五人廻し
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「世の中に寝るより楽はなかりけり」

 なんて言葉もありますが、一口に寝ると申しましてもこれがなかなか難しいもので、特に冬の最中は大変です。

 うつらうつら睡魔が襲ってきたところで寝床へ移ってみたものの、布団が氷のように冷たい。つま先から脚ぐらいまでは、もぐりこんだ勢いでなんとか我慢もできますが、そこから先はもぞもぞもぞもぞ少しでも冷えた場所に当たらないようにくねらせて入っていく。やっとの思いで布団への侵入に成功しても、まだまだ落ち着いていられません。女性の大敵冷え症が足の先からじわじわと襲い掛かってきます。姿勢をあっち変えこっち変えして、どうにかましな姿勢にたどりつくと、今度は頭のあたりが妙に熱い。枕にすっかり熱がこもってしまったんですね。体の温かいのは大歓迎ですけど、頭のはちょっと勘弁願いたい。けど、ひっくり返してみても、どうも芯の部分が不穏に生温かくて気になってしかたない。それで裏返してまた表にしてみてもう一度裏に、なんてどっちがどっちだかわからなくなった頃には、枕もすっかりほかほかになっちゃって、別のをあつらえないといけないなんてことに。さて、そうやってようやく万事したくを整えた頃には、もう眠気なんてどこかへいっちゃって……

 寝るは重畳ですが、その分寝られない苦悶ときたら、これはもう筆舌に尽くしがたいんだから、ホント。

 まぶたをぎゅっと閉じて、体を小さくしながら眠気がまたやって来るのをじっと待つんだけど、もうこうなったらいけません。かえって頭は冴えて、「あいつ今日もつまらないこといってくれちゃって」「明日会ったらどう返してあげよう」なんてことがとりとめもなく浮かんでくるし、目を閉じている分、耳は敏感になって外で笹が風に揺れてたてる音がやけに気になってきます。

 頭の中が考え事と物音でいっぱいになってしまうと、もうしかたないってことで数でもかぞえるしかなくなります。

 うさぎが一匹、うさぎが二匹、うさぎが三匹……

 え? 羊じゃないのかって? いいんですよ、世間様じゃどうか知りませんが、うちじゃずっとうさぎで通しているんです。そう千年くらい。

 うさぎが四匹、うさぎが五匹……

 うさぎだったら、単位は匹じゃなくて羽じゃないかって? じゃあ、羊数える時、頭っていうの? つまり、そういうことよ。

 うさぎが六匹、うさぎが七匹……

 もーっ! さっきからごちゃごちゃごちゃごちゃうるさいわねえ!

 ……とやっているうちに空も白みはじめて、一番鶏の鳴き声があたり一帯にこだましだしたり。

 なんで、夜眠れないから、しかたないので昼間寝るなんてこともしばしばです。

 結局、考えますところは、夜ぐっすり寝ようと思ったら、日の出ているうちにしっかりと動きまわるということで……

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「……魔理沙、あなた、人の部屋に出入りするのに窓を破らないと気がすまないわけでもあるのかしら?」

「そいつは誤解ってもんだぜ。わたしはいつだって丁寧かつ穏やかな入室を心掛けているのに、ここの窓がそれを妨げるんだぜ」

「あれは採光用の窓で出入りするものじゃないと何度いえば理解できるの」

「お前こそ、いい加減わたしの入ってくるところを覚えようとは思わないのか」

 季節は秋。霧の湖のほど近くに建てられた瀟洒な洋館。現世から隔絶された幻想郷としては、かなり浮いた存在である館の、その地下にある図書館の膨大な書物の前で話をしているのは、全身黒ずくめの霧雨魔理沙とナイトガウンのような衣装を身にまとったパチュリー・ノーレッジ。

「この手の話で魔理沙と言い合っても時間の無駄ね……」

「やっと理解してくれてわたしもうれしいぜ」

「それで今日はなんの御用?」

「珍しく察しがいいじゃないか」

「珍しいのはそっちでしょう。わざわざこうやって足を止めて声を掛けてくるなんて、今まであったかしら? 本ならあなた有無を言わさず盗っていくでしょう」

「人聞きのわるい。ちょっと借りていくだけだぜ」

「誰にも知らせず、一言の声も掛けず、無期限でね」

「だって、ここには貸出台帳も返却期限のお知らせもないじゃないか」

「やっぱり不毛だわ」

「わかってくれてうれしいぜ」

「それでなんの用なの?」

「そうだったそうだった。どうも魔法使い相手だと話が脇道に逸れてしかたないぜ」

「自分から蛇行しているように見えるけど」

「曲がる時も一直線がわたしの主義なんだぜ」

「ご用件は?」

「そうつんけんしなくてもいいじゃないか。実はサラマンドラの力を貸してほしいのぜ」

「サラマンドラ?」

「四大精霊のうち火を司る一柱じゃないか。しっぽに矢のはえたトカゲで身には炎をまとって、おまけに口からも火炎放射をする……」

「魔理沙からわざわざサラマンドラの御講釈をたまわらなくても、そのくらい先刻承知しているわよ。どうしてそんなものが必要かって聞きたかったの」

「だったらそう言えばいいんだぜ。まったく、やっぱり魔法使いってやつは、まわりくどくていけないんだぜ」

「……」

「わかった。わかったから小声で呪文を詠唱するのはやめてほしいのぜ。……実は火力の調整にサラマンドラの力を借りたいんだ。うちのミニ八卦炉はご存知の通り、威力は抜群だけど安定性に欠けるのぜ。それをサラマンドラで補いたいんだぜ」

「あきれた。力の制御なんて初歩の初歩よ。あなたも我流ばかりじゃなくて、もう少しきちんと理論と知識を蓄えなさいな」

「直感と発想がわたしの火力と弾幕の原動力ぜ!」

「はいはい。……じゃ、これ」

「なんだコレ。レースの……ハンカチ?」

「わたしが普段携帯している品よ。それにサラマンドラの力をこめてあるわ。火の近くでかざせば、炎を操れるようになるわよ。自在かどうかは、あなたの魔力次第だけど」

「……これが?」

「なによ、その目は」

「いや、サラマンドラの力を封じてあるのなら、もっとそれらしいものがあるかなって」

「馬鹿ね。いかにもわかりやすいものを使ってどうするのよ。気に食わないのなら、返してもらってもいいのよ?」

「いやいやいやいや! ありがたく拝借していくぜ!」

「そう……。用件はそれだけかしら」

「ああ。すっかり邪魔しちゃったな。読書の邪魔をしてもなんだから、わたしはこれで……」

「待ちなさいよ。だれも邪魔だなんていってないでしょう。むしろ、これだけ本を読む時間を削られて、すっかり興が冷めたわ。お茶の準備をさせるから、魔理沙も一服していきなさい」

「いや、実はちょっと用があるんだぜ……」

「なによ。まさか、人の予定をかき乱すだけかき乱しておいて、はいさようならってつもりじゃないでしょうね」

「そんなつもりじゃ……」

 たじたじと後ずさりしたかと思うと、魔理沙は手にしたほうきにまたがって、呪文一声ふわりと身が浮き上がるが早いか、電光石火の低空飛行で図書館のドアをくぐった。

「お茶はまた後でいただくんだぜ!」

 そんな捨てゼリフだけを残して。

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 そうして空飛ぶほうきに乗って一目散に駆けていると、なにしろ大きなお屋敷の廊下だから色々と仕事をしている人影に出くわす。それがメイド姿をした妖精だというのは、いかにも紅魔館的ではある。

 天井まで届きそうな洗濯物を抱えた脇を危うくすり抜けたかと思うと、はしごを立てかけてランプの掃除をしている足もとを首をすくめてくぐり、敷かれた毛の長い絨毯についたゴミを取りのけるために屈みこんでいるメイドの集団をやり過ごすために天井スレスレに上下逆転させて滑空する。

「あいつら、完全に楽しんでいやがるぜ」

 黄色い歓声と喝采が背後で沸き上がる。

 落ちないように帽子を押さえている指の隙間から地下を抜ける階段を発見し、ほっと人心地つきかけたその瞬間、爆発に巻き込まれた。

 正確にいうと、廊下の端に置かれていた由緒ありそうな胸像が突然破裂し、起こった爆風と煙に襲われたのだが、予想もしていなかった事態に大きくバランスを崩すと、もんどり打ってその場に墜落した。

「てててっ、何事だァッ?」

 これで怪我をしないあたり、普段から鍛錬を積んだ墜落の成果というものだろう。

「まァりさァーっ!」

 尻もちをついている魔理沙のくびもとにかぶりついてくるものがあった。

「なんだ妹か」

 もうもうと舞う煙の中から現れたのは、紅魔館の主レミリアの妹にあたるフランドール・スカーレットだった。

「魔理沙! 遊ぼ! 遊ぼ!」

「今日はもう帰るんだぜ」

「いやーっ! 遊ぼ! 遊ぼ! 遊ぼ!」

「だから他にも用があって、そっちにもまわらなきゃいけないんだよ」

「いいじゃない! 遊ぼ! 遊ぼ!」

「何度もいわせるなよ。今日は無理なんだって」

「魔理沙こそ何度もいわせないでよ。遊びましょうよ」

 一転声のトーンが変わり、それまでのあどけなさがどこへやら。けれども、そこは魔理沙もなれたもので、あわてたり騒いだりすることはない。

「わかったわかった。ただし、今すぐはダメだぜ」

「どうしてよ」

「いったろ、用があるって。予定が変わったとしても、それを知らせないわけにはいかないんだ。だから、これからひとっ走りそれを伝えにいってくるから、その後で帰ってきたら相手をしてやるぜ」

「うー……」

「唸ってもどうにもならないぜ。返事は?」

「わかったわよー……」

「よーし、いい子だぜ。それじゃあ、ぱぱっと片づけてくるぜ!」

 いうが早いか、脱兎のごとくほうきをすっ飛ばした。

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 紅魔館の廊下を駆け、階段を舞いあがり、玄関を跳ね開けて外に飛び出すと、魔理沙はようやく人心地ついた。

「ふぃー、危ない危ない。もうちょっとで機嫌を損ねるところだったぜ」

 顔からは今さらながら汗がほとばしり出ており、フランドールとの邂逅が児戯でなかったことを明確に物語っている。

 しかし、涼風に頬を撫でさせながら滑空していると、そんな不安もどこへやら、もとより喉元過ぎればの霧雨魔理沙なので、すぐに調子を取り戻していく。

 紅魔館を出ると、すぐ眼前に現れるのは通称霧の湖で、その名の通り全面を乳白色の霧に覆われていて滅法広く感じるが、風の強い晴れ渡った日に見てみると案外に手狭で拍子抜けをすることもある。

 その湖を、中の島とも見紛う巨大な魚影を見下ろしながら横断して、対岸につくと一本の河川が注ぎ込んでいるところに出くわす。視線をやってみると、遥か向こうの山頂から汲めども尽きせぬ水流が伝ってきているので、それを頼りに上流へと進路を変更する。

 常緑樹の多い湖畔周辺とはうってかわって、すぐにカエデにイチョウにモミジといった落葉樹が姿を現し、紅葉が今を見ごろに茜に黄色、橙と自らの葉を誇らしげにたたえている。よくよく目を凝らせば、紅葉にまじって、それぞれ浅黄と紅に染めた衣装に身を包んだ二人の少女があたりを行きつ戻りつしている光景が見えてくるが、相手も忙しそうなので魔理沙もあえて声をかけることはない。

 次第にせばまる川のせせらぎと、松籟の合間にさやかに響く鳥の音に身をまかせて、上空を駆けていると、天鵞絨らしき重い赤色のドレスを身にまとった少女が、彼方の空でくるくると回転を続けている。比喩でなく不穏な空気をまとった彼女にも、魔理沙は会釈もすることなく先を急ぐ。

 そうして水源である山頂の社近くの湖と麓の霧の湖から見てちょうど中腹あたりに差しかかったところで、

「おーい、魔理沙ー」

「ああ、にとり、ちょうどよかった!」

 呼び掛けてきたのは河童の河城にとりだった。川べりで甲羅干しでもしていたらしい声の主に向かって、直滑降で魔理沙はほうきを着陸させる。

「みなまでいいなさんな。頼まれものの準備は整っているよ」

「助かるぜ! にとりは話が早いから好きなんだ!」

「そういってもらえると、わたしも作った甲斐があるってもんさ」

 手渡されたのはガラス製の瓶で、手のひらにすっぽりとおさまる小振りなものだった。コルクと蜜蝋で厳重に封がされ、水の侵入をはばんでいた。

「これが……」

 動じないことでは人語に落ちない魔理沙がつい息をのむ。

 小瓶の中に入っていたのは砂粒大の結晶で、粒子の揃ったそれぞれは氷のように透き通っていて、光の具合で一つ一つが無数の魔理沙の顔を写し出していた。

「ご依頼通りの、金属と植物の結合体さね。水銀と鉛それにちょいとばかりの金に硫黄の混合物にラヴェンダー、トネリコ、ベラドンナ、マヨラナ草、水仙、エニシダ……その他もろもろの霊木薬草のたぐいを蒸留したエッセンスを加えているのさ」

「はあー、なるほどだぜ」

「わかってる?」

「いやあ、全然」

「だと思ったよ。工程は大きくわけて三つ。まず金属の分解結合、次に各植物のエッセンスの抽出化合、最後にそれぞれの結合になるんだよ。金を溶かし込んだ水銀に鉛、硫黄をさらに加えるんだけれども、もちろんそのままじゃ交わることがないから王水とエリクサーの混合溶液を使うのさ。ただし、その際に大量の熱を発するもんだから、専用の実験器具が必要になんだ。ガラス器具や普通の陶器だと割れちゃうんだよ。そこでわたしは陶器と金属の特性をあわせもった特殊な焼き物を使っているのさ。これは金属の硬度を持ちつつ、熱に強くて溶融せず亀裂が入ったりもしないからね。これでじっくりと反応が終わるまで待って……」

「ん? どうしたんだぜ? 急にだまりこんで」

「いやあすっかり調子づいてしゃべりすぎちゃったね。どうも、好きなことだと、舌がまわっていけないさね」

「そんなこと気にすることないぜ。わたしも興味ある話だし」

「そういうわけにもいかんさね。まだ冬には少々あるっていっても、河原の風は盟友にはきついだろう。どうだい、うちにきてゆっくり話をしないかい。お茶ぐらい出すよ。実験用具も見てもらえるしね」

「あー、わるい。実はまだこれからまわらなくちゃならないと、いけない……ところ……が……」

 目に見えて魔理沙の言葉がしりつぼみになってくるが、それ以上に明瞭ににとりの顔色が曇っていった。

「そっかー……、ならしかたないさね……」

 表情だけは笑顔をとりつくろっている分、魔理沙も気がひけてくる。なにしろ依頼をするだけで、なにもお返しらしいお返しをしていないのだから。

「いや、今回のお礼は、また後日必ずするんだぜ。だから!」

「いいのさいいのさ。わたしも新しい実験を試せたし、魔理沙に喜んでもらえたのがなによりのお礼さね。だから、そんなに気を使ってもらわなくてもいいんだよ」

「そういうつもりじゃなくて……」

「ほら、急がなきゃ、用に遅れちゃいけないじゃないか」

「わかった! わかったのぜ! すぐに済ませてもどってくるぜ! だから、それまで、ちょっとでいいから待っていてほしいんだぜ! 絶対だぜ!」

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「というわけで、ひどいめにあったんだぜ……」

「ひどいめに合わせた、でしょ」

「人聞きがわるいぜ、霊夢。いまの話をどう聞いたら、そんな結論が出てくるんだぜ」

「こっちこそ聞きたいわよ。あんたの詐欺まがいの手口の、どこに被害者面できる余地があるのかって」

 博麗神社の巫女を務める霊夢は、境内に積もった落ち葉を竹ぼうきで掃き集めていた。

「にとりもかわいそうにねえ。しぼれるだけしぼりとられて、役に立たなくなったらボロ雑巾のようにポイだなんて」

「だからぁ……」

 言い返そうとしたところでなにやら思いついたところがあるらしく、取り澄ました口調に変えて、

「そもそも弱いものが強いものに従うのは幻想郷のルールだろう。弾幕ごっこしかり。いってみれば、これすなわち幻想郷の法、郷法だぜ」

「なにが郷法よ」

 霊夢の口からため息が一つもれる。

「あんたからそんな言葉を聞かされるとは思わなかったわ。どうせ口から出まかせだろうけど、そんないいかげんな話をよそで吹聴されても困るから、耳の穴かっぽじって、よく聞いておきなさい」

 手を止めて、改めて霊夢は魔理沙に向きなおる。

「いいこと、そもそもこの幻想郷は、もとは本街道から離れ山肌にへばりつくように家の集まった、ひなびたことだけが唯一の自慢の寒村だったのよ。ところが時代の波には棹さすことがかなわず、新しい人、新しい技術、新しい文化が次々と流れ込みはじめた。変化もまた時代の流れではあるけれども、それが少なからず急に過ぎて、旧来のもろもろをうっちゃってしまいそうな勢いで押し寄せてきたわけ。人も物も風習もいいつたえも、形あるものもないものもかまわずね。その筆頭にあがったのが妖怪よ。妖怪は人との関係を長い間かけて築き上げてきていたの。食う食われるの間柄だけど――と、人間は妖怪を食べないか、それはなんだっていいわ、ともかく妖怪は人間の有り様に依存しているのよ。それが急激に変化を起こせば、寄り添っていた支えがなくなるようなもんだから、一気に倒れないわけにはいかなくなる。それでも強い妖怪なら、立ち上がってほこりを払って一つくらいばつのわるい顔をしておしまいにもできるでしょうけど、そうはいかない妖怪もいる。むしろ、立ち上がれずに、そのまま消えてなくなるだろう妖怪の方が多いと踏んだのよ。だれがって? 決まってるじゃない、妖怪の賢者とかいわれているあのお節介焼きよ。あいつが一計を案じて、この地域を他の場所から隔絶させたのよ。それが、あんたも知る大結界よ。以来百年、幻想郷の変化はかつてと同じくゆるやかに流れ、絶えて無くなるはずだったもろもろが残るという寸法になったわ。とはいっても、いくら堅固に施された結界といっても、ほころびが起こらないとは限らない。そんな事態に対応するため、博麗の巫女が存在するわけよ。つまり、この私は、こと幻想郷のこととなれば、すべてご承知なのよ。そのわたしに向かって郷法とは、よくもいえたものよね」

 一気呵成にまくしたてたかと思うと、手にしていたほうきを、えいやとばかりに魔理沙に突きつけた。

「わかった! わかったのぜ! わたしが悪かったから、そいつを引っ込めてほしいんだぜ!」

「わかればいいのよ」

「それにしても、ずいぶんと長い口上を、立て板に水でいえたもんなんだぜ」

「途中で名前が出たでしょ、妖怪の賢者様。あいつがうるさいのよ。博麗の巫女たるもの、幻想郷の成り立ちくらい理解してかないといけませんわ、って。おかげで空でいえるようになっちゃったわよ」

「なんだ、道理で」

「うるさいわよ」

 霊夢の顔に少なからずばつの悪そうな表情が浮かんだ。

「それで?」

「それでって?」

「魔理沙が用もなく立ち寄るわけないでしょ。いったいなにが目的なのよ」

「ああ、そいつをすっかり忘れてたんだぜ」

「わざとらしい」

「そいつが愛嬌ってもんだぜ……。ほら、前にお願いしたじゃない。神社で正月に汲む水の……」

「若水でしょ」

「そうそう、それそれ。わかってるくせに。霊夢も人がわるいんだぜ」

「それが愛嬌なんでしょ。ちゃんと準備してるわよ」

 巫女装束の合わせの内に手をつっこみ、中から取り出したのは、茶入れほどの大きさの陶器の器だった。

「サンキュー、助かるのぜ」

 狛犬の台座に置かれた目的の品に伸ばそうとした手を、すかさず霊夢が打つ。

「なにするんだ!」

「それはこっちのセリフ。だれがあげるなんていったのよ。この時期に若水の汲み置きなんておいそれと出るものじゃないのよ。それ相応の代償をいただかないと」

「それ相応……?」

「そうねえ、せっかくだし二、三日境内の落ち葉はきでもやってもらおうかしら。冬にそなえて薪を集めてもらうのもいいわね。あ、いっそのこと、ちょっと早いけど、煤払いをお願いしようかな」

 上目遣いで高くなりつつある秋の空を見上げながら、霊夢はご機嫌で代償を考えはじめた。

「へへへへへ……」

「ふふふふふ……」

 じりじりと互いに間合いを確め合い、

「あっ! 妖精が鈴にいたずらしようとしてるんだぜ!」

「え? ちょっと、あんた達、あれだけ社殿のものに勝手に触るな……って……」

 もちろん魔理沙の指す方へ振り返ったところで、そこには妖精の子一人見えない。

 そして、あわてて踵を返すと、ほうきにまたがって逃げ去る魔理沙の背中が小さくなるのを見送るばかりだった。

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「邪魔するのぜー」

「あ、いらっしゃい、魔理沙。って、まあ、ずいぶんくたびれちゃったわね」

 霧の湖近くの紅魔館からはじまって、妖怪の山、そして博麗神社を経由して、魔理沙はようやく自分の住む魔法の森に帰ってきた。

 といっても、自宅に直行したわけでなく、同じ森内の人形使いで魔法使いのアリス・マーガトロイドの家に向かったのだった。

「そりゃあ、あれだけあっち行けこっち行けといわれたらくたびれるぜー」

 テーブルの上に荷物を積み上げていく。それは今日一日魔理沙が獲得した品の数々だった。

「でも、これで本当にうまくいくのぜ?」

「あら、疑うつもり? まわりのしがらみが強いからどうにかしたいっていったのは、魔理沙、あなただったじゃない」

「そりゃいったけど……」

「なら黙って見てなさいな。蛇の道は蛇。人形のことは人形使いにね」

 アリスは早速竈のかたわらに向かう。魔理沙は言われたとおりに、黙ってその所作を見つめていた。

 火にかけられた鍋の中に、その日調達してきた若水を注ぎ込み、ついで河童謹製の粒子をそこに浸す。しかし、なんら特別な反応はおこらない。さては失敗したものかと、魔理沙が思いかけた時、さっとサラマンドラの力を封じたハンカチをかざすと、途端に轟音をあげて青い炎がほとんど鍋を越える勢いで立ちのぼりはじめた。鍋はぼこぼことあぶくを生じさせ、黄色い煙がもうもうと吹き出している。

「はー、すごいもんだぜ」

「のんびりしているわね。エリクサーや賢者の石の生成に、サラマンドラの火は必須よ。あなたそんなことも知らなくて、よくこれまで魔法を使ってこれたわね」

「直感と発想がわたしの火力と弾幕の原動力ぜ」

「はいはい。とにかく、これで素体部分のしこみは終わり。あとはこれに個人情報を埋め込めば、魔理沙の複製人形の完成よ」

「すごいなあ。自律型人形は完成していたのか」

「自律型じゃないわよ」

「え? だって、それで作った人形は、わたしと同じように考えて行動するんだろ」

「あくまで複製よ。過去の行動原理に沿って、直面した事態に反応を下すだけ。それは単に有から有の関係よ。自律というのは無から有を生み出すことだもの。まるっきり違うわ。だから、複製人形を霊夢たちのもとに送り込んで、魔理沙そっくりの反応をさせることは可能よ。けど、まったく未知の人物と出会った時には、対処のしようがなくなっちゃう」

「そういうものなのぜ?」

「そういうものなのよ。さ、わかったら、髪の毛をちょうだい。それをもとにして、人形を作るから。一人につき一本ね」

「んー」

 無造作にひっつかんだ髪を一気に抜き、アリスに手渡す。

「あら、魔理沙、まちがえているわよ。髪の毛、全部で五本あるじゃない」

「それであってるのぜー」

「あってるって、パチュリーにフランドール、にとりに霊夢……やっぱり四人じゃない」

「いや、もう一人いるさ」

「だれよ」

「アリスだぜ」

「わたし?」

「ああ。アリスもその人形を相手していてくれよ。わたしはもう帰って寝るぜ」

 

説明
東西東西。御用とお急ぎでない方はお耳を拝借。当常設寄席永遠亭では、間もなく月亭可求夜師匠の高座の開演だ。夏の夜闇のような一点のくもりもない師匠の流れる黒髪に似た口演をちょいと聞いておいででないか。さあさ、お代は見てのお帰りだよ。はい、ありがとう存じます。ありがとう存じます。   /    永劫の時間のたゆたいに飽いた人々が、戯れにはじめた寄席興業、そんなうちの一席です。   /   元の落語「五人廻し」は廓噺だけに、過去の名人による名演が多く残されていますが、現在の噺家さんも比較的よく高座にかけられています。録音盤としましては、古今亭志ん生、三遊亭圓生、立川談志、古今亭志ん朝、柳家さん喬、柳家喜多八各師匠のものが入手可能です。この話で少しでも落語の方に興味を持っていただけますと幸いです。   /   話の季節が秋なのは、その頃に書きはじめたものだからでして…
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