Criminal-クリミナル- 《始祖の原罪》【2】
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 ニクスは街中と言う街中を彷徨い歩いた。

 

 無論、インフィから無理矢理依頼"させた"彼女の連れ、ティアの捜索の為だ。

帽子と黒髪が特徴の子供ーそれだけでも探し出すには十分な情報の筈だった。

 しかし、帽子を被っている人は居るものの、肝心の髪の色が黒い人は一人も発見できなかった。

 「他言無用だから聞き込みもダメだしなぁ……」

とぼやいても見ても状況は好転してくれない。

 

 職業柄、他人の話を盗み聞きする事も出来るのでそれも実行してるのだが

これと言った話題が上がる事無く、ニクスは途方に暮れ始めた。

 「これじゃあ金も貰えねぇぞ……不味いな」

 何しろこの街ーバイヤーノは商人が集い路肩で店を開き、それに客が寄って来るので

必然的に人混みが出来上がるほど人口密度も高まる街だ。

 この中で人探しをする事は川原に投げた石ころを探す事とほぼ同義の難しさである。

更に目撃証言も無しに探す事が難度に拍車をかけていた。

 

 「だぁ〜〜……もうやってられっか」

 やってられない程に諦めの早い男である。

 ニクスは脱力したように、前のめりに腕を垂らして歩き出した。

 

 

 

 一方、インフィは黙々とニクスとは反対側の街中を隈なく捜索していた。

 「っ、ここも駄目ですか……」

 視界全体に最大限の注意を注ぎ、一人として見逃さないよう観察してゆくが、

その苦労が報われる事は無かった。

 何処を見ても、黒い髪はその視界に入って来ない。

 インフィは努めて冷静でいようとするが、焦燥感は意志とは逆に勢いを増していく。

 焦燥感は只でさえ非効率な捜索を更に困難にする。

捜索に重要な要素である判断力、認識力、集中力を削ぎ落す。

 

 

 約束の二時間が瞬く間に過ぎ去り、二人は時計台の下で落ちあうが

当然ながらティアを見つけることはできていなかった。

 跋が悪そうにニクスは苦笑いを浮かべる。

 「たはは……見つかんなかったわ。悪ぃ」

 対してインフィは先に会った時よりも更に落ち込んだ様子で笑う。

 「お気になさらないで下さい。捜索手段が手段ですから」

 ニクスから見ても、インフィの顔は既に肉体的にも精神的にも擦り減ったような

乾き切った笑顔だった。

 胸の痛むところは有るが、だからと言って自分がこれ以上力になれるわけでは無い。

 

 ニクスが断わりを入れてその場を立ち去ろうとすると、不意に声がかかった。

 「おいおい、こんな可愛い娘置いて逃げるわけじゃねーだろーなー?」

 図星を突かれたニクスは声のした方へ顔を向ける。

 そこに立ってにやにや笑いを浮かべていたのはダークスーツに身を包んだ男。

肩まで伸びた金色の髪とその端正な顔つきが相俟って、軽そうな印象を与える。

 「ファクマ……」

 苦々しげにニクスはファクマと呼んだ男を見やる。

 ファクマはその笑んだ表情を崩す事無くわざとらしく目を丸くする。

 「ここの地域調査序で(ついで)にニクスくんの動向を見に来たんだけどよ……珍しい事もあるんだなぁ。

 お前が騎士娘(ガールナイト)と逢引とは」

 ニクスが否定する言葉を投げるよりも早く、ファクマは台詞を継ぐ。

 「わぁーってるよ。俺は情報屋。お前のやってる事は大抵お見通しだから」

 それを聞いたニクスが閃いた様にファクマに尋ねる。

 「っ、お前、俺とこの娘の探し人知ってるのか?!」

 ニクスの質問を聞いたインフィの態度が緊張を帯びたが、ニクスは気づかない。

              ~~~~~~

 「ああ、知ってんぜ。」

 ファクマはあっさり肯定した。

 今まで苦労して探していたのが馬鹿馬鹿しく思いながら、今は質問をする方が

先だとニクスは矢継ぎ早に質問を投げる。

 「場所は!?」

 「まぁ待ちな。それより――」

 ファクマの言が途切れる。

 

――何故なら

 

 ニクスの背後に居たインフィが瞬時に跳躍し、ファクマの頭上から得物である大剣を振り降ろしていたからだ。

 飛び越されたニクスは、全く反応できないでいた。

 

 ファクマは、全く笑みを消さずに穏やかに尋ねる。

 

 「どー言う事かな、お嬢さん?」

 大剣を素手でいなし、難なく斬殺を免れたファクマが余裕の口調でインフィに訊く。

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 不意を付いた筈の渾身の斬撃――それを難なくかわされたインフィの脳裏に膨れ上がっていた

絶望が、遂に飽和した。

 「ぁっ……」

 

 インフィは、それ以上の剣撃を繰り出す事は無かった。

 何故ならインフィは心身共に限界に来ており、無理を押してティアの捜索まで行っていたからだ。

 そして、通常の思考なら考えられない脇道とは言え街中での情報屋への奇襲。

 最早、正常な思考すら難しくなる程に追い詰められていた彼女は、気絶する事を身体が強要していた。

 

 「おっ、おい」

 倒れ行くインフィを抱き止めたファクマをニクスが咎めるように声を上げる。

 ファクマが呆れ声で返事する。

 「何考えてんだ。いくら俺が女好きだからって気絶までさせるかよ」

 

 「あ、あぁ……インフィ、だったっけ。何でお前を斬ろうとしたんだ?」

 

 ファクマは過ぎ去った危機にはてんで無関心な風に吐き捨てた。

 「幾ら俺が素敵なイケメン情報屋でも乙女の心中まで知るわけねーだろ、アホ」

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 インフィが気絶し、とりあえずと言う形で宿で休ませるようにしたニクス。

 彼女を部屋に寝かせ、備え付けの椅子に座り込んだニクスはふと傍らの存在に気づく。

 「何でアンタまで来てんだよ・・・」

 そこには、先程インフィに斬りかかられた情報屋の青年・ファクマがニクスを見降ろしていた。

 「ハッ、お前ら二人だけ部屋に残しとくと何するか分かんね-からな。」

 「行動把握してるように言わないでくんない!しないから!」

 「馬鹿言え、俺は情報屋だから知らない事は無いんだぜ?お前に度胸が無いのは認めるがな」

 「いやいや、さっき乙女の何たらは知らないってのは嘘かよ」

 ファクマは、答えを返す前にインフィの様子を窺い、寝ていることを確認する。

 

 「この娘が斬りかかってきた事……改めて話してもいいが、本来なら国一つ買える大金が要る件なんだ。

 お前は金を持って無いのも分かり切ってるし、この際金なんてチャチぃ代金はいらねぇ。但し」

 

 ファクマが、初めて笑みを消して真顔になる。

 

 「賭けを――してみねぇか?」

 

 「は?賭け?」

 間抜けな返事をするニクスを横目に、ファクマは説明する。

 「俺は、この娘の事情を知ってる。情報屋だからな。ここまではいいか?」

 「お前……密かに馬鹿にしてない?」

 不満そうな声を洩らすニクスに、ファクマは苦笑する。

 「ああ、してる」

 「てめぇ……」

 キレかけるニクスを前に、ファクマは平然と言い放った。

 「だが、バカだからこそ――お前は彼女に殺されなかった、としたら?」

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 「バカだか、ら?」

 「お前は事情を知らなかったから、殺されなかったんじゃねーのかって意味だよ」

 ニクスの身体が、無意識に冷める。

 「もし、だ。あの時この娘が元気万全、どっからでも来いやー状態だったらな……

 お前もどうなってたか分かんねーぜ?」

 「なっ――」

 「事情を知ってるかもしれないと、確信を持たれた時点で俺は消されそうになった。

 じゃあ、あの時俺と知り合いだって事が発覚したお前自身、本当は事情を知っていたのかと

 疑われても可笑しくないぜ?」

 

 ニクスの顔から、ふざけた雰囲気が失せる。

 

 「……何が言いたいんだ、アンタ」

 「つ・ま・り、この娘の目が覚めた時、事情を知ったお前の命が在るかどうか。

 ――それで賭けをしてみないか?」

 

 

 「―――ふざけるな!」

 

 ニクスは激怒した。

 「お前、どうかしてるんじゃないのか、人の命を何だと思ってる!」

 

 ファクマは悪びれもせず、言葉を返す。

 「ふざけるな、人の命を何だと……ね。生憎だが、俺にはお前が正義感からんな陳腐な

 台詞を言ってるようには思えねー」

 「なんだとっ!」

 「お前の怒りは、臆病者故の恐怖心から来る怒りだ」

 「――っ!」

 「自分が死ぬ事を恐れて、危険逃避の為に怒ってるんだ」

 ニクスは目を剥いた顔を伏せる。それは怒りの表情なのか、驚きの表情なのかは分からない。

 「……」

 「違うか?」

 ファクマは冷静に、ニクスを見据えて尋ねる。

 

 「……」

 ニクスは俯いたままに、しかし冷静さを取り戻した声音で応える。

 「……違うね」

 「ほぉ、何で?」

 ファクマはニヤリと微笑んで訊く。

 「俺はバカだから、我が身を計算高く守る術なんていちいち考えないんだよ!」

 ニクスはいまいち締まらない理由を掲げて自信満々に答えた。

 

 「……なるほど――正論だ」

 ファクマも、突っ込みを入れる気にもならなかったらしい。

 「どうだ、まいったか」

 「いいや、そもそも賭けはまだ始めてすらいないんだ。受けるのか、受けねーのか。

 言ってもらおうか」

 ニクスは、意を決したようにファクマを見据える。

 「俺の命……いいぜ、受けてやる。但し、お前の担保は俺が決める」

 

 ファクマは訝しげな表情を見せる。

 「何言ってんだ?俺は既にこの娘っ子の事情と言う゛情報゛を賭けの担保を前払いで」

 ファクマの言を、ニクスは一笑に伏した。

 「いらねぇよ、そんなつまんねぇもの」

 ファクマはニクスの言が更に理解できなくなる。

 「は?それじゃあお前が斬られるかもしれない条件そのものが―― 」

 しかし混乱を極めたファクマ自身の一言で、ニクスの考えが読めてしまった。

 「……はっ。そう言う事かよ」

 「そう言う事。事情を知った゛ふり゛でも、インフィに命を狙われる事には変わりはない。」

 

 自分自身でバカと呼んでおきつつ、彼の意外な頭の冴えにファクマは舌を巻いた。

 (伊達に賊を相手取る゛アンチシーフ゛を名乗ってないってか)

 

 「情報」と言う者は、それを入手する者にとって、内容次第では財宝の山以上のものになるし、

 塵屑以下の代物にだってなり得る。この場合だと、ニクスにとってインフィの事情は不必要なもの

 と分析したのだろう。

 

 そして、自分自身、得になるものを代わりにファクマに賭けさせることにした。

 いや――賊を相手取る以上、命のやり取りをする機会も少なくは無い事を思案に入れると、

己の命の危険に対して疎くなっている方が普通ではないだろうか。

 それが他人の命なら、怒る事に対して納得の余地はあるだろう。

 

 だが、ニクスの場合は自身の命に対して、あの怒り様である。

 

 (まさか、こいつが怒ったのも……この唐突な賭けをアドバンテージのある方向へ思案する為の

 時間稼ぎだったのか……?)

 

 職は違えど、互いに同じ活動域のアンチシーフである少年に、ファクマは内心で感嘆する。

 

 (思った通りだ……やっぱこいつは普通じゃねー)

 

 ファクマは無邪気に忍び笑い、ニクスへ語りかけた。

 「いいぜ。じゃー俺の賭け物を決めな」

 

 

 

 

 

 (しかし、バカなのは本当かも知れねーな)

 ファクマがそう思い直すのも無理は無い。

 この会話は、仮にも病人で且つ賭けの関係者であるインフィが寝てる部屋で

行われていたからである。

 

 「それと病人を労りやがれ」

 「ぅほっ!?」

 

 幸いな事に、インフィは夢の渦中だった為聴かれる事は無かったのだが、

余りの怒声にインフィがしかめっ面をしていたのは言うまでも無い。

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 インフィが倒れ、宿に担ぎ込まれてニ刻程経過した頃、

彼女の意識は戻っていた。

 視界を占領している天井、部屋の臭い、体感している布団の肌触り全てが、

初めて触れる新鮮な感覚。

 「んっ……」

 視線を横にずらすと、飛び込んできたのは自分とティアの命を守り抜いてきた大剣。

 得物を取られていないところを見ると、捕えられたわけでは無い様だ。

 自分の金色の長い髪が顔に所々垂れているが、今は腕を動かして払い除ける体力が戻って無い。

起きるにはもう少し、体力の回復を図る必要があるが、ここで再度眠るのは憚られた。

 

 やはり、無理をしてでも現状を把握しておくべきだーインフィと言う己の立場を鑑みれば当然ではないか。

 

 身体が負担を感じ、眩暈を感じながらもインフィは布団から抜け出た。 

 

 「ぅっ……・」

 

 吐き気が込み上げてくる。

 

 扉の近くの壁に寄り掛かる。そのまま床に腰を落としてしまい、動けなくなる。

 腕に負った傷も、まだ全快しているわけではない。痛みが波のようにせめ上げて来た。

 インフィが応急処置した時から一切変わってない。少し擦り切れた包帯から血が滲んでいた。

 無理がたたったのを後悔していると、扉がひとりでに開く。

 

 「おぉっ、目が覚めたんだな」

 インフィの容体もお構いなしに声を振りかけてきたのは、あの明朗快活なアンチシーフの少年だった。

 

 

 

 

 「つーかよ……マジで病人に対する気遣いがゼロな、お前」

 ファクマが溜息混じりに呆れ果てる。

 

 インフィが無理をして再度行動不能に陥った所を床に着かせたところである。

 「ははは……俺看病経験無いからさ」

 「んな問題か。弱ってる事も気づかずにアホな挨拶かましてる時点で女の子に対する気遣いが足りねーんだよっ」

 女性限定なのだろうか。

 一方的に責め立てているファクマはインフィの視線に気づく。

 「ん?俺に気があるのかな、お嬢さん?」

 ファクマはおどけた態度で(若干本気で)尋ねるがインフィは返事せず、代わりに辺りを見回し始める。

 その所作は猜疑に満ちており、敵愾心すら見て取れるようだった。

 

 「説明してもらえますか」

 

 最後に天井に視線を戻した彼女は、床に伏して尚凛とした態度で言い放つ。

 その眼に一切の澱みは無く、先程扉に寄り掛かっていた時とは似つかない別人のようである。

 「私は、貴方に斬りかかった筈ですが?」

 そう言うインフィの態度に悪びれたところは無い。寧ろ、ファクマとニクスが自分を介抱した事を

糾弾するかのような口調だった。

 

 「見て分からねーかな?介抱させてもらったんだが」

 威圧的で反感を買うインフィの言に、ファクマは至って平静に応える。

 「滅茶苦茶疲れてたんだよな?あんなんじゃ襲われた内に入らねーんだが」

 逆に揶揄する所作も含めたファクマの余裕とは裏腹に、インフィの心証は穏やかでは無い。

 

 「そうですか。では体力が戻り次第、始末させてもらいますので」

 

 非常に物騒な物言いに、ファクマの笑みも引き攣る。

 

 「あのだなー……俺は、別に」

 ファクマの言い分も虚しく、インフィの声が上塗りする。

 「怪しくない、とでも言う心算ですか?人売りも蔓延っていると言うのに呑気なものですね」

 頑なな態度のインフィに、遂にニクスが口を挟んだ。

 「ぉっ、おい。そんな言い方は無いだろ?監禁してるわけでも何でも無いのに」

 「ニクスさん……」

 インフィは、ファクマに対する時とは掌を返したようにしおらしく、残念そうな顔付きになる。

 

 まるで、そこに居て欲しくなかったと言いたげに。

 「これで分かって貰えたとは思いますが、私はとある事情の為に、人を斬るんです」

 視線のやり場に困ったように、インフィは自分の大剣へ目を逸らす。

 

 「ニクスさんが、事情を知ってたら……」

 それは、懺悔のように聞こえた。

 

 その後に、何と言うのかが分かった気がしたから――

 

 その後を聞く事を恐れ、ニクスは遮る。

 「知ってる。インフィの事情」

 

 ニクスは、敢えてインフィに嘘を突き付けた。

 「え?……」

 

 インフィは呆けた表情を見せたまま、固まった。

 「知っ……って、る?」

 「ああ。ファクマから聞いた」

 その言葉も、インフィには届いて居ない。

 虚を突かれた顔は、どうすればいいのか分からない小さな子供のようだった。

 

 慌ただしくファクマとニクスを交互に見て、漸く合点が行ったのだろうか、

インフィは暗い影を落とした表情でニクスに問い詰めた。

 「それで……私を、どうするつもりですか?」

 「え?」

 

 ここに来て、想定外の事態にニクスは気付いた。

 

 当然ながら、ニクスはファクマの賭けの担保を変えたのでインフィの「事情」を知らない。

 事情を知っていないのを知ったかぶりをした上で、インフィの反応如何で賭けの結果を決する筈が、

逆にニクスがアクションを求められてきたのだ。

 

 「いや……何もしない、けど?現に今も何もしようとしてないだろ?」

 何とか取り繕ったと思ったニクスだが、更に想定外の出来事に絶句する。

 

 「何も……しない」

 インフィの目に、大粒の涙が溢れている事に。

 「何もしないって、本、当、ですか」

 既に嗚咽に呑まれた声は途切れ途切れになっている。

 

 ニクスは、インフィが泣いている理由すら分からずに焦ってファクマを横目で見るが、

ファクマは微笑を浮かべて下手な事は言うなとウインクをするばかり。ウインクは何回も必要ないが。

 

 

 「私と、ティアの事を知っても……何もしては来ない、んですか」

 「ああ、何もしないって」

 

 ニクスが肯定する度に、インフィの嗚咽と――ニクスの後ろめたさに拍車がかかった。

 

 「い、今まで、ティアを一緒に探してくれる人なんていなかった。いつも一人で探してて……

 誰も助けてくれなかった。誰にも助けを呼べなかった……あの子を守るのも、あの子を連れて逃げるのも、

 いつだって私一人だった……!」

 

 「知られたら……みんな、変わってしまうのが、怖かった……」

 

 泣きじゃくるインフィを見て、ニクスは彼女の涙の意味が分からない事を、

事情を知っているふりをして曲がりなりにも彼女を騙していたいた事を、この時になって初めて後悔した。

 

 何故この娘は泣いているのだろう。

 

 その吸い込まれそうな蒼い瞳を涙で溜めて、

 

 悲しんでいることが分からない事がこんなにも辛い――

 

 目の前で泣いている少女の痛みが分からない事が、

 

 その痛みを自分に分けてすらあげられない事が、

 

 堪らなくもどかしく、堪らなく痛かった。

 

 

 「ごめんな……」

 

 それは何気なく放たれた言葉。

 

 しかし、それは確かに運命が鼓動を始めるのに十分な言葉だった。

 

 

 

 

 「また……一緒に、探すから」 

 

 

 

 背はあまり変わらないはずなのに、小さく見える彼女の頭に手をのせる。

 

 

 

 「ありがとう……ござい、ます」

 

 微かに、何も知らないインフィは  何も知らないニクスの言葉に――確かに頷いた。

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 万全の体調で無い上で泣き腫らして疲れたのか、再びインフィは眠りについた。

 部屋から出た後、ファクマはニクスに賭けの報酬について尋ねた。

 

 「結局インフィちゃんはお前を斬ろうともしなかったなー、てなわけでお前の勝ちなんだが」

 

 ニクスは一応賭けに勝っていたが、彼は葛藤の最中に居た。

 

 (知られたら……みんな、変わってしまうのが、怖かった……)

 頭に残るインフィの嗚咽、その中から漏れ出た苦痛の言葉。

 

 当初ニクスはファクマから申しだされた賭け品である「インフィに関する事情」を提示され、

それを却下し事情を知ったふりをしてファクマとの賭けを成立させた上ファクマの賭け品を

変更する事に成功した。

 

 しかしインフィの痛みの存在を知った今、彼の意志が揺らぐのは在り得ない事では無かった。

 

 「どーするんだ」

 「……」

 無言。

 「とっとと決めろ」

 「……待ってくれ」

 ファクマが急かすが、ニクスは俯いたまま決めかねている。

 「俺が提示した情報に賭けの報酬を戻すか決めてんだろ?なら、それでいいじゃねーか」

 「……いや」

 

 首を振ったニクスが、顔をあげて要求した報酬、それは――

 

 「ティアの居場所。これで、いい」

 

 またしても、想像の蚊帳の外を行くニクスの考えに、ファクマは口笛を鳴らした。

 ニクスはまたしても葛藤などではなく、もっと実用のある報酬を考えていたのだ。

 

 「"また一緒に探す″って約束は伊達じゃねーってか?お熱いこって」

 「茶化すなよ。本当なら結構な金を要求してたとこだ」

 ファクマは見透かしたように笑いを零す。

 

 「そりゃ、インフィちゃんに感謝しねーとな」

 そう言いながらもファクマは一枚の紙切れをニクスへ手渡す。

 「これ、は地図か?」

 その紙は、ただの地図では無い。

 旅をするには必須とも言える休息地を始め、権力争いや飢饉が起こっている街の情報が、

びっしりと埋め尽くされた情報と言う名の宝の塊だった。

 「ああ。現在測量済みのこの地域周辺のな。売っても高くつく。情報屋以外に持ってる奴は

 そう居ないだろうからなー」

 

 こんなものをあっさり手放すファクマも底が知れない。 

 

 ニクスは地図を丸めると、ファクマに一枚のコインを放り投げた。

 ファクマの手に収まったそれは、コインに羽毛の絵が刻まれたものだった。

 「なんだこりゃ。少なくとも今現在発見できてるどこの国の貨幣でもねーみてーだが」

 「俺お手製のお守りっ!お礼だお礼」

 ニクスはニヤつきながら親指を立てて答える。

 訝しみながらも、ファクマはそのコインをダークスーツのポケットに滑り込ませた。

 

 「ほんじゃま、俺はそろそろ仕事もあるから行くわ」

 ファクマがあっさりと踵を返す。

 「え、手伝ってくんないの?」

 「何の為に賭けの報酬くれてやったんだよ・・・俺ァ、"情報屋゛なんだ。゛保安官゛じゃあねぇんだよ。

 鮮度の高い、在りのままの情報を確保する。俺が介入して情報を捻じ曲げるようなことが

 あっちゃなんねぇんだよ。幾ら俺が女の子大好きイケメンだからってこれだけは破れねーの。分かったかコラ」

 「はいはい。冗談だって、がんばれな」

 にこやかにニクスは送り出す。

 「フン。ま、俺も俺で目的のモンは手に入ったしな」

 ファクマはちらと視線を落とす。

 「は?」

 「こっちの話。精一杯気にしてろ」

 「何だよそれ……普通気にすんなだろ。ってかそんな言われると余計気になるっての!」

 ニクスは呆れるが、気に掛けもせずファクマは歩き出す。

 

 「じゃーな少年。インフィちゃんが居るからって羨ましい事すんじゃねーぜー」

 「するか!!!大体羨ましい事って何!」

 

 「うわはははははははは」

 ニクスの怒声を背後に受けつつ、ファクマは笑いながら宿屋の階段を下りて行った。

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 「そう、ですか。ティアは……」

 重苦しく吐き出されるインフィの言葉に、ニクスは頷く。

 「ファクマから貰った地図によれば、ティアは……グリーズ盗賊団に捕えられているらしい」

 ニクスが見せた地図には、ファクマが後から付け足したように、グリーズ盗賊団の根城に

ティアの名が記されていた。安否も明らかになっているようで、殺されてはいないとも表記されている。

 インフィは一切の躊躇もせずに立ち上がる。

 「早速助けに行きます」

 「違う」

 

 

 インフィの言葉を、ニクスは訂正した。

 「助けに行こう、だろ?」

 「ニクスさん……」

 

 インフィは、久々に、柔らかに微笑んだ。

 

 「は、はいっ!」

 

 

 

 

 ニクス達が滞在している街・バイヤーノから少し北上した位置にある洞窟――グリーズ盗賊団アジト。

 盗賊団としては「穏健」の部類に入り、無意味な殺生をする事は無い。

 ただ、盗む時は遠慮なく盗んで行くのでバイヤーノの者からは敬遠されている。

 洞窟として使われているアジトの中は「盗み」の為に、殆どの賊は出払っていたが、人買いへ売り飛ばす為に

捕えている捕虜や略奪した財宝等の要所にはしっかり見張りを立てていた。

 

 

 

 「よォ……まだ口を開かないか――黒髪の坊主」

 鉄格子の外、燭台のみが照らす薄明かりの中男の声が洞窟内で残響する。

 

 そして、柵の中で護られていた沈黙は、そっと破られる。

 

 「坊主じゃない。」

 黒髪を蓄えた頭は、音も無く柵の外の方を向く。

 

 「私は、女だ」

 

 「ほぅ、そりゃ驚きだ」

 柵の外の男の声は、わざとらしく驚嘆してみせる。

 「だがな、こんな男だらけの巣窟で女をアピールしてもいいことないぜ?」

 「そうだろうな」

 黒髪の持ち主――ティア・フォロスはにべも無く返す。

 

「子供だとは思ってたが……こりゃ閉じ込めておく必要も無かったんじゃないか?」

 からかうように柵の外の男は笑う。

 

 ――しかしそこへ突き刺さる、殺意の視線が男の眼前にあった。

 

 「私を、舐めるな」

 

 その黒い髪と黒い眼は、暗闇の中でもはっきりと視認できるほどの漆黒さを秘めていた。

 「直に笑えない顔になる」

 「ほぅ」

 強がりにしか聴こえない啖呵を聞き流しながら男は生返事をする。

むしろ、そんな事態を待ち望んでいるかのような振る舞いを含んだ笑みを、ティアは消す事が出来ずに

睨み続けるばかりだった。

 

 それっきり会話は立ち消えたように静まり、長い時間沈黙が洞窟内を支配していたが、

盗賊団員の一人が駆けつけてきた事で静寂は打ち破られた。

 

 仄暗い明りの中、男は団員に尋ねる。

 「どうした」

 「敵襲です!」

 「数は」

 男の淡々と落着きを払った態度に、駆けつけてきた方の団員もその声の調子や息遣いから

徐々に冷静さを取り戻していく様子をティアは感じ取っていた。

 「ひ、一人です」

 「うん?」

 「一人のアンチシーフと名乗る餓鬼が、このアジトに押しかけてきました!」

 敵襲の数に対してこの焦り様に異様さを感じ取った男は立ち上がる。

 「アンチシーフか。そりゃ、厄介なお客さんだな」

 左程困ったようでもない口調で口ずさむ様にぼやく男。

 「案内しろ。手に負えないから報告に来たんだろ?」

 「はっ、はい!こちらです」

 団員に案内されて男は歩き出す。

 

 

 「見ろ。早速笑えない状況になったみたいだな」

 

 そう皮肉ったティアの言葉を聞いてか聞かずか、男は静かに微笑んでいた。

 

説明
半ば強引にインフィの連れの捜索を請け負ったニクスは彼女の言う「黒髪の少女」を探そうとするが…?
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