 フランを試着室に押し込みつつ、

「すいません、あそこに展示してあるやつ、彼女に試着させてあげたいんですが」

 と店員さんに告げた。

「やっ、ちょっ、フラウ兄ぃ!」

「かしこまりました」

 店員さんとフランが、白いドレスと共に試着室に消えていく。

 少しだけ抵抗する素振りがあった後、衣擦れの音がカーテン越しに聞こえてくる。

 適当に椅子に腰かけて着替えが終わるのを待って、

 やがて、カーテンが開いた。

 周りの店員さんと女性客達が途端、現れたフランに注目して、わあぁぁっ、と羨望に似た歓声が上がる。

 輝く金髪とシンメトリーを成す、白いレースのドレス。花と蝶が絹のあらゆる所に舞い、薄く透き通る袖に負けない細いフランの体の線は、ドレスの清楚さと合わさって現実離れした……まるで人形のよう。

 少し開いた肩と背中からはちらり、白い肌が見えているけれどそれは艶めかしいとか色気とかそういうものじゃなくて、精一杯大人になろうとしている少女の儚さとか健気さみたいな、そんな可憐さがあった。

「……どう、かな」

 フランは頬を赤らめて、少し顔を俯かせている。普段活発なフランがこうしてモジモジしているのは、服も相まってまるで初々しい花嫁っぽくも見える。

「ああ。すごく可愛くなってるじゃないか。まるでこれから結婚式を挙げるみたいだな」

「はうあ……え、えへへ……」

「とっても似合ってますよ、お客様」

「あ、ありがとうございますっ。で、でも……これ。とっても高くて。私買えな……」

「店員さん。じゃあこれ、お願いします」

 俺は財布の重量の半分ほどを占めている紙幣を、まとめてレジに差し出した。

「フラウ兄ぃ……!?」

「どうした? 別に金は気にしなくてもいいんだぞ?」

「で、でもこんなの……!」

「要らないのか?」

「そういうわけじゃないけど、でも」

「じゃあ受け取っておけって。今日はフランの為の日なんだから」

「無茶だよう、私、フラウ兄ぃに何もまだしてあげてないのに……」

「俺がフランに着てもらいたいんだ。だめか?」

 フランの目をじっと見つめる。

「フラウ兄ぃ、本当にフラウ兄ぃ? 誰かと中身入れ替わってるの……?」

「俺は俺だよ」

「うにゅう……そこまでフラウ兄ぃが言うなら、着てあげても、いい、けど……」

「決まりだな。じゃ、お勘定お願いします」

「お買い上げありがとうございます!」

 半ば強引にフランを納得させて、高い、けれどフランに良く似合った服を購入した。結局フランはすぐに元の服に着替えてしまったのが少し残念だったが、本人が恥ずかしがって、仕方なく妥協することにした。

 

 *

 

 フラウとフランが店から出てくるのを見て、こっそりと私達は物陰に移動した。ここなら、歩いている二人が急に振り返っても見つからない。

「仲良くお洋服を見て、何か買われていったようですねぇ〜。フラウさんが買ってあげたんでしょうか?」

 フラウが持った大きな白い紙袋をめざとくセトナが見つけて、そう言う。

「婦人服ショップみたいだしそりゃそうなんじゃないの。むしろあれをフラウが自分で着るためとかだったら私、引くわ」

「お兄ちゃん、楽しそうだね〜」

 私とセトナ、ついでにミャーの三人。フラウとフランが街を回るのを、こうしてずっとついて行くことになってしまった。元々の原因は私でもあるんだけれど、発案はセトナ。無理矢理街に連れてこられて、一度入り込んでしまったらここは一人になるのは怖いし、仕方ない気持ち半分でこんなことをしてしまっている。

「あの子、フランさんでしたっけ? フラウさんとは旧知の仲だとか……シュカの新たなライバルが出現って感じで、面白くなりそうですね、ふふ」

「ら、ライバルって何よ! 私は別に関係ないでしょ!」

 そして、私がフラウにちょっとだけ気を許してるみたいに勘違いしてるセトナは、たまにこうして茶々を入れてくる。確かにフラウがあの男の子なら、私にとっての鍵になるけれどまだそうときまったわけじゃないし……。

「関係ないと思ってるならどうして、あんなに街と人間が嫌いなシュカがここまで来たんでしょう〜。私も嫌いですけど、シュカの街嫌いは筋金入りですからね」

「……仕方なくついてきてるだけよ」

 昔の記憶を辿れば、この街にはたった一つを除いて、嫌なことしかない。

「だからなおさらですよ。フラウさんのことが気になるってこと、シュカも素直じゃないですね〜」

 別に、気になってなんか……。

「シュカー、お兄ちゃんのこと好きなの?」

「ばっ! バカバカ、そんなわけないじゃない!」

「顔、赤くなってますよ?」

「せっとくりょくないのー」

「もう! 私のことはおいといて、フラウ達が行っちゃうから! 追いかけるわよ!」

 気になってなんか、ないんだから。

 

 *

 

「はぁ……もう、まさかあんなことになるなんて思わなかったよ……」

「良かったじゃないか。お客も店員さんも皆可愛いって言ってくれてたし」

「あ、あんなヒラヒラした服着たことなんて無かったし……。今までずっと、外に出る時も軍服か武装しかしてなかったもん」

「はは、たまには良いもんだろ。フランは素材が良いんだから軍服よりも百倍、可愛い服の方が映えるさ」

「言っとくけど、フラウ兄ぃがあんなこと言ったからだからね! フラウ兄ぃの前以外じゃ着ないもん」

「分かった分かった」

 頬を膨らましつつも、少し声が上気している。喜んでもらえて何よりだ。

 しかしかなり時間を使ってしまった。夕方までに戻ることを考えれば、もうあと二、三つほどくらいしか店を回れないだろう。

 街道を歩きながら、次はどの店が良いか……とフランに聞こうとしたところで、

「お……?」

「どうしたの?」

 店を構えていない――所謂路上販売というやつだ、薄い青マットの上に商品を広げただけの野店が横目に入った。マットの上にはアクセサリーと思われる小物が並んでいる。繁盛はしていないらしく商品は綺麗に整列したままだったが、店の主と思しきサングラスで長髪の男は俺と目線を合わすなり、

「ん? ああ、兄さん達! ささそんなとこで立ってないで、そんな高いものは置いてないけどさ、ちょっと見ていってよ! おまけくらいはするぜ!」

 と、手招き混じりに声を掛けてきた。

「指輪屋さん?」

「……みたいだな、他にもネックレスとかあるみたいだけど……。さっきの服に似合いそうなものでも選んでみるか?」

「もう、さっきのはもう忘れて! 普通に恥ずかしかったんだからっ。でも、ちょっと見ていい?」

 元からそのつもりだ。

「何か良いのがあったら言えよ?」

 頷くなり、真剣な目つきでフランは数あるアクセサリーを凝視し始めた。

 だが言っても路上販売、おそらくブランド物のようなものは置いてないんだろう。金に見えるのは表面だけの鍍金品だろうし、あしらわれている赤、青、緑の宝石は目立たないくらい小さい。

 じゃあネックレスや腕輪を、と思ったがやけにごちゃごちゃしていてこれは年配の女の人用でとてもフランに似合うようなもんじゃない。

「うーん……」

「兄さん、迷った時はインスピレーションだぜ」

 店主がニヤリ、と笑う。そんなこと言ってるから売れないんじゃないのか、と思いつつも、ちょうど真ん中にあった、小さいダイヤの付いた女性用の指輪を見つける。

 他のものより存在感があって、何より金色がフランの髪とそっくりだったから。

「フラン、これなんてどうだ?」

 その金の指輪を手に取り示す。が、フランの興味は別にあった。

「……これとかいいかも」

 フランが指差したのは、さっきのものより幾分年代の古そうな、光沢のやや鈍った金と銀のペアリングだった。特徴のある装飾はなく、小さい文字で書かれた値札にも、子供でもおこずかいですぐに買えそうな額がつけられていたが、店に並んでいるもので唯一ペアのアクセサリーだった。

「それでいいのか? 他にもあるけど」

「うん。これペアになってるし……だめ、かな」

 ペアリングを買うってことは、対のうち一方は、つまりそういうことだ。

 その意味に多少どきっとしてしまったけれど、

「だめなわけないさ。じゃあそれにしよう、これください」

 金硬貨一枚を店主に渡そうと取りだした。けれど、

「待って、フラウ兄ぃ……おじさん、私が出すよ」

 どこに持っていたのか、小さい財布から銀硬貨と銅硬貨を十枚ほど出して、店主の毛むくじゃらの手に軽く響く音を残して渡される。

「おじさんってほど年重ねてはねぇつもりだけどなぁ、うはは。いやしかし彼氏のために身銭を切る女は良い女って昔から相場が決まってるんだ、あんさんも将来良い嫁さんになるかもな! ほい、お釣りだ。まいどあり!」

 フランの小さい手に、小さいリング2つが乗る。

「フラウ兄ぃ、手、出してみて」

「ん」

 金と銀……銀の方が男用で大きい。それをフランに、右手の中指へ嵌めてもらう。

「似合ってるね、フラウ兄ぃ」

「そうか?」

「うん。じゃ、じゃあ……私にもお願い」

 フランから、金の指輪を受け取って、

「薬指だからね、間違えちゃだめだからね」

 左手を差し出すフランに、そんなことを言われる。

 しかし人間、恥ずかしさが募ると逆に悪戯心に逃げたくなるもんだ。

 聞こえないフリをして、中指に嵌めようとする。

「ちょ、ちょっと! 言った傍から!」

「おっとっと、間違えた間違えた」

「もう! いじわる!」

「悪かったって、ほら動くなよ」

 今度はちゃんと、薬指に付けてやる。細い指を通って、ピッタリと綺麗に嵌まった金色のそれは、ブルーシートの上に並べられていた時と比べて、少しだけ輝きを増した気がした。

「えへへ〜」

 真上から少し傾いた太陽の光に透かすように、手を陽に晒して指輪を輝かせてみせる。

「気にいったんだな」

「うん! だって、フラウ兄ぃとお揃いだし。なんかこういうのって、憧れてたんだぁ」

 言われて、自分の指に付けた銀のリングを見てみる。

 お揃いと言っても色は違うわけだけど、改めて小恥ずかしさがこみあげてきた。

「別に、俺じゃなくたってフランにならもっと良い男は居るさ。そしたら今度は、本物の高い指輪を買って貰えばいい」

「むぅ……さっきはちょっとキザっぽいことしてたのに、なんで女の子をこう落ち込ませること言うかなフラウ兄ぃは! 今日はデートなんだから、ちゃんとエスコートしてくれないと、もしフラウ兄ぃに彼女が出来た時知らないよ?」

「今までそういう子が出来たことないから仕方ないだろ? と、とにかく。もうあんまり時間も無くなってきたし、戻り始めよう」

「う〜〜。もうちょっとくらい……あ! あそこアイス屋さんがあるよ! お腹減っちゃったし行こうフラウ兄ぃ!」

「お、おいちょっと待てって――」

 

 *

 

「あらあら、中々良い雰囲気になってきましたね。まるで恋人に見えないこともないかもしれませんよ?」

 セトナが何故か、私のほうをじーっと見て微笑みかけてくる。

「だから……なんで暗に私に振るわけ? それに、全然恋人には見えないわ。面倒見の悪い兄とうるさい妹って感じ」

 フラウ達がソフトクリームの屋台に移動したのを見て、近くに併設された休憩所のベンチで、あくまでも他人のようにしつつ三人で彼らを引き続き監視……のようなことをする。

「嫌い嫌いも好きのうち〜っ」

「きゃ! ちょっとミャー抱きつかないで、暴れたら気付かれるでしょ!」

「はぁ〜い」

「………………はぁ。私、何しに来たんだろ……」

 ついてきたはいいけど、見るのはフラウとフランの仲良さげな光景ばかりで、恋人っぽくはないけれど確かに二人には何か絆みたいなもので、切ってもきれなさそうな、そんな間柄を繋いだ手に感じる。

 思えば私とは手を繋いでくれたことなんてないし、たぶん今フラウの隣に私が居たとして、同じように振る舞うなんて……無理。

 私の中にある空白は、人間らしさってものを奪い去ってしまったから。

 何が楽しいのか分からないし、どうやったら笑えるのか分からない。

 それでも、もしあの隣に居られたなら、

 笑えるのかな。

 

「わぁい! ストロベリーとチョコとバニラのミックスだよ!」

「はしゃぐなよ、落として泣いても知らないからな」

「泣かないも〜ん。あ、あそこ空いてるから座ろう!」

 二人が戻ってきて、私達の結構近い場所に腰を下ろした。顔だけは見られないように、手持ちの新聞を読むフリをして隠す。

「お母さん〜、わたしも……」

「後で買ってあげるから、我慢してね?」

「うん!」

 もうちょっと静かにしてくれるといいんだけど、この二人も。

「うーんやっぱりおいしい! アイスってたぶん世の中の食べ物で一番おいしいと思うんだ」

「まぁ、暑い日にはそう感じるかもな。俺も一口……うん、うまい」

「フラウ兄ぃはオーソドックスにバニラ一色なんだね。ちょっと食べていい?」

「いいけど……お前のにも入ってるだろ? バニラ。味は変わらないだろ」

「ちっちっ。甘いなぁフラウ兄ぃは。他と混ぜたバニラはその時点で他の味に染まっちゃうんだよ! 白は白じゃないとダメなんだよ」

「どんな持論だ。ま、口付けたやつでいいなら、ほら」

 フラウが一口だけ食べたアイスを、フランの口に持って行く。ぱくり、と大きく口を開けててっぺんから齧りついた。

 間接キスだ、と思った。

「えへへ……間接キス、だね」

「ばっ……いきなり何言い出すんだよ!」

「あー、赤くなってる! フラウ兄ぃ、もしかして私のことようやく意識しちゃったり……」

「しないしない。あーもう、それ返せ」

「うぅーまだちょっとしか食べてないのに」

「余計なこと言うからだ」

 フランからソフトクリームを取り返して、大口でばくばくと食べ進めるフラウは、それもまた間接キスってことに、気づいてない。それどころか、口の周りをクリームだらけにして、まるで幼い子供みたい。

「フラウ兄ぃ、口にクリーム付きっぱなしだよ」

「お? どの辺だ……?」

「私が取ってあげるよ〜。動かないでね……」

 クリームに気付いたフランが、フラウに近づく。そして、

「え――」

 クリームを口で舐め取り、唇と唇が触れた。

 フランがそっと、フラウから離れる。悪戯っぽい表情をしていた。

「え、お前、今何を」

「しちゃった……♪」

 その瞬間、視界が一気にぼやけて……どす黒いものが体を駆け廻って蹂躙される、今まで感じたことのない感情が支配して、頭の中で考えていたことが全部、抜け落ちてしまった。

 顔を覆い隠すように持っていた新聞が手から滑り落ちる。視界のピントが合わない。頬の横を、すぅっと液体が流れて行った。

「え、と……シュカ?」

 セトナが何か言ってる。けど耳に入らない。

「ごめん……私帰る」

「待って、一人だと危険が……」

「帰る!」

 立ち上がった勢いで、ベンチががこんと音を立てて後ろに少し傾いた。周りから少し目線を感じたけれど、もう関係ない。

 今はとにかく、二人から離れたい。今の二人を見たくはなかった。

 

 *

 

「――ん? さっき走って行ったのって……」

 フランに不意をつかれて一瞬だけキスをしてしまった直後、近くで大きな音がして、音のした方を見ると、一人の女の子とその後ろから二人ほどが追いかけていくのが見えた。ちゃんとは見えなかったけれど、あのシルエットは……。

「どうしたの?」

「ん、さっき走って行った人がシュカに似てたような気がして」

「ふーん?」

 まぁ、シュカは街が嫌いなようだし、さすがに見間違えか。

「――で、だ」

 ひとまずその後ろ姿は忘れることにしよう。それよりも、

「いだたたた! 痛い痛い、痛いよフラウ兄ぃ〜、頭グリグリするの禁止ぃ〜〜〜!」

 フランの方に向き直って、きょとんとしていたフランのこめかみ部分に、両拳を押しつけながら擦ってやった。

「さっきの行為について、弁明は?」

「だだだってだって、したくなっちゃったんだも痛い痛い!」

 ぐりぐりぐり、と続ける。

 これはフランと同じ部屋だった時、教官の言うことを聞かなかったフランのせいで連帯責任を取らされた時の罰ゲームに使っていた技だ。未だに克服してないらしい。

「こんな人前で、知人に見られたらどうするつもりだったんだよ」

「うー。だってー」

「そんな簡単に唇を許すんじゃないって言ってるんだぞ。浅ましいって思われたら嫁に貰い手が無くなるだろ」

「別に浅ましいですよーだ」

 開き直るな。

「はぁ、とりあえずもう帰ろう。本当はもっと案内してやりたかったけど、続きは今度な」

「えー……じゃあ、最後に……」

「最後に?」

「もっかい、口に今度はフラウ兄ぃから♪」

 額に軽くチョップ一発。

「痛っ! もう、愛が無いよ愛が!」

「うるさい。帰るぞ」

「ふぁーい……」

 

「あ、シュカ。今戻ったよ」

 街から帰り、ちょうど家の前に差しかかった所で、ばったりとシュカと出くわした。

「……そう、遅かったじゃない」

 外出する時のような服装でこちらに背を向けている。今からどこかへ行くのか、はたまた同じタイミングで帰宅したのか。

「いや、ちょっと色々あってな。でも陽が落ちる前には帰ってきただろ?」

「どうせその子と変なことでもしてたんでしょ」

 冷たい声でそんなことを言われて、

「してないって。ただ買い物をしてたら遅くなってただけだって。ほらこの袋」

 買ってきた服が主に入っている紙袋を掲げて見せるが、シュカはこれっぽちも見ようとはしない。

「どうだか。その子と仲良いみたいだしね、一目につかないとこで妙な関係になってたとしてもおかしいとは思わないわ」

 そんな、視線すら合わせずに思わせぶりなことを言われる。カチンときた。

「なんだよ。そんな言い方はないだろ、別に何もなかったよ」

「なぁーに? もしかしてやっぱり、私とフラウ兄ぃが一緒に行って、寂しかったのかなぁ?」

「そんなわけないでしょ! バカにしないで!」

 フランの挑発っぽい言葉にキッとした表情でこちらをやっと振り向いて、声を荒げた。

「大体、私その子のこと、全部認めてないもの。一緒に行動することを快く思ってるとでも考えてたの?」

「それは」

「フラウもフラウよ。私達の立場を理解するなら、今街に繰り出すことがどれだけ危険なことか分かってたでしょ。もちろん、ダメだなんて言ってないけど、あんまりはしゃぎすぎるのも考えものね」

「…………」

「――悪いけど私、忙しいの。家だけは勝手に使ってもいいから、何かあったらセトナのとこまで来て。そこに居るから」

「あっ……おい!」

 呼び止める暇もなく、シュカは走って行ってしまった。

 居場所だけは言って行ったのだから、そんなに大事ではないんだと思うけれど。

「感じ悪いねー。なんかカリカリしてたよ」

「俺、別に怒らせるようなことしてないと思うんだが……」

 シュカの家の古びれたドアを開けながら軽く思索するが、特に思い当たるフシはない。

 となると、理不尽に怒って行ってしまったことに対して、やや腹が立ってくる。

「ったく、なんだあいつ」

 悪態をつきながら、紙袋と、持って行っていたカバンを脇に置いて、もはや見慣れた硬いベッドに勢いをつけて腰を落とし込んだ。すると急に、

「んん……? なんだか、眠くなってきたな」

 時刻的にはまだ夕飯すら早いくらいの時間。当然、寝るには早いなんて程度ではないのだけれど、瞼が急に重くなってきて、思考もぼやぼやとし始めた。

「フラウ兄ぃ、眠いの?」

「ああ……さっきまではどうもなかったんだけど」

 本当に唐突だ。イラついた思考でさえも、急に薄れている。

「ずっと歩いてたから疲れたんじゃない? 寝ちゃっててもいいよ、少ししたら起こすから」

「そうか……? うーん、ならお願いしとくかな」

 近くにあったタオルケットを手に取り腹に被せ、ベッドに横になるともう睡魔には抗えなくなる。徐々に閉じていく視界の端で、フランが薄く微笑んでいた。

 

 

「――んふふ。よく寝てるね、フラウ兄ぃ」

 フラウが寝入ってから何時間も経ち。

 ベッドの前で、ずっと座っていたフランは確かめるようにフラウの顔を覗き込み、月明かりが僅かに照らすフラウの顔を、金の髪がさらりと撫でる。

 ベッドからはみ出たタオルケットには温度が残っている。フランにとって長年、一緒に居た兄のような存在の温もりだ。

 それにフランは一度、ベッドにそっと登って、顔を埋めた。

 しっかりと残滓を受け取るように。

 これが今生の別れかのように。

 そして離れた。

 起こさぬように腰を上げてベッドから器用に降り。

 床に膝を着いて……シーツを手でくしゃ、と握った。

 立ち上がる。

 闇にゆらゆらと金髪が揺れ、ポケットに手を。懐から出して……掲げる。

 それは、

 柄の付いた、一筋の鋼。

 人――それをナイフと言う。

 

 ***

 

「うぅー……なんで眠れないのよ……」

 得体の知れない不安感が、夕方からずっと……ううん、正確には昨日から続いていた微弱だったものが、ここ数時間で強烈に込み上げてきて、私は眠れないでいた。

 フラウにあんな事を言って、本当はちょっと経って落ち着いたら戻るつもりだったけれど、顔を合わせ辛いからと、今日は無理を言ってセトナの所で一夜明かすことにしていた。

「フラウさんのことが気になるなら行けばいいじゃないですか〜」

 隣でミャーを寝かしつけているセトナが、そんなことを言ってくる。

「フラウの事なんか……気にしてないわ」

「嘘はいけませんね〜。どこかのフラウさんとどこかの誰かがキスをしていたのを見て泣いて逃げたのはどこのシュカでしたか?」

「うぅ……あの時はちょっとびっくりしただけだってば……」

 でも、この違和感には何か、危険信号のようなものを含んでいる気がする。

 フラウじゃなくて、フランに対して。

 私にあの子の素性は分からない。フラウの元・仲間ってだけで信用していいのかな。

 何か裏が……闇があるんじゃないかって。

 そう思い出すともう不安で不安で堪らなくなってきた。

「……っセトナ、やっぱり私、ちょっと行ってくる」

「ふふ、素直なシュカは好きですよ」

 茶化すセトナを置いて、少しばかり離れた、私の家へ。とりあえず二人の姿を確認するだけでもいい。

 不思議と掛け足になる。私の足は、珍しく冷えて霜の降りた雑草を踏みしめリズムを奏でる。

 こんなに遠かったっけ。

 一秒が千秒みたいに感じる。

 走ればものの数十秒で着く自宅に、感覚的に十分以上掛かってしまったように感じながら……いつもの古い、木造の家の前に手を掛けた。

 息を潜めて、音を立てないようにちょっとだけドアを開いて……月明かりを利用して中を見ると。

 ベッドに横たわるフラウと、それを見下げて、頭上にきらりと光る鋭利なナイフを掲げるフランが居た。

 

「――何をしてるの!」

 『瞬間切断』を発動。一瞬で、ゼロ距離に詰め寄る。ナイフを持っていた腕を掴むことに成功した。

「あーあ。見つかっちゃった」

 私に、武器を持つ手を取られたフランは特に抵抗するそぶりもせずに、まるで親に隠れて悪戯をしようとして見つかった子供のように飄々と、そんなことを言う。

 寝ているフラウ、にナイフを振りかざしていた。

 状況だけを見れば……彼女が何をしようとしたのかは、想像するまでもない。

「まさか、本気で刺そうとしてたんじゃないでしょうね……?」

 ぐ、と腕を取る手に力を込める。

 フランの、へらっとした表情は変わらない。でも次の瞬間、その笑みは……黒いものになった。私が抱いていた不安感は、確信に変わる。

「ふふ……外に出ようか。ここじゃ、フラウ兄ぃ起きちゃうし――お互い、話したいことがあるでしょう?」

 物凄い力で、腕を掴んでいた手が振り払われる。勢いで後ろによろけたけれど……フランはナイフを胸に収めて、私を正面から見据えた。

 ……何なの、この子。

 どんなに訓練したって、私達と普通の人間じゃ、身体能力が全然違う。ましてや同じ年の少女に、腕力で引けを取ることなんて無いのに。

「フランあなた……まさか」

 私の疑問を、フランは片腕を上げて制した。

「おおっと、続きは外でって、言ったでしょ。シュカちゃんの問いには全部答えてあげるよ、心配しなくても」

 それだけ残して、先にスタスタと家を出て行ってしまった。

「……っ」

 目的が分からない。けれど今は……追うしかないのかも。

 鍵なんてまず存在していない家のドアをゆっくりと開けて、私も外に出た。すぐ近くの、少し広くなっている所にフランは立っていた。

「さて……話をしようか」

 静かな、それでいて話の主導権をこちらに譲らない、有無を言わせない口調だった。ただの騎士団の端くれ少女では絶対にできないことだ。笑っている。けれどそれは喜びじゃない、意識の読み取れない表情をしていた。

「話があるのはこっちよ。何故さっき、フラウにナイフを向けていたのか……理由を言いなさい。中身によっては手加減出来ないわよ」

「うーん……理由って言われても。殺そうとしてたから、じゃダメなのかな?」

 ポーカーフェイスで、淡々と。

「フラン……っ!」

 思わず腰から銃を抜いた。

「まぁまぁ、落ち着いて。まだ話は始まったばかりなんだから」

「これで落ち着いて居られる方がおかしいわ」

「うん、私。おかしいからね」

 銃を向けられているのに、薄い笑いは変わらない。圧倒的に優位――レバーを引けば額を穿つことのできる立場にあるのは私なのに、ぞわり。異様な殺気をその眼から感じた。

「一つ聞くわ。あなた、普通の人間じゃ、ないわね」

 ここで普通の人間じゃないと聞くと、イエスであった場合の答えは一つしかない。

 フランは何の躊躇いも見せずに即答した。

「間違いないよ。私も、リトルプレイヤーだからね」

 予期していた。

 けど、改めて言われると。何も言えなくなってしまう。

「そう……でも、フラウは私達リトルプレイヤーの側についたわ。それにあなたも賛同してたんでしょう。なら、なんで」

「あははっ。リトルプレイヤー同士だからって皆が皆一枚岩になってるとでも思った? 人間だって同じ街に生まれて同じ街で育っても、その二人が殺し合いをすることなんて多々あるんだよ? そんな枠、アテにはならないよ」

「それにしたって……狙うなら私でしょ! なんでフラウなのよ!」

「あれ? 別に私、フラウ兄ぃだけを、なんて言ってないけど?」

「……遠まわしな言い方はやめなさい」

「機関」

 そのワード一つで、自分の体全体に動揺が走ったことが、すぐ理解できた。

 だってそれは……ずっと前に捨てたはずの、逃げたはずの名前。

 自分と、自分の大切なものを奪って行った、名前。

 それを何故、フランの口から……。

「ふふ、そんなに慌ててたら面白くなっちゃうからやめてよ。まぁ、シュカちゃんが最も嫌う言葉だ――って、所長からは聞かされてたけどね。まさかこんなに効果てきめんだとは思わなかったな〜〜フランちゃんびっくり」

「嘘……嘘よ、そんなの……」

「嘘じゃないよ。しっかりとゲンジツを見てないと、この世界生き残れないんだから」

 まさか、と思う。けれど、もし彼女の言う事が全部本当だとするなら……ずっと感じていた胸のつっかかり、彼女への違和感に説明がつく。ついてしまう。

 彼女はやけに私達に対して友好的な態度を崩さなかった。フラウが隣に居着いてしまったから、感覚がブレていたのか……本当ならフラウを信用する以前に、セトナがフラウにしたように、直接フランを見ないといけなかったのに。フラウと親しい、そんな感情だけで納得してしまった。

 視界がぐらつく。まるで悪夢をみているよう。

 わからない。世界を、理解したくない。

「フラウも騙してたの……?」

「うーん。半分正解で半分不正解かなぁ。私が騎士団に居る間はずっと、フラウ兄ぃと一緒に居れるように、って頑張ってきたんだし。私は、『機関』で、『騎士団』なんだよ。フラウ兄ぃは知らなすぎるだけで、騙したつもりなんかないんだけどな」

 嘲るような声。ぎり、と奥歯が鳴る。

 最低だ、この子は。

 フラウを欺いて、飄々と仮面を被りながら同調して。

 それに気付かなかった私も、最低。

「さて、そろそろ説明も良いかな? 話せることは大体話した感じだし」

「……っ、『機関』の目的をまだ聞いてないわ」

 恐らくその答えは、大体想像のつくものだけれど。

「まぁ、どうせ最期なんだし。言ってもいいかな? 正直、フラウ兄ぃにはそんなに興味ないんだよね。『機関』から監視しろとは言われたけど、手を出すつもりはなかったんだー」

「さっきナイフで刺そうとしてたじゃない!」

 私の激昂に、フランは心から喜びを感じているように、微笑む。

「ああ、あれ? ブラフだよブラフ。なんとなくそうしてたら、シュカちゃん怒ってくれるでしょ〜? 『機関』とか抜きにして、私はフラウ兄ぃのこと愛してるし。本当に刺すわけないじゃん?」

「なん…………なのよそれ……」

 ようやく手にしたと思っていた、存在との時間を。

 それがまさか、『機関』の思惑通りに動いていただけだったなんて。

「楽しい楽しいお話タイムはここまでだね。フランも、リトルプレイヤーとお話する機会なんてほとんどなかったから、シュカちゃんと話せて楽しかったよ――だから」

 愕然とする私に、フランはさく、さく……と枯れた雑草を踏みしめながら近づいてくる。

「次は、力で語り合おう?」

 銃を構えている私に……その身を曝け出した。

 身に着けていたマントが舞い、必要最低限しか守られていない――お腹や、肩を露出した薄い衣装が、月光の下に露わになった。

 そして告げる。

「行くよ……っ! 私の能力、『((波調狂騒曲|コンツェルカインド))』!」

 少女とは思えないくらいの速さで突進しながら、腰から抜かれたのは銃ではなく、ナイフよりもさらに切っ先の細い、武器とは思えないくらいの……アイスピックに無理やり柄を付けたようなもの。まるでそう、指揮棒。ただ、剣のように長い。

 それを真っすぐ突き出しながら向かってくる。

「そんな単調な攻撃、当たらない」

 当たる前に、瞬間切断を起動。素でも避けられるほどだけれど、フランの能力がまだ分かってない。長丁場になると『対価』の為に能力が使えなくなっていく。でも出し惜しみをしているわけにはいかない。私は……まだ『機関』に捕まるわけにはいかない!

 フレームの網に掛かった斬撃は、無かったことになる。フレームの枠から逃れた私の体はフランの攻撃を透過して、空振りしたフランは背後に回った後にすぐ反転。追いかけた銃撃がかわされた。

「へぇ……なるほどっ! 物理攻撃は利かないんだね!」

「……なら諦めたらどう?」

 瞬間切断。一瞬で間を詰めて、正面から袈裟切りに。指揮棒とぶつかって、嫌な金属音を響かせたあと、有り得ない力で押し返される。

「それはできないよぉ。まだ全然楽しんでないよっ!」

 直後、フランの存在感が一気に膨れ上がる。

 身体中を走り巡った悪寒に危険を感じて、後ろに回避……したと同時に、耳をつんざく轟音。それだけで終わらない、空中の見えない巨人の手で押し出されたみたいな振動が襲ってきて、私の身体は宙を数秒、舞った。

「かは――」

 後ろにあったレンガの壁に背中を強打してしまう。瞬間切断を発動することは、できなかった。

「げほ、けほ」

 肺から一気に酸素が吐き出されて咽る。嘲笑が、前から聞こえてきた。

「あれぇ? お得意の能力使えば良かったのに、こんなに簡単に決まっちゃうと面白くないなぁ〜〜」

「何よ、今の……」

 私の瞬間切断は、能力に対する『対価』が大きい。使う強度にもよるけれど、連発がそう易々とできる能力じゃない……から、今の攻撃は避けられなかったけれど。

 でも、能力が使えてたとしても……。

「あはは。そんな驚いた顔されてもなぁ。いいよ、私の能力教えてあげる。フラウ兄ぃも知らない、超特大シークレットなんだからねー」

 指揮棒が、高く掲げられる。軽く空に一回転が描かれて、

 キーン、と高鳴る音。何かが耳のすぐ傍を通って行った、そんな感覚だった。

「『波調狂騒曲』が操るのは、波。波って言っても水が無いとできないわけじゃないよ。波は、いつでもどこでもあるの。土の波、『地震』。空の波、『空震』。音の波だってあるし、光の波もある。今のは空気の振動数を引き上げて、超音波を飛ばしてあげたの。せっかくだし……もうちょっと、シュカちゃんに良いもの見せたげるよ」

 指揮棒の先を持って横に。両端からまぶしい光が広がって、それはフラン全体を包んで、

「虹……?」

 赤から紫まで、色とりどりに変化する虹の帯にそれは変わった。その虹に、フランのシルエットがうっすら混じるように体の輪郭が曖昧になっていって……。

 やがて、同じフランの形をした影が――四つに増えた。

「…………」

 着ている服も、指揮棒も、まるで同じ。

 四人になったフランは、左から右からステレオに声を被せてくる。

「面白いでしょ〜。光の波長を操って、増やしてみたよ! あ、ちなみに本物は一つだけね。ニセモノに攻撃しても痛くないから、じゃあ頑張って……続きをやろう!」

 四方から私を嬲るように、攻撃が始まった。

 影が増えただけだ――と少し侮っていた。実際には、増えた分身からも、容赦なく攻撃は飛んでくる。それに銃撃を放ったって、まったく当たらない。相次いで見えない振動が左右から襲い狂って、照準なんて定められない。

 ニセモノと言われても、見分けなんてつかなかった。銃撃を当てても通り抜けるだけで、分身は消えない。何より四対一の圧倒的な火力差で、フランは確実に見えない衝撃波を当ててくる。目視できない以上、瞬間切断は通用しない。避けるべきフレームが分からないから、ただの無駄打ち……『対価』だけが消費されていく。

「ちょっとは反撃してくれないと面白くないよっ! さぁさ、もっと盛り上がって行こう!」

「うるさいっ!」

 間を詰めて像の一つに斬りかかった。透り抜ける。ハズレだった。

「残念外れ〜」

 猛烈な衝撃波が背後から襲ってきた。視界には、妖しく笑う四人のフラン。

 その時初めて、四人が視界上に横並びになっていて、ひらめいた。

 なら四体全部に当ててやる!

「……おっとっと、そうきちゃったか」

 銃撃4発、全部に当たるように横っ跳びしながら連射。そのうち一体が指揮棒を振って直撃コースの弾を避けた。残りは、避ける動作なんてしない。本物は、右から二番目。

「そこね!」

 飛びあがった。フレームの網に隠れた私の攻撃は避けられない。上空から振りかぶる。

 当たった――と思った。

 ドン!

 自分が攻撃しているのに、見えない壁に跳ね返されたように。

 剣もろとも……吹き飛ばされた。

「は、ぇ……?」

 数秒気絶していたらしい、目を開けた時にはすでに瓦礫の山へ、四肢をだらんとさせて突っ込んでいた。

 立ったまま見下して笑うフランの姿が見えた。当然、四人居る。

 何が起こったのかまったく分からなかった。さっきは私の決定機、フランにはそのタイミングは分からなかったはず……。

「無様だねぇ、シュカちゃん。瞬間移動できる超能力を持っているみたいだけど、波調狂騒曲には分が悪かったかなっ! 波長は時間と同じ、1本の線……けれど、シュカちゃんが切れるのは時間だけ。そうだよね? だから、いくら時間の波から逃れられても、波長の波からは逃れられない。私の周りにあらかじめ空震の波を張っておいたんだけど、まんまとはまっちゃったね!」

 つまりは、彼女の攻撃は時間の流れに影響されない、非物質。

 フレームだけじゃなく、攻撃の大元を見極めてそれ自体を切り取らないと、発生した波は無くならない……でも、波は目に見えない。

 詰んでいる。

 そう思うしかなかった。

「ぅ、く……」

 腰も背中もボロボロで、お腹に力が入んない。起き上がることも困難。

「仕方ないよ、フランちゃん最強だからね。でももうちょっと楽しめると思ったんだけどなー、所長は最強の能力者、なんて言ってたからきっと私すぐに倒されちゃうんだ、って思ってたし。これだけ強くなったら、所長も認めてくれるかなぁ? そしたらフラウ兄ぃもフランのコト、好きになってくれるかな?」

「勝手なことを……」

 悔しい。

 まるで敵わない。

 でも、私は。

「私はまだ……諦めるわけには、いかない」

 アイツの為にも。

 立ち上がる。もうあと1発、あれを貰ったらもう起き上がれないくらい、身体が悲鳴を上げてる。

 『対価』なんて気にしない。とにかく1回だけでも、大きいのを当てれば。なんとかなるかもしれない。

「へぇ〜……あれだけ何回もボコボコにしてあげたのに、まだ立ち上がるんだぁ。でもフランちゃん嬉しいよ、あんまり弱いとうっかり殺してしまいそうだったからね、もうあんまり時間もないし、次は全力でやってあげる」

 四つの顔から笑顔が消えて、殺気だけになる。

 攻撃に身構えた……けれど。

 振り上げられたフランの指揮棒――四本のうちの、本物のフランの一本が、突如歪んだ表情と共に、手から滑り落ちた。

「っがあ、あぅ」

 乾いた音もなく、ただ地面にポトリと指揮棒は落ちて、持っていなかった方の手を額に当てて膝をつく。

 リトルプレイヤーに起こる、急な頭痛……それは、病気なんかじゃなく、ただ一つの結論。

「――もしかして、『対価』を使いすぎたわね……?」

 私の問いに、フランの四つの像は揃って、目を剥き出しにして激昂する。

「黙れ黙れぇ! あはは、別にっぃ、『対価』なんてまだまだっあ……、そんなそんなことあるわけないよぉぉ!?」

 口調も、表情も。

 急に、狂った。

 間違いなく、『対価』を払いすぎたリトルプレイヤーの症状。

「もうちょっとでぇ、もうちょっとでフラウ兄ぃを私のぉ、物にできるんだかっら、シュカ、あんたを倒してぇ……」

 なおも、地面に落ちた指揮棒を拾い上げて振ろうとする。

「やめなさい! それ以上やったらフラン、あなた壊れるわよ!」

「うるさいうるさいうるさいうるさぁい! 黙って……ァ」

 指揮棒が振られた。衝撃波が飛んでくる……でもそれは、私の横にある瓦礫だけを吹き飛ばして私には当たらない。

 唯一の、チャンス。

 本物がどれかは分かっている。なら、

「――『((全瞬間切断|オートフレーミング))』……」

 私と、私の周りの世界そのもののフレームを切り取る。

 当然、『対価』は大きい。

 視界がぶれる。頭痛が駆け巡る。感覚が無くなった。

 耐える。耐えて、

 フレームの網から……立ちつくすフランの肩に、めいっぱいの力で斬りつけた。

 何の抵抗もできなかったフランは防御することなくそれを直撃して……めきめきと、骨の折れる音を出しながら崩れ落ちた。

「あきゃ……が、はぁ――」

 殺気づいていた眼の色が元に戻って行く。同時に、今まで狂った顔をしていた分身達が、さらさらと流れていく砂みたいに、溶けて消える。

 私は、ズキンズキンと痛む頭を押さえながら、膝をついた彼女を支えた。

「勝負、あった……わよ。もう、諦め……なさい」

「アハ、あははっは……まだまだ、私はヤレるヨ……! さ、ぁ。続きヲ……続けようヨ……」

 指揮棒は、もう……折れている。

 彼女が何の能力を使おうと、『対価』が払えなくなっているはず。無力化されている。

 トドメを刺さないといけない。私の目的のために。

 でも。

「……お願いだから、もう抵抗しないで。何も言わなかったら、私はフラン、あなたを殺すことはしない」

 同じリトルプレイヤーとして、できればそれはしたくなかった。

 だけどその願いは、ゆっくりと物陰から現れた一人の人物によって否定されてしまった。

「――それは、お断り申し上げよう」

「え……」

 いきなり出てきたのは、スラリと身長の高い、どこか古さを感じさせる……紳士風の男。

 ただ、その手が掴んでいるのは――

「フラウっ!?」

 肉体的にはむしろ細身に見えるはずなのに……小脇に楽々と、それこそただの軽い荷物のように、ぐったりとしたフラウが抱えられていた。足も手も、縄で拘束されている。

 瞬間的に、持っていた剣を構えた。能力の起動をさせようと思ったけれど……今使うのは、『対価』が怖すぎる。

 男は静かにこちらへ歩いてくる。じりじりと、後ろに下がる。黒いマントに隠されて詳しくは見えないけれど、背中の無骨なふくらみは、何か大型の武器を持っているんだと思わせた。

 やがてフランが蹲っている場所にまで寄って行くと……フラウをその場へゆっくりと寝かせる様に降ろして、代わりにフランを、自分のマントで優しく包んだあとで、その体に背負った。フランは特に抵抗することもなく、「あ、ぅ……」とだけうわ言を呟きを残した。

「さて……貴様が、リトルプレイヤーのシュカ、だな」

 しゃがれ声。見た目からさらに年を取った、老人のような……だけど重み、威圧感、プレッシャー、そんなものを持った声。

「私の名前を知ってる、ってことは『騎士団』かしら? それとも……『機関』?」

 フランの様子を見ていれば、フランの関係者だってことは容易く想像できる。

 男は、長く細いため息を吐きだして、答えた。

「どちらでも、とでも言っておこうか。あまり長話をしている時間もない、詳しく説明するのは後でもできるが……端的に言おう。シュカ、貴様を『機関』に連行させてもらう」

 一難去って、また一難。

 フランの次は、その仲間とも思える男。たぶん、強い。

「またその事? 私は自由を選んだ。今更『機関』に連れ戻される謂れはないわ」

「ほう……昔と変わって強情になったものだな」

「!?」

 なんで、この男……私の『過去』を知ってる?

「そんなに驚く必要も無かろう。私はもう十何年とそれに属しているのだから、当然貴様のことも知っている、能力の隅々までな」

「そ、それで……? 強情なのは性格よ。悪いけど、是正するつもりもないし、連れて行かれるつもりもない。もしそれでもって言うならアンタを倒してでも――」

「倒してでも、なんだ?」

 そう言うと、いきなり足元のフラウの顔を……重そうな鉄製の靴で、思い切り蹴り飛ばした。

「おご――」

 フラウの体がびくんと跳ねて、数メートル横にごろごろと転がった。

「……っ何を!」

「おっと……」

 小型銃を構える。殺傷能力の低い、口径の小さなものだけれど、顔を狙えば致命傷になる。男はゆっくり片手を上げつつ、静かな目線で私を捉えた。

「撃つのは構わないが、貴様の愛しいコイツが、どうなっても知らんぞ?」

 その言葉に動揺した私の一瞬の隙をついて、胸元から拳銃を抜いた。足元――フラウの方へと、向けられる。

 

 ***

 

「やめて!」

「……ぅ、シュカ……?」

 気が付いた時は、俺の意識はあの硬いベッドの上ではなく、それよりもさらに硬い……外の地面の上にあった。

 それになんだか体中が痺れて、ロクに首を動かすことさえままならない。手足はどうやら縛られているようで、それがさらに状況を理解できなくして……俺の頭は混乱していた。

 セトナさんの所に居た筈のシュカがここにいて、しかも服は徒手格闘を何時間もやっていたのか、というぐらいにあちこち破れ擦り切れて、土まみれに汚れている。顔もすらっとした脚も、何かで切ったのか血が出ている場所もある。

 そんな俺に、懐かしくも驚かされる声。

「どうしたフラウ。情けないな、女に守られるとは――」

「た、大将!? 大将がどうしてここに」

 そう、かのラインハルト大将が……俺に拳銃の口を向けながら立っていた。

 いや、確かに俺は騎士団から離れて此処に居た、所属の身からすれば反逆者だ。騎士団からすれば責められて当然、だが新兵一人を捜索にわざわざ騎士団が、ましてや地位も高く、リトルプレイヤーに一定の理解を示していた大将が来ることは、にわかには信じられなかった。

「どうして、だと? 我が騎士団は、リトルプレイヤーの捕獲に全精力を掲げている。その私が、リトルプレイヤーと思われる彼女の前に居るのだ。別に怪しいことなどなかろう」

「確かにそれはそうですが! しかし大将だけは、俺に言ってくれたじゃないですか! リトルプレイヤーとは分かりあえる、共存できるって」

 俺が赤紙を貰った日の事は忘れちゃいない。

 だがそれを……大将はあっさりと否定した。

「……あんなものは気まぐれででた言葉だ。私も長らくこの地域には手を焼いていたからな。ストレスのあまり、弱音が出てしまったんだろう。なんならば取り消してもいい」

「そんな!」

「――それ以上は口をつぐむんだな、フラウ。今この場で発言を許されるのは私と、そこのリトルプレイヤーの女だけだ」

「…………」

 そう言われて口を噤んだ。今の大将の顔は、あの頃とは違い……どこか修羅めいたものを感じて、別の意味で恐怖を感じた。

 それを見ていたシュカが横から口を出す。

「フラウと知り合いのようね。一体どういう関係なのかは聞かないけれど……まず要求するわ。フラウの縄をほどいて、解放しなさい」

「いいだろう」

 あっさりと、大将はそんなことを言った。

 俺からすれば未だに、どうしてこんな状況にあるのか理解できていないから、何故シュカが大将に対して交渉しているのか……それすらも分からないのだけれど。

 ところが、

「ただし、条件がある。貴様が私と共に来るなら、フラウは自由にしてやろう」

「なっ!? だから、それはさっき断ったじゃない!」

「呑めないのであれば、今すぐこの場所で、フラウを殺す」

 ――えっ!?

「…………っ!」

 寝かされているのに、体は立ち上がってしまいそうなくらいに俺は狼狽した。

 それはそうだ……騎士団として、戦場での命のやりとりはもう何年も訓練を受けている。だけど、こんな交渉のテーブルで、自分の命が天秤に掛けられることに耐性なんてあるはずがない。

 カチャリ、と重い撃鉄の引かれる音がした。

 あともう少し、トリガーに力が加わるだけで俺の額に鉛玉が直撃するだろう。

 死ぬのが怖くないと言えばそれは嘘だ。

 だが、俺がシュカの傍に居たいと思ったのは、守りたいと思ったからで――

 守られるために居る訳じゃない!

「シュカ、俺のことはいい! だから逃げてくれ!」

「発言は許さないと、言ったはずだが?」

「あぐっ……」

 顔を蹴られる。

 抵抗が出来ない。腹を踏まれた。鍛えていても、内臓に押し寄せてくる圧力が痛くないわけがない。まるであの先輩騎士の時と同じだ、と思った。

 五回、六回……と容赦なく蹴りが続いたところで。

「分かった! 行く、行くから……。それ以上フラウを傷つけるのはやめなさい!」

 蹴りが止まった。霞む視界でシュカの方を見る。泣いていた。

「シュカ! おい……」

「ふむ、よかろう。こちらへ来い」

 顔を伏せたシュカが、大将の元へとゆっくり歩いて行く。

 行っちゃだめだ!

 そう叫びたかった。が、何故か喉の先に詰まってしまったその言葉は、口から外に出ることは無かった。

 シュカが一歩進むたび、血の気が少しずつ引いていくのを感じた。

 大将の意思の変化がどうであろうと、騎士団に捕まってしまったリトルプレイヤーの末路が決して幸福なものじゃないことはよく知っている。

 やがてシュカが俺のすぐ前を通る。少しだけ、目を合わせた。

 何も言わない。

 ただ、口先が「ごめんね」と、言ったのだけは分かった。

 なんで……。

 なんで、俺の為に。

 今更ながらベッドで睡眠を取っていた自分に腹が立つ。なんですぐに気付いてあげられなかったのか。そればかりか、俺は足を引っ張っただけだ……。

 シュカが大将の前へ立ち、手錠を両手に掛けられる。リトルプレイヤーが捕獲後、能力を使えないようにする為の、軍用兵器だ。ガチャリ、と鍵のかかった音は、何よりも俺の心深くに、冷たい冬のような響きを残した。

「……あなたと言う通りにしたわ。フラウの安全を確保してほしいわね」

「暴れられては面倒だからな、縄はそのままだ。その代わり、私が持つ武器を全てここに置いて行こう。これ以上コイツに乱暴する意思は持ち合わせていない」

「不本意だけど……それでいいわ」

 目の前で大将の愛剣、愛銃が捨てられていく。

「待て、よ……」

 背を向け去ろうとしているシュカに、まだ手を伸ばせばギリギリ届く。這いずりながら、体を懸命に近づけようとした。

「見苦しいな」

 バチッ! と背後で音がした。

 元々痺れている体に、頭までそれが伝わる。突如、電線が切られた回路のように、体は頭からの命令を受け付けなくなってしまった。視界も、徐々に周りから闇に浸食されていき、狭くなる。

 顔だけ振り返ったシュカの、月明かりを受ける涙が幻想的で――それを最後に、視覚野への情報は途切れる。意識も薄くなって行き、その中でふと思った。

 俺はただのポンコツだった。

 盾になると言って、最後まで盾になりきれなかった、ただの鉄塊だ。いや、それよりもタチの悪い……盾として失格の烙印を押された、いつまでも売れ残った、木造のボロ盾だったに違いない。

 足音が遠ざかっていく。

 ちくしょう、

 ちくしょう……。

 

 悔しさ。からの狂乱。

 わけのわからないものが混沌となって自分の中に入って行き、

 自分の頭に長い間括りつけられていた固い固い錠前。

 それが完全に外れる音が、した。

 

 

 

 

 

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中編の続きになります。
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