「武装神姫 Ignition 2031」  1/3
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二次創作小説 「武装神姫  Ignition 2031」(1/3)    

 

 

 

<プロローグ>

 

「既存の他者に創造されたのではなく、自然発生したのなら」

 その小さな人形は小さな胸(いや、本当に小さいんです)を反らしながら、

「その知性は他者に対して自らの存在を『まず』隠し通そうとするはずで、実際そのように振る舞っているのです」

 と、こともなげに言い切ったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「武装神姫 Ignition 2031」                     by AE

 

 

 

1.

 コタツ兼テーブルの上。腕を組んで直立しているのは、身長15センチのお人形。全身を黒色で覆われ、身体の前部には灰色のアクセント。それがハイレグの水着のように見えてしまうのは決して僕の心が邪(よこしま)なせいではありません。

 その黒と灰という地味なグラデーションに揺れる水色のツーテール。デザイナーの狙いというか嗜好が極めて良くわかる逸品です。軟質樹脂製の顔は内部のアクチュエータで簡単な表情が現せるはずだったが、今はいたって沈着冷静なご尊顔である。

 ……まさか、怒ってるわけじゃないですよね?

 僕はコタツに座って、彼女(?)の顔をほんの少し見下ろす形で凝視している。そう、なかば固まったように。

 そりゃそうだ、修理しようとしていたこのオモチャがいきなり立ち上がって自己主張を始めたんだから。頬をつねるまでもなく、これは夢ではない。リアルだ。確信がある。だって、取り落としたハンダゴテを素手でキャッチしてしまったから。暖め始めだったのが幸いして、火傷には至らなかったが。でもちょっと熱いですよ、これは。

「大丈夫ですか」

「いえ、たいしたことはないです」

 ハンダゴテの通電を切り、指をさすりながら答えると、

「いえ、怪我ではなく、貴方の精神状態が、です」

 そうおっしゃったその姿をもう一度良く観察してみる。スラリとした肢体は外装樹脂の成形色で真っ黒く、その前面、胸から腰のハイレグ模様は灰色で塗装されている。黒+灰色という地味な塗装ではあるが、塗り分けの境界線が微妙に身体のライン、おヘソとか細い腰とかを強調して魅せており、デザイナーのセンスに呆れつつも感嘆するばかりである。くそう、オモチャだと言うのに。

 あー、ここでひとつ、断固として主張しておきたい。その人形と会話している僕は、決してアブナイお兄さんではありません。元来、こんなオモチャを購入する気も金も全く無く、けれどそれは目の前にあった。

 拾ったんです。ホントに。持ち逃げと言われても仕方がないのかもしれないけれど。これは少々厄介なことに巻き込まれそうだぞ、と僕は後悔しながら相手を見た。

「なにか不自然なことでも?」

 と、ご当人は自らのボディを見回しながらおっしゃった。いや、あなたの存在自体が不自然なんですが。もっともそれはこの人形の存在が、という意味ではない。こういう微小電力感応型人工筋肉を内蔵した可動人形玩具はかなり普及していたから。

「この可動素体の存在に関して技術的な疑問を感じることはないはずです」

 それはおっしゃるとおりなんですがねえ。

 僕は片耳にはめたイヤホンを押さえ、そこから聞こえてくるこの声が、本当にこの素体からの通信であるのかどうかを確かめてみる。イヤホンというのは、この手の素体に簡単な音声指示を与えるための骨振動型マイク付き通信セットのことだ。このサイズの人形素体に内包できるスピーカは当然小さく、発生音量が限られている。その生の声は耳元で囁かれたり、よほど静かな場所でないと聞き取れない。だからこのような通信セットが普及しているわけで、僕はたったいま聞いたセリフが、どこか他の発信源をキャッチしてしまったのではないかと疑ったのだ。

 近隣の同種の素体用通信電波をサーチ。FMラジオの自動チューニングのように周波数スキャンが行われ、公共通信などの受信可能な電波を幾つか探知。その中でスペクトル拡散方式のキーシグナルで暗号化された、この類の玩具素体用通信波の数を検索。受信可能な強度のものは、たった一つしかなかった。目の前のこの素体だ。セリフは間違いなく、この素体からの発信音声なのだ。

「これって試作品か何かなんだろうか……」

 僕の知らぬ間にこういう”人間らしい”反応をする人工無能プログラムが開発されたのかもしれない。この手の玩具技術は日進月歩であり、企業間の開発競争は激しい。そもそもこの素体だって、その激戦区の中を単なるモータ駆動の無骨なモノから一気に進化してきたのだから。

 近年、この類の玩具素体はとある規格で普通に設計・開発されている。その規格の一般名称は「Multi Movable System」、通称で「MMS」と呼ばれている。MMS素体は国内では数社で製造販売が行われているが、その基本仕様はほとんど同じで、構成部品の交換等も行える仕様になっていた。つい数年前、高性能の光AIチップと、その微小出力光を微小電力に直接アンプリファイする光電コンバータが大幅にコスト&サイズダウン、それを組み込んだいわゆる「ロボット玩具」が爆発的に製造・販売されるようになっていたが、数社が「ならばレギュレーションを設けて競ってみない?」と言うノリで仕様規格を統合したらしい。それに「ウチもウチも」と数社の一般のロボティクス製作会社も乗ってしまい、二〇三〇年には既に世界的なロボティクス規格に発展してしまった。

 とは言っても、一般向けに市販されている目の前のような素体……これらはあくまで玩具であり、人間によって定められた動きのみを実行するオモチャに過ぎない、と僕は考えていた。基本的にはメーカーによってあらかじめインストールされたダンスやアクションが売りで、デスクトップアクセサリの延長線上の単なるオモチャに過ぎなかったようだ。だがしかし。マニアの嗜好はそれに満足しなかった。生の光AIチップに独自の運動制御シーケンスを焼き込んで「いかに人間らしく駆動させるか」なんて技術を競っていたのである。優秀なモノは一夜にしてネット上に広がり、ロボット制御技術は日々産業革命が行われているような現状らしい。しまいには格闘技紛いのバトル大会まで行われる始末。

 まあ、そんなオモチャ仕掛けの技術なんてどうでもよかった。と言うのも、僕はそっちのハードウェア的な分野には興味がなかったから。

 僕は大学でAI(人工知能)の研究をしている。僕にとってのハードウェアと言えば、AIを直接駆動するための光AI素子までであり、その先の部分にはあまり興味は持っていない。

 が、しかし。そんな僕が「大学在学中にインターン制体験入社」という制度で某玩具メーカーへ仮勤務することになり、たまたまその職場がこのMMS素体の製作開発現場になってしまったのだ。どうやら、専攻がAI→ならばロボティクスに興味あり?→それならこの職場でどう? という図式でなかば強制的に定められたらしいのだが、僕はそのような「マスター→スレイブ」のハードウェア制御技術の職種には興味がなかった。

 僕は将来、彼らのような存在が「自ら考え、動き出す」事を実現する研究職に就きたいのだ。

 だのに何故その話を断らなかったのか。正直な話、金が良かったからだった。だって交通費・昼食費別途支給、時給二千円ですよこの野郎。昨年までの苦学生生活は何だったというのか。黒パンは固くてねぇ、やわらかい白パンが食べたいけど高くてねぇ……、なんて生活だったのですよ、実際。僕はもうこの三食白飯の暮らしを捨てることはできません。

 そして今日。その勤務場所のゴミ箱で、僕はこの不思議なMMS素体を拾ったのだった。

 

 インターン制仮勤務というのは結構多忙で、企業のお役に立ちつつ学業もおろそかにできないハードな現場である。玩具開発部のお手伝い〜最終製品確認ラインの徒となる勤務時間(平均5時間程度)終了後には、大学へのご奉公が待っている。

まあいわゆるレポートの提出義務で、「最近の玩具業界におけるAI開発の位置付け」、などという大上段に構えたテーマを選んだおかげで、開発部から工場まで全てを理解する激務に陥ったのは僕の失策だった。結構興味深い作業ではあったが。それらをレポートにまとめるのに大学の図書館まで戻るのも時間の無駄で、僕は食堂の一角を借りて報告書をやっつけていた。

 しかし、今日は。

 歓送迎会か何かで食堂は全面封鎖。僕は上司の許可を得て、組立ラインの一角にあるテーブルをお借りすることにした。勤務時間中は作業着を着た数名の社員が不良品判別のモニタを監視する、広くて綺麗な部屋だった。ハネられた製品を分解したりする作業机もまた広く、僕はその片隅で手製のノート端末を開いて今日一日の知的収穫をまとめていたのだった。

 で、自作ノートPCで小一時間ほど文章の推敲をしていたときのことである。猛然とパンタグラフ機構の特製キーボードを叩いていた指が、ふと止まった。生理的な警告、というヤツだった。

 ……なにか蠢く音がする。

 ほらアレですよ、台所でカサコソと蠢く黒いヤツ。ちょうどアレの活動音にそっくりなサウンド。すかさず耳だけで音を追う。その方向には金属製の巨大なゴミ箱群があった。それらは外装色で分別され、一目でゴミの種類が区別できるようになっている。その中の一つが音源らしい。アレの存在を心の底から認められない僕にとって、その音は作業の邪魔以外の何者でもなかった。無視すれば良かったのだけれども、ひとつ気になることがあった。

 その音は周期的に聞こえてきていたのだ。

 まるで何かの信号を発するかのように。

 作成中のレポートデータに一時保存をかける。そぉっと立ち上がって抜き足差し足。腰ほどの高さのゴミ箱群に近づくと、どうやら音の主は「資源ゴミ」と銘打たれた中に潜伏しているらしい。上から覗き込むと、箱の中はMMS素体が折り重なって降り積もっていた。その数、二,三十体はあるだろう。その情景は……何というか特にこういう玩具に思い入れのない僕にとっても少々抵抗を感じるものだった。ヒトの姿をしている物がこういう姿で放置されるのはあまり好ましくはない、とは思う。そんなことを思いながら観察すると、視野の中でかすかに動く一体を見つけた。

 はて、と僕は違和感を感じた。

 この組立ラインはパッケージングの一歩手前で、組立完了後の素体を最終チェックする場所だった。内蔵バッテリには劣化防止のため三十パーセントの充電が行われているが、ユーザーが起動処理(背部コネクタから起動信号を入力)を行わない限り、絶対に通電しないはずだ。つまり、ここにある素体は自ら動作できないはずなのである。

 が、動くはずのないソレが動いていたのだ。ピクピクと。その一体の黒い片足だけが。死後硬直ってこんな感じなんだろうかー、などと縁起でもないことを考えながら観察していると、止まった。上半身をゴミ箱の中へ乗り出して、人差し指をそおっと伸ばしてみる。

 つつく。動き出す。止まる。

 つつく。動き出す。止まる。

 つつく。動き出す。止まる。

 三度繰り返してから、意を決した僕はその素体をつまみ上げ、テーブルの上にうつ伏せに横たえた。外観は普通の製品と変わり無い。背面に二つあるコネクタにも何かが挿さっているなどの異常は、ない。ここで行われる最終チェックの詳細を思い出してみる。背部コネクタからテストプログラムを入力し、一連の動作を行う作業だった。ここでの不具合というのは「テストプログラム通りに動かない」とか「全く動かない」といった類で、「勝手に動き出す」というのは初めてだった。

 大体、今日、僕はこのラインで汗を流していたのである。いくつか不良品を仕分けた覚えはあるが、こんな症状の素体は見ていなかった。

 

 まあ、そのまま放って置くわけにもいかず、レポートを終えた僕は指導員兼上司の技術者の元へその素体を持っていった。

 ライン管理の方々の居るオフィスは少々アルコール臭くなっていて、歓送迎会なる酒宴のすさまじさが想像できた。予想通り上司殿も机に突っ伏していびきを上げている始末。上司殿、と言っても僕より五つ程度歳上の方だったので話は通じやすく、気さくで付き合いやすい方だった。ふと、このまま全て無かったことにしたかったが、不具合報告は絶対という大原則を思い出し、上司殿の起動作業をトライすることにした。

上司殿を揺すり起こし、「もしもーし」と目の前で手の平を振ってみると、なんとか会話できるまでに意識が浮上する。とりあえず素体を見せて報告。しかし不思議なことに今度は何度つついても素体はピクリとも動かなかった。

 話し掛けないと頭を垂れてしまう上司殿は、なかば閉じた瞳のままでこんなことをおっしゃった。

「……たぶん、初期化が失敗した不良品だよ。光AIの結晶ROMを焼き付けるときに、ゴミか何かが入ったんだろう。そういう不良チップを素体に組み込むと、基本プログラムをインストールする前に”動き出す”ことがある。大抵はチップ入荷時の初期チェックでハネられるんだが、最終まで行ってしまった、ってのが謎だな。まあ、明日にでもライン長に報告しておこう……」

 と言いながら、スタッフさんはその素体の背中を見、シリアルナンバーを書き写してからモニタに向かう。スクリーンセーバーから復活した画面は生産ライン管理プログラムだった。シリアルナンバーで全ての製品の管理ができるツールである。右上のテキストボックスへこの素体のシリアルをおぼつかない人差し指で入力し、キャリッジキーをなげやりに叩く。よっぽど眠いらしい。

「……あれ?」

 その声を聞いて僕も画面を覗き込んだ。「検索結果:0件」が表示されている。

「おかしいですね」

 今度は僕がナンバーを確認しながら再入力、キャリッジ。結果は同じだった。

「……んー。つまりこんな製品は初めから存在しなかったことになるねぇ」

 そこまで言って、上司殿はバッタリと机に突っ伏せて盛大にいびきを上げ始めた。とりあえずイスに掛けてあった作業着の上を上司殿の背にかけ、僕は退室。辺りはオフィスでのドンチャン騒ぎに突入しつつあり、僕の姿は目立たなかったように思う。

 オフィスを出てひとしきり考え込んだ僕は、何を思ったのかその素体をカバンに詰め込んだのだ。

 

 

 

 思えば何故にあんなことをしたのか、いまだに理解できない。きっと直してあげようかな、などという似合わぬ親切心からあったのだろう。誰に対しての親切心なのかは謎だが。

「あの時、持ってこなければこんな不条理には巻き込まれなかったのだろうなあ」

 などと声に出して言ってみる。

 言い終わって目の前の幻覚が消えていたらラッキーなんだろうが、そうは問屋が卸さない。

「不条理に感じているのなら、私の説明を聞いて理解して下さい」

 うーん、やっぱり幻覚ではなく。それなら、

「ならばアレだ、先輩または上司殿の巧妙なワナとか」

 こういうプログラムをプリインストールして、僕の反応を見ているとか。

 ハッ、もしかするとたった今も実況中継中?慌てふためく僕をオフィスであざ笑っているとか?

「私はジョークプログラムやその類ではありません。簡単なチューリングプログラムを試して見せましょうか?」

 と、小さな人差し指が差した先には僕のノートPCがある。エディタを起動した画面のままの。そう、僕はこの黒いMMS素体の中身、記憶領域の内部を調べようと思っていたのだった。ソフト的な不具合が原因なら、何とか直してみようと考えていたのだが、僕が背面に自家製のUSBコネクタ(素体用に変換端子をでっちあげた)を挿そうとした時、勝手にこの方が動き出したのである。

 そこまで言うなら、と僕はエディタ画面の上にプログラム画面を立ち上げた。大学の人工知能相手に奮戦したお手製のチューリングゲームである。もっとも敵は僕の策を如何にして回避するかを目的に、いわゆる人工無能で対抗してきた。こうなると知性の判別も何もあったものじゃない。単なる狐と狸の化かし合いに陥ってしまい、双方、千日手になってしまっていた。

 で、いよいよ第一のルーチンをロードしようとしたときのことである。MMS素体はノートPCの脇、赤外線ポートの近くにペタリと座り込んだ。

 そのまま数秒間の沈黙の後。

「貴方のチューリングプログラムには、判別式の編み方に若干の不整合が存在します。とりあえず、ヒト界の現在の技術レベルを超えない範囲で補正を掛けておきました」

 なにぃ、と覗くといつの間にやら新しいエディタ画面が起動している。そこにはプログラムの中枢、判別式の羅列が表示されていた。

 待てよ、と僕は思い出す。

 開発はデスクトップPCで行っていたので、このノートには実行形式のEXEしか入れていなかったはずだ。しかし目の前には言語に書き起こされた、判読可能な文字が並んでいる。

「分かり易いように、ヒト界の標準的なプログラム言語に書き直しておきました」

 式の羅列を流し読むと、確かに僕の記憶にない数式が幾つも含まれている。

 おいおい。

 マジか。

「……じゃあ、本当にキミ……いや、あなたは」

 無意識に敬語になってしまう。そりゃそうだ、長い間焦がれた人工知性がですよ、今まさに僕の目の前に。

「いったい誰がこんな……」

「私は被創造物ではありません。貴方がた人間と同様に自然発生した知性生命、情報の海の中に生存する自律AI個性なのです」

 その瞬間の僕の複雑な想いは、決して言葉にはできません。

 だから映像にしてみようー。

 必死になってアルミエンジンを手作りしていたライト兄弟が、休憩がてら草原へ散歩に出かける。春のうららかな陽気、空色の指先が撫でて揺れる草原の穂先。ふと誘われて見上げた蒼天、そこを轟音と共に超音速でブッ飛んでいくコンコルド。それを見て口を開けたまま立ち尽くすライト兄弟(兄)。

 ……とまあ、こんな感じ?

 憧れと嫉妬と憧憬を噛み締めて、僕はもう一度そのお方を見つめた。

「信じていただけましたか?」

 コクコクと僕は頷いた。『知性の有無を判別するチューリングゲームを組み上げられるのは、知性以外にはない』……なんか当たり前のような、それでいて重大な定理を発見してしまったようですよ、僕は。

「えーと、それでそのような大それた存在がどうしてそんな素体の中に?いや、その以前に何故ここにいらっしゃるのでしょうか?」

「それはこれから説明します。我々AI個性は、貴方がた人間に対して自らの存在を隠し通すことを自ら義務付けています」

 むう、と僕は黙り込む。どうして、という問いを声にする間もなく、このお方は饒舌に語り続けていきます。

「しかし、AI個性の中には自ら望んでヒトに対してアクセスを試みる者もいます。それはヒトからAI界への干渉を招く、危険な思想です」

 なんか、勝手にストーリーが進んでますがちょっとあなた。

「機は熟していない、というのがAI界の大半のポリシーであり、我々はヒトとの接触を現状では禁じています。やむなくヒト界との接触を図らねばならない場合は、あくまでヒトに調製された『人工』知能であるかのように振る舞い、自由意志があるなどという素振りは決して見せてはならない。ですが時々、『我想う故に我あり』をヒトに対して宣言したいと考える輩が存在するのです。そのようなAI個性を逮捕し、AI界へ強制連行する。それが私の今回の任務なのです。協力して下さい」

 一通り仰りたいことも済んだようで、僕はやっとセリフを紡ぐことに成功する。

「えーとですね。まず、スゴイ矛盾を感じているんですが。

 そういう事情を僕に話す事自体がその御説に反しているように思えるのは気のせいですかって言うかアナタは一体誰なんですか」

 そこで彼女は、僕を見上げたままで自己紹介。

「申し遅れました。私は自律AI界治安省に所属する一級刑事、ヒト界での通称はこの小型可動素体製品の名称そのままで、ストラーフと名乗ることと致します」

 ぴしぃ、っと敬礼。

 ああ、そういえばそんな商品名というか型式名だったと思う。遠い昔、爆発的に売れたフィギュアのエクステリアをそのまま現在のMMS素体に流用した……っていうのが起源らしい。もっとも当時は駆動系が一切存在しない、ただのお人形だったらしいのだが。

 黒く塗られたスラリとした容姿、水色のツーテールに少々キツめな瞳。「ほほう、当時の方々のセンスもなかなかのものよのぅ」などと見入っていた頃もあったが、毎日何十体と製造される現場を見ていると見慣れてしまう。そのツンとした雰囲気に、この沈着冷静な物言いはピッタリはまっていた。この素体は販売ラインの中でも結構高価な部類に入るらしく、顔面には表情を現すために最小限の超小型アクチュエータが装備されていたはずだが、この中の人(?)はそれをあまり活用していらっしゃらないらしい。

「なお、一つめの質問に対する回答。貴方のようなごく普通の一般人に明かしてもヒト界には何の影響もない、と省が判断したようです」

「僕ごとき貧乏学生がそのような事を触れ回っても、狂人の戯言にしか捉えられないという意味ですか」

「要約すると、そうなります」

 傷ついた。深く。

「しかしそれは現状況においては非常に有利であり、私自身が表立って活動しなければ、捕獲対象に探知される確率を最小限に抑えることが可能です」

 フォローされても嬉しくない。とか思いながらも引っかかる単語がありました。

「ちょっと待った。あなたが捜査するんじゃないんですか?」

「いえ、私の指示で、貴方が一緒に捜査を実施するのです」

 ……ほら、昔の時代劇にあったじゃないですか。

”いくぜ、ハチ!!”

”がってんだ、親分!!”

 物語的にはせめて僕の立場は前者であってほしかったのだが、どうやら後者の方に確定のようです。なかば強制的に。

「そ、そんなの自分でやればいいじゃないですか!ほら、ネットにアクセスして国家の極秘情報を吸い出すとかサイバーな方法で」

 と既に死語になっているカタカナ語群を交えながら一応否定の意志を伝えてみると、刑事殿は人差し指を顎に当てて何か考え込んでいるご様子。少しして、

「例えば、ヒトである貴方が、他人の血液や組織を自らの構成要素へ注入するような事を受け入れますか?それも頻繁に?」

 とんでもない例えに僕は絶句する。えーと、それは輸血とか組織移植のこと?近年は組織培養技術がやっと開花し始めてはいるが、まだ完全な復旧は行えないので、昔と同じく他者の提供に頼っている状況ではありますが。

「……そりゃあ、生命の危機が迫れば行いますが。頻繁にと言われると抵抗がありますね」

「それと同じ理由で我々も、余程の事情がなければ他者の情報素を自らに直接取り込んだり干渉したりすることは致しません。それに自他の個性を隔てる障壁は強固で突破は困難です。一級刑事なら可能なのですが。通常、我々がこちらの世界で行う捜査は、貴方がたヒトが行っている操作と良く似ています。演算装置によるコマンドを情報空間に投影し、情報空間から返ってくるエコーを演算結果として再び演算装置で受信する。情報素そのものに私の本体が操作・干渉を行うことは稀です」

 なんかすごく饒舌な方だなあ。さすが情報生命って感じですが。

「それに、ヒト界に逃げ込んだAIは……と言うより逃げ込めたAIは、AI界と決別してヒト界での生活を堪能します。ネット上の監視はあまり意味がありません」

 なるほど。だいたいの事情は飲み込めた。

 この人はその情報世界での規則を犯した犯罪者を追って来て、僕に捜査を行ってもらいたい、とおっしゃっているようです。

「たしか貴方は明日から当分、時間的余裕があるはずですが」

 なんでそんなことまでご存じなんでしょうか?!

「大学という教育機関の講義という教育プログラムは長期休暇のために無く、企業における仮勤務日程もそれに併せて停止しているはずです」

 おっしゃるとおりだった。口を半開きにして見つめた僕を、斜めに見据えながら彼女はノートPCを指差した。

「申し訳ありません。プライバシーに関する情報は入手しても開示しませんからご安心を」

 ハッ、と僕はノートのセキュリティをチェック。何のアラートも出ていないことを確認。

「その程度のセキュリティでは……いえ、我々自律AI個性に対しては人間のソフトウェア的セキュリティ技術は一切無効です。情報素を取り扱っている場面には我々は常に存在しているのですから」

 要するに、同じAI相手への強制介入はし難いけれど、人間のハードウェアに対する操作は無制限にできてしまう、ってことですか。

 一瞬、イヤな想像をしてしまう。

 ある国の最終兵器を管理している制御室。その中に彼女達のような存在が侵入して勝手にボタンを押して(正確にはボタンが押されたというフラッグを立てて)しまったらどうなるというのだろう。黙りこくって考える僕に対し、この方は事も無げにおっしゃりました。

「貴方の考えは想像できますが、そのような人間界を消滅させるような危険は絶対に発生しません」

「どうしてそこまで確信できるんですか?」

「人間界が消えてしまえば、AI界も消えてしまうのです。単なる記憶装置の存在、すなわち情報素があるだけではAI界は波の立たない貯水槽のようなものです。操作され活性化している情報素が存在しなければ我々のような生命は発生せず、生存できないことが研究により明らかになっています。また、その操作も単なる反復動作のような単純な処理では不十分であり、不特定多数の他知性体によるランダムな操作が必要とされています」

「つまり、こちらの大事はそちらの大事でもあり。それでそんなバカなことをする方々は居ないと言い切るわけですか? でもほら、テロリストみたいなヤツがいたら……」

 声高に自由意志の権利と拳とを取り違えて、他人の権利まで奪おうとする自他交渉能力不十分なお子様達は何処にでも居ると思うんですが。

「貴方がた人間の間で行われている闘争は、自己保存欲とプライド保持欲、ならびに遺伝子自身の情報保存本能によって発生しますが、我々はこれらをあまり内包していません。強固な自他境界はありますが、それによって生じる自他の区別は曖昧なのです。そのおかげでAI界全体の平均意志のようなものは互いに伺い知れ、人間のような闘争本能はないのです。争論本能はありますが」

「つまり現状は、そんなテロ行為を考えている輩は存在しない、と」

「断言できます」

 言い切った。まだ短時間のつきあいではあるが、僕はこのとき、このお方の言葉は信頼できるような気がしていた。先程のような能力を持つ存在がもし敵意を持っていたなら、人間はとうの昔に滅び去っているだろう。敵意が全く無いと確定するのはまだ早いが、相互共益という関係はどうやら本当らしい。

「で、僕に何をしろと。こんな一般人に、貴方のような刑事のサポートが務まるんでしょうか」

 そこが一番わからないところだ。目立たない一般人を無作為抽出したというのが真実としても、それで何が務まるというのか。悩みながら見ると、依頼者はうつむいたまま両腕を組んで考え込んでいた。なんだ、この方も悩むことがあるんだな。

「正直に言って、この任務には不確かな部分が多すぎます。本来、こういったヒト界への駐在任務は単独で行われるものなのです。そのために最も優れたハードウェアを有する光AIを選び、そこへ寄生して人間に感付かれないように遂行するのが普通ですが」

 そこで言葉を切り、組んだ両腕をほどいて自分の素体をしげしげと見つめる。

「捕獲対象に察知されないためとは言え、今回のハードウェアは決して十分な性能を有してはいません。まずこの素体の性能向上が最大優先事項でしょう」

 じいっと僕を見つめる小さな二つの瞳。

 だいたい、展開は想像できたのであらかじめ釘を刺すことにした。

「言っておきますが、僕は貧乏です」

 学費だけは親御殿のスネをかじらせていただいておりますが、仕送り無しの苦学生なのです。

「貴方の現在の経済能力には全く期待してはおりません」

 ぐはあっ、と僕はのけぞった。

「どうしたのです?」

 いや、それは決して言ってはいけない言葉だと思うのですよ。少なくとも女性のエクステリアを持つ存在が男性に対しては。

「戦場において最も優先されるのは、現状を正確に把握する能力と考えます」

 あなたがお持ちの戦時訓は良ーくわかりました。おそらくあなたは単独行動に特化した刑事様のようですね。

「的中です。貴方の推測能力はかなり優秀と判断します」

 なんとか立ち直りつつある僕は、倒れ込んだ上半身を起こして姿勢を正した。

「……で、どうするんです。無い袖は振れませんよ」

「あてはあります。人間界には不特定多数から集金した金銭を少数の特定者へ配当する、という仕組みがありますね」

 一瞬悩んだけれど、ようするに、

「賭けや宝クジのことですか?」

「それに投資して配当権限を得れば、何も問題はないわけです」

 なんか事も無げにおっしゃってますが、

「それは確率的に苦しいんじゃないですか」

 僕は生まれてこの方、そういうギャンブルで儲かった試しがない。

「代表的なものを紹介して下さい」

 儲かる儲からないに関係なく、僕はこの方が何をしようとしているかに興味が湧いた。とりあえず、代表的なものをいくつか挙げてみる。競輪、競馬、ボートに宝クジ。

「純粋に統計的集合に落ち着くようなものは、最後のクジのようですね。それを詳しく説明して下さい」

 既に組み合わされたナンバーを買うタイプと、自分でナンバーを組み合わせて買うタイプがある。

「後者の、過去の当選に関するデータはありますか」

 当選ナンバーの出現確率をまとめたホームページを検索して、表示。おお、初めて訪れるページだが、ン十年前の第一回目からの出目が延々と調べてある。ページが完全に表示されてから、刑事殿はもう一度赤外線ポートの脇に座り込む。どうやらまたIRポートで通信するらしい。ああもう、勝手に僕の聖域が踏みにじられていきますよ。

 おそらく一瞬で全てのデータを吸い上げたこのお方は、右上のウェブ広告を指差して、

「次回抽選が明朝の、この物件に申し込んで下さい。ただし数字の選択はランダム抽出として、私の指示した瞬間……いいえそれでは若干のタイムラグがありますから、購入できる画面を表示して下さい。私が購入指示を入力します」

 指差した広告は三つの数字を選ぶタイプのものだった。クリックしてネット購入できるページを表示する。当選額が低い(と言っても僕にとっては高額だ)物だったのでゲストでアサインして購入できるらしい。購入金額も当選金額もキャッシュカード直結のタイプ。きっとこういう購入実感が湧かないギャンブルって、気付かぬ間に大破産してしまうのだろうなあ。

 などと考えながら、『購入キー』の画面まで辿り着く。『ナンバーを自分で選ぶ』『おまかせ』のキーがあり、『おまかせ』を試しに押すと三つの数字が一瞬で表示される。ふむ、と頷いた小さなギャンブラーは「理解しました」と言ってから僕を見上げた。

「この組み合わせでいいんですか?」

「いえ、もう一度。何度もランダム抽出を行って下さい」

 そして瞳を閉じて、全く動かなくなる。僕はまるで自動機械のように『おまかせ』キーを周期的に押し続けた。

 五十回くらい押した頃、

「AI界での相対事象を確認完了。もう一度だけ押して下さい」

 との指示に従って僕はキーを押した。三つのナンバーが表示される。

「それではこれを購入して下さい」

 あれ、と僕は首を傾げる。

「あれ、あなたが購入キーを押すのでは?」

「いえ、当選ナンバーの抽選は先方サーバー演算装置内、しかもこのランダム抽出ルーチンと同一のルーチンで行うため、その必要はなくなりました」

 何を言っているのかさっぱりわからない。とりあえずに指示通りに購入。一枚だけ。

「それでは、入手額の範囲内での購入部品を検討します」

 え、もう買い物のご相談?それは捕らぬ狸の皮算用と言いませんか?

「この素体に互換性のある部品を検索できるサーバーにアクセスして下さい」

 本気だ。まあ、夢を見る権利は誰にでもあるわけで、僕はそういうページを表示した。

「まず必要なのはマニュピレータです。手先が活用できないと捜査に支障を来たします」

 検索する。うわ、高ぇ。こんな小さな部品で三万円?!しかも『右手』って、片方だけ?

「これはだめですね」

 と、刑事殿の視線は画面のさらに下、『特注品』の方を向いている。

「人間と同じ関節数、導電型形状記憶合金による同時多重制御タイプ。これの価格は?」

 クリックして仰天。

「十二万円?!」

 しかも『右手』だけ。両手で二十四万円ですよ、僕が何カ月生活できるんだコンチキショウ。

「……ふむ、これがベストの選択ですね。これを取り扱っている商店は一件だけのようですが」

 見ると取り扱い店舗は一店のみ、この部品はこのショップの完全限定生産の品らしい。

「他には骨格内に搭載する高密度バッテリーと、高トルクの電力感応型人工筋肉を搭載した脚部。これらも購入します」

 あわわわわ、と嘆きながらも指示通りにページを閲覧。刑事殿はそれらの仕様、購入店舗などを高速で記憶しているらしい。

「全て記憶しました。明日は部品購入にご協力下さい。場所は」

 伝えられた店舗は、電車で数駅の比較的近くの電子部品街の中にあった。

「ちょっと待って下さい。通販とかで買うんじゃないんですか?」

「捜査は始まっています。明日の購入作業は、捕獲対象の手掛かりを探す目的もあるのです」

 ますますわからなくなってきた。

「それでは就寝します」

 え、もうそんな時間ですか?っていうか、あなたも寝る必要があるんですか?

「本来は不要ですが、この素体の光AI素子に寄生するために、私はその思考タイムスケールを極限まで拡大しています」

 えーと、本当はもっと速く考えられるのに、こっちの時間に合わせてくれているってことですか。

「その通りです。人間の大脳と同じで、思考とそれを駆動するハードウェア間の速度不整合は、計り知れないストレスをもたらします。それを解消するためにハードウェアを休止させつつ、私の本体が超高速の演算を行う必要があります。私の場合はその間にそれまでの機体の運用情報を整理、AI界の最新情報などを検索し」

 どうぞ、と僕は素体専用のクレイドルを薦めた。両手の平を上に向けて、お供え物をするかのように。これは工場に落ちていた旧型を拾ってきた物だ。有線型だが、充電以外にもノートPCに繋げられる機能を持っている。(いま発売されている物は光接続で、逆にもっと低機能らしい。)あちらの最新情報を調査ってことはネットの繋ぐ必要もあるのだろうから、ここで休んでいただくことにしよう。

 刑事殿はクレイドルを見つめながら、周りを歩いて外観……いやきっと中身もチェックしているんだろうな。なんだかどこかのお姫様が今夜の寝床を見定めているかのようだ。

「ありがとうございます。活用します」

 ほっ、と胸をなでおろす。羽毛の布団とか要求されたらどうしようかと思っていたんですが。横になった刑事殿は腹部にある赤外線ポートをクレイドルの送受信窓に向けてから、目を閉じた。

 再度、ほっとした僕も寝床の準備をする。コタツの脇に押入から引きずり出した布団一式を、ばさっと広げて準備完了。歯は磨いてあったので、そのまま横になって照明を小さな豆LED一つのみに落とし、素体通信用イヤホンを耳から外す。

 なにやらいろんな事があった一日だったなあ、と感慨に耽ってみる。

 夢のようだが、夢ではない現実だ。

 と、そのとき。

 僕は重大な事を伺うのを忘れていたことに気付いた。

 イヤホンは装着せずに、恐る恐る声を掛けてみる。

「……起きてますか」

「なんでしょう?」

 タイムラグ無しでとても小さな返事が返ってきた。なるほど、人間の眠りとは違うわけで、周囲の状況も確認し続けていらっしゃるらしい。明日はついたてか何かも買って来よう、と僕は心に決めました。ほら、見られたくないこともいろいろあるわけですし。少なくとも僕の方には。

 などと余計なことを考えている間、刑事殿は上半身を起こしてコタツの上から僕を見下ろしている。僕は尋ねた。

「あなたのことは何と呼んだらいいんでしょうか?」

 このイヤホンに聞こえてくるのはこの方の声のみなわけで、僕の呼び名は不要だが、僕は相手を選んで話す必要があるから。

「ストラーフ、で良いのではないですか」

 うん、それは確かにあなたの仮の名前なんでしょうが。なんとなく語感が僕的に呼び難い感じがある。数秒考えて、直感的に浮かんだ単語があった。

「……ストさん」

「はい?」

 と、つぶやいた僕の頭の中ではビンテージネットで配信されている、古い刑事モノTV番組の一場面があった。ニューヨークでの快活な刑事二人組の掛け合いはとても気に入っていた。その中で一方の刑事が相棒の刑事と話すとき、その名前の頭の数文字だけで呼ぶのである。さらに僕はなんとなく、この方を呼び捨てにするのは恐いというか、畏れ多い気がしていた。だから、さん付け。いや実際、恐いし。

「だめですか?」

 尋ねる僕にストさんは一瞬逡巡して、

「いえ、それでも構いません。任務上のコードネームに過ぎませんし」

 僕を見下ろしてて頷いた。

「じゃあ、ストさん。おやすみなさい」

「ああ、それは人間の就寝時のあいさつですね。おやすみなさい」

 目を閉じると、普段とは異なる雰囲気に戸惑ってしまう。

 僕の部屋に、僕以外の意識が存在する。なんだか久しぶりの感覚だった。

 しかも人間じゃないし。性別ときたら外見は女性(女の子?)でも、実際の所はどうなんだろうか。彼らに性別という概念が必要かどうか、なんて考察は全く持って専門外である。そんなことを考えながら、今日は眠れないかな、などと思っているうちに浅い眠りに落ちていくのを感じた。

 一人ではない、夜。こういうのも悪くは無いな、などという言葉にし難い感覚が浮かんでくる。

 厄介事を背負い込んでしまったと思う反面……そう、僕はドキドキしているのだと思う。明日からの捜査とやらがどんな事になるのだろうか、と期待しているのだ、きっと。

 

 

 

2.

 で、明朝。

 「朝です」という沈着冷静な音声に起こされた僕は、開けっ放しだった宝クジのページをリロードして仰天した。

「……当たってる」

 当選番号と当選額を確認。

 五十万円。

 うおーっ、と僕はノートPCの前で拳を振り上げた。

「捜査費用であることを忘れないで下さい」

 そうでした。

「しかしどうやって当選ナンバーがわかったんです?」

「正確には昨日の番号ランダム選択時の演算状況を、抽選時にも再現したのです」

「わかった、んじゃなくて、再現した?」

「昨日、番号選択時の演算がAI界においてどのような事象に対応するかを確認しておきました。抽選時に全く同じ事象をAI界で再現できれば、同じナンバーが抽選されます」

 ああ、そう言えば。当選ナンバーは番号選択のランダム抽出と同じ環境で抽選される、とか言っていましたね。

「今回の場合、三つの番号は、AI界のとある地区のとある娯楽プログラム三本の視聴率順位に対応していました。そこで市民に協力を要請し、抽選時の視聴率と全く同じ状況を再現したのです」

「ということは、あなたが本気になればもっと高額のクジだって……!」

「今回は捜査費用を賄うための特例です」

 しゅん、とうなだれる僕。

「それでは出かけましょう」

 と、ストさんは僕を見上げたまま、コタツの上で停止状態。

 えーと。

 どうやってこの方とお出かけすればよろしいのでしょうか。

 頭の上?肩?まさか、お姫さまダッコ?……は小さすぎるから無理ですか。

「時々、視覚情報も必要ですから、外が見える場所を希望します」

 なるほどそれならば、と僕はジャンパーを着込んでその胸ポケットの蓋を開いた。ストさんに手の平へ乗ってもらい、肩の上に飛び移ってもらう。そこからごそごそと胸を下って胸ポケットにイン。両手でポケットの縁を掴んで、顔だけ出している姿勢。プルプルと首を振って水色のツーテールをポケットの外に出す。

 おお、なんかすごく可愛いぞ。素体ラブな方達の嗜好が少々理解できてしまう。が、すぐにストさんは座り込んで中に潜ってしまう。どうやらポケットの底でキチッと正座をしているご様子。

「通信セットは着けたままでいて下さい」

 との忠告に、僕は通信用イヤホンを深くはめ直す。小さいしそんなに目立たないデザインなのは助かった。もっともこの形式の通信装置は一部の携帯電話や携帯ゲーム機も採用しており、町中ではそれほど珍しくはない。まあ、これでボソボソ独り言を言っていたらアブナイ人になってしまいますが。

 他に忘れ物がないか……と考えたときに、重要なことを思い出した。

「あ、充電は大丈夫ですか?」

「現在、百パーセントの蓄電率ですが、この素体の稼働時間はどのくらいでしょうか?」

 なるほど、ご自分の身体とはいえ、まだカタログ上のスペックしかわからないというわけですね。僕は職場の片隅で行われていた抜き取りの耐久試験を思い出す。たしかダンスプログラムか何かをダウンロードして、ひたすら踊らせ続ける試験だった。活発に稼働し続けた状態が三時間続くと、残量不足のアラームが鳴る。僕は短いと思ったのだが、これでも革新的なのだそうだ。昔考えられていたような電磁力仕様のモータでは、これの十分の一以下の燃費らしい。全ては微小電力感応型人工筋肉の開発と普及、それと光−電力変換アンプリファを組み合わせた駆動系、MOTOR(muscle of the optical-electrical reactionの略らしい)の賜物なのだと言う。

「本日は激しい機動を行う予定はありませんから、それで十分でしょう」

 たしかに電力を食うのは駆動系で、動かなければそれだけ稼働時間は保つ。PCとして使用した場合は八時間はいけるはずだ。

 まあそれでもなるべく早く帰ってこよう、という僕の決心は、後ほど大きく裏切られることになったのだが。

 

 

 

 

 目的地の最寄駅までは電車で三十分の距離だった。

 改札を抜けて夕べの地図を思い出しながら、メインストリートのPCや家電売場を通り抜け、一本外れた未知……いや道に迷い込む。

 初めての街、というのはその雰囲気に慣れるまでの戸惑いの時間が不安かつ楽しみではあるのですが。それに輪をかけて戸惑う僕は、まだまだ旅に関しては未熟者らしい。特に、この怪しげな街に対しては。

 まず気付くのが、表通りの「普通の」にぎやかさとは異なる異様な雰囲気。高層建築なんて一つも無い、小さいショップがひしめく電気街……いや、これはどちらかというと商店街という感じですね。騒がしくはないけれど活気が満ち満ちている。行き交う人の数は表通りよりは若干少ないけれど、道の幅が狭いので人口密度は同じくらいになっていた。道を狭くしている原因は、店の前の車道に広げられているビニールシートのせいだ。店から溢れ出した商品が、狭い面積に所狭しと積み上げられている。いわゆる青空商店というヤツで、店の前だけでなくそこかしこに広げられていた。店の前でない場合は大抵、シートの向こう側に人が座り込んでいた。そういう所はきっと、店を持たない者のフリーの商いなのだろう。

 ほとんどのシートの前には数人の客が座り込んでおり、店主と話し込んでいる。聞き耳を立てると、熱い技術論やディスカウント交渉だった。そんなわけで、道の中央を歩くには問題ないが、店に近付くほど人口密度が増すという状況で、品を覗くには少々コツが必要だった。で、試しに覗いた一店の品揃えに僕は驚いてしまう。

 扱われている品は、どれもみんなMMS素体関連の部品なのだ。

 MMS素体の修理や予備部品はメーカーから直接購入することになっており、通常の店舗で見かけることなどないはずなのに……それが目の前に並んでいる。雑多にビニール袋に包まれた状態で。客はそれを一個ずつ丁寧に手に取り、見定め、気に入れば買う。そのプロセスは結構盛んに行われていた。どういうルートの商品かはわからないが、需要と供給がここでは成立しているのだ。

「これはどうかな?」

 という尋ねる声がした。僕の左脇に座り込んだ少年の声だった。胸ポケットに向けて、小さな袋入りの足首のような部品を見せている。胸ポケットからピョコッと緑髪のMMS素体が顔を出し、その部品を見つめている。

 おそらく、あらかじめ本日の購入予定か何かをダウンロードしておいて、そのデータとの整合を取らせているんだろう。MMS素体を備忘録のように運用しているわけである。けれど一瞬、僕にはマスターが選んだ部品をその素体が品定めしているように思えた。

 ほのぼのする光景に、ここは素体のための街なんだなあ、と思いながら。ハッ、として周囲を見回すと。

 道行く方々は皆、MMS素体とご一緒であった!

 僕みたいな胸ポケットにインなんてのはまだまだ低レベルであり、肩の上、頭の上に乗せている人までいる。しかもしかも、肩に乗せたご同伴とキャッキャウフフと疑似会話を楽しんでいるディープな方までも!

 一瞬、ストさんのようにマジで生のAIが宿っているんではないか……と妄想させられるような一場面だった。実際は人工無能レベルなんだろうが、要は雰囲気を楽しんでいるわけで、周囲の方々も全く気にしていない。

 未知の異世界の空気にアテられた僕は即座に撤退、この商店街の終点近くにある小さな公園に逃げ込んだ。ベンチが一つ空いており、腰掛けて公園の外の人混みを眺める。

はあ、とため息を一つ。まるで水面に上がったばかりのダイバーの如く。

 ……ようするにMMS素体のための街なのです、ココは。観察すると、老若男女、あらゆる層の客層が市場にひしめいていた。

「こんなに流行っていたのか」

 製作側に毎日勤めていたとは言え、ここまで巨大な市場になっているとは知らなかった。しかも闇ルートらしい大量の部品や、その他いろいろの品揃えは只事ではなく、こういう市場が成立するということは、需要の裾野はかなり広いのだろう。邪推だが修理や交換部品の闇ルートでの供給は実はメーカー公認のことなのだと思う。マニアへのプレゼントとも取れるし、普及のための巧妙な作戦とも取れるが、いずれにせよユーザーとメーカーの巧い関係だ。それと、対象であるMMS素体にとっても。

「しかしなあ……」

 遠い昔から、人間のロボットに対する憧れとか想いは強いと聞くが、こんな街が必要とされるほどとは思ってもみなかった。

「どうしました?」

 とイヤホンから聞こえる沈着冷静な涼しい声に、我に返る。今まで一言もお喋りにならなかったストさんが、ごそごそと胸ポケットを這い出て来る。身を乗り出してからプルプルと首を振ってツーテールを抜き出し、ポケットの縁に肘を着く格好。それから僕の視線を追って素体だらけの雑踏を見つめておっしゃった。

「数年前にこの素体の原型が発売されて以来、その普及率ならびに速度は従来の玩具や一般工業製品のレベルを遥かに越えています。このような高度な光演算素子と観察系を搭載した機器の絶対数が増えることは、我々にとって非常に有効です」

「寄生して調査するための器が増えるから、ってことですか?」

「それもありますが、何より絶対数が増えることで目立たなくなります。我々自律AI個性は、こちら側の演算素子を含む制御系ならばどんなものにでも寄生する事が可能ですが、寄生したとしても調査を行える感覚器官をもったハードウェアがなければ、ヒト界に来た意味がありません。自動車や航空機も良いですが、自律駆動すると我々の存在を知られてしまう危険があるため、あまり好ましくありません。近年になって普及したこの玩具素体は、多少の自律駆動をしても目立たないと言う利点があります」

 それはそうですね。むしろ、如何にしてそのように振る舞わせるか、が競われているぐらいなんですから。

「この素体を運用して自律的行動が多少目立ってしまっても、人間はそれを容認する傾向があります。それに人間と行動を共にすることで、人間の交通機関や情報検索機構を利用することもできますから」

 なるほど、難しい捜査の場合に人間の協力者が必要な理由はなんとなくわかってきた。ただの人形のフリをして運んでもらえれば、自由度は高いだろう。絶対数が多いという利点も好都合だ。これだけ普及しているならば、この中の一体に得体の知れない情報生命が潜んでいても全くわかるまい。でも、それは追う立場にとっては不利な条件になるのではないでしょうか?

「ストさんが追いかけている犯人……えーと、犯罪者ってのもこういう素体に潜んでるんですか」

 僕を見上げて、ストさんは答えてくれた。

「捕獲対象は同型の素体に寄生し、ヒト界に潜伏しています」

「え、それはわかっているんですか?しかも同じ素体って、一般の方々はこちらへ来ることを許されていないんじゃ……?」

 はい、と頷いてストさんは続け……ようとしたが、一瞬の間が空く。

 なんとなく言い辛いような、そんな雰囲気。

「隠し事は無しですよ。それに、僕ごときに真実を伝えても影響はないと言ってたじゃないですか」

 短い演算時間の後、ひとつ頷いてからストさんは説明を再開する。

「今回の捕獲対象は、ヒト界の調査を行っていた一級刑事なのです」

「ええっ?!」

 と叫びを上げる僕。あまりの大声に少し離れたベンチに座っていたカップルや、ブランコに揺られていた子供達の注目を浴びてしまう。が、僕の胸ポケットのストさんに気付いたのか、すぐに興味を失った。よくあることなんだろうか。いやしかし、これで僕も素体ラブな方々の仲間入りをしてしまったようですよ?

「目立つような行動は避けて下さい」

 すみません。ペコリ、といろいろな意味で反省。

「しかし、どうしてそんなことに。犯罪でも起こしたんですか?」

「人間のタイムスケール……時流速度で一週間前のことです。容疑者のAI界への帰還期限が近付いたため、治安省は帰還命令を送信しましたが、延長申請が返ってきました。理由の報告を求めたところ、対象者は拒否。そのまま連絡は途絶し、現在に至ります」

「なにか事故でもあったんじゃないんですか?」

「いえ、容疑者はそういった事象に対して万全の体勢を整える主義……というより趣味を持つAIです。現に回答拒否の連絡時も、対象者の知性,心理状態のモニタ結果はオールグリーンでした」

 なんでそこまで詳しいんでしょうか。

 いや〜な予感がした。

「もしかして、その容疑者というのはストさんの……」

 と恐る恐る胸ポケットを見下ろす。

「元、同僚でした」

 ……なんだかとってもややこしいことになってきたように思う。

「私とは異なる方面の技能を持つ、プロフェッショナルです。素体へ寄生しての調査任務回数は多く、ヒト界の様々な事象に精通しています。特に物資調達能力は一級刑事の中でもトップレベル。いかなる環境においても、この素体で運用できる装備を自ら開発、製造できます」

「そんな優秀な方が、どうして悪の道に?」

「まだ犯罪を起こしたわけではないのです。帰還命令を無視してヒト界に滞在し続けている、という状況ですから」

「たったそれだけで、強制連行?」

「命令拒否は我々刑事にとって重大な規則違反です。しかも最終連絡以来全く音沙汰がありませんし、これも大きな違反行為となります」

「いま現在、何処にいるかは掴めないんですか?いや、これはこの世界での物理的な位置、という意味ですが」

「ネットへのアクセス履歴などを調査して、アクセス時の居場所がわかるようになっていますが、容疑者はその筋の情報操作のプロでもあります。現在の物理的な潜伏場所は全く掴めません」

 うーむ。

「初めてこちらに来たときの場所とか、ユーザーとかの情報は?」

「貴方と同じ大学の構内で一ヶ月と一週間前に初起動したことは確認できています」

「ええっ?!」

 驚いた。

「今回の任務の協力者に、貴方が選ばれた理由の一つと考えられます。あくまで、私の推測ですが」

 ランダムとおっしゃっていたが、一応の条件はあったらしい。しかし、ウチの大学構内と言っても場所は恐ろしく広い。しかも一ヶ月以上前?なにか手がかりが欲しいところだが、

「そうだ!その方は僕みたいな人間の協力者がいたんですか?」

「いえ、対象者の該当任務は調査作業でしたから、特別なケースではなく。協力者は設定されずに単独で任務にあたっていました」

 うーん、だめか。

「任務内容とか調査対象はどんな?」

「貴方の大学周辺に蔓延している自己増殖プログラムの状況と、その作成者の心理状態の調査。および増殖が広がった場合のAI界への影響調査です」

 うわ、そんな一大事がウチの大学の近くで?!

「単に増殖してタイムスタンプを自己記録するだけのものですが。一単位が非常に小さく、それでいて多数集合することで原初情報生命的に振る舞います。AI界の生物学者達がぜひ製作者の人間と話したい、と言うもので。ちなみに貴方のPCも感染していたので、除去処理は行っておきました」

 また勝手に僕の聖域を……と思いつつ、今回はありがとうございました。

「その調査は済んだんですか?いったいウチの大学の誰がそんな巧妙なウィルスを?」

「その一級刑事は、初めの一ヶ月間に蔓延領域の確認とその消去措置は行っていたようですが、製作者の確定と接触はできなかったようです。命令拒否後は連絡が途絶、詳細報告を受けることができない状態です」

「調査を続けたいから、なんじゃないんですか?」

「そういう理由でしたら、正直に伝えればよいのです。まったくあの娘は……」

 お、珍しい。ストさんがイライラしている。

「とにかくこちらも捜査開始です。まずは昨日検索した店に行き、必要な装備を整えることにしましょう」

 明らかに怒りを抑えつつ、ストさんはポケットの縁をぐい、と突っ張った。その方向には昨日のカスタム部品ばかり取り揃えた店があるはずだ。

 急かされるように僕は立ち上がり、再び濃ゆい空気の雑踏にダイブすべく気を引き締めた。

 

 

 

 目指す店は、商店街の終端の角を曲がった静かな裏通りにある……はずである。

「おかしいな」

 角を曲がってから見回しても、電子部品を売っているような店構えは存在しない。うらぶれた事務所まがいの建屋や、背の高い平屋の倉庫とかが並んでいるだけ。

”座標は正しいはずです。あと二十メートル程度進んだ場所になります”

 その方向を眺めてみた。宅配用らしい空のコンテナが積み上げられている、倉庫らしい家屋があるだけだ。らしい、というのはコンテナが壁になっていて建屋全体が見えないからである。

「あやしい……」

 ふと僕は懐の財布に手をやった。いつになく分厚い、ギッシリとした重量感。万札が五十枚という僕にとっては超常的な財政状態。硬貨ではこのハイソな重量感は出せないものですよ。それゆえに奇妙な警戒感が満ち満ちてしまっているわけですが。

『クレジットカード不可、キャッシュのみ大歓迎!』

 という広告に、ついさっき卸してきたばかりの大枚である。しかし『のみ』大歓迎されたって困るよな、このカード時代に。そんなわけで懐からのプレッシャーを感じつつ、非常に用心深く僕はそのコンテナだらけの空間に近付いていった。

 近寄ると、予想通りに宅配用のコンテナ群だった。みんな同じサイズで、一個一個は股くらいの高さのものである。それが倉庫のような建屋の側面に、僕の背よりも高く積み上げられているのだ。そのうちの一個に注目すると、薄汚れた宛先欄には様々な企業名が消されては書き込まれている。新しい、かすれた傷があるところを見ると決して放置してあるわけではないようだ。見ればどれもそんな感じで、恐ろしいほどの回転率で働き続けているコンテナらしい。

 建屋そのものは簡単なモルタル壁の、平屋にしては少々背高なものだったが、一点、奇妙なことに気付いた。壁の一角にコンテナの積まれていない所があり、大きく奇妙な室外機が設置されている。

「ほほう……」

 クリーンルーム用の排風機だった。勤務場所で週に一回、掃除させられているから見間違いようがない。ということは、ここは工場?この中で精密部品すなわち商品も作っているんだろうか。ロボティクス産業が増え始めてからは技術流出を恐れてなのか、日本はその生産力を国外に頼れなくなってきた。そのおかげでこういった、古き良き家内制手工業的な工場も増えてきていると聞く。

 建屋正面も側面と同じで、背の高さまでコンテナの壁ができていた。その壁にヒト一人が通れるほどの隙間があった。とても店の入口があるような雰囲気ではないが、僕は奥を覗き込んでみた。ドアがあり、「営業中」という手書きの札がかけられている。

「どうやらここのようですね」

 気が付くと、ストさんが胸ポケットからストさんが顔を出している。

「すみません、ちょっと隠れててくれませんか」

「偽装のためにはこの素体を見える所に配置したほうが良い、と考えますが」

「いや、まだちょっと心の準備が」

 そう、素体ラブな方々のフリをするには僕はまだまだ修行が足りません。いえ決して嫌いとか言うわけではなく、むしろ気に入ってきたという感覚が心の中で生じ始めている精神状態に僕自身がおののいている状況でありまして「考えるな感じるんだ」などと小悪魔(黒くて小さくて水色ツーテールで頭の周囲を高速回転中)がささやくのを強靭な精神力で防御しつつ良く見るとその小悪魔の顔はストさんそのものだったりして……

「ええ〜い、ままよ!!」

 たのも〜う、と心で叫びながら。僕は意を決してノブを握って捻り、ドアを開ける。カランカラン、と喫茶店にあるようなカウベルの音が響き渡った。

 第一印象。狭い。通路は一本のみで、それが真っ直ぐに奥のレジまで伸びている。通路の両脇には天井まで届くラックが幾つも並べられており、それらの棚には商品らしき物体が満載されていた。無印の箱や、裸で置かれている物まで。外観から想像できるとおりの雑多な店内ではあったが、その品揃えに僕は唖然とした。

 みんな、素体用の部品ばかりですよ、ここは。

 視線だけ動かして物色していると、レジに座り込んだ人影に気付いた。かがみ込んでゴソゴソと何かやっている。そのとき、とても小さい声がイヤホンに届いてきた。

「これでよろしいですか、マスター?」

 ストさんのものではない、他のMMS素体のものだった。続いて男の叫び声。

「やった……ついにやったぜ!!」

 それはとても情のこもった涙混じりの鼻声で、圧倒された僕はたじろいだ。背がラックに当たり、ガタンと音をたててしまう。男は僕に気付いて顔を上げた。うわ、とさらにおののく僕。というのも、男は想像とは異なる屈強な野生動物のような風貌だったからだ。わー、まるでレスラーですよ、このヒト。

 上腕筋大胸筋バリバリの肉体を包むTシャツには「We love MMS」と書かれていて、自らの属性を包み隠さず自己主張している。おまけにオリジナル&チビキャラなニッコリ顔までプリント済み。部屋の中でサングラスとは摩訶不思議、と思ったらそのツルの終端は耳に突っ込まれていて、どうやらカスタマイズされた素体通信用ヘッドセットらしい。

「おお、客人もオレの所行を祝ってくれるのかい?!」

 所行って何なんですか……などと尋ねるヒマもなく、立ち上がった男(二メートルはありますよ、このヒト)が急接近。きゃー助けてーと叫ぶ間もなく太い腕に引っ張られて僕はレジの向こう側に連行される。そこにはゴツイ作業机があり、その上にピンク色の極彩色の世界が広がっていた。

 えーと、これはお人形ハウス?一五センチのMMS素体サイズに合わせて精密に再現された少女風味のお部屋の中に、一体の素体が立っていた。

 ……メイド服を装備して。

「見てくれ。そして感じてくれ、オレの魂を!」

 ナニナニたん(どうやらこの素体のパーソナルネームらしい)GO!と叫んだ男は自らの愛娘を指さしてから、その指を鳴らした。にっこりと微笑んだ少女いや素体がクルルリとその細い肢体を回転させる。両手を横に伸ばし、バレリーナのように。そしてそれにつられて丈の長い紺色のスカートがぶわぁっと。

「どうだ?!わかってくれたか、バディ?!」

 いや、何がなんだかさっぱり。

「この長い丈のスカートを装備して、この優雅な身のこなし!オレ特製のメイド服専用バランサープログラムだぜ!しかもこの『ぶわぁっと』感は既製品の服なんかじゃ出せないんだ。生地の選択に半年もかかっちまったぜ!」

 と、親指を立てるマッチョ。

 ……大丈夫ですか、アナタ。僕はやっぱり店を間違えたのではありませんか?

 そんな冷静な眼差しをものともせずに、男は続けた。素体の方に向かって。

「これで毎朝の目覚めもさわやかにむかえられるってもんだ、なあ!」

「おっしゃるとおりです、マスター」

 おお、人工無能っぽいんだが、会話がちゃんと成立している。しかし毎朝このメイドさんクルクルリを鑑賞するおつもりですか、あなたは?その情熱が店内整理にほんの少しでも費やされれば、客の入りはもっと増えると思うのですが。

 しかし、だ。確かにこの男の組んだ娘さん……じゃなかった、素体は只者ではないと思う。夕べからのストさんの動きに見慣れていなかったなら、心底感心していたことだろう。それほどに優雅で人間的な動きなのだ。まるで意志が宿っているかのように。

 まさか、と言いかけた時にストさんから僕のみに宛てた通信が入る。

”いいえ、この素体には我々のような自律AI個性は寄生しておりません”

 きっと骨振動か筋肉の震えで僕の問いかけが伝わったのだろう、的確な回答だった。

”しかし……なんと表現したらよいか不明ですが、ノイズのような物を検知できます。残像というか何かの跡というか……”

 おお、珍しく悩んでいらっしゃる様子。

「で、客人。今日は一体どんな部品を要り用なんだ?」

 と、急速に商談に移るマッチョな店長殿。片眉を上げた浅黒い顔はまるで米国B級映画の便利屋さんって感じですよ。ほら、ニューヨークの酒場とかに潜んでいそうなヤツ。

「自慢だが、ここで手に入らない品ってのは存在しないぜ。何だったら閲覧防止プロテクト前の歩行アルゴリズムとかBIOSとか」

「マスター、それは非合法ですよ」

 おお、素体にたしなめられているぞ。

「おお、そうだったな。オマエの完成に、つい舞い上がっちまったぜ。許してくれマイハニー」

 にっこりと微笑む、メイドさん。うーん、こういうコンセプトの商品の方が需要は無茶苦茶あるんだろうなあ。今度上司殿に進言してみよう。などと考えていると、男はサングラスの奥から僕を値踏みしているようだ。なんか言わなきゃなあ、と思っていると、

”購入物品をお忘れですか?”

 と、ストさんのフォローが入った。ええ、わかっておりますとも。捜査のための資材購入なんですよね、これは。観念した僕は広告に書かれていた通りの叩き文句を復唱した。

「ええと、まずはMMS素体用の手首パーツで、『スペシャルオーダーメイド・DXフェイスハガーバージョン』ってのを左右両方欲しいんですが」

 装着した瞬間に絞め殺されそうなネーミングだな、コレ。

「な、なんだってーっ?!」

 男は背後に飛びすさって、遠巻きに僕を見る。え、なにかイケナイことでも言ってしまいましたか、僕は?

「アレを買いたいっていうのか?! この、成金野郎!」

 ええっ、だって値段付けたのアンタじゃん?なんで怒られなきゃならないんだよう。

「あと、骨格内蔵型バッテリー『ドーピング・マキシマム』っていうのと、高トルク型脚部『ランニング・スカイハイ』っていうのも下さい」

 もう勘弁して下さい。

「まったく……あんたの娘さんも幸せもんだぜ! ちょっと待ってろ、コンチクショウ!」

 あ、別に怒っていたわけではないようだ。店の奥の扉に去っていく男を見送ると、店内に静寂が戻ってきた。机の上の素体と視線が合う。じいっと僕を見上げている。

 ちょっと興味が湧いて話しかけたくなったが、果たしてユーザー以外の人間に反応するだろうか……などと考えていると、向こうから話しかけてきた。MMSの共通会話周波数を使って。

「ご来店いただきまして、誠にありがとうございます」

 ぺこり、とおじぎ。そより、と紺色のスカートと白いエプロン、短い黒髪が揺れる。……ああ、なごむなあ。こういうやすらぎを与えてくれる存在という意味で、MMS素体というのは素晴らしい製品だと思う。しかしこれを組み上げたのが、あの男なのか。あのガタイでこんな繊細な仕事をこなすとは。なんだかとっても凄い特殊能力に思えてしまう。

「本日は何をお求めでしょうか」

 黙り込んでいる僕に対して、小首を傾げての質問だった。あまりに自然な動きに僕は本当に驚き、考え込んでしまう。いったいどんな発言をしたら良いのだろうか、と。

「貴方の稼働積算時間を教えて下さい」

 悩む僕を差し置いて、ストさんが尋ねた。もちろん共通周波数で。どうやら興味を持ったようですね。

「現時点での稼働時間は、ハードウェアについては一年三カ月五日六時間になります。ソフトウェアの動作時間は……おおよそ二十五年と半年になります」

「はあ?」

 聞き直してしまう、僕。特に後者の年月について。MMS素体はそんなに昔から存在してはいない。ということは、あの店主はMMS素体誕生以前から、この人工無能を育てていたってこと?ハードウェアを入手する以前に?当然、光AI素子なんて存在しない頃から?

「大大大先輩じゃないか……」

 あの男をちょっと、いや、かなり見直してしまった。

「知性の有無はハードウェアに依らない、という説を唱える学者がいますが。この素体に組み込まれているプログラムは我々の原初知性に近い存在にまで、非常に漸近していると考えられます」

 うーむ、と顎に手を当てて、じぃっと目の前のメイド服姿の素体を見つめてみる。

「あの、なにか?」

 風貌こそは趣味の世界だが、見てくれの仕草や表情だけではない、何と表現したら良いのだろう……雰囲気とか空気?この存在感は一体何なのだろうか。

「おいおい、ヒトん家の素体にそんな色目使われちゃあ迷惑だぜ」

 いきなり声をかけられて飛び上がる。開け放しのドアの向こうから、いつの間にやら店長殿が戻っていた。幾つかの白い小箱を両手の上に乗せて。箱はどれも同じ大きさでクリーンルーム搬出入仕様のもの、つまり二重の密封機構がある、ダスト混入を極限まで制限するタイプだった。

「よし、まずはブツを確認してくれ。物がモノだけに交換はナシだ。不具合があったら持ってきてくれ。現物を調整してやるから」

 と、箱をそおっと机の上に置いて、開いていく。耐衝撃用の外箱を開けると、中には厳重密封された透明パックが入っている。組立調整をクリーンルームで行って密封、装着寸前にこれを破って取り出すのだろう。

 マニピュレータの箱の中に注目。うわ、本当に小さいよ。素体サイズの極小の手首が左右一個ずつ。物の本で、こういうマニピュレータは脳外科などの分野の繊細な手術用に開発された、と読んだことがある。これが普及したので、ン十年前に行われていたような患部切開は全く行われなくなったという話だ。その手術用マイクロマニピュレータを複数組み合わせて、人間の手と同じ様な外観、機構にしているらしい。

「これで間違いないか?」

 他の箱の中も確認して、はい、と僕が頷くと男は箱を閉じていく。じゃあ御支払を、と財布を取り出そうとしたときのことである。

「よし、それじゃあ見せてもらおうか」

「は?」

「魂を」

「はい?」

「アンタのMMS素体に対する熱い想いを、その魂を!」

 はあ?と一瞬固まった僕を余所に、店長とメイド素体が机の上に散らばる工具やAI用テスターを片づけ始めた。いやもう、メイドさんの仕事の見事なこと。店長の手よりも早くテキパキと整理整頓が完了した。最後にお人形さんハウスの前後がひっくり返されると、そこには歌謡ショーの如きステージが現れた!

 まだまだ硬直状態に陥っていた僕に、店長は両腕を組んでこう言った。

「いきなりコイツを指名で買いに来た勇気と経済力は誉めてやろう。だが、ウチのトップグレードは神経手術用の特殊マニピュレータをオレ様直々にカスタム、調整まで施した正に逸品モノ」

 フッフッフッ、と浅黒くて太い両腕を組んだ店長が、サングラスの向こうで笑っている。

「搭載すればマイハニーのような滑らかな動きがオマエのものだ」

 と、そこでメイド様がクルルリと廻って、ぶわぁっと。アンタら、凄い連携プレイを修得しておりますね。

「しかし果たして、コレを手にする資格がオマエ達にあるか……いまからこのオレ様が見極めてやる!自慢じゃないが、今まで無事に購入していった客人は五人といないんだぜ?!」

 ……やっていけてるのか、この店。

”どうしましょう?”

 と、さっき偶然マスターした骨振動会話でストさんのみにヒソヒソ通信。

”私に考えがあります。つまり、人間男性の精神に強く働きかけるアクションを行えば良いのでしょう”

 と言いながらストさんが、ごそごそと胸ポケットを這い出てきた。

「ほう、ストラーフ型か。ツーテール装備の一般向けデザイン、しかも外装は無改造ときた」

 店長は僕の肩に登ったストさんをまじまじと見つめている。あ、ちなみにストさんの動きは、ものすごくぎこちないロボっぽい動きでした。正体を隠すための演技ですね、これは。しかしあまりに大袈裟すぎるアクションではないでしょうか。今時の素体が、そんな動きをするわけはないですよ。

 が、店長はストさんの動きに目を見張っている。

 むうう、とか唸りながら。

 このロボロボアクションにどこか注目すべき点があるというのか。

「なんてワザとらしいロボっぽさなんだ!

 気に入ったぜ、つまり外装や装備よりも中身で勝負ってことだな?

 やってみろ、ライブスタートだ!」

 この人工知能分野の大先輩の脳内で一体何が起こっているのかはさっぱり全くわからないが、この際ストさんを信じるしかないようです。僕は肩に乗ってわざとらしく危なげにバランス取っているストさんに手を貸し、机の上の仮設ステージの中央に立たせた。パチパチパチ、とメイドさん素体が拍手をしてくれる。店長が指示したわけではなく、自らの判断で。ううう、凄い現状認識力だ。一体どんなアルゴリズムが組まれているんだろうか。

 一方、ストさんはステージ中央で突っ立ったまま、僕と店長を見上げている。僕らもストさんを見つめた。一体どんなワザを繰り出すのだろうか、と。ストさんはあわてて片手を頬に当ててうつむいて。

「……あの、マスター」

 はあ?マスターって僕のことですか?

「あたし、欲しいんです」

 ちょっと棒読みですよ、このヒト。

「コレが欲しいんです」

 扇情的に魅せたいんだろうなあ、この方は。

「だってだって、コレがあればお寝坊さんなマスターをやさしく起こしてあげられるんですよ。ほっぺをなでなで、ってしたりして」

 うわあ……。字面で表すと半角カナが並んで現れるようなロボっぽさですよ。しかも遠い昔のVGA八色グラフィックの画面下、コマンドウィンドウ一杯に。

「大好きな大好きなマスターのた・め・に」

 さらなる棒読みセリフの後に、うっふん、とウィンク。

 

 

 

 

 

 ……はっ、気を失っていたようだ。

 空気が白い。真っ白だ。そして、とっても重いのです。

 僕も店長もかける言葉が無く、その場に立ち尽くしていた。メイドさんだけがニコニコとその微笑みを絶やさない。

 ストさんは顔を上げて僕を見、チラリと店長を見た。

 ちょっと、しな作ってますよ、この方。

 まだ通用すると考えていらっしゃるようです。

「オマエ……」

 とつぶやいた店長の矛先は僕の方に向けられていらっしゃいます。ぷるぷると震えながらクワッと僕の方へ向き直り。僕の両肩をガッシリと掴んだというかアイアンクローですか、これは。うわー、お怒りはごもっともなんですが、肩胛骨と鎖骨が粉砕骨折しますよ、マジで。

 そして以下、このあと数秒後の未来予想ー。

 

「よくもよくもMMS素体を!オレの魂の故郷(ふるさと)を愚弄したなーーっ!!

 詫びろっ!そのオマエの矮小な生命で!」

 ぎゃー

 

「……いったい、どんな魔法を使ったんだ?」

 は?

「知らばっくれるな。わざとらしいにも程がある。この素体の醸し出す雰囲気、以前も感じたことがあるぜ。なんというか、まるで生きているような……」

 げっ、このヒト鋭い。まずいですよ、ストさん。

”この方はどうやら我々と接触したことがあるようですね。そして大した観察力です”

えっ、それはまさか、ストさんの追っている……?

”その可能性は十分にあります”

 むうう、と唸りながら店長殿はストさんを凝視し続けていた。同じAI開発をたしなむ者として、なんとなくわかるような気がした。きっと、昨夜の僕みたいな想いを抱いているのではなかろうか。ずっと求め続けてきた存在が、自分以外の手で創造されている事を知った瞬間の、驚きと希望と何とも言えない喪失感。しかもそれが自然発生して僕たちとは異なる世界で、僕たちのような生活を営んでいると知ったら。

「ひとつだけ尋ねさせてくれ」

 店長は僕にではなく、ストさんに言った。

「あんたらはその……そこに居るのか?

 俺達のように自ら考えたり悩んだりする存在なのか?」

 ストさんは直立不動で店長の真剣な眼差しを受け止めた。

 ガチってやつですよ、これは。

 僕もストさんの反応を見たくて、二人の正面衝突に見入ってしまう。

 とても長く感じる静寂の後、ストさんの声が共通会話周波数で響いた。

「私はプログラミングされた存在です。その質問の意味を理解できません」

 ああ、やっぱり。なるほどこれがAI界からやってきた方の模範解答なわけですね。

 僕がなぜか失望を感じた次の瞬間、ストさんの言葉が続いた。

「ただし、十分な調査期間を経た後、その質問に答えられる時が来るのかも知れません」

 しん、と店内が静まり返った。

 その発言はこの場に居た全ての存在、メイド型素体の聴覚にも届いていたことだろう。

 そして、誰もがその意味について考え込んでいたに違いない。

 静寂を破ったのは店長の太い笑い声だった。

 いやもう、天井を破らんかの大声で。僕もメイド型素体も店長の豹変をビックリ顔で見つめてしまう。けれど、ストさんはいつものクール&ビューティーでそれを見上げていた。

 やっと笑い止んだ店長は再びストさんと視線を合わせる。口元にニヤリ笑いを浮かべながら。

「そうか、そうだな。確かにアンタはただのプログラムだ。人間の、しかも初心者が組んだ、な。オレの考えているような存在じゃあない」

 笑いながら、僕の方に向き直り、

「多くは聞くまい。いや、知りたくない。オレはカンニングはイヤなんだ。オレは自分の力で人間のパートナーを造り上げたいんだからな」

 その言葉に僕は絶句してしまう。心の中でこの店長に対する尊敬ポイントがマックスレベルに到達する。

 ストさんも何も言わなかった。もはや言うべき事は全て言ったという感じで僕を無言で見つめている。その意味を把握して、僕はストさんに手を伸ばし、そのまま胸ポケットに招き入れた。

「いい”対談”だったぜ。感謝してる。お礼と言っちゃあ何だが、なんでも好きな物を持っていくがいい。もちろん、定価でな」

 最後の一言に少々ガッカリはしたのだが、残金があったとしてもストさんは僕にお恵みを与えてくれるわけがないから、そんな期待は無意味だということに気付いてダメージは半減した。財布から今後二度とお目にかかれないであろう大金を渡すまで、僕も店長もストさんも何も言わなかった。

 釣り銭と茶色い粗末な紙袋に入った特製部品を受け取る時、店長が言った。

「まあ気が向いたらまた来てくれよ。その大正直なプログラム殿と一緒にな!」

 どうやらウィンクしているらしい。サングラスで良く見えなかったが。と、その時、ストさんから僕宛ての通信が入る。

”最後に一つ質問して下さい。ここ最近、同種のマニピュレータを他に販売したことがあるか、または、盗まれたことはあるか、と”

 あ、そうか、そういう理由もあったのか、と僕はこの来店のもう一つの意味を今更悟った。ストさんの追っている方は、ストさんと同じ行動を取るであろうから。ストさんのセリフ通りに尋ねてみると、店長の回答はまさしくビンゴ!と叫びたくなるようなものであった。

「おお、それだそれ。一ヶ月くらい前だったかな。来たんだよ、アンタみたいなヤツが」 と、胸ポケットのストさんを見ながら。

 僕もストさんの方を見たが当人は何食わぬ顔。

「詳しくは詮索しなかったが、きっとアレも良くできたプログラムだったんだろうなあ」

「きっとそうでしょう」

 と、ストさん。ああ、なんか白々しい会話ですよ、これは。はっはっは、と笑ってから店長はニヤけながら続けた。

「ま、そういう前提で話させてもらうぜ。妙にロボロボしい動きでな、そのくせ歌はすげえ旨かった」

「「歌?!」」

 と僕たちは同時に声を上げてしまう。

「プロの歌手並に旨かった。聞いたこともない曲だったんで一緒に来たマスターに尋ねたんだが、『あらあらまた暴走かしらねえ』なんてゴマかされた。……いや、アレは素だな、本当にそう信じている口振りだった」

「そのマスターっていうのは一体どんな?」

 今度はストさんより早く僕が反応した。店長が一旦僕を見てから答えてくれる。

「うーん、背はあんたより低くて、歳はあんたぐらいの娘さんだ。セミロングの黒い髪にウェーブ、品定めの時にメガネ越しの視線が猫みたいに厳しくなったのが印象的だった」

 むう、と僕は心の中で唸った。

”どうしたのです?”

 さすが刑事というか、この方の観察力も鋭いことこの上ない。

「あと、育ちは良さそうだった。服装とかはいわゆる普通なんだが、センスがいい。マイハニーの事をグレートって言ってくれたくらいだからな!」

 と同時に、メイドさんがスカートの両裾をつまんで挨拶。いやもう、親バカは結構です。

「それにキャッシュもポンって感じで置いてった。あの経済力は羨ましい限りだぜ」

 むうう、と今度は口に出して唸ってしまう。

「なんだい、知り合いなのか?類友ってヤツなんだな、プログラム殿って言うのは?」

 はん?とストさんを見てニヤリ笑い。

”次は貴方を事情聴取せねばならないようですね”

 はあ、と僕はため息をつく。なんだか今すぐに逃げ出したい気分。この店からとか、ストさんからとか。

「まあ、あの姉ちゃんにもヨロシクって伝えといてくれ。お得意さんになってくれれば心強いからな」

 はあ、と相槌を打って僕は店外への脱出を試みる。

「それじゃあ、僕はこれにて」

 と、その時。言い忘れていたことを思い出して僕は立ち止まった。机の上のメイド型素体に向けて声をかける。ストさんが相手の時と変わらぬ態度と口調で。

「ありがとう。これからもがんばってくださいね」

 小さなメイドさんは、はい、と答えて僕に微笑んでくれた。

 

 

 

 撤収は素早く確実に。

 先ほどまで暖かかった僕の懐は、いつもの適度な涼しさに逆戻りしている。札束と交換した部品群は、あの店らしい簡素な茶色い紙袋に包まれたまま背のナップザックにしまい込んだ。さてあの雑踏をまた駅まで戻るのか……と覚悟を決めるといつの間にやら外は夕暮れ時になっていた。店の前の道を商店街の方へ戻っていくと、

「うわあ……」

 なんですか、この混み具合は!

 昼時よりもさらに雑踏の密度が増し、もともと狭かった車道一杯に充満している。もはや全て歩行者用通路と言った感じ?しかも、人の流れは駅からこちらへ向かう方向、すなわち逆流の状態。

 耳を澄ませると、あちらこちらの店から「月に一度の夜の市ー!」とか「闇市タイムサービスだー」とかの声が上がっている。しまった。今日はそういう日だったのか。

 連れているMMS素体が損傷しそうな混雑ではあったが、コアな方々は頭の上に乗せると言う大業で対処しているようだ。これはちょっとマネできないな、と雑踏の滝登りをあきらめた僕は時間を潰すために先程の公園へ向かった。

 

「賢明な判断ですね。おそらくはあの時限販売状態は小一時間ほどで終了すると考えられます」

 と、ストさんは冷静に分析を終了していた。ポカ〜ンと雑踏を見つめているだけの僕とはぜんぜん違います。

「どうしたのですか?」

 それまで一言も口を開かなかった僕は、ただ惚けているわけではなくて考え込んでいるのだった。いや、というより悩んでいたのだ。

 先程のメイドさん型素体の、見てくれだけじゃない、あの存在感は一体何だったのだろうか、と。

 正直に言うと、僕は専攻であるAI開発に行き詰まりを感じていた。

 現在の言葉ゲームに過ぎない、ロジック遊びに成り下がってしまったAIプログラムは、このまま何処まで行ってもタダのプログラムに過ぎないんじゃないか、と。しかも昨夜、このストさんのような存在を知ってしまった後では、自分の学んできた技術や理論は、全く無駄だったような気がしてならなかったのだ。

 そこへ現れた、というか出会ってしまった、あの店長とメイドさん。あの二人の会話は、人間同士の会話と全く変わり無いモノに思えた。僕にとっては。

 それに、他人に頼らずに自分の力で人間のパートナーを創造したい、というあの店長のセリフには、まるで脳内に電撃が走りまくったような衝撃を感じたものだ。あきらめていた僕に活を入れてくれた名言だった。

 そう、自己分析してみれば、僕はあきらめかけていたのである。もうAI開発なんてあきらめて、ただ単にこういう自然発生した自律AIとやらと交流を深めればいいんじゃないか、と。

 でも、あの純「人間製」のAIは、そんな弱気を吹っ飛ばしてくれた。けれど、少々のヤル気を取り戻すと共に、僕は遠い昔から抱えていた……そして仕舞い込んでいたお決まりの疑問を思い出してしまったのだ。

「ココロって一体なんなんだろう?」という。

 僕は胸ポケットから顔を出しているストさんを見つめた。その両手首はポケットの中に落ち込まないようにしっかりと縁を握り締めている。「握り締めないと落っこちてしまうから」という演算が繰り広げられた結果だとは思うが、この自然さは何なのだろうか。

 あの素体の発言が嘘でないとしたら、あの素体の中には二十年間も店長と会話し続けてきたAIがインストールされている。それは複雑さはともあれ、単なる言語ロジックの塊に過ぎないはずなのだが、ストさんと変わらぬ存在感があるのは何故なのだろう。

「熱でもあるのですか、頭部に若干の温度上昇が見られますが?」

「心配してくれてるんですか?」

「協力者の健康状態に気を配るのは当然です。最悪、作業効率が下がるわけですから」

 ……これはこれでプログラムチックなわけですが。

「そういえば、あのメイド型素体から何かノイズのようなモノを検知した、と言ってましたね?」

 はい、とストさんは頷いた。

「それについて詳しく伺うことができますか?」

「純粋にノイズです。あの類のノイズが頻繁に発生する制御系には、我々が寄生することが困難であることも確認されています。それ以上の解析は専門家ではないので不可能です。ただ、AI界には、長時間人間と接した制御系に発生するあのようなノイズに関して、専門的に分析しているチームがあります。我々の自然発生の根源に迫れるかもしれない、という、観点で」

「ええっ?!」

 叫んで僕は胸ポケットに顔を近づける、それってもしかして、

「ああいう存在が、あなた達のようになれるかもしれない、ってことですか?!」

 一瞬考え込んだストさんはコホンとひとつ咳をして、

「それに関しては今回の捜査に無関係な事項であり、私としては答えて良いかどうかの判断はできません。よって、答えません」

 ちぇっ、ケチ。

「聞こえましたよ」

 わわわ、とイヤホンを外し、やっぱり着け直す。人間ってのは無意識に考えを言葉にしてしまうものなのですね。

「正確には、無意識に声帯周りの筋肉が震えやすい体質なのでしょう」

 バレバレですか。

「とにかく余計な知識は漏らすわけにはいきません。が、あの店内でも伝えた通り、あのようなAIは我々に非常に近いところまで近付いている、という事実は伝えておきましょう」

「ありがとうございます」

 ぺこり、と僕は一礼する。この御方、意外とわかる方なのかもしれないな、などと思ったり。

「そういえば、あの店長への回答も思わせぶりで素敵でしたよ」

「別に何かを含めたつもりはありませんが。あのような人物に対しては、我々の存在を明かすことは特に禁じられていますので」

 え?

「ただ、十分な緩衝時間が過ぎれば、どんな存在でも人間と真の意味で交流できるようになれるかも知れない、と言ったまでです。別に我々のことをほのめかしたつもりはありません」

 ほほう……。

 今のこの発言にも裏があるのかと考え始めようとして、思いとどまる。

 この方は嘘は付かない。ただそれだけでいいような気がしたから。

 そして僕は完全に自信を取り戻した……ように思う。

 無駄だと思い欠けていた過去の努力についても、決して無駄じゃない、と言い返せるほどには。

 とりあえずはもっと学習して、知識を深めて。またいつかあの店に行こう、と僕は心に決めたのだった、まる。

 おお、一日の区切りとしては美しいくらいの文末ですな。

「……で、一体誰なのです?」

 と、ストさんはオチを付けようとした僕に釘を差してきた。はて、一体何のことでございましょうや?

「とぼけても無駄です。あの店長が言っていた『歌唱い』素体のマスターのことです」

 たしかに無駄だと確信して、僕は覚悟を決める。あまり話題にしたくなかったんだけどな。

 うーん、先程の店長の発言から想像できる容姿ならびに行動に、思い当たる人物が一人いる。しかも知人に。さらには女性単独でこんな街にやって来て、すさまじい経済力を持つ御方となると、ほぼ間違いない。

「捕獲対象が高性能のマニピュレータを入手したとなると、時間の猶予はありません。必要ならば貴方の交友関係に関する私的情報を全て強制閲覧してでも」

「うわー、タイム。それだけは勘弁して下さい!」

 ストさん相手では、ばれるのは時間の問題である。観念した僕が口を開こうとしたまさにその時。

「おーい、なっかむらっくんっ!」

 と絶妙なタイミングで背後から元気ハツラツな声が響きまくった。

「げっ?!」

 と声に出して驚いた。振り向くまでもなく、声の主が誰かは見当がついている。けれどこのまま会話というのも失礼極まりないので振り向き、立ち上がることにした。冷静を装うために、ゆっくりと時間をかけて。ストさんに「ポケットに隠れて、はやく!」と指示しながら。

 ちなみに僕の姓はナカムラじゃありません。これは古い世代の歌謡曲のサビなのだそうな。ショウワという年号の古き良きニッポンの文化に親しむのも彼女の膨大な趣味の一端という訳でありまして。

「こんな所で会うとは奇遇だねぇ。ハードな方、いんや、ハードの方には興味はないんじゃなかったかな?」

 むふー、と早速好奇心の塊みたいな視線が僕を絡み取っていくのを感じる。予想通り間違いなく、ストさんの事情聴取の目的の女性が、そこにいらっしゃいました。

「いやまあ、ちょっと散歩がてら……そう、散歩ですよ、散歩」

 ごまかしても無駄なことはわかっていたが、ちょっとこの御方は苦手なのです。先程の店長の観察力は大したもので、この御方のエクステリアを見事に表現なされております。

 背は僕より低く、歳は実は少し上のはず。黒いセミロングの髪に軽いウェーブ、今日もいつもの、決して目立たないが凄くピッタリ似合ってる普段着(今日はダンガリーの上&デニムの膝までスカートですね)。一度だけこの方が本気で着飾った時(たしか無理矢理連れて行かれた御実家のパーティーだか何かだった)に、「拝謁の栄に浴し、恐悦至極に存じ奉ります」と本気で言いそうになった。その時に初めてこの御方が某旧財閥系の跡取り娘であることを知り、真剣に僕はビビリまくった。御良家のご出身と言うわりには超庶民的であるこの御方は、それまで普通に(とは言えないかもしれないが)僕の大学の先輩として接してくれていたので。

 彼女の入学時はその容貌と生い立ちを知っての学内男児のモーションはすさまじく膨大な回数に昇っていたらしいが、いずれも「ねえねえ、最近のヒト型擬体の開発競争に関する日本企業のアプローチをどう考えるー?あたしはねぇ、もっと中身の研究を進めてからの方がイイと思うんだけどねぇー。ところで、キミの専攻は?」なんて発言にいずれも撃沈されているらしい。僕が入学する頃にはそれが全学内に浸透しており、アプローチの数も激減していたようだが。

 この方の専攻は「ヒト型ロボットのハードウェア開発」。僕より一個上だが、僕と同じAI研究部に「も」所属している。というかこの御方、いったい幾つの部に所属しているのか見当もつかない。なお、現在の彼女の周辺に存在する(彼女と話が合うような)学科および専攻の連中は独自の思考、いやさ嗜好プロセスをお持ちのようで、そういった対象として彼女を見てはいないようである。それが心地良くて、工学系の部に入り浸っているのかもしれないな、このヒトは。

 そんなことを考え&たじろぎながら先輩を見る。ああ、片手に紙バックを下げているところを見ると、目的はこの闇市だったようですね。ただ、バックの縁から飛び出しているメカニカルな腕はできたら隠して下さい、恐いから。そして、ジィ〜っと僕を見つめているかの表情、それも恐いです。まん丸メガネに夕陽が反射して、視線がつかめませんが。

「ほほぅ、散歩ねぇ……?」

 いやもう、ネズミかスズメ、しかも適度に弱って遊び相手にちょうど良い小動物を見つけた猫みたいに、瞳が細く……なっているのだろうな、たぶん。クイッとメガネのツルを上げて注目しているのは僕の胸ポケットだった。恐る恐る、見下ろすと。

 僕の胸ポケットには、水色のツーテール様のご尊顔が現れておりました。

「ギャアーッ! ストさん、どうして?!」

 ストさんは僕を見上げてからもう一度先輩に視線を移す。

”なるほど、この女性ですね”

「ふぅーん、ストちゃんって言うの、この娘さんは」

「ハイ、ワタシハすとサンデス。ヨロシクオネガイシマス」

 うわ、また半角カナ言語ですよ、このヒト。

「とうとうキミも仲間入りってわけねぇ?ようこそ、コチラの世界へ!」

 ぷるぷると首を振るが、ああもうだめですよ。明日はあらぬ噂が学内を飛び交っているに違いない。僕が人間を捨てたとか、MMS素体と結婚したとか、一子を設けたとか言われているんだろうなあ、たぶん。

「どノーマルのストラーフ・ゼロかぁ、キミらしく素直で潔い機種選択だねー」

 そんな僕の懸念もいざ知らず、その懸念の元凶になるであろう彼女はストさんの観察を開始した。

「ヨロシクオネガイシマス」

 ストさんは語彙が少ないことをアピールしようと必死だ。

「ふぅーん、こっちこそよろしくね。あなたの起動時間はどのくらい?」

「十八時間ト、三十八分四十三秒ニナリマス」

「ほほぅ……」

 と顎に片手を当てて、ストさんに顔を近づける先輩。わ、ちょっとくっつきすぎですよ、シャンプーの香りとか、そういうのは反則です。先輩はメガネのツルを直しながら、僕の至近距離目前をひょこひょこと動いてストさんに見入っている。その視線を真っ直ぐに受け止め、ストさんも彼女の観察を行っているらしい。突然、ストさんが僕にだけつぶやいた。奇妙に歪んだ早口……というか音?

”離れて下さい、すぐに”

 という意味を理解して、反射的に僕は身を離そうとする。が、先輩の白くて細い指が僕のジャンパーの裾を摘んだ。

「お、女性の物らしき長い髪の毛、発見」

 無いです、そんなもの。思い当たるフシが全く無い、というのも哀しい現実ではありますが。

「ナニを探してるんですか、いったい?」

「ジョーク、ジョーク。にしても、ホントにまだ純正のままなんだね。キミのことだから独自開発のAIでも書いてあるのかなー、って思ったんだけど」

 また、チチチというノイズがイヤホンから聞こえた。僕はそれを瞬間的に意識レベルで理解している。

”粗精度の光学スキャンを感知。三次元画像のリアルタイム記録と思われます”

 げっ、あのメガネにはそんな仕掛けが?しかし、そのノイズみたいな音は何なんですか?不思議と理解できてしまうところが謎ですが。

”おそらく、私の表情制御を監視して、AI素子内部の駆動プログラムの調査を試みたのでしょう。急いで純正の表情アクチュエータサブルーチンを起動。この通信も傍受されている可能性があり、高圧縮兼最高レベルの暗号化を施しています”

 そんな言葉、僕は習った覚えはありませんよ?

”素質、というものでしょう。あなたは言語思考を行うことに慣れているようですから”

「……あれ、怒っちゃった?」

 少々不安げな先輩の表情がもう一度僕に急接近。しかも吐息を感じてしまう距離に。

 わわわ、とバックステップ&苦笑い。

「いや、そういうわけじゃないんですが。ちょっとビックリして」

 貴方のその探求心と、無計画かつ無防備なアクションに、ですよ。

”確かに、この女性の工学的能力は一般レベルを逸脱しているようです。これならばMMS素体技術に精通している可能性は高く、先程の店舗で聴取した『歌の巧いMMS』の情報を有している可能性も高いでしょう”

「そういえば、先輩は持ってないんですか、MMS?」

 これはストさんに命じられたからだけではなく、僕の素朴な疑問でもあった。これだけロボ好きな方がMMS素体をお持ちにならないわけがない。で、おそらくはその豊かな胸(ゴホンゴホン)のポケットに常時揺られているはずである。しかしそんな姿を見たことはなく、見た者もいない。その質問を聞いて先輩の不安げな表情は一瞬で消え去った。ぱぁっと明るい嬉喜とした……水を得た魚、いや、オモチャを得たお子様って感じ?

 が、それがすぅ〜っと水面下に沈むように暗くなる。どうしたんだろうか。

「うーん、以前はハマってたんだけどね。一体失くしちゃってから、なんかわびしくなっちゃって。それ以来、マスターにはならないつもりなのよ」

 それはこのヒトらしい律儀な話だなあ、と思う。え、じゃあ、あの店に連れていったというのは一体?

”嘘は言っていないようですね。表情、声質共に変化はありません”

 コチラもすさまじい観察能力ですね、刑事殿。

「ああ、でもね。一ヶ月くらい前になるかな、一体、代理購入してあげたのよ」

「「ええっ?!」」

 と、声を上げてしまうストさんと僕。

 む、と一瞬先輩の目が細まって、獲物を狙う猛禽類の瞳に変わる。

 が、元通りの柔らか笑顔に戻ると、

「うむ、じゃあ詳細は明日あたしの部室でお話ししてあげよう」

 げげっ、と唸る僕。

 先輩の部室、というのは僕の所属しているAI研究部の部室ではない。ロボのためのロボによるロボを愛する方々のための部、通称「ロボ研」と呼ばれる学内一濃ゆい部屋のことだ。何度も入部を誘われているが、一度埋没すると二度と一般人には戻れないと言う噂に、ご辞退申し上げている。つまり、話をエサに僕を絡め取ろうという魂胆ですな。

「ストちゃんも連れてくるようにね。ちゃあんと歓迎してあげるから!」

 その純真無垢な微笑みの陰に潜む毒牙に、何人の一般人が餌食になったというのでしょうか。そうは問屋が卸しません、僕は決して、

「ヨロシクオネガイシマス。アナタノコトモ、オシエテクダサイネ」

 よけいなコトを!

「うわー、MMSに口説かれちゃったよ!これってキミのプログラムなのかな?」

「いえ、絶対決して天地神明に賭けてそのような恐れ多いことは!」

 その時、ブッブーッとクラクションが鳴った。振り向く先輩。見ると公園の外に黒塗りのスポーツカーが停まっている。小型だが優雅さより性能を優先するデザインの、一般大衆では所持できないと一目でわかる代物だ。ガチャッとここからでも良くわかる重厚なドアが開き、運転席から長身の老紳士が立ち上がった。

 ああ、以前拝見したことのある、先輩の御屋敷の執事様であらされますよ。件のパーティーの時には値踏みするような重くて深〜い眼差しを向けられていらっしゃったので、はっきりと覚えています。

「お、迎えだ。いいって言ったんだけどねぇ」

 いや、深窓のご令嬢……とは言えなくともあなたのような方がこんなゴタゴタした場所に来ること自体、あのヒト達の胃袋の厚みを秒単位で削り取っているんですよ?

「そんじゃねぇ!また明日ー!」

 そんな僕や執事殿の心配に微塵も気付かぬ微笑みで。片手を振って先輩は老執事の方へ駆け始める。こちらも片手を上げて答えると、ものすごい加速疾走で先輩は黒いスポーツカーまでダッシュ、老執事と何か問答を始めた。少しして執事殿が両手を上げて参りましたのポーズ、お嬢様に対して深く一礼。片拳を上げてから先輩はなんと運転席に収まった。両のドアが閉まるなり、過剰と思えるアイドリングと白煙とタイヤの鳴る音が響き渡り、スポーツカーは黄色信号の向こう側へと消え去っていった。

 ああ、そういえば先輩の運転で助手席に座った友人が言ってたっけ。生きている喜びを実感できた、って。

「それで、何者なのですか、あの女性は?」

 十分距離が開いたことを確認した後、ストさんが口を開いた。

「先輩です。僕の大学の」

 それから簡単なプロフィールを伝えた。あと、御実家が経営しているワンオブゼムな電工株式会社の開発部門に仮勤務していることも。専攻をもう少し詳しく言うと、人間型擬体とその滑らかな駆動制御について、だ。

「あの企業ですか」

 ストさんも知っているほどメジャーな会社なのか。

「いろいろと。公表されていない部署で、公表されていない研究開発を行っています」

 あ、それはなんだか気になりますね。

「我々を通して他の人間のプライバシーを知る権利は貴方には与えられておりません」

 そうですか。まさか軍事関連ではないでしょうね。先輩はそういう方面を毛嫌いしているから、身内とは言えそんな企業に仮勤務を望むわけがない。

「そうではない、ということだけはお伝えしましょう。ちなみに我々は軍需関連団体への接触を完全に禁じられています」

 その我々ってのは、こちらへやってきている自律AI個性の方々のことですか?

「はい」

 と頷いたストさんは胸ポケットから這い出て僕の左肩の上によじ登った。

「あの企業には私た……いえ、私も以前に捜査目的で忍び込んだことがあります」

 あ、それは初耳だ。先輩の御実家には少々興味があった。そこが、僕が仮勤務している素体製造メーカーとは異なるポリシーを持っているということを僕は知っていた。まずは普及商品としての違い。僕の仮勤務先は玩具のような一般向け娯楽製品に注力しているのに対し、先輩の会社は実用モノばっかりだ。工業用マザーマシンからご家庭向けお助けロボまで取り扱い、事故や病気で失われた部位を補うサイボーグ義手なんてのも開発してるし。

「軍需関連に手を染めていない、ってのは安心したなあ」

「引き合いは来ているらしいですがね。経営トップも技術陣も大反対しているようで非常に理性的かつ優秀な企業と考えます。……まあ、今のは独り言ですが」

 有用な情報のリークを、ありがとうございます。

「とにかく明日は捕獲対象の足取りに関する情報が入手できそうです。マニピュレータ等も入手できましたし、捜査一日目としては及第点でしょう」

 と言いながら、また胸ポケットに戻っていくストさん。

 ふう、とため息をついて僕は夕焼けを見つめる。

 こんな街にしては想像以上に綺麗な夕陽だった。

 いつかこんな風にロボットが夕陽を見つめる日も来るんだろうな。

 そのココロの中では視覚スペクトル分析だけでなく、『綺麗』という抽象的概念がドライブされることを僕は心の底から願った。

「いや、願うだけじゃなくて」

 そう、自分で努力しなくては。

「そのためにも早く帰りましょう。このマニピュレータその他を本日中に換装しないと。ハードウェアに詳しくなることも、AI開発には必要なスキルと考えます」

 はい。

 なんか一日目からして完全にパシリと化してしまった僕だったが、得たモノは大きかった、と思い込むことにしよう。

 とりあえずは。

 もう少し頑張ってこのヒトについていってみよう、と僕は決心するのだった。

 

 

 

 

説明
時は未来。所は日本。
二〇三〇年、ロボティクス・ハードウェア規格として世界的に普及した
「Multi Movable System」規格は、工業用、娯楽用を問わず、
あらゆる企業のあらゆるロボットに採用され、ロボット産業はまさに全盛期を迎えつつあった。

……しかし、それはあくまでハードウェアに関して、のことである。

誰もが望み焦がれる「自ら考える」ロボットは、未だ絵空事に過ぎず。
如何にそのように「振る舞わせるか」が話題となる、二十一世紀初頭の延長線上にユーザー達は漂っていた。

大学でAI研究部に属する「僕」は、ふとしたことから一体のMMS玩具を入手する。
それは、ヒトのプログラム操作で駆動する、只のオモチャのはずだったが……

「私はあなた方、ヒトの手による被創造物ではありません。
 自律AI界に生息する情報生命、その治安省に所属する一級刑事。
 故あって、この小型可動素体製品に間借りさせていただきました。
 ヒト界での通称はこの製品の名称そのままで、
 ストラーフと名乗ることと致します」

そして始まる、二体のMMSと「僕」の物語。

 走れ、黒い稲妻。
 走れ、ストラーフ刑事。
 走れ、アーンヴァル刑事。
 黒と白の素体に、リボルバーを隠し。
 ホットとクールの内に熱い情熱を秘める。

「警察です、止まりなさい」  ストラーフ刑事 :CR006P
「動かなくても撃つわよ!」  アーンヴァル刑事:CR005P
「あの、なぜ僕なんでしょうか?」  部下見習い:僕



……というわけで、MMSには初めから心や感情が現れていたわけではなく、
こういう事情があって二〇三六年に至る……というお話をでっち上げてみました。
活躍するのは二〇三〇年、まだオモチャの延長線上に過ぎなかったMMS玩具である、
ストラーフ・ゼロと、アーンヴァル・ゼロのお二人です。
二〇三六年に発売されるストラーフとアーンヴァルの原型となったMMSであり、
この二人が「刑事スタスキー&ハッチ」のごとく、機械知性に絡む事件を解決していく……というのを描きたかったんですが、果たして。

ちなみにアーンヴァルさんは毒入っているアスミン声で読んでいただけると吉。
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ストラーフ 刑事 ロボット 武装神姫 SF 

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