荒野の魔女ペルル・不始末の報酬
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 くたびれた灰緑色のフードつきマントをまとった小柄な影が、砂漠を歩いている。

 風に吹かれて見え隠れする、フードの中の顔は、まだ幼さの残る女である。

 名は、ペルル。

 ペルルはある「男」を追いかけていた。――「男」というのは便宜上であって「男の姿をしたもの」といった方がより正確だ。彼女が「そんなもの」を追いかけている理由について語る前に、彼女について少し説明しておかねばなるまい。

 彼女は世間で『賢者』と呼ばれる立場にある。

 『賢者』とは、本来、連合王国国立高等魔術院出身の魔術師たちのことをさすのであるが、古より伝わる独立した流派の古典的魔術の使い手たちも含めて、世間ではひとくくりにして『賢者』と呼ばれている。

 とはいえ、王立魔術院に入った者たちのほとんどがその学府から出て行くことはなく、一生を魔術学術研究の途として暮らし生涯を終える。

 そんな魔術界の最高学府に入ることができた彼女がなぜ在野の賢者でいるのかについては、また別のものがたりである。

 さて…。

 彼女が自分の在所を離れて旅に出たのは、ある町にペルルが探している人物の条件に一致する「男」が現れたという情報を賢者仲間のネットワークから得たからである。

 ペルルがめざすその町に「男」が現われたのは、かれこれ半月ほど前になる。

 「男」は東オルムストの豪商の三男坊で、目下大学校を休学中。

 将来のために各地を旅して歩いているという触れ込みだった。

 名をゾナールと言った。

 ゾナールはたいへんな美青年で、背は高く手足は長くほっそりとした身体つきの割りには、ほどほどに肉付きもよく、均整のとれた体格をしている。

 髪は夕日を浴びた蒲公英の綿毛のように淡い金色で、その一本一本は厳選された最高級の絹糸のよう。

 瞳の色は、時に深山幽谷に眠る幻の湖の如き神秘の蒼、またある時は大地が灼熱の太陽を飲み込んだあと、夜の女神が帳を引きはじめる天の紫。

 繊細な鼻梁と、青白い頬にほんのりかかった薔薇色の血潮。

 真珠のように艶やかな歯は非の打ち所なく整っている。

 手入れの行き届いた指先は、あくまで細くなよやかで、洗練された物腰は高貴な身分の血筋に違いない。

 教養は高く、機知に富んだ会話で飽きさせず、声はのびやかで張りのあるハイ・バリトン。

 歌を歌っては、一流の歌い手もかくや…。

 とまあ、こんな具合にこれでもかという誉めことばの山ができるので、それ以上聞くのは馬鹿らしくなるというものだ。

 そんなことだから、ゾナールの行くところ、どこもかしこも女でいっぱい。

 嫁入り前の娘はもちろんのこと、人妻から後家は言うにおよばず、一部の紳士たちまでが、ゾナールの気を引こうと鵜の目鷹の目。

 まるで砂糖に群がる蟻のようだという。

 ところが、この男にはひとつだけ奇妙なところがあった。

 人前に姿を現すのは夜の間だけで、昼は誰もその姿を見たものはいないのだ。

 この話を聞いたとき、ペルルは自分の探している人物に違いないと、直感した。

 ペルル自身、在野の賢者の間では少しは名の知れた腕前で『稲妻の』などというあまりありがたくないとおり名までいただいているのだが、半年ほど前ちょっとした失敗をやらかした。

 失敗そのものは小さかったのだが、それが招いた事態は、「ちょっとした」ことではすまないものだった。

 早い話が、賢者仲間に知られると、すこぶる都合が悪い。

 悪くすれば、気ままな町賢者の暮らしとお別れしなければならなくなる

 それは、ある事件の報酬としてほとんど強奪同然に手に入れた『ある魔力を封じ込めた指輪』が関係していた。

 その『指輪』は、持ち主の望む姿を他人に見せることができる、とおもわれるものだった。

 変身するのではなく、あくまでも「そのように見える」というだけである。

 ところが、ペルルはうっかりその指輪を魔物に奪われてしまったのだ。

――ペルルともあろうものが、魔物に気を許すとは!

 いくら「顔なじみの魔物」でも、魔物は魔物。絶対に信用してはいけなかったのだ。何しろ奴らには、魔界の者としての能力があり、少しばかり魔術を使うものさえ居るのだから…。

 今更起こったことをくどくど思い返してみてもはじまらないのはわかっていたが、返す返すも悔やまれるのだ。

 あいつのことを、一瞬でも「哀れな奴」と情けをかけたことが。

 その魔物というのは、まだペルルが魔術院を出て野に下って間もない頃。

 旅の途中とある村の外れにある沼地の草むらで見つけたのだった。

 小さくて黒くて、姿かたちがあまりはっきりした奴ではない。

 あまり上等とはいえない、どちらかといえば下等なたぐいに属する魔物だ。

 ふつう、魔物は人間界に出てきたりしない。

 だが、時々秘密の仕事で魔術師が魔界からそれらを呼び出して、使役に使うことがあるのは聞いたことがあった。

 元来、魔物を使用するのはルール違反なのだが、やむをえない場合は「必ず魔界に戻すこと」を条件に、黙認されている面がある。

 それでも、ルールを守らない不届きものはどこの世界にもいるもので、用済みになった魔物を森の中や人気のない場所などに捨てていく魔術師が後を絶たなかった。

 そういう魔物を魔界に返すか実害があればその場で処分するのも在野の賢者の仕事の一部である。

 その魔物も、そんな哀れな連中のひとつなのだろう。

 というより、最初から何かの役に立ち沿うには見えなかった。

 きっと、召還に失敗して術者の目的にかなう能力を持っていなかったので、打ち捨てられたに違いない。

 だからといって、かわいそうだとか、情けをかけてやることはない。

 ペルルはもちろんそれを無視して通り過ぎた。

 ところが、それはペルルの後をつけてきていた。

 はじめのうちは、物陰に隠れてこっそりと。

 そのうち、堂々と後を付いてくるようになり、業を煮やしたペルルは魔界へ追い返そうと何度か試みたものの、最初にその魔物を呼び出した術者が、なにかおかしな方法を使ったのか、魔界への入り口が開かず追い返すことが出来なかった。

 かといって、ペルルは魔物を使役する類の魔法にはあまり関心がないので、その魔物を飼おうという気にもならない。

 まして、うっとおしいというだけで実害のない魔物を簡単に処分するのも気が引ける。

 もし、魔物を処分したならば、その顛末を魔術院に報告しなければならない。

 これが一番おっくうなペルルである。

 しかし、邪魔は邪魔である。なんとかして、お引取り願いたい。

 数日経っても、魔物はそこにいた。

 ペルルの家の外の植え込みに潜んでいた。

 姿が見えなくても、ペルルにはわかった。

 家の中に入ってこないのは、悪意のあるものや魔物に対する結界を張っているからだ。

 当時のペルルは一箇所だけ恒常的な結界を張ることが出来た。

 それでなくては、落ち着いて寝ることも仕事をすることも出来ない。

 しかし、出かけるときは相変わらずそれは付きまとい続けた。

 ある日ペルルは、魔物に「何が要求なのか」と問うてみた。

 これほどまでに執拗に付きまとうには、魔物なりにも理由があるに違いないと、ほんの気まぐれではあったが、ペルルは家の外に出て魔物に訊ねたのである。

 その問いに対して、魔物は金属を引っかく音に似た耳障りな声でこう答えた。

『人間ニナリタイ』。

――はあぁ?

 ペルルにとっては馬鹿馬鹿しいにもほどがある答えが返ってきて、どうしようかと思ったくらいだった。

――魔物の分際で、人間になりたいですって?

「そんなこと、無理に決まってるでしょう」

 魔物相手に真剣になることはないのだが、ペルルは思わず説得しかけていた。

 魔物が人間になるなんて、絶対に無理なことだ。もし、その方法を知っていたとしても、自然の摂理に反することを禁じた術者の掟に触れるのだから、絶対にそんなことには手を貸さない。

 そんなことだから、なぜその魔物が人間になりたがっているのか、理由を知りたいとも思わなかった。

 無理なものは無理。

 如何に賢者といえども、そして掟がなくても、自然の摂理を曲げることはできないし、そんなことをした後のしっぺ返し、自然のゆり戻しとも言われるものの方がおそろしい。

 だから、理由を訊いても意味がない。

 こんな馬鹿な望みを抱いている魔物とは、一刻も早く縁を切りたかった。

 そんな時、ペルルは例の指輪と巡り会ったのである。

 

 その指輪が、ペルルの手元にやって来たとき、それほど特別な力を持っている指輪だと、ペルルは思っていなかった。

 きっと、元の持ち主も、その指輪の能力には気が付いていなかった、というより、魔法の指輪であることも知らなかった可能性もある。

 それほどその指輪は何の変哲もない、ただの銀の環に見えた。

 ペルルも最初は「余禄」くらいに思って、さして気にも留めていなかった。

 だが、月の光に透かして見ると魔法の指輪独特の刻印が浮かび上がるので、刻印の裏に隠しこまれた古代文字の記述をよくよく調べてみると、「術者を相手の望む姿に見せることが出来る」という、きわめての受動的な非常にかわった力を秘めた指輪らしいということがわかった。

 これは便利なものを手に入れた、とペルルはにんまりとした。いろいろ使い途がありそうだ。

 それからしばらく、ペルルはその指輪に夢中になって、ちょっとした悪戯に使っていた。

 かなり楽しい道具で、それを手にしている間、ペルルは魔物のことを忘れた。

 忘れたついでに、家の結界が消えているのにも気付かなかった。

 魔法の指輪で遊んでいるとき、うっかり結界を外してしまったのだ。

 魔物はその隙にペルルの家に入り込んだらしい。

 気が付いたときには、手遅れだった。

 魔物は指輪を盗んで、どこかに姿をくらました。

 迂闊だった。

 姿を変えられる指輪なら、魔法の力で魔物は人間になることが出来る。

 たとえそれが偽りの姿でも、一時、人間でいられる。

「人間になって、どうするつもりなのかしら」

 魔物の目的は何なのか。

 人に危害を加えるものであってはならないが、これまでの魔物との付き合いから判断して、なにか悪さをする性質のものではないような気はする。

 「気はする」のと、実際どうなのか、というのでは話が違うので、ペルルはこのとき大いに焦った。なんとしてでも、指輪を取り返さねば。

――少なくとも、賢者仲間にこのことが露見するまでに。

 ひとつだけ、ペルルにとって安心できる材料があった。

 それは、魔物が魔法を使えるのは、日没から夜明けまで、すなわち「夜の間だけ」ということだった。

 気休めにしかならないかもしれないが、賢者や、魔術を使う心得のある者なら、場所や時間、昼夜関係なく魔法の力を行使することが出来るのだが、魔物は違う。

 魔物たち、すなわち魔界に生まれた者たちは、太陽の下では思うように動くことが出来ないのだ。

 だから、太陽が支配する日中は、彼らは物陰に潜んでひっそりと暮らしている。

 反対に、暗闇や月の光の下でなら、彼らは本来持っている闇の力を発揮することが出来る。魔法の指輪を使うことも、夜の間なら可能ということだ。

 しかし、陽が昇ると魔法は解け、見せかけの姿はきえてしまい、本来の姿が現われてしまう。

 探し出す手掛かりとなるのは、おそらく「夜になると見かけなくなる人物」あたりだろう。

 なぜ昼の間は、魔力が効かないのか。

 魔界の生き物は、魂を持たないからである。

 魂を持たぬ魔物たちは、夜、すなわち魔の力が増大する時間には、彼らの持てる力を発揮することが出来るのだが、昼間の明るい太陽が支配する間は、わずかな影に身をひそめてひっそりと暮らしている。

 それ故、魔術師は魔界の力を用いる黒魔術の行使することを禁忌とし忌み嫌う。

 魔物が引き寄せられたことから考えても、ペルルが手に入れた『指輪』が魔界からの力を用いている『黒魔術』の指輪である可能性が高かった。

 そんな危険をはらんだ指輪を奪われて以来この半年の間、ペルルは魔物と『指輪』を探し回っているのだった。

 逃げている魔物は、たいていは人の姿をしていることが多かったが、慣れないうちはすぐに馬脚を現し、人々から怪しまれたり、自ら身を隠したりして、探すペルルもわりと楽であった。

 実はこれまでにも何度かいいところまで追い詰めたこともあったのだが、いつもあと一息というところで妨害が入り、取り逃がしている。

 この前に捕まえそこなったのがひと月ほど前だから、しばらくどこかでなりをひそめていたに違いない。

 その青年がこの町に現われておよそ半月、あまりにも非のうちどころのない人物像に、ゾナールと名乗るその青年の正体が、実は魔物であるというペルルは確信していた。

 『見せ掛けでは仕方がないだろうに』

 と、ペルルは思う。

 しかし、賢者だ魔術師だと言ったところで、自然界の掟を破ることは出来ない。

 これは魔術を使う上での、破ってはならない大原則であり、魔術師であればその魔術の根源を大自然に求める白魔術も魔界とこの世の暗部に求める黒魔術も同じである。

 だが、今回のことは事故であったても、それで済まされる問題ではない。

 黒魔術に由来する『指輪』を手に入れて試し、魔界から魔物を呼び寄せて、そいつに『指輪』を奪われてしまったなどということが、もし発覚すれば重い処罰を受けることになる。

 おそらく、闇に囚われた魔術師としてその資格を剥奪され、カビ臭い魔術学院の奥の書庫の整理をしながら一生をおくる、半幽閉状態の生活をおくることになるのである。

「そんなのはごめんだわ」

 思わず口に出してつぶやくと、めざす町へと足早に向かった。

 

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「とにかく、あのヤグラニアが虜になっちまうくらいだからねえ」

 と、その男は声高にしゃべっている。

 ペルルが町の居酒屋での情報を集めるため、聞き耳をたてているときのことである。

「ねえ、そのはなし、もう少しくわしく聞かせてくれない?」

 この町の情報通を自称する男の席に、ペルルは近付いた。

「あんた、何者だい?」

 いぶかしそうに、ペルルを酔眼で一瞥した男は、

「ああ、旅人さんかい。じゃあ、知らねーのも無理ねーな」

 ペルルの着ている、異国の服装に気づいたようである。

 町に入る前に、少しは身奇麗にしておこうと、よそ行きに着替えた甲斐があったというものだ。

「で、なんのはなしだ?」

 男はとぼけた。

「さっきのはなしよ。だれとかが虜になったとかなんとか…」

 ペルルが詰め寄ると、男は、ジョッキをあおり、たちあがろうとした。

「待って、いそがないんでしょ? おごるわ」

 ペルルはそういうと、テーブルの上に掌を伏せてパタン置いた。

 硬い、金属の音がした。

 男の表情がピクリと動き、値踏みするように、ねっとりとした視線をおくる。

 ペルルは最上級の営業スマイルで答えた。

「手をどけろ」

「はなしを聞いてからよ」

 しばらくにらみ合いがつづいたが、根負けした男が口を開いた。

 

 男のはなしによると、ゴルコン家の一人娘ヤグラニアがゾナールにぞっこんで、片時も離れようとはしないのだそうだ。

 とはいっても相手は日が昇ると、あてがわれた自室に閉じ篭もって出てこないだれも部屋に入れない。

 寝室を共にしても、目覚める前には自室にもどっているのかどうか、詳しいことはわからないが、とにかくそういう謎めいたところが、かの娘をして夢中にさせているゆえんだろうとは、男の弁である。

「ゴルコン氏って、どんなひとなの?」

 こんどは、ゴルコン家とその娘の評判について探りを入れた。

「親の方は成り上がりのごうつくばりで、よく言うやつはほとんどいないぜ」

「で、娘さんは?」

 男はペルルの掌の下の物が気になるのか、チラチラとそちらを見ながらことばを続けた。

「一人娘の方もそんな親から生まれただけあって、高慢で鼻持ちならねーよ。しかも、蝶よ花よと育てられ、それなりに美人なものだから、求婚者も何人かいたらしいんだが、すぐに逃げ帰ったそうだ」

「ふーん。じゃあ、ゴルコン氏も自分より格下の家との縁組でないと承知しないんじゃないの?」

 テーブルの上に伏せた手を少し自分の方へ動かして、男の様子を伺う。

「ああよ、まあ、いってみれば、一家揃って町中の鼻つまみものだ」

 はなはだ評判はよろしくない。

「そんな評判の良くない娘に惚れられて、ゾナールって人も気の毒だこと」

 ペルルが少し水を向けると、男はさらに続けた。

「そりゃ、まあねえ。でも、ぞっこんなのは娘だけで、ゴルコン夫妻の方はなんだか胡散臭いやつだって、男のことをよく思っていないらしい。自分たちのことは棚にあげてさ」

 どうやらこのあたりに付け入る隙がありそうだな、とペルルは思った。

 そういうことなら、正面から乗りこんでいくというやり方もあるわけだ。

「娘さんには、悪い魔物が憑いている!」

 とかなんとか言って、まず、屋敷のなかに入り込むか。

 なんといっても、本当のことだから、別にやましいやり方ではない。

 しかし、とペルルは思いなおした。

 急いては事をし損じるという。

 ここはじっくり腰を据えて、落ち着いてことに取りかかろう。

 せっかくここまで追い詰めたのだ。

 焦ることはない。

「そ、ありがと」

 ペルルはそういうと、テーブルに伏せていた手を離した。

 そこには、瓶詰めの王冠がひとつ。

 それをみた瞬間、男の顔色が変わった

「冗談よ。はい」

 反対の手で、金貨を一枚、男に投げた。

 きれいな放物線を描いて、金貨は男の手に納まった。

「ありがとよ、ねえちゃん」

「どういたしまして」

 ペルルはそういうと、店の親父に二人分の酒代を払って、居酒屋を出た。

 どうやら、おめあてのゾナールは今町いちばんの金持ちの屋敷に逗留しているらしい。

 昼間姿を見せられないことの言い訳をどうしているのだろうと、どうでもいいことながら、ペルルには興味があった。

 それと、ゾナールが逗留しているゴルコン家についても、調べてみなければならないと思った。

 市場を歩きながら、ペルルは聞き耳をたててみる。

 町いちばんの金持ちで顔役のゴルコン氏のことを、いかにもよそ者といった姿で聞きまわれば、怪しまれるに決まっている。

 どうしよう…。

 そして、ペルルは名案を思いついた。

 次の日、町の古い建物が立ち並ぶ一画の路地裏に、

『予言者ザフィーアの家』

 なる店が出現した。

 なんでも、旅の高名な予言者がふと立ち寄ったこの町をたいそう気に入り、人々のお役に立てばと、占いの店を開いたという。

 気に入ったのなら、ただで観てやればいいじゃないか、と思うのは素人考え。

 偉い、といわれる人ほどそれなりの代金を払ってこそ、ありがたみが増すというものである。

 当のザフィーア先生は、さほど高い金は取らないのだそうだ。

 もちろん、善意のお方だから、お金のない人でもちゃんと観てくれる。

 まったくのタダというわけにはいかないから、お金の代わりに畑で採れた野菜や果物や、鶏の卵なんかでも受け取ってくれるという。

「別に営利目的でやっているわけじゃないんだから、これくらいのことをしたって問題ないわよね」

 と、ザフィーア先生ことペルルは、ひとりごちた。

 ザフィーアというのは、彼女にとって別段偽名ではない。

 彼女のセカンドネーム。

 つまり、母方がつけた名前が「サフィア」なのである。

 ペルル・サフィア・ボワイエというのが彼女のフルネームであり、セカンドネームの「サフィア」をこの地方風に発音すると「ザフィーア」となる。

 大事の前の小事。

 手段を選んでいるときではない。

 路地裏のちいさな店舗を買い取り、占いの店を開いて、こうして網を張って待っていれば、そのうちゴルコン氏の情報が集まってくるだろう。

 ひょっとしたら、本人がやってくるかもしれない。

 「よろず相談ごと承り候」などと看板に書いているわけではないが、開店するや町中の悩み事のある者たちが、朝からのべつまくなし、ひきも切らない盛況である。

 本末転倒。

 ありがた迷惑といっていいくらいだが、もちろん、本来の目的を忘れたわけではなかった。

 それでも、一週間もつづけるうちに、占い師稼業がすっかり板について、

「これもまんざらではないわよね」

 などとふと思うことがあって、ときどきそんな自分がいやになってしまうのである。

「このままでは、安きにながれて本当に占い師になってしまいかねないわよ」

 そういって、自分に本来の目的を忘れないよう鼓舞することも忘れない。

 しかも、町中の人々を直接接触できる。

 両刃の剣ではあるが、必要な情報もそれとなく聞き出せるものだから、いまさらやめる訳にはいかなかった。

 この数日間に持ちかけられた相談ごとの中に、あることに関する件がやたら多いのにペルルは気が付いた。

 そして、相談ごとは、日を追うごとに増え続けた。

 それは、ことごとくゴルコン家に関わる揉めごと、悩みごとの数々であった。

 ペルルは呆れた。

 こんなに評判の悪い家も、そうあったものじゃない。

 なぜ、この世に存在しているのかさえ、疑いたくなるほどの評判である。

 いわく…、

 ゴルコンが目を付けた地所を売らなかったため、嫌がらせを受けているのだが証拠がない。

 ゴルコン夫人の経営する店で買った宝石が偽物だったにもかかわらずねじ込みにいくと反対に言い掛りだと逆襲された。

 借金をしたら、法外な利息を要求され家や土地を売り払ったがそれでも納得せず、娘まで売り飛ばされそうになっている。

 娘の許婚者をろくでなしの娘に奪われた。

 云々。

 どうやらこの町でのゴルコンの所業は、目に余るものがありそうだが、そういわれても占い師ではどうすることもできない。

「占い師に頼む前に、もっとやることがあるのでは?」

 ペルルが当の町の人たちにいうと、

「お役人は駄目ですよ。みんな鼻薬を嗅がされちゃって、わたしたちの言うことになんて耳を貸したりしやしません」

 と、すでに、あきらめている。

 なるほど、よくある話よね、とペルルは考えた。

 どこの町にも、こういった『顔役』と呼ばれる者は存在する。

 だが、ここまでひどいのは、始めてだった。

「それで、どうして欲しいのです」

「せめて、やつに一泡吹かせることができたら…。そう思わない日はありません。先生がいらっしゃるまで、泣き寝入りするしかなかったんです。どうか、よいお知恵を」

 相談者は異口同音にペルルに訴えかけた。

「あたまの痛いことよね」

 あまり金銭がらみのいざこざには首を突っ込みたくないペルルであったが、行き掛かり上捨ててもおけなかった。

 それに、ゴルコンに会うのはペルルの目的でもある。

「少しの間お待ちなさい。悪いようにはいたしませんわ」

 そういって、客を送り出すのであったが、これといって名案があるわけではなかった。「さて、どうしたものかしら?」

 話がややこしくなってしまった。

 まあいい。なんとかなるだろう。

 そんなのんきなことを思っていたところ、ゴルコン氏から、相談事があるので、時間をあけておいてほしいと、手紙が届いた。

 ついに、獲物はかかった。

 

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   ※

 

 入口の扉はかなり傷んでいて、漆喰が剥げかけている。

 つい最近店を開いたとは思えない、古びた雰囲気の店内に入ると薄暗く、満足な灯りひとつないようだ。

 奥に進むにつれて目が慣れて、細い廊下の奥に黒いカーテンで仕切られた小部屋らしいものがあるのが見えた。

 できるならこんなところに来たくはなかったのだが、とぶつぶつ言いながら男はカーテンの中を覗いた。

 小さな蝋燭の光に、女の顔が浮かんでいる。

 薄暗さに目が慣れてもはっきりとしないが、この地方のものではない巨大な帽子とかわったデザインのボレロを着ていることまではわかった。

 女の前のテーブルの上には大きな水晶玉が一つ、ビロードの布に包まれて置いてある。

 水晶の玉の奥で、蝋燭の光が揺らめいていた。

「ザフィーア先生でいらっしゃいますかな」

 尊大な口調で男が言った。

 こんな小娘が? といった、表情である。

 見るからに金満家という出で立ちで、身につけているもので人品の卑しさを覆い隠そうとしているが、必ずしもそれがうまくいっていないのが、ペルルには見て取れた。

「そうですわ。どうぞゴルコンさん。お待ちしておりました」

 名乗る前から自分の名を言いあてられても、男はさほど驚かなかった。

 というのも、あらかじめ時間を指定して、他の客を入れないように頼んでおいたからだった。

 もちろん、ここへ来るのにも、考えあぐねた上、相当にせっぱつまった挙げ句にやっと決断したのだから、人の目をはばかるようにして、ここをたずねたのである。

『このおやじ、案外用心深いのね』

 ペルルは思った。

 相当に敵が多いというわけだ。

「どうぞ、おかけください」

 穏やかな声でペルルは言った。

 相手がテーブルを挟んで自分の真向かいに座るか座らないかのタイミングで、「ご令嬢のこと、ですね?」と、ペルルは機先を制した。

 こういう手合いには舐められないのが、肝要なのだ。

「そ、そうです」

 さすがにゴルコンはことばを詰まらせた。

 見た目よりも小心者らしく、顔色が変わった。

 だが、これくらいのことは町の噂を拾えばわかることだ。

 ゴルコンにだってそれくらいのことはわかっていただろうから、油断はできない。

「たいそうお美しいそうですね」

 一応誉めておく。

「いや、それほどでも」

 まんざらでもないという顔で、ゴルコンの醜く肥太った顔が歪んだ。

 どうやら笑ったらしい。

「近ごろ悪い虫がつきましてな。わがままに育てたツケがこんなところで来ようとは」

 吐き捨てるように言った。

「どこの馬の骨ともわからんやつに、うちの娘はやれませんよ」

 どこの馬の骨どころか、男の正体が魔物と知ったら腰を抜かすどころではすまないだろうと思うと、ペルルは、こみあげてくる笑いを押し殺すのに苦労した。

「それで、どうなさりたいのです?」

「あの男を町から追い出す方法を、考えてはいただけんでしょうか」

 率直な要請だった。

「親馬鹿と思われるかも知れませんが、娘がどこの馬の骨かわからん奴にたぶらかされておりましてな、一緒になれなければ死ぬの出ていくのと、親を脅すんですが」

 肥満した金満家が卑しい顔を殊勝に伏せた。

「強く言えない、ということですね」

 ペルルは、あごを上げ、相手を見下ろした。

「まあ、そんなところですかな」

 苦虫を噛み潰したような顔で、ゴルコンは答えた。

「で、なにを以てその…、名前はなんと言いましたかしら?」

「ドナール、と名乗っているようで」

 名前を口にするのもいやそうである。

「ドナール?」

「いいえ、ドナール」

 どうも、ゴルコン氏には、この地方とは少し違う訛があるらしい。

「あ、ゾナール、はいはい」

 どうでもいい、ましてや口にするのもいやな名前を聞き返す占い師に腹を立てかけている。

 短気な親父である。

「ゾナール殿がどこかの馬の骨であると決め付けるゆえんは? もしや、いずこかの名家の子息の世を忍ぶ仮の姿やもしれないではないのでは?」

 この質問にゴルコンは、おまえは馬鹿かと言いたげな顔でペルルを見返し、

「そんなもの。どこかの馬の骨に決まっておるでしょうが。なにが、東オルムストの豪商の次男坊で、大学を休学中ですか。わたしだってひととおり調べはしましたがね、そんな息子のいる商人なんて、東オルムストはおろか、世界中探したっていやしませんよ」

 と、物凄い剣幕でまくしたてた。

「身分を偽ってわたしの娘にとりいろうなんて輩は、どこかの馬の骨に決まっておる」

 娘が可愛いのか、婿にやる財産が惜しいのか、とにかくゴルコンはゾナールのことを調べあげたらしい。

「わかりました。一度、その人に会わせてはいただけないでしょうか」

「会ってどうするんです」

 なんでもいいから早く追い出せんのかと目が物語っている。

「まず、娘さんを諦めさせなきゃいけないのでしょう?」

 ペルルは、そのきれいな眉間にしわを寄せてゴルコンを見た。

「しかも、お父上としては、お嬢様に憎まれたくない」

 それだけいうと、ペルルは営業スマイルを浮かべて、ゴルコンをみた。

「こちらとしても、一度顔くらい見ておかなければ、手の打ちようがありませんわ」

 そういい終わると、天井を見上げて、大きく息を吐き出した。

 ペルルのことばに、少しは得心したようなので、ゴルコン氏はことばを続けた。

「その、ゾナールとやらに一度会って、それから、なにかよい方法を考えましょう。万事うまくいくように、ね」

 占い師の瞳の奥がきらりと輝いた。

 しかしゴルコンは、その輝きになにかを感じ取れるほどの人物ではなかった。

 ゴルコン家を訪問する日を決めて、見料を受け取り、その日の会見は終了した。

 

 ゾナールと名乗っている魔物との対面は、明後日の夜。

 ゴルコン邸の晩餐に招かれるという態をとってのことである。

 自分の不始末の事後処理に、たとえそれが悪人であっても他人を巻き込みたくはなかったし、まして、田舎の評判が悪いだけ小心者の顔役である。

 このおやじをどうこうしても、なんの利もないばかりか、自分の身に危険が及びかねない。

 とはいえ、魔物から『指輪』を取り戻すだけではすまなくなりそうな気配が濃厚になりはじめていた。

 

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   ※

 

 ゴルコン氏が訪れた翌日の夜。

 占いの店の客足も途絶え、そろそろ店じまいをしようとしている矢先。

 数人の男がザフィーアの店に押し込んできた。

「昨日、ゴルコンさんから大金をせしめたんだってな」

 と、親玉と思しき男の声がわめいた。

「さあね」

 ペルルはそっぽを向いた。

「さっさと出せ」

 親玉の声に応えるように、後ろに控えていた禿頭が占い用のテーブルをひっくり返した。

 銀の蜀台が弾け跳び、床に落ちた水晶球が砕け、中に満たされていた水が弾けた。

「暴れるのはいいけど、弁償してもらうわよ。これ高かったんだから」

 そういいながら明らかなにせものの水晶球の残骸を指差した。

「やっぱり、ゴルコンさんのお察しのとおりにせの占い師だったか」

 親玉があわてて小柄な男を殴り飛ばしたががその男が口走ったことを、ペルルは聞き逃さなかった。

「ふーん、そういうこと。払った占いの見料が惜しくなって取り返しに来たってわけね。笑わせるわ」

 そういうと、羽織っていたローブを脱ぎ捨てた。

 身体にピッタリと添う黒い服が、胸から腰にかけての女らしい豊かな曲線を浮かび上がらせている。

「表に出なさい、さもないと、ここで撃つわよ」

 腰にためたその手には、いつのまに何処から取り出したのか小さな金属の塊が握られてた。

「ピ、ピストルなんざ怖くねー」

 男たちが虚勢を張り、各々にナイフを取り出す。

「いいわよ、べつに」

 ペルルはにやりと笑い、ゆっくりと男たちに向けて手を伸ばすと、やおら引き金を絞った。

 ビン!

 ふつうのピストルではありえない音が響き渡り、眩い光が親玉の頭をかすめて彼の後ろに立っていた小柄な男を一瞬にして消し去った。

 親玉の表情が、あきらかな狼狽の色に染まっていく。

「魔弾、聞いたことある?」

 ペルルは銃口を軽く振って、外に出るよう親玉と禿頭を促した。

 男たちもおとなしくそれに従う。

 真夜中の裏路地は人気がなく、荒事にはうってつけである。

「このまま帰る?。それとも、お手合わせ願えるのかしら?」

 ペルルの恫喝に男たちが怯んだ。

 ゆっくりと、ペルルが前に出ると、男たちは、それに応えるように、ペルルを凝視しながらじりじりと後ずさりをする。

 このあと、相手がどう動くのは図りかねる男たちはペルルが腰だめに構えた『魔弾』から目が離せないでいた。

 ペルルがにやりと笑った、そのとき。

 一匹のネコが、ペルルと男たちの間を駆け抜けて、裏路地に出してあるゴミ箱をぶちまけ、冷たい沈黙を破った。

 その音に応えるように、男たちはナイフを握りなおし、ペルルに襲い掛かった。

 ハッ!。

 ペルルは左手で首から提げた護符を握り締め、裂帛の気合一線、地面を蹴って飛び上がった。

 男たちの眼前から、一瞬、ペルルの姿が消えた。

 目標を失った男たちは、その場につんのめって、互いに頭をぶつけ、ゴツンとすごい音がした。

 座り込んだ男たちは顔を見合わせて、きょろきょろとペルルの居所を探す。

「ここよ」

 二階の窓くらいのところに浮かんだペルルが男たちを見下ろしていた。

「ま、魔女だぁ!」

 禿頭が悲鳴を上げて逃げ出そうとしたが、腰が抜けて動けず、そのあたりを這い回るだけである。

 親玉はと見れば、同様に腰を抜かしているのだろうが、少しは虚勢を張ってみる余裕があるようで、すごい形相でペルルをにらみつけていた。

「命だけは助けてあげるから、このまま帰って、ゴルコンさんに報告なさい、それと、占い師のザフィーア先生は約束を違えずに明日参上しますってね」

 そういうと、ペルルはふわりと地面に降りた。

 親玉の喉の奥がググッと鳴り、手にしたナイフを地面に降りたペルルめがけて投げつけた。

 だが、ほんの少し身体を動かしただけで、ペルルは親玉の投げつけたナイフをかわし、

「親分があれなら子分もこれなの?、笑っちゃうほど愚かなのね」

 そういうとペルルは、腰を抜かして這い回っている禿頭のほうにゆっくりと右手を伸ばした。

 禿頭はその気配に気づいたのか、ペルルと目が合った。

 ペルルの目が禿頭を射すくめる。

「や、やめろ!」

 ビン!

 親玉の絶叫と魔弾の発射音が重なった。

 今そこに居た禿頭はわずかな光と共にナイフを残して消え去り、親玉は息を呑んだ。

「ちくしょう、魔女め、魔女め!」

 一人残された親玉は、ペルルに向かって呪詛のことばを吐いた。

 その呪詛を聞きながらペルルは笑顔で親玉に言った。

「もう一度いうわ。帰ってゴルコンさんに伝えなさい。でなければ、おまえにも消えてもらうわ」

 親玉はペルルをにらみつけながらゆっくりと立ち上がった。

 ペルルは親玉に背を向けて、店の方に歩き出した。

 と、そのとき、親玉が禿頭の残したナイフを拾って、ふたたびペルルに襲い掛かった。

 ペルルはクルリと身体を回転させてその攻撃をかわして、親玉の腹に蹴りをひとつ見舞った。

 げぇと親玉は声とも唸りともつかないものを上げたが、それでも腹を押さえてペルルにせまる。

「まだ懲りないようね、身体で教えてあげなきゃわからないのかしら?」

 ペルルは後ろ腰のポーチに魔弾を収めて身構えた。

 相手に対して半身に構える異国の格闘技の構えにも、親玉は屈しなかった。

 ぐぉと唸ると、ナイフを構えてペルルに突きかかった。

 身体の回転でナイフの切っ先をかわしたペルルは、ふたたび蹴りを見舞う。

 親玉はもんどりうって地面に転がったが、それでも、肩で息をしながら立ち上がり、ペルルめがけて突進した。

 親玉と正対したペルルは脳天にこぶしを見舞った。

 たまごをつぶしたようないやな音がして、親玉はその場に音をたてて崩れた。

 その口からは血の泡があふれ出てきた。

「魔弾をケチるんじゃなかったわ」

 ペルルははき捨てるようにいい、魔弾を取り出すと親玉に向けて一撃を放った。

 

-5ページ-

   ※

 

 約束の夜。

 ペルルはゴルコン家の門を叩いた。

 前回、ゴルコン氏が『占いの店』を訪れたときとおなじ、この地方のものではない巨大な帽子が印象的な装束に、いかにもな宝杖を携えている。

 中から女中頭らしい女が出てきて、彼女を奥へと導いた。

 ペルルはいったいどんな顔で出迎えるのかと思っていたが、期待に反して、相変わらず苦虫を噛み潰した顔のゴルコンが出迎えた。

 多額の見料は取り戻せないにしても、件の男だけでも追い払えればと考えているのか、ゴルコン氏を追い詰めてみるのも面白いと思ったが、今日は痩せぎすで腺病質な青白い顔をした奥方も一緒である。

 奥方は娘の勝手な振る舞いにはお手上げで、神経衰弱の状態なのだそうだが、元来がそんな痩せぎすな女なのだろう。

 「ザフィーア先生」の噂も、人づてにこの奥方が仕入れて、主人に行ってみるよう勧めたということだ。

 藁にもすがりたいというのが、いちばんぴったりくる。

 お互いのあいさつが済んだところで、ペルルは訊ねた。

「今日は、ご令嬢は……」

「おりますよ。降りてくるよう呼んだのですが」

「男の方、ゾナール殿はどうなのです」

「娘と一緒に降りてくるでしょう。今日は大事なお客さまが見えるから、必ず立ち合うようにと娘にはきつく言ってありますから」

 と言いながら、わずかに自信のなさが見え隠れする。

「あれからますます、頭に乗りましてな。食事の時間以外は、顔も見せないありさまで」

 吐き捨てるようにいった。

 食事の準備は整っていて、いつでもテーブルにはつけるという。

 ゴルコン氏の案内でペルルは席に着いた。

 やがて、娘が男をともなって現われた。

 男の席はペルルの真正面である。

 そうなるよう、ペルルが頼んでおいたのだ。

 テーブルにつき、客の顔を見るなりゾナールは口から心臓が飛び出すかと思うくらい、驚いた。

 もっとも、魔物には心臓などといったものはないから、この表現は正確ではない。

 実際驚きのあまり、大きく口を開き、一瞬魔力が解けそうになり、その姿がわずかに揺らめいた。

 もちろん、普通の人間にはわからないのだが、ペルルはそれを見逃さず、にやりと笑った。

 そして、男の指にはまっている指輪を確認した。

 間違いない、あの指輪だ。

 とりたてて凝った意匠が施されているわけでもない、どちらかというとありふれた銀の環である。

 あまり目立つ意匠だともの盗りの標的になりやすい、魔力の指輪なんてそんなものなのだ。

 魔物のゾナールは猫に睨まれた鼠よろしく、どこへ逃げ隠れもできなかった。

『もう駄目だ、この場で目の前にいる賢者はわたしの正体を暴きたて、魔界の奈落へと突き落としてしまうに違いない』

『もうおしまいだ』

『これまでだ…』

 魔物の頭の中をいろいろな考えがグルグルと回っていることだろう。

『いっそのこと自ら正体を明かして、この屋敷の者もろとも殺してしまおうか』

 と思ったが、賢者がいっこうに正体を暴露する素振りが見えないのを、いぶかしく思った。

「こちら、ザフィーア先生とおっしゃる予言者の先生でいらっしゃる。旅の途中でこの町がお気に召されて、しばらく滞在なさるそうだ」

 客の名を耳にして、魔物のゾナールは戸惑った。

『ザフィーア先生だなんて、どういうつもりだ?』

 ペルルが先ほどから柔らかい微笑をたたえて、こちらをみつめているのが、不気味でならないのだ。

 娘のヤグラニア嬢は客を胡散臭い目で一瞥をくれたのち、どうってことないといった表情で、軽く会釈をしただけだった。

 賢者は別段変わったことなどなにもないように、この家の主人と歓談している。

 夫人は相変わらず青白い顔をして、小鳥のように料理をついばむだけであった。

 魔物のゾナールはできるだけ自然にふるまった。

 正体を知っている相手は何も言ってこない。

 自ら馬脚を現すのを待っているのだろうか。

 根が小心な魔物なのだろうが、賢者の真意が掴みきれず、ついにその場にいたたまれなくなった。

 料理もろくに手を付けず、魔物のゾナールは突然立ち上がり、退席を申し出た。

「どうしたの。気分でも悪いの?」

 ヤグラニアが心配そうに声をかけた。

「……」

「それはいけません。部屋に戻ってお休みになられたほうがよろしいかと…」

 ペルルは素早く立ち上がって魔物のゾナールのそばに滑り寄ると、その腕をがっちりと掴んだ。

「お脈を拝見…」

などといって、脈を取る素振りを見せる。

「ここではなにもしないわ、おとなしく、私に従いなさい。さもないと・・・」

 ペルルは魔物のソナールにだけ聞こえるようにそれだけいうと、身体を支えるようなそぶりをみせた。

「まあ、たいへんだわ!。早く横にならないといけません。部屋はどちらに?」

 娘があわてて二階へ案内した。

 ゴルコン夫妻が、呆気に取られている間に賢者は魔物のゾナールを部屋に連れていってしまった。

 一緒に中に入ろうとするヤグラニアを、ペルルは押し止めた。

「いけません、お嬢さま。この方は恐ろしい病にかかっているかもしれないのです。先日見た死病の患者によく似ているのです。わたしがこの場にいて本当によかった。この方を診てから、あとからお嬢さんも診てさしあげましょう。さあ、お父さまとお母さまのところへ戻って」

 一気にまくしたてると、娘を部屋の外に押し出して扉を閉めてしまった。

 扉を背にして外の気配を伺っていたペルルの一瞬の隙をついて、部屋の奥から魔物のゾナールは『指輪』の効果を解いて襲い掛かった。

 だが、ペルルは眉一つ動かさずに後ろ腰のポーチから『魔弾』を引き抜くと、本来の姿に戻った魔物に向けた。

「おとなしくしなさい」

 押し殺した声で、魔物を恫喝した。

 『魔弾』を向けられた魔物は、ペルルの手の中の小さな金属の塊がなにであり、その力の行使がなにを意味するものか瞬時に理解し、凍りつくようにとまった。

「そう、それでいいわ」

 観念した魔物は、再びゾナールの姿に戻り、部屋の奥のベッドの上で小さくなった。

「それにしてもうまく化けたものね、この色男」

 冷ややかペルルは言った。

「おまえ、そんなに人間になりたいの?」

 魔物は震えながら頷いた。

「なぜ?」

 答えがない。

 それでもしばらく待ってペルルはつづけた。

「それはできないことよ。魔界のものが人間界で生きることは許されないのだから!」

きびしく言いはなった。

「そんなことはわかってます」

 絞りだすように答えた。

 魔物といっても、実害があるやつではないし、魔界は人間界とは表裏一体、鏡の裏と表のようなのだ。

 裏の存在が表に出てきてはいけない。

 ただそれだけのことなのだが、自然界の理でもある。

「なぜ、わたしがおまえをすぐ捕まえなかったかわかる?」

 魔物は目を白黒させた。

 黙っているのを確かめてペルルはさらに続けた。

「このまま指輪をしたままでいても、完全な人間になれるわけではないの。夜は魔物に戻ってしまうんですものね。でも、本当の人間になれる方法がないわけじゃないのよ」

 魔物は賢者の目をじっと見た。

「おまえには魂がないわ」

 ペルルは一瞥をくれる。

「魂がなければ、人間にはなれないのよ」

 ペルルは、再び言葉を切った。

「でもね、ひとつだけ方法があるの」

 と、ペルルは顔をぐっと近づけて囁いた。

「愛を手に入れなさい」

 ペルルは続けた。

「真実の愛を、よ。おまえが魔物であることを明かしてもかわらぬ、真実の愛。愛を得られれば、魔物といえども魂を持てるようになるの。わかるかかしら?」

 魔物はこくんと頷いた。

「でも、なぜ」

 いぶかしげに、魔物はペルルをみつめた。

「質問は一切なしよ。チャンスは一回限り。それまで指輪を預けておくわ」

 そういって、ペルルはベッドのそばを離れ、そして、念を押した。

「いいこと、紛い物じゃだめ、真実の愛よ」

 魔物を二階の部屋に残して、階下に下りていくと、ゴルコン一家が冷ややかな静寂の中でテーブルを囲んで待っていた。

「悪い病気でしたか?」

 ゴルコン氏が口を開いた。

 悪い病気なら、それを理由にこの家からたたき出すつもりだったのだろう。

 ペルルはテーブルの自分の席にゆっくりと座ると、

「いいえ、遠国の御曹司は見ず知らずの占い師との対面で少し緊張されたようですわ」

 ほほほ、と軽く笑ってみせる。

「ご実家を出奔されたのも気鬱の病が原因のようで、あまり緊張するとああなるのでしょう」

 テーブルの上に残していたグラスに手を伸ばすと、中の液体をゆっくりと飲み干した。

 さして高級とはいえないぶどう酒がペルルの胃の中に流れ込んだ。

「よかったですね、はやり病じゃなくて」

 娘に向かってペルルは微笑んだ。

「薬を飲ませておきましたから、一晩寝れば治るでしょう」

 ペルルはそういうと、そのまま帰り支度を始めた。

 それを、ゴルコン氏があわててとめようとしたが、ペルルはそれを制して

「いやあ、主賓が居ないのではなにかとまずいでしょうから、おいとまいたしますわ」

 そういって、テーブルから離れて、ドアを開け預けてあったコートを受け取るために、ドアのそばで控えていた女中頭に合図をした。

「ありがとう」

 コートを受け取ったペルルを、ゴルコン氏は執拗に追いかけてきて、

「どういうことですかな」

 と詰め寄った。

「大丈夫。あの男がこの家から居なくなれば良いのでしょう?悪いようにはしませんわ。わたしに任せておいてください」

 不敵な笑みを浮かべてペルルはその場を去った。

 ゴルコン氏は呆然とペルルを見送っていた。

 ゴルコン氏の視線を感じながら、うまくやるのよ、とペルルは思った。

 これからはおまえの勝負。

 わたしの勝負じゃない。

 そして、この鼻持ちならないその一家に一泡吹かせてやってちょうだい。

 

-6ページ-

   ※

 

 それからしばらくの間、なにごともなかったように、「ザフィーアの店」は繁盛していた。

 ゴルコン家で何が起こったのかおおよその想像はついたのだがペルルは実情を知らない。

 あの夜に屋敷のそばを通った人の話によると、断末魔のような女の悲鳴が聞こえ、轟音とともに一部屋が吹き飛んだという。

 それからしばらくの間、ゴルコンの屋敷からは物音一つしなかったそうだ。

 静かだった屋敷の中のゾナールの部屋で白目を剥いて引っ繰り返っているヤグラニアが見つかったという。

 そして、それ以後ゾナールの姿を見たものは、いない。

 ゴルコン家からの再三の呼び出しに、思いのほかひまにならない「ザフィーアの店」の合間をぬって、ペルルはゴルコン邸を訪ねた。

 なにも知らないふりをして…。

 さぞ、厄介者が消えて喜んでいるかと思ったら、そうでもないらしい。

 ほうけたように薄笑いをやめない娘に、ゴルコン夫妻はおろおろするばかりであった。

 ゾナールがいた部屋の扉を開けると、そこの天井はなくなっており、家具や調度品が散乱したままになっていて、その時の様子を少なからず物語っている。

 床に目を落とすと、屋根の残骸や壊れた調度品のガラクタの中に『指輪』が転がっていた。

 ペルルはそれを拾いあげて小さな皮の袋に入れ、そのまま懐に入れた。

「真実の愛、ね」

 クククッっと、のどの奥で笑った。

「そんなもの、そう簡単には得られるはずはないわよ」

 と、首をふった、その瞬間である。

 あの魔物が再び現われた。

 いままでの気弱な感じではない。

 明確な悪意を持って、魔界から戻ってきたのである。

『なぜだ、なぜ騙した!』

 ほとんど影のような、はっきりとしない姿のままで、ペルルに襲い掛かった。

 腕とも触手ともつかないものが、ペルルの白い首筋に食い込む。

 影のようにはっきりしないとはいえ、日中の魔界の生き物とは思えない力で首を絞めてきた。

 魔界の者が自然の理を破ったことでこちらの世界にいられなくなる。

 その姿を人に見られたら、どの道こちらの世界にはいられなくなるのだからとタカを括ったのが失敗だった。

 なぜそういった強制送還のようなことが起こるのかはわかっていない。

 とにかくそうなのだ。

 薄れていく意識の中で、「自然の理」だと過信していた自分に後悔した。

 と、そのときである。

 『指輪』がすさまじい光を放って輝き始め、ペルルの姿が空気にしみこんでいくように掻き消えた。

 そして、床の上になにかが落ちる、ドサリという大きな音がした。

 なにもない空間から、ゲホゲホと咳き込む声だけが聞こえていた。

『どこだ、何処に隠れた!』

 魔物は必死になって、ペルルの居所を探した。

 『指輪』の真の効能はこういうことだったのだ。

 見せかけるだけではなく、消してしまえるものだった。

 ペルルの危機に、その力が勝手に作動したのだった。

 それは、『指輪』がペルルを主人と認めたことでもあった。

「なるほどね、こういう効果があったのね」

 ペルルの声がして、今までそこに何も無かった扉の前に、ペルルが姿を現した。

 手には『魔弾』が握られている。

「さあ、おとなしく魔界にお帰り」

 だが、魔物は再びペルルの喉元を狙って触手を伸ばした。

 ビン!

 喉元に触手が届く一瞬前に『魔弾』が火を噴いた。

 片方の触手が消し飛び、魔物がひるんだ。

「次は消えてしまうわよ」

 ペルルの言葉がおわらないうちに、再び魔物は襲い掛かった。

 ビン、ビン!

 ペルルはためらわずに『魔弾』を二発放った。

 光さえも残さず、魔物は消えてしまった。

「魔界に返してやろうと思ったのに、どちらの世界にも居られなくなったわね」

 ペルルは冷たく言い放って、部屋を出た。

 階下に下りてくると娘を気遣うゴルコン夫婦が寄ってきて、ことの顛末を問いただした。

「わたしにもわかりかねます」

 ゴルコン夫妻が沈痛の面持ちで目を伏せる。

「なにかの事故でしょうかしら?」

「ただ…、」

「ただ?」

 ゴルコン夫妻はペルルの言葉に少しの光明を見出したのか、すがりつかんばかりに袖をつかむ。

「大丈夫、お嬢さんは時間が解決してくれますわ」

 と、気休めをいい、ほほほと冷たく笑った。

 本当に、ただの気休めだ。

 心の深遠に沈み込んでしまった魂を呼び戻すには、何百年にひとりというレベルの腕の立つ賢者が、心の中に潜って、彼女の心を漆黒の深みから引き揚げない限り、この哀れな娘が正気に戻ることは、万に一つもないだろう。

 だが、町の人々の溜飲はさがる。

 娘にかかりっきりになるゴルコン夫婦が、いままでと同じように、町の人々に迷惑をかけるとはおもえない。

 これでいい。

 この小さな町も当面は平和になったし、『指輪』も回収できたのだから。

「では、これで」

 ペルルは冷たくそう言うと、屋敷を後にした。

 

   ※

 

 その日からしばらくして『ザフィーアの店』は忽然と姿を消したが、町の人たちは、ゴルコン一家の引き起こす厄介事がなくなり、自分たちの暮らしぶりが少しは安定したことで、誰一人として、気づくものはなかった。

 町はずれの長距離馬車の誰もいない駅停で振り返ったペルルは、あの忌々しい親子と魔物を忘れるために、おおきく伸びをした。

「今でも田舎にはあんな時代錯誤の悪党がいるなんて思わなかったわ。占い師の稼ぎも、おもったよりよかったし…」

 そうつぶやくと、肩にずっしりと食い込む皮袋の中の金貨がカチリと返事をした。

 一陣の風が吹き抜けて、ペルルの背中を押した。

 

説明
ペルル・サフィール・ボワイエ
市井にあって魔術を行使する女賢者。
またの名は「稲妻の魔女」
彼女が自分の不始末の尻拭いをするお話。
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