それは縛鎖にあらず
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「みんな寝ちまったか……」

 

 城の中庭、そこの芝生の上に寝転がりながら、一刀は疲れを滲ませた声で呟く。

 その腕や腹、胸の上など体の至る所には、遊び疲れたのだろう彼の愛娘達が頭や体を預けて眠っている。

 その為、今の彼は満足に身じろぎ一つ出来ないような状態である。

 しかし、そんな状態にもかかわらず、彼の顔には柔らかな笑顔が浮かんでいた。

 

「みんな、一刀と遊ぶのは久しぶりだったから…… きっと、いつもより張り切っちゃったのね」

 

 一刀の頭に膝枕をしている蓮華は、そう言って一刀の髪を優しく梳くように彼の頭を撫でる。

 そうしながら、彼女は先ほど浮かべていた彼の笑顔を想う。

 

 それは、自分達が出会い、そして共に乗り越えたあの戦乱の間には見られなかった類のものだ。

 それが彼の顔に表れるようになったのはいつからだろう、と彼女は記憶を辿り、ややあってから思い至る。

 

――― 孫登たちが生まれたときから、ね。

 

 彼と自分、そして艱難辛苦も栄耀栄華も共にした孫呉の将たちとの間に生まれた娘達。

 だとするならば、彼のあの笑顔は『父親』としての顔なのだろうか。

 そう想い、彼女はそんな愛しい夫に心の中で暖かいものが満ちてくるのを実感する。

 

 そして同時に、その心を苛むように、棘がチクリと刺さるような痛みを憶えた。

 

 と、そこで蓮華は自分の膝の上にある一刀の顔が、自分に真剣な眼差しを向けていることに気付く。

 

「どうしたの?」

「いや……」

 

 少々面を食らうように蓮華が尋ねると、一刀は表情を崩さぬまま口を開く。

 

「ただ、ここから見える光景は中々に絶景かと。 後頭部の柔らかな感触も含めてまさしく至福」

「……え?」

 

 一瞬、何を言っているか解らなかった蓮華だが、その言葉の内容を理解すると同時に脱力する。

 

 しつこいようだが、現在一刀の頭は蓮華に膝枕されている状態であり、自然とその視線は上を向くことになる。

 そしてそこにあるのは蓮華の顔であるのだが、それだけではない。

 お互いの顔の中間点には蓮華の大きく育った乳房があり、一刀は下からという普段ならばまず見ることは叶わない視点からそれを眺めていることになる。

 なお、後頭部の感触というのは言わずもがな彼が枕にしている蓮華の太腿であり、鍛えられ引き締まりながらも女性としての柔らかさを保持したそれは現在進

 

行形で堪能している彼をして至高と言わしめるに足る代物だった。

 

 何事かと身構えていたところに返されたその言葉に、蓮華は呆れ果てながらも照れ交じりに怒りを覚える。

 

「何を考えてるのかしら、あ・な・た・は〜…… 」

 

 彼女は一刀の体を寝具としている娘達を起こさぬように、彼の額を指で何度も弾く。

 一撃一撃が割りと的確で結構痛いそれを、同じところに食らい続けている一刀は、しかし腕も胴も足すらも娘達に占領された彼は額を抑えるどころか悶えること

 

もできないまま、ひたすらにそれを享受することしかできなかった。

 

「ご、ごめん蓮華。 だからや、やめて、って痛っ、ちょ、マジで痛い痛い」

「まったくもう」

 

 蓮華が深い溜息をしてそれをやめると、一刀はごめんごめんと謝りながら苦笑する。

 

「で、どうした?」

 

 と、彼は柔らかく笑ったまま、改めて蓮華に問う。

 彼女はえ、と一瞬戸惑うも、一刀はさらに続ける。

 

「……… もう、俺たちも結構な付き合いなんだぜ? お前がなんか考え込んでるくらい解るさ。

 まぁ、無理に聞き出そうとは思わないけどさ」

 

 けれど、一人では抱え込まないでほしいと、一刀は言外に告げていた。

 そんな彼に対し、蓮華は少しだけ迷ってから、重たく口を開いた。

 

 

 

「ねぇ、一刀。 天の国に……… 貴方の故郷に、帰りたい?」

 

 

 

 その問いに、一刀の表情が固まる。

 蓮華はさらに続ける。

 

「貴方はここに来て、私達にも民にも……… ううん、呉という国そのものに色々なものを残してきた。

 それは、この国での…… この世界での貴方の居場所ができたってことでもある。

 けれど…… 貴方には貴方が育ってきた国が、世界がある」

 

 一刀の脳裏に、今ではだいぶ遠くなった元の世界のことが浮かんでくる。

 父母に祖父、友人たち。

 あまりにも唐突に、会えなくなってしまった大切な人たち。

 

 あまりにも唐突に――― 過ごせなくなってしまった、日常。

 

「ねぇ…… 貴方は今でも、帰りたいと思ってる?

 貴方にとってこの世界は……この国は……私達は、貴方を縛り付けてしまう鎖になっていない?

 貴方は、貴方は……」

 

 私達を、恨んでいない?

 彼女の声無き問いが、一刀の深いところまで突き刺さる。

 

「今更、こんなことを訊くのは卑怯だと思ってるわ。 でも………」

「蓮華」

 

 すでに、いつ泣き出してもおかしくない蓮華の言葉を、一刀は遮る。

 その目はいつの間にか伏せられていて、それが彼女にとっては拒絶の意思を示しているかのようにも見えてしまった。

 

 暫くの間、二人は言葉を発さなかった。

 実際のところ、一分もたっていたにその時間は、しかし蓮華にとってはその何百倍も長く感じられた。

 

「……… 正直に言おう。 元の世界、俺の故郷……… 帰りたいと思ったことはある。

 その未練は、今でも俺の中で息づいている」

 

 蓮華の体が、強張る。

 一刀の目は未だ伏せられたままだ。

 

「そして、その未練は…… きっと、俺が死ぬまで、無くなることは無いと思う」

 

 それは、糾弾のようにも、懺悔のようにも聞こえ、蓮華の心に先ほど感じたそれとは比較にならないほどの…… それこそ、刃で切りつけられたかのような痛みを与

 

えた。

 だが、一刀はけれど、と言葉を続ける。

 

 

 

「それは、向こうに帰っても同じだよ」

 

 

 

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***

 

 

 

「え?」

 

 そこで、ようやく一刀は目を開ける。

 その視界に映るのは、今にも涙を零しそうな蓮華の、しかしきょとんと呆けた表情。

 

「いや、違うな……もっと、ひどいだろうな」

「どういう、こと?」

 

 一刀は、蓮華の不安げな表情を晴らすかのように優しく微笑む。

 

「もし、俺が向こうに帰ったとしたら、こちらの世界に対して未練タラタラだろうし、帰ってきたことにもの凄く後悔すると思う。

 これが、どういうことか解るか?」

「…… どっちだろうと、結果は同じだから気にするなって言うの?」

「違う」

 

 ぴしゃりと返された否定の言葉に戸惑いと困惑を重ねる彼女に、彼は笑顔のまま答える。

 

「俺は、元の世界に対して未練はあるけれど…… ここで、この世界で、こうして生きていることに後悔は無いっていうことだ」

「っ………!!」

 

 一刀の言葉に、蓮華は驚きに息が詰まる。

 一刀はさらに続ける。

 

「……… それを自覚したきっかけは、孫登たちが生まれたときだな」

 

 もし、自分が向こうの世界に返れないことに後悔しているなら、自分はここまで彼女たちを愛することはできなかったろう。

 それそこ、この世界に自分を結びつける縛鎖だと憎んでいたかもしれない。

 

 だが、生まれてきた己の娘に対し湧き上がってくるのは――― 紛れも無く、混じりも無い、純粋な愛情。

 

「その時、俺は自覚したんだ…… 俺はとうの昔から愛してたんだと。

 この世界を、この呉という国を、この国に住む民を。 そして」

 

 一刀は蓮華の顔に手を伸ばす。

 その瞳に溜まった涙を、指で優しく拭う。

 

「蓮華を、みんなを…… これ異常ないくらいに愛してるって。

 だから、これはきっと縛鎖なんかじゃない。

 俺は、縛り付けられているんじゃあない」

 

 そう、これに名前をつけるのならば、このほかにはありえない。

 

「蓮華。 俺と、この世界にあるすべてのつながりは…… 縛鎖なんかじゃなく、『絆』なんだ」

「一刀、かずとぉっ……!!」

 

 そこで、蓮華はとうとう堪え切れずに泣き出してしまった。

 しかし、その涙は決して悲しみからのものではなく、そして彼女の胸を満たすのは、先ほどまで感じていた痛みなどではなく、もっと暖かいものだった。

 

 一刀は身を起こし、彼女の頬に手を添える。

 熱い涙の感触が、手のひらを通して彼に伝わり、蓮華は涙を流しながら一刀を濡れた瞳で見つめる。

 そして、二人の顔は徐々に距離を失くしていき………

 

 

 

「「「「「「じぃ〜〜〜〜」」」」」」

 

 

 

 そんな二人を、六対の瞳が眺めていた。

 

「って、わぁっ!?」

「きゃっ!?」

 

 二人は驚いて思わず後退る。

 見れば、いつの間にか起きていた孫登たちが並んで自分たちを見つめていた。 

 

「お、お前たちいつの間に…… って、そういえばいつの間にか俺も動けてたし!?」

「って、一刀、その時点で気づきなさいよ!!」

 

 先ほどの涙はいずこやら、蓮華は顔を真っ赤にして一刀を怒鳴る。

 一方の一刀も、そんな蓮華に小さくなるばかりである。

 と、そこへ生まれて数ヶ月の呂jを抱きかかえていた陸延が舌足らずな口調で問いかける。

 

「とうしゃま〜、もうくちじゅけはしにゃいんですか〜」

「陸延、だめですよ? そんなことを聞いたら父様(ととさま)だって余計にしにくくなってしまいますから」

「邵、その通りなんだけどあんまり言わないでくれるかな?」

 

 蓮華の視線が怖いから。

 口に出さなかったその言葉通り、隣から突き刺さる彼女の視線は一刀にそれを直視する勇気を与えなかった。

 と、そんな一刀に何故か孫登は頬を膨らませる。

 

「父様(とうさま)、母様を泣かしちゃ駄目なのっ!!」

 

 どうやら、父親が母親を泣かしたことにご立腹のようだ。

 と、そこへ隣の甘述が口を開く。

 

「孫登様、あれは嬉し涙というものなのです」

「ふぇ、そうなの?」

「その通りだ登殿。 だから親父殿は蓮華様を苛めたわけではないのだぞ?」

「へぇ〜」

「述、丙、二人ともお利巧なのは嬉しいんだけどね」

 

 愛娘たちの反応に、一刀はもう脱力するしかなかった。

 蓮華も、ここまでくるともはや怒りを通り越して苦笑するしかない。

 と、そこへ穏の自分たちを呼ぶ声が聞こえてきた。

 

「だんな様〜、お茶が入りましたよ〜。 みんなでお茶にしましょう〜。

 亜莎ちゃんがごまだんごを作ってくれましたよ〜」

 

 

 その言葉に、かあしゃま〜と呂jを抱いたまま歩いていく陸延を筆頭に、皆そちらへ向かっていく。

 と、孫登だけは蓮華のほうに歩み寄ると、彼女の手をとる。

 

「母様も行こう!」

「…… そうね、行きましょうか」

 

 言うと、彼女は立ち上がり、孫登の手を握り返す。

 と、孫登は逆の手を一刀に差し出す。

 

「父様も、一緒!!」

 

 差し出された手を、一刀は見つめる。

 

 自分がこの世界で作り上げてきた『絆』。

 その結晶とも言える、愛しき存在。

 

 一刀は立ち上がると、その手を握り、愛娘に笑顔を向ける。

 

「あぁ、行こうか」

 

 彼はその手を優しく握り、孫登もまた彼の手を握り返す。

 輝かんばかりの笑顔と共に頷く彼女に、彼は改めて決意する。

 

 自分はこれからも、この『絆』を全力で愛し、守り抜くと。

 隣を見れば、蓮華も自分たちに笑いかけている。

 前を見れば、他の娘たちと、穏や思春、祭たちもみんな笑顔で自分たちを待っている。

 それだけのことが、たまらなく幸せだった。

 

 

 

 そうして彼らは歩き出す。

 その身を縛るものは何も無い。

 あるのはただ、この上なく愛すべきあまたの『絆』ばかりである。

 

 

 

 〔劇終〕

説明
 今度は呉ルート後のお話です。
 もう少し時間に余裕があれば親子ごとに煮詰めたかった……
 ちなみに、孫登たちの口調などはあくまでも自分が考えたものですのでご了承ください。
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コメント
きっと蓮華は子供たちから大母さまとか呼ばれてるんだろうな(のぼり銚子)
子供達の話は初めて読みましたが良かったです。(nemesis)
子供たちに癒されます(サワディー(・ω・))
良い作品ですね、感動しました。 子供がおませさんなのも良い感じです(yosi)
うん、いい。 なんかちびっ子達に癒された。 蓮華も可愛いし言うことなし。(ブリューナク)
なるほど!!いいセンスだ!!(某蛇氏風に)なんか…凄く救われたような気がします…。ありがとう!!(ZERO)
感動したずぇい!!呉ルートで雪蓮や冥琳が死んでしまうと言う、正直納得できない話でしたが…この終わり方なら文句なし!!(MiTi)
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