スローモーション
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 スローモーションで描かれる世界は実に綺麗だ。肉眼では確認できない、時間の流れが変わった世界。物の見え方が変わり、本来は一瞬の出来事がゆっくりと丁寧に描かれる。普通では味わう事の出来ない体験に僕は惹かれるから、スローモーションが好きなのだろう。

 だから映像研究会なんてサークルに所属しているが、基本的に一人でやりたいことをやっているだけで、撮影協力といったものには全く関わっていない。作品発表の時だけ参加するといったような感じだ。

 普通ならノリの悪いやつと思われるかも知れないが、このサークル自体が僕のような本当に映像に興味のある人ばかりなので、特にこれといった問題は起きていない。

 ただ飲み会のような席では、全員が自分の理論を展開しようとするので収拾がつかない時もある。 そんな変わり者ばかりが集まったサークルで、僕は今日も自分の好きなスローモーションの世界に浸っている。これがいつもの日常だった。

 しかし、段々とその日常が変わりだしてきた。それは夏休みを過ぎたあたりからだ。

 スローモーション映像は、スポーツや人の表情、精密機械の作業などといった被写体はいくらでも存在している。

 しかし、何となく飽きてしまったのだ。サークルでの発表にしても、同じことの繰り返しの様で新鮮味が欠けてしまっていた。一番好きだったはずの鳥の羽ばたく映像ですら、何の感想も抱けないほどに。

 スローモーションという括りがそもそもいけなかったのではないかと、サークルの友人に頼んでストップモーション映像を撮ったりもしたが、以前のような気持にはなれなかった。

 そんなやりきれない悶々とした気持ちを抱えていたある日、ネットで硝子の砕けるスローモーション映像を見かけた。映像自体は大して珍しくもない、石をぶつけて硝子を割るといったものだった。

 まあこんなものかと、大した感想も持てなかった。

 気持ちを切り替えるためにも、とりあえず風呂に入る事にした。

 風呂に浸かっている間、なぜかあの映像が頭から離れなかった。砕ける瞬間、光を反射する破片が空中を舞っている様子が何度もフラッシュバックした。気持ちが落ち着かないので、早めに風呂を出てもう一度あの映像を見る事にした。

 先ほどと全く同じ映像のはずなのに、僕はどこかしら興奮していた。今まで感じていたこととは違う何かに。

 結局その興奮がなんなのかわからず、再び悶々した日々をしばらく過ごした。

 その興奮が何から来るものなのかはっきりしたのは、映像を見てから一週間が過ぎた辺りだった。 サークルの帰りに道路工事が行われていた。アスファルトを削岩機でガリガリと削る光景を見ながら家路に着こうとしたのだが、なぜかアスファルトを削る音が耳から離れず、足を止めそれをしばらく眺めていた。耳障りな騒音のはずなのに、僕は聞き入っていた。そしておもむろにカメラを取り出し、工事現場を撮影して家路についた。

 家に着き、さっき撮った映像を見ることにした。肉眼では確認できなかった、砕けたアスファルトの欠片が宙を舞う様子や、削岩機の動きを見ていると前に味わった興奮が再び蘇ってきた。

 このとき何となく予想がついてしまった。自分が何に興奮しているのかを。そう、僕は物が壊れるという事に興奮を覚えているのだと。

 そのことに気付いてからというもの、普通のスローモーション映像に飽きてしまった僕は、徹底的に破壊の瞬間をカメラに収め続けた。様々な物の壊れていく様を、僕はカメラ越しに眺め、後々スローモーションで壊れていく瞬間を見つめるのだ。今までそこに存在していたものが、散っていく姿を見るたびに背中にぞくぞくとした快感が走った。

 しかし、その行動にもやはり飽きが来てしまい、僕の行動は段々とエスカレートしていった。自作の爆弾を用い、様々なものを爆破していった。爆破に惹かれたのも、ネットで見かけた地雷の爆発する瞬間映像の影響だ。ただ爆発が美しいのではなく、人の苦しみに歪んでいく表情にもぞくぞくした。このころから蛙のつぶれる瞬間や、ザリガニを爆破するといった猟奇的な映像ばかりに変わっていった。

 そのためサークルでは僕を見る目が明らかに変わった。段々と僕を避けるようになり、やがて僕はサークルを脱退させられた。

 だが後悔は微塵もない。

 僕のことを理解できる人間など最初からいなかったのだから。発表する機会など、最初からネットを使えばよかったのだ。

 それから僕はありとあらゆる生物、非生物を問わず爆破していった。そして無力にも粉々になる様を見ては快感を覚えた。生き物が散っていく瞬間は儚さがあっていい。非生物の散っていく様は芸術のように美しい。体液がそのものを生きていたかを判断させる。弾丸のように弾け飛ぶ体液や欠片、そういったものが美しく見えるのと同時に快感だった。グロテスクや命を奪う罪悪感といったものはなかった。ただ快感に溺れ、僕は猟奇的な撮影を続けていた。

 しかし、やはり快感というものにも飽きが来る。新鮮さに欠け、マンネリ化してしまうのだ。そのことに僕は徐々に苛立ちを覚え始めた。以前の悶々とした気持ちとは違い、明らかな苛立ちであった。

 誰しも方向性は違えど、快感を得られないと相当なストレスを感じてしまうものだ。苛立ちはあったものの、一応の理性は働いていた。人間を爆破したいという衝動に駆られた時もあったが、その一線を越えることはなかった。

 だがある日、僕にも限界が訪れた。今までにない映像を撮りたいという欲求と、物を爆破したいという衝動に。

 そして僕は決心した、ダムを爆破しようと。

 大量の水が人々に襲い掛かる瞬間、逃げ惑う人々の恐怖に歪む表情、一変する日常。想像しただけでぞくぞくしてきた。

 決心した僕は入念に準備をした。町の中に大量のカメラを仕込み、ダムに大量の爆薬をしかけた。我ながらよくここまでばれずに、うまくいったものだと感心した。

 準備を済ませ、明日の決行日に備え、その日は早く眠った。

 決行日、僕は昨日準備したリュックを背負い、カメラの動作確認などを済ませ家を出た。爆破する場所は予め決めておいた。ダム爆破の瞬間をカメラに収めたいので、爆破はダムのすぐ傍だ。爆破後の事も今から想像するだけで鳥肌がたつ。

 そんなことを考えながら十字路で信号を待っていた。向かいの公園では、小学生と思われる子どもがキャッチボールをしている。定まらないフォームからひょろひょろとした球を放っている。コントロールも悪い為、暴投しボールは十字路の方に転がってきた。危ないなと思っていると、子どもが飛び出してボールを拾おうとしている。その時クラクションが鳴った。音からしてトラックだ。

 その時、僕の脳裏に子どもがトラックに轢かれる姿が浮かんだ。助けようと思う前に、映像として残したいという気持ちが働き、自然とバックからカメラを取り出そうとした。が、僕は気が付くと走り出していた。自分でも驚いているが体は走り続けていた。

 人間は集中力が高まったり、死ぬ一瞬だけ動きがスローモーションに見えると言うが、今まさに僕はスローモーションを体感していた。

 自分の体、子どもの恐怖に固まっていく表情、迫るトラック、全てがスローモーションだった。気持ちとは裏腹に走り出した僕は、子どもに駆け寄りぎゅっと抱きしめた。

轢かれる子供の姿を望んでいた僕が、どうしてこんな行動に出たのだろうか。今まで無残に散らせた命への償いなのだろうか。それとも、僕の人間としての理性が働いたのだろうか。

 よくはわからない。でも体は動いてしまった。所詮、僕も人間だったという事だろうか。そして、ゆっくりとトラックが僕の体に当たった時スローモーションの世界は終わった。

 背中や頭に強い衝撃を受け、僕は子どもを抱きしめたまま、数十メートルを何度かバウンドしながら吹っ飛んだ。痛みで全身が悲鳴を上げているのがわかったが、どうにも声が出せそうにない。

 子どもが僕の様子を見て急に泣き出した。そんなに大変なことでもあったのだろうかと、実感のないままぼんやりとしていたが、自分の周りに血が広がっていくのを見て僕は悟った。

 ああ、死ぬのかと。出血量的に助からないのは目に見えていた。だが、死への恐怖よりも僕はスローモーションを体感した喜びで満ちていた。あれほど美しい世界に身を置けたという実感が湧くほど、自分の死などどうでもよくなった。

 高まる気持ちに反して、僕の体は段々と冷たくなっていった。周りに人がよってきて何か言ってるようだが、聞き取ることが出来ない。というより、スローモーションの快楽で他のことに気が回らなかった。

 気持ちの整理がつかぬまま、僕はゆっくりと死に近づいている。子どもを助ける時はゆっくりになったのに、僕が死ぬ時はそのままなのかと、色々と考察をしているうちに、段々瞼が重くなって来た。いよいよ死ぬのかと、ゆっくりと閉じていく視界の中で僕はそんなことを思っていた。

 瞼の時には世界がゆっくりになるのか、そんなことを思いながら僕は死んだ。

 何となく、子どもを助けた理由がわかったかも知れない。今まで僕が趣味で散らした命の償いをしようと思っていたのかも知れない。もう戻れない一線を超えないように、ダム爆破なんて馬鹿げたことを本当は誰かに止めてもらいたかったのではないのか。そんなことを考えたこともあった。

 後日、僕の葬儀が行われた。子どもの両親が僕の遺影の前で何度もお礼を言っていた。どうやら子どもは無事助かったようだ。

 遺品整理などから僕の猟奇的な映像や、ダム爆破計画などが全てわかったようだ。本当はお礼を言われるような出来た人間じゃない。それでもお礼を言う人は居るもんだなと思った。

 命の償いとかも考えたけど、やっぱり爆破は成功させたかったと思う。一瞬で全てを変えるほどの大洪水を、スローモーションでじっくりと見てみたかった。あれだけの準備をしたのだから、一度くらいは見ておきたかった。

 そんなことを考える僕はやっぱり償いなんて考えてなかったのかも知れない。きっかけはわからないままだが、僕は一つだけわかったことがある。それは決断の時はスローモーションにはならないということだ。

 何かを決めた時にだけスローモーションは起こるものだと。

 まあ、死んでしまった今となっては関係のないことなのかも知れない。後悔してないのは、果たして子どもを助けたからだろうか、それともスローモーションを体感できたからだろうか。どの道、死んでしまった今では関係のない事なのかも知れない。

 

説明
三題噺 「硝子」 「ボール」 「水」 作成日 7月5日
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