銀の槍、心と再会
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 ある日、将志が永遠亭への道を歩いていると、目の前の風景が突如として変わった。

 竹林だったはずの場所が、焼け野原になっていたのだ。

 

「……これはいったいどういうことだ?」

 

 将志は焼け焦げた竹に手をかざした。

 炭化した竹は既に冷たく、かなり時間が経っていることが見て取れた。

 

「……はて、アグナがここに来て暴れたのか?」

 

 将志は周囲を見ながらそう考える。少し考えて、将志は首を横に振った。

 

「……いや、違うな。アグナが暴れただけなら竹がこんなに折れたりはすまい。それに、アグナならもっと狭い範囲で灰化させるはずだ」

 

 将志の周囲の竹は燃えただけではなく、何かに当たってへし折られたような跡があった。

 更に周囲の焼け跡に人が倒れたような跡があったことから、少なくとも二人以上の人物が居たことも分かった。

 

「……いずれにせよ、この惨状に永遠亭の誰かが関わっている可能性が高いな……」

 

 将志はそう判断すると、永遠亭に向けて歩き出した。

 途中、対将志用に設置された罠を掻い潜りながら永遠亭を目指し、難なく目的地にたどり着く。

 

「ぐぬぬ……今日もダメだったか……」

「……いや、今日も面白かったよ。俺が人間なら、例え罠の位置が分かっていても対処できなかっただろうさ」

 

 罠を潜り抜けられて、てゐは悔しそうに呻る。

 将志はそれに笑いかけると、永琳が居る座敷へ向かった。

 

「…………」

「お帰りなさい、将志。今日は早めなのね」

 

 将志が座敷につくと、永琳が出迎える。

 その向こうでは、輝夜がぶすっとした表情で体育座りをしていた。

 将志は輝夜の様子が気に掛かったが、とりあえずは永琳に答えることにした。

 

「……ああ。仕事が早く終わったのでな」

「そう。で、今日は泊まっていくのかしら?」

「……ああ。今日やるべき仕事はほぼ終わらせたからな。後は別に明日以降でも構わん」

 

 将志の言葉を聞いて、永琳は嬉しそうに微笑んだ。

 

「ふふ、良かった。それじゃあ今日はゆっくりできるのね」

「……ああ。ところで主、一つ訊いていいだろうか?」

 

 将志が輝夜に視線を向けながらそういうと、永琳は苦笑いを浮かべながら答える。

 

「言わなくても分かるわ。何故輝夜が不機嫌なのかって話でしょう?」

「……ああ。いったい何があったんだ?」

「それに関しては私よりもてゐが知っているはずよ。ちょっと待って、呼んでくるから」

 

 永琳はそういうと、座敷から出て行った。

 しばらくすると、永琳はてゐと一緒に座敷へと戻ってきた。

 

「話は聞かせてもらったわよ。輝夜がどんな目に遭ったか知りたい?」

 

 てゐはニヤニヤと笑いながら将志に話しかけてくる。

 どう見ても話したくてうずうずしているようにしか見えない。

 

「……随分楽しそうだな……」

「ええ、それはもう♪ ふふふ、売り言葉に買い言葉、おまけに自分から喧嘩売っといて手も足も出ずにやられてんの! あ〜、おかしかった!」

「うっさいわね! 今日はちょっと調子が悪かっただけよ!」

 

 面白おかしく笑いながら話すてゐに、輝夜が怒鳴りつける。

 しかし、てゐはそれに対して一切怯むことなく、嫌味な笑いを輝夜に向けた。

 

「ほっほ〜? 相手に一撃も与えられずに完全封殺されておいて、ちょっと調子が悪かったねえ? それじゃあ、調子が良くても高が知れるわよ?」

「うぎぎ……あ〜もう! 何であんな逆恨みに付き合わなきゃなんないのよ! 冗談じゃないわ!」

 

 輝夜の言葉を聞いて、将志はぴくんと眉を吊り上げた。

 

「……逆恨みだと?」

「ええ、そうよ! 何がお父さんに恥をかかせたよ! そんなの達成できなかったほうが悪いのよ! それも正々堂々とやればいいものを、あんな紛い物でだまそうとしたし! あ〜! 思い出しただけで腹が立つわ!」

「……そうか」

 

 将志はそういうと考え込んだ。

 将志の記憶の中に、そんなことを言っていた人物がいるような気がしていたからである。

 

「何よ、笑いたければ笑えば?」

「違うわよ。心当たりがあるのね、将志?」

「……ああ。輝夜、そいつは次に来る可能性はあるか?」

「知らないわよ。でも、来たら来たで今度こそやっつけてやるんだから!」

「そう言って返り討ちにされるんですね、分かります」

「てゐ!」

 

 リベンジしようと息をまく輝夜を、てゐがにやけながら茶化す。そんなてゐを、輝夜は睨みつけるのだった。

 そんな二人を他所に、将志と永琳は話を続ける。

 

「それで、次に来たらどうするのかしら?」

「……その時は、返り討ちにするまでのことだ」

「そう……でも、いつ来るかは分からないわよ?」

「……そこでだ。しばらくの間、俺もここに泊り込むことにする。宜しく頼むぞ、主」

「それは構わないし、むしろ大歓迎なのだけど……仕事は大丈夫なのかしら?」

「……なに、これも俺の仕事の内だ。輝夜を倒すということは、相手も相当な強者ということだ。そういった者を管理するのもうちの管轄だ。だから、それに関して主が心配することは何もない」

「でも、連絡はしなくても……」

「……心配するな」

 

 将志はそう言うと、線香を取り出して火をつけた。

 

「……この線香が燃え尽きる前に連絡をして帰ってくる。しばし、待っていてくれ」

 

 将志はそういうと、縁側から文字通り神速で銀の霊峰に向けて飛び立っていった。

 そんな将志を残った面々は呆然と見送った。

 

「……そんなに焦らなくても、まだ時間はたっぷりあるのに……」

「ふふふ、これは自分の鍛錬をかねた彼なりの礼儀よ。待たせるのが嫌いなのよ、彼は」

「だからって、こんな限界ギリギリの速さでいかなくたって……」

 

 輝夜と永琳がそう言って話をしていると、庭をものすごい勢いで滑っていく影があった。

 しばらくして、その影が滑っていった方向から将志がやってきた。

 

「……待たせたな……宣言どおり、線香は燃え尽きていないぞ」

「……速い……なんて……アホ……」

 

 やや誇らしげに線香を指差す将志に、てゐは唖然とした表情でそう呟いた。

 その一方で、永琳は将志にねぎらいの言葉を書ける。

 

「ご苦労様。それで、これからどうするのかしら?」

「……実はな、随分と懐かしいものを手に入れられたのでな……」

 

 将志はそういうと、四角い缶を取り出した。

 それにはアルファベットで色々と文字が書かれており、ふたを開けると香ばしい香りと共に乾燥した葉が出てきた。

 

「それ、紅茶?」

「……ああ。先日行商人と話をしていたら、たまたま手に入ってな。久々に淹れてみようと思ったのだ」

「……ねえ、将志って紅茶の淹れ方……」

「知ってるわよ。それも、あの月夜見とほぼ同レベルのものを淹れられるわ」

 

 永琳は輝夜に将志の紅茶の腕前を伝える。

 すると、輝夜は首をかしげた。

 

「月夜見って……あのスローライフキングの月夜見?」

「ええ。あの趣味にしか頭が働いてない放蕩党首の月夜見よ。それさえなければ、すごく優秀なのに……」

 

 酷い言い草である。どうやら、二人の中では月夜見は完全にダメ党首と思われているようである。

 そんな二人の会話を聞いて将志が反応する。

 

「……月夜見……まさかとは思うが、マスターのことか?」

 

 将志がそういうと、輝夜がキョトンとした表情を浮かべて将志を見る。

 

「へ? マスター?」

「……ああ。確か、俺がバイトしていた喫茶店のマスターの名前が月夜見だったと記憶しているが……」

「ええ、将志。恐らくその月夜見であっているわよ」

「はい? バイト? あんたが? うそーん……」

 

 将志がかつてバイトをしていたと聞いて、輝夜は信じられないものを見る眼で将志を見る。

 それに対して、将志は言葉を返した。

 

「……嘘ではない。俺はそのマスターの元で紅茶とコーヒーの淹れ方を修行したのだ。言ってみれば、俺の第二の恩師と言ったところだ」

「……そういう言い方をされると第一の恩師が気になるわね……」

 

 永琳はそういうと将志に微笑みかける。

 それを受けて、将志は小さくため息をついた。

 

「……言わせたいだけだろう、主?」

「あら、分かったかしら?」

「……俺の一番の恩師は主に決まっているだろう。心配せずともこれは不動だ」

「ふふふ……はい、よく言えました。嬉しいわ、将志」

 

 将志の言葉に、永琳は満足そうにそう言って笑った。

 

「将志! 早く紅茶をちょうだい! 砂糖は抜きで!」

「こっちも! お茶菓子はいらないわ!」

 

 そんな二人を見て、輝夜とてゐがもうやってらんねえといった表情で紅茶を催促した。

 

 

 

 しばらくして、和風の座敷の机の上に上品な磁器のティーセットが並んだ。

 将志の手によって淹れられた紅茶は薫り高く、穏やかな午後を演出していた。

 

「……む、むぅ、本当に月夜見と同じ味を……」

 

 輝夜は将志の紅茶を飲んでそう言って呻った。

 どうやら文句のつけようのない出来だったようである。

 

「私にはちょっと濃いわね……」

「……失礼するぞ」

 

 将志はそう言って割り込むと、てゐのティーカップに湯を少し注いだ。

 突然の行為に、てゐは驚いた。

 

「ちょっ、何してるのよ!?」

「……紅茶は濃ければ注し湯が出来るのだ。これで大丈夫か?」

 

 再び差し出された紅茶を飲む。

 するとそれは程よい苦味と香りをもっててゐを楽しませた。

 

「……うん、これなら大丈夫よ」

「……主はどうだ?」

「……相変わらず美味しいわね。ふふふ、紅茶が手に入ってからブランクを埋めるために必死になったのがよく分かるわ」

 

 微笑みながらそういう永琳に対して、将志は苦笑いを浮かべてため息をついた。

 

「……ふぅ……主は本当に何でもお見通しだな。確かに、二億年の空白を埋めるのは一筋縄ではいかなかったぞ。だが、これからは少々値は張るが手に入る。じきにマスターとも違う、自分なりの紅茶の淹れ方を編み出して見せるさ」

「期待して待ってるわ」

 

 将志の言葉に、永琳はそう言って応えるのであった。

 

 

 

 

 

「……今日で三日目か……」

 

 将志が輝夜を襲撃した犯人を待ち続けて、三日目の朝が来た。将志はいつも通り銀の槍を手に取り、庭で鍛錬を行っていた。

 すると、そこに輝夜が寝ぼけ眼をこすりながらやってきた。

 

「将志〜 今日の朝ごはんは?」

「……塩鮭、ほうれん草の巣篭もり、味噌汁、白米、葡萄だ。それにしても、こんな朝早くに起きてくるとはどうかしたのか?」

「単に早く起きただけよ。それはそうと槍なんて持ち出して、鍛錬でもするの?」

「……ああ。いつも通りの鍛錬だ。それがどうかしたか?」

「……それ、毎日やってるの?」

「……ああ」

「何故そんなことするの?」

「……色々と理由はあるが、今となっては習慣になっているからだ。もっとも、原初の理由を忘れたわけでもないがな」

「原初の理由?」

「……簡単なことだ。単純に強くなりたかった。それだけのことだ」

「それで、今以上に強くなってどうするの?」

「……俺は自分が弱いとは決して思っていない。自分が弱いなどと考えるような軟弱者に、大切なものは守れん。だが、俺が強くなればなるほど、主を守りやすくなる。そして、その強さに果ては無い。故に、俺はただひたすらに強さを求める」

「それじゃあ、その先に何を求めるの?」

「……何も求めん。何故なら、俺にとって強くなることは目的ではないからだ。俺にとって、強くなることは手段でしかない。主が守れるのであれば、何も強さにこだわる必要は無いのだ。故に、俺は強さの先に求めるものなど無い」

 

 将志は輝夜の質問に次々と答えていく。

 すると、輝夜は呆れたようにため息をついた。

 

「はあ……本当に将志の頭の中は永琳のことでいっぱいなのね」

 

 そして次の瞬間、輝夜は引き金を引いた。

 

「それに、貴方まるで機械みたい」

「……なに?」

 

 輝夜の言葉に、将志は固まった。

 将志が眼を向けると、輝夜はいつになく無機質な視線で将志を見つめていた。

 

「だって、将志って自分のこと考えたことある? 自分のためだけに何かしたことがある? 何かをして心に感じた事はある? ただ他人のために働くだけだったら、機械と何ら変わりないわよ」

「……それは……」

「言っておくけど、永琳を守ることが自分のためだ、なんてふざけた事は言わせないわ。大体、貴方は何で永琳を守ろうとしているわけ?」

「……主は命の恩人だからだ。だからこそ、俺は生涯主のことを守るのだ」

 

 将志がそういうと、輝夜は呆れ果てたといった表情でため息をつきながら首を横に振った。

 

「……呆れた。あんなに入れ込んでたから余程の理由があるのかと思えば、たったそれだけなの? つまり、自分の意思に関係なくそんな使命感で永琳を守っていたわけ。それじゃあ、本当にプログラムに沿って行動するだけの機械と変わらないわ。ふん、こうしてみると永琳も滑稽なものね。永琳はロボットにずっと焦がれているんだもの」

「……黙れ。それ以上言うのなら、お前でも容赦はしないぞ」

 

 輝夜の口から放たれる暴言に、将志は輝夜にそう言って槍を向ける。

 しかし、輝夜はそれに怯むことなく言葉を続けた。

 

「あんた、なに怒ってんの? 怒ってるのは私のほうよ。大体、あんた永琳のことをちゃんと見てあげたことはあるの? いいえ、永琳だけじゃない。私も愛梨もアグナも、六花にだってあんたは真面目に向き合ったことなんて一度も無い! あんたは自分の課した使命感におぼれて、自分自身を置き去りにしてる! そんな奴に、絶対に人を見ることなんて出来ないわ!」

「……な……」

 

 輝夜の叫びに、将志は思わず言葉を詰まらせた。

 頭が輝夜の言葉を理解することを拒否する。

 

「恋愛感情が分からないのだって当然よ……使命感が先に立って、自分の気持ちなんて見向きもしない……ああ、違うわね。あんたの場合それすらないんだったわね」

「……楽しいと思ったり、つらいと思ったことならあるぞ」

 

 将志は輝夜に何とか反論しようとしてそう言った。

 しかし、それは火に油を注ぐ結果となった。

 

「楽しいと思う? つらいと思う? 何それ、あんたいちいち考えないと分からないわけ? そんなの、心が無いのと一緒じゃない! 楽しいとかつらいとか、そういうのは感じるものなのよ! そうやって何にも感じないのに、友達だから助ける? 友達はそんなに薄っぺらなものじゃないわよ! 心から相手を気遣えるから友達なのよ!? どうしてそんなことも分からないの……?」

「……くっ……俺は……」

「大体、あんたの顔を見れば分かるわよ。あんたの表情には感情がまるでない。きっと永琳が居なくなっても、あんたは一滴の涙も流さずに探すんでしょうね!」

 

 将志は輝夜の言葉に頭を抱えた。

 否定しろ、否定しろ。頭は必死で将志にそう命令する。

 しかし、実際に将志は永琳が居なくなったことで涙を流したことなど全く無かったと言う事実は、決して消えることは無い。

 

「……永琳が可哀想よ……親友だと思ってた奴が……二億年間も恋焦がれた相手が……ただの使命感で自分のことを守ってたなんてさ……永琳のことが好きだから守る、くらいのことが何で言えないの……?」

「……っ!?」

 

 涙を流しながら輝夜は将志に訴え続ける。

 その言葉に、将志は俯いていた顔を跳ね上げた。

 

『好きだから、守る』

 

 今までずっと主を守らなければならないと思い続けていた将志にとって、それは考えもしない言葉であった。

 そして輝夜は愕然としている将志に向かって、泣き叫ぶように最後の言葉を放った。

 

「そんなあんたなんかに……永琳を守る何て言う資格はない!」

 

 

 ……その一言で、将志の中の一番大事な何かが音を立てて崩れ去った。

 

 

「……くっ!」

 

 輝夜の言葉に耐え切れず、将志は永遠亭を飛び出した。

 空は、鈍色の雲で覆われていた。

 

 

 

 

「…………」

 

 降り注ぐ雨の中、将志は竹林の一角に腰を下ろしてぼんやりと空を見上げる。その眼は何も映さず、空虚な視線を空に送っていた。

 今まで将志は永琳のために頑張ってきたつもりであった。

 しかし、輝夜はその全てを否定して気持ちをぶつけてきた。

 ……将志は何も反論できなかった。

 そう……何故なら、思い返してみれば輝夜の言うとおりであるからだ。

 

『主を守る一本の槍であり続ける』

 

 その誓いは将志の拠り所となると共に、心を蝕む強烈な呪いとなっていたのだ。

 その呪いはいつしか虚構の心を作り上げ、本物に成り代わっていた。

 すべては主を守るため。感情を捨て去り、使命感のみで塗り固められた仮面の心。

 それが崩れ去った今、将志を支えるものも縛るものも何もなかった。

 

 そんな空っぽの将志に、近づく人影があった。

 

「やっと見つけた……さあ、今日こそは……?」

「…………」

 

 その人影、妹紅は将志の様子を見て怪訝な表情を浮かべる。

 将志は相変わらず空虚な眼で空を眺めていた。その姿は今にも消えてしまいそうで、生気など感じられない。

 

「……あんた……こんなところでなにしてるの……?」

 

 そう話す妹紅の声は震えていた。この声の中には、別人であって欲しいというかすかな願いが込められていた。

 

「……妹紅、か……」

 

 しかし、その願いは将志の言葉によって打ち砕かれた。

 妹紅は変わり果てたかつての怨敵の姿に膝をつく。

 

「……違う……違うでしょ……あんたはこんな奴じゃなかった……私が追いかけてきたのはこんな抜け殻みたいな奴じゃない!」

 

 妹紅はそう叫びながら地面を殴りつけた。その叫びには、深い悲しみと絶望が籠められていた。

 その叫びを聞いて、将志は昏く笑った。

 

「……抜け殻か……くくっ、言いえて妙だな……」

「ああもう、なにがあったのよ、あんたは! くそっ、こっち来い!」

 

 妹紅は将志の腕を掴むと、将志を引っ張っていった。

 雨をしのげる場所を見つけると、二人はそこに落ち着いた。

 

「……俺は、何だったのだろうな?」

 

 その場に座り込んだ将志の口から、そんな言葉が漏れ出す。

 その声に、対面に座った妹紅が顔を上げる。

 

「……何よ、いきなり?」

「……俺は、俺のことが分からなくなってしまった……」

「それはまた訳の分からない状態になったものね。で、それがどうしたの?」

「……妹紅。心って、何だ?」

 

 将志が質問をすると、妹紅は呆けた表情を浮かべた。

 

「はあ?」

「……頼む。教えてくれ」

 

 将志は空虚な、耳を澄ましてようやく聞こえる程度の声でそう言った。

 それを聞いて、妹紅は涙を堪えるように俯いた。

 

「……正直、あんたに訊かれると心底納得するよ。やっぱりあんたに心が無かったんだってね。あんたの表情、薄っぺらかったもの」

「…………」

 

 妹紅はため息混じりにそう話す。その表情は暗く、とても悲しそうであった。

 将志がそれを黙って聞き入れていると、妹紅は立ち上がった。

 

「……表へ出な。私が心とは何か教えてやるよ」

 

 妹紅に言われるがまま、将志はその後へ続く。

 そして開けた場所に出ると、妹紅は将志と対峙した。

 

「将志。これから始めるのはただの勝負だ。ここには私の恨みなんて無い。むしろ、そんな状態のあんたを倒したって面白くもなんとも無い。ここにあるのは、何の意味もない試合だ。いいな?」

 

 妹紅は無表情のまま淡々と将志にそう告げる。その視線は、まるで路傍の石を見るような視線であった。

 それに対して、将志はただ空虚な瞳で妹紅を眺め続ける。

 

「…………」

「始めるよ、将志。ここで燃え尽きたくなけりゃ、精一杯避けな!」

「……っ!」

 

 妹紅の繰り出す炎を、将志はかろうじて避ける。

 炎は将志のすぐ横をかすめ、肌を焼く。

 

「逃がすか!」

「……くっ」

 

 そこにすかさず妹紅は次の手を打つ。

 将志はそれを避けると、妹紅に向けて銀の弾丸を放った。

 

「そんな攻撃、当たるか!」

「……っ……」

 

 妹紅はそれを避けながら攻撃を仕掛ける。将志は攻撃を中止し、ただ避けることに専念する。

 その動きは、悉くが精彩を欠いており、かつての動きは見る影もない。

 すると、突如として妹紅の動きが止まった。

 

「……勘弁してよ……あんたがそんなんじゃ……泣けてくるよ……」

 

 突如として、妹紅はその場に泣き崩れた。何とか必死に感情を抑えていたが、その限界が来たのだ。

 がらんどうの将志には何故泣くのかが理解できず、首をかしげた。

 

「……何故……泣く?」

「だって、悲しいよ……あれだけ必死になって追いかけてきた背中が……こんな情けないことになって……」

 

 妹紅は泣きじゃくるような声で将志の質問に答える。

 妹紅にとって、将志はずっと追いかけてきた目標だったのだ。

 いつか将志を越える、その為に妹紅はずっと妖怪退治屋として修行を積んできていたのだ。

 ところが、その将志は今目の前で抜け殻のようになってしまっているのだ。

 その悲しみと絶望は、妹紅にとってとても耐えられるものではなかった。

 

「……妹紅……」

 

 将志は呆然と泣き続ける妹紅を眺めることしか出来なかった。

 降りしきる雨の中、妹紅は泣き続ける。

 雨はそんな彼女の心を映したかのような大雨に変わり、彼女の泣き声をかき消していく。

 しばらくすると、妹紅は俯いたまま立ち上がった。

 

「……消えろ……そんな無様な姿のあんたなんか……魂すら残らず消し去ってやる!!」

「……なっ!?」

 

 妹紅がそう叫んだ瞬間、灰色の世界が一瞬にして朱に染まった。周囲は炎の壁に覆われ、天蓋は熱く燃え盛っていた。

 将志は逃げ道を探すが、どこにも見当たらなかった。

 

「……逃がさないよ。今のあんたなんかこの外の世界に晒してたまるか。あんたは外では綺麗なまま、この炎の檻の中で燃え尽きるんだ。死にたくなければ、私を倒して見せろぉ!」

 

 妹紅は頬に涙を伝わせながら、その顔を憤怒に染める。

 ずっと目標にしてきた将志が、こんなどうしようもない状態になっているのが許せないのだ。

 妹紅は激しい憎悪を視線に込めながら、将志に向かって炎を放った。

 

「…………」

 

 将志は迫り来る炎をぼうっと眺めた。

 妹紅が激情に駆られて繰り出す炎は荒々しいまでに赤く、とても熱かった。

 ふと、将志はその炎を美しいと感じた。

 そしてここで死んでしまえば、こんな美しい炎はもう見られないと思った。

 次の瞬間、将志の身体は勝手に動いていた。

 

「喰らえぇ!」

 

 将志の眼前に、再び妹紅の炎が自らを焼き尽くそうと迫ってくる。

 

 ――いやだ。もっとこの炎を眺めていたい。

 

 将志は再び炎を避けた。

 

「くっ、ちょこまかとぉ!」

 

 今度は炎を鞭のように使って横薙ぎに払ってきた。

 

 ――綺麗だ。もっと強い炎が見たい。

 

 将志は上に飛び上がって回避した。

 

「これならどうだぁ!」

 

 将志の周囲を炎の渦が包み込み、じわじわと巻き付いてくる。

 

 ――美しい。もっと激しい炎が見たい。少し怒らせて見ようか。

 

 将志はその炎を銀の槍で振り払い、自分の興味の赴くまま妖力の槍で妹紅に反撃した。

 

「あうっ!? こ、このぉ!!」

 

 上から大きな炎の柱が次々と落ちてくる。

 天蓋を焼き尽くす紅蓮の炎が、将志の周囲を一気にその色に染め上げる。

 

 ――素晴らしい。もっと怒らせて見よう。

 

 将志は炎の柱を躱すと、手にした槍で妹紅を空中に打ち上げた。

 

「がはっ!? く、まだまだぁ!!」

 

 妹紅は空中から巨大な火の鳥を将志に向けて飛ばしてきた。

 その火の鳥は妹紅の激しい憤怒の情を表すかのように、強く猛々しく燃え盛っていた。

 

 ――最高だ。

 

 将志はそれを素早く移動することで回避した。

 

「…………ふっ」

 

 気がつけば、将志は笑みを浮かべていた。

 この戦いが楽しいのだ。

 それも、今までに思ったことが無いほどに。

 

 今、全てのしがらみから解き放たれた将志は、誰よりも自由だった。

 そして、空っぽの将志の中に、何かが生まれたような気がした。

 

「……ははっ、何よ……消してやろうと思ったとたんに良い顔になったじゃないか」

 

 妹紅はそんな将志を見て、嬉しそうに笑う。

 

「……ああ。良く分からんが、こんなに気分が良いのは初めてだ。楽しいと思うことは今までもあったが、今のような気分になったことは終ぞ無い。これが楽しいと感じることなのだな。……なるほど、思うと感じるのとでは大きな違いだ」

 

 将志も、そう言って笑い返す。

 その眼には、もはや空虚さなど残っておらず、ましてや以前のような薄っぺらなものでもなかった。

 その笑みは、本当に楽しそうな笑みだった。

 

「そう感じたんなら、あんたは立派に心を持っているよ……さあ、分かったところで思う存分やり合おうじゃないか!」

「……ああ!!」

 

 そういうと、二人は駆け出した。

 

 

 

 

 

「がふっ……あ、あんた、なんか前より強くなってるな……」

 

 妹紅は倒れ臥したまま将志を見上げてそう言った。

 雨はもう既に上がっており、雲の切れ間からは太陽が顔をのぞかせていた。

 

「……ははは、それは毎日鍛えていたからな。そういう妹紅は随分と強くなったな。見違えたぞ」

 

 将志はそれを聞いて嬉しそうに笑った。

 その笑みは、どこまでも明るい笑みだった。

 

「……あんた、そういう笑い方も出来るんだね」

「……ああ、俺も今初めて知ったよ」

 

 妹紅の言葉に、将志は感慨深げにそう言った。

 妹紅は傷が癒えると、立ち上がって将志に話しかけた。

 

「それで、これからどうするつもりだ?」

「……そうだな……まずは主に……永琳にきちんと話をしなければな……もっとも、今までのことを知られたとしたら何を言われるか……?」

 

 永琳に言われる言葉を想像したその瞬間、将志の胸に痛みが走る。

 それと同時に、将志の頬を一筋の涙が伝う。

 

「お、おい、将志!?」

「……くっ……何だ……何が、どうなっているというのだ……!?」

 

 次から次へと溢れ出る涙と胸の痛みに、将志は戸惑いを見せる。

 零れ落ちた涙は妹紅の炎によって乾いた地面を再び濡らしていく。

 その様子を見て、妹紅はため息をついた。

 

「楽しさ、嬉しさ、そして次に来るのが悲しみか……」

「……悲しみ……っく、そうか、これが悲しいと、いう感情なのか……妹紅……この場合は……どうすれば、良い?」

 

 どうしようもなくなった将志は妹紅に答えを求める。

 すると、妹紅は将志の頭を抱き寄せた。

 

「泣け、ひたすらに。そうすれば治る」

 

 妹紅は将志に優しくそう言って、頭を撫でた。

 

「……すまない。では、そうさせてもらう……」

 

 将志は妹紅の言葉に甘えて、初めての涙を流す。

 

「……やれやれ、世話の焼ける奴だ」

 

 そんな将志に、妹紅は苦笑いを浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

「ほら、キリキリ歩け!」

「……いや、少し待ってくれ。心の準備というものがだな……」

 

 永遠亭までの道のりを、将志は妹紅に引きずられるようにして歩く。

 妹紅は煮え切らない将志の態度に、がしがしと頭をかいた。

 

「ああもう、少しは前みたいな鉄の心臓を残しておきゃ良かったのに!」

「……そうは言ってもな……寄る辺にしていた信条が崩れた今、何に縋ればいいのか分からんのだ……あと、その三歩先に落とし穴だ」

「はあ? んなわけ、ぬあっ!?」

 

 将志が指摘した落とし穴に、妹紅は見事にはまる。

 そんな妹紅の手を、将志はしっかりと掴んで引き上げる。

 

「……だから言っただろうに……」

「っと……悪い、助かった。今度から忠告聞くよ」

 

 そんなこんなで、しばらくえっちらおっちら歩いていくと、永遠亭が見えてきた。

 そこでは先程妹紅が罠にはまったことで様子を見に来たのか、三人とも表に出てきていた。

 なお、輝夜は気まずいのか、永琳の陰に隠れるようにして立っていた。

 

「……将志」

「……っ」

 

 永琳が一歩前に出ると、将志は思わず後ろに下がる。

 拒絶されるのが怖いのだ。

 その様子を見て、永琳は怪訝な表情を浮かべた。

 

「……本当に将志……? 何だか、昨日と随分雰囲気が変わったわね……」

「……永琳……俺はっ!?」

 

 将志が何か言おうとするまでに、永琳は将志に抱きついた。

 その力は痛みを覚えるほどに強かった。

 

「……馬鹿。勝手に出て行くなんて、絶対に許さないから」

「……しかし……」

「輝夜から話は聞いたわ。でも、今までの事はどうでもいいのよ。あなたが悪いと思ったのなら、これから直していけばいいわ。ただ、一つだけはっきりさせておきたいことがあるわ……んっ……」

 

 そういうと、永琳は将志の唇に自分のそれを合わせた。

 

「は?」

「へ?」

「ほ?」

 

 それを見ていた三人は不意を突かれて素っ頓狂な声を上げる。

 そんな面々を尻目に、永琳は話を続ける。

 

「……誰が何て言おうと、私の一番はあなたよ、将志。だから、心の整理がついた時にまた答えを聞かせて欲しいわ」

「あ、ああ……」

 

 将志は顔を背けながら答える。

 それを見て、永琳は楽しそうに笑った。

 

「あら? 将志、ひょっとして照れてる?」

「……っ、悪いか!!」

「……いいえ、そんなことはないわよ。むしろ今のあなたの方が楽しそうに見えて良いわ」

 

 永琳はそう言って将志に笑いかける。

 将志はそれを聞いて、満足そうに頷いた。

 

「……そうか。それなら、散々落ち込んだ甲斐があったというものだ」

「おい、そこに私の多大な努力が含まれているのを忘れないでよ!?」

「……ああ、分かっているさ。お前にはどれだけ感謝すれば良いか分からないな。何かあれば可能な限り手を貸そう」

 

 自己主張をする妹紅に、将志は笑顔でそう言った。

 そんな将志に対して、輝夜が永琳の影から声をかける。

 

「……えーっと……さっきはごめんね、将志……私、酷いこと言っちゃって……」

「……気にすることはない、輝夜。お陰で俺は変わるきっかけが掴めたんだ。むしろ礼を言わせてもらうよ」

 

 将志がそういうと、輝夜はホッとした表情を浮かべて永琳の陰から出てきた。

 

「そ、そう……それじゃあ、朝ごはんにしましょう? 朝のゴタゴタでまだみんな朝ごはん食べてないのよ。みんなで将志の朝ごはんが食べたいわ」

「そうね。特に輝夜はさっきまで将志に酷いこと言った、帰ってこなかったらどうしようって号泣してたしね?」

「ちょ、ちょっとえーりん!?」

 

 にこやかに微笑む永琳の言葉に、輝夜は慌てた様子で口を塞ごうとする。

 それを見て、将志は思わず笑みを浮かべた。

 

「……ははは、了解した。すぐに取り掛かろう」

「んじゃ、私もついでだしもらっていこうかな」

 

 そう言いながら、妹紅は永遠亭の中に入っていこうとする。

 その肩を、輝夜ががっしりと掴んだ。

 

「……あんた、何でうちの中に入ろうとしているわけ?」

「ん? だってそっちが「みんなで」って言ったのよ? その中には私だって入るはずよ?」

「あんたはそのみんなの中に入ってないの。そこらの竹の皮でも剥いで食べてなさい」

「ふん、自分の言葉の責任すら取れないの? 言い訳が幼稚すぎるよ、あんた」

 

 売り言葉に買い言葉である。

 二人の間に見る見るうちに険悪な空気が漂い始めていた。

 

「……この……言わせておけば……」

「……なによ……やるの?」

 

 睨みあう両者。

 その二人の間に、銀の槍が差し込まれた。

 

「……そこまでだ。今ここで喧嘩をするというのならば、俺が全力で相手になるが?」

 

 将志は額を手で押さえながらそう言った。

 それを見て、妹紅は何か面白いことを考え付いたようである。

 

「……面白い、だったらこうしよう。将志に止めを刺したほうの勝ち。今日の朝食と将志を景品として勝負ね」

「……おい、俺が景品とはどういうことだ?」

 

 妹紅の言葉に、将志が抗議の声を上げる。

 すると妹紅はそれに対する答えを返した。

 

「噂で聞いてるのよ? あんた、料理の神でしょ? なら、あんたを手に入れれば食事には困らないじゃないの」

「ちょっと、そんなことで将志を賭けなきゃならないの!? 私達の大損じゃない!」

 

 いかにも名案であると言わんばかりに妹紅はそう言う。

 それに対して輝夜は妹紅に掴みかからんばかりの剣幕でまくし立てた。

 

「様は勝てばいいのよ、勝てば。それとも何か? この期に及んで怖気づいた?」

「く〜っ! やってやろうじゃない! あんたなんてけちょんけちょんにしてやるんだから!」

 

 妹紅の挑発に、輝夜は臨戦態勢を取る。

 しかし、そんな二人の戦いに予期せぬ乱入者が現れた。

 

「へぇ……面白そうね……私も混ぜてもらおうかしら?」

「え?」

「へ?」

 

 にらみ合っていた二人は、声の主である永琳を呆然と見つめた。

 

「だって、将志の主は私よ? なら、参加しないわけには行かないでしょう。てゐ、これ預けるわ。久々に本気出すわよ」

 

 永琳はどこからともなく弓を取り出し、自らの霊力を抑えているペンダントを取り外し、てゐに渡した。

 その瞬間、永琳は凄まじい気迫を発し始め、その場に居るものを圧倒する。

 

「……何この無理ゲー」

「……勝てる気がしないんだけど」

 

 そんな永琳を見て、二人は冷や汗をだらだら流しながらそう呟いた。

 その横で、将志はてゐに話しかけた。

 

「……てゐ、この状況に何とか収拾つけられるか?」

「……あんた、私を殺す気? 大人しく袋叩きに遭うが良いわ」

「……やるしか、ないのか……」

 

 将志は冷や汗をかきながら、自らの命綱である銀の槍を握り締めた。

 その後、将志にとって地獄とも思えるような壮絶な鬼ごっこが始まった。

 

 

 

 

 

 

 その日の夜、将志は疲れ果てた様子で縁側に座っていた。

 その隣には永琳が座っており、一緒に風景を眺めていた。

 

「……やれやれ、今日はいろいろあったな……」

「ええ、本当にね……」

「……朝の勝負は本気でどうなるかと思ったぞ……」

「後ちょっとで将志を捕まえられたんだけどね。将志の方が上手だったわ」

 

 朝の勝負において、永琳の無差別攻撃により輝夜と妹紅は早々に沈み、ほぼ一対一の対決となっていた。

 そのあまりの猛攻に将志は逃げることしか出来ず、永琳もまた将志を手中に収めるために全力全壊(誤字にあらず)で挑んだのであった。

 結局、その勝負は時間切れによって将志の勝利に終わった。

 

「……そう簡単に捕まるような鍛え方はしていないからな。とは言うものの、本気の永琳は強かったな。元々護衛のつもりで居たが、要らないのではないか?」

「あら、か弱い乙女に戦わせて、自分は高みの見物を決め込むつもりかしら?」

 

 永琳は将志に寄りかかりながら、そう言った。

 それに対して、将志は困ったような顔を見せて答えを返した。

 

「……今日の戦いを見る限りでは、か弱いという部分には大きな疑問符がつくのだが……」

「……意地が悪いわね。いや、ちょっと待てよ。いっそ将志を力ずくで手篭めに……」

「……こ、怖いことを言わないでくれるか、永琳……」

 

 首に手をかけようとした永琳に、将志は思わず身を引いた。冗談にしては、眼が本気だったのだ。

 それを見て、永琳はからからと笑った。

 

「冗談よ、冗談。それにしても、今日一日で随分と表情豊かになったわね。今もそうだけど、おびえる顔なんて前はしなかったし。それにどうしたの? 急に私のことを名前で呼び始めて」

「……少し思うところがあってな……しかし、今となっては何故前のような状態になっていたのかが分からんな」

「まあ、分かってしまえば簡単だったんだけどね。将志は『主を守る一本の槍』であろうとしていた。それも、『あらゆるものを貫く程度の能力』まで使って頑ななまでにね。将志は何よりも私のことを一番に考え、私のために常に全力を尽くした。同時に、私を守る手段として他者に接し、仲間を増やしていった」

「……その結果があのような不出来な機械人間というわけだ。いや、俺は妖怪だったのだから機械妖怪か。……む、語呂が悪いな」

 

 将志は大きくため息をつきながらそう言った。

 それを見て、永琳は苦笑いを浮かべた。

 

「何事もやりすぎは禁物ってことね。二億年越しに身を持って知ったわね、将志」

「……ははは、違いない。いつか永琳がそう言っていたことを思い出すよ」

 

 永琳の言葉に、楽しそうに笑う将志。

 そんな将志を、永琳は感慨深げに見つめた。

 

「その笑い方も、私は今日初めて見る。嬉しいわ、やっと将志が自分を出してくれた」

「……気付いていたのか? 俺自身気付いていなかったというのに?」

「確証が持てたわけじゃないけど、何かがおかしい気はしていたのよ。感情の変化は確かにあるんだけど、どこか空虚だったわ。でも、今はそれがない。やっと本当の将志に逢えたわ」

「……まあ、一応動いていたのは俺自身の意思ではあったのだがな」

「それでも、やっぱり感情があるのとないのとでは大違いよ」

「……そういうものか?」

「そういうものよ」

 

 そう言い合うと、将志は憂鬱なため息をついた。

 

「……ふう……しかし、ここだけでこの騒ぎでは、帰ってからまた一波乱ありそうだな……今の俺を見たら、六花辺りは発狂しそうだ」

「本当ね……そういえば、六花と言えば名前の由来は包丁の銘だったわね」

「……ああ、そうだが?」

「それじゃあ、将志の槍にも銘打たれているかしら?」

 

 永琳は興味深そうな眼で将志を見つめる。

 それに対して、将志は自分の銀の槍を見つめながら頷いた。

 

「……確かに、俺の槍にも銘は入っている。もっとも、気がついたのは俺が槍ヶ岳 将志を名乗ってからだいぶ時間が経ったときだったがな」

「それで、なんていう銘なのかしら?」

「……俺の槍の銘は『((鏡月|きょうげつ))』。つまり、本来ならば俺は鏡月と名乗っているところだったのだ」

 

 将志は傍らに置かれている銀の槍を撫でながら、それに刻まれた銘を答える。

 その手に、永琳はそっと手を添える。

 

「……綺麗な名前ね。使わないでおくのが勿体無いわ」

「……では、今からでもそう名乗るか?」

 

 将志の問いに、永琳は首をゆっくりと横に振った。

 

「……いえ、名乗らないで。その名前、『鏡月』は出来ることならここに居る二人だけのものにしたいわ」

 

 それはほんの些細な独占欲。

 永琳の言葉には、それが如実に含まれていた。

 

「……そうか。ならば、俺は槍ヶ岳 将志の名を生涯通すとしよう」

 

 将志はそう言って、永琳に答えた。

 すると、永琳は添えた手をキュッと握って将志の手を掴んだ。

 

「……実はね……私も、本当は永琳って名前じゃないのよ」

「……そうなのか?」

「ええ……」

 

 将志の問いかけに、永琳は肯定の意を示す。

 それに対して、将志は躊躇いがちに問いかけた。

 

「……聞いてもいいのか?」

「良いわよ……いえ、あなたにだけは聞いて欲しい。私の本当の名前は、××」

 

 永琳は将志の耳元で囁くように自分の本名を告げた。

 将志はそれをかみ締めるように、しばらく眼を閉じていた。

 

「……それが本当の名前か……月並みだが、良い名前だな」

「気に入ってもらえて嬉しいわ。……ふふっ、二人とも偽名でお揃いね、私達」

「……ははは、確かにそうだな。俺達はお揃いだ」

 

 二人はそう言って嬉しそうに笑いあう。

 

「ねえ……」

「……どうした、んむっ……!?」

 

 永琳は向かい合うと、おもむろに将志の唇を奪った。

 頭を抱え込み、将志の唇を少し強めに吸う。

 

「……んちゅ……これであなたは私の一番……あなたの一番は誰、鏡月?」

 

 永琳は紅潮した顔で将志に向かって、本名を呼びながら問いかける。

 

「…………」

 

 しかし、将志からの返事が返ってこない。

 その様子に、永琳は首をかしげた。

 

「……鏡月?」

「……はっ!? 一瞬、意識が……すまない、もう一度言ってもらえるか?」

 

 永琳が再び声をかけると、将志は息を吹き返した。

 それを見て、永琳は面白そうに笑った。

 

「ふふふ……ひょっとしてびっくりして意識が飛んだのかしら? 良いわよ、何度でも言うわ。あなたの一番は誰、鏡月?」

「……そうだな……」

 

 将志は少し考えると、永琳の頬にキスをした。

 唇を頬に押し当て、軽く吸いながら舌で少しなめる。

 

「……すまん、今の俺にはこれが限界だ……俺はまだ、自分の気持ちがどうなっているのかが分からない。だが、はっきりと言える事は俺は永琳を好いている。それだけは確実だ」

 

 将志は永琳の眼を見て、今の自分の嘘偽り無い気持ちを伝えた。

 

「…………」

 

 しかし、今度は永琳からの応答がなかった。

 永琳は呆けた表情で、将志の顔を眺めている。

 

「……永琳? どうしたのだ?」

「……い、いえ……前に唇にキスされた時よりも破壊力があったものだから……それより、少し物申したいことがあるわ」

「……永琳?」

「それよ。せっかく私が鏡月って呼んでるんだから……」

 

 永琳はそう言いながら不満げに頬を膨らませる。

 すると将志はハッとした表情を浮かべた。

 

「……××」

「ふふっ、宜しい♪ あなたとはもっとじっくりと話がしたいわ。まだ夜は長いことだし、今日は思い切り甘えさせてもらうわよ」

 

 永琳は嬉しそうにそう言って笑うと、将志の膝の上に乗った。

 それに対して、将志は微笑みながら答える。

 

「……俺の心が耐え切れる程度で頼むぞ? どうにも、前とは勝手が違うようだからな」

「……善処なんてしないわよ?」

「……いや、そこは嘘でも善処すると言ってくれ……」

 

 永琳の発言に、将志は若干冷や汗をかきながら答える。

 

「……××」

 

 ふと、将志が永琳に話しかける。

 

「ん? なにかしら?」

「……今までろくでもないことをしていた俺だ。こんな俺でも、また主と呼ばせてもらって構わないか?」

 

 将志は少し緊張した面持ちで永琳にそう問いかけた。まだ、永琳に拒絶されることが怖いのだ。

 すると、永琳は笑って将志を抱きしめた。

 

「……何言ってるのよ。あなたのことは、例えあなた自身が泣きながら頼んだって手放してあげないわ。喜んでそう呼ばれてあげるわよ」

 

 永琳がそういうと、将志は安心した表情を浮かべてため息をついた。

 そんな将志に、永琳は更に言葉を投げかけた。

 

「でも、こういうときくらいは対等で居ましょう、鏡月?」

 

 そう話す彼女の笑顔は、何よりも綺麗だった。

説明
いつもどおりに永遠亭へと向かった銀の槍。すると、そこでは輝夜に何やら異変が起きていた。
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コメント
クラスター・ジャドウさん:永琳や愛梨に輝夜みたいなことは絶対に言えないでしょうね。二人にとって最大の心の拠り所ですから、失うことに対する恐れが絶対に出てきます。なお、永琳は妹紅の挑発を口実に完全に将志をものにする算段を組んでいました。抜け目無しです。(F1チェイサー)
神薙さん:これから先将志がどうなっていくかは、後のお楽しみです。(F1チェイサー)
…妹紅、遂に輝夜と相対す。…永遠亭に泊り込んだ将志は、輝夜の激情により心を覆っていた氷に罅が入り、妹紅との勝負により完全に氷が溶けたのだな。将志を機械と罵倒するのは輝夜にしか出来ないし、心を勝負によって伝えるのは妹紅しか出来なかっただろう。…しかし妹紅よ、永琳の前での挑発は、些か蛮勇が過ぎた様だなww(クラスター・ジャドウ)
なんだか一気に前進しましたね…まさかの原因が心が無かったから、ですか…でも今はもう心を取り戻している、これからどうなるんでしょうね?楽しみです!(神薙)
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