【短編】 逆行する世界
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 ぼくは昨日の体験を今からすることができる。そんな能力を手に入れてしまった。その理由はわからないけれど、街のスクランブル交差点の中で、ぼくとよく似た雰囲気の少年の前を通ったときになにかあったように思う。顔はよく見えなくて、思い出せはしなかった。その少年がこの能力に関係しているかはわからないけれど、別に興味はなかった。ぼくがこの能力を手に入れた事実だけあれば満足だった。

 すぐさまにあの少年が誰なのか確かめようと思ってぼくは時を巻き戻した。ぐるりと世界が音もたてずに戻っていく。少年を通り過ぎる前に戻ってきた。しかし体は動かせなかった。いや動いてはいるけれど、ぼくの思ったように動かすことができない。その時に取った行動をぼくの体は再現していく。ぼくの意志は届かずに、ただただ動く。自分の体が機械のように、はたまた何かに乗っ取られたかのように感じた。

 確定した過去を変えることはできないのだと、ぼくはそのとき察した。それを悲しいことだとは思わなかったが、がっかりしたのは確かだ。過去を変えることは今を、未来を変えることになる。だからぼくは神様と同じ力を手に入れたのではないかと思ったのだ。

 それは違った。ただの勘違い。何も変わらない。何も変えられない。確定したものを変えることは絶対に叶わない。だからこの能力も無意味だ。もう使うことはないだろう。

 それから何日か経った。ぼくの目の前に人が落ちてきた。ぼくと同じ少年の体だった。いや、すでに死体となってから分かったことだ。最初は人だなんてわからなかった。落ちたところに血の海ができて、生物だと分かり、その大きさと形でようやく人と分かった。動かなくなってからようやくどのような人か認識した。この少年はあの交差点で出会った少年とは違うように感じた。なぜだか彼はまだ交差点のなかにいるような気がしたのだ。人が周りに群がってきて、救急車、人命救助、手当てだの騒いでいる。そのせいでぼくは近くにいることは叶わなくなってしまった。彼がどんな人物か分からない。

 ふっと脳裏に過ぎったのはぼくの力。今、時を戻したらどう映るだろうか。落ちてくるものが人だと分かったのなら、見え方が変わってくるかもしれない。前に自分で結論付けたことをあっさりと破った。

 ぐるりぐるりと世界が歪む。

 ぼくは街を歩いていた。デパートやら、家電量販店がひしめく街並み。都会らしいセンスは感じない。ただ便利なものを駅周辺に集めたような感覚しかなかった。餌を多く設置すれば人は多くなる。人が多くなるから餌を置きたくなる。ここは蟻の国。そんなことを思いながら、しかしぼくの意思は反映せずに体は歩みを進めていく。

 あと少しだ。もう少しで落ちてくる。落ちてくる物体は、ヒト。自分と同じ生き物。どうして死んでしまうのだろうか。ぼくは時を止めることはできない。だから一瞬を観察することは出来ず、文字通りそれは一瞬で終わってしまう。

 前方五メートルに降ってきた落下物。腰から落ちたのだろう。少し跳ねて、骨が砕けたように見えた。ぼくの視界は地面の血の海へ。違う。そこが見たいんじゃない。それでも、視界は動かない。何秒間も無駄に血の海を眺めてから、体を見た。ぐしゃりと潰れたわけでもない。どこが裂けているのか分からないけど、体全体が血で赤く染まっていた。

 顔はよく見えなかった。それでも、やっぱりどこか見覚えがある気がする。デジャヴ。それから周りに人が群がってきて、それで終わってしまった。

 まあ、もういいだろう。結局事実は変わらない。事実が変わらないならぼくが感じたことも変わるわけがないのだろう。自分が死体に興味を持つ趣向があるとは少し驚いたが、それも驚いただけだ。珍しいものに興味を持つのは普通のこと。

 駅のホームは相変わらず閑散としている。人はチラホラといるのに、やっていることがバラバラだからだろう。生欠伸をしながら電車を待つ。

『……三番ホームを快速が通過します』

 駅のアナウンスがそう告げる。快速が通過しますとわざわざ連絡する必要はあるのだろうか。何番ホームに電車が停車します、だとか放送をするのだし、しなくても大体良いものだと思う。

 ふわりと体が宙に舞う。落下していく。線路の上に不思議なほどうまく着地した。だけど、それに何の意味があったのだろう。ここは三番ホームだった。近づいてくる電車の音を無視して、ホームのほうを振り返った。電車を見てもどうにもならないと悟ったからだ。そこには、ぼくと似たような少年のシルエット。この一瞬では誰か判断できない。

 ぐるりぐるりと世界を歪めた。事実は変わらない。ぼくは殺されてしまう。それでも、あの謎を解明しないわけにはいかなかった。あのホームから落ちる瞬間に戻った。なぜ宙に舞ったか今なら理解できる。きっと後ろから押されたのだろう。振り返る。焦点が合わず、よく分からない。少年というのは分かった。少年? 少年にぼくは何度出会ったのだろう。また死ぬ前に時間を戻した。

 けれど、結果は同じだった。過去を変えることは出来ない。だからといってぼくは、死ぬのを認めたくはなかった。

 もしかしたら、生き残れるかもしれないだろう?

 時速八十キロメートルで突っ込んでくる四十トンの重機に轢かれておいて?

 無理だった。希望はどこにもなく、死に直結しているとしか思えなかった。第一、痛みを自分から体験したいと思う人間などいるものか。だからぼくの逃避も当たり前で、時を巻き戻し続けるしかない。

 

 いっそ赤ん坊まで戻ってぼくの意思が無くならないかと思ったけれど、無くなりはしなかった。これまで生きてきた十六年の奇跡を鮮明に映像で見せられた。ぼくの実際の時間は、線路の中から進めない。

 こんな能力は持つべきものじゃないと、ようやく理解した。時を巻き戻し続ける行為に意味がなくても死は怖い。怖いから逃避する。いずれやってくるけれど、夢を見させてくれるから。

 

 もう何度繰り返したか分からない。それでもぼくは繰り返す。意思は生きているのだから、もしかしたら何かできるのかもしれないと願いながら、逆行する世界を生きていく。結局、ぼくを押したのは誰なのだろう。

 ぼくに力を思い起こすきっかけとなったのは?

 飛び降りをした少年は誰だ?

 ぼくを殺した少年は?

 この推測が終わるまで死ぬことは出来ない。これがぼくの世界だ。

説明
 世界シリーズ三作目。 第一作 無音の世界 第二作 普遍の世界
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