垂水百済はマイナスである ――172回目の【僕】――  EXTRA―5 人外曰く、後継者編突入準備期間
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 愛など無用。

 

 夢など無縁。

 

 絆など無益。

 

 だからこそ憧れ欲する。

 

 ――56回目の(俺)――

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 誰が味方で誰が敵で、誰が勝者で誰が敗者だったのか。

 結局、全てがうやむやで漠然としたまま、生徒会戦挙は幕を閉じた。しかし、時間の無駄で得るものが全くなかったのかと言えばそうでもなく、多少のわだかまりは残ってはいたが、黒神めだか率いる生徒会と球磨川禊率いるマイナス十三組は和解し、球磨川が副会長に任命されたことで絶対に揃わないと思われていた箱庭学園生徒会執行部の役員が全員揃い、学園はこれ以上ない盛り上がりを見せている。

 だが、興奮未だ冷めやらぬ夏休み明けの九月、当事者と言えば最も当事者であり渦中の人であった垂水百済は『((軍艦塔|ゴーストバベル))』の一室で強制((監禁|にゅういん))を余儀なくされていた。

 ベッドに寝かされた全身は、ギプスやらコルセットやらによって石膏像のような有様で、寝返りも満足にうてない。

 どうしてこうなったのかと自問すれば全面的に自分が悪いという答えに行き着くため、百済は暗澹とした溜め息こそ吐いたが、愚痴をこぼすことはなかった。むしろ、あれだけの混乱を引き起こしてしまったにもかかわらず、文句の一つも言ってこないめだか達に対して申し訳ない気分になり、さらなる自己嫌悪に陥る。

 百済の負傷に気づいたのはくじらだった。

 まあ、抱きついていたのだから百済の異変を真っ先に見抜いたのは当然と言えば当然だ。

 

 この世の因果を捻じ曲げ、法則を乱し、摂理を歪める『((因果凶報|バッドエンドレス))』。

 

 何がどうなるか分からないこのスキルは、所持者である百済にも容赦なく牙を剥く。

 筋肉や神経の断裂はまだマシな方で、折れた数本の肋骨が内臓に突き刺さっちゃっていたり太い動脈が切れちゃっていたりと、検査をしたくじらが取り乱すほどの重症を負っていた。『((既述死|デッドワード))』は返してしまったのによく生きていたなと自分でも思う。

 とまあ、そういった経緯で絶対安静を義務付けられてしまった百済は――ぶっちゃけ退屈していた。

 どんな((術式|かいぞう))を施したのか、はたまた単に自分の身体が異常なだけなのか、それともあの巫女服の人外が秘密裏に何かしたのか。原因は分からないが、とにかく傷自体はほとんど塞がっていた。にも拘らず((外出|たいいん))できずにこうして暇を持て余しているのには理由がある。

 

「おっはよー百済くん、薬と朝メシ持ってきたぜー」

 

 ドアを足で押し開けて、お盆を持ったくじらが入ってきた。制服の上に白衣を羽織り、包帯を巻かずに素顔を露にしている。雰囲気こそいつもの達観したものではあったが、その口元は愉悦に歪んでいた。

 対照的に、百済の顔に浮かんだ笑みは何処となくぎこちない。悪戯を告白しようとしている子どものような表情だ。

 

「体温、脈拍数、ともに平常値。感染症の兆候もないし、これならあと数日で完治だな」

 

 ((主治医|くじら))のその言葉に、意を決して切り出そうとしていた百済は幾分か気楽になる。

 

「えーと……じゃあ、くじらちゃん――」

 

「けどダメ」

 

 見事に出鼻をくじかれた。

 取りつく島もない。項垂れつつも百済は食い下がる。

 

「いやあの、別に飛んだり跳ねたりするとかそういうのじゃなくて、リハビリがてらその辺ブラブラ散歩するだけでいいんですが……」

 

「……四日前にそう言って出かけて、縫ったばかりの傷を盛大に開いて血塗れで帰ってきやがったのは何処の誰だ?」

 

 有無を言わせぬ、射貫くような視線。両の瞳に宿るのは――怒りと不安。

 やはり無理かと前科者である百済はいつものくせで首を擦ろうとして、ギプスの所為でまともに動かせないことに辟易する。実はこのギプスやコルセット、百済にとっては固定・矯正具というより、どちらかと言えば拘束具の役割を果たしていた。

 四日前の再手術終了後、麻酔が切れて目が覚めた百済を待っていたのは、涙目のくじらの説教だった。

 

 もっと自分を大事にしろ、無理をするな。

 

 そういった類の苦言を浴びせられて注射を打たれて昏倒して、再び意識が覚醒したときには両手足を石膏で固められてしまった後だった。さすがの百済もこれには声を荒げて抵抗しようとしたが、目尻を赤く腫らしたくじらにあえなく撃沈してしまう。

 それ以後、百済はこの旧校舎でベッドの上から動けずにいた。

 

「怪我ってのは治りかけが一番注意しなきゃいけない時期なんだ。油断してると感染症やら何やらで面倒なことになっちまう」

 

「くじらちゃん、さっき感染症の兆候はないとか言ってなかった?」

 

 指摘に対して、くじらは何を思ったのか百済の腹に馬乗りになると、互いの鼻先が触れ合うくらいにまで顔を近づけてこう言った。

 

「……俺と一緒に居るの、そんなにイヤ?」

 

 ヒック、と百済は息を吸おうとして失敗した。

 潤んだ瞳やうっすら上気した頬、鼻腔をくすぐる柔らかな匂いが色々なものを刺激する。

 だがいやしかし待て、こっちはこれでも千五百年以上の人生経験を持つ人外なのだ。十七年しか生きていない小娘に翻弄されて良いのか? 否、断じて否だ。人間であることは捨てたが、それでも年上の男としてのプライドがある。

 頭を振って煩悩を押し流し、くじらをまっすぐ見て、

 

「スミマセン、イヤじゃありません」

 

 平身低頭、全面降伏だった。惚れた女に頭を下げることに何の躊躇いもない。

 くじらは涙を拭って微笑むと、目を瞑って唇を差し出す。それが意味するのはたったの一つ。

 ギプスで固められた右腕で、細心の注意を払って彼女の細い腰を抱く。

 拒む理由など、あるわけがない。

 ただ、惜しむらくは――

 

「……本人だったら、遠慮しないつもりだったんだがな」

 

 彼女がくじらではないということであった。

 

「暇潰しの戯れにしては悪趣味だな、((なじみ|・・・))。私はまだ((眠る|・・))つもりはないぞ?」

 

 笑みを浮かべたくじらの姿がブレて、次の瞬間には安心院なじみがそこに居た。

 謀略を秘めた笑み、リボンで束ねた白髪、巫女装束、螺子で拘束された両腕。

 彼女は馬乗りになったまま、問う。

 

「何処で気付いたんだい?」

 

「本物のくじらなら、二人きりのときは『俺』ではなく『私』という一人称を使うんだよ。それに、名前を呼び捨てにしないと不機嫌になる。……『((身気楼|ミラージュブナイル))』か?」 

 

「そうだよ。惜しかったなぁ、もうちょっとでキスできたのに」

 

 言葉とは裏腹に、なじみはさして残念そうな素振りは見せない。百済から飛び降りて、その場で一回転――カラリコロリと下駄を鳴らす。動きに合わせて、白の長髪が獣の尾のように揺れる。

 

「久しぶり」

 

「ああ、久しぶり。と言っても、夢の中では頻繁に会っていたようだが」

 

「それでも((現実|こっち))で本物のキミと会うのは十七年ぶりだよ。安心院不和も、垂水百済も、キミであってキミじゃあない存在だからね」

 

 ((記憶|データ))を得るために作り上げた架空の人間像。

 百七十二回繰り返した((実験|じんせい))――結果、嗜好・主義・思想・信念の全てが異なる百七十二人の『自分』が彼の精神には存在している。それは最早、個人というより群体と呼ぶのが相応しい有様であった。

 

「裏切ったと……そう考えているのか?」

 

「まさか。裏切るも何も、僕達はそういう浅い関係じゃあないだろ? 自由気ままに、互いを助けて邪魔をする狂った共生関係――計画を始める前にキミが自分でそう言ったんじゃないか。この状況を楽しみこそすれ、恨んだりなんかしてないよ」

 

 けどね、となじみは続けて、再び百済に顔を近づける。

 

「千五百年以上も一緒にいた相棒を掻っ攫っていったあの小娘のことなら、少なからず憎らしいと思ってはいるよ? 何年振りだろうね、僕を嫉妬させた人間って。ま、こんな卑怯なやり方はキミに嫌われちゃうから二度としないけど。小娘相手に恋愛事でスキル使って対抗するとか大人気ないし」

 

 油断していた百済の唇をぺろりと舐めて、お前ホント何しに来たの? と言いたげな視線を背に、なじみはケタケタと笑う。

 新しい玩具を見つけた子どものような笑顔。

 

「期待して待ってなよ、僕の魅力でキミを奪い返してみせるから」

 

 そう言って、なじみは姿を消した。

 大方、善吉達でもからかいに行ったのだろうと考え、なじみの言葉を反芻する。

 

「卑怯、か」

 

 ならば、何十何百と人間を裏切ってきた自分は救いようのないクズなのではないだろうか。後悔したところで、罪を償えるわけではない。最初に裏切り、切り捨ててしまった――真っ先に頭を下げなければならない親友達は、何百年も前にこの世を去ってしまっているのだから。

 

「……百済くん」

 

 悩んでいると、入口の方から小さな声が。

 そちらを見やると、くじら(本物)が気まずそうな顔をして立っていた。

 彼女には似合わないしおらしい表情に、百済は苦笑して口を開く。

 

「聞いてたのか?」

 

「うん。……ごめん」

 

「謝らなくてもいい」

 

 百済が上体を起こすと、くじらは無言のままベッドに飛び乗り、彼を抱きしめて胸に顔を埋めた。

 柔らかな感触と熱が服越しに伝わる。

 絹糸のような彼女の髪を指で梳いていると、

 

「……渡さないから」

 

「ん?」

 

 くじらは上目遣いで百済を見詰めている。透き通った、恐ろしさすら感じるその目には明確な意志と敵意が宿っているが、それはここには居ない誰かに向けられていた。

 

「安心院さんになんか――あの女になんか絶対に渡さないから」

 

 小さな宣戦布告。

 彼女は百済の顔を引き寄せると、前置きも断りもなく唇を重ねた。少し触れる程度の――その手の国なら挨拶程度の軽いもの。

 一瞬、何をされたのか分からなかったが、理解するにつれて年甲斐もなく頬が熱くなっていく。

 くじらの顔もこの上なく真っ赤だった。それでもあたふたと、いつもの達観した表情を取り繕うとしては失敗してうーうー唸っている。

 

 ……うーわ、何この可愛い生物。

 

 普段が普段なだけに、こういう不意打ちをされると中々に効く。

 百済にとって予想外だったのは、追撃が用意されていたことだ。それも、彼の心をそりゃあもうガシガシと削るような一撃が。

 

「百済くん、記憶を弄るたびに安心院さんとキスしてたってホントか?」

 

「ゴフッ――」

 

 控えめな口調と縋るような視線。

 言い訳など無意味だ。そもそも自分は言い訳で取り繕うような軽い人間――もとい、人外ではない。そのはずだ。これからもそうでありたいと思う。

 

「……誰から聞いたのでしょうか?」

 

「さっき、球磨川の旦那に」

 

 よしアイツ後で殺すと心に決めて、くじらを泣かせる覚悟で頷く。落胆か、あるいは失望されると思っていたのだが、意外にもくじらは『そうか』と一言呟くだけだった。

 

「……怒らない、のか?」

 

「((昔の女|・・・))のことでとやかく言ったりはしねーよ。今は私の物だし」

 

 何故か『昔の女』の辺りが妙に強調されていたような気がするが、指摘すると色んな意味で怖いことになりそうなので流すことにした。千五百年生きて培った危機回避能力は伊達ではない。

 くじらはもう一度、先ほどよりも長くゆっくりと、百済と唇を重ねた。

 なじみとの関係を拭い去るように。私の物だと、刻み付けるように。

 

「私と――ずっと一緒に居て」

 

「……こんな人外でよければ喜んで」

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「流石にここまでは予想してなかった」

 

 数日後。

 箱庭学園、校舎の屋上。

 検査着とギプスからようやく解放されて、黒の上下に着替えた百済は、不知火袴から手渡された書類を陽光に透かして眺めていた。その表情は、怒りというよりは呆れ、疲れというよりは面白がっていると表現した方が適切に思える歪んだものであった。

 

「袴の奴、確かにそれなりに自由の利く((立場|しごと))を用意しろとは言ったが……」

 

 無理難題を言った百済に対する、袴なりの意趣返しなのだろうか。

 要求通りではあるが些か面倒な事になりそうな『快気祝い』にやれやれと首を竦めて、眼下に広がる光景に目をやる。

 残暑厳しい日差しの中、校庭には様々な制服で着飾った少年少女が大集結していた。

 

「((校庭|こっち))は((校庭|こっち))で、よくもこれだけゾロゾロと集まったもんだ。ざっと数えて六百人ってところか?」

 

「安心院さんの命ですからね、暇だった子達はみんな集められたみたいですよ」

 

「無関係な一般参加の中学生もなくはないけど、ほとんど全員が私らと同じ安心院さんの端末だな」

 

 背後からの声。

 振り向けば、赤青黄と啝ノ浦さなぎ――比較的付き合いの長い((悪平等|ノットイコール))分身端末二人組が立っている。赤はいつものように白衣ならぬ赤衣のナース服に身を包み、啝ノ浦も『清楚な女教師』のイメージを崩さない地味過ぎず派手過ぎない服装だった。

 

「しっかし、永遠を生きる安心院さんに対抗して後継者を作り出そうとするなんてとんでもないことを考えたもんだぜあの子も。これなら生徒会長が――黒神めだかの意思が存在する限りフラスコ計画を再開することが出来なくなっちまう」

 

「まあ、そいつぁ運良く――なじみにしてみりゃ運悪くか、悪平等以外の人間を引き当てられたらの話だけどな。下手すりゃあ生徒会はフラスコ計画の後継者を自分達で育て上げることになる。最高の返し手ではあるが分の悪い賭けだ」

 

 そう言って、百済は胸ポケットから煙草を取り出して火を着ける。

 

「あれ……?」

 

 空へと消えていく紫煙を見詰めていた赤が、ふと気が付いて声を上げる。

 白と黒の螺旋模様が描かれたその煙草は彼が好んで吸っていたものとは別の、見たことがない銘柄だった。もっとも、未成年の赤や喫煙者ではない啝ノ浦にはどれも一緒に見えている。

 赤が疑問に思ったのは全く別のことだった。

 

「どうして私達は無事なんでしょう」

 

「そう言えば……」

 

 二人は百済のスキルの恐ろしさをなじみから聞かされ、会長戦で実際に目の当たりにしていた。

 だからこその疑問。

 百済の身の内に宿る『((因果凶報|バッドエンドレス))』は、些細なことがキッカケで牙を剥く非常に不安定な爆弾のようなスキルだ。それこそ、歩行や会話をするだけで肉が裂け骨が折れ、阿鼻叫喚の惨事を引き起こすほどの。

 しかし百済も赤も啝ノ浦も、平穏無事にこうして暢気に会話を続けている。

 

「………………」

 

 その疑問に答えるために、百済は咥えていた煙草を二人に見えるように差し出した。

 

「『ノーマライズ・スモーク』だとさ。私のためにわざわざ試作してくれたっつーんだから有り難くて涙が出るぜ。おかげで吸っている間はただの人外だと自覚できる」

 

「おーおー、愛の力って奴かい? 羨ましいことで」

 

「そう思うならさなぎさんも早く相手を見つけたらどうです?」

 

 余計なことを口走った赤を、鬼気迫る表情で追いかける啝ノ浦。意外に気にしていたらしい。

 二人の戯れを視界の隅に追いやり、百済は二本目に火を着けて、改めて手元の書類に目を通す。

 賞状のようにも見える、上質な紙を使ったその書類には『高等学校教諭二種免許状』と記されている。

 

 つまり。

 

「……勝手に首を突っ込んで勝手に引っ掻き回した挙句勝手に抜けちまったからなぁ。ほとぼりが冷めるまで、しばらくフラスコ計画に関しては不干渉を貫いて、真っ当な((教師|・・))としてのんびり過ごすさ。それはそれで面白いしな」

 

 誰でもない人外・垂水百済。

 

 教師としての((再出発|リスタート))であった。

説明
番外編 その5
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