垂水百済はマイナスである ――172回目の【僕】――  BOX―13 野郎ども、戦争の始まりだ。 前編
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 金に生かされ、金に殺される。

 

 突き詰めてしまえば、人間の一生などそんなものだ。

 

 ――12回目の[私]――

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 カチリ、カチリ、カチリ、カチリと。

 静寂の中、時計の秒針だけが音を生む。

 声を発する者はなく、濃く濁った泥のような沈黙が漂い、はらはらと書類が乱れ飛ぶ。書類の内容はいずれも部費の陳情に関するものであり、三つある執務机には山がいくつも積み上げられ、床にも無数に散乱していた。

 

「……めだかちゃんよぉ」

 

 飛んできた書類をつまんで脇に退け、ジャンプのページをめくりながら、不和はぽつりと呟いた。生徒会室の隅に設けられた簡易な応接セット。テーブルに両足を載せて平然とくつろぐ姿は、この異様な状況の中ではさらに異質で場違いなものであった。

 そんな不和に対して、

 

「なんだ? 生憎今は手が離せないのでな。スマンが茶なら自分で淹れてくれ」

 

 答えためだかは両手に二本ずつペンを持つという荒業を駆使してものすごい速度で紙面に走らせている。けれども両脇の書類の山が減る気配は一向になく、茶を淹れられる余裕がないことは一目でわかる。

 別に、不和は喉が渇いたからめだかに声を掛けたのではなく――いやまあ、そろそろ飲みたいと考えてはいたけれども――それ以上に、見過ごせないものがあったからなわけで。

 

「いい加減、休憩でもしたらどうだ? ずっと仕事しっぱなしじゃねぇか。少しは休まねぇと使い物にならなくなんぞ」

 

 不和にしては珍しく、労わるような口調だった。

 この場に不知火がいれば『不和兄らしくなーい』とでも言いそうな光景である。

 それはめだかも同様だったようで、彼女は一瞬目を丸くした後で少し嬉しそうにはにかみ、

 

「フッ。心配など無用だ。ここ最近は確かに忙しくなってきてはいるが、それで参るような((やわ|・・))な鍛え方はしておらぬよ」

 

「そうかい、そりゃ残念だ。頑張ってるから頭撫でてやろうと思ったんだが――」

 

「――やはり少し参っておるかもしれん」

 

「おいコラ」

 

 めだかの両頬をむにむにと引っ張る。

 はにほふるー、と抵抗はしてくるが、本気で嫌がっているようには見えない。

 

「冗談はさておき。使い物にならなくなるっつーのはお前のことじゃなくて、こっちの連中のことだよ」

 

 手を離した不和が視線で指し示す先には、執務机に突っ伏して動かない善吉と阿久根がいた。二人とも両腕をだらりと投げ出している。さっきから一言も話さない。過労死一歩手前みたいな顔をしている。それでも握ったペンを何もない虚空で動かしているのが怖い。

 

「おら、目ぇ覚ましやがれ半死人ども。くたばるにゃまだ早ぇぞ」

 

 ベシンバシンッ! と後頭部をジャンプで思い切りぶっ叩くと、どうにかこうにか二人は顔を上げた。疲労の色が濃く、目の下にはクマができている。まるで〆切当日なのに原稿が上がっていない徹夜明けの漫画家のような有様だ。

 

「……俺、生徒会辞めたくなってきた」

 

「あっはははは……一人だけ逃げようとかナシですよー」

 

 意識は戻ったようだが声に覇気がない。

 

「ほれ見ろ会長さん。お前命の役員どもですら現状に不満を訴えてやがんじゃねぇか」

 

 そもそもこの箱庭学園において、たった三人で業務をこなそうとしている時点で間違っている。

 目安箱に投書された案件の解決は言うに及ばず、校内の備品管理から行事運営に事務処理まで。なまじ生徒数が多く、自主性を重んじる校風も相まって半端ではない仕事量になってしまうのだから、善吉たちが悲鳴を上げるのも無理はなかった。

 そして何より、新一年生を対象にした勧誘期間が終わって部活動が本格的に始動したことが大きな要因だろう。部員が増えれば新しい備品やら何やらを揃えなければならないため、必然的に支出も増える。その結果、部活動費申請の書類が生徒会に雪崩の如く押し寄せてくる地獄が完成してしまった。

 

「――ったく、どいつもこいつも豚みてぇに部費部費ブヒブヒと。よくもこれだけ湧いて出てくるもんだ。今の予算で赤字になってるってわけじゃねぇだろうに」

 

「陳情する気持ちは分からなくもないけどね。元柔道部員として言わせてもらえば、先立つものは多いに越したことはないし」

 

 というか、役員でもない不和が予算の話に加わっていていいのだろうか。いいのだろう。誰も疑問に思っていないようだし。

 

「やーっぱ会計が不在なのが痛いよなー」

 

 善吉の言うことも一理ある。

 会計職を任せられる役員が一人増えればそれだけで仕事の能率が上がるし、予算管理に専念するだけでもめだかたちの負担は減るのだから。

 

「ま、今いねぇ奴のことをどーこー言ってもしょうがねぇけどな」

 

「いっそ不和さんが会計になればいいんじゃ?」

 

 あー無理無理、と不和は首を振って拒絶する。

 

「予算管理なんて細かい作業は僕にゃ向いてねぇって。できることっつったら理事長を脅迫して搾り取って、部費の予算総額を増やすことぐらいだな。老体に鞭打つぐらいワケねぇから三十分もあれば三倍くらいには出来ると思うぜ?」

 

「お兄ちゃん、他人を脅すなど感心せんな。それならば私が私財を投じた方が――」

 

「俺が変な提案したからかもしれないけどどっちもやめて!!」

 

 自分の発言が原因で話がとんでもない方向に暴走していることに恐れ戦いた善吉が、声を荒げて二人を止める。

 

「落ち着けよ善吉、冗談だから。……一割くらい」

 

「九割本気!?」

 

 めだかが私財を投じると言ったが、それは黒神財閥の力を借りるという意味合いではない。彼女は中学一年生の頃、当時では数学界最大の難問と呼ばれたジュグラー定理とやらを解き明かしたことで莫大な報奨金を得ているのだ。天才少女が数学界の壁を破ったということで大々的に報じられたため、その記憶は未だに新しい。

 

「…………だったらめだかさん、こういうのはどうでしょう」

 

 阿久根が切り出した提案と目安箱に投書された一通の手紙が、この後とんでもない騒動を巻き起こすことになると、一体だれが予想しただろうか。

 いや、きっと誰もが予想しただろう。

 箱庭学園において、生徒会執行部において、平穏無事、平々凡々などいう言葉など無縁に等しいものなのだから。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「さぁていよいよ始まりました! 部費争奪! 部活動対抗水中運動会!!」

 

 実況を任された阿蘇短冊のけたたましい声が、最近完成したばかりの屋内プール場に木霊する。

 実況ブースから眼下に臨む50メートルプールには部費増額を申し出た15の部活動、それにめだかたち生徒会を含めた16のチームが集結していた。

 中には知っている顔もちらほら見える。剣道部に陸上部、柔道部に美術部。やはりどこの部も台所事情は厳しいのか。

 

「実況はわたし、放送部部長代行の阿蘇短冊! そして解説には――」

 

「箱庭学園の生き字引き! 不知火半袖ちゃんと!」

 

「……何故かここに座らされてる不和お兄さんでっす」

 

「以上の三名が! お送りします!」

 

 まったく、せっかくの日曜だというのに、どうしてこんなことになったのやら。

 

「あーついでに言っとくと、僕は審判長も兼ねてっから。少しくらいなら見逃してやるけど、あんまり度を越したラフプレイした奴は遠慮なく処罰するんでそのつもりで。聞いてますかそこー? アンタですよアンタ、今目ぇ逸らした卑怯が売りの柔道部元部長さーん?」

 

 不知火の隣に座った不和は、マイクを放り投げると心の底から面倒くさそうに溜め息をついた。

 事の発端は阿久根の発言と一通の投書だった。

 陳情した部の全てに平等に予算を振り分けるとどうしても少額になってしまう。ならばいっそのこと、一つの部の総取りにしたらどうか。

 幸いというかなんというか、阿久根の担当業務の中には部活動対抗のリレー大会があった。それで優勝した部の予算を増額する。単純明快の妙案ではある。しかし、リレーなどの専門競技では相応のハンデがないと陸上部が圧倒的に有利になってしまう。陸上部も増額を申請した部の一つなのだ。

 再び暗礁に乗り上げかけたところで、丁度いいと善吉が見せたのが一通の投書。内容は新設された50メートルプールが活用されていないことへの苦言だった。

 陸上が駄目なら水中で。というわけで水中運動会が開催されることと相成ったわけだが。

 

「第一種目は水中玉入れ! 細かいルールはもはや説明するまでもないでしょう! 水底に沈んだ各チーム20個ずつのお手玉を制限時間内になるべく多く入れてください! 入ったお手玉の数がそのままポイントとなります!」

 

 水中運動会の大まかな枠組みは三点。

 

 一、各部三人一組での参加。

 

 これはチームワークを見るためという名目だが、本質は生徒会チームが三人しかいないことを考慮した数合わせだろう。

 

 二、男子生徒のヘルパー装着。

 

 男女混合の競技であるため、これぐらいのハンデは必要だ。

 ここまでは各部に事前に通知されていた。

 問題は三つ目。

 

『生徒会よりも総合得点が高かった部は、順位に関わらず無条件で予算を三倍にする』

 

 宣言しためだか曰く、ボーナスルールということらしい。

 分け与えられるほどの余裕がないから優勝した部の総取りにしたというのに。ちなみに捻出先はめだかの私財からである。

 そのめだかは現在、16本のカゴ付きポールが立てられたプールの中で鍋島と握手を交わしていた。

 

「それでは位置について! よぉおおおおい――――どん!!」

 

 阿蘇の合図で参加者たちは一斉に潜り始める。

 たかが玉入れと侮るなかれ。

 ただでさえ足のつかない深さのプールで、男子はヘルパーによってお手玉を拾うどころか潜ることすらままならず、たとえハンデのない女子であっても水を吸って重量が増したお手玉を底から拾い上げるのは至難の業だ。さらには拾い上げ、投げることができたとしても、カゴに入らなければまた水の中に沈んでいく。

 玉入れには玉入れのテクニックがある、というのは不知火の言だが、今それを言ってしまっては――

 

(面白くなくなっちまうよなぁ)

 

「おおっと! プールの中は早くも悲鳴の嵐! 正に阿鼻叫喚の地獄絵図と化しております!!」

 

「あっひゃひゃひゃひゃ!! 人間がばしゃばしゃもがいてて面白ーいっ!!」

 

「そりゃそーだ。これを見るために水に浮く塩ビ製のボールじゃなくて布製のお手玉にしろとめだかちゃんに進言したんだから」

 

 この惨状の原因はあんたか鬼めぇ!! と参加者一同から怒号が巻き起こる。

 不和はギャアギャア喚く一団を見下ろしながら、

 

「あぁん? これは遊びじゃねぇんだぞ? 欲しい((部費|もの))を奪い合う立派な戦争だ。戦争に陸上も水中も関係ねぇ。その覚悟があってお前らは勝負を受けたはずだ。この程度の障害に文句を言っている暇があったら潜れ。金が欲しけりゃ沈めろ。お前らに残された道はたったの二つ。出来るか出来ないかじゃねぇ。勝つか負けるか、それだけだろーが」

 

 まあ、一部の連中や我らが生徒会長様には障害にもなってねぇようだけどな。

 その言葉に、今更ながらめだかの姿がないことに各チームは気が付いた。善吉と阿久根は早々に水から上り戦線離脱している。

 

「…………そら、出てくるぜ」

 

 え? 何がです? と阿蘇が困惑顔で聞き返してくるが、不和と不知火はそれには答えずに、ある一点を凝視した。

 生徒会チームのポールから少し離れた場所の水面。そこにゆらりと黒い影が浮かび上がる。

 

「あひゃひゃ♪ ホーントあのお嬢様は常識外れだよねー。普通((あんな方法|・・・・・))なんて誰も思いつかないでしょ」

 

「思いつけたとしても、常人にゃあまず実行不可能だからなぁ」

 

 盛大に水飛沫を上げて水中から飛び出してきたのは、言うまでもなくめだかだった。両手いっぱいにお手玉を抱えている。その数なんと二十個。自チームに割り当てられた全てのお手玉を一度に集めたことになる。それらを空中で押し固めてひとつの塊にした後、スリーポイントシュートを放った。誰もが見守る中、塊は重力と慣性に従って放物線を描き、寸分違わぬ正確さでカゴへと収まった。

 

「せ、生徒会執行部! 一気に20ポイント獲得ぅっ!?」

 

 あまりの光景に皆手を止めて、あの鍋島ですら唖然としている。

 善吉たちはキメ顔でタッチを交わしているが、お前らは何もやってねぇだろと言いたい。

 

「コツって程でもないんだけどねー」

 

 ホットドッグにかぶりついていた不知火が解説する。善吉に食券で雇われたらしいが、解説として仕事をするつもりは一応あるようだ。

 

「足もつかない不安定な体勢からヘタに片手で投げるよりは、飛び出た勢いで垂直落下しているときに両手を添えて投げたほうが安定するし、それに何個かまとめて投げればその分だけカゴに入る確率も上がるんだよ」

 

「それでも一度の潜水で二十個全部拾い集められるのはうちのお嬢様ぐらいだけどな」

 

「なるほどー。あ……でも、まだ競技が終わってないのにそれを言ってしまって大丈夫なんでしょうか?」

 

 疑問を投げかける阿蘇に対し、わかってないなー、とでも言うように不知火はもぐもぐと咀嚼しながら首を振る。しかし何も言おうとしないので、代わりに不和が説明した。

 

「ヒント与えておかねぇと得点が横並びにならなくてつまんねぇでしょーが。……おらお前ら、時間もあんまりねーのにぼーっとしてていいのか? ((お手本|・・・))はもう見ただろ?」

 

 スピーカーから流れた不和の声に、時間が止まっていた参加者たちも我に返り、再び必死に潜り始めた。めだかのように二十個一度に――とまではいかないが、それでも数個ずつ投げ入れて地道にポイントを稼いでいく。

 ほとんどのチームの得点が並んだところで――

 

「はい終了ーっと。集計するんで全員ちゃっちゃとプールから上がりやがってくださーい。コラそこー、どさくさに紛れてお手玉入れようとすんなー、またアンタか柔道部元部長ー」

 

 審判長といっても、やる事は雑用だ。

 不和は投げやりな態度のまま、プールサイドにいる黒子(ツテを頼って借り受けた選挙管理委員)数名が集計してきたポイントを電光掲示板に表示させていく。

 

「先ほどの生徒会長の荒業には驚かされましたがこの第一競技、最終的にはほぼすべてのチームが同率一位という結果になってしまいました! 解説の不知火さん、今後の展開をどう見ますか?」

 

「んー、生徒会のぶっちぎり独走状態じゃ盛り上がらないしねー。むしろ逆に不公平感がないから主催者としてほっとしてるんじゃないかなー」

 

「……どちらにしても、生徒会チームがトップじゃあなかったけどな」

 

 誰にも気取られることなく、しかし誰よりも迅速に20ポイントを獲得したチームがいる。特に疲れた様子もなく、余裕綽々の表情でゆったりと休憩しているそのチームは、男子二人女子一人で構成されていた。

 競泳部。

 金の亡者と噂されるトビウオ三人衆。

 めだかが常識知らずなら、あの連中は命知らずだ。

 事前に不知火から話を聞いていた不和は、最初から競泳部に注目していた。驚いたことに、男子二人はヘルパーの浮力をものともせずに潜水を行っていた。

 絶息――肺から全ての空気を吐き出して、強制的に沈んでいたのだ。

 自らの命すら顧みない危険行為もそうだが、水の中――さらに三人がかりとはいえ、あのめだかよりも速く行動できるというだけで十分驚異的だ。

 

「……だからといって、うちのお嬢ちゃんが負ける姿っつーのも想像できねぇんだけどな」

 

「不和兄ぃ、次の競技始めるよー」

 

 波乱の幕開けとなった水中運動会。

 ポールの撤収が終わり、第二種目が始まろうとしていた。

 

説明
第十三話
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2066 2003 3
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