架空書店
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 採光を考えられた少し傾斜のついた広い窓ガラス、それでいて書架には日光が当たらないように設計されているのが見て取れる。案内されたテーブルに着く。腰をかけたソファは硬すぎず、柔らかすぎず。シュッという短い空気音がしたかと思うと腰のあたりの落ち着きがよくなった。座る者の体形に自動的に合わせるという最新型のソファだ。

 店員から差し出されたおしぼりで手を丹念に拭く。手の汚れはもちろん油脂を取り、心おきなく本の「試読」ができるようにするためだ。ここではおしぼりで顔や、まして体を拭くような不届き者はいない。

 テーブルの上に置いてあるメニューを手に取る。頻繁に更新しているであろう、しかもワープロ打ちでない手書きの新刊情報、店員たちによる一口書評が目に入ってきた。

 

 「風の隣人」武井 肇 著 想到社ノベルズ

  読みやすい一品、中盤ほろ苦く読後感は爽やか。マキのおススメ!

 

 丸みがかった若い女の子特有の文字に思わず苦笑しつつ、顔を上げると、目の前の、ここまで案内してきてくれたその女性店員のエプロンの名札がはたして「真希」であった。

 

「これ書いたの、貴女ですか」

 

「はい、今月読んだ本の中では、イチオシですね!」

 

 にっこりと自信満々に答えるその笑顔になんとなく惹かれるものを感じ、思わず注文していた。

 

「じゃあ、これお願いします。それから、なんというかこう、時間をかけてじっくり読むようなタイプの本でなにかお勧めはありますか」

 

「じっくりですか、そうですねえ……」

 

 人差し指を頬にあて、小首を傾げる姿は若いというよりむしろ幼さを感じる。しかし、数秒の後に開かれた唇からはスラスラと淀みのない説明が始まり、予想をいい意味で裏切られた。

 

「洋書ですが『ドルフ戦記』、史実を元にした小説ですが、翻訳が見事です。かなり濃厚な読感ですから、ご自宅でナイトキャップと共に、なんて読み方がいいかもですね。それから最近出たものでは大泉望さんの『許されざる栞』も、腰を据えて毎日数ページずつ読みたくなる小説ですね。他にもいくつか重厚な作品の在庫がございます」

 

「ふむ、ではいくつか見繕って頂けますか」

 

「かしこまりました。少々お待ち下さい」

 

 相当な読書量を窺わせる説明に頼もしさを感じ、”テイスティング”を依頼する。一礼してくるりと踵を返し書棚に向かう彼女の後姿をなんとなく目で追う。エプロンの腰帯に差した水色のハタキがふわふわと揺れていた。

 

「――お待たせ致しました」

 

 書架の間をテキパキと移動しながら集めてきた本を小型のワゴンに載せ、暫くして彼女が戻ってきた。真っ白な手袋をはめた手で一冊を取り上げ、エプロンのポケットから小さなナイフを取り出し、慣れた手つきで帯封を解く。

 

「こちらが『風の隣人』でございます」

 

 受け取って美しい装丁の表紙をめくると真新しい本特有のインクの香りが鼻をくすぐる。ページを繰ると書評通りの清涼感のある文章がするりと頭に染み込んでいくようだ。数ページを斜め読みした後、丁寧に本を閉じる。

 

「うん、いいですね、これはテイクします」

 

「ありがとうございます。それから、こちらがじっくり読むのに向いているとお勧めする本でございます」

 

 そう言うと彼女はワゴンに積まれた七冊の本をテーブルに並べ、『風の隣人』に丁寧にカバーをかけ始める。布製の、手作りらしいブックカバーであった。

 こちらの注文が注文だけに、物理的な重厚感もあるドシリとした手ごたえの本を手に取り、”テイスティング”していく。一冊、少々古く独特の香りのする本があり、それに妙に心を動かされた。

 

「この本は……」

 

「『オーギュメント』ですか。31年前に初版となったものの難解であるとの評判からあまり売れず、当時は日の目を見なかった作品です。作者の榊恒義ではその後に書かれた『瞳と鏡』のほうが有名ですね」

 

「たぶん時代が早すぎたんでしょうね。面白いです。ちょっと重いですから、配送でお願いします」

 

「かしこまりました。ご利用ありがとうございます」

 

 伝票にサインをし、持ち帰るほうの本を受け取り、鞄にしまう。

 

「こちらこそ、いい本に巡り合えました。どうもありがとう」

 

 そう声をかけると、ぱっと眩しいような笑顔を浮かべ、彼女は答えた。

 

「そう言ってもらえるのが、一番嬉しいです!」

 

 帰る前に、”個人用書架”のエリアを覗いていく。この店では購入した本を持ち帰ったり配送にしたりすることはもちろん、こうして会員専用の書架にキープし、いつでも店内で読書をすることが可能になっている。鍵付きのガラス扉はあるものの、他の会員がどのような本をキープしているかが見て取れるようになっており、この棚を充実させることにステータスを感じる会員もいるようであった。また、会員同士でお互い信用できれば友人登録をして本の貸与を許可することができるのもこの店独自のシステムである。

 

 本が売れなくなり、街から次々に書店が消え始めた現在でも、この店の売り上げは良好である。書架を借りたりテーブルを使用したりする場合はチャージがかかるが、昔のように自分で目的の本を探して購入することもできる。この先も生き残っていけるのは、このような独自の工夫をした新しい書店なのだろう。

 

「ありがとうございました」

 

 店員の元気な挨拶を背に店を出ると灰色の空からちょうど雨がぽつりぽつりと降り出したところであった。

 

「読書日和だね」

 

 そう一人ごち、鞄の中の、買ったばかりの本を濡らさないよう早足で駅へと向かう。

 

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コメント
ぜひ、行ってみたいですね。至福の時を過ごせそうです。(華詩)
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書店 日常 淡々 

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