嘘つき村の奇妙な日常(6)
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 幻想郷は日本国内辺境に存在する陸続きの場所であるが、それが外部から知覚される可能性は希薄だ。幻想郷を取り囲んだ博麗大結界が、大いなる防壁として機能していることに起因する。

 博麗大結界とは、すなわち常識と非常識の境界を隔てる結界であり、外の世界で非常識となったものだけが幻想郷の中に流れ込む。恐れられなくなった妖怪、信仰を失った神々、実在を否定された古代の存在など、例を挙げればきりがない。

 またその結界の性質上、一度幻想郷に入り込んだものが外に出られなくなるのも大きな特徴の一つだ。

 幻想郷と外界の両方に存在する博麗神社を除いて、博麗大結界を越える手段はない。幻想郷の果てまで行っても、別の果てから戻ってくるだけだ。

 幻想郷は全てを受け入れる。それはそれは残酷に。一度迷い込めばまず二度と出られなくなる食虫植物じみた結界は、ある意味暴食の蟒蛇(うわばみ)にも似ている。丸呑みにされた哀れな犠牲者は、消化されてしまう前に一刻も早く策を打たなければならない。無理にでも嘔吐(えず)かせ吐き出されるか、または消化されないだけの力を手にするか。

 いずれの方法を使うにせよ、最初が肝心なのだ。

 

「はい、到着ー。私の『忘れ傘亭』へようこそ」

 

 彼女達にとっての「最初」は、小傘に案内された二階建ての建造物だった。周囲の建物と同じく煉瓦造りだが、宿屋らしく建屋の構造は一回り大きい。正面を横切る通りの片隅にはやはり人の輪ができていて、中心ではジャグラーが巧みに数個のボールを操って喝采を浴びていた。

 

「妖怪の宿屋と聞いて何が出てくるかと思ったら、案外まともじゃないか」

 

 ぬえはその外観を見上げると、ため息を吐いた。正面はがっしりとした木造の門構えで、その脇には風任せに舞う雨傘を象った、板金細工の看板がぶら下がっている。傘に落ちる雨の雫など微細な造形にまで拘った細工物だ。

 

「働き口を決めた時に、嘘つきさん達から融通して貰ったもの。元手ゼロよ。皆も嘘つきさんに頼めば、好きなお家を貰えるんじゃないかな」

「そりゃまた随分と大盤振る舞いだね……」

「嘘つきさん達は、この村を拡げたがってるらしいからね。今はむしろ大歓迎なんじゃないかしら」

 

 フランドールは、口を開けて固まったぬえの脇に近づいて耳打ちする。

 

「ねえ、彼女っていつもこんな感じなわけ?」

「少々天然、いやかなり天然だね。だからいつもと大して変わんないけど、それにしたって話があまりにも上手すぎる。家一件をタダで渡すか普通」

「ねえ、何をこそこそ話してるの?」

 

 身を乗り出そうとした小傘にこいしが声をかけた。

 

「あなた以外にも、ここに迷い込んだ妖怪がいるのかしら? その妖怪も棲家を持っているの?」

「いるも、何も」

 

 小傘はやおら傘を閉じると、ドアノブに手をかけ手前に引き寄せた。オレンジ色の光が扉の隙間から染み出し、内部の光景を映し出す。

 乱雑に並んだ丸テーブルと、それを囲む村人達の姿が最初に目に入ってきた。彼らは手にジョッキを持ち、赤ら顔で歓声を上げている。

 そして、その中心では給仕が高らかに歌いながらジョッキが乗ったトレイを運んでいた。

 

「生き血を啜る吸血鬼〜藪蚊と変わらない〜」

 

 歌詞を聞いたフランドールが、その場で足を踏み外して盛大に転倒する。

 その給仕には、背中に鳥の翼が生えていた。

 ぬえはフランドールを助け起こすこともせずに、異形の給仕を指差す。

 

「何、あれ」

「宿の共同経営者だけど? あ、ちなみに一階は、酒場と食堂を兼ねてるから」

 

 鳥人間が配膳から顔を上げる。彼女は開けっ放しのドアに佇む四人の姿に気がついて、声を上げた。

 

「いらっしゃいませ〜。小傘さんと一緒ってことは、宿泊かしら? 台帳に記帳をお願いします」

 

 姿を眺めるぬえの体をフランドールがよじ登ってくる。彼女の真紅の目は、さらに血走っていた。

 

「何あいつ。今、ナチュラルに喧嘩を売られた気がしたわ。吸血鬼舐めてんのか」

「よせ。別にお前は冒涜していないから落ち着け。ああいう歌が好きだと聞いたことがある」

 

 ぬえはフランドールをきちんと立たせると、その場を離れ客の間を縫って、給仕に近づいていった。

 

「あのちょっと、記帳は?」

 

 小傘の呼びかけを無視して、客の合間で棒立ちになった給仕の目の前にまで歩み寄る。

 

「お前、ミスティア・ローレライだろう? ここでいったい、何をやってるんだ?」

 

 ぬえに呼ばれた鳥人間の給仕ことミスティアは、丸い目をしてショートボブの髪の毛から突き出した鳥の羽のような形をした耳をちょこんと傾げる。

 

「見ての通りの看板娘だけど?」

「それは見れば……って自分から看板娘とか言うか普通。聞きたいことはそうじゃなくて、八つ目鰻の屋台とかほっぽり出してていいのかって話さ」

「転職したの。ここでの仕事が楽しくてねぇ」

 

 一分の逡巡すらなく、そう言い切られた。

 

「転職って、お前」

 

 ぬえは顎をしゃくり、ミスティアの上から下まで、ことつぶさに観察した。蘇芳色のウェイトレス姿を。

 

「和服派にもさらっと喧嘩を売ったな、うん」

「何の話? 今取り込み中なの、話が長くなるなら後にしてほしいわ」

 

 踵を返しかけたミスティアを、ぬえが呼び止める。

 

「転職はお前の自由だから、私は好きにしろとしか言えないけどな。幽谷が寂しがってたぞ。いきなり姿を消してどこに行ったんだって」

 

 歩き出しかけた足が止まる。

 

「せめてあいつに一声かけるべきじゃないのか? 何の言伝もなくバンド解散じゃ、幽谷も納得すまい」

 

 ミスティアは棒立ちのまま動かない。周囲の客が振り返り身を乗り出して、二人のやり取りを眺める。ぬえもまた渋い顔で彼女の様子を見守った。

 そこで突然、夜雀が飛び跳ねるかの勢いで背筋を伸ばしながら、自らの手をぽんと打った。

 

「ああ、響子のことね? すっかり忘れてたわ」

「鳥頭か!」

 

 振り返ったミスティアの表情は、あっけらかんとした笑顔である。ぬえはがに股の体勢で硬直した。

 

「まあ私は存分に歌えれば、それで満足だしなー。そうだ、響子もこっちにくればいいのよ。そしたらまた、一緒に歌えるわ。夜空に吠える山彦〜答えはああ返らない〜」

「おいっ!」

 

 ぬえは手を伸ばしたが、もはやミスティアが足を止めることはなかった。半ばスキップしながら店の奥に去っていく。客のただ中にぬえは一人残され、やりどころを失った手を上げたまま脂汗を流した。

 背後から小傘が近づく。あの目口が描かれ、長い舌がついた雨傘を引きずったままで。

 

「お話、終わりました?」

 

 扉の前では、依然こいしとフランドールが待つ。しかしぬえはしばらくの間、客席の真ん中で石像と化しながら立ち尽くしていた。

 

「いったい、なんなんだよ……」

 

 

 §

 

 

 基本的に妖怪という生き物は身勝手で、集団での行動を嫌う。ぬえが居候する命蓮寺にしても多くの下っ端妖怪が住み着いているが、その多くは白蓮の威光に縋ることが目的で、白蓮に近しく付き合いの長い妖怪ですら、彼女の目を盗んでは妖怪の本能に従って悪事を働いたり酒盛りしたりしている。

 

「でも、どうにも納得がいかない」

 

 三人に割り当てられた部屋は「忘れ傘亭」の二階、白塗りの壁で固められたこじんまりとした二人部屋だった。ぬえがソファーで寝ると申し出たところ、あっさりと三人での利用を認められた。

 フランドールはぬえの愚痴を聞きながら、ベッドのマットレスを叩いて手に残る感触を確かめる。

 

「そうかしら? 鳥妖怪の意識なんて、大概あんなものだと思うけれどね」

 

 右手を見つめるフランドールの表情は芳しくない。

 

「三歩歩けば粗方の物事を忘れる連中でも、大事なこたぁ絶対に覚えてるもんさ。地霊殿の地獄鴉が、飼い主の顔は忘れないのと同じにね。普通、妖怪がコンビなりトリオなりを組むってことは、それなりに馬が合うってことだよ。ローレライは歌で人間を狂気に誘い、幽谷は音を反射させる。相性はかなりいい部類に入る筈なんだ。それがあっさりとまあ、忘れましたの一言で済ましやがった。尋常じゃない」

「無意識が操られているような感じがするわ」

 

 こいしの声だった。二人が振り向いた視線の先で、彼女はもう一つのベッドに乗って窓に身を寄せ外の景色を眺めている。

 

「みんながみんな、長い夢を見ているみたい。朝が来ても、また夜が来ても、それからもずっと」

「暗示の類いでも、かけられてるってのか」

 

 こいしはそれに答えず、窓から見える景色を眺め続けた。道化師の技に見入る村人達の狂騒は、村に入った時と変わらず続いている。

 ぬえがその脇から、窓を覗き込んだ。

 

「なんだか、嫌な予感しかしないな。住人達も祭の所為だか知らんけど、気もそぞろだし。村に入った時点で嘘つきとやらの術中だってんなら、早いとこ種明かしをしないと私らも危ないぞ」

「そうね、だけど」

 

 二人の背後からフランドールの声がした。彼女は一度ベッドに体を横たえたが、すぐに不愉快そうに顔をしかめて起き上がる。

 

「妖怪にも悪魔にも、休憩は必要よ。茸の森の中にあんまり長い時間いたから、少し英気を養いたいわ」

 

 ぬえが苦笑いを浮かべた。

 

「それも、そうだ。とりあえず飯でもせびりに」

 

 トン、トン、トン。

 ぬえの言葉に重ねるように、何か硬いものに拳を当てる音が数回聞こえた。音源は扉からだ。

 いち早く音に反応したのは、フランドールだった。ベッドを跳ね除け立ち上がると、玄関を目指す。

 

「誰かしら。さっきの唐傘お化けが呼びにきたの?」

「おいちょっと待て、あんま不用意に」

 

 ぬえの警告よりも早く、ノブに手がかかる。

 

「はい、どちらさ……」

 

 少しドアに隙間ができたところで、フランドールの動きが止まる。当初の予想と遥かに異なる何かが、ドアの向こうに立っているのが見えてしまった。

 相手は無論小傘でもミスティアでもない。立っていたのは一人の男である。先ほどの道化師より数段着ているものはみすぼらしく、薄汚なく、嫌悪感をもよおす泥臭さを発していた。

 

「あ、あんたら、食べ物持ってないか」

 

 そんなしゃがれた声が、無精髭に隠された口から発せられる。フランドールは瞬きして、不潔な男の姿を十数秒ほど眺めた。

 次の動きをもたらしたのは、男とフランドールの間に割り込んだぬえの黒い影である。

 

「無視しろ、お嬢様。こいつはろくな相手じゃない」

 

 フランドールの代わりにドアノブを握ると、問答無用でドアを閉めようとした。そこに、男の両手が押し入ってきて、ぬえの引き手と拮抗する。

 

「た、た、頼む。話を、どうか話を聞いとくれ」

「やかましいよ。物乞いの話なんざいちいち聞いていられる、か。おい、人呼ぶぞ、ちょっと」

 

 こめかみに血管が浮いた。

 妖怪の力でドアを引く。

 男は指が千切れんばかりの勢いで抵抗した。

 さらに、指を引き剥がそうとする。

 男は空いた手ですぐさま別の手がかりを掴んだ。

 きりがない。フランドールは二人の間に挟まれたままぬえを手伝うこともなく、真っ赤な顔でドアをこじ開けようとする男の姿をただ無言で見つめる。

 

「私らは旅行者だ、別んところ当たれよ!」

「あ、あんたらじゃなきゃ駄目なんだ。外の食い物を持ってる人でねえと」

「外?」

 

 ぬえの力が緩んだ間隙を縫って、フランドールが動いた。彼女が掴んだのは、ぬえの手首である。

 

「あなた、わけありみたいね」

 

 一階から聞こえてくる歓声が姦しい。

 何かの螺子が狂ったかの勢いで、男が頻りに頷く。

 

「あら、こんにちは。あなたさっきも会ったわね」

 

 ぬえ達の背後から、こいしが声をかける。視線の先にいるのは他ならぬ、物乞いの男である。

 

「ああそうか、畜生。うっかりしてた」

 

 ぬえが空いた方の手で、頭を掻いた。

 

「とりあえずここは目立つわ。中に入って。こいし、私の荷物の中に携帯食糧とタオルが入ってるから、出してもらえる?」

「はいはい」

 

 こいしが部屋に戻り、続いてフランドールが男の腕を引き招き入れる。ぬえは二人に道を開けると、後ろ手にドアを閉め閂をかけてそれに続いた。

 

「おい、どういうこった。嘘つきに頼んだら、家も仕事も分けて貰えるんだろう? それがどうして、乞食の真似事なんか」

「う、嘘つき」

 

 ぬえの言葉に対する男の反応は素早かった。その場で足を止めると、頭を抱えて震えだす。

 

「い、嫌だ、あいつらとは関わりたくねえ。みんな、みんな殺されちまう」

「殺される……? そりゃ、どういうこと」

 

 フランドールの肘が、ぬえの脇腹に突き刺さった。

 

「馬鹿ねQ太郎。こういう時には落ち着かせる方が先でしょう? 話を聞くのも食事をさせてからよ」

 

 膝をついて腹を抱えながら、ぬえが顔を上げる。

 

「キャラに似合わず、やたらお優しい対応だな……それからQ太郎言うのやめれ……」

「壊れやすいものは丁重に扱うものよ、Q太郎」

 

 部屋の中ではこいしがフランドールのリュックを開けて、キャンプ道具や着替えを無造作にベッドの上へ放り出していた。先ほどフランドールが見せた白い布袋も、ベッドの上を転がってこいしの荷物の近くへと落ちる。

 

「欲しいものはこれかしら?」

 

 荷物の中から乾パンの缶が現れる。その一欠けを男に見せると、彼は勇んでそれに飛びついた。

 

「あ、ありがてえ」

 

 その場にしゃがみ込み犬のようにビスケット状の薄片を貪る様子を、三人は無言で見下ろした。

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