虹の筆跡、風雅の櫻
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 時は一条の帝の御世、長保元年の春の事で御座います。後の世に権蹟と謳われ、大納言にまで位を極める事となります藤原行成卿は、新たに備後守の役職を拝命する運びとなりました。

 そも、行成殿が沈淪の身から脱すことが出来ましたのは、時を遡ること四年ばかり、長徳元年の事。その年は二条の御邸で藤原道長卿と伊周卿が弓を競った事が巷を騒がせましたが、行成殿にとっては人生の節目と言っても過言ではない年で御座いました。と、申すのも、その年に行成殿は蔵人頭に大抜擢をされたので御座います。

 行成殿をご推挙されましたのは、行成殿と十数年来のご友人である源俊賢卿。参議の要職を拝命せし折に、不遇を囲っていらした行成殿を見込み、「蔵人頭には何とぞ藤原行成を任じられます様」と、主上(おかみ)に思い切ったご提案をなさったそうな。

 蔵人頭と申せば参議への登竜門と言われる程の要職で御座いますから、俊賢卿の大胆なご推挙も、それをご容認なさった主上にも、勿論の事ですがそれなりの理由(わけ)が御座いました。

 その理由を知る為にも、お話を一度長保元年、櫻の季節に戻す事に致しましょう。

 

 

 

「やあ、これは見事な」

 洛南、伏見は墨染と申せば、今も昔も櫻の名所として親しまれて居ります。

 行成殿と俊賢卿は、他の幾人かの友人と共に櫻狩に興じておりました。

「花の中央がくすんでおりますね。かの藤原基経公を悼んでの事でしょうか」

 等と零しながら、酒を酌み交わし歌を詠み、櫻の花を心行くまで愛でる積もりでおりました。

 と、昼を少し過ぎました頃、折悪しく俄雨が降って参りました。花曇、とはよく言われる事で御座いますが、雨まで降って参りましたので皆急いで、墨染寺の小さな殿にて雨宿りをする運びとなりました。

 何とか雨を凌ぐ事は出来そうなものの、櫻は見えぬ、雨も止まぬとあって、手持ち無沙汰といった具合になるのは、これはもう仕方のない事で御座います。

 斯様な時には、矢張り他人の噂話に花が咲くのもこれまた当然の事でして、内裏から少々離れた土地柄も話し易さに拍車をかけましたのか、やれあの姫君は近く入内なさるらしい、やれあの公達は斯くの如く失敗をなさって、等と、嘘か真か定かでない噂話が大層盛り上がったので御座います。

「はて、櫻の時期に雨に降られたのは、四年前も同じでしたなぁ」

 一つその様な声が聞こえまして、話題はいよいよ四年前、長徳元年の事となりました。

「当時は藤中将実方殿がご健在で、櫻の下で雨宿りをしたい等と歌にお詠みになっていました」

「いや懐かしい。風流を極めたお方でしたな」

「舞も歌も当代一と言われる程。いつぞや、賀茂の祭りの舞人をなさった折も、練習の際に挿頭(かざし)の代わりに呉竹を挿して居られて」

「あれ以来、練習の際には皆呉竹の一枝を挿す様になりました」

「いや確かに、言われてみればそうですなぁ」

「皆が驚く様な事を平然となさる方でしたが、それがどれもこれも、大変似合ってお出ででした」

 長徳四年、詰りはこの前年に亡くなられた藤原実方殿は、当代きっての風流人で御座いました。歌人、舞人としてもて囃された他、その秀麗なお姿からか、或いは屈託の無い話しぶりから、また或いは技芸天に愛されたかと思われる程の芸術への才からか、数多の姫君との浮名を流す等、兎にも角にも巷の目を放って置かぬ様な方で御座いました。

「しかしその後、主上の御勘気にふれて陸奥守に左遷の運びとなり――」

「つい先年、落馬が元で亡くなられたのでしたな」

「いや嘆かわしい事だ」

「鄙びたみちのくに在っても、五月の節句には民に菖蒲を葺くよう命じられたとか」

「いやはや、最期まで風流人であったのでしょうな」

 行成殿と俊賢卿は、何となく含みのある表情で友人方の会話に耳を傾けておりましたが、案の定次の様な声が上がりました。

「そういえば、実方殿が左遷されたのは、元はといえば行成殿に主上の御前で無礼を働いた故であるとか」

「ああ、確かに斯様な噂が御座いましたな」

「主上がそれを御覧になって行成殿に感心し、蔵人頭の役職をお命じになったとも」

「そうです行成殿」

「折角ですし、お話ししては下さらんか」

「おう、是非聞きとう御座います」

 好奇の目線を浴び、行成殿は一つ溜息を零されますと、隣にいらした俊賢卿へのご配慮からか、ちらと一瞥を投げかけました。俊賢卿は行成殿の出世の立役者で御座いますし、親友とは申せ、行成殿より十二も年長に当たる方。また行成殿ご自身も、後に俊賢卿を越えて従二位に序せられた際、俊賢卿より上座に座す事が無かったと言われる程に義理堅い方で御座いましたから、この時も話しにくく感ぜられたので御座いましょう。何ぶん、行成殿が話す様せがまれた事は、御自身の突然のご栄達、その理由に他ならなかったからで御座います。

 俊賢卿が首肯なさるのを見て、行成殿は一つ頷かれますと、大方次の様なお話をされたのでした。

 

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 先程話に上りました通り、藤中将実方殿は大変な風流人でした。

 中将は四年前の春、斯様な歌をお詠みになりました。

 櫻狩 雨はふりきぬ おなじくは 濡るとも花の かげに宿らむ

 その後、本当に濡れるのも構わず櫻の木陰に立ち尽くしていたそうですから、中将の雅やかな事は巷での彼の噂を、一層高める事となりました。

 その事を大納言斎信卿が主上に上奏されました折、奇遇な話ではありますが私(わたくし)は丁度参内しておりまして、主上に、「中将の歌をどう思うか」と問われたのです。

 私はその頃は――いえ今でも、とんと風雅といったものに疎く、中将の様に歌も舞いも、といった様な方とは縁遠い身でした。それ故、歌はともかく中将の行いの訳が良く分からず、こう答えてしまいました。

「歌は大変宜しいと思いますが、実方殿の行いは少々間が抜けているのでは」

 主上は一笑に付されましたが、口は災いの元、何処(いずこ)からか私の言葉は中将の耳に入ってしまったのです。これに怒るのもまた道理、暫く後に内裏で中将と鉢合わせした際に口論となりました。

 ――あ、ええ。確かに仰る通り、私が何方かと口争いをするのは珍しい事かもしれませんね。しかし、私なりに負けたくないところも御座いました。中将が私の筆蹟(て)を蔑ろになさったのです。

 取り立てて特技の無い身ではありますが、主上のお褒めに預かったこともあり、これでも筆蹟には自信が御座います。これを侮辱されるとなると流石に堪えかね、口論となってしまったのです。

 頭に血が上ると物が見えなくなると申しますね。あの時の中将も同様だったのでしょう、徐に私の冠を打ち払い、小庭に捨てるといった乱暴をなさいました。

 恥ずかしい話ですが、その瞬間まで、私も我を失っておりました。けれど其の様な無体をされ、逆にふと冷静になったのです。そも、知らずとはいえ中将を侮辱したのは私ではないか。私が書家である事に誇りがあるのと同じく、中将にも歌人や舞人としての、いえむしろ今様の風雅に生きる風流人としての自負があるのではなかろうか――ふとそう思ったのです。故に努めて平静を保つ様に致しました。売り言葉に買い言葉と申しますから、兎に角言い争いを止める為には、熱くならぬ事こそ肝要と思ったのです。主殿司(とのもづかさ)を呼んで冠を持って来させたり、鬢を繕うたりと。しかしこれまた逆に、中将としてはご自身の行いが恥ずかしく思われたのでしょう。或いは余裕を見せ付けられたと思われたのかもしれません。何も言わずにその場から出て行ってしまわれました。

 私がしまった、と思っておりますと、主上が小蔀より一部始終を御覧になっていた様で、私にお声を掛けて下さいました。

「行成は出来た人物だ。沈着で、分別がある。それに比べ実方はどうした事だ。家柄の良さを恃みに左中将となったが、どうだろうか、これを改め、行成を蔵人頭に任じ、実方を遠国、陸奥守とするのは。実方も歌人だ、歌枕でも見て参れば良い。少しは驕りを鎮める薬にもなろう」

 そう仰いまして、主上は丁度ご一緒だった俊賢殿にもこのご提案の是非を問われました。

 後で知った事ですが、私を蔵人頭にと仰ったのは、元はといえば俊賢殿のご発案だった様で――ですから勿論俊賢殿も是と返されまして、私は蔵人頭に、実方殿は中将から陸奥守にと役職が替わったのです。

 私は勿論嬉しゅう御座いました。しかし同時に実方殿に申し訳なく思いました。頭に血が上り、我を忘れて罵ったのは私も同じ。只数瞬の差で私が我に返った、それだけの違いだと言うのに、斯くも主上の覚えが変わってしまうものかと思うと、何ともやるせない心持ちが致しました……。

 

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 これが行成殿の、四年前の突然の出世の理由だったので御座います。

 行成殿はそこで言葉を切り、難しそうな表情をなさって俯いてしまわれました。

 友人方も斯様な話の運びとなるとは思いも掛けず、相槌の言葉を見失ってしまわれた様で御座いました。行成殿の心掛けが殊勝とは申せ、実方殿を追い遣ってしまう形となりましたからには、矢張り思う節も御座いましょう。

 気付けば雨は止み、寺の庭先には水溜りが出来ておりました。御簾の隙間から覗くとそこに幾許かの櫻の花弁(はなびら)が混じっておりまして、何やらそれまでもが心苦しく感ぜられたので御座います。

「此度、私はまたも昇進の運びとなり、嬉しくは思うものの、矢張り昨年実方殿が亡くなられたと思うと、この栄達も実方殿の客死故ではあるまいかと、何とは無しに心苦しくなります。また近頃は入内雀等と呼ばれる実方殿の怨霊が主上の餉を食い荒らすとか――実方殿が京に帰りたいと思うての事ならば、尚更申し訳無く思うのです」

 どの公達も黙り込んでしまわれ、座はしん、と静まり返りました。気を紛らわそうにも此処は薄暗い屋内でしたし、では慰める事が出来るかと申せば、何とも声の掛け様が無かったので御座います。行成殿は今では主上のご信任も厚き方で御座いますから、お悩みになる事等一つとて無い様に、周りの目には映っていたので御座いましょう。しかしさればこそ、行成殿ご自身のご栄達にまつわるお話を聞き、友人方は戸惑ってしまわれたのでした。

 行成殿の一番の友であります俊賢卿はと申せば、長らく他の者と同じ様に口を噤んでおられましたが、ふと暫く途絶えていた陽光が射した様に感ぜられましたのか、御簾を上げて外に目をお移しになりました。

「おお、行成殿。こちらに出て、さ、御覧(ごろう)じられよ」

 行成殿は首を傾げつつも、言われる儘に濡れ縁に出でて空にあるものをお認めになりました。

「――これは」

 友人方も出てきますと、声が次々と挙がり始めました。

「やあ、これは見事な」

「うむ」

「櫻と二つ、まこと珍しき眺めですなぁ」

 空には大きく虹が掛かっておりました。散らずに今も咲き誇る櫻と、七色の虹。幻の国に迷い込んでしまったかの様な、美しく風雅な景色で御座いました。

「きっと、行成殿を天が言祝いで下さったのです」

 何方かが発したその声に、行成殿は漸く小さな笑みを浮かべ、もう一度空を御覧になりました。

「あの虹の袂には、どの様な市が立つのでしょうね」

 

 

 

 数日後、かの藤原道長卿の御邸に市が立ったのは、これまた有名なお話に御座います。

 

 

 

 

 

 

   了

説明
十訓抄等に見られる「行成と実方」の話を膨らませてみたもの。基本的に行成が主人公です。他の所で既出ですが…
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歴史創作 藤原行成 藤原実方 摂関期 平安時代 

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