落日を討て――最後の外史―― 真・恋姫†無双二次創作 序章
[全1ページ]

【序】

 

 何になさいますか、と問われたので、「お水を」とだけ答えた。

「あらん、ご主人様ったら。お酒はもういいのん?」

 隣に座る大柄の男は、その大きな手で自分のグラスを掴むと、琥珀色の酒をひと息に喉へと流し込んだ。

「このところ飲みすぎていたからさ。それに酔っぱらって聞くような話でもなさそうだ」

 男へそう言葉を返して――騎馬を象った白い駒を進める。

 薄暗いバーのカウンター席に座るのは二人の男。ひとりは若い優男で、白い詰襟を身に纏っている。もうひとりは随分と体格のいい男――その身に纏うは小さな薄桃色の下着のみで、それは己の美しく鍛え上げた肉体を誇示するかのようだった。

 ふたりの男の前に立つ店主は一杯の冷えた水を丁寧な手つきで差し出す。優男は笑んで礼に替えると、冷水をひと口舐めた。

「ねえ貂蝉。北郷一刀は無力だった、と云うのはきっと、驕りが過ぎるんだろうな」

「そうねん。成功はご主人様だけのものじゃないもの。それにねん、ご主人様は無力なんかじゃなかったわん」

 大柄の男――貂蝉は太い腕を伸ばすと黒いポーンをひとつ進める。北郷一刀はそれを見て顔を少し曇らせる。痛い一手だった。

「ご主人様に救われた人はたくさんいたものん」

 貂蝉は淡く笑んでカウンターの中にいる店主に目をやる。店主はそれに答えるように、貂蝉へ新しい酒を用意した。

 

「でも――天下三分の計は、だめだったんだろう?」

 

 一刀がそう云うと、貂蝉の表情が僅かに曇った。

「そうね。だめだったわん」

 貂蝉の言葉に一刀は沈黙を保った。何気なく、眼前に並ぶ酒瓶のラベルを眺める。この不思議な店に並んでいるのは、けれどもよく知った銘柄ばかりだった。珍しいものは奥に隠してあるのだろうか。

 目が覚めると、この店の、この席に座っていた。

 北郷一刀には、それ以外に現状を説明する言葉がなかった。

 布団に入り目を閉じると――気が付いた時には、二度と着ることはないと思っていた高校時代の制服を身に纏い、席に座っていた。隣には大柄の男が微笑んでいて、カウンターテーブルの上にはチェス盤がゲームの開始を待っていた。

 夢か、と思ったりもしたが、一刀はそれを否定した。生来、色の付いた夢を見たことがない一刀にとってこれが夢なのか否か、峻別するのは容易いことだった。

「もう一度確認するけどさ」

 切り出すと、貂蝉は小さく頷く。

「高校生だった俺は、外史ってのをまわって――」

「天下三分、大陸の平和安寧を目指したわん」

「そう、か」

 あまりに突飛な話だったが、こうしてこの店に連れてこられた夢のような状況が、貂蝉の語る幻がごとき話に輪郭を与えていた。

「でも、ご主人様は覚えてないのねん?」

「まるで覚えてないよ」

「ご主人様は、三度外史をまわったわん」

「三度?」

 その問いに答えるように、貂蝉は豪快に酒をあおった。

「二度は天下の安寧、統一を目指して。一度は私と一緒に」

「きみと?」

「そのことも、やっぱり覚えてないみたいねん」

 とっても楽しい旅をしたのよん、と微笑む貂蝉はどこか寂しげで、一刀は意図せず手元のグラスに視線を落とした。

「一度目は天下二分の計。二度目は天下三分の計。どちらも、すぐに落日を見たわん」

 貂蝉はグラスの氷を弄んでいる。

「天下を分けるなんて、無理が、あったのねん。統べる者がそれを望んでも、統べられる者たちがそうはいかなかったみたい」

 言葉が少し、途切れた。

「多くの者たちは、自分の主が天下を統一するものと思ってついてきたのだものねん。納得できない家臣がいたとしても不思議じゃないわん」

「どんなに堅牢な城も、蟻の穴から崩れる、か」

「そうねん。それでも外史の英雄たちは強かったわ。ただ、大きな流れには逆らえなかったのよん」

「その流れって云うのは、主に統一を望む声?」

 ちょっと違うわねん、と貂蝉は真剣に云う。互いにもう、駒を進めることもなくなっていた。

「主がやらぬなら自分で――野暮な野心を抱えた小物がたくさんいたってことよん」

「ひよった主はいらないって、そう云うことか」

 統一を目指していたにもかかわらず、それを手放したのなら、ひよったと思う者がいてもおかしくはない。

「そうねん。俗物がちょろつくくらなら英雄たちも対処できたでしょうけどねん。ちょっと数が多かったし、後手に回ったのも痛かったわねん」

 貂蝉は遠い目をしていた。

「英雄たちは素晴らしい力を持っていたけれど、決して万能の神などではなかったわん。どれだけ強くてもひとりの人間。だからこそ仲間を求め、同士を求め――」

 そこまで云って、貂蝉は酒のないグラスをあおり、氷をがりがりと噛んだ。

「愛する者を、求めたのねん」

 一刀は何も云わなかった。

「ふたつの外史は混迷の時代へと逆戻りしたわん」

「そうか」

「それで――」

 貂蝉はこちらへ身体を向けて、鋭い視線を送ってくる。

「三度目、私とご主人様が大陸をまわった旅」

「うん」

「これは、外史の調整作業」

 それがいかなる意味なのか、一刀は疑問の色を眼差しに混ぜる。

「外史はねん。ひとつの世界として独立しようとしているわん」

「話が見えないな」 

「外史はねん、ひとつの物語なのよん。始まりがあって終わりがあるわん。でも、それが終わらなくなってしまったのん」

「えっと――」

「外史は今、互いが互いを呑み込もうとしているわん。そしてひとつの世界として永続しようとしている。天下三分の計が破綻し、混迷を極めた恐ろしいその流れが変えられぬ真実になろうとしているのん」

 貂蝉の言葉に疑問を感じぬ一刀ではない。しかし一体どのような疑問を差し挟めばよいのか、それが分からなかった。だから、兎に角耳を傾ける。

「軸を、通さなければならないのよん」

「――軸」

「そう。混乱する外史をその軸に巻きつけて呑み込む。真実として成立させるための強力な軸。本物にしてしまうための外史。それが必要なのん。今ある外史は三つ。そのうちひとつが調整用の外史ねん。残り二つを誘導して軸に呑み込ませるための」

「その軸を」

「ご主人様に作ってほしいのよん」

 見て、と貂蝉は右手で空を切った。するとそこには丸く何かの映像が映し出された。それが一体どのようなものなのか、理解するのに対して時間はかからなかった。

 混乱。

 殺戮。

 凌辱。

 破壊。

 貧困。

 飢餓。

 この世の悲劇が、そこにはすべて詰まっていた。

「これが本物になろうとしているわん」

「これ、が」

 悪い冗談だと吐き捨てられたなら、どれだけいいだろう。

「それから、これはズルだけど」

 貂蝉は人差し指を動かす。すると――。

「これは……ッ。俺、なのか」

「そうよん。これはご主人様がまわった初めの外史。孫呉の記憶」

 そこには在りし日の北郷一刀が、馬にまたがり戦場に佇んでいた。

「これはあまり見せたくはなかったわん。脅迫のようになっちゃうものねん。でも、ご主人様にはもう一度外史に渡ってもらわなくちゃならないのん。なりふりかまってられないのよん」

 一刀の喉は、酷く乾いていた。

「俺が」

「なにかしらん」

「俺が、この混迷の時代を招いたのか」

 問えば、貂蝉は首を横に振った。

「それは違うわん。ご主人様がこの外史にいたのは安寧がもたらされるまで」

「そのあとはどうなった」

「ご主人様は元の世界に戻ったわん。でも――ご主人様は再び外史に呼ばれた。戻り方が中途半端だったのねん」

「戻った、その――二度目の外史も」

「そうねん、状況は一度目より悪いわん。ここではちょっと見せられないくらいにねん」

「俺は――」

 一刀は映像の中で駆け回る自分を見ていた。高校時代の自分が、懸命に戦乱の世で生きている――その記録が眼前で繰り広げられる。

 ああ、貂蝉の話は本当なのだ。

 今更ながらに、実感が駆け巡る。

「軸となる外史はもうじき生まれるわん」

 貂蝉は落ち着いた調子で云った。

「ご主人様に行って欲しいのよん」

「行って、どうしろと」

「そこで生きてちょうだい。感じるままに。信じるままに。それが外史に力を与えるわん」

「貂蝉は――」

「私は行けないわ。そう云う――役どころなんだものん」

「そう、か。でもさ、うまく立ち回らなくちゃならないだろ。その外史を本物にするなら」

「それを願うわん。時間に余裕がないもの。もう二度も三度も外史をまわってもらう余裕わないわん。次で決めなきゃねん」

 でも――と貂蝉は云いよどむ。

「ご主人様は、ここでのやりとりを忘れてしまうわん」

「え――」

「それが、さだめなのよん。寂しいけれどねん」

「待ってくれ、それじゃあなにか。俺が向こうへ行っても自分の使命のことは分からないってのか?」

「そうなるわねん」

「じゃあ、どうすれば」

「だからん。生きるのよん。感じるままに、信じるままに。私はご主人様を信じているわん」

 それより、と貂蝉は言葉を切る。

「ご主人様、その調子だと最後の外史に渡ってくれるってことなのかしら」

 しばらくの、沈黙があった。

「元の世界に帰って来られるか、分からないわよん」

 一刀はいまだ黙っている。

「外史は永続する世界として成立しようとしている。ご主人様は恐らく、向こうにつかまってしまう」

 それでも行ってくれるかしらん、と貂蝉は続けた。

「――そうだね」

 長い沈黙を破って、一刀は答える。

「理由がどうあれ、俺は二度も投げ出して帰ってきたらしいからさ」

 そう云って流れる映像を見る。貂蝉が苦い顔をしたのを一刀は見逃さなかった。この映像を見せれば、自分が決意するだろうと、貂蝉には分かっていたのだろう。分かった上でその切り札を切らねばならなかったのだ。

 この映像を見せると云うことは、現状に対する責任の一端が一刀にあると暗に云ってしまうことに他ならない。貂蝉はきっと辛かろうと思う。彼女が云ったように、これでは半ば脅迫だ。

 しかし、決めるのは、自分だと、一刀は思う。

「俺は俺の意思で外史へ渡ろう」

「ありがとねん。そして、ごめんなさい」

「そんな顔、しないでくれよ」

「ご主人様は、いつも素敵だわん」

 少し、間が開いた。

「あのさ」

「何かしらん?」

「俺が向こうへ行った後、俺の元いた世界はどうなるんだ」

「時間濃度の比率に波があるからはっきりしたことは云えないけれど……しばらくはご主人様が行方不明になると思うわ。でも――外史に捕らわれてしまったなら、ご主人様はいないものになってしまうわねん」

「……いないもの」

「そう、ご主人様と云う人間がいなかったものとして世界はまわっていくわん。それはすぐのことかもしれないし、しばらくたってからのことかもしれない。親しかった人たちに心配を掛けてしまうかもしれないわ」

「――そうか」

 けれども。

「でも、行こう」

「いいのん?」

「ああ。大学のゼミが決まる前でよかったよ。今なら迷惑も掛からないだろうし。丁度試験も終わったところだしね」

「大学は、ひとつ上の学校だったかしらん」

「そうだよ」

「時間がたったのねん」

「俺が最初に呼ばれたのが、高二の時だったっけ?」

「十七歳って云ってたわ。三度まわっている間、ご主人様の方の世界は大して時間が進んでなかったみたいねん。でも――あれから、どれくらいたったのかしらん」

「三年、かな」

「時間濃度が変わったのねん。でもご主人様はあまり変わらないわねん」

「う、気にしてるのに」

「どぅふふふ。ごめんなさいねん。でもその服はよく似合っているわ」

 詰襟を指差した貂蝉は白い歯を見せて笑うと、「マスターちゃん」と店主に合図する。すると店主は布袋をひとつ貂蝉に差し出した。

「これは?」

「私のおすすめのお酒よ。餞別ねん。それから」

 チェス盤を手早く片付け、貂蝉はそれも布袋に入れる。

「これも持って行ってちょうだいな。本当はいけないのだけれど、これくらいならねん。そして最後に……」

 貂蝉は一刀の頬に強烈な口づけを喰らわせた。

 刹那、一刀の全身を獰猛な気配が走り抜け、内側から呼びさまされるものがあった。貂蝉は艶然と微笑んでいる。

「体の奥から、むくむくと起き上がって来るでしょ?」

「あ、ああ」

「ご主人様は覚えていないかもしれないけれど――私との旅で磨いたステキな技はその体に残っているわん。それを、ぶちゅっと一発呼びさましてあげたのん。びんびん来ているはずよん?」

 笑みを崩すことなく貂蝉はこちらに布袋を押し付ける。

「思い出はなくっても――せめてその技だけは忘れないでちょうだいねん。これは貂蝉お姉さんとの約束よん?」

「――ああ、分かった」

「やっぱり、ご主人様はいいオトコねん。ドキドキしちゃう。お別れは惜しいけれど――ご主人様が決めたのなら、そろそろかしらねん」

 貂蝉の言葉が発せられた直後、一刀の身体から淡い光が放たれ始める。

 時が――来たのだ。

「さようなら、ご主人様。そしてありがとねん」

「貂蝉――」

「いやねん。そんな顔しないでちょうだい。切ない顔も可愛いけれど、ご主人様は笑顔が一番よん?」

 それに、と貂蝉は続ける。

「私にそんな顔をしてもらう資格はないわん」

 その言葉に一刀は首を横に振る。

「いや、俺はどうやら自分の役目を遂げるチャンスを得られたみたいだ。それは貂蝉、きみのおかげだよ」

 貂蝉の笑みが少し困ったような色に染まった。

「三年間、ご主人様は男を磨いたのねん」

「そうでもないさ。なあ、貂蝉」

「何かしらん」

「俺が今から行く外史が軸になるとして、他の外史はどうなるんだ?」

 一刀の身体が、足元から消えていく。

 別れの時は近い。

「呑み込まれるわん。けれど、それは消えてしまうってことじゃないの。ご主人様に分かる言葉で説明するのは、これが限界」

「そうか」

 もう腰まで、一刀の身体が消えている。

「最後に」

「ええ」

「この店は、なんなの?」

 問うと、貂蝉は人差し指を頬にあてて笑う。

「ふふふ、私の行きつけよん。外史の狭間の不思議なお店。気に入ってくれたかしらん」

「そうだね、素敵な店だ」

 店主に一刀が視線を送ると、店主は穏やかな表情で「いってらっしゃいませ」と礼をした。

「もう来られないのが残念だ」

「そうねん、私もここでご主人様を口説きたかったわん」

 もう、一刀は消えてしまう。

「貂蝉」

「はぁい」

「さようなら」

「さようならん」

 別れの言葉は静かに交わされた。

説明
独自解釈独自設定ありの真・恋姫†無双二次創作です。魏国の流れを基本に、天下三分ではなく統一を目指すお話にしたいと思います。文章を書くことに全くと云っていいほど慣れていない、ずぶの素人ですが、読んで下さった方に楽しんで行けるように頑張ります。
総閲覧数 閲覧ユーザー 支援
16650 12479 59
コメント
面白いけど結局戻されたら意味ないよな。徹底的に自分の存在を秘匿しておくしかないな(ドーパドーパ)
よし要求を聞こう!こんな俺得な作品を作って俺を一体どうするつもりだ!?(心は永遠の中学二年生)
ギチギチに詰まっているので読みにくいです。間がある時、話題が変わる時などは空行を挟んで欲しいです。(通行人)
siasia様 ありがとうございます!! 応援よろしくお願い致します!!(ありむら)
普通のと違った作品で面白いです!これからも頑張ってください。(siasia)
本郷 刃様 ありがとうございます! 励みます!(ありむら)
おもしろい・・・。このまま続きを読ませていただきます!(本郷 刃)
劉邦柾棟様 ありがとうございます! そう云っていただけると俄然やる気が出ます! これからもよろしくお願いします!(ありむら)
いえいえ、何か『あの貂蝉』がって思ったら唖然としてしまっただけですので気にしないでください。   それに、こんな始まり方は今までに無い始まり方なので凄く良いと俺は思いますよ。(劉邦柾棟)
劉邦柾棟様 勢いでやってしまった……チェス。何となくやりたくなってしまって。変ですかね、やはり。すみません……。(ありむら)
チェス・・・・・ねぇ〜。  貂蝉・・・・チェス出来たんだ。(劉邦柾棟)
タグ
独自 真・恋姫†無双 北郷一刀 

ありむらさんの作品一覧

PC版
MY メニュー
ログイン
ログインするとコレクションと支援ができます。


携帯アクセス解析
(c)2018 - tinamini.com