嘘つき村の奇妙な日常(10)
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 有文不文の区別なく、世の中はルールが支配する。

 誰かが明言していなくとも誰もが持って然るべき常識として捉えられる一線、暗黙の了解と呼ばれるものがそれだ。幻想の妖怪少女がここぞの時は必ず弾幕ごっこで決着をつけるように。

 それを住人の全てが理解し遵守するから世の中は順調に回るのだが、問題はルールを理解しない者が稀に存在するということだ。良し悪しに関係なく、ルールの破壊者は時にコミュニティをも破綻させる者へとなりかねない。ごく限られた世界にとっては、あまりにも危険な存在へと。

 

「今、何と言った?」

 

 軽業師の声のトーンが一段階落ちた。彼の注目は疑問を発した一人の少女、こいしに向けられている。

 

「なんで、と聞いたの。なんであなた達の村作りを、私が手伝わなければいけないのかしら?」

 

 ゴウン、ゴウン、と屋敷の仕掛けが遠くで動く音がする。軽業師の額に、白い汗が滲んだ。

 

「そんなこと、決まっている。それが僕らの総意であり、願いだからさ。それに異を唱えようなんて、どうかしてるよ、君」

「そうかしら? 私はいつも通りよ。どうかしてるのは、私以外ってことはないの?」

 

 長く、深く、軽業師が息を吐き出す。もう一度、大きくゴウンと音がした直後、彼は顔を上げた。

 

「そのまま、動くな!」

 

 瞬間、軽業師の手に細身の長剣が現れる。

 名前に違わぬ神足の動作だった。

 彼は大きく踏み込み、こいしに向け剣を突き出す。

 こいしの銀髪が、ぱらりと舞う。

 顔のすぐ横を、剣の切っ先が突き抜けていた。

 

「なぜ避ける。動くなと言った筈だ」

「刺さったら痛いじゃない」

 

 剣の刃先をこいしにむけ、鋸を引くように斬る。

 横っ飛び。頬に赤い線が走った。

 

「なぜだ、どうして惚れ薬が効かない!?」

 

 軽業師が、横目でぬえの様子を確かめる。彼女は命令通りに、不動だった。

 

「さっきの煙が、あなたの言った惚れ薬かしら? 試しに浴びたお陰で、どんなものか理解できたわ」

「た、試しに? 惚れ薬の効き目はそんな生半可な」

「私の今が生半可を証明しちゃってるわ」

 

 くすくすくすくすくすくす

 止めどなく笑い続けるこいしを軽業師が血走った眼差しで見つめる。剣を構えてこそいるが腰は引け、後ずさりし、歯を剥き出して震える様子はさながら飢えた肉食獣を相手にしている時のそれだ。

 

「お前は、何者だ」

「村の人から、今のぬえとよく似た気配を感じたわ。あれも薬の所為なのね」

「質問に答えろ!」

 

 軽業師が語気を荒らげる。しかしこいしが表情を改める様子は、一ミリもない。

 

「飲んだ人から意識を奪い取り、浮ついた無意識を好きに操る。それが『惚れ薬』の正体でしょう? 私には効かない訳だわ。こいしを操れるのは私しかいないもの。薬なんかに奪われるものですか」

 

 それが、一歩前に出る。小さい悲鳴を上げながら、軽業師は二歩後退した。

 

「それで、質問はなんだったかしらね? 私が誰かだったかしら。さっきも名乗ったのに可笑しいわ、あなた。私は古明地こいし――」

 

 スカートの裾をつまみ上げ、滝のように汗を流す軽業師に恭しい礼を返す。

 

「――の、無意識よ」

「ッヒャア!」

 

 悲鳴とも掛け声とも取れる叫び声と共に軽業師が跳んだ。剣が床に落ちて乾いた金属音を上げる。

 

「おいそこの君! もう動いていいよ」

 

 一時停止を解除したビデオのように、ぬえが動く。軽業師は天井の抜け穴から彼女に呼びかけた。

 

「そこの娘を殺すんだ。手段は問わない。その娘と友達なら、戦い方くらいは知ってるよね?」

「あんたは戦わないんだ?」

 

 呑気な声でぬえが返す。

 

「正面切っての喧嘩は、あまり得意じゃないんだ。逃げ足自慢の軽業さ。そういうわけでよろしく頼む」

「まあ、それは構わないんだけど。そこの娘はもう、あんたより早くに逃げ出したみたいでね」

「なっ?」

 

 軽業師が目を離した瞬間、こいしは彼の無意識へ入り込んでいた。通路にはもう、影も形もない。

 

『どうしたんだい? 確保できたんだろう?』

 

 横から奇術師の声がした。通風口に仕掛けられた伝声管へ憎悪に似た視線を向けて、声を荒らげる。

 

「おい何をしている、急いで全館を封鎖するんだ! 一人に惚れ薬が効いていない!」

『はは、何を馬鹿な。そんなことがあるわけ――』

「あったから言ってるんだ! あれは危険すぎる、急いで殺さないと! 僕の警戒心を無駄にするな!」

 

 伝声管からの反応が途絶える。肩で息をしながら軽業師はそれを待った。ゴウンと遠くで館の仕掛けが動くペースは、変わらない。

 

『うーん、よくわからないな? 周囲には君達二人以外の反応がないみたいだ』

「そんな筈がない、もっとちゃんと探してくれ! いやそれより前に封鎖を!」

「そりゃまあ、見つからないだろうね。どうやって探してるのかは知らないけどさ」

 

 通路からぬえの声がする。彼女はあどけない顔で、通風口の軽業師を見上げていた。

 

「どうして君は、そう言い切れる」

「こいしも言ってたじゃないか。あいつは無意識を操り、他人の無意識になれる。こいしの気配なんて、あって無きがごとしなのさ」

「君はその力の破り方を知っているのかい? その知恵を僕達に貸してくれないか」

 

 ぬえは後頭部を掻いた。

 

「破り方、ねえ。まあ付き合い長いから、まったくないってわけでもないけど」

 

 にぃ、とぬえの口が吊り上がった。

 

「大捕物になるよ? あいつの能力は私らの中でも飛び抜けて凶悪だから。外にはもう一人、恐ろしい力をもった仲間もいるしね」

「その点は心配ない」

 

 軽業師が余裕を取り戻し、笑顔を作る。

 

「臆病なクラウンから、さっき連絡が入った。君の言う恐ろしい仲間を連れ帰るそうだ」

 

 

 §

 

 

 一人で逃げ出したこいしの無意識が忠実に従ったものは、薬を浴びる直前のぬえの最後の指示である。すなわち、一度ここから脱出する。

 その判断は、事実彼女個人の判断としても賢明であると言えた。変幻自在の屋敷の内部で孤立無援、しかも知人が嘘つきの言いなりときている。まずは館を一度離れ、体勢を整えてから再度突入しぬえを救出するのが最善であろう。

 彼女は気配を消したまま通路を移動してまだ壁に変化していない扉に着くと、一直線に窓へ向かってそのまま飛び降りた。その背後で窓が溶けるように塞がる。間一髪だった。

 ぬえと同程度の薬剤を吸ったにも関わらず彼女の足取りは確かである。軽業師の言葉通り、惚れ薬は嘘つきの言いなりになる以外の効果を持たないのか。

 ともあれこいしはそのまま館を離れると、農園の上空を飛んで集落に向かった。真昼の麦畑はすでに作業が終わったのか人気がなく、青々と実った穂が風に揺れている。眼下にそれらの景色を見送ると、煉瓦造りの家屋群が見えてきた。

 街路に降りたところで、はたと立ち止まる。似た作りの家屋が延々と続く街路の真ん中で、こいしは自分が歩く方向を探した。行きは目印があったが、ここで忘れ傘亭の看板を見つけるのは難しい。

 その代わりに彼女が目をつけたのが、一様に同じ方向へと歩いて行く村人達の流れである。無意識のなせる技か何かの直感が働いたか、こいしは気配を消したまま流れに続いて歩き出した。

 

「また首吊りだ」「物騒な」「三日ぶりか」

 

 首吊り、という単語がこいしの耳に入ってくる。不穏な単語を口にしている割には、村人達の表情はさばさばとしており焦燥感がない。

 煉瓦の森を抜けると、大ホールほどの広場に大きな人だかりができている様子が見えてきた。広場の中心にあるものを取り囲んでいるように見える。

 こいしは集団の片隅にいた村人の肩へと無造作に手を置くと、半ば上によじ登って注目の焦点を見た。

 

 

 村人の話通りのものが、街灯にぶら下がっている。

 

 

 風船のように膨れ上がって動かない首吊りの顔を確認して、こいしは瞬きする。鬱血で赤黒くなって分かり辛いが、それは紛れもなく昨日部屋に匿った男の顔に間違いがなかった。

 記憶を高速で検索する。

 曰く、彼の仲間は自分で首を吊った。

 前日の打ち合わせで、彼の身柄はフランドールが守ることになっていた。

 その彼が、目の前で首を吊っている。

 しかも特筆するべきはその表情だ。目も口も吊り上がり、まるで笑っているように見えた。

 こいしはそれらの視覚情報を無表情で咀嚼すると、路上に飛び降りて背後から村人に尋ねる。

 

「ねえ。忘れ傘亭はどっちかしら」

「あん? それなら向こうの通りをまっすぐだな」

「そう。ありがとう」

 

 短いやり取りを終えるや否や、彼女は走り出した。こいしに道を教えた村人はといえば、しばらくの間首吊りの現場を見物してから、ふと背後を振り返る。彼の知り合いらしき男が、その様子を認めた。

 

「よう兄弟、どうした?」

「今しがた、誰かと話してたよな気がしたんだが。どうにも思い出せなくてよ」

「なんだそりゃ。ボケ始めたかよ」

 

 

 §

 

 

 広場に村人達が集まっている影響か、忘れ傘亭の周囲は静まり返っていた。

 小さく扉を開け、内部の様子を確かめる。小傘もミスティアも姿が見当たらない。こいしは宿の中に滑り込むと、脇にある二階への階段を駆け上った。吹き抜けのバルコニーを通り抜け、客室に向かう。

 ノブに手をかけると、何の抵抗もなく扉が開いた。内部は……なぜか引越しの後のように、家具がない。その中心に、ゆらりと佇む赤いツーピースの影。

 こいしはその背中に声をかけようとしたところで、動きを止める。その後ろ姿を、よく観察した。

 肩まである金髪に特徴的なサイドテールがなく、なぜか余分なリボンが一本巻かれている。

 そして、何よりも。フランドールを印象付ける、枯れ枝のような翼が背中にない。

 

「あなた、誰?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、フランドールの服を着たそれが、反転した。

 

 ――月符「ムーンライトレイ」

 

 咄嗟に伏せたこいしの頭上を、光芒が通過する。

 背後の壁にそれが命中し、白い煙を上げた。

 

「大人しく当たってくれれば、よかったのに」

「フランの服着て何やってるの、あなた」

 

 顔を上げて、赤いツーピースのルーミアを視界に捉える。彼女は牙を剥くと同時に、漆黒の闇を周囲へ張り巡らせた。

 

「姿を現してくれて有り難うね。お陰で、罠を動かす余裕ができたわ」

「罠?」

 

 奇妙な風の音が、外から聞こえてきた。

 

 ――驚雨「ゲリラ台風」

 

 窓の外に、視界を塞ぐほどの暴風雨が吹き荒れる。こいしはまじまじとそれを眺めた。

 

「……あの唐傘お化けのスペルカードよね。あなた達、そんなに仲がよかった?」

「別によくはないわね。でも、嘘つきの指示だし」

「なるほど」

 

 短く納得したこいしの周囲を、闇が包み込む。

 

「フランをどこにやったのかしら?」

「大人しく撃墜されてくれたら、教えてあげるわ。まあこちらとしては、大人しく食べられてくれても一向に構わないんだけど!」

 

 闇の中を、熱線の熱だけが通り過ぎる。二人分の足音が部屋を蹂躙して、弾丸とレーザーの射出音がそこに混ざり込んだ。

 

「どうかしら? そろそろ被弾してくれたかしら? 宵闇の中では加減が効かないのが困りものでね」

「そう、あなたにも見えてないのね」

 

 喧騒が止まる。

 雨風が壁を叩く音が、はっきりと聞こえた。

 闇の中ではこいしの腕ががっちりルーミアの首を抱え込んでいる。歯噛みしてそれに爪を立てたが、ホールドは強烈だった。

 

「……なんで、あなたには私の位置が分かるの」

「見えてないからよ」

 

 ごぎり、と固いものを圧し壊す音が部屋に響いた。

 

 

 §

 

 

 ぬえとこいしが戻ってきたら、フランドールの時と同様に連携して惚れ薬を服用させること。それがクラウンの小傘達へ課した指示である。

 小傘は、妖怪としては三流の自認がある。ただ、必死な勉強の甲斐あって妖怪の知識は豊富だった。

 忘れ傘亭の屋根の上、小傘は闇雲に雨傘を振り回していた。足元ではルーミアとこいしの争う音が、断続的に響いている。

 

「制限時間内に、どうにか仕留めて頂戴よ? 気配を消してもこの風雨、簡単には」

「逃げられないと、思ったわけね?」

 

 背後からの声に、振り向く暇はなかった。瞬時に首根っこを掴まれ、爪先が屋根瓦から離脱する。

 動けない。

 

「あ、あなた、どうして」

「どうして、屋根に潜んでいるのがわかったのか。あなたは酷い誤解をしているわ。私の力が、単純に気配を消すだけの能力だと思っていない?」

 

 首筋に、こいしの指がみるみる食い込んでいく。その感触に小傘は血の気が引いた。

 

「さておき、下の子は動かなくなったからあなたに聞きたいんだけど。フランをどこへやったの?」

説明
不定期更新です/ある程度書き進んでて、かつ余裕のある時だけ更新します/途中でばっさり終わる可能性もあります/(これまでのあらすじ:フランドールを襲撃したのはミスティアを始めとした嘘つきに与する妖怪達であった。「惚れ薬」を投与された者は人間だろうと妖怪だろうと嘘つきの言いなりになってしまう。一方嘘つきの館に潜入したぬえとこいしも、不可解な変形を続ける館の罠にかかり、やはり惚れ薬を浴びてしまう。このまま三人とも嘘つきの走狗となってしまうのかと思われたが……?)/最初: http://www.tinami.com/view/500352 次: http://www.tinami.com/view/519836 前: http://www.tinami.com/view/517504
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