【Fox Failurer ─哀しい地下室】
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 ──時は西暦26xx年。

 

 一つの国が、兵器の為のウィルスを開発していた。

 

 

 いつ起こるやもしれない「戦争」を想定して。

 

 いつ自分達の国を破滅に導くか分からない、そんな国を想定して。

 

 

 ウィルスによって、感情を消し、痛みすら感じない完璧な兵士を育成しようと目論んでいた。

 

 しかし──

 

 国と彼らの企みは、研究半ばにして、施設の爆破という悲劇で幕を閉じる。

 

 爆風で吹き飛んだウィルスは風にのり、世界中へ──

 

 

 そして、人々を、化物に……変えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

【Fox Failurer ─哀しい地下室】

 

 

 

 

 

 

 

 

 男は皮肉な笑みを、デカサングラスの奥で浮かべていた。

 

 誰もいない薄暗い路地。

 やっと目標を追い詰める事ができた。

 若干息も上がっている。

 

 あーぁ、これも年のせいかね──

 

 自嘲すると、目の前の化物を見つめる。

 追い掛けているうちに、段々と化物に姿を変えていった元・人間。

 

 それは、世界中に吹き飛んだウィルスが人間の体内へと潜り込み──フェーラー遺伝子(失敗の遺伝子)となって姿形までも作り変えた為だった。

 フェーラーには個人差があり、徐々に化物の姿に変わっていく人間と、この青年の様に短時間で一気に化物に変わる人間もいる。

 化物に変わり果ててしまった人間に理性などはなく、まさしく「獣」と化している。上半身は既に人間であった原型を留めていない。

 

 獣の裂けた口から、唾液がしたたり落ちている。

 しばらく男と化物は睨み合っていた。

 ビルの隙間風が、男のざんばらに伸びた銀髪と、左腕に巻き付け、余った布の切れ端をなびかせる。

 先に動いたのは化け物の方だった。

 その動きに合わせ、男は腕全体に巻き付けていた布を素早く解き、獣の頭をわしづかみにする。

 

 男の左手は、人間のものでは……なかった。

 

 まるで鳥の様な大きな爪が三本、化物の頭を捕らえて離さない。腕にはびっしりと固い鱗状のものが皮膚を覆っている。

 化物はたまらず、吠えかかろうと雄叫びをあげた。

 男はその瞬間を逃さず、腰のフォルダーからベレッタを取り出した。

 

 

「さぁ、ゲームはここまでにしようや」

 

 

 がっちり化物の口にベレッタの銃口を押し込むと、男は引き金を……引いた。

 

 ガゥンッ!!

 

 化物は途端に悲鳴をあげ、顔に手を当てながら苦しみ出す。

 男は冷静に落とした布を拾い上げ、再び腕に巻付ける。

 そうして、ゆっくりと化物だった、人間を見つめた。

 壁伝いに崩れ落ちている若い青年が、少し苦しそうに息をしながら意識を失っている──ついさっきまでは、化物だった青年だ。

 銀髪の男は、独り言の様に、青年に話し掛けた。

 

「運が良かったな、兄ちゃん」

 

 

 

***

 

 

 

「それで?」

 

 緑に隠れる様に、ひっそりと建っている──とある小さな研究所。

 白衣を着用し、肩まで伸びた髪はそのままに、前髪だけをひっつめてくくっている青年が一人。

 電話越しの相手に対して、ご立腹の様だ。

「頼んでた資料が、どーなったって?」

『だーから、閉館だったんだよ! 図書館がっ』

「資料を探しに行ってから、一体どれだけ時間が経ったと思ってるんだよっ?! なんで閉館時に行くわけ?!」

『街中で突然フェーラー化し出した男を見付けちまったのっ!』

「……フォックス?? いつも言ってるよね??」

 

『浄化弾はむやみやたらと使うなっ!』

 

「分かっててなんで使うわけ?! あれ作る費用だって馬鹿にならなっ──!」

 電話は、一方的に切れた。

 怒り心頭の青年はすぐにリダイアルしようとして、肩に置かれた手の感触に振り返った。

「ボル、一体何をそんなにいきり立ってるんだ?」

「……姉さん」

 さっきまでの勢いは削がれ、ボルと呼ばれた青年はよろよろと姉のエイルにしなだれかかる。

 エイルは四角い銀縁眼鏡を押し上げると、弟の言葉を待った。

「フォックスがー……」

 フォックスか。

 フォックスとくれば、大体相場は決まっている。

「浄化弾だな」

「依頼以外は使うなってあっれほどっ、言ってんのに──」

「ま、いつもの事だ」

 エイルは全く気にしていない様子でボルをひっぺがすと数枚の札を握らせた。

「? 姉さん?」

「煙草が切れた。いつものブラックデビル、カートンで買ってきてくれ」

「へ? ちょっ、姉さんもフォックスにもうちょっとさっ──!」

 言いかけたボルを制する様に、エイルは片手を上げると研究室に消えて行った。

「全く。どっちか一人でもいいから、もう少し金銭感覚を持って欲しいよ」

 ボルは手に握らされた札を見て、ため息を吐いた。

 

 

 

***

 

 

 

 研究所に帰りたくないフォックスは、バイクにもたれかかって暮れ行く夕日を眺めていた。

 煙草の煙がゆらゆら揺れては風に流されていく。

 

 丘の上にある中央図書館は、街全体を見渡せる。

 少しずつ、少しずつ……明かりが灯り始める街──

 ぼんやりと映る街の光景は、それでも帰る場所はあの研究所だけだ、と告げていた。

 

 仕方なく腰を上げようとした時、上から誰かに覗かれてる気配に気付いた。ゆっくりと顔を上げる。

 バイクの向こう側、一人の少女が「へへっ」と笑ってこっちを見つめていた。

「なんだい、嬢ちゃん。帰らないとお家の人が心配するぞ?」

 フォックスがよっこら、と立ち上がると、少女もぴょっこり姿を現した。

「平気。それよりさ、おじさんスゴイね。あんな化物になってしまったフェーラーを元に戻すなんてさっ!普通はあそこまで化物になっちまったら、その……殺され、るのに──」

 

 

 フェーラー狩り……。

 

 フェーラー遺伝子によって、体の半分以上が化物の姿になってしまった人間は、人権を放棄される。

 つまり、怪物化した人間は「殺してもいい」対象になるのである。

 これに関して世界中では様々な議論をよんだが、フェーラーウィルスは生物の肉を欲しがる傾向にある為、結局「抹消」以外の結論にしか行き当たらなかった。

 

─事実、フェーラー化した人間によって何百人もの被害者が出ている。

 

 そこで、フェーラーの完全体を見付けて「抹消」した者に賞金を与える制度までもが設けられてしまった。──それが、今ではすっかり定着してしまっているフェーラーハンターという職種を生み出したのだった。

 眠っているフェーラーウィルスの目覚めを遅らす薬や、少しの目覚め程度の浄化薬なら開発されている。

 しかし、半分以上フェーラーになってしまった人間を「浄化」させる薬は未だ開発されていない──否、国からまだ認められていないのだ。フォックスの使っている「浄化弾」ですら、国から糾弾されてもおかしくない話なのである。

 

 

 フォックスは困った顔で頭をかいた。

「危な現場にひょこひょこ顔出しちゃぁいかんよ、お嬢ちゃん」

 少女はにんまり笑った。

 

 年の頃は十二、三歳といった所か?Tシャツにジーパン。

 髪は自分で切ったらしく、不揃いな毛先が耳元ではねている。

 

「あのさ」

 おもむろに、少女が切り出す。

「あんたの腕を見込んで頼みたい事があるんだ……」

 

 ほらきた。

 

 依頼人は依頼人だが……確実にボルが追い返しそうな類いに入る。

 

─僕らのやってる事は慈善事業じゃないっ。研究資金の為だ!

 

 フォックスはボルの憤った顔を思い出し、どうしたもんかとため息を吐いた。

「嬢ちゃん、あの時……俺の左腕を見たろう?」

 少女は小さく頷いたが、すぐに頭を振った。

「そんなの関係ないよっ!!あれは……その、見なかった事にするから──」

 やれやれ。

 フォックスは苦笑いをしながら、左腕に巻き付けている布を解いた。

「見てみな」

 ずいっと少女の目の前に大きな爪を突き出す。

「俺の体の中は、半分フェーラーが目を覚ましている状態でね──そいつがいつ暴走するかも分からん」

 少女は微動だにせず、ただじっと……フォックスのではなく、彼の瞳を見つめていた。

「そんな話をしに、追いかけてきたわけじゃないんだ」

 彼女の瞳からはなんの迷いも、恐れも、感じ取る事はできなかった。

 

 

 

 少女は名をナスカと名乗り、フォックスをどんどんと治安の悪い区画へと案内する。

 

─こりゃますます報酬は期待できないな……。

 

 バイクを押しながら、フォックスは薄汚れた街並を眺める。

 ナスカの強い瞳に負けて、ついついこんな所まで来てしまった。

 まったくもって、損な性分の自分に思わずため息だ。

 

 路地の行き止まりで、ナスカはぴたりと止まった。

 

「ねぇ」

 

「なんだ? まさかここまで来て身ぐるみ置いてけって言ったりしねぇよな?」

 ナスカはぐるっとフォックスに振り返った。

「後悔、しない?」

「何を?」

「この下に……入る、事」

 おもむろに退いたナスカの足元には、鉄板の扉が存在していた。

「なるほど……」

 この下に奴さんがいる訳か──

 フォックスはひゅぅと口笛を吹いた。

「後悔なんざしないね、おじさんは。ここまで来たんだ、後は野となれ山となれってな」

 ナスカは少しだけ微笑んでから、良かった──と呟いた。

「えっと……できれば、鼻と口は塞いでおいた方がいいかもしれない」

「息をするなって事か?」

「息ができる程度にだよ!」

 少々怒りながら、ナスカは鉄板の扉を開けた。

「入って」

 真っ暗い闇から、少しばかり鼻につく異臭が流れてくる。

 フォックスは言われた通り、鼻と口を手で塞いで扉の下の階段を降りて行った。

 

 

 

***

 

 

 

 階段を降りると、異臭はより強力になり……闇に慣れてきた目は、そこかしこに散らばる腐乱した猫の死骸を捉らえた。

 腹だけをかじらられているもの、全体の肉を全てはぎとられているもの。血によってこびりつき、一つの塊となっているものもある。

 

「ギオ」

 

 少女は、静かに……この猫たちを食い付くしたであろう人物の名を呼んだ。

 暗闇の空気が、静かに揺らぐ。

 フォックスはサングラスを外して、紅い瞳でまじまじとその人物を見つめた。

 

 体の肉が、まるでボールがくっついた様にいくつも膨張しており、その肉の間に埋もれる様に顔が存在している。

 フェーラーには特有の裂けた口からは、涎がだらだらと垂れている。

 

「ナ……カ……ご……はん」

 

 化物と化した青年は、うわ言の様にナスカに囁く。

 フォックスは目を見張った。

「驚いたな。まだ理性が残ってんのか? この状態で言葉を発するなんて」

 ナスカは俯いたまま、呟いた。

「理性? もうギオには食べる事しか頭にない。それが理性だって、言える?」

 眉をしかめて、フォックスは少し距離をとってギオに近付いた。

「ナスカ。こいつはもう全身をフェーラーに犯されてる。俺の浄化弾で効くかどうか──」

 

「ご、はんっ!!」

 

 フォックスがナスカに説明しようとしているのを遮り、突然、ギオが襲いかかってきた。

 慌てて身を翻し、フォックスは左腕に巻いていた布を解いた。

 死骸の塊を三本の爪で掴みとってギオに投げ付ける。

 丁度顔に当たり、ギオは呻いた。

 しかし、それすら押しのけてフォックスに迫ってくる。

「ごはん……にん、げん、ごは……ん」

「あぁ、そうだな。お前さん方の一番の好物は人間だっ」

 フォックスは、胸ポケットに入れておいた動画カメラを取り出して投げた。

「ナスカ! それの赤いボタンを押して今の状況を映してくれ! ──正し、自分の身が危ないと感じたらすぐに逃げろ! いいなっ」

 ナスカは青ざめたままカメラを受け取り、赤いボタンを押した。小さな液晶の画面には、フォックスとギオの死闘が映し出される。

 間合いを取って、ギオの口に浄化弾をぶちこみたいところなのだが、その間合いすら取らせてくれない勢いでギオは迫ってくる。

 完全にフェーラーに侵食された体は、先ほどの突然フェーラー化し出した青年よりも強く、激しい力を持っている。

 フォックスは逃げる事しか専念できずにいた。この地下室じゃ、暴れ回るには狭すぎる。

「ナスカ! 逃げろ!!」

 硬直してしまっているナスカは逃げる事ができずに、こちらをただただ青い顔で見つめたままだ。

 

──ちくしょっ。

 

 フォックスはベレッタを取り出して、逃げる事を止めた。

「食いたきゃ食いな」

 左腕を突き出すと、ガブリッとかじりつかれる。

 ぼとぼとと、青緑の血と共に、鱗が剥がれ落ちる。

「おーおー……相当腹減ってんのか? こんなくそまずい腕すら噛み砕けそうだな」

 腕を引きちぎろうと、ギオが再び大きく口を開けた瞬間──フォックスはベレッタの引き金を引いた。

 突然口の中に入ってきた異物に、ギオは苦しみ出す。

「ひとまず逃げるぞ、ナスカ!」

 フォックスはベレッタを持ったまま、ナスカを腕でさらうと階段へと駆け上がる。

「フォックス……」

 涙声のナスカが指差したもの──

 フォックスは鉄板を開きかけた手を、一瞬止めた。

「やっぱり……」

 

 苦しがっていたギオは、体から湯気を放ちながら、その場に立ち尽くしていた。

 化物の姿、そのままに──

 

 フォックスは鉄板の扉を押し上げた。

 地上もすっかり夜になっていたが、月の明かりに少しだけ、目がくらんだ。

 

 

 

***

 

 

 

 ダウンタウンの路地を抜けると、港に出る。

 そこでしばらく、フォックスとナスカは放心していた。

 しばらく、二人は買ったジュースに口をつける事もなく、ただただ海を眺めていた。

 

「大丈夫なの、か?」

 

 ふいに口を開いたナスカに、フォックスは目をやる。

「あ? ……あぁ、左腕か。大丈夫だ。やらしい事に、フェーラーってのは細胞の回復速度が早いんでね、すぐに治る」

「じゃあ、ギオも……」

 フォックスは眉をしかめた。

「通常、浄化弾てのは効き目が早いもんだ。すぐにフェーラー細胞を根絶やしにする。しかし──」

 

 ギオは、ただ湯気を放っていただけだった。

 フェーラー細胞が浄化弾の薬剤すら、体内に取り込んでしまったのだ。

 

「効かなかったん、だよね?」

 ナスカは、目にじんわりと涙を溜めた。

 それを見たフォックスは慌てて、ぐしゃぐしゃとナスカの頭を撫でた。

「大丈夫だ。うちの研究員がなんとかしてくれるかもしれない。さっきお前さんが撮ってくれた画像があるだろう」

 ナスカはごしごしと目元を拭いながら、うんうん、と頷いた。

「でも……」

「ん?」

「新しい薬剤の研究って、お金がいるんじゃないのか?」

 フォックスの脳裏に、鬼の形相をしたボルが浮かんで、消えた。

「は……ははは。──まぁ、ね」

「家に寄ってくれないかな?」

「え?」

「渡したい物があるんだ」

 

 

 

***

 

 

 

 ナスカの家は縦にだけ長い、小さなアパートの一室にあった。

 年頃の女の子にしては、殺風景な部屋。

 ベッドの上に座らされたフォックスは、ぐるりと部屋を見回した。

 ふと、目に止まる……ベッドの壁際に張られた写真──

 

「これこれ」

 

 ナスカがとたとたとキッチンから駆け寄ってきた。

 手には、クマのぬいぐるみ。

「いつも床下の食料倉庫の中に入れてんだけどさ」

 フォックスは苦笑いをするしかなかった。

「お嬢ちゃん、これじゃ──」

「ただのぬいぐるみだと思ってるだろ?! これはなぁ、おばあちゃんのそのまたおばあちゃんが大事に大事に継いできた由緒正しきテディベアだぞ!」

「由緒、正しき……」

 なるほど年期が入っていて薄汚い。

 フォックスはどうしようかと苦笑いの顔のまま固まってしまった。

 断ろうと口を開きかけたが、ナスカに遮られてしまう。

「きっと、すごいお金になるって。死んだ母さんが、言ってた」

 再び、テディベアを見つめる。

 

「……そうかぃ」

 

 決意したかの様に、フォックスはテディベアを握りしめた。

「それじゃあ、これは預からせてもらおう」

「良かった」

 ナスカはやっと、再び愛らしい笑顔を見せてフォックスの隣に腰掛けた。

 なんともバツが悪いフォックスは、何から聞いていいのか、果たして聞いていいのか? ──そればかりをずっと、逡巡していた。

 自然と、目は壁に張られた写真にいってしまう。

「あ」

 ナスカがその視線の先に気付いたのか、壁からピンを抜くと写真を手元に持ってきた。

 写真には、おそらく今よりずっと小さい頃のナスカと、彼女より二頭背の高い少年と、真ん中にはかがみながら微笑む女性の姿が写っていた。

「これが母さん。三年前に肺を患って死んだ。こっちが──」

 ナスカは、固まっていた。

 差す指先がふるふると震えている。

「ナスカ」

 もう、いい──言いかけたフォックスを遮る様に、ナスカは続けた。

「こっちが、ギオ。ギオはね、本当は甘い物が大好きでさ……スイートラバンで売ってるクッキーが、大好物……だったんだ」

 

──でも、今は……。

 

 ナスカはぽたり、と写真に雫を落とした。

「フェーラーに侵されてるって知ったのは、半年前。口のまわりいっぱいに血をつけて、猫を、食べてた。美味しいって、笑ってた……」

「その時はまだ、人間の姿だったんだな?」

 ナスカはこくりと頷くと、震える声で続けた。

「猫や、動物を食べる回数が増えていって、ギオが、言ったんだ。もうここにはいれないって。だから……昔から秘密基地にしてた、あそこの地下に……閉じ込めて欲しいって。……あたし、最初は嫌だって言ったんだ。ギオまで失ったら、誰を生き甲斐にすればいいんだって」

「だから、猫を捕まえてはギオに会いに行ってたんだな」

「ギオは、あたしの生き甲斐だ。どんな、姿になっても……たった一人の肉親なんだ──」

 ナスカの涙はぼろぼろと零れ、次第に嗚咽へと変わっていった。

「ギオは、どんどん……どんどん、変わって、いった。……もう、あたしですら、近寄れない程にっ……!」

 そっと、優しく……フォックスはナスカの背中をさすってやった。

 なんとかしてやりたい──そればかりを、考えながら。

 

 

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***

 

 

 

「ダメか?」

「うーん……」

 エイルの煙草からかすかに香るココナッツの匂い。

 いつもの煙たい研究室の中、何度も何度も再生したフォックスとギオの姿がパソコン画面に映し出されている。

「フェーラー化を自覚したのは半年前だと言ってたな?」

「あぁ」

「この少年の場合、やはり期間を置き過ぎている。通常の浄化弾が効かないのも当然だな」

「それは……つまり──」

「完全にフェーラー化してるって事さ」

 フォックスはどうしようもない感情に駆られ、目を瞑った。

「手立ては、ないのか?」

「ないにはないが何しろ……──」

 

「金がいるんだよっ、何事もっ」

 

 バンッと開け放たれたドア。

 そこには、いつもの不機嫌そうな顔のボルが、白衣ではなくジャケット姿で立っていた。

「はい、姉さん資料。はい、フォックス、テディベア」

 ボルはさくさくと二人に渡すべく物を渡していく。

「ふむ。あっちの方はどうなった?」

「なんとかしてきたよ。毎度の事ながらホント胃が痛くなるったら」

 ボルはぎんっとフォックスを睨む様にテディベアを指差した。

「それ、一銭にもならないって、質屋に追っ払われた」

 フォックスは苦笑いを浮かべて──そうか、とぼやいた。

 

「フォックス?」

 

 エイルが煙草の煙を吐き出しながら、真顔で呟いた。

「なんとかなるかもしれんぞ?」

「姉さん」

「なんだ? すぐとりかかるぞ。準備しろ、ボル」

「本気?」

「私はいつも本気だが?」

「だって、依頼人は──」

「科学には様々な代償がつきものだ」

 ボルははぁ?と大きなため息を吐いた。

「なんとか、なるのか?」

「姉さんがそう言ったんだから、そうじゃない?」

 ボルは不服そうに、かけてあった白衣とジャケットを取り替えて着替え直した。

「徹夜で丸一日か二日。いや、一日だな。姉さんの気合いの入れようが違う」

 フォックスは申し訳なさげに笑うしかない。

「まーったく。いっつもいっつも金にならないややこしい仕事ばっかり持ってくるんだから、フォックスは」

「すいませんね……」

「フォックスの──腕のフェーラーを取り除く実験すら、ままならない」

 フォックスは小さくハハッと笑った。

「俺の事は、二の次、三の次で……いいんだよ」

 ボルは実験室へ向かいながら、フォックスに向かってでっかく叫んだ。

 

「バカヤロウ!!」

 

 

 

***

 

 

 

 ダウンタウンのボロアパートに囲まれた一角。

 フォックスの目の前には、禁断の地下室へ続く鉄の扉が佇んでいる。

 イヤフォンをセットしフォックスの耳に、エイルの声が聞こえてきた。

 

 

『聞こえるか? フォックス』

「あぁ、良好良好」

『弾は一発しか作れなかった。上手く使え』

「りょーかいっ」

『できれば立ち会いたいんだがな』

「冗談。危険だ」

『フォックス』

「まだ何か?」

 

『死ぬなよ』

 

「りょーかい……」

 

 

 フォックスはバイクから降りると、ゆっくりと鉄板を開こうとした──

 

「フォックス!」

 

 突然の声に振り返る。

「ナスカ! どうして?」

「だって……だって、心配だったんだよ」

「ギオか? 大丈夫だ。……おそらくは、な。うちの研究員は優秀だ」

「違う」

「?」

「フォックスが……」

 ナスカは伏し目がちにぼそぼそと呟いた。

「あれから……あたし、また野良猫捕まえて地下室に行ったんだ」

 フォックスは一瞬驚いた顔をしたが、思った事は口にせず「それで?」と促した。

「ギオ、変わってた。体が青色になってて……前より二回りぐらい大きくなってて──」

「浄化剤が余計にフェーラーウィルスに反応したんだな。仕方ない事だ」

「あたし、階段を降りる事できなくて、恐くて……あたし、ギオを『恐い』なんて思った事、一度もなかったんだっ」

 ナスカは潤んだ目でフォックスにしがみついた。

 

「お願いだ。一緒に地下に入らせて欲しい。どんな結果になってもいいから……」

 

 フォックスはしばらく渋い顔で逡巡していたが、決意した様にナスカを見つめた。

「分かった。ただし、階段までだ。いいな? そこで待っていろ」

「ぅん……うんっ。──ありがとう」

 フォックスは再び扉に向かった。

 

 次は一気に、開く。

 

 吐き気をもよおす悪臭に鼻と口を押さえながら、ナスカと一緒に地下に入った。

「お前さんはここまでだ。危なくなったら、すぐに扉を開け」

 扉に近い位置にナスカを座らせてから、通信用の動画デッキを室内に向かって備え付ける。

 そうして、フォックスはゆっくりゆっくり階段を降りて行った。

 獣の様な鼻息が聞こえてくる。

 

「グルル……」

 

 ギオは、既に人間の言葉を発する事ができずにいた。

 フォックスは大きく深呼吸をすると、マイクに向かって呟く様に言った。

「今から戦闘態勢に入る」

『分かった……』

 ゆっくり振り返る青い怪物の中心の顔は、口だけがやたら大きく裂けていた。

 二つある目は互い違いの方向を見つめ、瞳の色は白濁して、視界が働いていない事を物語っている。

 しかし、フォックスの気配に──否、人間の匂いに気付いたギオは驚く程素早く襲いかかってきた。

「……っ! 嗅覚だけがやたら発達してるのかっ」

 フォックスは左手の布をすぐに解くと、この前と同じ様に食い付かせようとした。

 

 しかし──

 

 ギオはそんなフォックスを通り過ぎ、階段の方に向かって行く。

「まさか……しまった!」

 半分フェーラーを宿しているフォックスよりも、確実に人間であるナスカ。

 ギオの向かっていく方向は決っていた。

「ナスカ! 逃げろ!!」

 フォックスはギオを追いかけると、鋭い爪でギオの膨張した背中の肉を掴み、なんとかこちら側に引き寄せて横倒しにした。

 

 ズドン……──

 

 地下室が軽く揺れる。

「ナスカ! 何やってんだっ! 逃げろ!!」

 フォックスがナスカに向かって吠える。

 しかし、ナスカはがくがく震えて立てない様だった。

「くそっ!」

 とにかくナスカをこの地下から脱出させようと階段を駆け上る。

 ナスカを抱いて扉を開こうとした瞬間──

 

「ぅぐっ」

 

 フォックスの足を、ギオがかぶりついていた。

 鉄板の扉を開けたいのに、足を捕らえられて届かない。

「ナス……カ、頼む、動いてくれ。ここから、脱出を……」

 ナスカは涙目でがくがく震えているだけだ。

 ギオの腕はみるみる伸びてくる。

 フォックスはナスカを守る事で精一杯だった。

「ナスカっ!!」

 

 ずるっ──

 

 かぶりつかれたフォックスの足を、ギオは引きずり落とし始めた。

「逃げるんだ、ナスカっ」

「……ギオ……ギオ──」

 うわ言の様に呟くだけのナスカを、どうしてやる事もできず……フォックスは通常の弾を込めたベレッタを取り出すと、ギオに向かって何発か撃った。

 しかし、弾は肉にめり込み、吸収される。

 

──これが、フェーラーの完全体なのか……。

 

『フォックス! 一体どうしたんだっ?!』

 イヤフォンの向こう側から声がする──画面に映っていないフォックスを心配したボルの声だった。

「だい……じょうぶだ、多分」

 フォックスは微笑むと、イヤフォンマイクを捨てた。

「仕方ねぇ、足はくれてやろう」

 足を喰いちぎり、再び口を開けた時がチャンスだ。

 フォックスがそう結論に達した時、するり、と胸にあった感触が消えた。

「?! ナスカっ?!」

 ナスカの理性はぷつり、と切れていた。

 狂った様にギオに駆け寄って行く。

「ギオ! ギオ!」

「ナスカっ!!」

 ギオの口はフォックスの足を離し、ナスカを向い入れる様に大きく口を開けた。

 フォックスは浄化弾をセットしてある方のベレッタを取り出すと、素早く撃った。

 

 が──

 

 ギオが、浄化弾を飲み込むのとナスカの頭を喰いちぎるのは……同時だった。

「ナスカー!!!」

 ギオは、湯気を放ちながら、ずるずると階段を上ってくる。

 フォックスはぐちゃぐちゃになったままの感情で、ただただ上ってくる怪物を見つめるしかできないでいた。

「……べた……くは……」

 徐々に人間の姿に戻ってきているとはいえ、ばっくりと開いた口はそのままフォックスを狙っている様に見える。

 フォックスは無意識に、首の部分が膨張したでであろう肉を、左手の爪で掴んでいた。

「何故だ……」

 涙が流れる。

 しかし、それすらも……フォックスは気付けていない様子で大声で叫んだ。

 

「何故妹を喰った!!!」

 

 ギオはフォックスの爪に手をかける。

「僕は……ナスカ……食べた──」

 ぐっと、ギオは爪を掴んでいた手に力を込めた。

 フォックスの左手は、ギオの喉を、握り潰した。

 

 飛び散る、真っ赤な、血しぶき。

 

 ぼたぼたと爪から滴り落ちる赤い血は、彼が人間に戻っていたという確実な証だった。

 

 

「うぁぁあああああ!!!!!」

 

 

 地下室には、フォックスの慟哭だけが、虚しく、響いた。

 

 

 

***

 

 

 

「考えてみれば、ギオは猫を運んでくるナスカには手をかけなかった。完全にフェーラー化しているにも関わらず、だ」

 

 窓の外で、緑がさやさやと揺れている。

 フォックスは研究所で用意された自室のベッドで寝かされていた。

 ベッド近くの棚の上には、ほぼ手をつけていない料理が佇んでいる。

 りんごを持ってきたボルは、それを見て小さく息をついた。

「ナスカを、地下に入れるんじゃなかった……」

「フォックス」

「俺が……──」

「フォックス!!」

 フォックスは窓際を向いたまま、動かない。

 ボルはそっと、フォックスの目の前にテディベアを差し出した。

 

「ホントはさ、これ、結構高値で買い取れるって、言われた」

 

 フォックスは振り返る。

「今回の研究費に関しては……父さんの知り合いの伝手を頼ったんだ。姉さんはいつもそれを宛てにしてる。まったく。頭下げに行くのは僕だっていうのにさっ」

 ボルはフォックスに背を向けて、りんごを剥き始めた。

「──でも、なんだか、分かる気がする。あの、兄妹は……。なんとなく、だけどね」

 フォックスは、黙ってボルの背中を見つめていたが、やがて……静かに呟いた。

「ボル……」

「んー?」

「天国って、あると思うか?」

 ボルは半分まで剥いたりんごを手にして、振り返った。

「あるんじゃないかな」

 ふ、と窓際に置いたテディベアに目をやる。

「……それ、届けてやらないとね」

 

 緑に溶け込むように佇むテディベア。

 微笑む顔に、フォックスはナスカの笑顔を重ねていた。

 

「そうだな……──」

 

 

 

 

 心から願う。

 

 どうかどうか……

 

 空の上では、

 

 幸せでありますように、と──

 

 

 

end

説明

近未来ガンアクションです。

少しグロかったりする表現もありますので、ご注意下さい。

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