彼女と私の関係 『香苗と雪咲の場合』
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蒼穹。

空という圧倒的空間。

押しつぶされそうで、しかし美しくて、何処までも自由で居られそうで、何処までも飛んでいけそうで。

綺麗な空気と、美しい青の光。

澄んだ空気を肺一杯に吸い込む。

複雑な光の芸術を、瞳一杯に映しこむ。

柔らかな風の流れを肌一杯に感じる。

最も幸せな瞬間。

だが。

そんな幸せな瞬間も、どんな幸せな瞬間も。

彼女の美しさと綺麗さと、柔らかな肌とか、その香りとか。

そういうものに比べれば、取るに足りないものでしかない。

そんな風に、考えてしまうのだった。

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少しずつ気温が下がって、下がりきってはいないが程ほどに身を凍えさせる季節。

冬。

十二月。

星崎女子高等学校一年生の香苗《かなえ》には悩みがあった。

香苗《かなえ》ににとっての雪咲《ゆきさき》はただ一人の雪咲だが、雪咲にとっての香苗は、もちろんただ一人の香苗にこそ違いないが、その意味合いは少し異なる。

分かり難いが、そういう悩み。

それを考える毎に、ふとした瞬間にそれをふと思い出す毎に、香苗の胸は締め付けられたように苦しくなる。雪咲の事を想う幸せとは違う、彼女に頭を撫でられる度に感じる幸せとは違う、別種の苦しみ。幸福を含まない、不安で満たされた、単純な苦しみ。

香苗には友達が居ない。

友達は居ない、居るのは親友だけだ…………などという格好良さに彩られた、やや中学生を思わせる台詞選びの妙では無く(上手い事を言えているわけでも、素晴らしくも無いが)、言葉通りの意味だ。つまり、本当に友達が居ない。一人もだ。

いや、厳密に言えば、それはやや事実と異なるのだが。

香苗には友達が居ない。雪咲以外の友達が居ない。だから、厳密に言うなれば、雪咲以外の友達が一人も居ない。逆に空しくなるだけの事実だが、事実である以上これはもうどうしようも無い。

だが、ややこしい事に、二人の間でその認識が少し異なっているのでは無いだろうか、というのが、目下、香苗を悩ませている事実でも有る。香苗が雪咲と友達で有るかと問われれば、これは確かにその通り、何一つ恥じる事の無い事実だし、雪咲が香苗と友達で有るかと問われればこれもまたその通りで有ると、彼女も胸を張って答えてくれるだろう。だが、香苗と雪咲とでは決定的に異なる点が一つ有った(違いなど、それはもういくらでも有るのだが、二人の関係性を示す上でのそれである)。

それは香苗には友達が雪咲しかいないのだが、雪咲には香苗以外にも大勢の友達が居るという事である。

これがつまり、最初に示した意味合いの違いの全てで有る。

香苗は心中で嘆息した。友達が居ない香苗にとって、嘆息の結果、周囲に及ぼす影響など考慮する必要も無いのだが、それは香苗が周囲を気にしない人間である事を意味しない。香苗は人間不信では無いし、クラスメート達も嫌いでは無い。ただ、人付き合いが何と無く億劫で、面倒くさくて、だから高校一年生の現在まで生きてきて、友達と呼べる人間は片手で足りてしまった。中学から女子高に進学するにあたって、それら地元の友達とも久しく会っていないために、果たして今でも友達と呼べるのかどうかは怪しいが。

現在時刻は昼休み。

午前の授業、四時間分が終了しての昼休み。各生徒達は思い思いに過ごしていた。まあ、昼休みなので当然の事、昼食を食べる以外に過ごす方法というのは中々無いものだが、中の良いグループ毎に分かれて席をくっ付けたり、屋上へ行ったり、食堂へ行ったり、まあそういう事。

そんな中で、香苗は何時もの様に一人で昼食を食べていた。

話しかけてくるクラスメートは居ない。

当然、居ない。

『話しかけてくるなオーラ』なる怪しげな波動を妄想したのは中学の時の友達だったが、まあそういう事なのだろう。香苗は無意識的にそういうオーラを出してしまっているらしい。香苗には自覚など無いが、そういう事らしい。ともあれ、それで良いと考えているし、そもそも人付き合いが面倒だというのは嘘偽りの無い事実であるので、気が楽と言えば楽だ。

なんだか怖い人、という認識を持たれているらしいが、特にそれも気にならない。

眼つきが悪いというのも近寄り難い原因なのかもしれないが、それも気にならない。

『香苗って美人だから、それも有るのかもね』

雪咲には付け加えて、そう言われた。彼女にそんな事を言われて、心中穏やかで無い所か顔を真っ赤にしてしまったが、嬉しかった。それを言えば、雪咲だって美人じゃないの、と言えなかったのが心残りだったが。

さらりと流れる艶やかな黒髪。優しげに潤んだ瞳と、誰の警戒心だって根こそぎ無くしてしまう様に微笑んむ唇。のんびりとした空気を演出するのが上手なのか、それとも天然でそれをやっているのか、その動作一つ一つが優雅さを感じさせた。…………あくまでも香苗の感想なので、他の皆がどう感じているかは分からないが。分からないが、雪咲が誰からも親しまれている事を見れば、他の誰もがそう感じていておかしくは無い。彼女と少しでも付き合えば、その優しさが本物で有ると分かるだろうから。

人が集まればグループが出来る。それは男子でも女子でも同じで、小学校でもそうだったし、中学校でもそうだった。女子高に進学してもそれは変わりの無い光景で、人間が本質的に自分と似た者とそうで無い者を選別して群れる、実に社会性の高い生物なのだと感じざるを得なかったが、まあそんな事はどうでも良い。

ここで言いたいのは、だから雪咲にも所属しているグループが有り、香苗はそこに所属していないという事だ。香苗の場合、人間として例外的に社会性の低い生物であるという事らしいが、まあそれも関係無い。つまり、香苗の席は一番後ろの窓側で、そこは良い場所だと言わざる得ないが、嫌なものだって当然見える。

嫌なもの。

それは当然、雪咲が所属しているグループの事だ。

教室中央に五人、席をくっ付けて昼食を取っている。彼女らは学校でもそれなりに有名なエリート集団でもあった。成績、運動、容姿、どれを取っても他とは突出していたし…………何より破天荒を極めた。良い意味で。まあ、それは置いておくとして、彼女らが優秀だからと言って教室の中央を陣取っている訳では無い。彼女らの様な連中にとっては、恐らくは場所など何の意味も持たないだろうし、そもそもただ単に、雪咲の席がたまたま教室の真ん中に有ったからそうなっているだけだ。

ともあれ、香苗も優秀な成績を収めているし(友達が居ないから勉強は真面目にやっていた)、容姿にもそれなりに自信が有るし(雪咲も褒めてくれたし)、だからと言って、妙な対抗心のために、彼女らのグループが嫌なものとして映っているという訳では無い。中にはそういう者も居るらしいが(そして、そんな人間の大半も雪咲の事を嫌いにはなれないらしい)。

対抗心など微塵も無い。

ただ、雪咲がそのグループに居て、楽しそうに話をしているから嫌な気分になってしまうのだ。嫌なものに、映ってしまうのだ。

そして、それは雪咲が他のグループの子と話をしていてもそうだ。

要するに、ただの嫉妬だ。

自分の器の小ささに眩暈すら覚えるし、自己嫌悪の嵐だが、そうなってしまうのだった。

そう、香苗は雪咲の事が好きだった。

友達として、では無い。

恋人にしたいとか、愛しているとか、そういう好き。

女の子同士で恋愛なんて、おかしい。…………そういう考えは無かった。もちろん、世間一般ではマイノリティで有るという事は知っているし、嫌悪感を与えてしまいかねない対象で有るという事も理解している。だが、香苗にとってはそんな事はどうでも良かった。惚れたら負けだし、そもそも友達の居ない香苗にとって、マイノリティで有る事に対する忌避感や恐れは微塵も無い。

雪咲はどうだろうか。

この気持ちを知られたら、気持ち悪いと言われるだろうか。いや、彼女の事だから、きっと困ったような顔で微笑んで、謝るに違いない。

怖いから、告白なんて出来ないが。

そう、怖い。

友達が居ない香苗は、人付き合いが面倒な香苗は、しかし雪咲に嫌われる事を恐れていた。

他の誰に嫌われても、彼女に嫌われる事には絶えられない。地球上の全人類の嫌悪感全てを合わせても、雪咲から向けられる嫌悪感に足りない。大げさだが、香苗はそんな風に考えていた。

つまりは、それくらい雪咲の事が好きだった。

だからこそ、不安になる。

誰とでも仲良くなれる雪咲を見ていると不安になる。

貴女の瞳に私は映って居ますか、と問いたくなる。貴女の記憶に私は残っていますか、と不安になる。

実際、雪咲は学校に居る間、一人になる事は無かった。常に誰かと一緒に居た。雪咲が寄っていくのではなく、彼女に人が集まっていくのだ。どんな会話をしているのかなんて知らない。知りたくも無い。

彼女の求心力の高さに香苗はただただ驚くばかりだが、考えてみればこの自分と仲良く成れるあたり、それは驚きに値しないのかもしれない。それに、こんな自分と分け隔てなく接してくれる彼女の事を好きになってしまったのだから、これはもう嘆いても仕方の無い彼女のスキルである。

香苗にとっての雪咲はただ一人の雪咲だが、雪咲にとっての香苗はたくさん居る友達の何百分の一でしか無いのだろう。

それこそ仕方の無い事で、嘆いても仕方ないし、そもそも香苗の恋愛感情を持ち込んで語るべきでは無いのだろうが、やはり不安で仕方が無かった。

香苗が自分の気持ちに気が付いて、不安に気が付いて、もう何ヶ月か悩んで。

不安で。

不安で。

とうとう耐え切れなくなって、香苗は食べかけの弁当箱を閉じて、教室から出て行った。

一人になれる場所へ行くために…………そもそも常に一人だったが、誰も居ない場所という事である…………香苗は歩いた。

目的は彼女のお気に入りの場所。

人付き合いの苦手な香苗が探し出した、誰も居ない場所。

開放されている屋上とは別の、立ち入り禁止の屋上。この屋上は前者のそれからは死角になっていて、姿勢を低くしていれば、そこに座っていても気が外からは分からない。

本当は鍵がかかっているのだが…………いや、いたのだが、今は壊れている。以前、試しにドアノブを回してみたら、どういう訳か鍵が外れた後に壊れたのだ。それ以来、その場所は香苗のお気に入りの場所となっていた。ちなみに、壊れた事を学校側は把握している様だが、張り紙一枚に『立ち入り禁止』の文字を書いて、貼り付けただけの対処となっている。何時かは修理されるのだろうが、そうしたらまた別の場所を探さなくてはならない。まあ、それまでは好きに使わせてもらおう。壊しておいて、そう考えるのは気が引けたが。

ともあれ、その場所に着いて、地面に座って、香苗は空を見上げた。

雲ひとつ無い晴天だった。

十二月の空気はとても冷たく、しかし肺に気持ち良かった。澄んでいる様な感覚さえ覚える。

周りに誰もいないが、心中で嘆息した。もう癖になっているのだ。

空を眺めながら考えるのは、雪咲の事。

その不安。

そうやって考えていると、驚くべき事に、実際かなり驚いたのだが、ドアが開いた。

誰か教師でもやってきたのだろうかと、恐怖すら覚えた。立ち入り禁止の場所にどうどうと侵入しているのだから、生活指導室に呼ばれてお叱りを受けて、悪くすれば停学…………などと色々な事が頭を過ぎったが、ドアを開けて入ってきた人物を視て、心底ほっとした。

そこに居たのは雪咲だった。

心底ほっとしたが、自然と顔が熱くなるのを感じながら、香苗は、

「…………どうしたんだよ?」

そういう事を気にする雪咲では無いと知ってはいるし、これが何時も通りの態度なのだが、ちょっと素っ気無かっただろうかと、また不安になる。

雪咲はそれが当然で有るかのように香苗の隣に座って、

「急に教室から出て行ったんだもの。…………何か思いつめている感じだったし、心配になって」

 肌が触れるほどに近くに座られて、彼女の体温と匂いを感じて、今、自分がどんな顔をしているのか不安になった。きっと、頬が紅潮して、固い顔をしているのだろうと予想はついたが。

「別に。なんでも無いよ」

雪咲が好きだから、なんて言える筈が無い。

香苗がそう答えると、雪咲は先ほど香苗がそうしていた様に空を見上げた。何かを促す訳でもなく、追求するわけでも無く、無為に時間を過ごす。あまり会話が得意では無い香苗に合わせて、雪咲は同じ様に過ごしてくれる。何時もの時間。

その時間も、毎日持てるわけでは無いが。一週間に一度有れば良い方。今日という日は、その良い方の日だったらしい。

香苗にとって、最も幸せな瞬間だった。

少しの間沈黙が続いて、でも窮屈には感じなくて。

雪咲が突然、口を開いた。

「知ってる? 私、空を見上げるのが好きなの。空の青さとか、空気の綺麗さとか、柔らかい感じとか。そういうのを、身体で感じるのが好きなのよ。凄い、好きなの。この世の中で、一番よ」

「…………そっか」

どうやら、香苗に合わせてそういう風に過ごしてくれている訳では無かったらしい。ちょっと残念だったけど、趣味が合うのは喜ばしい事だった。なんとも地味な趣味だったが。

「雪咲は、さ…………」

「何?」

 雪咲にとっての私は、貴女の友達の中でどれくらいの位置に居るの? と聞きそうになってしまったが、寸前で何とか堪える。

質問が何とも押し付けがましいし、聞いても無意味な事だし、なにより怖かった。

「いや、何でも無い」

 何とも臆病な事だが、この時間を大切にしたかった。不用意な質問で、この関係を壊したくなかった。

空は本当に綺麗で、空気は本当に澄んでいて、この素晴らしい瞬間を共有出来るのだから、今はそれ以上に何を望む事が有るだろうか。

…………不安はそれでも尽きないが。

今は、その不安を抱えたままで良い。その不安が、彼女を好きだという証そのものなのだから。逃げかもしれなかったが、それでも良い。

「ところでさ、香苗。私、空を眺めるより好きな事が、実は一つだけ有るのよ」

「…………へぇ、そうなんだ」

 一瞬、言葉に詰まった。

何だか、何時もより雪咲が綺麗に見えたから。何時もより、嬉しそうに見えたから。

「何が好きなの?」

 なんというか、このまま好きだと言って抱きついてしまいそうなくらいに好きという感情が高まったが、やはり何とか堪えて、聞いた。

それに対して、雪咲は微笑んで。

「今は教えてあげない」

 そう言って、また空を見上げたのだった。

ちょっと残念だったが、まあ、良いだろう。

雪咲の事だから、きっと何時か、教えてくれるだろうから。

説明
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