うそつきはどろぼうのはじまり 54
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自室に戻った彼女は、しばらく扉に凭れていた。随分と濃い一日だった。色んなことが一気に降りかかってきたような気がしている。身も心も疲弊しきっていた。

溜息をついた彼女は、室内に飾られていた衣装に歩み寄った。袖口を掬い上げる。真珠のような光沢を持った厚手の絹が、彼女の手の中でするりと垂れ下がった。

全身余すところなく、絹糸でびっしりと縫い取られている棕櫚の葉は、スヴェント家の紋章にも描かれている。黄と紅の縦縞を取り囲む、一対の草本として。

近々花嫁となる彼女の身体を惜しみなく表すのは、庶民はおろか貴族達でさえも滅多に使わない、最高級の絹織物だ。遥か東の大陸から取り寄せたという生地は、触れるだけで吐息が漏れるほど滑らかである。

先日試着を終えたエリーゼでさえも、肌に触れるその感触に驚いていた。

だが、婚儀が目前に迫っていながら、花嫁衣裳を目にして何の感慨も沸かない自分が不思議だった。昨日までは当日のことを考えて浮き足立っていたというのに、まるで他人事のように考えている。

エリーゼは衣装の裾の部分に、見慣れない小包を見つけた。手に取ってみると、どうやらリーゼ・マクシアからの届け物らしい。

「ドロッセル・K・シャールよりエリーへ。・・・ああ、あの鳩の人」

幾度となく伝書鳩が運んできた書簡の差出人が、確かこんな名前だった気がする。知り合いでもない人間からの荷物であるが、自分宛てであることは間違いない。

エリーゼは梱包を剥がした。折り畳まれていた箱の蓋を開けた途端、紫色の塊が飛び出してきた。

「エリーゼ!」

「きゃあ!?」

激突された勢いで仰け反った彼女は、盛大に尻餅をついた。

「え、ぬ・・・ぬいぐるみ・・・?」

エリーゼの声には疑問があった。うにょうにょと頭らしき部分を動かしている物言う物体は、どう見ても生物には見えない。身体は間違いなく布地だ。縫い目が見えている。

紫色は彼女にじゃれ付いてきて黄色い声を上げた。

「エリーゼよかったー! やっと会えたねー!」

「ちょ、ちょっと!」

彼女は紫色を無理やり引き剥がす。

「あ、あなた、一体何?」

「僕はティポだよ」

「ティポ・・・?」

随分と奇妙な名だ。

「君がつけてくれた名前だよ」

名付け親は自分だと言われて、エリーゼは少し落ち込んだ。

「わたしが・・・? あなた、わたしを知っているの?」

「知ってるよ。だって僕はエリーゼの友達だもん」

「あなたとわたしが友達・・・? だってあなた、ぬいぐるみじゃない」

エリーゼの疑問にティポは変わらぬ語調で告げた。

「エリーゼは僕のことを友達って言ったよ。みんなにもそう言ってた」

「みんな・・・? バランのこと?」

「えっと、まずジュードでしょミラでしょ、ローエンとレイア、ドロッセルに、あ、アルヴィンにも」

少女は思わず鸚鵡返しに問うていた。

「アルヴィン・・・?」

「うん。アルヴィンにも」

初めて聞く名なのに、心がざわりと波立った。

「エリーゼはリーゼ・マクシアでたくさんの冒険をした。海を渡って、いくつもの山を越えて、魔物と戦って、人とぶつかった。ひとりぼっちだったエリーゼだったけど、たくさんの友達ができたよ。世界中を巡って、たくさんのことを知った。エリーゼのために、きれいなお花を植えてくれたお父さんとお母さんのことも」

それって、とエリーゼは思わず声を上げた。

「待って。もしかして、その花の名前って・・・」

「プリンセシアだよ」

研究所の屋上で説明してくれた、男の声が蘇る。

(この花の名は、プリンセシアという。リーゼ・マクシアでは、そう呼ばれている。俺にこの花の名を教えてくれた人の両親は――)

「娘の成長を願って、プリンセシアを植えた」

「そうだよ」

「わたしの、ことね?」

「そうだよ」

肯定されて、エリーゼは項垂れるしかなくなる。

「・・・ティポ。あなたには、わたしの記憶があるのね?」

「僕に記憶はないよ。あるのは君の記憶だけ」

「わたしの?」

「僕は君の心を喋る。君の代わりに、君の思っていることを話すだけ」

これまた随分とおかしな話があるものだ。エリーゼの記憶の中にはリーゼ・マクシアのことなど何一つないのに、ティポは事細かに喋っている。

「でも、わたし全然、リーゼ・マクシアのことを知らないのに・・・」

「知らないわけじゃないよ。エリーゼが忘れてしまっているだけ。僕が話すのは全部、君の中に眠ってる」

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うそつきはどろぼうのはじまり 54
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