銀の槍、思い悩む
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 マヨヒガの上空に銀の雨が降り注ぐ。

 その中を潜り抜けるように、黄金に輝く九尾を持つ女性が空を飛んでいる。

 

「……こっちだ」

 

 その前方には銀の髪の男。男は右へ左へとふらふら飛びながら弾幕を敷いていく。

 その速度は速すぎず遅すぎずと言った絶妙な塩梅で、追ってくる女性がじわじわと追いつけるような速度であった。

 

「くっ……追いつけないか……」

 

 女性はなかなか追いつけない標的を前にして、そう呟いた。

 その瞬間、彼女に銀の槍が突き刺さった。

 

「あうっ!!」

 

 槍を突き立てられた女性は、真っ逆さまに地面に向かって落ちていく。

 その落ちた先には先程の銀髪の男が立っており、落ちてきた彼女を受け止めた。

 

「……少々諦めるのが早すぎるのではないか、藍」

 

 男は腕の中に納まっている藍に向かってそう声をかけた。

 

「全く、お前には念力でもあるのか? まるで私の心を読んでいるみたいだぞ、将志?」

 

 それに対して、藍は苦笑しながらそう答えた。

 藍には将志の加護が付いていて、先程の槍による怪我はなかった。

 

「……このような場では心と言うものは意外と分かりやすく出るものだ。今のお前の姿勢には、諦めが含まれていたぞ」

「しかし、わかってはいても難しいものだな。あれだけ長い時間追い続けても捕まえられないと、流石に心が折れそうになる」

 

 現に藍は将志をもう四半刻ほど追い続けていた。その時間全力を出し続けると言うのは、かなりつらいものがあった。

 将志はそれを聞いて考え込んだ。

 

「……だが、俺はお前が全力を出せば追いつける速度で飛んでいる。それでも追いつけないと言うことは、まだどこか動きに無駄があるということだ」

「む……動きの無駄は随分と減らしたはずなのだが……」

「……だとするならば、足りないのは自信や度胸といった類のものだ。自信を持てぬものに、俺を捉えることなど出来ん。俺を捕まえたくば、自分を信じろ」

 

 将志は藍の動きを思い返しながらそう言った。

 実際、藍は初期に比べると随分と動きに無駄は無くなっていた。それでも追いつけないと言う事態を、将志は心因性のものと結論付けたのだった。

 その言葉を聞いて、藍は頷いた。

 

「そうか。では、もう一度頼む」

「……いいだろう。来るがいい」

 

 そう言って、再び空の弾幕鬼ごっこが始まった。

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

「……こんなところか。惜しかったな、藍」

 

 訓練が終わり、二人は縁側に座って休憩を取る。

 全力で飛び回っていた藍は、床に伸びている。

 そんな藍に、将志は柑橘類を搾って作ったジュースを差し出した。藍はそれを受け取ると、ゆっくりと飲み始めた。

 

「……はぁ……あと少しだったのだがな……まさかそこで上からやられるとは思わなかったよ」

「……戦いと言うのは最後までわからないものなのだ。そして、勝利間近の時こそ一番隙が出来る。故に、最後の詰めこそ最も慎重かつ大胆になるべきなのだ」

「難しいことを簡単に言ってくれるな……とも思ったが、言ったのがお前だとものすごい説得力だな」

 

 将志はどんな状況でも一発喰らっただけで即終了なのである。と言うことは、最後の瞬間まで一秒たりとも油断は出来ないのだ。

 故に、将志の発言の説得力は非常に高かった。

 

「しかし、接近戦に遠距離戦、短期決戦に持久戦……将志が私に求めているものが分からないな」

 

 将志は藍に、ありとあらゆる訓練を付けさせていた。

 それは決してとある一極を踏ませるものではなく、様々な状況に追い込んで特訓をしているのだ。

 藍は、将志が自分をどのようにしたいのかが今ひとつ理解できていなかった。 

 

「……無論、俺はその全てを求めている」

 

 藍の質問に将志はそれが当然という様にそう言った。

 それを聞いて、藍は頭をかきながらため息をつく。

 

「……それはまた、随分と厳しい注文だな。どれか決まった目標があったほうがやりやすいと思うが?」

「……たとえば、お前は愛梨に持久戦では勝てないし、接近戦では六花に負け、短期決戦を持ち込めばアグナに畳み込まれるだろう。さて、これを聞いてお前はどうする?」

 

 将志の言葉を聞いて、藍は少し考えた後にうなずいた。

 

「ああ、そういうことか。つまり、相手の土俵に立たせない事が目的なのか」

「……そういうことだ。前に戦って分かっただろうが、愛梨は短期決戦に持ち込もうとすると崩れやすいし、六花は遠距離を苦手としている。勝つためには、そこを突くのが最も効率がいいわけだ」

「そこでどんな相手でもどこかで勝れるように今は鍛えているわけだな?」

「……そういうことだ。もちろん、一本槍の戦い方が悪いとは言っていない。それならそれで、自分の得意分野に持ち込むことが出来れば勝つ可能性は多分にあるからだ。戦い方はそれぞれ。俺の特訓だけに拘らず、自分の得意な戦い方を見出してみることだ」

「自分の得意分野か。そうだな、考えてみるとしよう」

「……それがいいだろう。さて、日も高くなったことだし、昼飯にするとしよう」

 

 将志はそういうと立ち上がり、台所へ向かおうとする。

 藍はそれを見て、空を見上げた。青空には太陽が高々と上がっており、真昼の訪れを告げていた。

 そのまぶしさに、藍は眼を細めた。

 

「ん、もうそんな時間か。今日の献立は決まっているのか?」

「……いい山菜が手に入ったから、手早く天ぷら蕎麦にしようと思っている。お前が倒れている間に麺は打ったから、後は湯がいて天ぷらを揚げるだけだ」

「相変わらず仕事が速いな。何か手伝うことはあるか?」

「……特にはないな。出来るまで、これでも食べて待っていてくれ」

 

 将志はそういうと包みを取り出し、中から筍の皮の包みを取り出した。

 藍はその包みの中から漂ってくる甘い匂いを感じると、耳と尻尾をピンッと立てた。

 

「っ!? いなり寿司か!? ありがたくいただこう!!」

 

 藍は将志から受け取ると、早速包みを解いて食べ始めた。

 中に入っていたのは三角形のいなり寿司が三つであった。

 

「ああ……この噛んだ瞬間に口の中に広がる油揚げの甘みがたまらない……どれも美味いが将志のものは格別だ……」

 

 藍はいなり寿司を口にした瞬間、うっとりとした表情で味わう。

 尻尾はパタパタと振られており、とても嬉しそうである。

 

「……ふっ、喜んでもらえて何よりだ。では、手早く仕上げるとしよう」

 

 将志はそれを見ると少し微笑みながら台所に向かう。

 卵を冷水で溶き、小麦粉を入れてざっくり混ぜて衣を作り、山菜や海老などを油で揚げていく。

 その間にお湯を沸かし、熱湯で蕎麦を茹で、時間になればざるに空けて冷水で締める。

 それを特製のめんつゆに入れて暖め、ネギやミョウガを添え、天ぷらを見栄え良く皿に盛り付け抹茶塩を添えれば、かけ蕎麦と天ぷらの盛り合わせの完成である。

 

「……これで良し」

 

 将志は昼食が完成すると、縁側に居る藍を呼びに行く。

 すると、そこでは食べかけのいなり寿司を持った藍がなにやら考え事をしていた。

 

「……まだ食べ終わってなかったのか……というか、何をしている?」

「くっ……最後の一口……これで終わりかと思うと、勿体無くて、食べられない……」

 

 藍は真剣な表情で食べかけのいなり寿司を睨みながらそう言った。

 それを聞いて、将志は額に手を当ててため息をついた。

 

「……また作ってやるから、とっとと食え」

「本当か!? なら遠慮なく……」

 

 将志がそういった瞬間、藍は嬉しそうに笑いながら最後の一口を食べた。

 その後、一向は食事が用意された座敷に向かい膳の前に座った。

 

「……では、いただくとしよう」

「…………」

 

 将志が食べ始めるが、藍は目の前の料理をジッと眺めたまま食べようとしない。

 その様子に、将志は首をかしげた。

 

「……? どうした?」

「……くぅ……せめて、この余韻が消えるまでは……」

 

 藍は苦悶の表情を浮かべながら目の前の料理を眺め続ける。

 その様子を見て、将志は一気に脱力した。

 

「……俺の分を食後に出してやるから早く食え。伸びるぞ」

 

 その言葉を聞くと、藍はピクリと反応して将志の方を向いた。

 その表情は期待に満ちた表情だった。

 

「良いのか?」

「……ああ」

「そうか……なら蕎麦が伸びないうちに食べるとしよう」

 

 藍はそういうと、急いで蕎麦を食べ始めた。

 その勢いたるや、普段の食事速度の倍くらいの勢いがあった。

 

「……何という愛情だ……深すぎる……」

 

 将志はその様子を見て呆れ顔で額に手を当て、深々とため息をついた。

 油揚げに釣られてとんでもない失敗をしないかどうか心配し始めた時、藍が将志に声をかけた。

 

「ところで、将志は午後はどうするつもりなんだ?」

「……ふむ、書類仕事は大体終わっているし、さし当たってやることもない。道場破りも有名どころはあらかた制覇してしまったし……」

 

 将志の言葉を聞いて藍は呆気に取られた。

 

「道場破りって……お前は何をやっているんだ……」

「……ただの暇つぶしだ、他意はない」

 

 藍は目の前の戦神の破天荒な行動に頭を抱えて首を横に振った。

 

「戦神が暇つぶしで道場破りをしてどうするんだ……相手にならないだろうに」

「そんなことはない。次々と生まれる新しい流派の技を盗むのは楽しいものだ」

 

 将志は蕎麦をすすりながら、静かにそう語った。

 実際、将志は道場破りを行った相手の技のいい部分を盗み、自分なりに改良して使っているのだった。

 

「……まだ強くなるつもりなのか、将志?」

「……当然だ。俺は己のために、何処までも高みを目指し続ける。そのためならば、いかなるものでも飲み干して見せよう」

 

 将志は藍の問いにそう言って答えた。

 その眼には強さへの飽くなき探究心がはっきりと浮かんでいた。

 

「それで、話は戻るがこの後どうするんだ?」

「……どうしようか」

「何もすることがないのなら、たまにはここでゆっくりしていけばいい。紫様は居ないが、私でよければ話し相手になろう」

 

 藍がそういうと、考え込んでいた将志がふと顔を上げた。

 

「……そうだ、それならば少しばかり頼みたいことがある」

「頼みたいこと?」

「……ああ。少し待っていろ、すぐに戻る」

 

 将志はそういうと全速力で空へと飛び出していった。

 それからしばらくすると、風を切り裂きながら将志は戻ってきた。

 将志の手には、年季の入ったアコーディオンがあった。

 

「……待たせたな」

「将志、それは何だ?」

「……楽器だ。鍵盤を押しながらふいごを動かすことで音が出る仕掛けになっている。最近愛梨に勧められて練習を始めたのだが、なかなかに面白くてな。ある程度弾けるようになったから第三者の意見が欲しくなったのだ」

「それで私に聞いて欲しいと言うわけだな?」

「……ああ。頼めるか?」

 

 将志がそういうと、藍はにこやかな表情でうなずいた。

 

「ああ、いいぞ。将志がどんな演奏をするのか、期待させてもらうとしよう」

「……ありがとう。では、早速始めるとしよう」

 

 将志はそういうと鍵盤に手を掛け、演奏を始めた。

 アコーディオンは将志の手によって音楽を奏で始めた。

 

「……これは……」

 

 藍は将志の演奏に思わず聞き惚れた。

 時には重厚な音で、時には軽快な音で紡がれる曲は、藍の心に沁みていく。 

 いつしか、藍は音に抱かれているような感覚を覚えていた。

 

「……藍? 何故に泣く?」

 

 そして演奏が終わるころ、藍の眼からは知らずに涙がこぼれていた。

 将志の問いに、藍は涙を拭いながら答えた。

 

「いや……良く分からないが、聴いているうちに気がつけば流れていたんだ。何というか、心に直接語りかけてくるような曲だった」

「……そうか」

 

 将志はそれを聞くと、満足そうにうなずいた。

 そんな将志に藍は話しかけた。

 

「しかし、将志は本当に何でも出来るんだな。音楽で泣かされるとは思わなかったぞ?」

「……これに関しては違うと言っておこう。俺がここまで演奏が出来るようになったのはこの楽器のおかげだ」

「その楽器の?」

「……この楽器を見た時、正直俺は魅入られたようでな。そして手に取った瞬間、この楽器の前の持ち主の念が流れ込んできたような気がしたのだ」

 

 将志はそう言いながらアコーディオンを撫でる。 

 アコーディオンを見つめるその眼は、まるで友人に語りかけるようなものであった。

 

「……俺が鍵盤に指を置いた時、その思念が俺に弾き方を教えてくれた。理屈ではなく、身体と心にな。初めて愛梨の前で演奏した時はひどく驚かれたよ。『あの人と同じ演奏だ』とな」

「それじゃあ……」

「……ああ。俺はこの楽器を一人で弾いているわけではない。俺はこの楽器の持ち主と二人で弾いているのだ。故に、俺はその思念に答えるためにも演奏の練習を行っている」

 

 将志がそういった瞬間、藍は微笑を浮かべた。

 

「ふふっ、やはり将志は優しいな」

「……なんだ、いきなり?」

「既に居なくなって思念だけになった、しかも見ず知らずの者のためにそこまで出来る者はそうは居ない。それが出来るのだから、将志は十二分に優しいと思うぞ?」

「……そうか」

 

 将志はそう言って眼を閉じ、藍から顔を背けた。それは将志が照れ隠しの時に良くやる仕草であった。

 その様子を、藍は微笑ましいものを見る表情で眺めた。

 

「そうだ、せっかくだからもう一曲何か頼めるか? 今度は明るい曲が聴いてみたい」

「……いいだろう」

 

 そういうと、将志は再び演奏を始めた。

 今度の曲は軽快で聞いているだけで明るくなれるような曲であった。

 その後も、将志は藍のリクエストに応じて何曲も演奏した。

 藍はその曲を楽しそうにずっと聴いていた。

 

 

 

 こうして、二人だけの演奏会は夕暮れまで続いた。

 演奏が終わると、将志はアコーディオンを縁側に置いた。

 

「……こんなに長く演奏をしたのは初めてだな」

「ふふふっ、いい音色だったよ。また機会があったら聞かせて欲しいものだ」

「……ああ。こちらとしてもいい練習になる、ぜひそうさせてもらおう」

「いつか、お前自身の音色を聞かせてくれるか?」

「……それは、この楽器の持ち主に相談せねばな」

 

 二人はお茶をすすりながら話をする。

 藍は将志にぴったりと寄り添い、時折肩に頭を乗せる。

 その表情は幸せそうなものであり、穏やかな笑みを浮かべていた。

 将志はその行動に対して特に何も言うことはなく、彼もまた穏やかな時間を過ごしていた。

 

「将志、夕飯はどうするつもりだ?」

「……そうだな……主のところへ行こうかと思って断ってきたが、良く考えたら今日はそこの従業員達の休日で、俺が行くと緊張させてしまうのだ。かと言って今から帰っても食材の準備が間に合わんだろう。だからどうしようか考えていたのだが……」

「なら、ここで食べていくといい。紫様はスキマの中で冬眠をしていて私一人しか居ないから、話し相手が欲しい」

「……なるほど。そういうことならばそうさせてもらおう。夕食に注文はあるか?」

「特にはないが、一緒に作らせてくれないか? いろいろと教えて欲しいんだが……」

「……ふむ、そういうことなら問題はない。わからないことがあれば教えよう」

「ありがたい。それじゃあ、まずは材料を確認しよう」

「……ああ」

 

 二人は台所に移動すると、材料を確認した。

 材料はひとしきりそろっていて、色々と作れる量があった。

 

「これが今うちにある材料だが……何が作れる?」

「……ふむ……考えられる献立は何通りかあるが、どのようなものが食べたい? しっかり食べるか、それとも酒のつまみのようなものか?」

「そうだな……たまには酒を飲むのも悪くないだろう」

「……ならば酒のつまみか。ということは少し塩気の強いもののほうが良いか。では、作るとしよう」

「ああ」

 

 二人はそういうと、調理を始めた。

 

 

 

 

 食事が出来、将志と藍は酒を飲みながら料理に箸を伸ばす。

 二人はどんどん酒を飲んでいき、空の酒瓶がその場にいくつも転がっていた。

 

「ううっ……それで紫様ときたら、私が仕事が出来ると思ったら今年から冬眠する何て言い出して……」

「……まあ、一日の半分を寝て過ごすような奴だからな……」

 

 藍は酔った勢いで紫への不平不満を将志へとぶつける。

 将志はそれを淡々と聞きながら相槌を入れる。

 

「それからご褒美をあげるからと言われてついてきてみれば、スキマを開いて入浴中の将志の覗き見を」

「……一度紫とはそのあたりの決着をつけねばならんようだな……」

 

 なお、紫はスキマを開くだけで中身を見ては居ないのだった。

 藍の言葉を聞いて、将志は静かに拳を握り締めた。

 しかし、次の藍の一言で将志は一気に脱力することになる。

 

「まあ、あれは私としても眼福だったので良しとしよう」

「……おい」

 

 将志は机に突っ伏しながら、恨めしげな視線を藍に向ける。

 それを受けて、藍は苦笑いを浮かべる。

 

「だとしても、冬の間私は何を楽しみにすればいいんだ!? 紫様が寝ている間の仕事は全て私に回ってくるし、この家の中には私しか居ない。うう、寒くて心細くて寂しい冬の夜を何度過ごしたことか!!」

「……苦労しているのだな……」

 

 将志はそう言いながら藍の頭を撫でる。

 それを受けて、藍は涙ぐんだ。

 

「ぐすっ……そうやって慰めてくれるのはお前だけだよ、将志……」

「……いや、良く頑張っているよ、藍は。この幻想郷の管理という仕事は決して楽ではないはずなのだからな」

 

 将志は優しく声をかけながら藍の頭を撫で続ける。

 すると、藍は突如熱のこもった視線を将志に向けた。

 

「……将志、抱き付いて良いか?」

「……藍?」

「今私はお前が愛しくて仕方がないんだ。今すぐ抱き付いてお前を感じたい。……駄目か?」

 

 そう言いながら、藍はジリジリと将志に這い寄っていく。

 

「……それくらいは別に構わないが……っと」

 

 将志がそういうと、藍は即座に将志に飛びついた。

 将志がそれを受け止めると、身体に両腕と九本の尻尾がきゅっと巻きついた。

 

「ふふふ……暖かいな、お前は」

「……お前の方が暖かいがな」

「そうか……ふふっ、もうこうやって抱きしめたまま眠ってしまいたいよ」

 

 藍は幸せそうに笑いながら将志の胸に顔をうずめる。

 それを受けて、将志は苦笑しながらため息をついた。

 

「……俺は抱き枕とは違うのだが……」

「ああ、違うな。抱き枕は私をこうまで惑わせはしない」

「……っ」

 

 藍は将志の頭を抱き寄せ、その耳を胸に押し当てた。

 突然のことに将志は驚き、為すがままの状態になる。

 

「……聞こえるか、私の鼓動が? お前と一緒に居るだけでこんなにも大きく速くなるんだぞ?」

 

 藍の鼓動はその言葉通りに脈打っており、興奮状態にあることが分かった。

 それを聞いて、将志は藍の胸に抱かれたまま質問を投げかけた。

 

「……それは俺が居なければ起きないものなのか?」

「そういうわけじゃない。お前に逢えない時も、将志のことを考えるだけでもこうなる。……いや、痛みを伴う分、こっちのほうが遥かにつらいな」

「……苦しくはないのか?」

「苦しいに決まっているだろう? そして、それを静められるのは将志だけだ」

 

 藍はそう言いながら将志を抱く腕の力を強める。その吐息は切なげで、見た目にも苦しそうであった。

 そんな藍に、将志は少し考える。

 

「……そうか。それで、俺は何をすればいい?」

「……欲を言えば色々として欲しい事はある。だが、それは私が口にするべきことじゃない。だから、お前はただ私に身を任せてくれるだけでいい」

「……っ」

 

 藍は将志を顔を持ち上げ、唇を合わせた。

 将志は藍の言うとおりに身を任せ、素直にそれを受け入れる。

 

「……はあっ……はあぁ……」

 

 しばらくして唇が離れると、藍の顔は紅潮し、呼吸は荒くなっていた。

 その様子を見て、将志は藍の顔を覗き込んだ。

 

「……大丈夫か? 呼吸まで乱れてきているが……うんっ?」

 

 すると、藍は再び将志の唇を奪う。

 少しの間そうした後、藍は将志の頭をぎゅっと抱え込んだ。

 

「……すまない……今日の私は少しタガが外れているようだ。もう自分を自分で止められそうにないんだ。……少し、激しくなるぞ」

「……藍? むぅ!?」

 

 藍は狂ったかのように将志の唇に吸い付き、舌をねじ込む。

 将志は豹変した藍に驚きつつ、なおもその身を預け続けた。

 

「んっ……頼むから、気を失わないでいてくれ……そうなったら、今の私はどこまで行くか分からないんだからな……」

 

 口が離れるたびに銀の糸を引き、それが切れるまもなく再び藍は将志の唇をむさぼる。

 巻きついた尻尾は将志の身体を這い回り、服の中を撫で回す。

 その尻尾は段々と将志の胴衣を剥ぎ取っていき、胸板が露出し始める。

 

「……ああ、駄目だ。本当に止められない。なあ、お前はどうなんだ?」

 

 藍はそういうと将志の胸に耳を置いた。

 その瞬間、激しく動いていた尻尾がその動きを止めた。

 

「……なんだ。私がこんなに苦しくても、こんなに求めても、お前はこんなに穏やかなのか……」

 

 将志の鼓動はいつもと変わらぬ調子で脈を打っていた。

 藍の態度の変化についていけず、将志は首をかしげた。

 

「……藍?」

「……すまない。少し熱くなりすぎていた。一人で勝手に舞い上がって、馬鹿みたいだな、私は」

 

 そう言いながら、藍は将志から身体を離した。

 その表情は自嘲するような、悲しみを感じられるような表情であった。

 

「……藍。一つ聞かせてくれ。お前も愛梨も、そして主も皆が俺を求めてくる。だが、俺は何故皆が俺を独占的に求めようとするのかが分からない。何故身体の繋がりを求めるのかが分からない。藍、俺は何かおかしいのだろうか?」

 

 将志は藍に自分が抱いた疑問をぶつけた。

 その表情は苦悩に染まっており、理解できないことを必死で考えていることが分かった。

 それを見て、藍は将志がどんな状態にあるのかを理解した。

 

「そうか……将志は恋というものが分からないのだな……」

「……恋の概念なら理解しているつもりだが……」

 

 呟くような藍の言葉に、将志は首をかしげた。それに対して、藍は首を横に振った。

 

「違うな。お前は本当の意味で恋というものを理解していない。まるで楽園にいるかのような心地良さ。魂を焼き尽くす地獄のような熱さ。そして理性を超越した愛情。そういったものを、お前は感じたことがないだろう?」

「……分からない。何故俺にそんなものを感じる? そして、何故俺はそれを感じない?」

 

 藍の言葉を聞いて、将志は額に手を当てて俯く。

 将志は自分の中の欠如している部分を理解しようとして、思考をめぐらせた。

 そんな将志の手を、藍はそっと握った。

 

「将志。その質問はきっと誰に訊いても答えられない。恋は頭で考えるものじゃない。気がつけばそこにあるものなんだ。だから、何故恋をするかなんて誰にも分からない」

 

 藍は将志を抱き寄せながら、諭すようにそういった。

 

「……いつか、俺にも分かる時が来るのだろうか?」

「……ああ、きっと来るさ。その時の相手が、私であることを祈っているよ」

 

 将志の呟きに、藍はそう言って答える。

 それを聞くと、将志は藍から身体を離した。

 

「……そうか……では、今日はこれで失礼させてもらおう」

「泊まっていかないのか?」

「……明日は早朝から仕事があるのでな。社に戻っておかねば間に合わん」

 

 将志は乱れた服装を直しながらそう呟く。

 それを聞いて、藍は残念そうにため息をついた。

 

「そうか。そういうことなら仕方がない。では、またいつでも来てくれ」

「……ああ」

 

 将志は挨拶を済ませると、アコーディオンを手にとって家路に着いた。

 

 

 

 将志が銀の霊峰の社に着くと、そこにいるはずの門番の姿がないことに気がついた。

 そこで首をかしげながらも社に戻り、涼の所在を訊くことにした。

 将志は本殿に入るなり、目の前を丁度歩いていた六花に声をかけた。

 

「……おい、涼はどこに行った?」

「ああ、涼ならさっき萃香さんと勇儀さんが連れて行きましたわよ?」

「……なに?」

 

 六花の言葉を聞いて、将志はなおも首をかしげた。

 将志の反応の意味が分からず、六花は困惑した。

 

「……どうかしたんですの?」

「……今日は鬼が地底に潜る日なのだが」

「……はい?」

 

 

 

 

 後日、涼は地底の入り口を両足に萃香と勇儀をぶら下げながら這い上がってきたところを藍に発見され、無事に救助された。

 

説明
銀の槍に思いを寄せる九尾の狐。その思いを伝えられた銀の槍はと言うと。
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コメント
下の続き:化け猫に関しては、そもそも行灯の油は菜種油じゃないのかと思って調べてみたら、庶民は鰯の油を使ってたんですね。でも、それだと庶民の家でしか化け猫騒動はおきませんね。わざわざ臭いと煙を出す魚油を使うお金持ちはいないでしょうし。(F1チェイサー)
クラスター・ジャドウさん:そもそも、人間の料理って野生動物には味が濃すぎてダメと言う話も聞きますね。そして、実際の狐は油揚げにはそういうことで寄ってくると。管狐と味噌に関しては、流石に説明付けづらいでしょうね。(F1チェイサー)
神薙さん:その話に関してはもっと早く答えるべきでしたね……涼に関しては、何も言うまい。(F1チェイサー)
…狐と油揚げの関係について、『ざつたま』と言うサイトの「カテゴリ:動物」にある、「なぜキツネは油揚げが好きなのか?」に情報がありました。…しかし、管狐と味噌の関係については、未だ資料無しです。尚、化け猫が行灯の油を舐めると言う伝承は、行灯の油が「魚油」だったからだと推測しています。(クラスター・ジャドウ)
…う〜む、狐関連のWikiでも漁れば、好物に関する俗説についてもっと分かるかと思ったんですが、理由についての記述はサッパリでしたねぇ…。それにしても、油揚げにしろ味噌にしろ、実在の狐に食わせて見た人って居るんでしょうかねぇ?…生憎と今まで、それを実際に試した話と言うのを、聞いた事が無いんですがね…。(クラスター・ジャドウ)
将志による藍の訓練風景の巻。…しかし、狐の好物が油揚げと言う俗説って、何処から来たんでしょうなぁ?管狐に憑かれた人間は、無性に味噌が喰いたくなるとの事ですが、狐の真の好物はどっちだよ!?…それは兎も角、藍が将志を求める理由は、一番は勿論恋愛感情ですが、寂しさと苦悩に因る所も大きい様ですな。橙が引き取られれば、多少は寂しさも紛れる様になるだろうか?…「心」って奴は、理屈じゃないから、言葉だけじゃ分からないから、難しいですな。(クラスター・ジャドウ)
涼ェ…それにしてもいくら強くても悩みは尽きないものですねぇ…むしろ強いからこそ何かしらの生き物として必要な物が抜け落ちているって感じですが…元が無機物だからなんですかねぇ?(神薙)
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