倫理が人を食らう世界
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悲鳴が今日も鶏の代わりに朝の訪れを告げた。

 

道徳がいつものように人を屠り、肥大化を繰り返す。

 

倫理とは欲望を抑えつけるものであって、その名の下に全ての行動を正当化するものでは決してない。

 

ワインを片手にある者は、美しい人間を攫っては凍りずけにし、鑑賞を楽しんだ。その顔はいつも誇らしげだ。

 

ある者は、筋骨隆々な人間を購入しては、肉をサイコロ状に切り分け、血とは対照的に冷たい刃を繰り返し哀れな子羊の体に押し当てた。悲鳴は彼らの耳を大いに楽しませた。不屈の精神をもつ者には斬首で報いた。

 

またある者は生き埋めにして、死をただジッと見つめた。不自然に隆起する地面がまた一つ増えた。

 

またある者は、目抜き通りを行き交う人々を指さし、私の自家用機から身を投げてくれないかとその従者に声を掛けさせていた。被害者は明日の家族の命の為に、金の為に喜んで命を捧げた。数十人が空を舞い、何百、千何もの肉が世界を朱に彩る。何も知らない家族はその腹を遺族の肉で満たす。遺族の口がまた穢された。

 

自身の薄弱な意思のため、単独では決定をせない者もいる。5、6人の群れをなし、そのへっぴり腰で銃の引き金を一斉に引く。ロシアンルーレットのはじまりだ。犠牲になるのは決まって前途有望な人間なのはなぜだろう?嫉妬なのか、運命のいたずらかは分からない。ただとにかく醜い。

 

時間を遡り、無差別に過去の人を射殺する。これが流行となり、人々は挙って過去へ押し寄せた。最近の流行は赤ん坊の腕のキーホルダーらしい。

 

育児に嫌気がさした親たちはきまって市役所に茶封筒と我が子を交換する。そこで集められた子供たちは円形の闘技場に連れてこられ、生きる為に殺し合いをする。最後に生き残った子供はこれで自分は生きる権利を獲得したと勘違いをする。コロセコロセという狂った歓声が会場を震わせる。勝ち誇った少年は次の瞬間、銃声と共に地面に赤い花を咲かせる。希望を完全に打ち壊すこの不条理を観客は望んでいたのだ。

 

彼らは、みな決まってこう叫んだ。人のためだ。Kのいう人のためだと。

 

彼らに共通する目的は、自分よりも弱い者、迫害さえている者の尊厳を奪うことで自身のそれを回復しようとすることにあった。この暴力が彼らにとっては善意らしい。

Kはそんなことなど一言も言っていない。少なくとも、暴力を正当化する胡散臭い「道徳」など口にはしていない。

 

私は生きるのをやめたい。やめよう。

 

「どこで死のうかな♪」こんなに明るい声が出たのは不思議だった。私も笑えるのか。以前笑ったのはいつだったかな。お祭りは当日よりも準備している時の方が楽しいってこのことを言うのか。 

 

私は以前自分が殺されるハズであった場所。母の書斎に向かった。玄関から子供なら直進20歩進んだところに階段がある。母の書斎は2階へとつづくその階段の突き当たりに位置する。23畳もある。ここで両親はKの熱狂的な狂信者に拷問の末、殺害された。母は腹部を切開され、取り出された内臓で首を締められたせいで死んだらしい。父は局部や四肢、耳目を含めた体のありとあらゆる箇所を切断された後、皮を一枚一枚、刃物で丁寧にヒン剥かれたらしい。父が遺体になった後は包丁が折れるまで、信者たちは繰り返し父だった物を刺し続けた。両親の抵抗の痕が壁や床、窓や天井に黒い染みや引っかき傷として今でも残っている。

 

部屋の奥に嵌め込まれたゲルニカ位の大きさの窓から差し込む光がまぶしい。私を照らしてくれるな。どんなに助けようとしても助ける事などできない人間がいるんだよ。神様。それを知って欲しい。死ぬ前に大嫌いな太陽がこんなに美しいと教えてくれてありがとう。

 

天井に縄を吊るし、後は首を預けるだけだ。

 

みんなありがとう。いや、みんなと言えるほど知り合いもいないか。結局、誰も私を愛してくれる人はいなかった。神様。死ぬ前にお願いがあります。私みたいな人間をこれ以上増やさないでください。死ぬ寸前まで私にいくらでも苦痛を与えてもいいから、私みたいに哀れな人間を作らないで。あんな運命を人に背負わせないで。

 

腕時計に目をやると4:44分。正に死に時だ。西日の熱とあの独特な橙が私の体を駆け巡る。

 

床から椅子に右足を乗せようとしたとき、私はバランスを崩して椅子から転げ落ちてしまった。その際に紐を掴んでしまった。それなら良かった。だが、現実はそう甘くはない。

 

母の書斎の真上には事件後に増改築した養母の水槽部屋がある。水槽の重さに耐えられなくなった天井が落ちてきた。アロワナ、金魚、ネオンテトラにグッピー。何十もの雑多な魚が降ってきた。彼らと一緒に書き損じの手紙5,6通がどっと降りてきた。天井にかくしてあったのだろう。宛名はKだった。

 

そうだ。Kに会いに過去へいこう。母に瓜二つな私ならKも私をきっと必要としてくれる。Kは私に母を見出し、私など最初は見もしてくれないだろう。でも、母の偽物である私が母よりも劣っているとは限らない。母はKを拒み続けたが、私は違う。私はKを求める。同じようにKも私を求めれくれるといいな。いやらしい意味じゃなくて、手を握ってくれるとすごく嬉しい。誰かの温もりを私は知らないから。

 

K,待ってて。

 

 

 

 K。今、世界は狂っています。明らかに。

 

私の生きる時代は、躁病を患っています。大衆は、「今、此処、私」にしか興味がない。貴方のように過去を嘆いたり、未来に恐怖する人間はもういないんです。皆があなたの倫理感を名目として実践した結果、享楽的で快楽を貪るだけの家畜になり下がってしまった。この矛盾はヴィクトリア朝のダブルスタンダードを思い出さずにはいられませんね。

 

 私が、何度も繰り返し読み返したあの手紙、貴方が母へと宛てたよれよれの手紙には、貴方は自身の倫理感ではなく、美学に反する故に母を殺すことはできないと仄めかしてましたね。当時は、この文は異常だったのでしょうね?でも、今は違うんです。今は貴方のその感覚が普通になりました。

 

 

 

 

 

 

 

説明
今の世界はきっとこうなるんだろううなという妄想から生まれたものです。
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