記憶録「夢ヲ想モウ」
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 少女は夢を見せられ続けた。

 何年、何十年、何百年と、うわ言のように聞かせられ、呪いのようにしつこく、恨みのように纏いつき、お前は格あるべきだと。お前は誰よりも穢れてなければならないと。

 彼女に摩耗も憔悴もない。ただ受け入れろと、それだけのための存在だと、そんな戯言を言われるまでもなく、誰よりも理解していた。だから傷つくこともなければ、不安がることもない。その言葉こそが喜びとなり、その感情こそが愛となる。

 故に至福。浴びせられる罵詈雑言こそが、他者と自分とを結びつける唯一の縁だと分かっていた。

 夢を少女は見ていた。

 殴られ、蹴られ、小石を投げつけられ、唾を吐き捨てられ、罵倒され、果てのない阿鼻叫喚の中を歩き続ける。美しかった姿は酷く汚され、けれど足取りは軽く、何度も倒れそうになりながらも歩くことをやめない。強いられているのではなく、自らの意志で。笑みを携えて遠くにそびえたつ彼女のための断頭台を目指す。

 それが願いなら応じよう。

 それが望みなら叶えよう。

 この身は切り捨てられるためのあり、そのためだけに存在する。

 人がそれを願えば、その想いは力なのだから。

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 忙しなく蝉がざわめく、蒸した風の中を進めば汗が噴き出して止まらない。さっきまで夕立が降っていたからだろうか、青々と茂った木々に覆われた山々に囲まれ、向こうから顔を覗かせる入道雲が形を変えていく。

 まさに、夏真っ盛り。不快指数、全開である。

 後ろでヨロヨロしながら愚痴を吐く友人――松永大貴に、俊加(としか)博識(ひろしき)が言う。

 

「なんでバスないんだよ。」

 

「仕方ないだろ。事故で遅延して乗り遅れたんだから」

 

 駅から出てるバスは、一日に三本しかなかった。しかも最後の一本は到着の一時間も前に出発している。

 途方にくれている二人を、偶然通りかかった中年男性が話しかけて乗せてくれただけでも大助かりだ。山の麓で道が別れるので降ろしてもらい、車が見えなくなった途端、夕立に遭遇した。周囲に雨宿りできる場所もなく、身体が隠せるほど大きな木を探しているうちに止んでいた。

 あとに残ったのは蒸せっかえる暑さと、肌に服がべっとりと引っ付いた男二人。

 

「こんなことなら連盟に行って適当な仕事でもしてればよかった」

 

 クソだの面倒だのと、誰に言うわけでもなく吐き続ける大貴を尻目に、博識は道を歩く。塗装もクソもない。ただ地面を均して見立てただけの道のあちこちには、これまた立派な雑草が生い茂っている。

 さらに上り坂ときた。一歩一歩が重く引きずるように、草に邪魔されながらも登り続ける。発散と蒸発を繰り返す汗を垂れ流し、小うるさく呟く大貴を引っ張り、面倒な坂を越えた先に見えてきた。

 

「あそこだよ。もうすぐだからキリキリ歩け」

 

「ガチで田舎かよ……。クーラーあるのか?」

 

 慧閑(えひま)村。

 現代と逆行するような、集落のような村が眼下に広がっていた。

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 曾祖母が亡くなったのを聞いたのは一ヶ月前。

 とある地方の山奥の村に独りで住んでいる曾祖母は大の都会嫌いで、実子である祖父や両親の誘いを受けても頑なに首を縦に振らなかった。しかし齢百を超えているとは思えないほど元気で、人だったことを覚えている。

 博識という名前も、曾祖母がつけてくれたとかなんとか。

 そんな老人も、寿命には勝てなかったということだ。

 思い出は少なかったが悲しみもしたし、だが同時に呆気ないものだとも思った。

 葬式も簡単に済まされ、また何事もない平穏が戻ってくるのかと思った。

 そんなことはなかった。

 式を仕切った父から、曾祖母の家に先に向かって荷造りしてこいと面倒ごとを押し付けられた。そういうことは実子である祖父にやらせればいいと言ったが、そういうことは一番元気のある奴がやるべきだと、適当な額の交通費を手渡されて強引に家を追い出された。

 道中、暇そうにぶらついていた大貴を旅行と言う餌(ウソ)で釣り上げ、人手も得て博識は曾祖母が住んでいた村を訪れた。

 それが慧閑村。

 

「やっとついた……」

 

 記憶に薄っすらと残る曾祖母の家を見上げながら、博識は呟く。

 古い木造ということもあって鍵穴は古錆び、さらに玄関の建てつけは悪く、何度もつっかえながらようやく開け終える。その博識を大貴が追い越して走り出した。

 溜息を一つし、仕方なく後を追うと、大貴は台所にいた。つい先日まで居住していただけにまだ水は通っているようだ。頭から水道水を浴びて歓喜に震えている。

 

「今日はとりあえず休める場所だけ作って寝るから、片付けは明日からな」

 

 適当な相鎚だけ打って、大貴は水浴びに戻った。真夏の太陽の下を長い時間歩かせたのだからそれくらいは大目に見てもいいだろうと、博識は部屋をぐるりと回ってみた。

 掃除の行き届いた空間にタンスにテーブル、そして椅子だけと必要最低限の家財道具が置かれている。廊下に掘り込まれた古い傷痕やくすんだ色合いが、長いあいだ大事に使い込まれていたことを語っているようだ。

 居間の雨戸を開ければ、狭く閉ざされた空や見慣れた高いビルはなく、代わりに村を囲む山々と解放された青空がそこにあった。疲れこそあるが、普段、都会では見ることのできない光景に、少し散策してみようと思い始めてきた。

 

「これから散歩してこようと思うんだが、大貴はどうする?」

 

「そんな元気はない。行きたければ一人で行って来い。俺はここで寝てる」

 

 濡れた頭をそこらで見つけたのだろうタオルで拭き取りながら、大貴はどすんと横になった。これでも身体能力は博識よりも高いのだが、如何せんめんどくさがりである。携帯電話を操作しながら雑魚寝する大貴はほっといて、博識は外に出た。

 のどかな田舎道を歩けど歩けど代わり映えはない。だが、同じ真夏だというのに、都会のジトッとした全く違う風と雰囲気が流れていた。

 前に来たことがあるらしいが、それはもっと子供だった頃の話。そのような記憶はないし、父親が言っていた事だ。だというのに、曾祖母のことだけは覚えていた。不思議だと自分でも思う。よほど良くしてもらったのだろう。

 祖父や両親が電話をよく掛け、その度に“博識は元気にしているか”“病気や怪我はしていないか”などと尋ねられたらしい。だいたいが外出中での電話であったため、実際に声を聞いたことはなく、そのまま忘れて折り返しの電話もしたことがない。

 今思えば、少し薄情なことをしたかもしれない。

 電話くらいならば、声くらいならば聞かせてあげればよかったかもしれない。

 心の片隅に少しモヤモヤしたものが生まれたが、後の祭りだと溜息と一緒に吐き出した。

 

「これは珍しい。村以外の人が、しかも若い者がおる」

 

 十五分以上歩いただろうか。道端で休憩する、村に来て初めての人を見つけた。麦わら帽子を被った線の細い老人だ。向こうも博識に気付いたらしく、顔を上げて見上げてくる。

 

「曾祖母が亡くなりまして、その片付けに来たんです」

 

「ほほう。佐和子さんの……曾祖母と言うと曾孫さんかい」

 

「曾祖母のこと知ってるんですか?」

 

「知ってるも何も、田舎の小さな村だ。知らないほうがおかしい」

 

 軽快に笑う老人に博識は苦笑するしかなかった。あと一時間もすれば彼らが来たことは村中に広がっているだろう。

 

「そういえば、さっきすれ違った青年もお前さんの知り合いかい?」

 

 いいえと首を振る。二人でこの村には来たが、肝心の大貴は居間で真夏と格闘している最中だ。誘っても出てこなかった奴が外に出るなど考えられない。

 老人は、ほう、と意外そうだけれども納得した表情をした。

 

「これは珍しい。この村に二人も客が来るとは。こうしてはいられん」

 

 老人は杖も使わずに立ち上がり、挨拶を済ますとどこかに走り去っていった。見た目とは裏腹に元気に溢れているようだ。妙な珍客が来たことを話題の種にするつもりなのだろう。

 今晩あたり乗り込んでくるのではないかと思うと心配になり、空を仰ぎ見ると、そんな心配を余所に太陽が輝いていた。

 どれほど歩いただろうか。

 適当に散策している間に日が傾き始めていた。電気は通っているとはいえ、道端には街灯など見当たらない。夜になれば星は綺麗だろうが、真っ暗になるのは必須だ。

 山の向こうに沈む前に戻ろうと帰路に着くが、同じ道、同じ方向に向かっていたのに気がつくと全く別の道に出ていた。山道や獣道を通ったわけではない。

 

「迷った…? まさかのこの程度で…?」

 

 冷や汗が垂れた。

 焦りから博識は走り出した。行けども行けども通った道に出ない。視界は広いはずなのに、戻れる気配が感じられない。

 俺が何をした。

 そもそも土地勘のない初めての場所で散歩に行こうと思ったのが悪かったのか。

 何もしていない。

 親に面倒ごとを押し付けられた自分の運が悪かったのか。

 悪いのは俺じゃない誰かだ。

 大貴が来なかったのが悪かったのか。

 悪いのは俺じゃない。

 先程まで噴き出していた汗も止まり、喉は渇き、吐き気と眩暈も相まって軽い混乱状態に陥っていた。

 

「冗談じゃない!」

 

 正常な判断など当に棄て、直感に従うまま走り続ける。

 博識は能力者でも、身体能力は高いわけでもない。一般人でどこにでもいるような平均。体育の評価は五段階の三だ。すぐに体力は底を尽き、千鳥足になって立ち止まってしまった。

 汗を拭い見上げた先にあるのは山だった。

 離れているのか近づいているのかも分からなかったが、このままではいつまで経っても帰れないことは理解できた。

 

「どうしようもないな、俺」

 

 呆れと諦めが圧し掛かり、座り込もうと視線を戻したとき、山の一角が切り開かれている場所を見つけた。よくよく見れば、そこには白い線がふもとまで伸び、なぞって見ればすぐそこに階段があった。

 距離も高さもある。

 それだけに、そこはどこよりも遠くを見渡せる場所に行ける道でもあった。

 呼吸を整え、一気に階段を駆け上がっていく。それなりに長時間走った後での急斜面の階段だというのに疲れは感じられない。気付けば気持ち悪さも消えていた。

 頂上付近になると、頭上に色合いを失った鳥井が現れ、その先に今にも崩れそうな小さな神社が姿を見せた。手入れが全くされず、どこもかしこも朽ち果て、怪談話に出てきそうな、この時期なら肝試しに使われそうな神社だ。

 そこだけが村とは違う、隔離されて忘れ去られたような、冷たく寂しい雰囲気を感じた。

 惹かれるように近づくと、形状を維持できていないほど崩れた賽銭箱を見つけた。

 

「なんかの因果だし、何か祈っていくか」

 

 懐から財布を取り出すと妙に軽い。ほとんどの買い物や運賃の支払いが電子カードに置き換わっている現代では、崩れた現金の持ち合わせは多くなかった。

 

「奮発して五重の円なんだから、ご利益頼むよ」

 

 数少ない小銭の中から五十円を取り出し、賽銭箱に放り込んだ。

 

「彼女くれ。そして無事に帰れるように」

 

 はい――と、誰かが応えてくれた気がした。

 

「え?」

 

 振り向けばそこに誰もいない。

 すり抜けていく風が木々をざわめかせたせいで幻聴でも聞こえたのだろう。

 疲れている証拠だと気を抜くと、そこからの光景をようやく脳が理解した。夕陽を浴びて影を伸ばす家々。どれもが同じようで、所々が異なりそれぞれが独自の形をなし、鮮やかな橙色に染まった村が、テレビ等で見聞きした田舎の風景と被る。

 哀愁を漂わせる顔は、昼間に見た光景とはまた違った顔がそこにあった。

 特等席とも言える場所から村を一望し、頭に残っている光景と照らし合わせてようやく祖母の家を見つけた。

 

「よ、遅かったな」

 

 のんびりと煎餅をかじる大貴に、博識は答える体力は残っていなかった。

 丘から見つけたからか、御まじないが利いたのか、神社から家まで迷わずに帰ってこれた。だが、ふもとまで降りると思い出したように疲れが蘇り、身体中に重りを付けて歩くようなものなのだから、道中で日は落ちていた。

 夕飯時は過ぎ、大貴は夕飯を済ませている。

 

「俺のは?」

 

 ぜぇはぁと息を整える博識。

 

「あるわけないじゃん」

 

 ぽんぽんとお腹を叩く大貴。

 持参してきたインスタント食料は微々たるもの。荷物を少なくしたかったのと、足りなければ向こうで買えばいいだろうという楽観が招いた結果だった。

 微妙な沈黙。方やビキビキと、方やニヤニヤとした不協和音の空間。

 しかし長く続くことはなく、先に根を上げたのは博識だった。

 風呂に入ってもう寝たい。空腹ではあったがいまさら準備して食べるよりも、べた付いた汗を流して一日の疲れを洗いざらい流してとにかく眠りたい衝動に駆られた。

 

「あ、ここ湯でないから。ガスもなかったし、火で沸かすのって初めての経験だったぞ」

 

 とぼとぼと部屋を去ろうとした背中に追い討ちが掛けられるが、もやは反応する元気すらない。

 ――あ、おれここで寝るからな、という声もしたが左から右に聞き流し、比較的綺麗だった和室を見つける。昔ながらの日本家屋は風通しが良いため、戸を開けておけば真夏でも夜になれば涼しく感じられる。家の中では快適に過ごせそうだ。

 横になるとすぐに睡魔がやってきた。

 落ちていく目蓋に遮られながら、博識は眠りに落ちた。

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 体感時間にして一秒だろうか、一瞬にも感じられたのは夢を見なかったからか。ふと意識を取り戻した博識は妙な感覚に襲われた。

 

 ――あの……。

 

 ふわふわと身体が揺れている。未だ目蓋は重く閉じられたまま、まだ眠らせろと起き上がることを拒否している。

 視界は真っ暗闇。けれど、それとも故に、いま自分が揺れているのがよく分かった。

 

 ――ごじゅうえんじゃだめなんです。

 

 地震のような力強さなど微塵もない。まるで子供をあやしつけるような優しい心地よさに、博識は再び眠りに誘われる。

 

 ――あの…おきてください

 

 しかし、眠らせまいと呼びかける声に無意識に応じてしまう。

 

 ――ごえんをください。

 

 どうやら揺れているのはなく揺らされているらしい。その原因は声の主のようだ。

 普段であれば不服とばかりに狸寝入りから熟睡へと垂れ込むのだが、揺さ振られていたのがよほど心地よかったのか、博識はもぞもぞと身を捻った。

 

「あ〜……これでいいの?」

 

 取り出した財布から手探りで穴の開いた小銭を探り当てる。誰がいて渡すか分からない虚空に伸ばし、優しくそっと握られた。

 

 ――はい。よろしくおねがいします。

 

 少しだけひんやりしたその手が感触が気持ちよくて、誰なのかと、開くことを拒んでいた目蓋を強引に持ち上げる。頑なに頑張る睡魔に妨害されて薄っすらとしか無理だった。

 それでも見えた手は、暗闇の中でもはっきり分かるほど白く、細く長い指に博識の手が包まれている。

 顔を、と振り返ろうとするがそこで力尽き、僅かに見えた微笑みに見送られて意識は再び深い眠りの奥底へと落ちていった。

説明
 死去した曾祖母の家の整理を押し付けられた俊加(としか)博識(ひろしき)は、生前住んでいた慧閑(えひま)村を訪れた。現代から隔離された村を散策する中、気まぐれで朽ちた神社を参拝するのだった。その晩、彼は不思議な声に呼ばれるのだった。
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