外伝:槍の主、初めての友達
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 天に届かんばかりにそびえたつ摩天楼群から離れた位置にある森の近くに、一つの研究所があった。

 中は様々な部門に分かれており、幅広い分野の研究が出来るようになっている。

 しかしその実験室に人影は無く、代わりに沢山のロボットが実験を行っていた。

 そのほぼ機械化された研究所はある一人の天才のために与えられた、専用の研究施設だった。

 

「ふぅ……こんなものかしらね」

 

 その天才と言われる銀色の髪の女性、八意 永琳は一人研究を続ける。

 彼女がいる最新設備がそろった研究所では、工学、医学、薬学、理学、生物学、そして妖怪に関する研究など、幅広い研究がおこなわれている。

 そのすべてに精通する永琳の提出する論文は、全てがその最先端を行っていた。

 彼女は常識を打ち破る発想、人並みはずれた理論の組み立て能力、そしてそれを証明する能力など、科学者に必要なものを全て携えていたのだ。

 よって討論をしようにもそれについて行けるものが居らず、他の科学者が何を言っても彼女にとっては既に既知の話になってしまっていた。

 それならばその思考を邪魔することがないようにと、永琳以外は入ることが出来ない研究所が与えられることになったのだ。

 

 故に、常に一人だった。

 しかし、永琳はそれを特に気にすることは無い。

 何故なら、彼女は常に一人だったからだ。

 

 永琳は幼いころから才気を発し、周囲から注目を浴びてきた。

 その凄まじいまでの才能から、永琳は英才教育を受け続けることになった。

 永琳は驚くほど短期間でものを学び理解し、全てを理解すると講師を変え、その知識を深いものにしていった。

 そして気が付けば、周囲から天才と呼ばれ、尊敬を集めていた。

 しかし、そんな人生を送っていたため、永琳は友人との語らいや、人並みの恋などを経験することは無かった。

 更に言えば、永琳はそんなことを気にすることもなかった。その存在そのものを知らなければ、気にしようもないのだ。

 それ故に、永琳は自分が一人でいることに何の疑問も抱かなかった。

 

 そんな彼女に、ある日転機が訪れた。

 永琳はその日、自室でモニターに向かい研究レポートをまとめていた。内容は妖怪の生態学に関する最新レポートであった。

 すると、突如モニターに異常を知らせるシグナルが点った。研究所内のセキュリティシステムが永琳以外の生体反応を感知したのだ。

 そのシグナルは妖怪のものであった。そしてそれは、研究所の敷地の隅にある倉庫エリアから出ていた。

 

「嘘……何でこんなところに……!」

 

 永琳はとっさの判断でその倉庫に向かうことにした。

 妖怪の中には、優れた知能や凄まじい身体能力を持つ者もいる。それが倉庫の中の道具を使って大暴れする可能性があり、早急に手を打たねば何を仕出かすか分かったものではない。

 ならば、警備隊に通報するよりも先に自ら抑えに行く方が良い。

 そう判断した永琳は、武器を隠し持って急いで倉庫に向かうことにした。

 

 倉庫エリアに着き、永琳は漂っている妖力を辿って場所を特定する。

 その結果、首をかしげることになった。

 その倉庫はこのエリアの中でも特に古びた倉庫で、この研究所が出来る前からあったものだった。そしてその一度も開けられたことのない倉庫の鍵は、しっかりと掛ったままだったのだ。

 しばらくして、壁を通り抜けられる妖怪の可能性を考えることで納得した永琳は、急いで倉庫の鍵をあけることにした。

 倉庫の扉をあけると、中のほこりが舞い、光が差し込む。

 中は古い武器庫のようであり、既に時代遅れとなっていた武具が並べられていた。

 

 そして、そこには一人の青年が立っていた。

 

 青年は眩しさから眼を手で覆っていて、その反対の手には銀色の槍が握られていた。

 永琳は、彼を見て内心驚いた。何故なら、妖力の流れが青年からではなく、手にした槍から流れているからだ。

 それを見て、永琳はこの倉庫に置いてあった槍が長い年月を経て、今この時に妖怪になったと結論付けた。

 その結論と妖怪が新たに誕生した珍しい場面に出会えたという事実に、思わず永琳は笑みを浮かべて言葉を発していた。

 

「力を感じて来てみれば……妙な存在も居たものね」

 

 永琳がそう言うと、目の前の妖怪は手にした槍を彼女に向けた。

 その黒耀石の様な瞳には、強い警戒心が生まれていた。

 

「あら、私と戦うつもりかしら?」

 

 永琳はそれに対して敢えて笑顔で挑発した。

 もしこの妖怪の糧が恐怖であるのならば、それを容易に見せるのは危険であるからだ。

 更に言えば、生まれてすぐの妖怪ならば自分でも倒せると踏んでの判断だった。

 

「……それは貴様次第……ッ!?」

 

 妖怪は何か言おうとしたが、突然言葉を詰まらせた。

 良く見てみると、その眼は焦点が合っておらず、どこか遠くを見ているような眼をしていた。

 永琳は少し警戒しながら事の次第を見届けることにした。

 しばらくすると、妖怪は槍を収めた。

 

「……いや、女子供に向ける刃は無い。失礼した」

 

 殺気を引っ込めて、申し訳なさそうに頭を下げる妖怪。

 それを見て、永琳はその意外な行動に笑みを深めた。

 

「そう……気配は妖怪だったから襲われるかと思ったけれど、意外と紳士的なのね、あなた」

 

 永琳がそう言うと、妖怪は無言で視線を切った。興味がない、と言うよりは紳士的だと言われてくすぐったかったのだろう。

 おまけに、視線を切るという動作から目の前の妖怪の敵意が無くなっていることも感じ取ることができる。

 永琳は、そんな妖怪に興味を持った。

 

「訊いても良いかしら? あなたは何者?」

「……分からない。気が付けばここにいたからな……分かることと言えば俺は多分この槍だったのだろうと言うことぐらいだ」

 

 永琳の問いに、妖怪はしばらく眼を瞑って考えた後で首をゆっくりと横に振った。

 永琳はジッと将志を観察していたが、嘘をついているようなそぶりは見られない。

 

「つまり、自分がその槍だったということしかわからないのかしら?」

「……ああ」

 

 永琳はその妖怪の眼をじっと見つめながら妖怪に質問を重ねた。

 妖怪の声色に嘘は見受けられず眼の動きも落ち着いているため、永琳は彼の言い分が本当であり、彼は生まれたばかりであると確信した。

 それから永琳は少し考えて、目の前の銀髪の妖怪の肩に手を置く。

 妖怪がそれを受け入れたことから、永琳はこの妖怪の敵意が完全になくなっていることを確信した。

 そこで、永琳の中である一つの面白い考えが浮かんだ。

 

 この妖怪を自分の手で育ててみよう。

 

 それは今まで事例の無いものであり、新しいものを追い求める科学者として興味深いものであった。そしてその被検体となるものが目の前にいるのだ。

 彼女がそう思うのは、ごく自然な流れであった。

 

「それなら、私がわかる範囲で教えてあげるわ。あなたみたいな存在は始めてみるけど、大体のことなら想像は付くしね」

「……良いのか?」

「もちろん。私の名前は八意 永琳。あなたの名前は……って分からないわよね。困ったわ、なんて呼べばいいのかしら?」

 

 永琳がそう訊ねると、妖怪は少し困ったように額に手を当てた。

 すると、妖怪の眼の焦点がまた急に合わなくなり、宙をさまよいだした。

 そしてしばらくすると、妖怪はゆっくりと口を開いた。

 

「……槍ヶ岳 将志。そう名乗ることにしよう」

「どうしてそんな名前が出てきたかは知らないけれど、良い名前ね。槍ヶ岳 将志、ね。それなら将志と呼ばせてもらうわ」

「……ああ、宜しく頼む」

 

 これが、一人の天才と銀の槍妖怪の出会いであった。

 その後、この槍妖怪が自分を主と呼び出したり、身体テストが異常な結果だったり色々あって、永琳はそのたびに驚くことになる。

 

 

 

 その日の夜。

 永琳は自室に戻り、日誌をつけるべく端末の前に座った。

 モニターには研究室で行われた実験のデータが次々と映し出されており、永琳はそのデータをレポートにまとめる。

 全てのデータがまとめ終わって端末の電源を落とそうとした時、ふと永琳の動きが止まった。

 

「……そうだ」

 

 永琳はそう呟くと、端末を操作してモニターに新しいファイルを作成した。

 そのファイルには、『妖怪観察日誌』と題をつけ、早速記録をつけるためにそれを開いた。

 

 

 ○○/○/○

 倉庫エリア16番倉庫にて生体反応を感知、生後間もない妖怪を保護した。

 外見は身長175cm、体重65kg、銀髪黒眼の十代後半から二十代前半くらいの人間の男性型で、小豆色の胴着と紺色の袴を着用していた。

 個体は『槍ヶ岳 将志』と名乗り、著者のことを主と認める様になったことから、刷り込みが発生したと考えられる。

 身体能力は異常なほど発達しているが、耐久力のみ人間以下であった。

 能力は発現しており、『あらゆるものを貫く程度の能力』であるらしいことが判明した。

 妖力に関しては生まれて間もないが、既に中級妖怪以上の力を見せている。

 これに関しては、本体である槍が既に長い年月を経ておりかつ、持ち主の残留思念が強かったためと考察されるが詳細は不明である。

 知性は言語を操りこちらの言うことも理解をしているところから、少なくとも人間と同等程度の知性を有すると考察される。

 しかしながら、以上の知見はまだ確実と呼べるものではなく、これから検証していく必要がある。

 よって、本日より人間が妖怪を育てた事例のサンプルとして、『槍ヶ岳 将志』に関して観察日誌をつけるものとする。

 

 

「……こんなところかしらね」

 

 永琳はその記録を保存すると、今度こそ端末の電源を落とした。

 その横にあるモニターを確認すると、将志はベッドの上で槍を抱えたまま座り込んで眠っていた。

 

「ふふっ、まるで戦争中の武者みたいね」

 

 将志の寝姿に、永琳は思わず笑みを浮かべた。

 永琳はモニターを消し、部屋の電灯を消してベッドに横になった。

 

 

 

 翌日の朝、永琳が学会のために朝早く起きてモニターを確認すると、観察対象はそこに居なかった。

 永琳は少し考えて脱走の線は消し、研究所内を探すことにした。

 しばらく探していると、中庭からかすかに何かが風を切るような音が聞こえてきた。

 永琳はそこに向かうことにした。

 

「……ふっ」

 

 そこでは、将志が槍をふるっていた。

 彼の槍は月明かりに照らされて、幻想的に冷たく輝いていた。

 それが、将志の手によって縦横無尽に動き回り、夜明け前の青い空に銀の線を残していく。

 担い手である銀の髪の青年は洗練された動きで槍を振るっていく。

 その動きはまるで踊っているかのような、神秘的で華麗なものだった。

 

「…………」

 

 気が付けば、永琳は我を忘れてそれに見入っていた。

 永琳にはその動きがどこか物悲しく、それでいて強い意志が込められているように見えた。

 しばらくして、将志が気付いて寄ってくるまで永琳はそれを見続けていた。

 永琳は何故槍を振るうのか、と将志に尋ねた。

 

「……そうだな……何故かそうしなければならない様な、そんな気分がした。何と言うか、体が槍を求めている、そんな感じだ」

 

 すると、将志は手にした槍を見つめながらそう答えた。

 永琳はその視線の先を追った。

 銀の槍は何も語らず、月明かりを受けて輝いている。しかし、永琳はその槍から言葉に出来ない様な強い意志を感じ取った。

 それは、『主の命がある限り、主を守り通す』という、悔恨を孕んだ強い意志だった。

 その温かい意志を受け、永琳は将志に笑いかけた。

 

「そうだ、せっかくだからもう少しあなたの槍捌きを見せてもらえないかしら? あなたの槍、月明かりで光ってとても綺麗に映るのよ」

 

 永琳は観察のためではなく、純粋に将志が槍を振るう姿が見たいと思った。

 将志はそれに応え、再び槍を振るい始める。

 そして演武は日が昇り始めるまで続き、永琳は学会に遅刻しかけて送ってもらう羽目になるのだった。

 

 

 

 学会から帰ってきた永琳は、研究室内に漂う醤油の焼ける匂いに気付き、首をかしげた。

 台所に行ってみると、将志が真剣な表情で眼の前で焼かれている豚肉を見つめていた。

 何をしているのか聞いてみれば、

 

「……今朝方、主は朝食を摂ることが出来なかった。だが今日俺が送っていった時、時間は十分残っていた。と言うことは食事の準備を俺がしていれば主はわずかでも朝食を摂れたはずだ。ならば俺が食事を用意することが出来れば、忙しい主の手伝いになると思ったのだが……」

 

 という答えが返ってきた。

 永琳はまさかそんなことを考えているとは思わず、唖然とした表情を浮かべた。

 ふとその横を見てみると、大量のキャベツの芯や、豚肉のパック等が置いてあった。その様子から、将志が何度も何度も作り直しをしたことが垣間見えた。

 自分のために一生懸命頑張った将志の様子が微笑ましくて、永琳は思わず笑顔を浮かべた。

 

「ふふふ、ありがとう。それじゃあお願いしても良いかしら?」

「……任された。今はまだ献立も少ないが、その辺りは勉強させてもらおう」

 

 永琳がそう言うと、将志は嬉しそうにそう言って台所に入っていった。

 その姿を永琳はじっと見つめる。普段の彼女にとって料理は栄養摂取の手段でしかなく、材料を入れれば勝手に調理される機械によって作られたものを食べることが日常であった。

 このように自分のために誰かが料理をしている光景は、彼女にとってとても新鮮なものだったのだ。

 その後、永琳が将志の体に犬の耳と尻尾が生えているのを想像して笑いそうになったり、将志が料理に槍を使っていたことに呆然としたり色々なことがあった。

 

 

 その夜、永琳は端末の電源をつけると一番にペン型のデバイスを手に取った。

 その理由は、将志にあげる妖力を抑える道具のデザインの決定のためであった。

 将志には、もう漏れ出す妖力を抑えるための道具を作ってあると言ってある。

 しかし、実際はそう言わないと将志は遠慮して作らなくて良いと言いかねないため、そう言ったのだった。

 つまり、永琳は一晩で妖力を抑えるための道具を作らなければいけなくなったのだ。

 

「どんなデザインにしようかしら……」

 

 永琳はペンを握って考える。

 実際、妖力を抑える道具を作ること自体は永琳の手に掛れば楽な物である。

 本人のイメージから、材質はもう銀と黒曜石と決めてある。

 問題はどんなデザインにするかであった。

 常に身に付けられるようなアクセサリーの形をとることは既に確定。

 料理を作ると言う点から指輪やブレスレットは不可。服装からベルトやタイは却下。ピアスは本人のイメージにどうしても合わせられなかったため、不採用。

 結果的に、道具はペンダントの形を取ることになった。

 次はペンダントの形とした際のデザインである。

 黒曜石が中心になるのは既に確定済み。後はそれに銀をどの様に組み合わせるのかが問題であった。

 永琳は、材料となる黒曜石を見つめた。その透き通った黒い色は、強い意志を秘めた槍妖怪の瞳の色に良く似ていた。

 

「……そうね」

 

 永琳はおもむろにペンを走らせ始めた。

 思いついたのはゆがみない真球に削りだした黒曜石を、銀の蔦で覆うようなデザイン。

 そのデザインは、永琳の将志に対するイメージから考えられたものだった。

 もし私が本当に危険な目に遭ったら、将志は本気で自分の全てを捨ててでも自分のことを守りかねない。

 そうなったときに、誰かが彼を守ってくれるように。感情の乏しい将志を笑顔にしてくれるように。

 永琳は出会って間もない妖怪の本質を見抜き、真っすぐな心の将志を真球の黒曜石に見立て、それを支える生命として銀の蔦で覆うデザインにしたのだ。

 

「……これで良いわね。それじゃあ、作るとしましょう」

 

 永琳は出来たデザインを加工する機械に送信し、作業を開始させる。

 それから手早くデータをまとめると、その日の日誌をつけることにした。

 

 

 

 ○○/○/X

 

 槍の残留思念は強いらしく、本能的に槍を振ることを求めているようであった。

 その腕前は素人目に見ても見事なものであり、前の持ち主の技術が受け継がれたものと考察する。

 また、料理の勉強を始め、その探求に意欲を見せたところから、やはり人間並み以上の知性は有しているものと考えられる。

 本妖怪の性格は妥協を許さない性格であると同時に、心を許した者にはかなり尽くす性格の様である。

 なお、経験が浅いためか包丁代わりに槍を使うなどの奇行も見られたため、まだ成長過程にあるとも考えられた。

 

 

 

 「……これで良いわね」

 

 永琳はそう言うとモニターで将志が寝ていることを確認した。

 将志は昨日と同じように、槍を抱えて座ったまま眠っていた。

 

 きっと彼は私に何かあったとき、すぐ動けるようにするためにそうしているのだろう。

 

 そう考えると、永琳の頬は自然に緩んでいた。

 彼女はしばらく将志の寝顔を眺めた後、眠りについた。

 

 

 

 それからしばらくの間、二人きりの生活が続いた。

 永琳は観察の一環として会話を重ね、話すごとに将志のことを理解していく。

 将志は主のために日々努力を重ねていく。少しでも主を喜ばせようと、永琳の実験に負けないほど料理の研究を重ね、有事の際に主を守れるように鍛錬を忘れない。

 そんなひたむきに自分のためにと尽くしてくれる将志に、永琳は段々と心を許していく。永琳にはここまで近くで尽くしてくれる存在と接するのは初めてであり、その存在が輝いて見えたのだ。

 そして気が付けば、永琳は観察するために将志と関わるのではなく、将志と関わるために観察をするようになっていた。

 悲しいことに近くに親しい友人など居なかった永琳はどう接すればいいのか分からないため、将志に話しかけるのに理由が必要だったのだ。

 ……もっとも、当の将志はそんなことこれっぽっちも気にしちゃいないのだが。

 

 

 そして二年が経ったある日のこと、火種は放り込まれたのだった。

 永琳がいつものように将志が槍を振るうのを見に行くと、将志が話しかけてきた。

 

「……おはよう、主」

「おはよう、将志。今日も朝から元気ね」

 

 永琳は将志に挨拶を返すと、将志の表情がいつもより心なしか柔らかい様な気がした。

 それが気になって、永琳は将志に問いかけた。

 

「あら、そう言えばいつもより表情が柔らかいわね。どうかしたのかしら?」

「……いや……少し良いことがあっただけだ」

 

 その発言に対して、将志は微笑を浮かべて答えを返した。

 本当に良いことがあったようで、永琳も笑みを浮かべる。

 

「それは良かったわね。良かったら何があったか聞かせてもらえるかしら?」

「……ああ。実は、妖怪に知り合いが出来たのだ」

「……え?」

 

 永琳は将志の言葉を聞いて凍りついた。

 

「……それで、その妖怪に妖力の使い方を教わることになったのだ」

 

 少し楽しそうに将志は永琳に報告する。しかし、永琳は呆然としたままその言葉を聞いていなかった。

 将志は元々妖怪である。その将志が妖怪と関わると言うことは、今は人間側についている将志が妖怪側に移ってしまう可能性が考えられたのだ。

 もちろん、将志の性格を考えればその可能性は限りなく低いと言える。しかし、妖怪の人間に対する評価を聞いて失望し、離れていってしまう可能性がない訳では無かった。

 その可能性に、永琳は強い危機感を覚えた。

 

「……将志、その妖怪はどんな妖怪なのかしら?」

「……良くは分からんが、誰かを笑顔にする妖怪と言っていたな」

 

 永琳は俯き、低い声で将志にそう尋ねる。その手は握り締められており、焦燥を堪えているようであった。

 その言葉に将志が表情を変えずに答えると、永琳は俯いたまま将志に言葉を発した。

 

「悪いけど、私はそれを信じる訳にはいかないわ。その妖怪があなたを騙している可能性は考えなかったのかしら?」

「……そうだとしても、俺はあの妖怪に会う事で得られるものがあると思っている。それに、あいつを主に合わせるつもりは毛頭ない」

「駄目よ、相手が幻惑するタイプの能力を持っていたら、あなたどうするの?」

「……ならば主、それを防ぐことのできるものを作ってくれないか?」

「今はその材料が無いわ。だから無理よ」

「……それならば俺の方で材料を発注しておこう。材料を言ってくれ」

「……発注はこっちでするから良いわ」

 

 いつもと違い、頑なにその妖怪の知り合いに会うと言ってきかない将志。

 そんな彼に永琳はいらだちを募らせていく。手は爪が白くなるほどに握り締められ、肩が震えだし、声に感情が表れてくる。

 もはや今の彼女には自分の感情を隠し通すことが出来そうになかった。

 すると将志は永琳の様子の変化に気付き、問いかける。

 

「……主? どうかしたのか?」

「何でもないわよ」

 

 永琳は将志に背を向け早足で歩いていき、将志はその後を追う。

 将志が追いつきそうになると、永琳は更に歩く速度を挙げた。

 

「……何でもないことは無かろう」

「あるわよ!」

 

 将志の言葉に、永琳は叫ぶようにそう答えた。

 すると、将志は素早く永琳の前に回りこんだ。

 

「……では、何故泣いている?」

「……っ!」

 

 永琳は自分の顔を手で覆った。将志の言うとおり、永琳の眼からは涙があふれ出していたのだ。

 それを指摘された永琳は立ち止り、その場で肩を震わせる。

 将志はそんな永琳の前に立ち、深々と頭を下げた。

 

「……主、俺が何か不義を働いたと言うのならば謝ろう。だが、俺は何としても主のために強くなりたいのだ。ここで妖力が使えなかったから主を守れないなどと言うことになる、こうなったら、俺は死んでも死にきれん! 主、対価なら何でも払おう、だからこれだけは許してくれ!」

 

 永琳は将志の言葉を聞いて、こぼれる涙を手で拭った。

 

「……私の、ため?」

「……当たり前だ。主が何を考えているかなど、俺には分からん。だが、俺が主から離れていくことはあり得ん。俺はこの槍に誓って、主への忠を尽くすつもりだ」

 

 将志の言葉は優しく、それでいて並々ならぬ決意がこもっていた。

 永琳は深呼吸をして将志の顔に目を向けた。将志の眼は愚直なほどにまっすぐで、どこまでも誠実であった。

 その瞳を見て、永琳はそっと将志の肩に手を置いた。

 

「そう……なら、少し私の話を聞いて行きなさい」

 

 将志はその言葉に姿勢を正した。

 永琳は軽く息をつくと、ゆっくりと話を始めた。

 

「私はね、幼いころから天才と言われてずっと大事にされてきたわ。自分が何かをするたびに周りはそれを褒めてくれて、私は幼心にそれが嬉しくて褒められたい一心で勉強を始めたわ」

「……主らしいな。それで?」

「それはもう色々なことを勉強したわ。学問と言う学問は網羅した。それでも飽き足らず、研究者になって更に勉強しようとしたわ。研究者になれば新しいことを発見できるし、学者同士の意見の交換は一番の勉強になる……少なくとも、私はそう思っていたわ」

 

 ここまで話すと、永琳は若干声のトーンを落とした。

 将志は眼を閉じ、次の言葉を促すことにした。

 

「……と言うことは、違ったのだな」

「ええ……結果的にはそうなるわ。実験をしても自分の理論通りの結果しか出ない。意見交換をしても誰も私の話について来れない。周りの評価も変わったわ。もてはやすのは変わらないけど、『私なら出しても当然』っていう感じになったわ」

「……それは、つらいことだったのか?」

「少し退屈ではあったわね。でも、全ては私の掌の中って言う優越感があったし、叩かれているわけでもなかったから辛くはなかったわ」

 

 永琳は何でもないことのようにそう言う。

 しかしその眼はまるで当時の自分を憂いているようであり、嘲笑を浮かべていた。

 それに対して、将志は首をかしげた。

 

「……では、問題は無かったのではないか?」

「……○○年○月○日。全てが変わったのはこの日よ。将志、この日が何なのか分かるでしょう?」

 

 永琳は眼を閉じ、その意味をかみしめる様にとある日付を口にした。

 将志はその日付を聞いて、あごに手を当てて考える。そして、ふと気が付いたように顔を挙げた。

 

「……俺が、ここに来た日……」

「そうよ。最初に話した通り、私があなたを拾ったのは単純な好奇心からだったわ。単純に学術的な意味で妖怪を人が育てたらどうなるのかを調べる。それだけの筈だった。でもね、そうはならなかったのよ。あなたは私のことを主と認めて、尽くすようになった。いつでも私のそばに居て、どんな些細なことでも話を聞いてくれて、私のために精一杯努力してくれた。そして、私はある日気が付いた」

「…………」

 

 将志は永琳の言葉を無言で聞き続ける。

 将志の眼は、しっかりと永琳の眼を見据えていた。

 

「私はあなたがくれたその温かさを、今まで褒めてくれた誰からももらっていなかったのよ。親の愛情を受ける間もなく勉強をして、講師と親しくなる間もなく次の講師に代わり、研究者は肩を並べる前に抜き去っていた。褒めてくれた人たちも、私の才能や知識しか見ていなかった。思えば私はずっと一人だったわ……」

 

 不意に永琳は将志に微笑んだ。

 その笑みは、優しく温かく、どこか儚い笑みだった。

 

「だから、それに気が付いた時はあなたに心の底から感謝したわ。あなたが居なければ、私はあんなに温かい気持ちを一生知らなかったかもしれない。私には、友達と言える人も居なかった、しね……」

 

 言葉を紡ぎながら、永琳の笑顔はどんどん崩れていく。

 言い終わるころには俯いて、肩が震えはじめていた。

 

「……だから、私はあなたを絶対に失いたくない! あなたをその妖怪に取られたくないのよ! 将志、お願いだから私を置いて行かないで!!」

 

 永琳は自分の感情の全てを将志にぶつけて、将志に飛び付いて泣き始めた。

 泣き叫ぶような永琳の言葉を聞いて、将志は溜め息をついた。

 

「……主、失礼する」

「え?」

 

 将志はそう言って腰に抱きついた永琳をそっとはがして、両肩に手を置いて永琳の眼を覗き込んだ。

 永琳は呆然とした様子でそれを受け入れる。

 そして、将志はそっと永琳を引き寄せて――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……てい」

「あいた!?」

 

 永琳の頭にからてチョップを喰らわせた。

 永琳は訳が分からず、頭を抱えてその場に屈みこんだ。

 そんな永琳に対して、将志は小さくため息をついた。

 

「……すまん、あまりに遺憾だったのでこのようなことをさせてもらった。主に忠を誓った俺が、どうして主を置いて立ち去ると言うのだ? もう少し信頼してくれても良いと思うのだが?」

「……はい……」

「……挙句、その胸の内を隠して俺に突っかかって八つ当たりをするとは……正直悲しいものがあるのだがな?」

「はい……はい……」

 

 ふてくされたような態度で淡々と文句を言う将志に、永琳は頭を抱えたまま返事をすることしか出来なかった。

 ふと、しゃがみこんでいる永琳の顔を将志は覗きこんだ。

 

「……主、俺はその必要がない限り、決して主を置いていくようなことはしない。それに友人が居ないと言っていたが、俺が友人では駄目なのか?」

 

 その一言に、永琳はキョトンとした表情を浮かべる。

 

「ま、将志? 私はあなたを研究対象にしていたのよ?」

「……主は友人と言う言葉に少し固くなりすぎてはいないか? 元の扱いなどどうでもよかろう。友人とはもっと気軽な物だと思ったのだが……」

「で、でも、あなた私のことは主って……そ、それに人間が友達で良いのかしら?」

「……友人に身分も種族も関係ないと聞いたが?」

 

 将志の言葉に、永琳は動揺を隠せなかった。友達がどう言ったものかが全く分からない上、将志とは今までの立場があったために余計に混乱しているのだ。

 そんな永琳に、将志は諭すように言葉を並べる。

 

「……え、ええと……良いのかしら?」

 

 永琳はしどろもどろになりながら、将志にそう尋ねた。

 おっかなびっくりの永琳の言葉に、将志は再び小さくため息をついた。

 

「……そもそも、良くなければ普通このようなことは言わんと思うが……それとも、俺と友人になるのは許容できないのか?」

「い、いいえ、そんなことは無いわよ!?」

 

 それに対して、永琳は大慌てで将志の言葉を否定した。

 それを聞いて、ようやく将志は微笑を浮かべた。

 

「……なら、これで俺と主は友人だな。今後とも宜しく、主」

「え、ええ、宜しく」

 

 そう言いながら二人はがっしりと握手をした。

 その時、ふと思い出したように永琳が将志に声をかけた。

 

「そう言えば、少し良いかしら?」

「……む? どうした、主?」

「それよ。せっかく友達になったのに、何で未だに『主』って呼ぶのかしら」

「……これは俺のけじめだ。俺は二君には仕えん、故に主と呼ぶのは主だけだ」

 

 永琳の問いかけに、将志が力強い口調でそう告げる。

 どうやら生半可なことではこの決意を動かすことは出来ないようである。

 そんな将志に、永琳は少し不満げに頬を膨らませた。

 

「普通に名前で呼んでくれても良いと思うのだけれど?」

「……それでもだ。俺は主にずっと仕えると言う、この気持ちを忘れたくは無い」

「そう呼ばなきゃ維持できない気持ちなのかしら?」

「……そう言う訳ではないが、俺の気持ちの問題だ。すまん」

 

 そう言って頭を下げる将志に、今度は永琳が大きくため息をついた。

 

「……はぁ、分かったわよ。それじゃあ、気が向いたら私のことを名前で呼びなさいな」

「……気遣いに感謝する」

 

 そう言いながら、友人同士になった二人は朝食のために台所に向かった。

 その日の食事は、いつもよりも少しだけ豪華だった。

 

 

 * * * * *

 

 あとがき

 

 このお話の永琳はこんな感じ。

 ……何だかヤンデレっぽい。

説明
ある一人の天才がいた。彼女はその才能ゆえに周囲から遠ざけられ、孤独に慣れてしまっていた。
そんな折、彼女は奇妙な拾い者をするのであった。
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コメント
クラスター・ジャドウさん:後から見直してみると、永琳の将志への依存っぷりが半端じゃないです。ヤンデレの素養は十分にあると思われます。(F1チェイサー)
…向こうのに比べて、ある程度改訂されてるみたいですね。具体的な描写を減らした事で、如何にも科学者のレポートと言った感じになってますね。それにしても、この作品の永琳は確かにヤンデレっぽくて、少々怖いですな。(クラスター・ジャドウ)
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